フォースと共に

「あらゆる生物システムの形態または組織は、複雑な動電場によって形成される。動電場と、それを構成する物理的化学的成分との間には、『成分が場を決定し、逆に場が成分の動向を決定する』という関係が部分的に成り立っている。動電場は、物性的には電気的性質をもち、その特性ゆえのかたちで生物システムと結びついている。また、この場というもの自体、生物システムの存在に起源を起源をもつ部分がある。したがって、動電場とその構成要素は、相互依存の関係にある。動電場は、単にパターンを形成するだけでなく、生命体の盛んな物理化学的新陳代謝の中で、パターンを維持し続ける能力がある。だから、それは生命体をコントロールするものであり、その活動により、生命体に全体性、組織性、および継続性が生じるのだといえる。したがって動電場は、ドリーシュのエンテレヒー、シュペーマンの発生場、ワイスの生物場などにも匹敵するものである」ハロルド・サクストン・バー著 神保圭志訳「生命場の科学」日本教文社




東洋医学はヒトの身体をただの物体と見なすことなく、

物体としての身体を取り巻き、それをはぐくみ、

養うある種の生命力の根源的エネルギーと呼べる気(き)と

いうナニカを設定することで、東洋医学の生命観を打ち出した。

まだいまのように科学が発達していなかった2000年以上前の

中国で、古代の鍼医は気などという意味不明のトリセツ用語を

設定することで、大衆を煙に巻き、医療という既得利権を

保持する姑息な手段を使ったのか?



気など無いと、現代科学に洗脳された者たちは思いたいだろう。

しかし、鍼灸指圧師になって25年余。

気などあるわけがない、という思いを十分に尊重できるほどに

現代的価値観に洗脳されていた私ですら、

やはり何らかの気と呼べる現象が確実にある、と思うに至るに

十分なエビデンスを体感しているのだ。



気をひとことで説明できる科学用語があればどれほどありがたいか。

気をひとことで説明できる科学用語があれば、

きっともう東洋医学をウサンクサイなどど言ってはいられなくなる。

バイタル・フォース(生命力)という概念が

スッポリと抜け落ちた現代医学を盲信する一般大衆の視線を、

どうにかこちら側に向けさせることはできないものか?



そんな事ばかりを考えて、関連書籍を読み漁っているうちに、

日本の先駆的皮膚科学者の傳田光洋博士の著書のなかで、

冒頭の動電場のネタがフューチャーされている記述を発見した。



うん? なになに? 動電場だって? なんのことだ?

そいつは、漢字の読みのとおりの、動く電気の場のことかい?

動電場についての唯一と言える専門書が日本の出版社で

復刻されていることをその傳田博士の本で知り、

私は即座に書店に注文を入れて、今か今かとその本が

届くのを待ちに待った。

ようやくその本が手に入った!

興奮の坩堝と化して読みふける。

待望の本には、まさに私がずっと求めていたものがあったのだ!



名門の誉れ高きイエール大学・神経生理学教授ハロルド・サクストン・バー博士。

現代医学の正統アカデミズムの殿堂にあり、

異端を貫いた西洋の間中善雄。

その30年以上に渡る地道で精密な実験は、

ヒトの生命が宇宙と電気的に連動し、

ヒトの身体と心が電気的に共鳴していることを

ついに立証したのだ。



冒頭本の最初のページにはバー博士の英知溢れる肖像画が掲載されている。

スター・ウォーズ・シリーズでジェダイ・マスターを演じた

俳優のリーアム・ニーソンに少し似ている風貌だ。

そして次ぎのページをめくると序文に、



「私たちのいる宇宙。私たちと密接不可分の関係にあるこの宇宙は『法則』と『秩序』の場なのです。それは偶然に生じたものではなく、混沌でもありません。宇宙は、すべての荷電粒子の位置と動きを決定できる『動電場(エレクトロ・ダイナミック・フィールド)』によって組織され、維持されているのです。ほぼ半世紀の間、この仮説の論理的帰結が厳密に管理された実験にゆだねられてきましたが、否定する結果には、いちども出会っていないのです H・S・バー」



と書かれている。



東洋医学の哲学において中核となるコンセプトが

天人合一(てんじんごういつ)というアイデアだ。

天とは天空のみならずヒトを取り巻くすべてを意味する。

そのヒトを取り巻くすべてとヒトは同一、

つまりヒトとこの宇宙は密接不可分だと訴える究極のエコロジー思想だ。



バー博士はヒトのみならず植物や動物などの地球に生きる生き物の

すべてが、その生命体の内外に電気的な場を保持し、

その電気的な場が鋳型の導きとなり生命は胚から発生分化し、

その電気的な場は宇宙の電気的な場と連動しながら、

生命の成長を養い、生命は電気的な場の栄枯盛衰と共に、

生長化収蔵のサイクルを過ごし、

生老病死の一生を電気的にトレースする、ことを実験で立証した。

このように東洋医学の天人合一思想は、バー博士の動電場理論と

見事な一致を見せる。



であるのなら、気というバイタル・フォースを表現する

ひとつの有力な証拠として動電場をピックアップしても

それほど荒唐無稽ではない、と私には思えたのだ。



気 ≒ 動電場 ?

いや フォース ≒ エレクトロ・ダイナミック・フィールド ?



銀河最強のジェダイ・グランドマスターのヨーダは

気についてこんな風に語っている。



「・・・フォースは、わが強き味方。生命がそれを産み、はぐくむ。そのエネルギーは、われわれを取り巻き、われわれを結び付ける。われわれは輝ける存在。こんな粗雑な物体ではない。身の周りのフォースを感じるのだ。ほれ、わしとお前の間にも、そこの岩と木の間にも、いたるところにある・・・」冒頭同書より引用



フォースはヒトの体壁筋肉系の活きた凝りにも宿る。

その活きた凝りのフォースが開放された時、

ヒトは宇宙と一体になる。



気とはわたしたちと天を結びつけるかけがえのないフォース、

動電場だ。

2017.03.27 | | コメント(3) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

ドラゴン・エフェクト

いわゆる気(き)についてこれまでに

わかってきたことは、気功師と被術者の

脳波が同調する脳波同調現象が起こること。

そして科学的な観測機械で捉えた気の特質としては、

①脈動する赤外線輻射
②変動する生体磁場
③16ヘルツ以下の超低周波
④イオン流
⑤フォトンなどの微粒子
⑥静電気&動電気

とされる。

鍼灸指圧師として気とは何かについてストレートに語ること。

治療院を開業して25年を機にこの命題に挑んでみたい。



私が活きた凝りに指圧をしていると、

指圧治療が佳境に至ると、

その凝りから脈動がスタートする。

その凝りから始まった脈動は、全身へと波及する。

その全身へと波及する脈動のさまは、さざ波の

ようであり、またなにか鉄砲の玉がはじけて

飛んでいくようでもある。



江戸末期の盲目の鍼医、葦原検校はその著『鍼道発秘』の

なかで、鍼治療中に鍼に感じる気の動きを、

「サカナやスッポンが釣り針にヒットした当たり。

鳥を打つための鉄砲が発砲した時の衝撃」と記述している。

わたしはこの葦原検校の気の感触を表現した一文を

はじめて目にした時、「やったぁ〜!

俺が感じているものと同じものを感じていた人間がいたんだぁ〜!」と、

狂喜乱舞した事は言うまでもない。



気とは何かがヒットして伝播する動きだ。

このヒットと伝播、が気を解読するカギとなった。

実は気を分子レベルの現象と捉えるには、

いささかマクロ過ぎるのだ。

分子レベルは、もちろん小さいがそれなりに大きさがある世界だ。

大きさがあるということは、重いということで、

瞬間的な動きには向かないし、

大きさを動かすには大きな力が必要となる。

大きさを運ぶなんらかの媒体も必須だ。

気の動きは瞬間的で粒子性と波動性を兼ね備えている。

この瞬間的で粒子性と波動性を兼ね備えた動きは、

大きさと重さがある分子レベルの世界では成し得ない。

とすると、さらに極小の量子レベルが視野に入ってきた。



量子は分子レベルよりもさらに小さい世界の話だ。

量子の動きの特徴は粒子性と波動性で私が捉えた気の動きと

ピッタリとマッチする。

そしてその量子の動きは分子レベルとは異なり、

瞬間的でランダムとされる。



江戸末期に一日に多い日は百人を越す患者を治療して、

治せぬ患者は、ほとんどいない、とまで豪語した

名医であった葦原検校。

その彼が感得した気の感触と、

約190年後の現代のまったく無名の鍼灸指圧師の感性が、

ここで火花を散らしスパークしたのだ。

気とは分子レベルよりもさらに極微の量子レベルの何か、

ではないのか?



「生物が示す一貫性の水準がたいへんに高いことから、
生命体のなかで量子論的な過程が起こっているのではないかと推測される。
たとえば、生命体はひじょうに低周波の電磁波や、
最高性能の装置でなければ測定できないような微弱な磁場に反応する。
だが、分子の大きさよりも小さな輻射が分子の集合体に影響を
及ぼすことは、その集合体をなす多数の分子どうしがきわめて高い
一貫性をもって相関していなければありえない。
このような結びつきは、量子論的な過程が生命体の
生化学過程を補っていてはじめて可能である。
生命体は、いくつかの意味において
『巨視的な量子系』であると考えられそうだ」
アーヴィン・ラズロ著 吉田三知世訳『叡智の海・宇宙』日本教文社より




ヒトの意識活動も、もしかしたら量子論的な現象ではないだろうか?

だとすれば、それなりに符号が合う。

気功師と被術者の脳波が同調する時、それは量子的な意識が

伝播し合い共鳴したからと分析できてくる。

私が開業当初に悩まされた二つの特異的な生理現象の

人体発火現象とトランスパーソナル現象。

量子レベルで私の身心と患者の身心は呼応し共鳴したのかもしれない。



活きた凝りが指圧で変容する時に発生するDLS現象。

DLS現象に特徴的な動きこそ粒子性と波動性の量子的な動きだ。

また鍼治療中の発光現象は、量子跳躍( quantum jump )と呼ばれる

物理現象に伴う光りの放出になぞらえる事が可能かもしれない。




本稿を概括するならば気とは量子レベルの何かだ、と

いう結論に達する。

いや、結論は取りあえず、まだ出さない方がいいだろう。

気については、まだまだ先走りした結論は差し控えた方がいい。

あくまで現時点で言えることは、

このくらい、ということだ。



気がいったい何なのか。

それはまだ完全にはわからない。

しかし、活きた凝りが鍼灸指圧の「ATP⇔ADPのゆらぎ」の

なかで溶解し変容する時、そこに出現するDLS現象と、

それに連なる発光現象は、まさに量子の跳躍と呼ぶに

ふさわしい現象なのだ。



クォンタム・ジャンプと共に歩んだ25年。

活きた凝りの竜は粒子性と波動性を伴い

量子の光りとなって

天空へ飛翔する。



ドラゴン・エフェクト。

活きた凝りは竜となり光りとなる。

2017.03.25 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

草稿を練る

【 命は摩訶不思議なカオスでコスモスでフラジャイルな存在であり、

本当のところは命が何なのかは常にわからない。

しかし、ヒトの体壁筋肉系に発生する凝りに触れてわかったことがある。

それはヒトの体壁筋肉系に発生する凝りには

可塑性に満ちた『活きた凝り』と、

非可逆的に変性してしまった『死んだ凝り』の

二つの凝りがあるということだ。

活きた凝りに鍼灸指圧をすると、活きた凝りの内部が変容を始める。

活きた凝りは鍼灸指圧で引き起こされた「ATP⇔ADPのゆらぎ」の

さざ波を受けると、固形化していた変性タンパク質が流動性を帯びてくる。

流動性を帯びた変性タンパク質はヒートショックプロテインや一酸化窒素に

より攪拌されると、ユビキチン・プロテアソーム系やオートファジーに

より分解されて、アミノ酸に変換される。変換されたアミノ酸は、

また細胞核セントラルドグマの働きで新たなタンパク質に生まれ変わる。

活きた凝りの変性タンパク質が解体されて新たなタンパク質に

生まれ変わると、活きた凝りは消えてなくなる。

分子レベルで活きた凝りが解消されるとき同時に、

量子レベルでも活きた凝りが消えていく。

量子レベルの活きた凝りの解消は時に応じて、

光りのミストとなって視覚化される。

活きた凝りならば引き戻せる。

しかし、死んでしまった凝りは、いかんともしがたい。

活きた凝りがあるうちにその凝りを解消する事こそが、

本当の意味での養生となる。

活きた凝りを活かす、

これすなわち究極の養生なり。(c)】




光伯堂創業25周年の決定版コンテンツの公開に向けて修行中(笑)

2017.03.24 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

リアルの味

平成4年の5月に私は今の治療院を開業した。

その前の1年間ほどは鍼灸の専門学校に通いながら、

按摩マッサージ指圧の出張治療を夜間に行っていた。

だから治療師としての臨床歴は足かけ26年ほどになる。

だけど正確に開業してからでは、

もうじき25周年を迎える。

なんとなく25周年というと節目のように感じる。

そんな思いからか、ここのところ、

私の脳内に滞積沈殿したアーカイブを棚卸ししたい気分なのだ。

それで、本ブログ記事の更新スピードが増している。

本ブログ記事の内容もかなりコアな方向へと向かっている。

ご興味のない方はすっ飛ばしてスルーして頂きたい。



さて、開業後に悩まされた事が二つあった。

そのひとつが治療中に身体が熱を持つことだった。

患者を治療していると、決まって身体が変容してくるのだ。

治療に入り、集中して佳境に至ると、身体の前面の胸の中央の

ダンチュウというツボの付近に玉の汗が出てくる。

そしてその汗が集まり液体になりヘソにまでしたたり落ちる、

ということがよく続いた。

汗だけでなく、涙や鼻水まで出てくることもあった。

いったい、こりゃあ、何事だ?

いつも不思議な感情を抱いたものだ。

しかし、その様な治療中の変容状態は、

それほど苦痛でもイヤでもなく、

むしろそうした変容状態を経験した時は、

自分も気持ちが良くなるし、治療の結果も

良いような気がしたものだ。

こんな治療中に身体が熱くなる変容状態も、

そのうち起こらなくなった。



二つ目の悩みは、突発的な痛みだ。

何をしたわけでもないのに、突然に腰が痛くなる。

あるいは背中の一部分や、肩や足が。

なぜなにをしたわけでもない痛みが

突発的に私の身体に出現するのか?

そういぶかしげに思っていると、必ず同じ部位に

痛みや症状を抱えた患者がその後、来院することに

気づいた。

そうか! この突発的な痛みは、

その同じ部位に痛みや症状がある患者が来るぞ、

というサインだったのだ!

そんな身体に移行してから、ある時、患者が何も

どこが痛いと言わないのに、自然に患者の痛いツボに

手が届く時が、何度か、あった。

その患者は何も言わないのに、勝手に一番やって欲しいツボに

手が届く私の治療に、よく心底ビックリ驚嘆したものだ。

しかし、そんなサインもやがて感じなくなった。



開業後すぐの頃に私を悩ませていた二つの出来事。

そのひとつは治療中の身体発火現象。

ふたつめが患者の主訴のトランスパーソナル(以心伝心)現象。

この二つの出来事は治療師を続けるうちに、

数年後には、やがて消えていった。

恐らくはこの二つの出来事は治療師としての登竜門、

いわゆるイニシエーション(通過儀礼)だったのだ、

と今振り返る次第だ。



話が突然に変わるが、

とかく治療師などというヤカラは、

自分を大きく見せたがるものだ。

パチンコが好きな者がフィーバーを出して勝った時の

事だけを得意げに語るように、

カリスマ治療師と呼ばれるヤカラは、

自分が治せなかった患者のことを正直に告白するケースは

ほとんどない。

万病を治す、というキャッチフレーズほど馬鹿馬鹿しいものはないのだ。

ゲノムの変異に起因する遺伝病、パーキンソン症候群や

筋萎縮性側索硬化症、ミトコンドリア病、

脳中枢の変異を原因とする神経や筋肉の麻痺、

末期ガン、脳血管障害の後遺症の麻痺など、など。

これだけではないが、どんな治療も歯が立たない難病は

ごまんとある。

そんな西洋医学でも東洋医学でも治せない難病を前にして、

それでも、万病を治す、と豪語するヤカラは、

ハッキリ言ってただの馬鹿だ。



25年も治療師をやっていると、

治せるもの、と、治せないもの、がはっきりと峻別できてくる。

治せるもの、は治せる。

しかし、治せないものは、なんとしても治せないのだ。

治療師として長年やっていれば、いつかすべての疾患症状を

治せる奇跡の腕、奇跡の手、奇跡の指が手に入る?

そんな子供じみた希望、幻想がこれでもかと打ち砕かれることで、

命とは何なのか、の私の哲学が作られてきた。



「命とは摩訶不思議なカオスでコスモスでフラジャイルな存在」



このひとことは、治療師となり二つのイニシエーションを通過し、

身体が変容し、奇跡ではなく挫折を繰り返すことで生まれた言葉だ。



科学でわかってきたものの恩恵は計り知れない。

でも、科学では命の何たるか、については、

「本当のところはいつもわからない」のだ。



幻想はいつもリアルが打ち砕いてくれる。

リアルは決して甘くはない。

2017.03.24 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

Light

アレをはじめて見たのは静岡脈診医学会に

在籍して間もない頃だ。

カミワザの腕を持つ盲目の鍼医の師匠に、

鍼治療の手ほどきを受けている最中だった。

私が鍼を打つ役になり患者側になった友人の

足のツボを探していた。

「ぜんぜん、ちがう、そこじゃない」

師匠は厳しい言葉を容赦なく浴びせてくる。

しかし、師匠には私のやっていることは

もちろん見えてはいないはずなのだ。

ようやくそれらしいポイントを見つけた。

すると師匠は間髪を入れずに

「うん、そこだ。そこに鍼をまず立てて」

まったく、なんで、いちいち、ぜんぶ、わかるんだ?

「いいよ、そのまま、ほんの少し刺入して」

私は必死に師匠の導きのままに鍼を打つことに集中していた。

没我の境地とはこんな状態を云うのだろう。

周囲の雰囲気がなにか、ガラッと変化したような気がした。

目がかすんだのか?

鍼を打っている手先からロウソクの炎のようなシルエットに

光りのミストが立ち上がるのが見えてきた。

「うん、いいよ。気が立ち上がったきたよ。

よしっ、今村君、そこまで、ハイッ、鍼を抜いて、

すぐ、閉じるっ」

冷や汗なのか汗が身体に溢れる。

とにかく身体が熱い。

「今日みたいな鍼が、いつも打てるようになれば、

いい鍼師になれるよ」

師匠の誉め言葉も上の空で、さっき見えたものが

なんだったのか、胸がざわつき、気になった。

カミワザの腕を持つ鍼医の師匠がこの会を去ると、

それからほどなくして私もこの会を退会した。

それからはどこの研究会にも派閥にも属さず、

311後はいっさいの東洋医学関連の団体と

関係を持たずに今に至る。

アレにはあの没我の坩堝の一時だけでなく、

これまでに通算で5度ほど遭遇した。

いつも鍼治療をしている時だ。

こんな仮説はどうだろうか?



【 ヒトの体壁筋肉系に発生する凝りは、

鍼灸指圧の治療をすることで、

「ATP⇔ADPのゆらぎ」が高まり、

凝りの中の分子構造が攪拌されることで、

凝りは凝りでなくなる。

その凝りが凝りでなくなるとき、

固体であった凝りはまず流動性をもった液体のような

状態に移行する。液体化した凝りの成分は、

体液の中に流れ込み、血液やリンパ液の流れに従い、

全身へと送られ、やがて肝臓や腎臓で解毒・再吸収が

おこなわれると要らないものが体外へと排出される。

また凝りの一部は、治療師の手から送られた

量子的な力で気体のようなミストに変換されて、

直接にツボから発散されて、体外へと排出される。

その時にツボから揮発した凝りに光線が当たると、

それが光りの粒、光りのミストとなって視覚化する。

凝りが溶解するルートには液体化と気化の

二つのルートがある。

指圧はどちらかと云えば凝りの液体化に向いた術。

鍼はどちらかと云えば凝りの気化に向いた術。

だとすると灸は火で凝りを燃やして気化する術と

いえなくもない。

凝りという固体は鍼灸指圧の治療で、

液体化し気化することで、

身体から消し去ることができる。

凝りを身体から消し去ることができるから、

鍼灸指圧は効くのだ(C) 】

とする仮説だ。




この仮説でいくと指圧治療中によく発生するDLS現象は、

凝りの液体化と捉えることができ、

現象と仮説に整合性ができてくる。

そして鍼治療中に発生する光りのミスト現象も、

凝りの揮発化という仮説で決着がつく。

治療師の個人的な特殊な体験を

すべて科学的に証明することは、

たぶん無理だろう。

しかし、それでも、それなりの科学的な仮説を

組み立てて、自分の体験を万人にわかりやすく説くことは、

治療師としてなずべき義務だと私は強く感じている。




鍼灸指圧治療で高まった患者の体壁筋肉系の

「ATP⇔ADPのゆらぎ」は、

凝りを溶解し、DLS現象を引き起こし、

やがて光りのミストに昇華する。



私の指先からはじまった竜の動きは

クライマックスにひとすじの Light となり、

天空へと飛翔する。

竜が飛翔し飛び去った体壁筋肉系には

やがて静寂と身心の爽快感が残る。



私の名前は光臣。

光りの使い、という意味を持つ。

そして治療院の屋号が光伯堂。

光りのマスターの舘だ。

私の風貌がヨーダに似ているのはダテではない。

凝りを竜に変え、光りに変える治療師は

世界広しといえど、

わたしひとりくらいのものだろう。

銀河最強のジェダイ・グランドマスターもとい、

銀河最強の指圧師、ここにあり!

2017.03.23 | | コメント(10) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

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