命を耕す 28

「形象も死にては気がなき故・・・生きて居る人の臓腑にあらざれば医者の用には立たぬなり」望月三英



さて、確かに寒いですね。

ただこの寒さが果たして本当にダークサイド・プラントが噴出し続けているアレによる惑星アルベド(太陽エネルギーを反射する割合)の変動のせいなのか?

それともすでに1万年以上を経過してしまった温暖な間氷期が明けて、次ぎの10万年間も続く氷期に移行する際の気候のブレによるのか?

あるいは、単にこういう春先の気候もよくあることなのか?

またはこうした予測とは異なる全く予想外の原因があるのか?

本当のところは、わかりません。

これまでここ1万年ほどはたまたま氷河期とはいえ、温暖な気候が続いた間氷期であったわけですが、実際には地球はずっと冷え続けていく過程にあり、これからもこうした寒さは周期的か連続的に訪れることは必至とも予想できます。

とはいえ、こうした分析もおうおうにして外れる場合もあり、結局は未来は予測不能ではないか、と私は思っております。

冒頭の発言は江戸中期の漢方医、鍼医であった山脇東洋(1705〜1762)が日本で初めての死体解剖に踏み切った際に、

この人体解剖を良しとするトレンドに対して反対の論陣を張った同じく漢方医・望月三英(1697〜1769)の言葉です。

東洋医学は生きた身体をもとにしてシステム化された気の医学であるとは、哲学者・故・湯浅泰雄氏の視点でもあります。

望月三英もまた湯浅氏と同じく、死んでしまった臓器をいくら調べても医者の役には立たない、生きた気のある命を相手にするのが医の王道だ、と捉えていたようです。

望月はまたその書『観医抄』にて「古の明医は人の内景を洞視して論じ置けるなり。今時の人は此れを守て替へざるべし」とも申しております。

この「内景を洞視」という部分は、いわゆる気功修練などにおける体内をイメージで視ていく方法の「内観法」のたぐいのことを指していると思われます。

つまり「気の医学」である東洋医学の人体内臓の認識とは、屍体解剖をもとにした物的な肉体として正確に把握するというよりも、生きたありのままの肉体内臓を体感で把握することに重点を置いたと言えるのかもしれません。

現代医学、現代生物学もまた実験室の科学であり、それが果たして生きた気のあるヒトの身心にそのまま適用できるかどうかは、もう一度、再検討する必要がありそうです。

ミトコンドリアという細胞内小器官だけが細胞を生かしているわけではありません。

細胞核ゲノムも、小胞体も、リボソームも、リソソームも、ペルオキシソームも、細胞膜も、細胞質内の80億個のタンパク分子も含めて、細胞質のオルガネラのすべてが協調し協働することで、

細胞生理は営まれ、細胞は生命力であるフォースに満たされて『細胞場』を形成できるのです。

だから、ミトコンドリアという単一の要素に還元して、命を論じても命の真相は見えてきません。

まして、ミクロの分子レベルの細胞生理だけでは、気の何たるか?命の何たるか?

は、とてもとても捉えきれません。

全体は部分の総和以上の意味がある。

生きて居る人の全体である臓腑経絡は常に鍼医の用に立ちます。

ヒトも、あらゆる生き物も、生きていて、なんぼ!

ネバネバヒート養生法に励んで、本日もヴィヴィッドにファンキーに

気を柔(やわ)らかにして、まいりましょうや!

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2015.04.24 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

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