命を耕す 27

「その息(いき)するや深深(しんしん)たり、真人(しんじん)の息は踵(かかと)をもってし、衆人(しゅうじん)の息は喉(のど)をもってす」荘子




「気とは何か?」という問いは、わたしたち鍼灸師にとっては一生、つきまとう命題でありまして、また時折、まるでこちらの全存在を試されるように質問される場合もある禅問答的なクエスチョンであります。

ところで、今から25年前の気功ブームにおいて、メディアが醸成した人々の気に関する関心は気功の本質にはほど遠い、見せ物小屋レベルのトンデモ気功ショーに終始したことは以前に触れましたが、

この気功ブームの失敗による後遺症によって、今では一般でも気を語ることはタブーのようなネタになりつつあり、わたしたちの「気の医学」の本場である東洋医学界においても、気をマジメに語ることは憚れるような状況と化しているように思えます。

つまり鍼灸師でありながら、気を語らず、あえて、気については有耶無耶にしてスルーするというポジションを決め込む者は決して少なくないでしょう。

なにせ、ただでさえ鍼灸指圧の認知度は低く、普通にそのへんの人々の口を介して鍼灸指圧の一般評価は「胡散臭い」とされるのですから、

これ以上に胡散臭く思われるのはとても耐えられないので、いっそのこと「気」なんてものは迷信か妄想のたぐいとして一蹴してしまう。

そんな立ち位置で生きている東洋医学関係者も、今では少なからず存在するかもしれません。

つらつらとここ30年ほどの気に関する関心のトレンドを追ってみると、今や気をマジメに熱く語ることは決してトレンドではなくなりつつあり、イケテイナイ領域と化していると見なせます。

そんな気を過去のものとする風潮の中にあって、一体、誰ですか?そんなに気を熱く語ってるのは?

は〜い!アタシ、私、わっち、おいら、アタイだってば、そう俺だよ、希代のアヴァンギャルド指圧師、マスター・ハリー・コウハクに決まってんがな!

ということで、今回は冒頭引用文は控えめに、自分の言葉を少々、書き連ねてみます。

いやね、実はかくいう自分もこれまで気については、本ブログの記事にするにしても慎重に取り扱ってきてまして、私もこの業界に入ってスグの頃は、あまり気について語ることはしませんでした。

ちょうど自分たちが鍼灸学校に通っている頃に、あの気功ブームのお祭り騒動の絶頂期でして、その絶頂の波はショーキンとかいうインチキ気功師が法外な治療費を治りもしないのに請求したカドで逮捕されるに及び、

この気功ブームがアッという間に沈静化していく経過を冷ややかにライブで観察しておりました。

それゆえに、それ以降は何となく気の話題を避ける、そんな風潮がこちら鍼灸界にも形成されていったように感じます。

また気の科学的計測も当時は随分と流行しまして、その中で出色とも言える成果としては、大脳生理学者の故・品川嘉也博士が世界で初めて捉えた気功師と被術者における脳波同調現象なるものも、ございました。

脳波計で気功師の脳内全体に易経の太極マークと同じようなα波の動きが描き出されると、気をかけられている被験者の脳波もまたこの気功師と同じく太極マークのα波が浮かび上がる。

なんとも不思議なこの気功における脳波同調現象は、気の交流が意識活動の中枢である大脳の認知機能と深く関わることを暗示しているように思えます。

気功を修練していくと、体調が整うだけでなく、脳も非常に活性化すると言われますが、先日、我が治療院に来院された前稿で取り上げた常連の御婦人のSさんによれば、

わたしの「気功指圧 1時間半コース 6000円」を受けたら、もの凄く体調が良くなり、仕事の能率が抜群に上がったと報告されていますので、やはり大脳の活性化に気功は大いに役立つと言えそうです。

気功指圧と言っても、別に特別なことをするわけではなく、26年間かけて築き上げた全能力をこの指先と体と意念で表現するだけのことですが、

この幾ばくかの指の圧力プラス意念という、力と気のバランス、フォース&パワーの天秤を取るというコツが、普通の一般のシロウトさんには、ちっとやそっとではマネできないレベルということになるかもしれません。

私が気功指圧をしている際には患者さんの脳波が、私の脳波と同調しているとすると、こちらがリラックスしなければ、患者さんの脳波はα波にはなりませんね。

そういう意味でも気功指圧をする際には、こちらの意識はなるべく無になるように心がけて、道(タオ)の世界と同化し、気と戯れ遊ぶ心境で常にいることが必要でしょう。

書家の祖父に揮毫してもらった「氣遊」が木製の額縁に入れて、治療院のデスク脇に飾ってありますが、まさに気と遊ぶ心境でいると、どうも患者さんの気も良く動くようです。

さて、今回の「命を耕す」の気功指圧シリーズは、好事家の皆さんに大変に好評で、また識見の高い方からも注目を頂いております。

まことにありがたいことで、ここにおいて、改めて御礼申しあげる次第です。

ええと、今回のシリーズの特徴はこれまでと違って、敢えて現代科学の生物学用語や物理学用語と整合性を持たせるという、時流とのすり合わせをするようなことはしていません。

というのは、これまで散々とこういった現代医学とのすり合わせは、本ブログでは試みてきましたし、そういうわけで、現代科学の用語に変換することには、もうお腹いっぱい、食傷気味というのが正直な気持ちです。

科学的には生命力はATPの発露だとしても、体感としては体が軽くなった、痛みがなくなった、頭の回転が良くなった、というリアルな実感、体験知が全てであり、

その体調の好転がATPの供給量が上がったからかどうかは、本当のところ実感で捉えることは不可能です。

脳科学の科学用語に変換すればそう言えるかもしれないが、本当にその単一の要素のみの事象に還元できるほどに、命は、機械論的で線形的でチャチでちゃらいわけではありません。

気の動きはまるで龍かヘビか、あるいは妖精のティンカーベルが舞い飛ぶ姿か、実に摩訶不思議な動きを見せてくれます。

これが単なるATPや電子のしわざか?

いやいや、だからね、そんなメッチャ、こまい微細な、ミクロの分子レベルの「点と点をむすんだだけ」の要素還元論では決して理解できない程に、深淵にして不可思議なる世界が「命の場」「気の現場」なのです。

場の中を探ると要素が見える。だから要素はあくまで場全体の一部であって、全部ではありません。

全部が命なのであり、一部は命の片鱗に過ぎません。

部分の総和である全体は部分を集めた以上のなにがしかを生じる。

ちまたには、『生命場』を電池か家電製品かケータイ電話かと錯覚したような論説がまま見受けられます。

命には心がありますが、電池や家電製品やケータイには意識、意念、こころ、がありませんよね?

だから心のない、気の出ない医療機器マシンから供給される意味不明な要素をもってしても、気の場である心ある命は何も反応しませんよ。

ようは暗示効果、プラシーボによって、いくばくか気が反応するだけです。

つまり、これで何か効きそうだという気のせい(笑)そんじゃあ、つまりは気に効いてるのか?(笑)

老子や荘子の理想の呼吸とは、ノドでも肺でも腹でもなく、なんと足のカカトで呼吸することだと、冒頭で申しております。

もちろん、これは比喩ですよ。

そう意識をカカトまで持っていく、というこれも気功修練なのです。

とかく頭部にばかり気血を上(のぼ)らせてカッカ!カッカ!する御仁が多いご時世には、

グーーーッと意識を身体下部にまで引き下げて、腹式呼吸も通り過ぎて、カカト呼吸にまで到達するといいかもしれません。

かの西野流呼吸法は足の裏のツボ湧泉(ゆうせん)から地の気を吸い上げて、全身を上昇し、頭頂のツボ百会(ひゃくえ)からその地の気を天空へと放ち、今度は天の気をツボ百会から導引して、また今度は全身を下降させて足裏のツボ湧泉から地へと抜いていく。

こんな「足芯呼吸法」をアドバイスしていたと記憶しております。

呼吸法ひとつチェンジするだけで、身心の気の流れは随分と良くなるかもしれません。

あぁ〜、ダラダラとよく語ったよ、久しぶりに(笑)

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2015.04.23 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

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