動物だもの

近代文明のハリボテをひっぺがしてみれば、そこには動物である人間がいた。

人間中心主義、ヒューマニズム、知恵のあるサルと自分で自分を呼んで憚らない自信過剰な生き物、中央集権、法治国家、近代設備。

はっきり言って全部、いらないもの。

これらがヒトを幸せにしたことなんて一度もない。

ヒトは畢竟、動物である。野生のサルとなんら変わりない。

その内臓構造も酷似している。歯の構成は若干違うからその歯の形に合った食べ物を選択すればいい。

臼歯切歯が合わせて28本、犬歯は4本。

だから穀類と野菜果物で7、肉魚は1、の割合で食べてれば健康でいられる。これはもういろんな方面で取り上げられている食の黄金律。

これに反した食べ方をすれば病気になる。

加工食品はなるべく少なくする。そもそも動物で加工食品を食べてるのはいないのだから。長寿村の棡原村はこの食律に沿った食事の時に長寿者が多かった。ところが道路が開通して加工食品が大量に侵入したらあっという間に「逆さ仏」現象が起きて、短命化が進行した。

物が増えて便利になる。開発と発展がヒトを幸せにする。医療が発達すると健康なヒトが増える。

これもぜんぶ幻想である。

物が増えると廃棄処理に困る。開発と発展は自然を破壊する。医療は受益者にとってよりも供給側にとって必要なもの。

医療とは幻想である。応急処置、救命救急、対症療法、にはそれなりに寄与するシロモノ。でも日々の健康には関係ない。

日々の健康は自力で獲得するもの。そこには他力は存在しない。常に自己で身心を把握してみずからの健康を作り出さねばならない。

他力=医療。

自力=健康。

明治維新いらい一貫して統治側は医療に頼るような政策、教育をしてきた。それゆえに自力で健康を維持する能力は大幅に欠落した。

予防医学、代替医療、に精通している医師らしき者もたまにはいるが、あんまり期待してはいけない。というか、他力では健康にはなれないから。

自力です。常に。自分の代わりに歩くことも食べることも権威ある他人である医療者にはできません。

自分の身体は自分のもの。

人に聞く前に自分に聞くこと。自分のことは自分が一番わかるはず。

他人に聞くのはそのあとでいい。

テレビばっか見ない。受動的な反応しかできない人間になっちまうよ。借り物の知識や情報では永遠に主体的思考はできない。

それはそうだけど自分はこう考える、という境地までいかなければいけない。

健康も一緒。あまたある健康情報に触れても自分に合った情報は自分にしかわからない。実践を通して自分の身心の変化を知って何が自分にとって必要なものかがわかってくる。

そしてよい方法があってもそれを馬鹿のひとつ覚えで反復することもやめる。身体は変化し続けている。常に外部環境と均衡を保つため不断に変化している。だから一方法がたまたまその時に身心を調子良くしたからといっても、ずっとそうとは限らない。必須な栄養素の不足も時々で変わる。

「ぶれない」、ことが良いことのように言われるが、こと身心に関しては「ぶれ続ける」ことが良いのです。

生々流転、日々変化しているのが人体でありこの宇宙。

地球は秒速30キロメートルで太陽の周りを回っています。

ここから7秒で東京まで到達するスピードです。

22秒で血液が全身を循環してるのも普通に感じてきます。

とどまっていれば濁るだけです。

流水は腐らず。

幻想を越えて、真の養生法へ。

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2012.05.12 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

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