癒しの原点 22

「身を保ち生を養うに、一字の至れる要訣(ようけつ)あり。コレを行えば生命を長く保ちてヤマイなし。其の一字なんぞや。畏(おそるる)の字、コレなり」

貝原益軒の『養生訓』から最も特異的なキーワードを選ぶとすれば、恐らくはこの「畏れ」と、この冒頭文の後に登場する「慎み」の2つの言葉が選ばれるだろう。

ではいったい何を畏れて、何を慎むのか?と言えば、畢竟すれば万物を畏れて、万事を慎むとなろうか。

私はすでに『養生訓』思想の根底にはアニミズム思想が地下水脈のように流れていると分析しているが、アニミズムを自然崇拝と解釈すれば、

自然とは安藤昌益が「自(ヒト)り然(ス)る」とルビを振ったように、この「ありのまま」の62桁の無限大宇宙のフリーリンクなフラクタルでホログラムな、

まるでマトリョーシカと金太郎飴を足したようなどこもかしこも同じ球体構造を成して、どこを切ってもどんな微細な構造にも同じ仕組みが発現する不可思議極まる連続した空間層と、

138億年前に始まり46億年前の地球誕生を経て38億年前の生命誕生のプロセスの宇宙全生命史の連続した無窮の時間軸の、この膨大な空間と時間のすべてを

「ひとりするありのままの自然」と捉えれば、この神とも仏とも造物主ともいかようにも解釈できる自然を崇拝し、

敬い、畏れ、この我が身はまさにこの62桁と138億年の自然とつながっていることに思いを馳せ、

慎んで大事にこの身を扱い、人生の一大事である養生法の探求をもって、自然の恩義に応えて健康長寿を達成することが、人生の目的であり手段であると、『養生訓』の精髄を読み解くに到りました。

近代科学文明とは自然への「畏れ」を失念し、末期ホモサピエンスが我が身心を「慎む」ことを忘れた結果、生み出された文明の突然変異「畏敬文明」ならぬ「異形文明」ではなかったのか?

「自然を大事にしよう」というエコキャンペーンが叫ばれて久しいが、自然とは決して他者ではなく、自分自身もまた自然の一部であることを忘れて、傲慢にも自然が人間のチカラで操作できるかのようなこの発言からも、

人類が自然をそのままに認知する感性がヴィクトルから1000キロメートルは乖離していることがよくわかるのだ。

わたしはこれまで常々「ガンは敵ではなく味方であり仲間である」とか「ウイルスもバクテリアもガン細胞も仏性を有する」と言い続けているのは、

他でもないウイルスもバクテリアもガン細胞もまた自然の一部だからだ。ギリシャの医聖ヒポクラテスはヒトの身体に備わった自然治癒力をポノス( Ponos )と命名し、

「解体新書」を翻訳した杉田玄白はこのヒポクラテスの自然治癒思想を受けて「すべて病を治すは自然の力にして、クスリはその足らざるところを助くるものなり。西洋人は、自然は身体中の一大良医にしてクスリはその補佐なりと言えり」と唱えている。

いったい西洋医学はどこから医療ビジネスに変異したのだろうか?純粋にヒポクラテス思想を受け継いだなら、今の世においてこれほどのバッシングを受けることはなかったろうに。

あらゆる領域が腐敗し腐臭を呈し、二項対立の毒気に汚染されている現代文明。すべてはわたしたちそれぞれの責任なのだろうと推察します。

そもそもこの自然界は、いや宇宙すべては「敵ではなく味方であり仲間である」モノによって構成されているのです。

それを無理やり敵と味方、善と悪、邪と正、テロと正義、生命と非生命、解糖系とミトコンドリア、ガン細胞と正常細胞、酸性とアルカリ性、酸化と還元と、すべてを2つの対立する事柄に別(わ)けて、こざかしい分別知(ふんべつち)を持ち込むから

すべてを見失っているのです。2つに別けることなどできないのがこの宇宙なのです。それはこの宇宙に生じるすべての構造が「全一性」を象徴するラセンや球体を描くことからも、簡単に分かります。

ウイルスの基本構造ビリオンはまさに「ラセン型」と、球状の「正多面体」です。もちろんウイルスも宇宙の申し子であり、我々の仲間なのです。

さて、植物がウイルス対策として抗ウイルス性分子を生成していることを前稿で学びました。この植物がバクテリアやウイルスに対抗する分子を合成できる事を世界で最初に発見したのは、

旧ソ連の科学者ボリス・ペトロヴィチ・トーキン博士であることは知る人ぞ知る事実です。トーキン博士はこの植物の殺菌力をフィトンチッドと命名し、すべての植物がフィトンチッドを生成し、

フィトンチッドのチカラをもってして、このウイルス&バクテリア生命界でたくましく生きていることを立証しました。森林浴とはよく言われるように森の樹木が発散するこのフィトンチッドを浴びて吸うことを言いますが、

ヒトは古来よりフィトンチッドを体内に取りこむことで、ウイルスやバクテリアに対抗する免疫力を保持してきたのです。

中国大陸は3500年前まではその国土の80%以上が大森林でした。フィトンチッドに満ち満ちた霊気がユーラシア大陸の東部をことごとくブルースモッグとして覆っていたのです。

鉄器を生みだした人類はやがて森林を伐採する暴挙をしでかし、地球の大半の森林をペンペン草も生えない荒れ地にしてしまいました。

あの肺胞マクロファージを活性化しインターフェロンを旺盛に分泌してくれた清らかなフィトンチッドの粒子は、今や見る影もありません。

AIDS、エボラ出血熱、SARS、鳥インフルエンザ、・・・、次から次に強毒性の新種のウイルスが今世紀になり出現しております。

しかしこれらヒトに害をもたらすウイルスは本来は無害であり、いやいたとしてもフィトンチッドにおさえられてごくわずかだったとしたら?

そうなのです。もしかするとヒトが地球ウイルス界の免疫系である森林を伐採しなければ、これらのウイルスはこちらの人間界にまでノコノコと出てくることは出来なかったかもしれないのです。

畏れと慎みを忘れた近代文明がもたらした災厄がウイルスパンデミックなのかもしれません。

『養生訓』は現代文明の原罪まで浮き彫りにする優れた養生書です。

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2015.01.23 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

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