癒しの原点 13

「天地のみたまもの、父母の残せる身なれば、つつしんでよく養いて、損ない破らず、天年を長く保つべし」

引き続き貝原益軒学の二大語録として有名な哲学篇である『大疑録』と並ぶ世界養生史に輝かしき金字塔を打ち立てた、革命的な養生論が書かれた『養生訓』の巻頭序辞のスタート文を私なりに解説していきます。

益軒学におけるコアな思想とは本人益軒の言葉によれば「学問の要二つあり。道を明らかにすると、事に達するとなり。道を明らかにするは経学をすべし。事に達するは史学をすべし」とされ、

「経学」とは今で言う形而上の「哲学」であり、「史学」とは経験的事実の記録つまりは今で言う「科学」に近いカテゴリーを表しているようである。

この文脈からすると『養生訓』はもちろん後者、科学的な実践編に分類されるのだが、なにゆえに『養生訓』が世界に誇る日本の世界遺産かと言えば、

この類奇なる養生法論が崇高な哲学に裏付けれらた立派な思想書であると同時に、優れた身心調整の為の実践的ガイドブックであるという哲学と実践という二つの顔を併せ持った特徴にあることは言うまでもないことと言えよう。

『養生訓』が出版された江戸中期は正徳3年、1730年からすでに300年が経過しており、その間に人々の養生観が進歩して脱病院化社会が達成できているかどうかは非常に心もとないが、

チマタに陳列される養生指南の情報発信の中にこの『養生訓』を越える程の優れたコンテンツがあるかと言えば、これは絶対に無いと断言できる事も言うまでもないことだ。

少しもう一度くどくどしく強調しておくが、哲学と実践の両者がしっかりと融合し共生しているからこそ『養生訓』は珠玉なのだ。

さて冒頭言は先の記事「癒しの原点 11」から続いている一節であるが「天地のみたまもの、ちちははの のこせるみなれば、つつしんでよくやしないて、そこないやぶらず、てんねんをながくたもつべし」と読み下す。

ここまでの『養生訓』総論スタート文の三行をザックリと意訳するなら「この身心は天地と父母のお陰で授かり、養われるもので、もとより自分のものではなく、

天地父母から借りたものなのだから、この貴い仮住まいの身心を決して粗末に扱うことなく大事にし、天寿を全うすべし」となろう。

西洋哲学におけるかのルネ・デカルトの言葉に「われ思うゆえに、我あり」があることは有名だが、益軒学における「われ」の捉え方はおよそ対照的であり、

そもそも「我の本体である我が身は私の物にあらず、天地のものであり、父母の残せるもの」と説くのだから、

実に西洋的な価値観と比して益軒哲学がラディカルでアヴァンギャルドだと、私が強調するワケが読者の皆様にもそろそろ理解できてきた事でしょう。

私流に敷衍すると益軒が申す「天地」という空間的物理的な概念は、この無限大宇宙を構成する10のマイナス35乗の素粒子クォークの微細なミクロ世界から、

10のプラス27乗の銀河宇宙すべてを包含する極大なマクロ世界の62桁の大円球と見なせることができて、また益軒が言うところの「父母」という時間的なつながりは

ヒト・ゲノムの記録データにインプットされたすべての遺伝情報を読み解き、宇宙生誕138億年前に始まるこの一大宇宙叙事詩を刻んだDNAに見られる地球誕生46億年史と生命史38億年の全宇宙史がそれそのままに「父母」であると読み込める。

近年の生物学の進展によりヒト・ゲノム内のパラドックスの一端が解明されて、ヒト・ゲノムにおけるヒト生理に必須なタンパク質合成を指示する遺伝子「エクソン」領域はわずか1.5%しか存在せずに、

それ以外のDNA機能が解明されていない未知なる領域「イントロン」が98%以上も存在し、その内訳が徐々に判明しつつあることについては、前記事ですでに触れた。

何とヒト・ゲノムにはおびただしいまでに大量のウイルスの痕跡があったのだ。そしてどうもこのウイルス由来のDNA成分を使いながらヒトはその生理を維持しているようなのだ。

ウイルスはよく「生物と無生物の中間的なモノ」と解釈され、またAIDSウイルスや鳥インフルエンザウイルスなどヒトや動物に対して強毒性をもつウイルスが存在するゆえに

「ウイルス=ワルモノ」という視点でしか捉えることができない視野狭窄症が蔓延していることは周知な事実である。

しかし今少しこうしたウイルスに対する偏見や常識を脇に置き、つぶさに地球生命史38億年を俯瞰してみると、地球最初のバクテリアであり全生命の根源とされる「コモノート」が発生する前に意識が向き、

恐らくはこの「プレ・コモノート」の時代において幅を利かせていたのが、ひたすらDNAやRNAという情報媒体をコピーする能力を磨き続けたウイルス時代があった事が朧気に想起されてくるのだ。

生命を規定する二大要件に「代謝」と「自己複製」がある。ウイルスは代謝をしているかどうかは分からないが、自己複製には非常に優れている。

生命とは食と性の二相を追うのが本質であるが、言わばウイルスは性という自己をコピーする側面に特化した生き物と解釈してもいいかもしれない。

ヒトは細胞レベルではアポトーシスとリモデリングを繰り返して常に細胞をコピーし続けて、個体レベルでは生殖を介して自己とそっくり同じ個体を子供としてコピーし、種レベルでは進化を通して新しい種へと生まれ変わる存在である。

この細胞レベルと個体レベルと種レベルの3フェーズにおいて、どの階層においてもウイルスが介添え役となりシャペロン能力を発揮していると見ると、実にエキサイティングな新たな「ウイルス・ホロビオント・パラダイム(ウイルス共生生命観)」が誕生しそうだ。

そう我々はウイルスと切っても切れない関係を帯びたウイルス共同体の一員なのだ。いやもしかしたらウイルス抜きでは地球生命体の命は維持できないのかもしれない。

間違いなくワタシという身心はウイルスという「父母」と直結した存在なのだ。

ウイルスやバクテリアやガン細胞との共生を宿命づけられているのがヒト生命である。

「ミトコンドリアの細胞内共生説」を最初に唱えた故・リン・マーギュリス女史はこの説を唱えた当初はアカデミズムから猛烈なバッシングに遭遇した。かつて初期人類が水辺で半水生生活を送っていたとする

「水生類人猿仮説・アクア説」を唱えたエレイン・モーガン女史もまたこの仮説の発表から今現在に至るまで決して好意的なレスポンスを受けていない。

「山川草木が仏性を有するなら、ウイルスもバクテリアもガン細胞も仏性を有する、が当然の理だ」と提言する私もまた、これから猛烈な反発に逢うことは必至だろう。

しかし真実を洞察した以上は、信念は曲げられません。

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2015.01.15 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

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