癒しの原点 2

「古人は詠歌舞踏して血脉を養う。詠歌はうたう也。舞踏は手の舞い、足の踏む也。みな心を和らげ、身を動かし、気を巡らし、体を養う。養生の道なり。いま按摩導引して気を巡らすがごとし」

貝原益軒が江戸期の正徳3年(1713年)の正月1日に、古今の養生の知恵精髄を自身の体験を交えて書き上げた不朽の健康ガイドブック「養生訓」の名は、ハイテクネット時代の現代に生きる者とて知らぬ者はいない程に有名であることは言うまでもないが、

その内容に関してどれだけ知悉しているかと言えば、これは意外にもそれほどの普及はしていないと推定できる。

例えば「医は仁術なり」というこの言葉が「養生訓」第6巻「医を択(えら)ぶ」と題された一章の中の一節であることを知っている者は恐らくはほとんどいないだろう。

「医は算術なり」となって久しいご時世にいつもそれを反省させるためのアンチテーゼとして持ち出される「医は仁術なり」の定番フレーズも、

その出所元は今から約300年前に出版されたのあの有名な養生書にあることくらいは、取りあえず日本人の常識であってほしいと願う次第です。

さらに時代を遡り今から1035年も前に出版された鍼博士・丹波康頼(たんばのやすより)が著した「医心方(いしんぽう)」と名づけられた書物も日本養生史に輝く世界に誇るレジェンドには違いないが、

こちらはさらに知名度が下がり、人口膾炙率は急降下して深さ10920メートルのマリアナ海溝まで落ちこむことは容易に予測できるが、

この書は内容の凄さもさることながら、書物のタイトルに丹波康頼の鍼医としての全スピリットが体現されているところが出色である。

「医療を行う者はまずもって病者に請われれば、なにを置いても急いで駆けつけて、自分の親子兄弟の如くに親身になって治療せよ、これこそが医を任ずる者に必須の不可欠な心である」

との戒めを丹波は中国の医書を網羅し選び抜いた一大養生ガイドセレクションのブックタイトルとしたのである。

丹波康頼の理想とした医療者が持つべき医の心と、貝原益軒の「医は仁術なり」は、日本医道史の地下水脈を通底している医の心得であることがここに見て取れる。

日本医道における「癒しの原点」はまさに「医は仁術」にあったのです。

冒頭の言葉は養生訓の第2巻中の一節である。意訳すれば

「古代の人々は歌を歌い、ダンスを楽しむことで血の巡りを整えてを体を活性化していた。これも立派な養生法である。今の時代に按摩やマッサージや指圧や鍼や灸をおこない気血を調整することと、歌を歌いダンスに興じることはまったくもって等しい養生術だ」

とでもなりましょうか。歌と言えば私の姉は声楽家でありまして、ルーティンの仕事として定期的に特養施設を訪れては、入所者やスタッフにソプラノの歌声を届けております。

その歌うナンバーの中に入所者のお気に入り「パーソナル・ソング」があるように演目をプログラムしているかどうかは知りませんが、

姉は日本の愛唱歌や童謡が好きで今ではあまり歌われないようなレアな楽曲もよく歌うように心がけています。わたしもスケジュールが合えば近場でのコンサートにはよく足を運んでおります。

今までは言ったことがありませんが、「声楽家が奏でる素晴らしい声の音波をこうして浴びて、全身60兆個の細胞が共振してバイブレーションする、この瞬間はまぎれもない治療だ」といつもコンサートを楽しんでいる最中に感じておりました。

冒頭の言はまさにこの私の治療家としての歌に対する感慨をストレートに表現しているのです。そう貝原益軒翁にとってはミュージック&ダンスの効用など百も承知だったのです。

本ブログフリークから昨年に「いつか「養生訓」を読んでみたい」とのコメントを頂いておりましたので、この養生指南のバイブル中からハリーセレクションなレアな言葉を拾いつつ、癒しの原点を探るシリーズを本年の皮切りといたします。

真面目かつユニークな講義を是非にご堪能下さいませ!

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2015.01.02 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

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