ソモモン 2

そもそも人類の医療の原点とは何だったのだろうか?

野生のサルは病気になった仲間がいるとその病気のサルのために健胃整腸作用のある生薬オウレンの根を掘り採ってくるというし、

アフリカのチンパンジーも具合が悪くなると普段は目もくれない特別な葉をとってきて、それをまるで強心剤のニトロ錠の如くに噛まずに呑み込むと言うし、

グルーミングと呼ばれるノミ取り行為がマッサージの原点ではなかろうか、とも言われている。

お猿さんの時代にすでに医療らしい行為が行われていたとするのなら、人類と医療の関わりは我々が想像するよりもはるかに古いと言えるのかもしれない。

一般には東洋医学が文字をもって体系化されたのは中国は前漢時代と言われており、だいたい2200年前くらいに「素門、霊枢」なる鍼灸医学のバイブルができたとされている。

気(き)や経絡(けいらく)という概念を用いる医学の教科書が出来上がり、今現在に至るまでテキストはそれほど検定されず、ほぼそのままで使用されてきた。

それがいいか悪いかは別として、では、中国古代の医師であった鍼医や漢方医たちは、いったい気や経絡という用語で私たちに何を伝えようとしたのだろうか?

ひとことで言えば、彼らはヒトの「生命力」を気や経絡という言葉で表現したと、わたしは解釈している。

だからそれは実体というよりも感覚であり、物質というよりも機能であり、だからこそ死体解剖にはほとんど興味を示さず、それゆえに解剖学は東洋医学では発達を見なかったのだ。

そこにある生身の身心をそのまま扱うからこそ、低下した生命力をどうにか賦活させる事に全力を注いだからこそ発展した医学が東洋医学であった。

東洋医学とはひと言で言えば「バイブレーショナル・メディスン」なのだ。

DNAのセントラルドグマな機能により細胞生理が正常に営まれている事がわかる時代になっても、iPS細胞やES細胞やSTAP細胞が再生医療の切り札と盛んに喧伝されるご時世になろうと、

腰痛や肩こりをいかにして解消するかという問題は、今後もまったく変わりなく重要な問題であり続けるだろう。

何よりもまずは日常の養生に役立つかどうかで医療の質は問われるべきである、というのがわたしの持論である。

どこか遠いDNA操作の世界よりも、身近な四十肩の一発即効治療の方が世のため人のため自分のためになる、というのはわたしの常連の患者さんの感慨である。

養生とは毎日毎時毎瞬の生命力活性化にある。

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2014.04.19 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

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