祈り

肥田春充翁は幼少の頃は「かや棒」と呼ばれるほど身体が細く弱かったのだが、青年期に一念発起し肉体改造をはじめ西洋式のマッスルトレーニングの弊害を身をもって経験した後に独自の導引法ともとれる「肥田式強健術」という身体操術を創始する。やがてその操術の修練中にエンライトメントが訪れて解脱を体験する。その後にはいわゆる超能力とも呼べる超人的な能力まで開花し、たとえば六面すべてに3ケタの数字が書かれたサイコロを何個もいっぺんに放り投げて上面に出た数字を足した数と底面に出た数字を足した数を言い当てるなんて芸当をいとも簡単に成して見せた。まだサイコロがぜんぶ落ちる前に解答をスラスラと書いたそうである。

こんなのは序の口で、寝た姿勢のまま空中に浮いたとか、新興宗教に悪口言って裁判沙汰になった際に沼津の裁判所の法廷でゴチャゴチャした論告に嫌気がさし、やおら気合いを浴びせたら裁判官が気絶してしまい裁判が取りやめになったとか、サラシでグルグルと目隠しを厳重にし、さらに穴のない鉄カブトをスッポリかぶせて対面する相手の本を逆さまにして絶対に見えないようにしたものをスラスラと読んだとか、まあおよそ科学的な思考しかできない賢い現代人から見れば詐欺かトリックにしか思えないような能力を示したそうである。

その春充翁は晩年に「宇宙倫理の書」を執筆した。肉体と精神の最重要点であるヘソ下三寸の「正中心」を体得した人間には宇宙の倫理がわかったのだろう。悟りの訪れた瞬間の感動を「さらさらとしてすべてと一体になっている」というニュアンスで表現していた。この宇宙という万物と我が身心が一体であるという境地に至ったものが今の政治、経済、環境を俯瞰して何を思うだろうか?ことごとく放射能に汚染された大地、空、海、人々を見て何を思うだろうか?春充翁は未来を透視できたとされるが、地球の未来を見た春充は絶望し、最後には食を断ちこの世を去ったのである。春充が見た未来とはもしかしたら人の住めなくなった放射能地獄の地球だったのかもしれない。

原発や原爆や核にまつわる違和感とは「宇宙の倫理」に反しているという一語に尽きるのだと最近思うようになった。放射能がらみは政治や経済やエネルギーの問題として語られることが多いのだが単純に宇宙の倫理に反しているというだけの事であろう。自然界に存在する原子をいじってはいけないのだろう。自然界には存在しなかった超ウラン原子など作ってはいけないのだろう。それが宇宙の倫理に反した行為だからずっとモヤモヤした違和感がつきまとっていたのだ。科学の倫理の前に宇宙の倫理があるのである。絶対不可侵の倫理を犯しているのだからその災厄はまた犯した本人たちに降り注ぐのが宇宙の法則である。

宇宙の倫理がもしも大げさなら地球の倫理と言い換えてもいいかもしれない。46億年を生きてきた全生命体の母である地球。彼女はいまの人類をどう思っているだろうか?おそらくは頭を抱えて悩んでいるだろう。自分の皮膚である地球表面をはぎ取り掘り起こし血液とも臓器とも言える地下資源を抜き取り勝手に利用する馬鹿な人類。共生共存の思想をもたずにすぐに武器をもって戦争をする馬鹿な人類。外部環境になじんで穏やかに生きれば病気になどならないのにやたらと無駄な仕事をさせられて疲弊し病気になり飲まなくてもいいクスリを飲んでさらに病気を増やしている愚かな人類。草木虫魚が目に入らずにひたすら公害をまき散らす人類。このあまりに出来の悪い生き物を母なる地球は今どう評価しているのだろうか?

ある異星人とのコンタクティーは「宇宙に散らばったすべての人型惑星人の大元はライラという惑星の人々であった。戦争に明け暮れた後に嫌気がさし宇宙中の住める惑星にちりぢりになりそこの環境に適応していったのが現宇宙のすべての人間たちである。本来的に理想の世界は農耕型の文明である。今の地球も徐々にまたその方向へとシフトしていかねばならない」なる発言をしていた。江戸期の不世出の革命家であった漢方医・安藤昌益もまた人間の理想社会とは自分の食い扶持は自分で耕したもので補うという完全自給自足社会とした。それをしないでエラそうな事を抜かす者はみな「不耕貪食の徒」と喝破している。ライラ発の宇宙人世界であるこの地球にもやはり宇宙の倫理は厳然とあるはずだ。毎年200数十兆円もの特別会計を貪る官僚、もとい「不耕貪食の徒」を追放できるのは一体いつになるのだろうか。

カールセーガンたちが言うようにこの天の川銀河系だけでも100万個もの先進文明を築いた知的生命体がいる惑星があるのだから、その中にはすでに放射能地獄を経験し克服した種族もいるのかもしれない。どうやって内部被曝を克服し健康でいられたのか?どうやって核廃棄物の無毒化を成し遂げたのか?ヒントは想像することにあると私は考えている。イマジネーションこそが宇宙を貫くもっとも大きなエナジーである。思えば通じるのである。マヤ歴の分岐点が到来しているそうだ。私たちも大いなる分岐点に立っている。政治や経済なんて実に小さいカテゴリーである。目を宇宙に転ずればそこには無限の可能性と絶対不可侵の倫理が存在するのである。地球という母の心に寄り添い、宇宙という父の威厳にひれふす時にヒトははじめて新たなステージへと意識が到達するのだろう。

映画「2001年宇宙の旅」のイントロである「人類の夜明け」においては原始人類が道具を持ち武器に使うことを覚えるシーンが象徴的に描かれていた。道具を手にした瞬間が人類のはじまりであるのなら、また道具を捨て去る瞬間も人類のあらたな始まりとなるであろう。もはや宇宙倫理に反する道具である原発原爆核利権など捨て去る時代が到来しているのである。春充が見た未来世界を現出させないためにはわれわれが覚醒するしかない。

気づきと悟りがマヤ歴の更新日に訪れんことを祈ります。

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2012.12.22 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 墨興安国論

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