医事と時事

江戸時代中期1771年、蘭方医・杉田玄白らは江戸の小塚原で腑分けを見学し、西洋の解剖書が正確で中国医学の解剖図が雑なことに衝撃を受けて、ドイツ人クルムスが著したオランダ語訳「ターヘル・アナトミア」を翌日から一気に3年の歳月をかけて訳したのが「解体新書」なのであるが、ガッコウの歴史教育ではこれをバカのひとつ覚えで「かいたいしんしょ、カイタイシンショ、解体新書」とまるで「自民、民主、第三極」と言い続けている今のメディアの如く連呼させて洗脳するだけで、その前後の医療史には触れはしないのである。

通詞(通訳)の本木良意はそれよりも100年近く前にドイツ人レムリンの解剖書を独力で翻訳しており、たまたま出版の時期が大幅にずれ込んで「解体新書」が一躍脚光を浴びたせい?でその影に隠れて目立たなくなってしまったようだが、図集と説明書の二冊からなる「和蘭全躯内外分合図」という立派な書が明和9年(1772年)に出版されている。「解体新書」の出版が1774年であるからそれよりも2年前に幸運にも本木良意の訳書は出版されているのである。死後75年経って周防の人、鈴木宗云が尽力して本木の訳書は世に出ることになったのだ。

そしてこの「解体新書祭り」の少し前の宝暦4年(1754年)に漢方医であり鍼医である山脇東洋が京都の刑場で罪人の死体を腑分けして、その4年後に日本最初の解剖書「臓志」を著しているのである。

時系列で見ていくと、①通詞・本木良意「和蘭全躯内外分合図」を訳す(推定1670年50歳頃に訳し終えたのか?1772年出版)、②鍼医・山脇東洋が初めて死体を解剖して「臓志」を著す(1759年出版)、③杉田玄白、前野良沢らが「解体新書」を訳す(1774年出版)となるだろうか。

医学者ではない本木の偉業は忘れてはならないし、独学でオランダ語の医学書を翻訳したのだから見事と言わねばならないだろう。ガッコウの歴史教育からこぼれ落ちた偉人である。こういう偉人伝を書いていっても面白いかもね。

というか、明治維新よりも前の医療史はまったくといっていいほど一般化していないし、それがそもそもの東洋医学を蔑視する風潮のベースになっていると推定されるわけで、ひとつ「日本医道史スーパースター列伝」とか「日本医療史はじめて物語」なんてものを書いて今の東洋医学界にはびこる閉塞感を打破し、一般の人々の度肝を抜くくらいのことをしないとあきまへんな(笑)

まあ当然のこと、最初は旬の「医心方」の著者、鍼博士・丹波康頼あたりからスタートすることになりましょうか。これ少し私には荷が重い課題ですが、おいおいそんな調子で明治以前のスター級の医家たちをトッピングしてネタにしていこうかとたった今思いついた次第であります(笑)思いつきと成り行きですすむブログですのでご了承のほどを。ちなみに思いつきと成り行きで頓挫するシリーズもあります(笑)では、今回はこんなとこで。

追伸、選挙ががぜん面白くなってきましたが米帝が選挙を攪乱する目的で次に何を仕掛けるかわかりゃあしませんのでくれぐれも安心せずに執拗に注意して参りましょう(笑)

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2012.11.28 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

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