一家に一箱

ちいっと考えればわかるように「脳死=人の死」なんてのは捏造でありでっちあげでありマッチポンプな単なる概念であり妄想でありフィクションであり作り話であるのは火を見るよりも明らかなのである。臓器移植を正当化し、臓器ドロボーを推進するために作られた概念に過ぎない。移植医療をしたくてしょうがない勢力が現代医学界には存在するのだ。移植ビジネスには億単位のカネが動く。病院経営にとっては打ち出の小槌なのだ。だからくだらない「なんでも脳科学一大キャンペーン」が長い間おこなわれ、脳中心主義を植え付けてきた。

脳なんて情報を受ける端末に過ぎない。自分で情報を取ることすらできない一番のケツに位置する器官。皮膚が最前衛で、腸管上皮も最前衛。この二膜がもっとも優秀な情報デバイス(装置)。ここが外界からの情報を受容して判断して情報処理をする前線。ここで一時処理された情報をホルモンや神経伝達物質や電気信号に変換したのちに脳へと送信されて脳内にデータが集積される。脳は基本的にライブラリー(図書館)みたいな役目でありデータバンク(情報倉庫)としての役目が主なのだ。細胞膜と細胞核DNAの関係とフラクタル(相似形)になっている。

今の医学界のトレンドは脳やDNAにばかり目がいくように誘導している。これにより生命にとってもっとも大事なものを見落としている。大事なものは奥に仕舞ってあるものだけじゃない。目前に見えているものこそが実はもっとも大事なものなのだ。それに気づかないふりをして延々と意味不明な脳科学原理主義、DNA至上主義が焼き直しされ続けている。つ〜まんねっ!

東洋医学は実に賢いのだ。1100年頃の中国、北宋時代には罪人の一族を使い731部隊も顔負けの生体解剖を行っている。これによって解剖学の正確な知識が入手でき、それをもとにした正確な解剖テキストができたのだが、なぜかこの正確な方の解剖書はたいして役に立たずに、より荒いテキトーな解剖図がそののちに復活し、そっちのほうがよく使われるようになってしまう。皮膚と腸管上皮という2つの膜を使う医療にとっては機能としての臓腑観(ぞうふかん)があれば通用したので解剖図には正確さはそれほど必要とされなかったのだ。

日本で江戸期になって罪人の腑分け(解剖)を行ったのは蘭方医ではなく山脇東洋という鍼医であるが、彼はテキトーな解剖図と現実のナマの解剖所見との違いに驚愕してしまい、西洋の解剖書の優秀さにカブトを脱いでしまう。そしてその後は人体のより正確な生理解剖を把握しようという実践主義が芽生えていくのだが、その傾向にノンと申す漢方医もまたいたのである。機能としての生きた人体を扱う医療者にとって必要なのは生きた身体であるのだから、死んだ肉体をいくらいじってみても生命などわかるものではないという主張であった。これも至極もっともなご意見と私は共感する。北宋時代の解剖図を破棄したのにはそんな理由があったのだろう。

生きた肉体はそう簡単には死なないのだ。臓器が生きているのなら人の死であるわけがなかろう。何をもって脳死=人の死などというタワケた妄想を流布するのだ。すべての細胞が死んだ時が人の死なのだ。そして意識が途絶え、血流がストップしても細胞はすぐには死なないのだ。無酸素と低温で活動できる細胞質の解糖系は死後も少しの間は活動し続ける。解糖系の産生物である乳酸が蓄積していくことで細胞が固まっていく。これが死後硬直なのである。この死後硬直が生きている肉体、細胞で発生しているのが凝りである。だから凝りなんてたいしたもんじゃないなんて思わないほうがいい。部分的に死んでいるようなものだからね。

今から294年前の享保3年に書かれた本郷正豊「鍼灸重宝記」には気絶した者を復活させる術として「①損傷(そこないやぶる)、②中毒(どくにあたる)、③頓死(にわかにしする)、④諸の気付、⑤溺死(みずにおぼれてしぬる)、⑥脈絶(みゃくたゆる)」などの章が挙げられて細かく蘇生術が解説されている。鍼灸による救命救急など今の医学界はてんで興味がないようだが、鍼灸などしかなかった時代にはもちろん鍼灸を使って救命救急がなされていたのである。脳死は人の死などと悠長なことを言ってはいられなかったのだ。なんとかして手持ちの道具で、術で人を救ってきたのが日本の鍼灸史であり医道史であったのだ。

我が国の民の救急箱こそが鍼灸按摩術でありました。

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2012.11.22 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

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