暮らし

「素門」という漢の時代に編纂統一された中国医学の公式マニュアルがあり、この黄帝(こうてい)と医師の岐伯(きはく)のQ&A問答形式を採用した素門(そもん)というバイブル経典を読みこなす事が鍼医にとっては登竜門のような意味合いを持っているのであろうが私はどちらかというと現代的な医学観のほうが性に合っていて特に細胞生理とかミトコンドリアの働きの解明から生命の真理を探るというのが好きなのでおのずとそのたぐいの話しが多くなっているし、今後もそのような流れで突き進んでいこうと思っている。今の世は俄然というか依然としてDNA原理主義の医学が主流であり全体論ではなく要素還元論がもっぱらもてはやされているのであり、生気論ではなく機械論が主流であり、気とかエネルギーのたぐいを観察する医学ではなく物質としての肉体を重視する医学が支配的である。

たとえば細胞生理ひとつとってみてもミトコンドリアに視点を変えるだけで全然また違った世界が拡がってくるのでありまたそういうミトコンドリアを主軸においた展開のほうが私にはよく生命を理解できているという感覚が濃厚なるがゆえにミトコンドリアにこだわるのである。いやもっとはっきり言おう!ミトコンドリアを理解することはすなわち細胞生理を理解することであり、命のなんたるかを知るロード・オブ・ザ・リングなのである。そうミトコンドリアこそがモノリスなのだ。

マクラでこんだけミトちゃんを持ち上げていったい何やねん(笑)まあ、世間ではそんなに注目されてないからね、ミトちゃんってのは。誰かが言ってあげないとさ(笑)癌の真相だってとっくのとんまに解明されてるのだけど、癌が実は細胞が生きようとする姿でありエネルギーであるATPを生み出して健気に細胞を生かしてくれているなんて発想の大転換が起こって医学観にコペルニクス的転回が起こってはブラックジャック・レベルの中クラスの医学体制が転覆してしまうから癌はいつまでもワルモノに仕立て上げておくのである。(手塚治虫にもブラックジャックにも特に恨みはないです、はなしの流れで単語として使用しているまでだからね、ファンの皆様、怒ってはイカンよ、ミトちゃんが働かなくなるから 笑)

ナノ純銀による放射能徐染の研究が進み放射能を0化できることがわかっているのに官僚はその研究結果を不問にして一言「放射能がなくなっては困る」と言ったそうだ。ようは放射能があるから徐染という利権事業が続行永続できるわけでゼオライト利権を握る政治家が一枚噛んでいるとも噂されているのだ。これと同じ構図が医療ムラにも存在しているのであり「ガンが悪党でなくなっては困る」勢力が存在するのである。

抗ガン医療利権という巨大な利権帝国が医療には立ちはだかっているのである。原子力ムラとどっこいか、はるかに強大なシロモノだ。そしてこの原発原爆世界利権ファミリーと医療利権世界帝国は密接に背後でつながっているのである。現在の地球はこのような利権を握る1%の悪魔によって支配管理されているのだ。だからこれを打破していくことは我々に課せられた使命でもある。その過渡期に今遭遇している。

「聖人不治已病、治未病」(『素門・四気調神大論』)の一節から「未病」という言葉が抽出されてひとり歩きしているのである。この一節は何を言っているかというと読み下せば「聖人(せいじん)は已病(いびょう)を治(ち)さず、未病(みびょう)を治(ち)す」であり「名医たる者は未病の段階で治療する」と要約できます。「已病を治さず」とは「すでに病になっている者は相手にしない」なんて直訳されてしまいそうですがこれは単なる比喩であろうしそんな無慈悲なことを聖人がするはずがないのだ。ようは治病の主眼が発症後にあるのではなく発症前にあると言いたいだけだろう。しかしこの「治未病(ちみびょう)」または未病治(みびょうち)の思想はやはり不朽の理論には違いない。なんでここまで放っておいた、ではなく、そうならないために手を下すのである。まことに素晴らしいアイデアである。

この未病治思想は日本に伝来した後に「暗し」という言葉に変化し洗練されるのである。いまだ病気の気配はどこにも見あたらないが微(かす)かに症状の芽の声が聞こえる段階。これを日本漢方の古典派は「暗し」と表現した。そしてその暗かった段階から段々と症状が日の目を見るようになり完全に顕在化した姿を「明かし」と呼んだ。この「明かし」の原義は窓から光をとって神明を祀る意味であり、「暗し」の原義は目には見えないが、かすかに聴くことのできるもの。この「暗し」と「明かし」という表現もまた未病と同様に実に奥深い叡智を宿しているのである。日本的なシンプルな表現ながら私には身体を神殿になぞらえるようなおごそかな響きを感じる。言霊(ことだま)でいくと「暗し」はそのまま「暮らし」と同音なのだ。

暮らしの中に医学があり、暮らしの中に医療があり、暮らしながら人は人に癒やし癒されていくのである。医療とは専門家である医療者が供給し患者という受給者が受け取るものではないのだ。家族が日々の暮らしを自律的に暮らし、その中で病気を予防し治療して生きていくのである。それこそが養生法なのだ。

我が日本には古今東西の多くの医療が散見されます。特別なことはいらないのです。暮らしながら健康を希求するのです。情報を選択するのです。それが健康の「明かし」へといたる道です。

スポンサーサイト

2012.09.27 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

«  | ホーム |  »

プロフィール

kouhakudou

Author:kouhakudou
FC2ブログへようこそ!

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR