「墨興安国論」こと始め

陰謀論というジャンルがあるのかどうかは定かではないが、世界の支配構造とやらをうまく解析してようはある特定の人間たちによって支配されています、チャンチャンってなってしまう論理のカテゴリーがある。あっ、そうかやっぱ支配されてたのね、そうかじゃあそいつらを追い詰めればいいじゃん、ってことで次から次に立ち上がる世界情勢の「こもごも」がすべてこの特定の支配層の罪として集約されていく。そうやって暴いて糾弾してそれでそんじゃあちょっとでも世界が良くなっているかというとちっとも成果は上がらない。後出しジャンケンでいつも後からあれはヤツラの仕業だ、って糾弾するのみ。つまんね。なんにも変わらんじゃん。

で、そういう論理ってのはただのルサンチマンの解消だって気づいた。そりゃあ陰謀というか世界はたしかに金融資本に支配されているし、その連中が支配権を握っている。戦争はほとんど意図的に捏造されているし、国家などフェイクであり実質的にはすべての国家はその支配構造に組み込まれている。金融グローバルギャングのポチでありパシリであり奴隷である国家の統治機構に所属する机上のエリートが最下層の人民を支配しているという「奴隷二重構造」が厳然としてこの世界には横たわっている。その中であえいでいるのが我々である。そりゃそうだろう。で、俺らはどうすんべ?

そこで墨子の知恵をちょいと借りてみよう。兼愛とは一言で云えば対立構造の解消である。支配層の非を上げ連ねて糾弾しても何も変わらない。それじゃあ相手を憎むのみである。相手を憎まずに相手を組み伏せる。または相手の戦意殺意を祓ってしまう。武道の極意である「参りました」と刀を下げさせること。究極の王道は闘わずして勝つことである。兼愛と非攻はワンセットとみなせる。非攻は実践においては攻撃的な防御であるが第一非戦論に見るようにあくまで戦争を、闘いをしないことが眼目である。非攻とは非戦であり兼愛なのだ。爆弾を投下したその真下には罪のない家族が子供を川の字にはさんで健やかな寝息をたてている。クジラも川の字で子クジラをはさんで泳ぐという。亡父の教えである。日本のクジラ船はそんな親子クジラは撃たないという掟を守っていた。

さてそんな平和な普通の人民の頭上になぜ爆弾を投下できるのだ。戦争を、「いくさ」を正当化するいかなる理由もないのだ。戦争はすべて悪である。聖戦などありえない。闘いは罪のない人が巻き添えをくうだけの命の浪費であり、お腹を痛めて生んだ母なる母たちへの冒瀆それあるのみなのだ。連綿とアフリカのミトコンドリアイブから続く母系遺伝に対する冒瀆である。20億年前のミトコンドリアの恩義にツバする行為である。武器など何の理由があろうと無駄なのだ。原爆を投下して人体にどんな影響が出るのか実験した米国。それがいまだに日本の宗主国として君臨し日本は牛耳られている。それは実は明治維新という「壊国」からスタートした日本占領の系譜である。

我々が置かれている状況はあまりに不利でありアンフェアである。それでも解決策を見いだしていかなければならない。「兼愛と非攻」の心で。

安藤や墨子の描いたユートピア?のタイトルを改題して「墨興安国論」とします。墨家思想と安藤昌益の持論をソフトとし、チクオンキにならず自己の想像力と創造力であらたな思考の地平を切り開こうというジャンルの創設です。

大いなる命題である真のユートピアの建立へと議題を進化させます。

大ネタです。息の長いシリーズとなりそうです。

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2012.07.30 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 墨興安国論

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