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わからんもの




すでにお気づきの読者も多いと思うが、

最近このブログに分子レベルの用語が

登場する機会がガクンと減った。

例えばヒートショックプロテインとか、

一酸化窒素とか、βエンドルフィンとか、

オキシトシンとか、リポポリサッカライドなど。

こうした生理学や生物学の共通用語をこれまで

盛んにここでは使ってきたのだが、

なぜか少し前からそうした用語を使わなくなった。

その理由のひとつは、こうした用語は、

一般の皆さんには耳馴染みが薄く、

こうした用語を多用すると、なんだかものすごく

記事内容が難しく感じるようなのだ。

「先生のブログは高度で深い内容で難しい」

というのが、以前のこのブログ読者の評価だった。

わたし的には、ぜんぜん難しいことを言っているつもりは、

ないのだが、そんな風に言われる理由は、

いったいどこにあるのか?

と常々、悩んできた。

それで、ある時、あぁ、たぶん、横文字の専門用語が

その原因だろうと気がついたのだ。

そうして、そんな専門用語を排除した記事を

心がけてからは、難しいという評価はほとんど

聞かれなくなった。

あ〜、うれしい!

アタシだって、難しい記事なんか書きたくないもん!

だいたいアタシは単純だし。

それでガクレキもカタガキもチイも・・

おっと、ヤバイ、ヤバイ、

この自己卑下的な表現は異常に評判が悪いから、

今後はこの表現は自主規制しなければ(笑)

う〜む、つまり、俺は自分を過大に評価されるのが

好きではないし、持ち上げられたり、

おだてられると、逆に腹が立ってくるという

わけのわからん性格なので、

このブログの記事内容が難しいとか、高尚だとか、

ハイレベルだとか、そうした過分なる評価が

そうとうにうざくて嫌いなの。

ようはエスタブリッシュメントな論壇には、

私の論説は似合わないし、

なんだか美しい正論は虫酸が走るほど嫌いになっちゃった。

そんな屁の役にも立たないキレイゴトの正論ではない、

読んでいると時々イライラするし、

ムカムカするんだけど、でもどうしても読むのを

止められない、読むとクセになる、

もうこのブログを読まないと、

一日が始まらないという言わば養生法の探求ブログ中毒、

ヨータン・ブログ・フェチが出てきてくれると、

とっても嬉しいわけだ。

というわけで自然に難しい生理学用語は、

どこかに消えてしまったのだ。

だいたい分子レベルの動きなんか、

体感レベルで把握できないじゃん。

時に30キロ以上のお茶箱を200箱以上も

トラックに上げ下ろしする仕事をしている俺の

治療院の常連のIさんが、

そんな仕事だから慢性腰痛を抱えていて、

ある日、突発的な激痛が腰から脚に来た。

それで整形外科に行ったら、

鎮痛剤のブロック注射を打ったが、

一度ならず何度打ってもいっこうに痛みが引かない。

それで、もしかしたら鍼が効くかもと思い、

私のもとに藁をも掴む思いで駆けつけた。

そんな時に、

「はい、これで、今から鍼を打つと皮膚や筋肉から

オキシトシンが分泌されて、そのオキシトシン分泌が

起点となって続いてβエンドルフィンが分泌されると、

この腰や脚の痛みが緩和される」

なんて説明を、Iさんは求めてはいないわけ。

とにかく一秒でも早く、その激痛を取り除いて欲しい。

無駄な難しい高尚な説明なんか一切求めていない。

それがわかっているから、とにかく一刻も早く

その激痛を取り除くために、鍼先に全神経を集中して、

治療する。

その結果、整形外科で何度もブロック注射しても治らなかった

激痛が、わずかその1回の鍼治療で吹っ飛んで消えた。

ブラボー、俺って、神の手じゃん!

コラッ、自分で言うな(笑)

Iさんにとっては分子レベルの鎮痛緩和の機序説明など

要らんのだ。Iさんが求めていたのは、

体感レベルでの鎮痛緩和。

分子レベルでどれだけ理屈が語れても、

実践で役に立たなければ意味がない。

いや分子レベルの理屈はべつになくてもいい。

きほん、体感レベルで納得できれば、

それがすべてなのだ。

「やった、効いた、治った」の「さんた」。

「さんた」なき理論など、

実践者には屁の役にも立たん。

「さんた」抜きの論説など、

屁理屈だけの自己陶酔。

「さんた」込みの理屈だけに意味がある。

実践なき理論の世界には、ほとほと飽きた。

おれの論説はすべて実践の裏付けをもとに、

展開している。

俺が分子レベルで語ると、自分がなんだか

背伸びしているみたいで、どうも気恥ずかしい。

実験室で顕微鏡を覗いたことなんかないからね。

そういう語りはすべて読書のお蔭。

もちろん読書データと整合性を取るのは大事。

でも、そんな読書データの編集作業みたいな

気取った論説は、もう散々やった。

で、そういうのも、もう飽きたし、

嫌いだし、俺に合わない。

まあ、ほんの香り程度に分子レベルを

登場させることはあっても、これからは、

ぜんぶ自分の言葉で語る。

それがいちばん気持ちいいしね。

生命はエビデンスのツギハギではない。

生命はカオスなのだ。

つまり生命はわからん。

わからんものを、体感レベルで

わからんなりにわかろうとする。

それを言葉にして表現する。

それでエエんとちゃう?





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2018.01.03 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

コメント

おー!

でましたねー!!!
「生命はエビデンスのつぎはぎではないのだ!」
自称ヨータンフェチです。

2018/01/03 (水) 11:58:17 | URL | 中尾勇人 #- [ 編集 ]

中さん、俺らしい素敵な表現でしょ!

俺言葉、永久コレクションに殿堂入りさせたい。

「生命はエビデンスのツギハギではない」

エビデンスなんてものが、ほんと大威張りで、

アカデミズムの世界を席巻している。

でも、そのエビデンスなるものって、

所詮は、そのほとんどが実験系のはなし。

実験系と生ライブ臨床系は、ちゃうで、ほんまに。

生の命は、なんだかわけがわからんもの。

それに立ち向かっている現場の人間の声をなぜ聞かんのだ?

まあ、ガクレキもカタガキもチイも、おっと、ヤバイ、

その、つまり、俺の生の声を聞け、ってんだよ!

中さんは、熱烈なヨータンフェチ。

ありがとう銀河大。

はい、アタシはとっくに、承知してまっせ!

2018/01/03 (水) 13:27:15 | URL | 今村光臣 #- [ 編集 ]

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