0から始める東洋医学 6

繰り返しになるが、気とは本当に存在するのか?

ツボは何なのか? 経絡は実在するのか?

の、気・ツボ・経絡のアルナシ論争が、

戦後から今に至るまで続けられた。

そうしたアルナシ論争にまだ終止符は打たれていないが、

ある意味、ここでは終止符が打たれたと言っても

良いのではないか、と今思うのだ。

気とはこうである、と確信的に提言することは

できなくとも、気に関して観測された科学的指標は、

これだけあるから、それを踏まえて気という用語を

フォース(ちから)という言葉に変換したらどうだろう。

ツボはだからそのフォースが集積し滞ったスポットで、

わたしにはフォースの動きがまるで伝説の神獣の竜に

見えるから、ドラゴン・フォースの集まる場所という意味で

ツボをドラゴン・スポット、略して DS に変更し、

そう命名しよう。

そのDSから湧き上がるドラゴン・フォースの動きは

ホログラムに点から場へと位相をチェンジし、

この広大無辺の宇宙を包み込むフォースの母体である

フォースフィールドと同期し融合する。

だから経絡などというまだるっこしいルートは、

アッサリとすっぽ抜けた。

経絡などない。

あるのはDSとフォースフィールドのふたつのリンクシステムだ。

ザックリとハリィー式ネオ東洋医学を説明すると、

以上のようになる。

このような新しい東洋医学観を打ち出すことが、

ひとつの活性剤となって、これが触媒となり

東洋医学に新時代が到来するかもしれない。

いまそんな淡い期待を抱いている。

な〜んて、ちょっと、気取ってみたけど〜(笑)。

ほんとうは、そんなことは、ちっとも思っちゃあいない。

なにせ、石橋の端を頭突きして叩けば石橋がイタッといって

ウワーンと泣くほどにカチコチに固い頭の持ち主が多い当業界だ。

石頭業界を甘く見てはイカンのだ。

そもそもわたしの居場所など、とうの昔にこの業界にはない。

そもそも当業界のだれもわたしなどに注目していないし、

そうかといって、業界人のだれかと共同戦線を張っているわけでもない。

つねにきれいさっぱり独りだ。

だから、こんな毒々しく、苦々しく、禍々しい提案が出来るのだ(笑)

もしも、すでに名が売れていたり、古典派、現代派の

各種鍼灸の研鑽団体にでも所属していたら、

とてもじゃあないが、こんな発言は出来ない。

鍼灸指圧師がその仕事のよりどころとして、

いわば崇拝しているともいえる経絡を

わたしはそんなものは無い、空想の産物、

つくりばなし、フィクション、と言い切ったのだ!

これがどんなに恐ろしい発言か。

大炎上必至、火炙りの集中砲火、

わたしの発言をイケニエに、血祭り大論争が

ネット上を皮切りに始まっても不思議ではない。

でも、たぶん、そうはならない。

それはすでに言ったように、そもそもわたしはノーマークの

馬の骨。世間一般においてナイナイ尽くしの馬の骨であるのは、

周知だが、この業界においても、もちろん馬骨無尽だ。

まっ、そういったわけで、これからも、

好き勝手に、バンバンとものを言っていく。

江戸期の漢方医の中神琴渓は、世に出回っている本に書かれた事の

90%以上は、ぜんぶウソだ、と看破したそうだ。

そして、もちろん東洋医学の基本理念になる

経絡説をはじめとした陰陽五行学説などは、

ぜんぶウソッパチだと吐き捨てた。

そして、そんなウソ八百の妄言のなかに、ホンモノの本質が

1割だけある。それだけをつかみ取れ、と言ったそうだ。

わたし、この御仁のこの発言にいたく、しびれました!

いいねぇ、中神のおっさん、ヒュー、クールだぜ!

おいらハリィーちゃんは、アンタを熱烈リスペクトするぜ!

180年以上前に、自分とほぼ同じような発想で

医療を実践していた者がこの日本にいたのだ。

だから、べつに、わたしがやろうとしていることは、

それほど新しいことではないし、それほど珍しくもないし、

気をてらったことでもないわけだ。

ツボが身体の表面のほとんどすべてにくまなく存在し、

そのツボを結んだ気の流れるルートの経絡が、

やはり身体の表面を縦横無尽にくまなく張り巡らされ、

その経絡は結果として五臓六腑につながる、という

この臓腑経絡説を、つくりばなし、であると仮定し、

では、古代の鍼医たちは、このつくりばなしによって、

いったい後代の治療家に何を伝えようとしたのか?

と、わたしは俯瞰的に戦略的に、そのように発想してみた。

そうして見えてきたのが、つまりは、

この皮膚を含む体壁筋肉系を鍼灸指圧で操作すれば、

五臓六腑を整えて全身の調整が可能だ、という

古代の鍼医からの本質のメッセージだった。

臓腑経絡説とは、古代の鍼医たちが、

ひとの体壁筋肉系を鍼灸指圧することで、

腸管内臓系をも正常化し、心身の養生が達成できることを、

伝えるために作られた、つくりばなし、だったのだ。

つくりばなし、といっても、もちろん、

最初はその論拠となる臨床実績があったはずだ。

それをもとに、それを発展させていくうちに、

小さなウソが大風呂敷に広がり、

易や陰陽五行学説や天人合一思想までゴッチャゴロミソに

てんこ盛りに付着し、ぎょうさんな飾りを付けた

満艦飾の臓腑経絡説が出来上がってしまったのだ。

本来は、体壁筋肉系←→腸管内臓系という

身体の内外が通じていることを示すシンプルな理屈が

臓腑経絡説のキモだったのだ。

それなのに、無理やりに中国哲学の六律というフラクタリズムに

合わせるために、シンポーとサンショーという架空の臓腑を

ひねりだし、12ヵ月の年周期と経絡やツボを呼応させ、

そんな姑息で卑怯なマネまでして、

むりやり、中国の宇宙論と合致させようとたくらんだのだ。

そのへんは、だから、大いに反省してもらって、

新経絡学では、ソッコーでシンポーとサンショーを取り除くか、

再検討の対象にしてもらいたい(脾臓と膵臓の問題もね)

もっとも、わたしのなかでは、すでに経絡という平面的な

次元は役目を終えている。

一即全、部分に全体が投影される、というホログラムな生理観から

導き出せるDSの動きは、経絡などという二次元を軽く超越し、

アッというまに、宇宙全体を包み込むフォースフィールドに同化する。

だからわたしにとっての経絡は、この宇宙全体を包み込む

フォースフィールドそれそのものだ、と言えるだろう。

DSとフォースフィールドとの関係性。

そのあいだにヒトが存在し、ヒトの心身活動があるのだ。

フォースフィールドに生かされるヒトをよりよく活かすタッチパネルが、

DSというアクションボードなのだ。

ツボや経絡も最初は、こうしたシンプルな理論を伝えるために

編み出されたと、わたしは推定している。

だから、わたしはただその最初の地点、0ポイントに

いま還ってきただけなのだ。

初心忘るべからず。

古代の鍼医の初心に還ることで、

気とツボと経絡を見直す。

それが「0から始める東洋医学」のキモだ。

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2017.07.09 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

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