0から始める東洋医学 5

ハリィー式ネオ東洋医学はフォースを操る。

これで現代人のスター・ウォーズファンをこちらに

取りこむことができる。

まずは、ひと安心(笑)

さて、東洋医学の古典鍼灸術が気と呼んでいた

ある種の生命エネルギー情報はフォースという言葉に

変換できた。そして、そのフォースの噴出する場を

ツボと呼ぶかわりに、「 D S (ドラゴン・スポット)」と

命名し、これも変換できた。

あとは経絡だけがまだ変換されずに残っている。

この経絡がじつはクセモノなのだ。

わたしの25年余の臨床指実感から言えば、

あるツボを刺激したその刺激が漫画のように

12本の経絡のうちのどれか該当する経絡にだけ

キレイに伝わって、古典鍼灸が教えるようなルートを

たどり特定の臓腑に伝達される、などということは

決してない。こうした古典的な気の流れのモデルは、

あくまでひとつの教え、ヒント、サジェスチョンに

過ぎないわけだ。古代の鍼医が気の伝達方式を後世の鍼医に

伝授しようとした。

そのとき、どうにかこうにか知恵を絞り、

なんとか、愚鈍な者でも即座にわかるように、

いささか幼稚なモデルを生み出すことで、

その本質を伝えようとした。

つまり気が流れるルートの経絡が12本、

あるいは14本、または12本プラス8本などと

されるこの臓腑経絡説とは、ある意味、

単なる空想の産物、つくりばなし、に過ぎないのだ。

こうした実際とは異なるフィクションを持ち出して、

より誰でもわかりやすい経絡像を描くことで、

後輩の新米鍼医がこの道に参入しやすいように敷居を下げて、

より大きく間口を広げることで、鍼灸術の発展を願った。

それが臓腑経絡説のキモと言えるだろう。

もちろん、これはすべてわたし独自の仮説だ。

しかし、この仮説に習えば、次ぎにわたしがやるべきことは、

この経絡説の見直し、そして経絡という用語のリニューアルとなる。

わたしの指の実感では、DSに指を当てていると、

フォースフィールドのテンションが高まるにつれて、

DSからドラゴン・フォースが湧き出てくる。

その動きはその名の通り、まるで竜がうごめき、

竜が脈動し、竜が飛翔するありように酷似している。

そしてその竜は決して体壁の一本道を選んで通過するわけではなく、

一点から湧き上がった竜は四方八方に無限に飛び散っていく。

一即全、竜の動きは「部分に全体が投影される」のホログラムモデルを

あてはめると、シックリくる。

DSから始まるドラゴン・フォースの動きは、

点から線へ、線から面へ、面から場へと、

ディメンション(位相)を拡大し、

やがて暗在系のすべてにアクセスし、融合し、同化する


巨大なるフォースフィールドに包含される心身一如。

その心身一如に出現した小さな滞りであるDS。

そのDSに指圧をし、DSに我がフォースを注入する時、

DSに溜まっていた患者のフォースは我がフォースと同期し、

解き放たれた患者のフォースと我がフォースは一体となり、

母なる父なる広大無辺にして深遠なるフォースフィールドの淵源を

求めて飛翔し帰還する。

経絡などないのだ。

あるのはDSとフォースフィールドの関係性だけだ。

あえて言えば、DSから始まる患者とわたしの二つながらのフォースの脈動が、

さざ波として顕在化するその患者の体壁筋肉系を、

経絡と呼ぶことはできるかもしれない。

しかし、今さら体壁を経絡と呼び換える必要もあるまい。

体壁は体壁で宜しい。

体壁もフォースフィールド、生命場の一部なのだ。

DSの一点から始まるドラゴン・フォースの奔流は、

全細胞60兆個を振動させる。

これがハリィー式ネオ東洋医学における治療の真髄だ。

このようなDSからのフォースフィールドへの働きかけが、

やがて患者と術者のココロとカラダを変えていくのだ。

ハリィー式ネオ東洋医学は治療だけが目的の医療ではない。

DSとフォースフィールドを通して体を、おのれを、

宇宙の真相の一端を、知ることが最大の目的だ。

体は通常医学が教えるような、ココロとカラダではない。

体はココロとカラダとフォースがいったいとなった、

いやココロとカラダはフォースに包み込まれた、

宇宙の巨大なフォースフィールドの一部
である。

そのことに気がつくために、ココロとカラダは存在するのだ。

ココロとカラダの真の意味を知るためにDSは出現するのだろう。

DSに控えるドラゴンはいつもあなたを真なるフォースフィールドへ

いざなうエヴァンジェリスト(伝道師)だ。

スポンサーサイト

2017.07.08 | | コメント(1) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

コメント

人力車→テスラモデル


アタシが今、やろうとしていることを端的に言うと、

↑ こういうことになります。

歌は世に連れ人に連れ、言葉も世に連れ人に連れ、

鍼灸指圧も世に連れ人に連れ。

2000年前にスタートした東洋医学を、

2000年前の言葉や概念で、

2000年後も押し通そうとする。

果たしてそれが古典を守るということなのか?

古典に還れ、とはかのヤナギヤソレイなる鍼医が

唱え、それが日本鍼灸の古典派を復活させた原動力になったと

伝説的に語られる。

申し訳ないが、同時代にヤナギヤを知らないわたしには、

ちょっとスルーしてしまいそうな御仁だ。

古典に還れ、とは科学鍼灸のみにならないようにという

ヤナギヤの苦言であり、日本には日本の鍼灸があるという

矜持であったのだろう。

古典に還れ、けっこうな事だ。

しかし、その古典用語は、世のほぼ100%に通じない言葉のオンパレードだ。

そんな古典鍼灸の専門用語を使い、現代人や現代の医療家と共通認識が醸成できるとでもいうのか?

絶対に出来ない!

なのに、なぜ、古典派は古典派でいられるのか?

まっ、わたしにはわからない崇高な境地、崇高な世界があるのでしょう。

2000年前スタートの東洋医学を2000年後の今の世界で通じる言葉で語る。

それを達成するために0化するのだ。

気もツボも経絡も、もうこれらの言葉を使わなくても、ハリィー式ネオ東洋医学を

説明できる。ようやく東洋医学も人力からEVに進化だ!

2017/07/08 (土) 19:25:48 | URL | 今村光臣 #- [ 編集 ]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

«  | ホーム |  »

プロフィール

kouhakudou

Author:kouhakudou
FC2ブログへようこそ!

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR