0から始める東洋医学 3

ひとの心身は目に見える肉体と目に見えないエネルギー体の

ふたつの体で構成されている。

だからひとが心身ともに健康である、とは

この二つの体である肉体とエネルギー体の

両方の体が健全であることをさす。

この二つの体のうちのエネルギー体は

最先端物理学が発見した量子という微粒子の動態に似ている。

量子という微粒子の振る舞いの特徴は

粒子性と波動性である。

つまり粒であると同時に波であるのだ。

この粒であると同時に波でもある量子のようなエネルギーが

集まったエネルギー体である目に見えないひとの体が

まず構造化されて、それがマトリックスつまり鋳型と

なることで、このエネルギー体の鋳型をなぞるように、

目に見える体の分子がそこに集まるとされる。

ひとの体とはこのようにある意味、

目に見えないエネルギー体の導きなしでは、

三次元化できないのだ。

古来、ひとはこうした目に見えないエネルギー体を

霊体と呼んでみたり、色即是空、空即是色という

仏教用語で表現したりしてきた。

しかし、それは素朴な人間の直感からの洞察で、

それだけでは単なる思想として一蹴されてしまう。

ところが近年になり、こうした目に見えないエネルギー体の

一端が先端科学の力で少しずつ解明されてきた。

イエール大学の神経生理学教授だった故ハロルド・サクストン・バー博士は

地球の生命体がまとうこの目に見えないエネルギー体の研究を先駆的に

こなし、ついにすべての地球の生きとし生けるものがまとうこの

電磁的エネルギーの存在を証明しこれを

「エレクトロ・ダイナミック・フィールド(動電場)」と命名した。

また同じ頃、旧ソ連の電気技術者のキルリアン夫婦は偶然に

人体周囲に放射される髙周波のコロナ放電を発見し、

この人体周囲の電磁場の放射を「オーラ(AURA)」と命名した。

そしてアメリカの軍事部門に所属していたクリーブ・バクスター氏は

ひょんなことから、観葉植物のドラセナの葉に取り付けた電極装置により、

ドラセナがバクスター氏の心に反応することを発見し、

それからヨーグルトのなかの生きた乳酸菌や飼い猫、飼い犬、

市販の生卵、そしてヒトの白血球と、ほぼあらゆる生命体を

そのウソ発見器を使って実験し、すべての地球の生き物が、

なんらかの意志か心と呼べるものを持っていることを立証した。

バクスター氏はこの生命が根源的に持つ心のような意識を

「プライマリー・パーセプション(原初的知覚)」と命名した。

東洋医学の世界でこれまで語られてきた気というエネルギー情報に

関して、科学的に検出された見えざる実体は、

① 脈動する赤外線輻射
② 変動する生体磁場
③ 16ヘルツ以下の低周波
④ イオン流
⑤ フォトンなどの微粒子
⑥ 静電気&動電気

とされる。

つまり、ひとの体のうちの目に見えないエネルギー体を構成するものは、

ここに上述したエレクトロ・ダイナミック・フィールド、オーラ、

プライマリー・パーセプションと①から⑥までを含むもの、

と仮説できそうなのだ。

こうした目に見えないエネルギー体、エネルギー場、

フォースフィールドこそが、わたしは古代人が呼んだ気であり、

宗教がとらえてきた霊体ではなかろうか、と推定する。

気という用語をそのまま使用するならば、

胡散臭いというイメージは今後もぬぐえない。

しかし、こうして科学的に検出された気に類するエネルギーを

科学の用語を使って言うのなら、

もはや胡散臭いというレッテルなど貼ることは不可能なのだ。

いまわかっている現代人に理解できる言葉で説明する。

そんな簡単な努力すら怠った結果、

わたしたち現代に生きる鍼灸師はとてつもない損失、

名誉の毀損、自尊心の崩壊を引き寄せてしまった。

ぜんぶ、わたしたち自身の責任なのだ←!!!!!

それなのに、科学崇拝の世の中が悪いだの、

現代人は馬鹿だから気なんかわからないんだ、と

自分の責任を棚に上げてヒトサマのせいにしてきたんだから、

もう目も当てられない。

たぶん、こんなドンキホーテがヤリで風車に立ち向かうような、

荒唐無稽で馬鹿げた闘争をやるのは、

わたしくらいのものだろう。

しかし、なんとしてでも東洋医学にこびりついた胡散臭いという

イメージを払拭しなければならない!

そのためにいったんこれまでの東洋医学を初期化、

0地点に戻すのだ。

気という用語はフォースフィールドのエネルギーのひとつ、

と変換できるだろう。

なぜフォースフィールドのエネルギーのひとつ、などという

確定しない言葉を使うかというと、

気というものがなにを意味するのか、そもそも

確定していないからだ。

だからフォースフィールドにおいて検出された何が気に相当するのか

は、今後の吟味検討が十分に必要となる。

しかし、いまの段階では漠然とフォースフィールドの全体を含むと

ザックリと捉えて、フォースと呼んでもいいかもしれない。

資料など一切参照することなく(もっとも、こうして

リラックスした文章を書く場合は、いつもそうだが)

ここに書いたような文章をサラッと書けるまで、25年余もかかってしまった。

そこそこビンテージな味は出て来ているだろうか。

今日もひたすら、DSを探すのだ。

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2017.07.07 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

コメント

<心と身体は相互に包み込む関係>~デイビッド・ボームの提案


心と身体に関するボームの言葉を三つ取り上げてみました。

「心と身体のつながりは、ふつう心身的と称されてきた。
しかし通常この語が使われる際、そこには心と身体が本来分離した存在でありながら、ある種の相互作用で結びつけられているという意味合いが含まれる。
だがそのような意味は内蔵秩序と相容れぬものである。
なぜなら内蔵秩序にあっては、心は物質一般を包み込んでおり、したがって心はその特殊な場合としての身体を包み込んでいると言わねばならぬと同時に、身体は心を包み込んでいるばかりでなく、ある意味で、全物質界を包み込んでいると言わねばならぬからである」

「より深い内奥にあって両者(心と身体)を包括する実在は心でも身体でもない。
それはむしろ心や身体より高次元の、本性上それらを超越した実在なのであり、そしてまたそれこそが両者をともに在らしめる共通の根拠なのである。
逆に言えば、心と身体はおのおの相対的に独立した亜総体にすぎない。
つまりそれらの相対的な独立性は、両者がそこにおいて究極的に一つとなる高次の根拠から派生するのである」

「我々の見解からすれば、心と身体が因果的に影響を与え合うのではない。むしろ両者のそれぞれの運動は、ある高次の共通根拠の射影同士が関連しあっている結果なのである」


ボームの「全体性と内蔵秩序」を読み返してみて、改めてその難解さに唸ってしまった。
ボームにインタビュー(1992年8月 ボームの自宅)したジョン・ホーガン(「科学の終焉」の著者)は、「解かるようで解からないボーム」と述べ、「ボームは、真実を望まず、開示、永久に続く開示を切望していた」とも述べている。

解かるようで解からない、同感である(笑)


※括弧内は「全体性と内蔵秩序」(デイビッド・ボーム著 青土社)より引用。暗在系を内蔵秩序、明在系を顕前秩序とも言う。


2017/07/08 (土) 01:22:56 | URL | 亡六爺 #- [ 編集 ]


亡六爺さん、

ボームの言葉、じつに面白いですね。

貴重な言葉の数々を、こうして列記してくださり、本当にいつもありがとうございます。

ようは、アレですかね、心も体も、エクスプリシットオーダー、顕前秩序、明在系であり、

心も体も、それらすべてを包含するのが、インプリシットオーダー、内臓秩序、暗在系、ということ、

そんな感じでしょうかね。

わたしたち浅学非才は、ふつうは、体が明在系、心が暗在系、と単純に解釈しやすい。

でも、これはビギナーのミス。

さらに、洞察を重ねていくと、心身一如の背後にそびえる巨大な暗在系が見えてくる?

わたしの今回の企画も、暗在系からの導きでしょうね。

杉田玄白からの発想がスタートで、間中博士が天界からタクトを振っているようです。

暗在系のマスターたちの導きにまかせて、筆を進めます。

2017/07/08 (土) 04:13:49 | URL | 今村光臣 #- [ 編集 ]

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