ジェネレーション X

ここ5回の記事で冒頭ピックアップに、

当業界の有名人である故・間中善雄博士の文献から

文章を引用した。

間中博士については、本ブログでも何度か触れているが、

師の詳細な経歴などを、ここでいま説明するのは

省かせてもらう。

ひとことで言えば、間中博士は日本の東洋医学界を

一歩、いや十歩、いやいや百歩、いやいやいや

そんものではない、100年は先に進めてくれた!

といっても過言ではない程の功績を成した偉大なる先輩だ。

経絡や気があるかないかの有る無し論争、

正式には経絡論争において、

間中博士は「とりあえず経絡は有るものとして研究していこう」

というポジティブな提言をした。

そう宣言することで、経絡説を温存し、

古代から伝えられた革袋に新しいエキスを注入した。

生前の間中博士の唯一の著書であった「体のなかの原始信号」に、

その新しいエキスの一端を垣間見ることができる。

要約するとこんな感じだ。

「地球の生命体がまだそれほど進化発展していない初期の頃に、

その体内外に保持していたある種の信号系は、

ホルモンや神経伝達が発達した現在のヒトの生体のなかにあっても、

決して埋没して失われてしまったわけではなく、

いまなお遺体制として残存し機能している。

仮にこの信号系を『 X 信号系 』と名づけよう。

鍼灸指圧術が運用し活用する気のルート・経絡とは、

じつはこの『 X 信号系 』ではなかろうか」

このいわゆる『 X信号系仮説 』は、その後、

この書を読んだ東洋医学関係者たちを鼓舞しつづけて、

ことあるごとに識者達の羅針盤となってきたことが

わたしのつたない追跡でうかがい知ることができた。

ではあるが、現在の東洋医学界からこの『 X信号系仮説 』を

再検討し、その仮説概念を拡張しようとする気概は

みじんも感じられない。

相変わらずに古典学説の万番煎じでメシを喰うヤカラがいかに多いことか!

おっと、あまりいい気になって余分な事を口走ると、

ただでさえ孤立しているのに、さらに孤立の度合いを深める愚に陥る。

暴言は自戒せねば。

ふふ、やっぱ、でも、無理だね(笑)

言いたいことを好き勝手に言えるのが一匹狼の無頼派の強みだ。

鍼灸指圧はもっと自由であっていいはずだ。

なぜ、当業界のお偉がたにビビッて、

いつもいつも古典ばかりを踏襲しなければいけないのだ!

古典を尊重尊敬するのは、私だってやぶさかではない。

でも、あくまでそれは古代人の生理観なのだ。

東洋医学の五臓六腑は西洋医学の解剖学で見た五臓六腑とは違うのだ。

それなのに、おなじように五臓六腑を同じ名称で呼んだら、

とてつもない混乱が起きる。

だから杉田玄白は解体新書を書いたのだ!

それなのに、なぜ、いまだに

古典の六蔵六腑の三陰三陽に固執するのだ?

経絡と実際実在の五臓六腑を一致させて、

それではじめてマトモな現代に通じる東洋医学になるのではないのか?

たしかに古典の生理観で鍼灸指圧を運用しても、

いまだに効果が上がるのだから、そうしたフィクションの

五臓六腑観、六蔵六腑観を、ぜんぶ誤りとはいいがたい。

でも、現代人にはそれでは通じないぜ!

そもそも、現代人は気や経絡それ自体を胡散臭いと思う連中だ。

彼等をして東洋医学にひれ伏させるには、

そうとうに周到な戦略が必要になる。

あっ、すでに古典鍼灸の世界でそれなりの地位を築いた皆様は

ここから先は読まなくて、けっこう。

いや、ここからうえも読まなくて、けっこう。

わたしの言説など、すべてスルーしてもらいたい。

間中博士が魂の奥底から絞り出すように叫んだ鍼灸指圧を

現代化、未来化するためのキーワード。

それこそが『 X 信号系 』だったのだ!

この『 X 』に私は答えを書き込まねばならない。

宿題を与えられていたのだ。

ふむ、現段階では『 気竜 』という文字がピッタリ来そうだ。

X=気竜。

わたしにとってのわたしの鍼灸指圧術とは

「気竜信号系」を使いこなすことで成立する医術だ。

おれにとってのオレ流の東洋医学を打ち立てる。

おれはそれでイイと思うし、それでこそ

いっぱしの鍼灸指圧師と言えるのだ。

わたしは1969年生まれだ。

この世代をアメリカでは「ジェネレーションX」と呼ぶそうだ。

いかにも私はX世代だからこそ、間中理論に食いつき、

そのXの答えを追及してきたといえるだろう。

次世代のルネッサンス鍼灸指圧は

 X メン もとい、

ジェネレーション X の ハリィー今村が

牽引する!

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2017.07.01 | | コメント(18) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

コメント

≫ でも、現代人にはそれでは通じないぜ!

≫ そもそも、現代人は気や経絡それ自体を
≫ 胡散臭いと思う連中だ。


そう。

だから僕は、
鍼灸治療とは、
患者さんとの身体観~世界観の共有に
至る道を模索するための、

ネゴシエーションであり、
コラボレーションであると考えて
仕事をしています。

ただ単に痛みや痺れを取り去ることが、
僕の鍼灸治療の目的ではありません。

生意気なようですが、
僕は患者さんに、
日常生活のあり方の再考を促し、
身体観、世界観の変更を迫ります。


もちろん、
それは一方的なものではなく、
両者が合意に至る世界観を
協働で模索するわけですから、

僕の方が世界観を変更し、
それが成長となることも日々、度々です。
ありがたいことです。


ただ、施術するのは僕の方なので(笑)
まず、カラダで納得して頂くために、
感受性に合わせて鍼を打ち、
まずは響きを感じて頂きます。

腎兪には、グゥン、グゥンという注入感を、
風池では、ずん!ずん!と目玉裏をかき混ぜ、
合谷には、人差し指に、ピョコタン!と魚釣り。
太渓には、ビリビリッ!と足裏サンダーボルト。

ね、不思議でしょう?、と。

で、座位になってもらって、
合気道の技をかけます(笑)
これが、便利で!(笑)

二教では、肺・大腸経を、
三教では、心・小腸経を、
四教では、心包経、
四方投げ・小手返しでは三焦経を通し、
首から体幹を極めます。

するとその後、
フ~ッと気分が良くなります。

合気道の技は、
「関節から邪を抜く禊である」と、
植芝盛平翁先生は言っておられます。

これはどうやら、
偶然やこじつけではありませんね。
柔術は明らかに、具体性のある
経絡経穴概念を伴って、発展しています。



2017/07/01 (土) 11:00:57 | URL | 瓜食めば #- [ 編集 ]

瓜さん、いつも最速のレス、おもろいコメをたくさん頂きまして、ありがとう!

合気道を治療に応用しているとは、たまげました。

合気道も経絡やツボ理論を活用しているのですね。

だとすると、東洋医学の範疇に合気道は入ってくるのかもしれませんね。

とても言いにくいのですが、私は東洋医学など、

古代人の捏造、でっち上げ、だと思っております。

だから、ぜんぶ、フィクション、作り話。

無理やり作ったシロモノ。

おい、東洋医学というブランドを作ろうぜ、と古代の鍼医が会議をして、

そんじゃあ、かっこいいアイコン、ブランドタグをどうするか、で

デザイナーを呼んできて、太極マークが一番いけてるじゃん、で

太極マークの陰陽論がくっついて、

もうちょい複雑でわかりにくくしたほうが、長持ちするぜ、で

五行論をアクセサリーにして、ツボ人形をキーホルダーにぶら下げて、

あらゆる適当なもったいぶった補泻だの虚実だの寒熱だの、風湿だの、

をくっつけて、そうして出来上がったブランドが東洋医学というハリボテ医学だ、とね。

アチャー、これで東洋医学界ずべてを敵にまわしてしまった(笑)

でね、そんな作りばなしに2000年以上も東アジアのまじめな鍼医たちは

付き合わされたわけだけど、なんと意外にも、そんなフィクションが大いに役立ち、ひとびとを立派に救済してきた!

だとすると、この作り話のなかに何か真実があるのではないか?

ここで科学的な視点が導入されて、ツボは本当にあるのか?

あったとしたら、それは何なのか?

を追及する現代科学的な鍼灸指圧が立ち上がってくるわけです。

それがね、はなっから、ツボや経絡はある、いや古典を崇敬せよ、

古典こそバイブル、ヘンジャクは神なり。

おい、ちょっと、まてと。

それじゃあ宗教と一緒じゃん。

そうじゃあなくて、もしもその鍼灸指圧というツールがそんなに役に立ったのなら、

その学説だけでなく、その学説に反応する身体があったことに注目しようぜ。

この身体は東洋医学にも、西洋医学にも、どちらにも同じように反応するだけのフトコロの広さをもっていた。

その広さこそが身体の蘇生能力、自然治癒力だった、とわたし的には、こうなります。

ツボや経絡が胡散臭い。それは当たり前なんです。本当に胡散臭いんだから(笑)

いまのままではね。

たしかにいまの時代はまるで中世欧州とおなじ。

あの時代は教会の権威に逆らった科学が火炙りに遭った。

いまは科学の権威に逆らう非科学が火炙りに遭う。

でも東洋医学は非科学ではなく未科学←

ここすごく大事なところ。

ということで、瓜さんと論争する気などさらさらありませんが、

意見を交わすのは未来志向かと思い、こんな事を書いてみました。

ツボも経絡も自明ではなく、日々、瞬間瞬間に生み出すもの。

そうして生み出した歴史が東洋医学2000年を築き上げた。

わたしはそんな風に解釈しております。

2017/07/01 (土) 13:45:07 | URL | 今村光臣 #- [ 編集 ]

先生、
僕、空気読めているでしょうか?

皆さんを、
ドン引きさせていませんでしょうか?(笑)

僕はあくまで、
虎の威を借る狐ならぬ、
ハリィーの威を借る瓜の分際で

先生との論争があんまり楽しすぎて
お調子に乗っているということを
自覚しておりますので、

どうか皆さん、
お気を悪くされずにお願い致します。。

2017/07/01 (土) 16:14:56 | URL | 瓜食めば #- [ 編集 ]

瓜さん、なに書いても、なに言っても自由でっせ!

この業界じゃあ、それは叶わんがね(笑)

中世欧州のガリレオも真っ青な現代の非科学魔女狩りのこの世界で、

ようやく鍼医が見つけた安住の地だったはずの当業界すら、古典鍼灸と科学鍼灸が対立しつつ、独立系はスルーされるという

二重の魔女狩りの構造に、アタシは居場所を失い路頭に迷いました。

挙げ句、見つけた最後のユートピアが、ここ(笑)

だから、ここではもう魔女狩りも言葉狩りもありませんよ。

意見の交換、俺様の主張、大いにけっこう大歓迎。

経絡がある、と言うなら、とことんあるでけっこう。

ないというなら、代替のアイデアを提出する。

そういう論争から、なにかがもしかしたら生まれるかもしれない。

私はツボや経絡なんて言葉は、そっくりすべて現代人にわかる新しい用語に変換してしまってもいい、と思ってます、個人的に。

そうすることで胡散臭い敷居という、とてつもなく高くなった我が業界のハードルが、

普通のひとでもまたげる高さまで下がる。

そうなってはじめて鍼灸指圧は本当の意味で啓蒙の時代に突入すると見込んでいます。

いまのままでは東洋医学はタコツボ化してシュリンクの末に絶滅でしょうね。

古典の用語を使うのはあくまで鍼灸コミュニティーの内輪だけのはなし。

外部に開かれた業界にしたければ、共有語を生み出さねばならない。

一酸化窒素、ヒートショックプロテイン、βエンドルフィン、これらだって立派に共有語になる可能性を秘めている。

わたしはだからこそ、こうした現代生理学の分子用語を多用するように心がけてきました。

X系鍼灸指圧は今スタートしたばかり!

2017/07/01 (土) 19:44:30 | URL | 今村光臣 #- [ 編集 ]

独白

検証の仕方は千差万別ですね。
何を?って事実をさ。
この事実ってのが曲者でして。笑
人は自分にとっての事実を証明しようと
(誰に対してや 笑)行いを極わめて、
これが真実だ!
なんて言ってのけるのね。
掲示板に多々見られるけど、
言語規定をきちっとせずに泥沼の議論繰り広げて、
勝ったの負けたの。笑
あたしのオツムは中学生程度だから、
三点だけに留意して人と話します。

事実、真実、真理、の別。

事実は生き物の数だけありますな。
それを、
生きてあれやこれやで確信いったら、
これ、あたいの真実ですわ。
そのいっぱいある事実真実の
上から下までを貫いているのが
真理でしょ?

天網恢々ソにして漏らさず、は
別に悪人凝らしめるって意味じゃない。
真理は細部に宿る、と同義です。

2017/07/01 (土) 20:30:48 | URL | 陣中見舞い #- [ 編集 ]

陣の兄ィ、いつもサンクスてんこ盛り!

そういうことですね。

ひとの数だけ事実あり。

しかし、事実を突き詰め、真実に到達し、

真理へと開眼するには、そうとうに厳しい道のりが待っている。

論争も、そんな高度なレベルなら読むに耐える。

でも、掲示板はあら探しの末の喧嘩祭りが関の山。

いわゆる碁カタキと言って、両者が拮抗する力量の時に、ラリーが長続きして、

ギャラリーも盛り上がる。そんなオモロイ論争をここでも、やってみたいですね。

とはいえ、鍼灸指圧師というものは、それぞれが一家言を持つお山の大将だから、

なかなか、みんなプライドだけは高いから、オレみたいな馬の骨に絡む物好きは、そうはいないはず。

また、このブログだってメジャーではないし。

とにかく、いちばんイヤなのが、アホーなツボ本(笑)

もうこういう、このツボが治す、というウソ八百の流布はヤメにしようムーブメントを引き寄せたいです。

ツボが治すのではなく、ツボで治す by 深谷伊三郎

だれでも簡単にツボをいじれば、気が動く?

うんな、わけないってぇの!

気を動かせる指で触った時に、はじめてツボの扉が開くのさ。

こういう事を教えるのがおれらプロの仕事。

なのに、相も変わらぬバカなツボ本を量産する業界、出版界。

ほんと、お前らが、東洋医学をこれでもかとおとしめている張本人の一派だぜ。

予約が1年先まで埋まってると肩書きに書かれていたある女性鍼灸師の本を

書店で手にとって、中身を見たら、陰陽五行の説明の万番煎じの典型。

明日の午後の予約すら埋まらないオレが言うのもなんだけど、そんなレベルで本なんか書くなってぇの。

そんな内容、だれも喜ばない。

だけど、本なんて、こんなんばっかだもん。

また、こういうので余計に東洋医学が胡散臭く見られる。

おっ、オレ、こういう愚痴っぽい暴言節になると絶好調やな(笑)

2017/07/01 (土) 21:25:56 | URL | 今村光臣 #- [ 編集 ]

「X信号系」~明在系と暗在系とのバランス

明在系に於ける言葉や文字の発達が、暗在系に於ける包括的かつ瞬時の情報伝達の発達を阻害してきた可能性がある。


『はじめに言葉ありき』なんてことを言ったヤツは
人類の進化から落ちこぼれたヤツに違いない(笑)

今の時代で言えば
スマートフォンが使いこなせないガラケー専門のモウロクジジイの恨み節だな(笑)

2017/07/02 (日) 00:13:21 | URL | 亡六爺 #- [ 編集 ]

亡六爺さん、おひさです!

それで、短いながら、カッコイイ、さすがな、コメント!

まさに、東洋医学も、言葉という明在系のツールに支配されることで、

暗在系の内なる豊穣な世界観が打ち消されてきた、という視点は

正鵠を射ているでしょうね。

気という言葉を立ち上げて、気というものがあると認識したのが東洋医学のスタートだったと仮定してみます。

古代人の感性、センサーは現代人よりも長けていたから、気のようなものを捉える事ができる者は、

いまよりもはるかに多かった。そうしたシャーマン体質の鍼医たちの合議、合意により

東洋医学操作マニュアル、東洋医学ガイドラインの「素問、霊枢」なる古典的なバイブルが書かれた、とね。

この仮定自体は別にそれほど新しいわけではなく、識者がみな予想している仮定に過ぎない。

ただ、例えば経絡にしても最初は11本だったり、失われた8本の経絡があったという古文献ありで、

スッタモンダのゴタゴタした時期を経て、六律という中国独自のフラクタリズムに合致するからと

12本に統一して、その12本の経絡にマッチさせるために六蔵六腑の臓腑観を作り、

ありもしない臓腑系のシンポー系とサンショー系を捏造した、というココなんか、もう世紀のスキャンダル、東洋医学界を揺るがす大問題なわけ。

これって、普通の感覚があれば、思いっきりハリセンでぶっ叩いて、ボケかましてんじゃねぇ、って突っ込むところなの(笑)

生体、実体からの感覚で始まったはずの経絡学が、12本と捏造する過程で、理論先行、理屈先行、言葉に支配されるかたちで、

12本にしたほうが論理的になにかと都合が良い、中国独自の宇宙観と合致して、ブランディング的に、マーケティング的に、そのほうがイイ、

でそうなってしまったわけ。これってほんとものすごい破廉恥な事件だったのに。

なんでだろ〜、なんでだろ〜、なんで鍼灸業界のオエラがたの面々はこの問題をスルーしつづけて平気の平左衛門なんだろ〜、なんでなんでだろ〜(笑&怒)

それで、例えば経絡の脾経の脾臓は、実体の解剖では膵臓に相当するわけ。

脾胃と東洋医学でいうのは、だから膵胃が本当の意味。

そんじゃあ脾経という名称は膵経に直せよ!

ここもかなりヤバイ問題点。

で、あぶれた実体の脾臓はどの経絡に相当するのか?

普通はここにサンショー系をあてがうのが妥当なんだけど、そういうディレクションは2000年来、いっさい無し。

古典で完成されたものには触れてはならぬという不文律があるように、

みんなビビッて古典に文句のひとつも言えない。

もうね、こうなると、鍼灸コミュって、カルトかよと思うわけ。

そもそも2000年前になんとか様々な理論、理屈、易だの、五行だの、陰陽だの、そんな概念をコテコテにくっつけて、

なんとかサマになるような東洋医学理論を無理やりに作った苦心の作の「素問、霊枢」なんだから、

それはそれ、ふぅ〜ん、古代人も苦労したね、こんな今では荒唐無稽と胡散臭がられるようなコテコテ論をよくぞ作ったもんだ。

でも、それで、けっこう2000年も持っちまったんだから、案外、このなかに真実があるかもしれないね。

そんじゃあ、そういう視点で現代人が科学を導入して、皮膚体壁筋肉系の潜在力を解析していったら、

あっれまあ!皮膚と血管壁は鍼灸指圧で一酸化窒素をという分子ガスホルモンを旺盛に分泌することがわかった!

一酸化窒素という分子ガスホルモンは血管壁を拡げて血流を促進し、免疫細胞を賦活し、認知機能を高めるんだって!

へぇ〜、まるで東洋医学がこれまで崇めてきた気というエネルギー情報に酷似しているね。

うん、だから、いっそのこと、限定的に、一酸化窒素=気、という仮説を立てて、そういう新しい東洋医学論を展開したら、面白そうだ。

というオモシロ現代版・ハリィー流・一酸化窒素から始まる新東洋医学論は、すでに諸処で展開済みというわけです。

間中博士は、単なる鍼灸の古典踏襲派ではなかったし、現代医学を全否定していたわけではないはずだ。

そうした既存の医学常識が見過ごしている、こぼれおちた真実を拾い集め、そのなかから黄金の真理のカギを拾おうとしたのが、間中博士だった、と私は思っておる。

明在系の現象をくまなく探索し、暗在系の世界に到達する。

指先の暗闇から拾ったひとすじの光明。

このツボの底の暗闇から立ち上がる光明こそが、わたしにとってのX信号系、気竜だ!



2017/07/02 (日) 05:36:51 | URL | 今村光臣 #- [ 編集 ]

オッス!

この際だから、とりあえず、この機会に、これまで溜まっていたモロモロを一気に吐き出してみるのも、オモロイ趣向かと。

ということで、ちょいと、ひとりごと。

わたしは1対1対応の、ツボ→経絡→臓腑、なる線形的な経絡論など、

いまではまったく信じちゃあ、おりません。

ツボだって点かもしれんし、線かもしれんし、面か場かもしれん。

ツボはそのくらいフトコロが広く深く遠い。

で、ツボというかコリへの刺激は即座に全身に波及する。

つまりツボ→全体・全身、というのが私の指が掴んだ真理。

だからねぇ〜、ツボ人形のあのイメージに洗脳されちゃうと、いろいろと問題あるわけ。

皮膚ってのは外界のセンサーとしては、超すぐれたハイテク装置。

そこに触れた刺激が全身へと伝達されるのは、そもそも当たり前なわけ。

その皮膚にツボというフラッグを立てて、東洋医学はそれをツボと称し、治療に応用してきた。

だからツボのお蔭ではなく、皮膚のもつこのすぐれた自然治癒ハイテク機能に、助けられてきたというのが真実。

からこそ、ここ2000年、東洋医学はテキトーな屁理屈をこねても、なんとか持ちこたえたんです。

こんな風にフラットな視点で見直すこともせずに、古典を踏襲しても効くのだから、

古典を素直に信じろ、とのたまうオエラガタの御仁たち。

もう、勘弁してくれ!

三葉虫の化石じゃ、あるまいし。

古典なんて、そんなもんじゃね?

いまここに生きてる生身と対話せずして、なぜに古典の理論と対話する?

相手にすべきは生身のみ。

痛いところに自然に手が当たる。

これが医療の原点、手当て。

この自然に手が当たる場がツボではないのか?

そのときに易も陰陽も五行も、そんな屁理屈は要らないじゃん。

それで痛いところに手を当てて、痛みが取れたら、それで医療は成立するんだから。

ゴチャゴチャした屁理屈なんか要らん。

生身に触れて、生身と対話して、X信号系を起動すればエエだけのはなしや。

2017/07/02 (日) 06:24:50 | URL | 今村光臣 #- [ 編集 ]

ふむ、ほいでな、

アタシが治療している時、佳境に至ると、

陰陽五行だの、経絡だの、ツボだの、というそんな頭にインストールされた言葉の世界から解脱して、

ようは術患一体の三昧の境地に突入する。

あの2001年 宇宙の旅のモノリスにボーマンが小型衛星みたいなので突入したあとのアレね。

あの状態になると、ただひたすらに、眼前の情景を観察してるだけ。

気が勝手に自由自在に蠢く、その有り様を陶然と見つめる時間。

これがオレの治療のクライマックス。

生身との対話に余分な理屈、理論、はまったく要らんのだ。

それなのに 五行? 陰陽?

はぁ〜?  なんだソレなんだよね。

気 対 気。

その場に余分な思考、思想、哲学、ぜんぶ、いらん!

アレだね、ようは正統な屁理屈系東洋医学ってのは、ブランドモノですべてを固めたコテコテ、金ぴかの成金趣味のオシャレ気取りの詐欺野郎。

それにひきかえ、アタシの格好ときたら、相変わらずにTシャツ、短パン。それもけっこうぼろい。

でも、風通しはイイし、気兼ねなく汚せる。

もちろん、よそ行き用のキメモードもそれなりに持ってるけど、

ふだんは、コレでエエ。

コテコテで塗り固めるのは、敷居を高くして、胡散臭い敷居をさらに高くする愚。

アッサリとしたわかやすい言葉で西洋医でもわかる共通語でプレゼンするの私の主意は、

そうすることで、本当の意味での東洋医学の啓蒙が実現すると見込むから。

なぜ、永遠に素人がわからない専門用語しか使わないんだ?!

アタシの意図が少しは見えてきたかな?

2017/07/02 (日) 13:32:21 | URL | 今村光臣 #- [ 編集 ]

めっちゃオモロイっす‼

2017/07/02 (日) 14:56:53 | URL | 瓜食めば #- [ 編集 ]

間中先生のちぐわん? 随筆の抜粋を
読ましてもらってあたし、 
ずっとタクワンを連想してたの。笑
いや、
沢庵さんの不動智神妙録なんてのを。
これそっくり、
鍼灸が依る古典に置換できるのじゃないかとね。
おサムライさんからすれば、
覚者の仰る剣禅一如は金科玉条だ。
ははーーってなもんで、
ありがたやありがたや、
とこうなるわけです。
まさか沢庵さん、
おなご子供やお年寄りに、
こんなややこしいこと説きませんね。
なら和尚、武士を別格に見て、
おなご子年寄りを舐めてたのか?
いやいや、
その程度の者を覚者と呼びません。笑
何だと言えば、
侍サムライと闘いの中で張りつめて、
強面に生きにゃならない、
職業人としての悲しい生き物に渡した杖、
と思うのです。
相手を見て理説くのが覚者で、
濁点抜けない学者(がくしゃ)とは、
ここが違うんだわ。笑
杖の実相は、
論に依ってしか腹の府に実を落とし込めない生き物に、
生来の赤ちゃんが持つあれ。
知恵持つばっちゃんがくれるアレ。
を感得させる事です。
メスメルの不幸
(だったかどうか知らんが 笑)は、
帰属する文化圏に、
無為の化、
なんて粋な概念が無かった事。

古典の方便に学ばず、
だだそこに安住し、
口に糊するだをけをよしとしない先生を
イキに感ずるあたしです。笑

     

2017/07/02 (日) 17:32:51 | URL | 陣中見舞い #- [ 編集 ]

そうなんだ


この年まで、事実はひとつで真実は人の数だけあるものと思ってました。

ややこしくなるので、これからもそれで通します。(笑)

2017/07/02 (日) 17:36:35 | URL | 桑畑五十郎 #- [ 編集 ]

瓜さん、アタシ、たぶん、業界を完全に敵に回した。

完全孤立、ダイハード状態。

でも、きっと切り抜ける方策はある。おれが治療院の便所に閉じこめられて、

押し出し窓から抜け出して、配管のうえを歩いて、横の流しの窓に寝そべって生還したように(笑)

いまのところ、たぶん、瓜さんだけが味方。






陣さん、その沢庵というお坊さん、たぶん、鍼の術を習得していたようで。

入江流の本の解説に、この御仁が登場してます。

かの武蔵が到達した境地が万理一空なる地平。

これって、もしかしたら、万の理屈はひとつの空に帰する、みたいな意味か、と今日、はじめてこの言葉の意味を自分なりに見つめてみました。

この言葉を武蔵が、どんな思いで遺したのか、は武蔵のみが知ること。

でも、未来のオレはオレでその言葉を自分なりに受け取る。

古典を学ぶ、ってのは、そういうことですよね。

古典をそのまま信じろ。ってのは、だから、ものすごく無理がある。

だけど、それを強要し、それに従わねばならない、そんな空気では、せっかくこの業界に参入した若者が去るに決まっとるがな!

業界のオエラガタさんたちよ。少しは自分を客観的に見たらどうですかね?

はっきりいって、この業界のある部分は完全に腐ってるよ。

まあ、それが腐敗か発酵かは、わたしにはわかりかねますがね。

理論よりもまず実体ありき。それはいつの時代の医療も、もっとも基本とするスタンスのはず。

実体のみを追及するために、アタシは20年ほど前から、ひたすら我が指先の奥底だけを見つめるため、

あらたな東洋医学関係本を読むことをやめて、ただ指先の奥に埋没、ダイブして沈潜してきました。

これ、いまはじめて、いうことだけど。

余分な言語情報は自分の道を究めるためには邪魔だ、と悟ったからです。

そうして、水戸のご老公よろしく、すけさん、かくさん、もういいでしょう、で

ようやく、こんなブログで独白をはじめた次第です。

言葉でしか伝えられない。

でも、言葉では伝えきれない。

奥義は常に不立文字。

このへんが、術の伝承にとっての最大の障壁ですな。

そして、古典や伝統は徐々に歪曲され誤用され利権構造と化す。

生身と生身のぶつかりあい、は言葉を越えた世界だ!






桑さん、アタシもそのへん、ほんとは、よくわからんでっせ。

とりあえず、ひとの数だけ意見あり、でもエエんとちゃう(笑)

このあいだ、ひさしぶりに来院した御婦人が、

先生の手、なんだか、プニョプニョして、気持ちよかった、ちょっと手の平を、触らせて、

と言われました。いよいよ中国の老師たちと同レベルに到達したか?と

ひとりガテンして、喜んだ、まだ洟垂れ小僧のヨーダ・ハリィーです(笑)

2017/07/02 (日) 19:21:25 | URL | 今村光臣 #- [ 編集 ]

<クリエイターの世界とその住人たち>


間中善雄博士が注目していたというデイビッド・ボーム(アメリカ物理学者 1917~1992)
の言葉を四つ以下に列挙してみました。

第一番目
「知られているものには、すべて、おのずから限界がある。その限界とは、量的な意味ではなく、質的な意味における限界だ。理論というものは質的なものであって、量的なものではない。だから、限界がないといっても差し支えない。仮に、限界がないと考えても、[限界があるという考えと]そう違いはない点に気付くべきだ。なぜなら、限界は限界がないこととは違う以上、限界はないという考えが、限界があるという考えを限定することになるからだ。そうじゃないかな? 早い話が、無限には、有限が含まれなければならないのだ。創造の過程では、限界がないものから、限界あるものが生じると言わなければならない。これは首尾一貫した考え方だ。それゆえに、私たちがどこまで進んでも、限界はないと言い切れるのだ。あなたがどこまで進もうが、誰かが現れて、答えなければならない、もう一つの疑問を投げかけるのだ。この状況から逃れることは出来ないのだ」

第二番目
「人々は、万物を説明する理論を話題にするが、おわかりのように、それは一つの仮説であって、根拠のないものだ。それぞれのレベルに、外見上のものと、その外見を説明する他の本質が存在する。しかし、それからもう一つ別のレベルへ移ると、本質や外見は役割を交換する。そうでしょう? おわかりかな? 終わりなんてないのです。私たちの知識の本質というものは、まさにそういうものだ。しかし、万物の背後に存在するものは未知で、思考によって把握出来るものではない」

第三番目
「科学をする一つの理由は、現在の知識を広げようとするのではなく、私たちの知覚を高めようとするためだ。私たちは絶えず、現実に少しでもうまく接しようとしているんだ」

最後に、ボームは友人であったクリシュナムルティ(インド宗教的哲人 1895~1986)の言葉を用いて、思考に関する見解を披露している。

「彼(クリシュナムルティ)の基本は、思考を推し進めて、その最後まで完全に会得することだった。そこで、思考が異なる種類の意識に浄化するのだ」


明在系から暗在系へ、さらに暗在系の様々な領域(レベル)を旅することは
エネルギーレベルの異なる領域を通過(突破)することでもあり
そのほとんどが「未知の領域」と言える。

ところが
この「未知の領域」の一部を「既知の領域」として<知っている>人達が
ごく少数ではあるが存在しているのである。

それは、在野の竜王(今村光臣)さんのように、好奇心と疑念を抱き
時間と労力を費やして物事をじっくりと考え取り組むことの出来る
ほんの一握りの人達のことである。


※括弧内のボームの言葉はいずれも「科学の終焉(ジョン・ホーガン著)」からの引用。

2017/07/04 (火) 01:14:23 | URL | 亡六爺 #- [ 編集 ]

色即是空 空即是色


亡六爺さん、

ボームの言葉の素敵な数々をこのように列記して教えてくださいまして、ありがとうございます。

イイですねぇ、とても。

ボームの言葉を味わったら、ポッと、「色即是空、空即是色」という言葉が脳裡にチョウチョが花に吸い寄せられるように飛来しました。

それでSF映画の金字塔「2001年 宇宙の旅」の後半の主人公の宇宙飛行士の名前がデーヴィッド・ボーマン。ボームと一字違い、というかほとんど一緒。

これ、完全にデーヴィッド・ボームにわざと酷似させた、とわたしは思っているんですが、諸子の分析は知りません。

それで、あの映画の真の主人公が三編のすべてに登場するあの黒い物体、モノリス。

第1話の原始人類があの巨大な板チョコのようなオブジェのモノリスに触れたあと、動物の骨を道具にすることを思いつく。その時、いかにも象徴的なモノリスと月と太陽と空を見あげる素晴らしく美しい映像が描かれる。

第2話は、2001年の現代人が月の地下から発見したモノリスに触れようとするシーンで終わる。

第3話は、木星の衛星付近を指差したモノリスに導かれたボーマン飛行士が、ついにモノリスのなかに小型シャトルで突入する。

光りの洪水と原始宇宙の創生のようなシーンを見たボーマンは夢とも現実ともつかないなかに迷い込むと、

自分の肌がシワシワになり急激な老化現象に襲われていることに気づく。どこからともなく赤ん坊が泣く声が聞こえる風呂場を見つつ、

気づくとベッドに横たわり、その姿は死期を待つ最後の老人の姿となっている。

ここでボーマンはおもむろにベッドから足もとの上空を指差して触れようと右手の人差し指を空間に浮かべる。

エンディングは、月面と地球を見下ろす宇宙空間で光り輝く胎児となったボーマンのシーンで終わる。

第1話の猿人がモノリスに触れたあの瞬間から、第2話の月面で現代人がモノリスに触れようとする所作とこの最後のシーンまでが、すべてフラクタルなシーンとされ、

あの名曲ツァラトゥストラはかく語りき、のファンファーレの荘重なる音響がまたフラクタルなBGMとしてこれらのシーンで連続的に流される。

モノリスは、その見た目どおりボームの世界認識のモデルである暗在系を意味している、とわたしはみてとりましたが、

このへんを諸子がどのように分析しているかもわたしは知りません。

わたしはこの映画をSF映画の金字塔という視点で見るのではなく、デーヴィッド・ボームの「明在系・暗在系モデル」を理解するための啓蒙教材という位置づけで、

数回観賞しました。

モノリスに触れ、モノリスの中に埋没して、はじめて人類は真理を悟る。

わたしにとってのモノリスは指先のコリ。

指先のコリに触れ、そのなかに突入したから、わたしには余人の知るよしもないナニガシカが見えてきた。

わたしにとってコリというモノリスこそが、わたしの師であり友と言えるでしょう。

自分が欲する情報は自分の術のレベルが上がるにつれ、さらに情報量が増していく。

ボームのいうとおり、無限ですね。

2001年の最後のシーンのキャプションにはインフィニティーと書かれています。

まさにモノリスは無限なる暗在系の象徴なのです。

あっ、頭のなかに、あのファンファーレが鳴っている。

富田勲のCD「コスモス 宇宙幻想」のイントロがこの曲なんです。

このCDもまた2001年に匹敵する聖書的コンテンツ。

治療院のBGMにこんなの流してるのは、たぶん、アタシぐらのものでしょうね(笑)



2017/07/04 (火) 03:20:02 | URL | 今村光臣 #- [ 編集 ]

<プニョプニョ>

「2001年 宇宙の旅」の交響詩「ツァラツゥストラはかく語りき」(リヒャルト・シュトラウス作曲)のベースになったニーチェ著「ツァラツゥストラはかく語りき」からの引用です。

「わたしたちはすでに無限の回数にわたって存在していたのであり、一切の事物もわたしたちとともに存在していた」

「幼な子は無垢である
忘却である
そしてひとつの新しいはじまりである
ひとつの遊戯である
ひとつの自力で回転する車輪
ひとつの第一運動
ひとつの聖なる肯定である」


在野の竜王(今村光臣)さんの<プニョプニョ>した手が象徴するもの
それは幼な子の手

幼な子は永劫回帰の象徴であり
新しい価値を創造する者である

2017/07/04 (火) 08:02:56 | URL | 亡六爺 #- [ 編集 ]

リインカーネーション


まさに、輪廻転生もまた、2001のもうひとつのテーマ。

幼年期の原始人類が、現代人となり、モノリスを通過したボーマンがスターチャイルドに転生する。

ヒトという生き物の永劫のラセン回帰。

なぜ、あの曲がフラクタルにBGMに使われたのか。

亡六爺さんのこのコメントでさらに、よくわかりました。

しかし、これらの言葉群、イイですね、味わい深いですね、いつもありがとうございます。

アタシも、東洋医学2000年の古典に喧嘩をうってしまった以上、

もう後戻りできません。で、これまでの文献など、もう一度、おさらいをしているわけですが、

かつては輝いていた記述が?????のオンパレード。

まあ、みんな前例踏襲というか、ようはアカデミズムにお手をする内容しか書けないという呪縛にがんじがらめになってる、

とそんな感慨を今抱いています。

出る杭は打たれる。

出過ぎた杭はスルーされる。

ものすごく出過ぎれば、もしかしたら、ブレイクスルーが待っている?

乗りかけた舟。

やるしかねぇ!



2017/07/04 (火) 19:23:42 | URL | 今村光臣 #- [ 編集 ]

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