リアル

「・・学ぶものの多くはこれを秘事あるいは秘術などというが秘するほどの術とは実はとるに足らないものである。物事は秘するとかえって目立つものである。いわんや観相は仁の術であり、どうして秘しておくことができようか。相術の奥義とは、あるのでもなくないのでもない。偉大なものでもなく卑小なものでもない。天でもなく地でもない。自分でもなく他人でもない。およそあまねく天地四方の内に存在するものではない。空漠たる一つの霊気の中に貴き一人の翁がいる。その翁は鼻もなく眼もなく影もなく形もない。その名を無意相という。この翁をつかまえて相法の師とし、相法の妙を知るべきである。この師を得なければ相を明らかにすることはできないのであって未だにこの師を得ていない相者は相法を冒瀆する者である。この無意相先生に近寄りたいと思うならば、尊き出家または博学の人に先生の所在を問うがよい。また出家や学者に先生への道筋を教わったとしても行く時は自分一人である。その先生の城郭のほとりには八万四千の魔王がいる。それぞれに名があるが、その魔王たちが先生の城郭に入られるのを恐れていろいろと妨げ敵対する。その時こそ自分の持っている刃もなく形もない鋭利な剣でもってその八万四千の魔王をことごとく切り払い、先生の城郭に勇んで入りこみ、相法の妙義奥義を開き問うがよい。そのような時にこそ人を相しても妙法明白となり、麻の中に矢を放つごとくにすっきりとするであろう」水野南北著 現代訳・岩崎春雄 校閲者・小林三剛『南北相法』自然社




わたしは鍼灸指圧師をすでに25年以上やってきた。

師と呼べる先生は初期の頃にはいた。

しかし、その研鑽会をやめてからは師にはついていない。

今から25年前の平成4年の3月、鍼灸指圧師の国家資格を取得し、

鍼灸の専門学校を卒業した。

その卒業式の会場から一次会の会場へと向かう道中で

厳しかった鍼灸の専門学校の恩師から

「自分たちの仕事は今日まで。明日からは患者さんが先生だよ」

という言葉を頂戴した。

いまになってこの言葉の重みを感じずにはいられない。

そうなのだ。

わたしにとっての師とはわたしを頼ってわたしの治療院に

足を運んでくれたすべての患者さんだ。

いや、より正確に言えばその患者さんたちを生かしている

生命力と呼んだほうがいいだろう。

指圧をし、鍼をし、灸をするとき、

わたしは指先をツボにアクセスしたまま

わたしのからだぜんたいをつかって

患者の生命力の声を聞き取ろうとする。

患者の体表や四肢体幹のすみずみの動きを注視する。

患者の腸管の蠕動運動や呼吸の音に耳を澄ます。

そうして指先の意識の場を虚空と同化する。

そうしていると、指先からひとつの動きが立ち上がるのだ。

その指先から立ち上がる動きは、

いつも滑らかでエネルギッシュでダイナミックで、

それはまるで架空の伝説の神獣である竜が動くさまに

そっくりなのだ。

だから、わたしはこの動きを竜もしくは気竜と呼んでいる。

患者のからだに立ち上がる気竜の動きはどんな患者でも

ほぼ一定している。

ということは、この気竜こそが生命力の本体なのではなかろうか、

とそんな風に感じている。

その気竜はわたしの指先から放たれた主竜に導かれて、

患者の体壁筋肉系を駆け巡ると、

やがて四肢末端のツボの井穴(せいけつ)から体外へ飛び出して、

大宇宙の玄竜と同化する。

こうして私の指先の主竜に導かれた患者の気竜が

大宇宙の玄竜と交歓する三竜の同化融合が達成すると、

患者のコリは溶けてほぐれて患者の体壁筋肉系の湖面の

さざ波が止まり静寂が訪れるのだ。

わたしの気竜、患者の気竜、宇宙の気竜、

この三つの気竜が描き出す神秘の共演が見られた時、

治療の成果は一段と上がる。

冒頭の観相術の大家である水野南北がいうところの

無意相先生という師。

私にとってその無意相先生に相当するのが

指先に生じる気竜たちだ。

私の師は指先の竜。

これはファンタジーでもフィクションでもない

まぎれもない25年の実証を経たリアルだ。

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2017.06.19 | | コメント(4) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

コメント

≫ 気察 第七

≫ 鍼刺の要は、
≫ 至気を以て、有効の時と為す。
     (中略)
≫ 気至りて効有るなり。
≫ 然れども気至るの義は、
≫ 先輩も未だ詳しきを謂わず。
≫ 古経の意を以て考えよ。
≫ 鍼刺の要は他に無し。
≫ 気至るの義は、
≫ すべからく厚く考え求むべし。


(現代語訳)

第七章 気を察すること

鍼を刺すときに要とすべきことは、
気の至ったことをもって、
効果のある時とすることである。
     (中略)
気が至れば、必ず効果が出るものだ。
しかしながら、
こうした「気が至る」という問題は、
確かに感じることではあるが、
目に見える訳ではなく、
言葉にするのも難しいため、
奥義に達した諸先輩たちも未だ
詳しいことは語っていない。

それゆえ、これから学ぶ者は、
『素問』『霊枢』『難経』など
古の経典において「気至る」こと
に関する文章を読み、
そこにある深意を推し量って考えなさい。

「鍼刺の要」は、その他には無い。
「気が至る」という問題は、
自らが厚く考え求め続けなければ分からない。


杉山真伝流 皆伝の巻「鍼法察要」
      島浦惣検校和田一 著
      大浦慈観 訳  より



奥義に達されていると
お見受けする諸先輩には、
数人お会いしたことがありますが、

独自の「気至る」の世界を、
これほど言語化して
伝えてくださった先生は、
今村光臣先生が、初めてです。

先生の言葉は、
ファンタジーでも
フィクションでもない、どころか、
比喩ですらない。

僕は決して悟ったつもりに
なっているわけではありませんし、
先生をおだてているわけでもありません。

だけども、
お会いしたこともない
先生の言葉の重みを、
最大限の集中力で過ごしてきた
この6年間、
誰よりも重く受け取り、
インスピレーションを頂き、
自身の血肉と化していることを
僕は自負しております。

無意相とは、
刹那の最善を尽くす時にだけ遭遇する、
偶然ではない巡り合わせ、
運命の一期一会のことではないでしょうか。

僕はそのように感じています。
本当に、
ありがたい。

あとは薄い月明かりを頼りに、
勇気を出して自分独りで、
この道筋を行くだけです。

「すべからく厚く考え求むべし」!


2017/06/19 (月) 12:07:46 | URL | 瓜食めば #- [ 編集 ]

瓜さん、水野南北のこの、秘するほどのものたいしたことなし、

という一言は、あらゆる領域に根付く利権的タコツボを

木っ端微塵に粉砕する力を宿しているように思えます。

秘技だの、奥義だのと、エサをまくことで、会員を勧誘し信者を増やす。

すべてカルトですよね。

自分はある意味、みなさんもご存知のように、

自分の手の内のタネも仕掛けもぜんぶさらす覚悟で情報発信をしてきています。

それで、たとえわたしの奥義が盗まれたとしても、

盗んだ者が使いこなせるようになった時は、

さらに高みに到達していれば何の問題もないこと。

そうして自分にプレッシャーをかけることで、

わたしはたぶんもっともっと進化したい。

がめつくかっちめて誰にも渡さないぞ、と両手でギューと囲ったが最後、

ワザの進化はそこで終わります。

先日に最近になって常連さんになってくれた農家の方にこんな話を聞きました。

とある山間地にできた新品種のミカンがとても甘く、静岡市のデパートの地下で売り出したら、

人気に火がついた。それでその地区のミカン農家のみなさんは、

このミカンの苗が盗まれて、どこかよその地区でも作り出したら、

自分たちの努力が水の泡になるからと、徹底的な監視体制を敷いて、

見張り、ヨソにこの甘いミカンの木ができないようにした。

その努力が実り、この甘いミカンはこの地区だけの特産品になったが、

需要に供給が追いつかず、ついにデパートが手を引き、

結局は需要すら無くなり、ついにこの甘いミカンの木を作るものはいなくなったという実話です。

そのはなしを聞いたときに、わたしはここで今言ったこととソックリ同じことを返答しました。

いいものをみんなでわかちあう。

そんな当たり前の精神こそがさらなる繁栄をもたらす。

だからわたしは奥義はぜんぶ出し路線、なんです(笑)

源竜から支竜へ、支竜が本竜へ、本流が源竜へ。

宇宙を生かす力と生命を育むフォースは、たぶん同じエネルギーではなかろうか。

ひとの受精卵の表面に立ち上がるカルシウムイオンの螺旋なるさざ波は、

渦巻き銀河の銀河系の螺旋構造と、見た目はまったく同じです。

螺旋というエネルギー構造。

素粒子から宇宙の大規模構造まで、すべては気竜の導きかもしれません。



2017/06/19 (月) 19:49:50 | URL | 今村光臣 #- [ 編集 ]

感!無量・・・

真打ちの金言に始まる本稿も、
先生と瓜さんの交信も実にいいわ!
南北さんが真正の求道者、
厳しい実践者であった証が
この棚卸しファイルの引用文に
詰まっております。
余分な言葉で玉を汚すマネはしますまい。
ホンモノは生(き)で飲み干すのが一番。
先生、ありがとうございます!

2017/06/19 (月) 21:08:47 | URL | 陣中見舞い #- [ 編集 ]

ダハハ、陣の兄ぃのお蔭です!

だいたい水野南北をサラッと持ち出してくる御仁は、

そんなにおりません。

南北の観相は、東洋医学の望診のベースになる、

とこの本の校閲を担当した関東鍼灸専門学校校主の

小林三剛氏が後書きで申しております。

現代医学は血液検査をはじめレントゲン、CT、MRIなどを駆使し、

スケルトンに躰を客観的に捉える格段の診断技術の進歩を遂げています。

それはそれで実に素晴らしい医学の精華。

しかし、生命力の度合い、気の盛衰強弱を計る機械、マシンはいまだ開発されていません。

ハロルド・サクストン・バー博士の開発したライフ・エネルギー・テスターは、かなりそれに近いかもしれませんが、

バー博士じたい、ほとんど知られていない。

だとしたら、気を診る医学における気を計測するマシンは、

他でもないわたしたち東洋医学者の

望診、聞診、問診、切診の四診こそがそれに相当するわけです。

望んで知るを神という。

パッと見て、じっくり見て、その患者の気の動態、盛衰、強弱を見抜く。

これぞ神ワザであり、この神というキーワードはダブルミーニングで、

精神のチカラで見る、と言う意味もあるという解釈もあります。

南北の真髄は観相において気を診たこと。

気色流体を観ることができたから、南北の観相は百発百中だった。

いや、それだけではない。

その者の食べ物の質や量を知ることで、さらにその鑑定は正確性を増した。

南北相法には、歩行の様子を観て診断する歩相、坐った姿勢を観る坐相、寝ている姿勢を観る寝相の診断法もアップされています。

久しぶりに南北相法を再読したら裨益するところ大大大でした。

これすべて陣の兄ぃのお蔭っす!

霊気のなかに棲まう無意相の翁。

わたしにとってそれは気竜です。

自分でいうのもなんだけど、実にファンタジックで

なんだかカッコイイっすね(笑)



2017/06/20 (火) 05:56:28 | URL | 今村光臣 #- [ 編集 ]

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