食=宇宙

「食は人・物ともにその親にして道の太本なり。ゆえに転定(てんち)、人・物、皆、食より生じ食を為す。ゆえに食なきときは、人・物すなわち死す。食を為すときは人・物つねなり。ゆえに人・物の食はすなわち人・物なり。ゆえに人・物は人・物にあらず。食は人・物なり。わけて人は米穀を食して人となれば、人はすなわち米穀なり。人ただ食のために人と成るまでなり。かつて別用無く、上下、貴賎、聖釈、衆人といえども食して居るのみの用にして、死すれば本の食となり、また生じて食するまでの事なり。ゆえに言語も聖釈も説法も教解も、鳴くも吠ゆるもみな食わんがためなり。ゆえに世界は一食道のみ。しかるに聖人・釈迦、品種の書説をなして食道のゆえんを説くこと無し。これおのれら直耕の食道を盗み、不耕貪食するゆえ、これを恥じ食道を説かざるは重失なり。みだりに百味の飲食、八珍の美味など、奢賁(しゃひ)の妄言をいえども、食道のゆえんを言わず。道の太本をうずむるは私の妄言のみ。ゆえに世を迷わすなり」『人の食は道の太本、之を言わざるの失(あやま)りの論』安藤昌益




人間も動物も植物もバクテリアもみな食べるために生きている。

人間も動物も植物もバクテリアもみな食べるから生きていられる。

人間も動物も植物もバクテリアもみな食べなければ生きられない。

人間も動物も植物もバクテリアもみなその命は食により養われている。

地球上のすべての生き物の命を養う食。

食こそが地球の生命系を養うおおもとだ。

と、冒頭の安藤昌益の言葉を私流に意訳してみた。




いつからか意味不明の糖質制限という言葉が流行り、少食や断食がブームだ。

食べ過ぎ、飲みすぎの反動から起こったこうした食の制限ブームだが、

食べないというベクトルは私にはある意味、死を志向しているように見える。

すべての生き物は食べるために生きている。

いや食べるためだけに生きていると言っても過言ではない。

そしてそれが命の自然な生理、営みなのだ。

だから食べることを否定する食の制限ブームは、どう考えてもおかしい。

腹が減っては戦は出来ぬ。

腹が満たされてはじめて活動が出来るのだ。



生命史におけるわたしたちヒトという動物の起源を遡ると、

5億年前の腔腸動物のヒドラの祖先にたどりつく。

その花瓶のようなラッパのようなナリの生き物は、

頭の花瓶の口の細胞がセンサーとなり周囲のアミノ酸を探知すると、

矢のようなトゲをピュッと放ち、近くにいるイトミミズを

捕獲し、その腸管内に取りこむ。

そうして獲物の養分を吸収すると、残滓を花瓶の口から吐き出すのだ。

「喰って寝て起きて糞して子が親に子が親に」

ヒドラから延々と繰り返されてきたこの命の営みが、

やがて魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類の「動く物たち」を、

すなわち動物界を生みだしたのだ。

人間はこれら動くもののトップに位置する万類の霊長と自負し、

自分たちを霊長類などと自称する。

しかし、わたしたちももとをたどれば花瓶のようなナリのヒドラであり、

いまも「食って寝て起きて糞して子が親に子が親に」を

繰り返す単なる動物の一種に過ぎない。

なにを偉そうに霊長類だの、ホモサピエンス、知恵のあるサルだのと

人間は威張っているのだろうか。



どんな高尚な哲学も教義も特にそれほどありがたくもない。

ありがたい本当に大切なものは、日々、わたしたちの身心を

養ってくれる食それだけだ。

食ほど大切で大事なものはない。

食こそが人生における一大事だ。



その食を生み出すは農村漁村の営みであり、

その農や漁の営みを育むのは大地や海や空であり、

大地や海や空は、地球と宇宙により成り立つ。

わたしたちひとは食を通じて、

農や漁や大地や海や空や地球や宇宙とつながる。

食=宇宙。

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2017.06.04 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

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