羅針盤

「人体にくまなく浸透し、それを包みこんでいる生命場は電磁気エネルギーでできている。そして、そのエネルギーが体内にあるとき、わたしはそれを『生命力』と呼ぶ。生命力という概念はこむずかしい形而上学や哲学的な教義から生まれたものではない。それは単純な観察と、だれにでもよくわかる日常的な理解から生まれている。長いあいだ多くの患者を診てきて、わたしもそれが実在すると確信している。著明な精神分析学者、ウィルヘルム・ライヒは、その生命力の感じを『ジンジンするような感覚』と表現したことがある。多くの研究を重ねたライヒは、その生命エネルギーが体内にばかりではなく、『宇宙の力』というかたちで体外にも存在すると確信するようになっていた。バー博士やライヒ博士のほかにも生命力について書いている人はたくさんいるが、わたしがその存在を信じている理由のひとつは、自分がそれを頼りに仕事をしてきたというところにある。生命力についての知識がなければ、わたしはけっして多くの人を助けることができなかったはずだ。オステオパシーの手技の訓練のおかげで、わたしの手はいつの間にか、患者のからだにさわるだけで、エネルギーの動きやブロックのようすが感じとれるようになったのだった。指に感じる生命力とはどんな感覚なのかと、多くの人に聞かれる。ことばではうまく表現できないが、なんとか説明しようとすれば、ピリピリするような感じということになるかもしれない。ライヒもそうだったが、それがいちばん近い実感なのだ。健康で生命力にあふれている人にさわるとき、わたしの手も『ジンジン』するように感じる。しかし、指がすべっていかずに立ち往生するようなときは、その人のからだも鈍り、生命力がブロックされていることがわかる。・・・もし生命場が目に見えれば、それは人間の影のかたちのように見えるはずだ。あたまのまわりを丸くとりかこみ、肩の部分でひろがって、腰でせまくなり、足に向かってだんだん細くなっている。ある意味で、生命場はからだの片割れ、残りの半分だと考えることもできる。からだの半分は、われわれがふだん人間として認識している肉体であり、あとの半分は目に見えない『場』なのだ。一時期、科学者たちはその生命場をしらべ、皮膚から1センチ弱ほどのものを検出したことがあったが、最近の研究では皮膚から80センチ以上もあるということがわかっている。」ロバート・C・フルフォード&ジーン・ストーン著 上野圭一訳「いのちの輝き」翔泳社






先日の3月27日にこのブログにアップした記事「フォースと共に」で

触れたハロルド・サクストン・バー博士の動電場について、

アメリカの伝説的な手技療法家でヒーラーであったロバート・C・フルフォード博士が

その唯一の著書で言及している箇所を冒頭にピックアップした。

少し長い引用で読みでがあるが、読む価値のある情報だ。

この本の初版が1997年。

ちょうど今から20年前だ。

わたしがいまの治療院を開業して5年経たかどうかの

治療師として駆け出しの頃に出版された本だ。

当時は夜間の主張治療をしていた。

その出張先の隣町の吉田町からの帰宅の折に、

さらに大井川の橋を越えて今では焼津市に

合併された旧大井川町の書店にブラリと足を延ばし、

この本を探しにいき、まさかあるとは思えないような

その書店の棚にこの本を見つけた時は、

なんともラッキーな気分になったのを、今でも鮮明に思い出す。

ラッキーな気分になったのは、決してまんざらではなかった。

この本には、自分が知りたいことの、ほとんどすべてが

書かれていたといっても過言ではない。

あれから20年。まさにこの本は私の羅針盤、座右の書となった。

この本のなにがいいかって?

例えば訳者が上野圭一さんだよ!

鍼灸界で彼の名を知らぬ者はいないといえる程の

鍼灸師&翻訳家が翻訳しているのだ。

この本が優れて読みやすく、また濃いコンテンツであるのは、

翻訳を担当した上野圭一さんの力によるところが大きいと

わたしはみている。

そして、書き手のフルフォード博士はといえば、

伝説の手技療法家なのだ。

医の原点である「手当て」を仕事にし、

そのなかで生命の実相を把握したいち治療家。

かれが得た体験知と哲学のすべてが余すところなく

この本に描かれている。

恐らくはフルフォード博士もすでに鬼籍に入られて久しいだろう。

本つまり活字はあくまで二次元の情報だ。

活字で三次元のリアルな世界のすべてを伝えることは不可能だ。

しかし、そんな平面に閉じこめられた二次元情報の文字が、

何千キロも離れた島国に住む孤独な鍼灸指圧師の心を癒し、

その心を20年以上にもわたって、

ゆさぶり、鼓舞し、励まし続けることもあるのだ。

自分が感じている生命力を、おなじように感じている者がいた。

そして追及している世界も同じ。

そんな同士を見つけた時、わたしがどれほど嬉しかったか。

江戸末期の葦原検校と共に、フルフォード博士は、

わたしにとってマスター(師匠)と呼べるひとりだ。

マスターと呼べる者はその他にも何人かいる。

「 Light 」の記事に登場したわたしの鍼の師匠もそのひとりであるし、

ここのところ頻繁に登場するハロルド・サクストン・バー博士も、

クリーブ・バクスター博士も、間中善雄博士も、みな師匠だ。

いや師匠と呼ぶならこれまで触れた患者さんは

みな師匠であるし、その身体に立ち上がった竜こそ、

わたしに生命の不思議を教えてくれたグランドマスターだ。

気の動きを龍に例えるのは江戸期の鍼術の一派「杉山真伝流」では、

なんと! 普通の事だったようだ。

その杉山真伝流の祖流となるのが近世江戸をさらに遡る

中世日本の鍼術一派の入江流とされる。

その入江流の『皆伝・入江流鍼術』なる書物が近年に発掘され、

ふたりの鍼灸家の手で解読が試みられた。

その本のなかで、鍼の『手の内』が解説されている。

入江流には15の鍼の操作術が書かれていた。

その表現は日本的な文学的なもので、

読解は難儀を極めた。

我が業界のスターであろう長野仁氏と、

大浦慈観氏のご努力により、

その難儀な読解が進み、その全容が明らかにされた。

お二人の尽力に多大なる敬意を表す。

15の鍼の操作とはいかなるものか?

そのひとつになんと龍が出現しているのだ!

東洋医学は本当に奥が深い。

日本に伝わった鍼灸術は日本人の手でアレンジされて、

日本独自の文化に練られて、

日本特有の日本鍼灸へと変容した。

日本鍼灸の凄味は2000年つづいた気の医学を、

生き物に例えることで手の内に落とし込み、

そのおもてなし精神は現代の鍼灸指圧師の手で

さらにアレンジが加えられて、

生命場の領域へとつながった。

2000年前から中世日本へ、

そして現代から未来へ。

気の流れは時空を越えて

竜に導かれる。

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2017.03.30 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

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