身体論の解体と再構築 16

先日の日曜日に子供と川遊びに行き、

そのドブを飛び越える際に年甲斐もなく

娘にオジイもまだまだイケルぜ、といいところを

見せようとハイジャンプをして、

うっかり着地に失敗して、着地時の重力負荷の

衝撃をいなす身体操作がうまくできなかったせいで、

昨日の午前10時頃に急に痛くなった左膝に

昨日の午後4時過ぎに鍼を打って、昨夜ひと晩

グッスリと眠り、さっき起きて歩き出したら、

すでに膝の痛みは98%ほど消退していた。

こういう時には、やはり鍼師冥利を感じるね。

この膝のような局所に発生する痛みというものには、

かなり複雑な生理機構が関与する。

痛みが出ている時にはその部位の体液が

痛みのスープのような状態にあり、

ブラジキニンやヒスタミンやサブスタンスPやTNFαなどの

多くのホルモン様分子が混ざり合って、

周囲の組織や血管や痛覚繊維を刺激している。

このような過敏にイケイケ痛い痛い祭りに

なった部位に、鍼を打つと、いったいどうなるのか?

普通は痛い部位に痛い鍼を打つなんて正気の沙汰とは

思えないから、だからこそ鍼治療に奇異な目が注がれるわけだ。

この鍼治療の鎮痛作用の理由は普通はβエンドルフィンという

鎮痛ホルモンが鍼治療で分泌されて、脳の痛み受容領域の

コントロールにβエンドルフィンが干渉し

痛みが遮断されるから、と説明される。

ではあるが、実はβエンドルフィンの鎮痛作用が発揮されるため

には、まず最初にオキシトシンというホルモンが分泌されなくては

ならない。つまりオキシトシンこそが鍼治療における鎮痛作用を

誘導しているのだ。オキシトシンというホルモンは脳の脳下垂体や

視床下部や、皮膚や血管壁や心臓や卵巣や睾丸などで合成分泌されている。

だから鍼治療で分泌されるオキシトシンは恐らくは皮膚と血管壁で

合成されたものが機転となり、正のフィードバック機構が働いて、

他の部位でのオキシトシンが合成されて、体内のオキシトシン濃度が

高まることでβエンドルフィンがカスケードに次ぎに合成されると、

結果として鎮痛効果が生まれて、昨日の午後に打った鍼の鎮痛効果が

翌朝には効いてくると説明できそうだ。

痛みというものは、まったくいつ何時、顔を出すか知れたものではない。

そして痛いという感覚は、まったくもってヒトを不機嫌にする。

しかし、その痛みをうまくコントロールする養生法を心得ていれば、

急な痛みにも落ち着いて対処できる。

ハイジャンプなど、まったくもって、とてつもなく危険なのだ。

バレリーナがポーンと高く飛んで足の親指を軸に舞台に舞い降りた時、

その親指の先には約200キログラムほどの重さが負荷されるのだ。

だから、私があの小さなドブ川をポーンではなく、

ヨッコラショーと飛び越えて、オトトとドスンと左足で着地した時、

その左足の軽く滑って流れた体位を支えた左膝には、

少なくとも200キロまではいかないがそれに近い重さがかかった事は

たしかだ。だから、その瞬間、ヤバッ、やった、というイヤな感情が

脳裡に走ったが、それは正しい直感だったのだ(笑)

さて、オジイのおっちょこちょいな顛末はさておき、

食と身体操作をなぜ同時に語るのか、について少し

説明しておく。

生命は食べるために生きる。

バクテリアは酸と酵素で体外の分子を取りこみ食べる。

多細胞生物はクチを使って消化器の消化酵素で

食べたものを分解して体内に取りこむ。

植物は葉っぱや根っこから酸素や日光や

水や栄養素を吸収して取りこむ。

植虫類のウミウシのエリシア・クロロティカは

幼生の折には藻類の葉緑体を盛んに食べて、

成体になるとその食べた葉緑体で光合成をして、

植物のように生きる。

ハエトリソウは植物だが土中に窒素が少ないので、

葉っぱに誘ったハエをタンパク源として葉で

ハエを食べてそのハエの窒素を取りこむ。

バクテリアも多細胞生物も植物も

エリシア・クロロティカもハエトリソウも

みな生命は食べるために生きる。

その食べることの目的は体内を維持するための

構成材料の補給であり、

また生きるうえで欠くことの出来ないATPを

生み出す素材を獲得するためだ。

地球に生きる生き物はすべてATPという分子を

エネルギー源にする。

だから食べることはATPを生み出すことに等しい。

もしも食べなければATPを生み出すことができなくなり、

やがては死の転帰を迎える。

食べることは生きること。

食べないことは死ぬこと、なのだ。

食べることがいかに大事か、と私は28年前の

断食時の昏倒で悟った。

バクテリアからやがて腔腸動物のヒドラの祖先が生まれた。

ヒドラにはアミノ酸を感知するセンサー細胞が頭部にあり、

このアミノ酸センサー細胞が周囲のエサとなる

小さな動物性プランクトンのアミノ酸を感知すると、

ピュッとハリをそのエサとなる対象に打ち込み、

仕留めてそれを呑み込み食べるのだ。

ただバクテリアのように細胞壁に当たってくる物質を

酸と酵素で溶かして取りこんでいた「待ち」の食べ方とは、

まったく違うヒドラの「攻め」の食べ方。

この食べ物を求めて攻めていく時に身体操作が

必要となるのだ。

つまり生命は生きるために食べるが、

その食べるための「攻め」のために、

身体操作が要求され編み出されたのだ。

だから食と身体操作をワンセットで同時に語るのだ!

メダカを捕まえて食べるつもりはなかったのに、

無駄な身体操作でヘマをこいたオジイですが(笑)、

まあ、そういったわけで、

このシリーズ、なかなかに奥が深いとみた。

長期シリーズになりそうだ。

どうぞ本シリーズをご贔屓のほどお願い申し上げます。

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2017.02.22 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

コメント

身体操作に直結する心の<ゆらぎ>について

五輪書(宮本武蔵)に以下のくだりがあります。

(現代語訳は「五輪書研究会版テキスト」)


(原文)

「兵法の道におゐて、心の持様ハ、常の心に替る事なかれ。

常にも兵法のときにも、少も替らずして、

心を廣く直にして、きつくひつぱらず、すこしもたるまず、

心のかたよらぬやうに、心をまん中に置て、

心を静にゆるがせて、其ゆるぎのせつなも、

ゆるぎやまぬやうに、能々吟味すべし」


(現代語訳)

「兵法の道において、心の持ち方は、常の心と変ることがあってはならない。

日常(の時)にも戦闘の時にも、少しも変らないようにして、

心を広くまっ直ぐにし、きつく引っ張らず少しもたるまず、

心の偏らぬように心をまん中に置いて、

心を静かにゆるがせて、そのゆらぎの一瞬も、

ゆらぎやまないようにすること。これを、よくよく吟味すべきである」


一方、<ゆらぎ>とは対極に位置する<居つく(固着する)>

という事に関しても述べてあります。


(原文)

「惣而、太刀にても手にても、いつくと云事を嫌ふ。

いつくハ、しぬる手也。いつかざるハ、いくる手也。

能々心得べきもの也」


(現代語訳)

「(我が流派では)総じて、太刀でも手でも、

居つく〔固着する〕ということを嫌う。

居つくのは死んだ手である。居つかないのは生きた手である。

よくよく心得ておくべきである」


上記<ゆらぎ>と<居つく(固着する)>の対比は

宮本武蔵の身体操作において、即、生死に直結したであろうと思われます。

ひとつのモノサシや他人のモノサシに<居つく(固着する)>のは愚かで危険

というのが私の考えです。

2017/02/22 (水) 23:21:43 | URL | 亡六爺 #- [ 編集 ]

野生の動物の所作は、みな武蔵流の、ゆらぎのなかでそのまま、ですね。

みな足音なんかほとんど立てない。

動物園で見たシカ。神々しいまでに静謐でした。

それでアタシの師匠はクモザルなんですが、

道は遙かです(笑)

2017/02/23 (木) 05:48:13 | URL | 今村光臣 #- [ 編集 ]

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