普通が一番
崇高の 正体見たり ムラのひと(ハリィー)
医療の世界には「神の手」と呼ばれる領域があります。
心臓外科や脳外科の難手術を正確無比に何千例もこなす医師の腕。
あるいはカリスマ鍼医と称賛され、西洋医も治せない難症を
鍼一本で完治してしまう腕。
こうした腕、技能を称賛する言葉として
「神の手」という言葉は頻用されます。
また「奇跡」という言葉も医療の世界ではよく使われます。
末期ガンから生還した奇跡の体験談。
奇跡的治癒はなぜ起きたか?
など、医学的にあり得ないような治療譚において使用される言葉です。
そういう意味では私は「神の手」とも「奇跡」とも無縁です。
私が出来ることといえば、普通の手で普通に治療すること。
ただそれだけです。
治療の道に入り、25年。
ひたすら普通の手で普通に治療をつづけてきました。
普通の手の治療は、やはり普通の治療です。
ひと押し、ひと押し、凝りを探りながら、治療する。
それは鍼灸指圧の専門学校で習った通りの基本操作を踏襲しているだけです。
鍼治療も、灸治療も、同じく基本操作の踏襲です。
ですから、神の手による奇跡、など起こりようもありません。
でもね、ひと押し、ひと押し、のなかに、
余人の知らない何らかの手応えを感じています。
いのちの脈動、
その命の手応えを羅針盤にここまで治療師を続けてきました。
カリスマでも、神の手でもない普通の手による普通の治療が、
ときに劇的な回復を演出する。
これはひとえに、いのちの脈動が起こった証拠です。
奇跡などいらない。普通こそが素晴らしい。
世間は見た目に派手で、映像としてそれらしく見えるそんな漫画チックな
イメージを欲しています。
わかりやすいユルきゃらなコンテンツ。
そんなトレンドにマッチすればブレイクするのです。
わたしが指圧している姿は、まったく絵的には面白くありません。
いのちの脈動を探る時、わたしの指圧の指はジッと沈潜し、
わたしの身体は見た目には、動きがストップします。
手を広げ、こんな風にあんな風に旋回させて、
患者さんをコロコロと転がしてみせる、
そんな気功師のような派手な絵を、わたしの治療では絶対に撮れません。
こいつ、なに、やってんだ?
なんにも、してねぇじゃん!
と、私の治療風景を見た者は思うことでしょう。
普通の治療とは、そういうものです。
しかし、その普通の治療の指下の世界では、
賑やかな分子レベルのカーニバルが始まっているのです。
わかりやすいこと、がそれほど素晴らしいのでしょうか?
わかりにくいこと、素人にはまったくわからないこと。
そんななかにこそ本当に知りたい命の真実があるのです。
「神の手」による「奇跡」の治療を期待している皆様は、
わたしの治療など受けないほうがいい。
普通の手による普通の治療を期待している方ならば、
わたしの治療は合っています。
普通の良さ、は普通だから良い。
普通が一番。
普通は決してカリスマ性や派手さはないが、
長く付き合うには向いています。
今日も普通の治療院が開店します。
馬の骨 磨いてみれば 宝船(ハリィー)
2016.11.30 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 養生クリエイター
