オレ竜 6

指圧という言葉が持つイメージは、

指で押す、という動作。

だから、指で押すだけの動作なら誰でも出来る、と錯覚しやすい。

誰でもできる指で押すだけの指圧は、誰でも出来るが、

指で押すだけの指圧ではない

ハイレベルなプロフェッショナルのみができる指圧は、

そのプロにしかできない。

プロの指圧師がおこなう指圧は素人がおこなう誰でも出来る指圧とは、

根本的にまったく違う。

とくにプロの指圧師のなかでも鍼灸指圧師の資格を持ち、

開業後25年間、ずっと指圧をやめないで続けてきた

わたしのような者がおこなう指圧は素人とは雲泥の差がある。

普通は鍼灸師の資格があれば、だいたい指圧はやらない。

それは鍼灸の方が効率的に患者をこなすことができるからだ。

ある意味、鍼灸という道具を使うということは、

オートメーション化、機械化の流れに近い。

ツボ学や経絡学はこうした東洋医学の効率化に都合の良い理論だった。

それゆえに緻密にツボや経絡の物語りが作られた、と私は見ている。

そんな高尚な理論を通して人体を見ない、最初期の原初の鍼灸指圧は、

人体とダイレクトに対峙し、患者の体壁筋肉系と治療師の指の

直(じか)の対話を通して、治術がほどこされた。

理論を通して人体を見ることは、すでにそこに偏見が生じてしまう。

人体は理論でも理屈でもない。

人体とは理解不能な摩訶不思議なカオスにしてコスモスでフラジャイルな躍動だ。

その柔らかい平衡の世界に、固くて窮屈なフリーズした理論を押しつける。

命の本質を見失うに決まってるだろうが。

そもそも命が何たるか?など人智では理解不能なのだ。

畏れと慎みをもって、心をまっさらにして、かしこみかしこみ、指をタッチする。

このような命への畏敬の念をもって人体を触れた時、

人体という命はその不可思議なありようを垣間見せてくれる。

治療師が治すのではない。患者の凝りが勝手に患者自身を治すのだ。

治療師が出来ることは、患者の凝りのなかにひそむ命の復元力を引き出すこと。

患者の凝りに自発的な運動を引き起こすためには、

ただ押すだけのサルでもできる指圧では無理だ。

患者の凝りに自発的な運動を引き起こすためには、

それ相応のテクニックが要求される。

凝りが自発的に動くためには最低でも15分間の入力タイムが要求される。

この凝りを動かすためのアイドリングの時間の必要性を説いた指圧師は、

恐らくはわたしが最初だろう。

オレ竜指圧が完成するまでに足かけ27年間もかかっている。

だからこそオレ竜指圧には価値があるのだ。

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2016.08.24 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

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