竜の教え 6

本来は特殊な感性を持った者にしか、わからないものだった。

しかし、その特殊な感性を持った者は特殊ゆえに余りに数が少ない。

では普通の能力の者の中から、そうした特殊な感性を開発すればいい。

ではいったいどのようにしてその特殊な感性を持つ者しか知り得ない世界を

普通の能力しかない者に教えたらいいのか?

そうして気がついたのが、共有できるシンボルが必要ということだった。

もしも今から2300年前に中医学を生み出した鍼医たちが、

人体に流れる命の息吹を竜のシンボルで定義すれば、

今わたしたちが気と呼ぶものは、竜と呼ばれていたかもしれない。

中国的な宇宙観に合致する気という用語が中医学にも適用されたことは、

果たして良かったのか、悪かったのか、いまのところは私のなかでは

まだ結論は出ていない。

しかし、気という用語が選ばれたのは偶然にして必然であったと思える。

文字はシンボルに過ぎない。言葉もシンボルだ。

だから気が体内を流れる、といった時、

それは気が体内を流れることを意味するのではなく、

気という漢字シンボルに仮託した何らかが体内を動く、と

本来的には正確に認識しなければばならない。

それなのに、なぜか気という言葉がとっくに一人歩きを始めている。

気があるのか、無いのか?の論争を始める前に、

こうしたシンボルとしての文字問題をよく精査すべきと強く感じる。

気のようなもの、を感得できる特殊な感性を持つ者は多くない。

またその特殊な感性を持つ者が感じている気のようなものも、

全部同じものとして扱っていいのかどうか、もわからない。

ある者が感じている気と、べつな者が捉えた竜は、

もしかしたら何の関係もない別物の可能性だってある。

あやふやで混沌としたものを、

ある漢字シンボルに定義するということは、

本来のフラジャイルでカオティックなフォルムを、

漢字というソリッドなフォーマットに固形化してしまうことを意味する。

固形化された文字をいくら文字上で追及しても、

二次元の文字世界でシッポを追っかける虎がバターになる愚かさと同じだ。

二次元はあくまでバーチャルな二次元でしかない。

本からの知識、ネットからの情報収集、これらもまた

バーチャルな二次元バターでダンスを踊る愚だ。

本当に追及すべきはリアルな実体という生きて動く生身の三次元にある。

生身の三次元で身体を動かさず、汗をかかず、患者を触れることすらしないで、

凝りの何がわかる、というのか?

バーチャルなネット界隈にはバターダンスなコピペの王様はいても、

リアルに汗をかく三次元の修羅場をくぐりぬけた血と汗の結晶のような

コンテンツを書く泥臭いヤツは本当にまれだ。

私はコピペなしを信条とする。

コピペは体験のない者がコケオドシで使う詐欺師の門構えだ。

だからコピペの王様が大嫌いだ。

どこもかしこもネットはコピペばかり。

みんなネズミ講の一員かい?

ということで、伝統を裏切るということは、

伝統のコピペを止めることを意味します。

一度、これまでの伝統用語を断ち切り、

真っ白にして、自分が感じたありのままを描き出してみる。

伝統用語は過程では使うが、最終的にはすべて自分オリジナルの言葉で、

論説を構築する。

その先に「凝り竜直伝オレ流東洋医学」が立ち上がってくるはずです。

肩の肩井(けんせい)は天の竜が棲む名所、

だから新しくオレ流に天竜穴(てんりゅうけつ)と名づけてみたい。

足の三里(さんり)は地の竜が棲む名所、

だから新しくオレ流に地竜穴(ちりゅうけつ)と名づけてみたい。

天竜と地竜と来たから残るは人竜(じんりゅう)か?

人竜穴(じんりゅうけつ)は腰にあり。

次回はこの人竜穴にスポットを当てます。

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2016.08.11 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

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