800年の時を越えて

「心光 自ら発すれば誰か能く障(さえぎ)らん」『剣南詩稿』




リッキーほどの養生家になると、もちろん気功的な学問もよく学んでおり、

踵息法(しょうそくほう)のような呼吸術、バイオフィードバック操作も

自家薬籠中のものとしていた。そうした身心の修練を積むなかで、

それまで経験したことのないような何らかの神秘体験もあったようだ。

この冒頭の詩句にある「心光」を「こころの光り」と、

抽象的に文字通りに解釈することは普通人の良識だ。

しかしこの「心光」を「自分を中心にして発する光の放射」と、

解釈すると、かなり様相が異なってくる。

みずからが光りに包まれたり、みずからが発光体になる、

という経験をわたしも何度か体験している。

一度目は初学の頃、盲目の師匠に鍼の手ほどきを受けていた時に、

光りのミストが降臨した。

二度目からは我が治療院で患者を鍼治療している時に、

明滅する光りを凝視した。

いったいこの光りは何なのか?

いまのところそれを知る手がかりはない。

南宋の官僚にして詩人、そして養生家であった陸游(1125〜1209)が

捉えた「心光」が、果たして自分がみた光りと同じものであったか

どうかは不明だ。

ただもしも同じ体験であったなら、なんとなく嬉しい。

800年以上前の反骨の為政者であったリッキーが、

800年以上後のアヴァンギャルド鍼灸師であるハリィーと、

光り体験を共有する。

800年の時を越えて、今、リッキーとハリィーの

生命観、養生観の境地が、ハーモニーを奏で始めています。






古典を紐解き、超斬新に今風に解釈する。

こうした新しい試みは、なかなか面白いものです。

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2016.05.29 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

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