手の内 12

はい、本日は本業が休みの日なので、2本目の記事を書いてみます。

ちょっと、ここんとこ、脳端末に天から降臨しているキーワードが

「ものがたり」

漢字で書くと「物語り」

カタカナで書くと「モノガタリ」

はい、当たり前(笑)



英語にすると「フィクション」なんてのが、良さそうで、

科学的に言うと「仮説」なんて言い方がイイかも。




そう、ようはね、科学の世界では定説の99%は仮説、と言われる通り、

世の中の定説や常識は基本的に仮説であって、常に暫定的な説に過ぎないわけです。




ですから、ある日、突然にこれまで信じていた定説が、コロッと180度、横転して、

天地がひっくり返るほどの概念転換、パラダイムシフトが突然に起こったとしても、

何の不思議もない、それが当たり前、常態の世界に、本来、わたしたちは生きているのです。




でも、そんなフラジャイルな安定していない概念世界で生きていると思うと、

よるべない不安に常にさいなまれることになるから、

みんな、いちおうは、今の定説は

コレコレでチャンチャンのコンセンサス(同意)

ということにしておきましょう!

の予定調和の世界で安心して生きているわけです。





だから、例えばある定説があったとしても、

それはあくまで今だけ限定の、限定定説であって、

永遠の定説、定番定説というものはあり得ない、

ということはよくよく、わかっておいたほうがイイのです。




だいたい定説を主張したところが、

それは基本的に

「オッカムの原理」と

「参加型人間原理」の

2つの原理に従った、

そこだけに存在する定説に決まっているのです。



「オッカムの原理」は、ひらたく言えば、

今、ワッチが注目している事以外は、全部スルーね、という態度を指しており、

また「参加型人間原理」は、自分が観察する対象は、観察するがゆえに存在可能だから、

自分が観察する対象以外は、ないも同然、なんて強引に言い換え可能な論理的態度を言います。




まあ、この2つの原理は、はやいはなし、非常にエゴイスティック、傲慢な態度と言えます。

でもコレコレシカジカのある説を主張するということは、

基本的に自分の説、自説、を押し出していかねばならないわけで、

オッカム野郎&参加型人間でなければ、

とてもじゃあないけど、説の主張などできません。





でね、いったい、休日の2本目の記事でアタシは何を言いたいのか、というと

この世には膨大な定説が存在するけど、

どんなモノを信じようが、信じまいが、この宇宙は淡々と動く、という事実は

誰もが認めることだろう、なんてね。



まっ、人間はさ、考える葦らしいから、とにかく次から次に無駄な事を考え続けるもの。

でも、たまに、そんな考える葦役がバカらしくなる時があって、

そんな時は、ただボーッとして、老荘思想の坐忘(ざぼう)の境地に浸って、

ザボーッと、いや、ボーッとするのも、悪くないぜ、

なんて無為自然の勧めなんて事を言いたかったわけでもない(笑)





そうそう、ここんとこ、気になっている気というモノについても、

いっぺん、まっさらな視点で問い直すなんてのも、

オツだよね、なんて事を言いたかったわけでもないし、

う〜ん、なんだっけ、そこのアンタ、

アタシが言いたかった事、なんだったか、知らないよね?(笑)




うん、なんとなく、思いだした!



つまり、今回のトリアル・イレブン、

なかなか、自分的には斬新な気論だと自負している。

シンプルに宗気と水穀の気をピックアップして、

生きるために必須な所作である呼吸と食事が気なんだよ、

なんて初耳だと思うけどね。




ということで、そうだ、

オレ流の気モノガタリ、

が、うまい具合にできつつある、

と報告したかった事を

今、思い出しました。






新しい気モノガタリをつむぐこと。

これも私の使命です。

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2015.12.14 | | コメント(9) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

コメント

そこのアタシ

今さん名前つけるの超得意ですもんね!
最近では「七つのスターツボ」物語。
ハナオカや仙のしたや膝カックンの活躍が目に浮かびます。
あぁ「G返しへの恩返しの巻」でしたっけ?がはやく読みた〜い(^^)
昔むかしある処におGさ……ムニャムニャ…
おやすみなさい。

2015/12/14 (月) 16:30:07 | URL | 中尾勇人 #- [ 編集 ]

ザボーなアタシ(笑)


が、最近のアタシのトレンドです!

中さん、うまいっ、一本!

「七人のツボ」は、どうっすかね?

思いっきり、黒澤のパクリ(笑)

いま、地球人類に必要なのは、ユーモア文明なのかもね。

ダッセー戦争文明なんか、とっとと卒業して、

毎日、ゲラゲラ、笑って過ごせたら、

病人は半減するでしょうね。

新しいモノガタリが、そこかしこで、芽吹く。

そんな次世紀であって欲しいです。

いや、そんな次世紀を皆さんと共に、引き寄せましょう!

2015/12/14 (月) 19:09:55 | URL | 今村光臣 #- [ 編集 ]

きのうの寝る前

手の内 12の後半でくすくすと笑い、こころがほぐれてよく眠れました。
⎡七人のつぼ⎦最高です!今さん演じるならどれ役?

2015/12/15 (火) 01:02:42 | URL | 中尾勇人 #- [ 編集 ]

う〜ん


やっぱり、カンベエか、

ゴロベエか、

リキチあたりかな。

いや、新キャラ追加で、

ハリベエか、

ハリキチでも(笑)

2015/12/15 (火) 07:29:47 | URL | 今村光臣 #- [ 編集 ]

にゃははは。

仕事できそう。シャープなハリキチ。

2015/12/15 (火) 13:52:19 | URL | 中尾勇人 #- [ 編集 ]

こんにちは。
私も、その視点はものすごく大切なものと思います。

巷にあふれる言説のほとんどが、
科学がほぼすべて仮説であることを前提にして話されていないことが、実に人間を盲目にしていると私も強く思うのです。

あらゆる説が、5年後には、全然違う説にとってかわるのに、なぜか人は、今度こそはそれが正しいと、健気に信じ続けてしまうのですから。

それなので、私は、科学を信じるのは信仰とかわらないほど、恣意的であると、考えているのです。

2015/12/17 (木) 21:14:10 | URL | akechi #- [ 編集 ]

健康教


akechiさんが御自身のブログ「ポジティブNEWS」で、

今、ホットなネタとして話題にしている知識のレベルと存在のレベルのお話しとも、

シンクロしてくるのかもしれませんが、

知識のレベルはたぶん、モノガタリのレベルと言い換えることができますかね。

モノガタリは所詮はモノガタリであって、まったく必要がないわけではないけど、

それは常に流動的でフラジャイルである、ことをまず認識しなければいけないということです。

それでモノガタリの背後には、どっしりとした存在がある。

よく人との出会いにおいて情報伝達が言葉を介さないで、瞬時に大量の情報が、ある者からある者にダウンロードされインプットされる、

なんて言いますが、

これが徒弟制度における教育の素晴らしさ、と言えましょうか。

こういう言葉を介さない情報伝達には、恐らくは気のような情報分子が媒介物として機能していると私は推測しています。

師から弟子へと、徒弟制度により、連綿と情報をつないできた日本鍼灸も、実は明治維新でその伝統の系譜はいったん、破壊されています。

今の古典派鍼灸は、過去の記憶をたどり、伝統を再生産する作業の中で、新しい伝統を生みだしていると言えます。

元来、歴史が浅いジャパン指圧は、伝統にするまで、まだまだ時間がかかります。

せっかく日本で独自に花開いた指圧術が、伝統の土俵にもっていく前に滅びることだけは、なんとしても避けたいです。

健康に関しても、膨大なろくでもないモノガタリが、そこらじゅうで語られています。

そもそもヒトは72億人72億様、でひとりひとり、まったく異なるDNAを有し、指紋ひとつ同じものがない、独自のアイデンティティーをもった個性のかたまりです。

ですから、体質もすべて異なる。

つまり命は72億もの多様性がある。

そんな命のありように、ある一定のなにがしかのメソッドをあてはめても、それがその命に適応するかどうかは、博打と一緒で賭けです。

一か八かで、やってるのが健康法や医療です。

極めて曖昧な世界が医療や健康ですが、考えてみればこの宇宙だって、まだまだ曖昧で、

4.9%の物質を除く、残りはほとんどがダークエネルギーとダークマターの未知なるモノで占められていますから。

フフフ、ようは、よくわからん世界で、勝手なモノガタリを作って、わかったふりをしてヒトは生きているんですね。

健康である事が正義の世界ってのも、なんだかけっこう気持ち悪いですけどね。

健康とかそんな事を気にしないのが、いちばん健康だったりしますし。

なかなか、難しいです(笑)

2015/12/18 (金) 05:55:02 | URL | 今村光臣 #- [ 編集 ]

今村様、

返事が大変遅くなってしまいました。ここのことろ、返事を書こう書こうと思っていつも気にしておりましたが、何せコンサートの多い時期で、移動が多く、10分を見つけて自分のブログを更新するので手一杯でした。

昨日はパリの、シャンゼリゼ劇場でしたが、楽しかった!


そう、師弟関係の記事を書きながら、きっと今村さんの学んだ形もそうだったんだろうなと思っていました。
ただ、私は、針灸師の個人的な知り合いを今まで持っていなかったので、「料理人」と一緒に「針灸師」とは書かなかったのです。

我々クラシックの音楽家も、かろうじて、徒弟制度のような古いタイプの教育制度の中で勉強します。そして、今村様もおそらくそうであるように、職業としてやっていくようになってから、さらに、存在レベルをさらに、他から吸収していく過程が、続いていきます。

達人の域の指揮者の音楽を、その存在を通して、段々に自分の中に芽生えさせるというような感覚があります。


この感覚、誰かの存在を通して吸収するという感覚は、世の中にで成功をおさめたような人間はみんな持っている筈だと思うのですが、なかなか意識的には感じ取っていないのは、それを語る用語が普及していないからなのではないかと思うのです。

だから教育制度を語る時には、結局、例の「学ぶ」という薄っぺらい概念で、言ったことをまるまる信じて、頭に入れることをすることに、社会全体が疑問に思えないのだと思うのです。


そういうわけで、これの語り口がどうしても欲しい。
あまり想像が出来ない人にも、明らかにわかるような形で語れて、用語化が一般にも進めばいいのに、と思うのです。

2015/12/20 (日) 01:01:17 | URL | akechi #- [ 編集 ]

暗黙知 身体知


うちら業界では超有名人の鍼灸師&鍼灸ジャーナリストの

松田博公(まつだひろきみ)さんが書かれた

「日本鍼灸へのまなざし」

という本がございます。

この本のなかに、今言っているような徒弟制度における情報伝達と、

教会における布教のシステムを流用したベル・ランカスター方式の学校教育の違いについて、

明確な指摘と論評がなされております。

1対多の学校教育と、1対1の徒弟制度では、たしかにいろんな面で異なります。

とくに徒弟制度では、師匠や兄弟子たちの「技を盗む」、ということが学びのキホンとなります。

盗むというと、なにか良からぬ事のようですが、やはり盗むことで自分のものにしていく、という感覚はよくわかりますね。

カラダにしみ込ませて覚える知を身体知(しんたいち)、

言葉で言い表すことができないが、確実に感じている何らかの知を暗黙知(あんもくち)、

とそんな風に呼ぶようです。

徒弟制度において師から弟子へと伝達される知、情報の多くが実は暗黙知や身体知のたぐいなのではないでしょうかね。

こうした言葉を介さない知を、上手に摂取できる柔軟な思考パターン、身体組織を身につける教育がなされることは、望ましいことですね。

手の内から、こぼれおちる手の内のさらに奥にある知もまた、

暗黙知、身体知のたぐいと思われます。




akechiさん、クリスマスシーズンはコンサートシーズンで、

精力的に舞台に立たれているお忙しい最中にお返事を頂きまして、

ありがとうございます!

2015/12/20 (日) 06:32:52 | URL | 今村光臣 #- [ 編集 ]

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