手の内 5

いわゆる指圧「しあつ、SHIATSU」という呼称が正式にここ日本国で人口に膾炙し始めたのは、

大正末期と言われております。

ですから、指圧の歴史はまだ100年あるかどうかというところ。




つまり指圧は東洋医学2000年の歴史のなかでは、極めて先端的で前衛でアヴァンギャルド、

アンデパンダンな術と言えます。

歴史が浅いぶん、まだまだ、幾らでも自由に変革する素地が残っているのです。




そんな開拓すべきフロンティアの地平が広がる SHIATSU の世界に、

なんと、こんなヘンテコおやじの、不思議好きのハリィーとか抜かす鍼灸指圧師がどっぷりと魅せられた。




偶然にして必然、シンクロにして共時性、暗在系にして明在系、なこの

ハリィーと指圧の奇跡の出会いが、

今後、どんな風に発展していくのかは今世紀最大の見物でしょう(笑)





さすがに浪越徳治郎先生も、指圧と気を関連づけての論説は、

それほど展開できなかった。

指圧と気との歴史がまだ成熟していなかったからね。

ここ20年で「気と関連する指圧」の歴史は厚みを増しました。




エッ、たった、20年で気と指圧の歴史が厚みを増したって?

はい、だって、アタクシ、アヴァンギャルド鍼灸指圧師ハリィーがね、

ひとりで踏ん張って、指圧と気の歴史をスーッと100年くらい進化させてしまいましたから(笑)





まあ、アレだよね、こういったある術の進化というものもさ、

クォンタム・ジャンプ!!!

量子論物理学の素粒子と同じような振る舞いである粒子性と波動性の、

ジーッ ポンッ ジー ポンッ の

量子跳躍と同じような動きをするんだよ。






一点集中でひたすらジーッとその技、その道を追及していると、

ある日、ある時に、突然にポンッとある髙みへと舞い飛ぶ瞬間が来る。

エンライトメントな瞬間だね。

悟りとも言うけどね。




ただ、悟ったと思うと、またスグに曇るのも事実。

そんな悟りと曇り、覚醒と迷い、のくんずほぐれずのプロレスの果てに、

だいたい、こんな感じだろうという、侘びさび、枯れの世界に到達する。





そうなると、もう気だの、パワーだのと、いちいち区別せずに、

あるがまま、ありのまま、なるようになる、の治療の場へと到達する。




治療の場に、気が来ても来なくても良し。

ならば、気を追い求めなくて良し。

いっそ、パワーだけで良し。

でも、マジメにやることをひたすらやる。





そうするとね、なんでか、知らないけど、

常連さんから「今まで感じたこともないほどに、気持ちよかった!」

なんてお褒めの言葉を授かるんですね。






こだわり、を捨てる。






たった、これだけの事を学ぶのにも、20年以上を要するんですね。







アレッ、さっき、言いたかったことは、こんな内容じゃなかったのに。

そうそう、気は俺が操作できるわけではなくて、


勝手に気と気がやり合うから、ただ俺はそれを見つめているだけの、

丹下のオッチャンの心境だ、という部分をもっと膨らませて記事を書く予定が、


なんでか、悟りだのという、そんな大それた内容の記事になってしまった。


まさに、降霊的なオートマティック・ライティング、

自動書記。


浪越先生か、増永先生か、間中先生のスピリットが、肩に乗っかってきたか?(笑)




指圧界の次代を背負って立つのは、

もちろん、アヴァンギャルド鍼灸指圧師、もとい、

フィンガーファイター、もとい、

イタキモ・フィンガー・レスラー・スコーピオン・ハリィー

でやんす。


リングネーム、長っ(笑)

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2015.12.07 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

コメント

何かその感じわかる気がいたします。

我々もオペラなど、舞台で演じる時には、
特別に気のことだとか、感情移入だとかそういうことはしないのですが、注意力と意識を使って、ある身体ポジションをとり、ただ、微動だにせず、そのポジションから、別のポジションにいく連続動作をとることによって、舞台上で格段の存在感を出す事が出来るのです。

そのような歌手は特別に何か「演じる」動作をとらずとも、立っているだけで場が持つとされ、演出家に喜ばれます。(笑)
そういうのは、多分気が出ていると解釈できると思うのですが、本人は、ただ意思の力を使って身体ポジションをとって、微動だにしていないだけなのです。(例えば悲しんでいるような身体ポジションだとか、誇りに思っているようなポジションとかです)

感情移入もしていないし、自我も完全に普通の冷静な自分なので、そこから、いろいろなことが出来ます。

2015/12/07 (月) 10:34:09 | URL | akechi #- [ 編集 ]

はい、その感じ、ちょっと、わかります

akechiさん、

場が持つ、ってイイ表現ですね!

その場について、次ぎの記事でちょっと触れます。

東洋医学は気の医学、なんで気を語るのは、当たり前。

いや、気を語れて当たり前。

でも、この気があるから、実は東洋医学の一般化が出来なかったとも言えるのか!

とハタと昨日、気がつきました。

つまり、今後は気を語る東洋医学と同時に、

気を一切語らない新しい東洋医学というジャンルも付加し、

気を現代科学と整合性を持たせて語るチャンポン路線の、

3つの東洋医学カテゴリーが作れる、と私は発想しました。

自分はその3つのどれにも対応できるようにしていきます。

舞台は、なにか特別に神聖な場と言う気がしますね。

2015/12/08 (火) 05:39:00 | URL | 今村光臣 #- [ 編集 ]

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