道を遊ぶ 14

「日本人が素早く稲妻のように素早く、デッサンするのは、神経がわれわれより繊細で、感情が純真であるからだ」第620信


「日本芸術を研究するとあきらかに賢者であり、哲学者で知者である人物に出会う。その日本人は何をして時を過ごしているのだろうか。科学でも政治でもなく一本の草の芽を研究しているのだ。まるで自分自身が花であるかのように、自然に生きる。こんな単純なこれらの日本人が教えてくれるものこそ、まずは真の宗教ではないだろうか」
第686信







これは「炎の人」と形容されることが多い後期印象派(1880年〜1900年頃)を代表する言わずと知れた画家ゴッホが、4歳年下の弟テオに宛てた902通の手紙の一節である。

わたしはゴッホの研究家でも、美術史家でもなく、ただほんの興味のおもむくままに万事万物をいじくるだけの

一介の鍼灸指圧師に過ぎませんから、ゴッホに関して一家言を有するわけではないことをまず強調しておきます。

それで実は少し前はゴッホの絵もそれほど好きでもなく、ゴッホ本人に関してもゴーギャンと仲違いしての「耳切り事件」や、その後、37歳にしてピストル自殺して生涯を終えるといった鮮烈な人生のイメージが強く、

つまり「炎の人」という意味不明なレッテルのせいで、ゴッホを固定的なイメージで捉えて忌避していた時期が長くありました。

しかし、ある時に冒頭の「ゴッホの手紙」に書かれた日本評を読み、かなりの衝撃を受け、またゴッホ研究の第一人者たちの言説に触れるにつけ、自分がイメージしていたゴッホ像がまったく当を得ていない事を知り、

ゴッホの何たるか?を少し調べると、ゴッホの生き様が凄まじいものとなって私に迫ってきました。

でね、ようはゴッホを見直して、けっこう好きになったというわけです。





べつにゴッホって天才肌じゃあなくて、最初の頃のデッサンなんて余りにヘタで悪いんだけど、才能ないんじゃね?

だったのが、ミレーや名だたる画家を徹底的に模写して真似して、自分のスタイルを模索探求する中からあの独特のタッチの世界を作り上げたんだよね。

だからゴッホは「炎の人」じゃなくて「努力の人」だったんです。

その努力の過程でゴッホは日本版画に出会い、どうも浮世絵から多くのヒントを得たようです。





ゴッホは浮世絵を通して日本を観察し、日本を「神の住む国」と捉え、日本人の感性を絶賛しているのです。

いや江戸期の日本人はそりゃあ、世界中に文化のタネを播いた偉大なる文化人だからその評価は正しいけど、

今の日本人は、いまだに原発に固執して、なんとまたぞろこの期に及んで原発を再稼働するテロな暴挙に出ているんだから、

ほんと、参っちゃうよね!





ゴッホさん、ゴメンね、あなたが愛した日本も、日本人ももう存在しないに等しい。

日本は原発まみれ、放射能まみれで、まるで自分自身が集金マシンのように生きる者ばかりの国に成り下がってしまったんだよ。

ほんと、そういう責任は全部、おれら今を生きる日本の大人の責任なんだけど、

この責任を引き取って、原発ノー、核兵器ノー、を貫くことができる大人は微々たる少数派でしかないんだ。

でもね、ゴッホさん、あなたが愛した古き良き江戸日本を取り戻そうとひそかに願い、地道に啓蒙活動をする者もまたいるから、

まだまだ、あきらめないでください。





「科学や政治を追及するのでなく、まるで自分自身が一本の草や花であるかのように自然に生きる日本人」

ゴッホさんのこの日本人の評価は本当にビックリする程にありがたいと共に、

原発を再稼働させている今の日本人にはとてつもない厳しい皮肉です。

一本の草も一本の花も、一匹のセミもみんな共に日本列島に生きる友達、仲間じゃねぇかよ〜!




「経済やカネモウケを追及し、まるで自分自身がカネゴンであるかのようにエゴイスティックに生きる日本人」

そんな日本人が増えてしまったことが、フクシマ事故の真の原因だったのではないでしょうか?





フクシマ事故が突きつけた真実は非常にシンプルです。

世界で起きるマグニチュード6以上の大地震の22%、5分の1が常態的に発生する地球表面の0.28%の日本列島において、

原発を動かせば必ず地震によってステーションブラックアウト(全電源喪失)に至り、配管が金属の弾性限界を超えてギロチン破断し、

かならずまたフクシマと同じ放射能・大放出・事故が起こる、という予後予測です。

誰がどう考えても、3.11後の日本で原発再稼働はありえません。

なぜ、正論が通じないのか?





ゴッホが愛し尊敬した「神経が繊細で、感情が純真である日本人」は

いったいどこへ消えてしまったのでしょうか?







ミンミンゼミの鳴き声ってほんと味があってイイよね。

スポンサーサイト

2015.08.16 | | コメント(9) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

コメント

蝉の鳴き声

私は今、信州安曇野で休暇を過ごしています。ミンミンゼミの鳴き声良いですよね。懐かしい。私は新潟出身で現在大阪に住んでおります。大阪はクマゼミの鳴き声がうるさい、うるさい。 シャンシャン(ガシガシ!?)と。

2015/08/16 (日) 10:51:33 | URL | こすもす #- [ 編集 ]

まるで琵琶の音色?

こすもすさん、どうもはじめまして。

ミンミンゼミの音色はまるで琵琶の音色みたいな不思議な波動です。

それが聞けるのも、今年も残りわずか。

そろそろツクツクボウシの鳴き声が待ち遠しいです。

2015/08/16 (日) 19:48:42 | URL | 今村光臣 #- [ 編集 ]

ひとりごと

原発を稼働するということは、つまりはあの高い煙突からフィルターで除去できないクリプトンやキセノンやヨウ素などの放射性希ガスが、風向きをみて排気されて、

原子炉を冷やした冷却水が温排水という汚暖水になって海に垂れ流しになって、海水温が上昇して周辺の海域の海産物の生態系が破壊される、ということ。

つまり原発は事故など起こさなくとも、常に稼働する限りは大気と海洋を放射能で汚染しつづける。

はっきりいえば原発の通常運転時における放射能汚染はほとんどの者がスルーするがゆえに、

この通常運転における放射能汚染こそ最も悪質な「未必の故意」による常習犯のテロ犯罪と言える。

未必の故意とは、これを放置すればもしかしたら被害者が出るかもしれないと知りながらも、それを防ぐ対策を講じないこと、を言い、

過失よりも重い故意による犯罪として重罰が待ち受けている罪深い所業を言う。

でもほんと、みんな鈍感というか、この国のエリートとか、医療に携わる人間たちの余りのデリカシーの無さに、もう言葉はありませんね。

事故など起きなくても原発は常に未必の故意のテロ装置であり、病原装置。

原発のせいでどれほど人々が汚染され、空が汚染され、大地が汚染され、海が汚染されてきたか。

なぜ、再稼働なんかしやがった?

なぜ、日本の医療人は再稼働の動きにガツンと反対しない?

まったくオレには今のこの流れがわかんねっ。

2015/08/16 (日) 21:41:41 | URL | 今村光臣 #- [ 編集 ]

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2015/08/19 (水) 14:10:25 | | # [ 編集 ]

感激しました。いい言葉ですねぇ。

最高な褒め言葉ですよね。

残念ながら、そのような日本人を美徳として捉えることが出来る文化自体が今現在、日本だけでなく、世界中に存在していないと感じます。
逆に言えば、当時はヨーロッパにもそのように敏感な人たちがいたのだという言い方も出来るような気がいたします。

そして私自身もつい5年も前まではその「政治や科学」なんかにうつつを抜かす考え方の真っ只中にいました。
そんな自分を反省できる今は、それだけで「よかった」と思いますし、

これから先、「まるで自分自身が花であるかのように、自然に生きる」日本人になっていきたいなぁと、強く思いました。

2015/08/21 (金) 01:54:29 | URL | akechi #- [ 編集 ]

「逝きし世の面影」

akechiさん、素敵なレス・コメントを頂きまして、いつもありがとうございます。

歴史家というよりも思想家と呼んだ方がふさわしい渡辺京二さんの名著中の名著に

「逝きし世の面影」

というタイトルの分厚い本がございます。

この本の内容は、江戸期や明治初期に来日した欧米人の滞日記をつぶさに拾うことで、

当時の日本や日本人が、いったいどんな風に諸外国の人々から思われていたのかを浮かび上がらせて、

そのことにより、果たして近世以降の近代化とは何だったのか?

の反省熟考を迫る日本を憂う者、必読の書となっております。

この本には、日本に滞在したモースやレガメなどが、日本や日本人を愛し、絶賛している記録が随所に登場します。

江戸日本の素晴らしさ、こそが実は日本のおもてなし文化のベースであり、

また東洋医学が独自の発展を遂げたのも江戸期の洗練された文化があったからこそなのです。

ゴッホやモネ、ルノワールらは印象派としてくくられますが、

正式にはヤパン・インプレッション派であり、もしも日本語に訳すのなら、

日本主義、日本版画派、日本浮世絵派、

が正しいのです。

そのくらい浮世絵が当時のヨーロッパの画家や知識階級に与えた印象は鮮烈だったようです。

また江戸期に来日した欧州人は、日本の民衆が自由を謳歌していることを見て取り、

その後の欧州の民主化運動を先導したと言われております。

ゴッホは、余生をあの「タンギー爺さん」の絵のなかの爺さんのように、

浮世絵に囲まれて暮らす夢を抱いていたのでは、と想像します。

そのゴッホが恋いこがれ、憧れ、夢にまで見た我が日本をとことん

汚染しまくった犯人は他でもないあらゆる物事の本質に無関心であった自分であり、

その他、大勢の大人ではないか?

と猛省しきり、でいてもたってもいられずに、こんなブログを書いてるのかもしれません。

2015/08/21 (金) 03:35:46 | URL | 今村光臣 #- [ 編集 ]

逝きし世の面影これは、面白そうですね!
Kindle版で出ていたので早速購入してしまいました!

Kindle japanはすごいっす、海外在住の者にとっては僥倖ですよ。これを買うほんの2年ほど前までは、本の注文に1ヶ月以上、2倍から3倍の値段がかかっていたのですかが、今では一瞬にして衝動買い、しかも普通は紙の本より20%オフぐらいですから。

無駄話をしてすいません。


猛省かぁ。私はいつも芸術家として社会の外側にいて、人を責める立場をとっておりましたが、もう、40歳にもなりますと、いろいろな社会問題が自分の、また自分たちののほほんとした生活や態度のせいだということになって来てしまうのですね。身につまされる思いです。私も責任ある行動をとれるようになりたいものです。

2015/08/21 (金) 22:46:58 | URL | akechi #- [ 編集 ]

芸術家こそが世界文明を牽引するメディア

akechiさんはフランス在住の声楽家でいらっしゃいますから、

実物の日本版の本を入手するには相当の手間暇がかかるのですね。

でも、今やネット時代で、便利な手段をもってして、こんなフットワークの軽い入手が可能で、

イイ時代といえばイイ時代なんでしょうね。




「逝きし世の面影」は絶対に読んで損をしない、とても素晴らしい内容ですから、

是非にじっくりと渡辺節を味わってください。

江戸日本と日本人の本性を知ることで、新たな日本人の誇り、矜持が読む者にダウンロードされて、

欧米礼賛の明治以降の教育で植えつけられた意味不明な欧米コンプレックスが一掃されて、

新たな日本人としての誇りが芽生えること必至です。





忌野清志郎も黒澤明も手塚治虫も、アーティストであり芸術家で、

彼らはその鋭敏な感性でとっくに原発の危険性を必死に訴えてくれていたのですが、

愚鈍な大衆は一向に彼らの声に耳を傾けてきませんでした。





芸術家こそがやはり文明の舵取りにふさわしいと私は考えます。

今から500年以上前にダ・ヴィンチやミケランジェロやラファエロらが

ルネサンス運動を牽引し、神にまつわる宗教的な教義に支配された社会を

人間中心の社会に変革しました。





これだけ混迷をきわめる今という時代だからこそ、自然と共生する人間復興のルネサンス運動を展開する必要性をひしひしと感じます。

akechiさんのような芸術家が果たす今後の役割は実に重大ですよ。

むろん、自分もこの養生文明ルネサンス運動を牽引するつもりです。




先日、伊勢に一泊二日の旅行に出掛けてきました。

どこもかしこも実に自然が豊かで美しい伊勢や鳥羽の風景に

本当に感動いたしました。

フェリーの海上から見た海にスポットライトのように雲間から当たった光りに、

なにか言いしれぬ自然からの啓示を受け取った気がいたしました。

海のうねりの中で、まるで巨大な生き物そのものである海に揺られて、

この海に勝とうと防潮堤などを築いていまだに原発を再稼働しようとすることが、

いかに愚かで、はかない無駄な挑戦なのか、イヤというほど感じました。




ヒトも自然の子です。

自然という父母になぜ刃向かうのか?

まったく現代人は天人合一の絆を忘れています。



ゴッホが愛した日本と日本人の復興、

自然と共生する養生文明ルネサンス、

そんなキーワードをもとに生きることが、

残り半生の重大目標になりそうです。

2015/08/22 (土) 02:10:58 | URL | 今村光臣 #- [ 編集 ]

芸術家こそが世界文明を牽引するメディア
まさにそういうことなんですよね。

そして今は本当に新しい「生き方」をみんなで打ち立てて行かなくてはならない時代。
ルネッサンスという言葉は、私も今年の頭ぐらいにひらめいておりました。
まさに、ルネッサンス(再び、生まれる。生まれ変わる)時代が開こうとしているのだ、という感じがしていたのです。

そして、開いていうのが我々なんですから、興奮しますよね!
あくまで、今村様がされるように、私も草の根的に自分の周りから新しい生き方を実現して行きたいと思っておる次第です。

本、少し読みましたが、これはすばらしそうですね!エドワード・サイードのオリエンタリズムにトンチンカンに共感する80年代の日本文壇への批判。まったくおっしゃる通りだと思いました。かっこいい。。

2015/08/22 (土) 05:32:44 | URL | akechi #- [ 編集 ]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

«  | ホーム |  »

プロフィール

kouhakudou

Author:kouhakudou
FC2ブログへようこそ!

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR