気を観る 16

「養生アルカディア 凝りを巡る哲学的考察とセルフケア」vol.2 ←ここをクリック!






ということで、ようやくトリニティウェブにて連載がスタートした

「養生アルカディア」シリーズの第二話がネット上にアップされました。

すでに連載がはじまったあとで何なんだけど、ちょっと、この連載にかける意気込み

みたいなものを開陳しますと、まず連載のお話しを頂いてから、どんな路線で行くか、

でかなり難儀というか逡巡がありまして、ああでもない、こうでもない、と色んな路線を模索しました。

それで最初は超お気楽路線に「ハリィーのアヴァンギャルドな日々」みたいな日記調がイイかな、

なんて思っていたんだけど、どういうわけか蓋を開けてみたら、けっこうマジメというかお堅いというか、ちゃんとした路線になってしまいました。

でも、実はこのタイトル、かなり気に入っております。

だって普通は養生なんて古くさい言葉は、絶対に西洋的な価値観とはなじまないんだけど、

それが意外にもギリシャ神話の理想郷という意味の言葉であるアルカディアとスッと融合していて、

養生アルカディアだもん。かっこイイでしょ? 

フフフ、誰も褒めてくれないから、自画自賛(笑)

あとはサブタイトルの「凝りを巡る哲学的考察とセルフケア」もね、けっこうイイ感じだと思います。

今回から末尾の「について」は省略しました。

それでこの新連載シリーズの意気込みなんだけど、もちろんこれまで誰も語っていない内容を押し出していくことが基軸であり、

また新しい路線を作り出すからには、新しい言葉を造語し、新しいキーワードを創出していくことを念頭において、楽しんで書いていきます。

今回vol.2も前回vol.1も西洋絵画の話題をマクラというか隠し味に使っているんだけど、これはその絵をズバリ掲載すると、より臨場感が増すのはわかっていますが、

絵画引用における著作権などの問題もあり、今回のシリーズでは文字のみの説明となります。

どんな絵かは逐一、検索を入れればネットで詳細部分まで見ることができる時代なので、引用文中の絵画にご興味を持たれた皆様は是非に各自でその絵をご覧になって、

さらに文章や絵を読み込んで頂きますれば幸いに存じます。

自分は小学校の時は図工や美術がけっこう好きで得意な方だったので、それが理由というわけでもないんだけど、雑誌「芸術新潮」を定期購読していた時期も長くあり、

まあ、そんなこんなで美術にもの凄くはまっているわけではないけど、一般教養程度には好きという感じでおりました。

そんな下地もあって、フッと天から「養生アルカディア」という言葉が降ってきた、という次第です。

「画家哲学者」と称されたニコラ・プッサンは

「絵は読まれるべきもの。絵は精神に訴えるもの。眼に訴えるものではない」とも申していたそうです。

なかなか面白い見解ではあります。

そういう意味では文章や文字もまた、ただそのままを読むものではなく、その文章や文字にこめた思いを読むもの、であり、

文章や文字はヒトの精神に訴えるもの、であると言い換えることができるかもしれません。

がんらい、凝りなどという極めて感覚的な治療師にしかわかり得ない感触を文字にしてヒトサマに伝えるなどいう行為は、

これはある意味ドンキホーテ的な無謀な試みなのです。

しかし、自分が知り得た凝りを通した命の世界を、自分のなかだけに仕舞っておいては勿体ないし、こうした経験をヒトサマに披瀝することで、

新しい養生観を醸成していくことはたいへんに意義のある仕事である、と認識する次第です。

そんなこんなで「養生アルカディア」シリーズは発進しました!

第二弾の感触はどんなですかね?

こちらブログは書き殴りというか、思いつきでパッパと思考の流れにしたがって、けっこう適当に書いているんだけど、

今回の連載シリーズは原稿を書いてから、かなりの回数、手を入れて何度も何度も推敲を重ねて修正して、

読む際に読み手の方がどこかで意味が分からなくて、読むスピードが落ちたりストップしたりしないように、

一気にスーッと読めるまで文章を鞣(なめ)してから入稿しております。

サラッと一気に読める文章がうまい文章だ、とはかの時代小説家の池波正太郎先生のお言葉ですが、

もちろん、わたしのような野人がそんな小説家レベルに達することなど到底あり得ませんが、

読み手が楽しんでスッと読める文章を今後も目指してまいりますので、

よろしくご指導、ご支援、ご鞭撻のほど、お願い申し上げます。

いやはや、長いマクラでした(笑)





まあ、アレだね、キリストの奇跡の癒しなんてのは、これは医学的な検証をするとね、ちょっとあり得ないなんて野暮な見解がでてきてしまうんだけど、

それを言っちゃあ、おしまいよ!

なんで、それに近いことはあった、くらいにお茶を濁しておきましょうかね。

だって、脳梗塞の後遺症で半身麻痺になった者が一瞬の手当てで、麻痺が完治して、歩行もできなかった者が歩けるようになる、なんてこれは絶対にあり得ないからね。

麻痺した部分、特に拘縮(こうしゅく)が起こって完全に固まってしまったような部位がいともカンタンに柔らかくなって完全治癒すれば、

それこそ本当に神のレベルのホンマモンのゴッド・ハンドだよね。

でも、それは悪いけど絶対にあり得ないから。

もしも少しでも良くなる、もしくは他の部位の機能低下を防ぐという意味においてなら、これは永続的な手当てが有効である、とは言えます。

しかし、脳梗塞の後遺症を長く患って症状が固定化したものが、即効で簡単に完治するなど、奇跡でも起きない限りあり得ません。

奇跡は絶対にあり得ないから奇跡なのです。

そんなあり得ない奇跡を期待するよりも、もっと手堅く地道なごく平凡なありふれた日常の養生セルフケア。

そのことに注目する方がよほど賢明なのではないでしょうか?

誰かの手の癒しの奇跡に期待するのではなく、みずからの命の中にこそある奇跡に目覚めることができたら、

ヒトは真の癒しを知るのかもしれません。

自然治癒の偉大なる力をわたしたちひとりひとりが授かっています。

この自然治癒力が発揮されたときに、奇跡に匹敵する治癒が達成できるはずです。

キリストの奇跡の癒しエピソードは、実はわたしたちひとりひとりに同じような能力があることを教えているのかもしれません。




イエス様に追いつき追い越せ、の指圧道は今日も続きます。

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2015.07.19 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

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