気を観る 4

東洋医学と言えば気、気と言えば東洋医学と言えるほどに、東洋医学と気は切っても切れない間柄であることは周知の事実だ。

ではあるけれど、気とは何ぞや?というこの気の実体の理解に関しては、まったくもっていっこうに進展はしていない。

でもこれオカシイんだよね。例えば重力というものは目には見えないんだけど、この重力つまり万有引力の実体を疑う現代人は恐らくはひとりもいない。

俺は重力なんか信じないから、とビルの屋上から羽根のように両腕を広げて空を飛ぼうとするヤツがいたら、アイツは馬鹿だ、と普通は世間は笑うでしょう。

また放射線というものも目には見えないけど、だからといって何の影響力もないから怖くない、なんて思っているヤカラも今ではかなり減ったと思う。

もっとも当代随一の名誉教授とか免疫学者なんかの医療系の御用学者にしてからが、放射線を当てるとかえって免疫力が高まってホルミシスな効能がある、

なんてデマを平気で口にするご時世なんで、まだまだ放射線や放射能や放射性物質に対する危機意識の閾値ハードルが低い御仁も多々存在する可能性は残っている。

こういったわけで、曲がりなりにも重力も放射線も目には見えないんだけど、一応はその存在は既存の物理化学で立証されているというわけです。





それで気というものも、もちろん目には見えないんだけど、これは確かに存在するし、いや気がなければ生命はそのフォースを全うすることなどできません。

でも気の存在の真偽は?という問題に直面すると、これはいまだに賛否両論が侃々諤々で、

まずもって気の存在などを声高に主張しようものなら、間違いなくトンデモ扱いを受けて、

ヘタ打つと火炙りにあって拷問をかけられる、ことはさすがにないか(笑)

まあとにかく、な〜んか、これって、おかしくね?





重力も放射線も確かに色んな意味で人間にとっては大事な要素だから研究しなければいけないけど、

おいっ!もっともっと大事なのは命を活かしている気という存在に決まってるだろうが!

この命というものがいったいどんなシステムで運用され、どんな要素で成り立っているのか?

というこの命の根本問題を抜きにして、いったいどんな文化、文明が出来るっていうんだい?!

命の不可思議さ、気の重大性を無視しているからこそ、

こんなデタラメな文化、文明、科学が築かれたんじゃないの?!

な〜んて、そんなこんなをつらつらと連想する今日この頃。





気にも色々あって、食べ物の気は水穀の気(すいこくのき)、

呼吸で取りこむ酸素は宗気(そうき)と呼びます。

それでこの水穀の気と宗気の二つの気を合わせて、

後天の気(こうてんのき)と称します。

ヒトがこうして生きていられるのも、後天の気を毎日、毎瞬間、摂取しているから。

特に水穀の気は少しくらい摂取しなくても何とかなるけど、

宗気はほんの少し摂取できなくても命の危機に直面するくらいに大事な気だ。

だから呼吸法だの坐禅だのヨーガだのと、この宗気にまつわるメソッドが古来より重視されてきたのだ。




そんでヒト細胞60兆個の細胞核に仕舞われているDNAのストリング、

ゲノムのヒモの機能である必須なタンパク質をもれなく生み出す原理をセントラルドグマと呼ぶんだけど、

このセントラルドグマこそが東洋医学が呼ぶところの先天の気(せんてんのき)である、

とは、これは私の独創独自の思想でありまして、

つまり人体という命は「先天の気」と「後天の気」で運用されているというわけです。




畢竟すればヒトはDNAゲノムの気と、水穀の気と、宗気の、

この3つのトリニティな三位一体の気によって成り立つ存在と言えましょう。




この先天の気と後天の気がトリニティに融合した気を営衛の気(えいえのき)と呼びますが、

この営衛の気が人体をくまなく覆う弦、ストリング、通路、ルートである経絡内に

満ち満ちて、サラサラとうまく流れてさえいれば、

ヒトは病気にもならず、凝りも溜まらないんだけど、

ひとたび気が停滞し、どこかに溜まると

それが凝りとなり、病原となります。





だから常に流す、流す、流れるままに、流し続けること。

これが養生の秘訣と言えましょう。



生々流転、ヒトは生まれながらの放浪者?




さて、今日も流しに流してまいりましょう!

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2015.07.04 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

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