躰を創る 18

「坐禅を学び服薬を休(や)めて自(よ)り

 時に復(ま)た病の沈沈なるに従他(まか)す

 此の身 全く強健なるを要せず

 強健は多く人我の心を生ず」    白居易




中国は宋の文人、白楽天の40代以降の後半生は病との闘いであったが、その病と対峙する人生のなかで、白楽天独自の養生観が形成された。

この冒頭の詩を少しわかりやすく訳せば




「クスリを飲むのを止めて、クスリの替わりに坐禅メソッドをはじめて、

 もしも、そのために今現在の病状が悪化して病気が進行してもかまわない

 なぜならそもそもわたしはこの身体が強く健康であることなど

 はじめから望んでいないから

 健康である人間は病弱者を見下して差別するものだから

 それならいっそのことわたしは最初から病弱で結構だ」



とでもなりましょうか。





本シリーズは「躰を創る」と題してお送りしてきました。

ここのところ他媒体への原稿執筆に追われて、随分と記事更新が滞りました。

それゆえに本シリーズの論考もここまでのところ中途半端です。





他媒体への記事内容を構想するなかで、また諸々の思惟が浮上しております。

「躰を創る」と一概に言っても、これは百人百様であり、ひとりひとり躰の体質や歴史が異なりますから、

なかなか「これぞ万病を治す方法だ!」

などと言えるメソッドは提示できません。

なにか日常の養生のヒントになればと思い、本ブログや他媒体へと記事を書いております。





病気と健康を区別・差別せずに、病気や症状がありながらも幸福であることはできないのか?

20世紀以前の人類はいまだ抗生剤も消毒薬も手に出来ずに、本当に様々な疾病で苦しみました。

しかし、そうした病気と人生を共にするなかで人類は後世に偉大なる芸術を遺し、

多くの文化を引き継ぎました。






白居易は病弱な我が身を通して人生を深く洞察したのです。

「此の身は応(まさ)に病と生とを斉(ひと)しくすべし」

白居易のこの言葉からは、病と命はひとつである、とのメッセージを強く感じます。





「躰を創る」ことは病を見つめ、命を見つめ、そして

命を慈愛することを学ぶこと、なのかもしれません。






まだまだ私もヒヨッコです。

どうぞこれからも皆様のご指導、ご鞭撻のほど、お願い申し上げます。

スポンサーサイト

2015.06.30 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

«  | ホーム |  »

プロフィール

kouhakudou

Author:kouhakudou
FC2ブログへようこそ!

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR