うぶごえ

「メスメルは、ちょうどこの医学界の近代化の嵐のうちに、偶然医学の盲点をつくような治療についのめりこんで終った。それは多数の患者の賞賛と共にアカデミーの側からの手痛い反撃を受けるはめに彼を追いこんだ。正に「彼は早く生まれすぎたし、遅く生まれすぎた」のであった。彼の死後百年たって、ピエール・ジャネは「メスメルのおかげで初めて人間は注意の集中と分散、つまり疲労と注意と催眠と神経性分利と詐病との間に区別を設けなければならなくなる。こうした知識が一緒になってやがて現代の心理学を描きだすようになる」といった。そして人間はこれまで超感覚的で魔術的な現象と見なされていた多くのことを、明晰な意識のもとに論理的に理解することができるようになる。(ステファン・ツバイグ)メスメルの生涯は、われわれに一つの教訓を与える。もし医学に志すなら、よしあしは別として医学の現体制のうちで、許されるものと許されないものをはっきり頭に入れておかねばならない。自分流なやり方で、一人の患者の涙をぬぐってやっても、それが学問の世界で得点になるなどと望んではいけない。大勢には順応しなければならない。医学の現体制がいつ変わるかは、ただ後世の歴史家のみが知り得ることである。人間の一生は短い。次の時代には承認されるかもしれない反逆が、正当に評価されるまで生きていられないことが多い。医学界で成功するには、秘すべきものは秘し、現段階で権威の認めることだけに専念したほうがよい。患者の賞賛や感謝と、富と学界の名誉や地位とをあわせ得るためには微妙なバランス感覚が必要である。そうして手に入れたガラスの城が、いかにもろい永続きしないものであるかというような悲観的なことは、考えないほうが安穏に暮らせる秘訣である」『ちぐあん随筆』医博 間中善雄 医道の日本 平成3年12月号




ここ4回の記事で引用文として掲載してきた間中善雄博士の

洒脱な文章は、今回の冒頭文が最終章の締めとなる。

抱腹絶倒?!

まことに辛辣な視点をユーモアにくるんだ、これぞまさに

間中節と呼べる希代の名エッセイと、

わたしは受け取ったが、

皆さんはどんな思いでお読みくださっただろうか?

東洋医学が現体制の医学界でどのような立場にあるのか、

は十分におわかり頂けたはずだ。

もしも、間中博士の文意がいまひとつよくわからないご諸兄は、

この4回分の文章をもういちど通読し、また再読熟読されることを希望する。

現実問題として、私が痛切に感じているのは、

とにかく学歴もない、名誉もない、地位もないの

ナイナイ尽くしの馬の骨の私が、なにを言っても、

世の中のほぼ100%のみなさんには寝言にしか思われない、

というこの一点に尽きる。

もしも、わたしに高学歴があり、それなりの博士号とか、

なんらかのステイタスのある肩書きがあり、

名前が売れていてメジャーだったら、

大方のみなさんは、私の言うことを素直に、ヘヘぇ〜と

地面に額をつけて聞いてくれるだろう。

しかし現実は真逆なのだから、いくら愚痴を言っても

はじまらない。

そういうわけで、アルアル尽くしの間中博士が

わたしのようなナイナイ尽くしの声をこのように代弁してくれるのは、

ほんとうに心底ありがたいのだ。

俺が言っても誰も聞いてくれないが、

間中博士が言えば、少なくとも俺が言うよりは

聞いてくれる者は多いはずだ。

もっとも、すでに間中博士がご他界して25年以上はゆうに経過している。

当業界ではいまだにその名を知らぬ者はないが、

一般の世界ではどうだろうか。

たぶん、一般の世界では間中博士と言っても

ピンとくるものは、ほとんどいないだろう。

アッ、しまった!

それじゃあ、ダメじゃん(笑)

ということで、僭越ながら今後はハリィー今村が

間中博士の遺志を引き継いで、

イケイケ、ブイブイで、大声でがなりたてていきます!

まあね、当業界にまたまた敵を増やすようで何だけど、

東洋医学も俺的には、色んな意味で問題あり過ぎ。

気の問題ひとつとっても、私がこの業界に入っていらい、

はっきりいって、何の進展もない。

気の問題といえば、わたしたち鍼灸指圧医療の

いちばんの根幹問題なわけ。

その根幹問題を解決しないで、それで気があるのか、

ないのか、経絡があるのか、ないのか、

ツボとは何なのか、とそんな基礎的な問題も

うやむやにしたままだもん。

ある意味、やっぱりダメだこりゃあ、じゃん。

でも現代科学なんてものは、はっきりいってものすごく

スローで遅れているから、気を科学的に観測するという

技法もなかなか確立されないというシビアな現実がある

ことは十分に承知している。

そんな背景もあるから、はなしは余計にややこしくなるわけだが。

なんだかこのはなしも迷宮入りしそうなんで、わたしなりの意見を言うと、

ようは気の問題は解決しないが、とにかく鍼灸指圧の現場では、

実際に治効効果は確実にあるわけで、

だから、まずはそうした現場の治効効果を積み重ねていくことは

今後も絶対にやっていくべき事ではある、とわたし的に強く思うね。

いわゆる「鍼灸指圧をやったら鍼灸指圧で治った、

それで鍼灸指圧で治ったから鍼灸指圧が効いた」という

「やった、治った、効いた」を「三た理論」などというそうだ。

そしてこの「三た理論」だけで世間を納得させようというのは、

暗示やプラシーボ効果を除外できないから、

それではダメだ、と言われるそうだ。

ようはちゃんとした治験データ、エビデンスをもとに、

治効効果を説明せよ、というのが医学界の趨勢、常識ということらしい。

だけどさ、それはあくまでアカデミーの世界の話でしょ?

わたしのようなナイナイ尽くしの名も知られていない、

カリスマ治療院でもない、まったくの在野の治療師にとっては、

「三た」を達成することがすべてなわけよ。

ここ、いちばん、重要なところ、そこんとこ、

アカデミーのエリートのお坊ちゃん方、おわかり?

腰が痛いといって這って来院した患者が、

帰るときには、スタスタと普通に歩いて帰る。

これが出来なければ田舎の治療師は生きていけない。

患者だって「三た」ができると見込んで、

わたしのもとに駆けつけるのだ。

『 治療師は「三た」ができる「サンタ」かな 』

おい、ヘタな一句、出来ちゃったよ(笑)

ふぅ〜、まとまりがつかないダラダラとしたくだらない文章を

これ以上、羅列しても読者の皆様を切れさせるのが関の山なので、

そろそろ締めたいと思うが。

締めるといっても、いったい何を言えばいいのか?

私はべつに古典鍼灸を研鑽している古典派ではない。

かといっていわゆる科学派と呼ばれる現代鍼灸のグループにも属していない。

鍼灸指圧業界のどのブランドにも属さないまったくの

いっぴき狼、独立派だ。

だから、なんの気兼ねもなく好き勝手な事を言えるのが、

おれの強みでもある。

気や経絡があるかないかの、あるなし論争なんて、

ほんと無意味でくだらないよね。

べつに気を科学的に解析する必要もないじゃん!

気を科学的に解析して、

気を出すマシンでも開発する気かね?

チーゴンマシーンなる機械が、随分と前に中国で売り出されたけど、

中身はニクロム線が一本で、あれなら電気ストーブの方がマシだ、

っていう、笑い話があったっけ。

気はね、生き物に宿り、生き物を活かしてナンボなの。

でね、気が何なのか、は俺も本当のところはわかりはしない。

でも、コリに指を当てて、コリに鍼を刺して、

コリに温灸を当てて、そうしていると、

コリの底から得体の知れないモノがうごめきだすことは

本当の事なんだ。

それが気かどうかはわからないけど、

俺にとっては、どう考えてもそれは気だと思える。

一般論はどうでもいい。

俺にとっての気を語る。

それでエエんとちゃうかい?

鍼灸指圧の素晴らしさは治療だけにあるのではない。

鍼灸指圧の素晴らしさは気と触れる喜びにある。

鍼灸指圧の素晴らしさとは術者と患者の気が交流することで、

術者と患者の心身がよみがえり変化することにある。

鍼灸指圧の凄味とは、気の交流を通して

ひとの体を新しく作り替えることにあるのだ!

ルネッサンス(生まれ変わり)。

鍼灸指圧は体を作り替え、生まれ変えさせるのだ。

すなわち鍼灸指圧によって新たな体を作ることができるのだ。

その鍼灸指圧で作られる新たな体とは、

全宇宙の気と同調する『気竜シンクロボディ』だ!

わたしは日々の治療でこの

気竜シンクロボディを量産している。

わたしの治療院では日々、

新しい気竜シンクロボディを得た新人類が誕生している。

気竜の「うぶごえ」が今日も光伯堂に響く。

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2017.06.30 | | コメント(3) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

イケイケ

「医学が近代化する時にすべての「人を治すという医業、医術」のうちから前近代的なものを一掃した。この方向づけはまあいいことであった。ために医学は科学的になり、この二百年の間だけでも猛烈な進歩をした。その時大掃除の対象になったのは、「心、神、悪魔、おまじない呪術、暗示、哲学、宗教・・・」などなどたくさんあった。なかには、現段階で科学的に取りあつかえない微妙なもの、勘、名人芸などもうさん臭いということからパージの網にかかってしまった。医者は警察犬の鼻のようなするどい嗅覚を持っていても、これをおおっぴらに診察に利用することをはばからねばならない。指三本で脈をとって六部定位の脈診で五臓六腑の虚実が判るなどといってもいけない。陰陽五行の哲学で体のメカニズムはすべて判るなどと主張するなどとんでもない。共産主義国で商売の冥利を説くようなもので、現代医学の体制下ではすべて反体制的な前世紀の遺物として、公けには葬りさるべき、あるいは既に葬りさったものとして取りあつかわれる。そんなにきれいごとがお好きなら、ついでに金銭欲だの名誉欲だのという非科学的要素も学者の世界から一掃していただいたら、大向うの見物席から大いに拍手したいところであるが、これは残念ながら学界の恥部としてフンドシで秘して今でも残っているらしい。あることはだれでも知っていて口に出していわない公然の秘密である」『ちぐあん随筆』医博 間中善雄 医道の日本 平成3年12月号




東洋医学が胡散臭いとか、トンデモであると、

なにも東洋医学も西洋医学も知らない99%の一般人に攻撃される理由は、

東洋医学が現代人には理解しがたい「気」や「経絡」などという

用語を多用するからだ。

そしてこの気や経絡があるのか、ないのか、という

有る無し論争が、変わりなくずっと繰り広げられて、

この論争が続いている以上、東洋医学は相変わらずに

胡散臭い目で見られるというお粗末な現状が今も続いている。

いわゆる経絡人形というものを皆さんもご存知のはずだ。

木製や銅製やゴム製で作られた人形の型の表面に

印や線を引いて、ツボと経絡の位置を記した中国古代から

連綿と使用されてきたツボ・フィギュアだ。

言わば鍼灸医学のアイコンと呼べる愛すべきツボ人形だ。

わたしの治療院のキャビネットの一番上の目だつ位置に、

屹立して、いつも、わたしと患者の気の交流を

見守っている。

彼の名をツーボ君と呼ぶ(笑)

さて、では気や経絡、ツボは果たして実在するのか?

しないのか?の有る無し論争に戻ろう。

わたしの見解はこうだ。

「ツボも経絡も気も、これは触ることで生み出すもの」

これが私のツボや経絡や気に対する認識だ。

だから、そういう気の世界があると思って触れれば、

そこには気の世界が立ち上がるのだが、

気などないと思って触れなければその者は永遠に

気の世界を感じることも、知ることもない。

とこういう結論になる。

体はツボが実在すると思う者にだけ気の世界の扉を開くのだ!

だから、わたしに言わせればツボや経絡や気があるかないかの

有る無し論争などまったく無意味な論争と言えるのだ。

近代化とはヒトがバカになる事だった、と私には思える。

なんでもかんでも答えはひとつ。

科学で理解できないものなど存在しない。

いや存在することを許さない。

ガリレオの火炙りは今日も続く。

でもね、俺にとっちゃあ、そんな近代化の波なんか糞喰らえ!

IT技術の進歩がヒトを豊かにするだって?

はぁ〜? なに言ってんだ?

いま人間の情感が豊かになって平和な暮らしやすい世の中が

実現してると言えるのかい?

ぜ〜んぜん、そんな世界に、なっとらんわい、この、あほんだらがぁ〜!

前近代の遺物として捨て去ったモノをすべて拾い集めて、

もう一度、それらの価値を認めた時、

はじめて現代人はマトモになるのだ!

科学原理主義の独裁体制を打破するのだ!

いけ、いくんだ、ハリィー(笑)

2017.06.29 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

コワモテ志願

「歯磨粉で腹痛が治る程度のも暗示なら、悪名高きメスメル博士の磁気療法も暗示である。メスメルは、始め磁石を病気の処にあてると天地間に充満しているエーテル(といっても麻酔剤のエーテルではない。昔は西洋でも天地の間には『気』がみなぎっていると考え、これをエーテルと呼んだ)が伝って病気を治す自然治癒力が動きだすのだと思った。しかし彼は程なく、それは磁力の効果ではないことを見破って、自分の手で触れる一種の触手療法に切りかえた。あまりにメスメルの磁気療法の名声が高まったあとなので、これは人間にそなわった『動物磁気』のなす業だというような説明を加えた。ドイツのミュンヘンにまねかれ、アカデミー会員であるオストヴァルトという有名な学者の「完全な麻痺症状と視力障害」を磁気療法で見事に治した。彼は「絶望的な状態や、それまでどんな医者の治療もうけつけずに身体にすっかり染みついてしまった病苦から磁石療法がたちまちのうちに不思議な力で救い出してくれた」時の様子を臨床的に精細に記述して報告した。その結果、王立バイエルン・アカデミーは、荘重な様式のもとでその会員に任じ、「その学識と発見が、まったく測り知れないほど有益なるものであることを実証し、秀れた、反論の余地なき研究によって自らの名声を不朽のものたらしめたこの卓越した人物の努力は、わがアカデミーの光輝ある歴史にさらに多大の貢献をなすであろうことを当アカデミーは確信するが故にこの人物を会員に推挙するものである」という賛辞まで与えている。彼の治療法は後に「暗示療法」であるという定評になって、メスメリズムということばは「催眠術」の意味にしばらく用いられるようになった。メスメルは、痙れんや神経発作の患者を見ると、そのこめかみを撫でたり、自分の息きを吸かけたり、筋肉の走行に沿って手をぐるぐると廻した。すると突然神経にあの神秘的な震えが生じたり、不意に痙れんがおこったりし、病状が最悪の状態まで高まった時、また急にこれが寛解して、病気が治ってしまう。彼はこれを「神経分利推進学説」などと説明した。問題はこういう強烈な暗示を与え得る人は特殊な「暗示力」の所有者なのか、そういう暗示を非常にうけやすい「敏感人」がいるのか、メスメルの処に集まる患者が、世上に流布する感謝文や治験報告で「前暗示」をうけて感じ易くなっているのである。いづれにせよ、すこぶる強烈な作用であって凡手のなかなか真似しがたい療法である。素人は、どこか悪いと、「何か薬を下さい」という。くすりということばの内容は千変万化で、ただ薬といっても漠然としている。彼は一人の人間であるというのと同様である。だから鍼灸など暗示だという毒舌は無意味である。鼻くそを丸めて丸薬にしてのませるほどの暗示ということなのか。メスメルのやった位の強い暗示なのか。くやしかったら、難病の一ッも暗示で治して見ろといいたい」『ちぐあん随筆』医博 間中善雄 医道の日本 平成3年12月号




鼻くそ丸めて万金丹。

信ずる者は救われる。

たとえ鼻くそでも高貴薬と信じて飲めば、

不眠症くらいなら治るかもしれない。

しかし、長年の重いものを持つ肉体労働がもたらした

脊柱管狭窄症を原因とする激痛の腰痛症が、

鼻くそ如きを飲んだくらいで治るとは断じて思えない。

西洋医巡りを経て、どこに行っても治らなかった

激痛の腰痛が、わずか1回の私の鍼治療で治った。

これが暗示なのか?

わたしはカリスマ治療師として名が知られているわけではない。

はっきりいって、まったくの無名だ。

だから前評判の「前暗示」効果はまったくなし、0だ。

鍼灸指圧を暗示効果となじる連中にひとこと言いたい。

そもそも鍼灸指圧を受けたこともない、

鍼灸指圧をやる側になったこともないお前さんがたに、

いったい何が分かるというのか?

わかりもしない領域には敬意を持って口を慎むが宜しい。

暗示などでコリの底から竜は立ち上がらない。

気の実体など、ズブのド素人に掴めるものではないのだ!

俺の25年の臨床実績を甘く見るんじゃねえぞ!

フンッ、たまにはこんなコワモテ・ハリィーもいいでしょ?

エッ、ぜんぜん、怖くないって、アハハ(笑)

2017.06.28 | | コメント(4) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

なめんな猫

「鍼灸をご自身でやったことのない方は、あんなもので激痛がとまったの、難病が治ったのと聞くと、「暗示でしょう」と馬鹿になさる。すべての治療は、それを受けるのが人間だから、効果に暗示的要素はついてまわる。もしそんなものが一さい無かったら売薬や栄養食品や、健康器具はうれなくなる。宝くじなど買う人は無くなる。総額500万円あたる福引つき大売り出しなど企画する人は、頭がどうかしている。総額が一人にあたることはないのだからそんな文句は魅力になるはずがない。むかし東大教授で侍医頭だった入沢達吉先生などといったら、当時は内科の神様のような人だった。その門下生の一人が病気で寝ている処に往診した。不眠症で困っているという話を聞いて、「それなら、これをやって見たまえ」と目の前で薬を紙に包んで下さった。あとで「先生、あの薬は実によく効きました。何でしたか」と尋ねられて「君、あれは乳糖さ」と一笑なさったそうである。「神様」になるとその位のことは口に出さなくても心得ておられる。暗示、暗示と小馬鹿にするが、これにもピンからキリまである。」『ちぐあん随筆』医博 間中善雄 医道の日本 平成3年12月号




わたしは見た目は見ての通りたいしたことはない。

コワモテではないし、押しや迫力も皆無だ。

そのかわりに47歳の年のわりには

子どもみたいで、ナリもTシャツに半ズボンで

まんま子ども。

小心者で、いつもヘイコラしてしまう性格もあり、

どこへ行っても舐められる(笑)

だから、そういう私を丁重に扱ってくれる方に出会うと、

妙に感動してしまう。

さて、それはともかく、そんなナリや性格のせいか、

ついでに私の仕事まで舐められるパターンがこれまでは

多かった。

つまり鍼灸指圧を胡散臭い暗示的な疑似医療と、

そんな先入観で私に接触し探りを入れる皆様が

あとを断たなかった。

しかし、私もすでに25年以上も鍼灸指圧の臨床経験を積んでいる。

ここらで、ちょっと、態度を改めようと画策中だ。

ようは、なめんな猫(笑)を目指すのだ。

冒頭の間中博士の随想は以後の記事でも続きを掲載する。

わたしのこのくだらない文章との二重唱を楽しんで頂ければ幸いだ。

2017.06.27 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

静中の動

「日本の針灸の教科書には、中国書ではまだ公然と『廃用』と刻印をおしてくれないので印刷はするが、西洋医の手前もあり早く廃用にしたくてうずうずされている言葉がたくさんある。こういう評判のよくない『食卓上の骸骨』の筆頭は五行説である。『経絡』という言葉も廃用候補の筆頭にほど近い。良導絡という代用語が発明されたのも今にして想えば、廃用化の第一歩である。虚実・補泻・陰陽・気血・脈証などという言葉も、針灸界が近代化し、その指導者が独裁政権を樹立した時には、間もなく逮捕されてギロチンにかけられる運命にあろう。ある針灸家が日本で、どの位『近代化しているか』という指標は、その人の書く論文中にこのような廃用語、もしくは廃用の可能性のある用語をどの位避けているかで示される。」間中善雄


気とは何か?と問われて、

即答できる者はいない。

そもそも気とは何なのか、という定義すらないのだ。

ではあるが、気と呼べるような得体の知れない実体は

現実にあるのだ。

気という用語は今から20年以上前の気功ブームの狂乱で

消費され、いささかうす汚れてしまった。

雨後の竹の子の如くに出現したインチキ詐欺師たちが、

こぞって気という言葉でひとさまを騙したからだ。

しかし、考えてみれば、それも見えざる神の采配と

ポジティブに捉えてみれば、展望が広がるというものだ。

私は気という用語をストレートで使うこともあるし、

独自の代用語の『竜』や『気竜』に変換して使うこともあるし、

スターウォーズのなかで使われるフォースという言葉で

気を表現することも多い。

たとえ気という用語が廃用認定されても、

だから私はべつに何も困りはしないのだ。

患者のコリの底から気竜が立ち昇る時、

術者である私の全身のフォースも色めきたつ。

静寂の中の激動。

ホンモノの世界とはそういうものだ。

2017.06.27 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

フォースはある

「それから、もうひとつ日本人の例を出しますが、30代半ばの女性で、Oさんといいまして乳癌です。旦那さんは鍼灸師です。乳房を切り取って、片方大きくえぐりとって、左のリンパに転移した。それが手遅れで、医者からは「あと半年の命だ」といわれて藁にもすがる思いで北京にやってきた。李先生は「大丈夫だよ。治療もしてあげるし、自分でも気功を覚えて練習しなさい」と言ってあげたそうです。そして治療と気功の指導を毎日してあげたところ、だんだんよくなってきて、いまは日本に帰って元気で働いているとのことです。もともと家が幼稚園で、保母さんをされているとか。ほんとうにあきらめる必要はないですよね。だめだと思い込んでいるからだめになりますが、いろんな可能性があることを忘れてはいけません。李先生も「百パーセント治るとは言えない、でも今の医学で分からないこともあるんだよ」と言います。李先生は中国各地で気功の指導と治療を行っているのですが、あるとき西安に行って、18歳ぐらいになる女の子が小児麻痺の後遺症で足を引きずっていたのが、2回目の治療で歩けるようになったということがあったそうです。その日、家に帰って、二階の階段を昇れなかったのを自力で昇って「お父さん、お母さん、私ここまで昇ってこれたよ」と言っても両親は信じない。それで「もう1回降りて、見せてあげる」とやってみせたら、感動してみんな泣いたといいます。また大連では、大腿骨が壊死する病気の方が、松葉杖をついていたのが、李先生の治療を何回か受けた後で普通に歩けるようになったと言います。李先生はもともと西洋医で、整形外科の医者で、定年退職してから気功を教えたり、治療したりして回っているのですが、そのときは「おかしい、壊死しているものがこんなに早く回復するわけはない。診断ミスだ」と、もう1回前の病院に行ってレントゲン写真を持ってこさせたらしいのですが、それを見るとほんとうに壊死している。「診断ミスじゃなかったのか。ではもう一度撮ってみよう」と知り合いの医者に頼んで、今度はいろいろな角度から撮ってみたのですが、やっぱり壊死している。そのとき先生は「いままでの西洋医学では、器質的に変化し回復してから、機能的に回復していくのが常識だが、反対のこともありうるのかもしれない。まず機能が回復して、そのあと器質的によくなっていくということが」と首をかしげていました」」中健次郎『中国伝統医学の心の故郷を訪ねて』自然生活 第三集 野草社



フォースはある!

2017.06.26 | | コメント(6) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

至高のレベル

「何十年か前、胡輝貞という有名な鍼灸家がいまして、気功師でもあり武術家でもあったのですが、どれもものすごくレベルが高かったらしいのです。私はその娘さんに会いまして、家にも何回か行ってお話を聞いたのですが、その中にこんな話がありました。ある日、脳血栓の後遺症で片麻痺になっている患者さんがきたとき、胡先生はヒャクエに鍼をしただけで治してしまった。ヒャクエ1本で、患者さんは普通に歩いて帰っていったというから驚きです。普通の人がやっても効きませんよ(笑)では、どうしてこのようなことが行えたのでしょうか。その人の意識の状態、リラックスのレベルにもいろいろありますし、その意識にエネルギーが乗っていくかどうかも関係します。普通の人はあるところに意識をおいても、中国では意念といいますが、エネルギーが乗っていかない。これには特殊な訓練が必要です。乗ってきましたら自由に経絡を通してあげられます。あるいはリラックスの状態が素晴らしかったら、患者さんの緊張しているところを緩めれば、それが伝わるんです。必ず伝わります。意識と体で感応すると言っていいかもしれません。私も前に北京で、ある留学生でそんなものは信じないという人に、トクミャクに気を通してあげたことがありました。そしたら意外とうまく伝わったんですね。中には伝わりにくい人もいますが、その人はそれが契機になって、大分心の持ち方も考え方も変わったみたいです。「言葉以外にもコミュニケーションの手段ってあるのですね」と不思議がっていました。それまでは中国にいながら、中国人と食事もできない、外出もできないと、中国に対して拒否反応を起こしていたのが、それ以後無くなってしまった。ご自分のお子さんのことでも、こうしよう、ああしようというのがすっとぬけていって、子どもは子どもでいいや、と思うようになったと言っていました。気功治療は体の治療だけでなく、意識の変革もできるように思えます。賀先生を見ても、みなさんお分かりでしょう。ああいう雰囲気の中でやっていると、治りそうな気がするでしょう。にこにこされていて、患者とも仲がいいし、子どもの患者が来るとみんな「賀じいちゃん、賀じいちゃん」と言ってなつくんですよ。よく中国のお寺には大きなおなかの布袋さまがいて、子どもがいっぱいそのまわりにまとわりついていますが、ちょうどそんな感じです。お顔も。もう一人私のつかせてもらった鍼の名人に、その道60何年という許作霜先生がいます。87歳で、今でも現役で毎日治療されていて、元気そのもの。白髪がない。治療も素晴らしい。外人では私がはじめてつかせてもらったんですが、難病、奇病、いろんなところで治らなかった人が治っていきます。左右両方の手で同時に鍼を刺します。耳に皮内鍼も入れますが片方だけで、1回ごとに左右かえてやっていきます。技術は見てて、そんなに難しいものではなく、真似しようと思えばできますが、その奥が大事なのです。それが全てなんですね。中国で見ていますと、この奥にあるところのものは芸術でも一致しているんです。中国の山水画とか、古典音楽の楽器の世界でも、大事なところは一緒なのです。ひとりで中国の古典楽器を十幾つも演奏される名人に会いましたが、弦楽器も、笛も、全て超一流。吹くときには丹田から気を導き、弦をひくときも丹田から気を指に伝えて弾くと言っていました。そうなりますと、弦を毎日何万回押さえようと、指先が固くならないとか。普通、誰でもギターとか弾いていると、指先の皮が固くなっていきます。それがそうならない。最高のリラックスです。そこが違うところです。あとからもう1本ビデオをお見せしますが、70〜80歳の老師達に共通するところは、手が柔らかい。ふにゃふにゃで赤ちゃんみたいです。ピンク色なんです。足もそうです。これは1ヶ月や2ヶ月やってもそうならない。やはり日頃のその人の人生がそこにあらわれてきています。自分に悪影響を及ぼす外の世界を、自分の心で変えようと思っても即座には変えられませんが、そのときの自分の反応を、たとえばイライラしたり、怒ったりは、それは変えることができます。内なる世界が変わればいいのですから。これらの先生方はその達人なんです」中健次郎『中国伝統医学の心の故郷を訪ねて』自然生活 第三集 野草社






この講演録にあるように東京の鍼研鑽会で特別講演をされている中健次郎さんと

いう鍼灸家&気功師とわたしはまったく面識はありません。

ただ、たまたま、入手した書物に、中さんの講演録が掲載されていた。

それで何気なく読み進めたら、とんでもない事が書かれており、

わたしにとってはとても大きな影響を与え続けて、

いまもって汲めども尽きぬ叡智の源泉、治療の羅針盤に

なり得ている宝のような文献だ。

鍼灸師向けの講演であるから、プロ仕様の内容だが、

それぞれの道で至高のレベルを目指す皆様なら、

感ずるところ大であるはずだ。

それぞれのまなざしでお読み頂ければ幸いだ。

2017.06.26 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

オハコ

「・・ビデオでは映りませんでしたが、この賀先生は、ご自分で気功とか太極拳とか、八卦掌という武術をやっています。それは全て、内なるエネルギーを高めるための方法なんです。それを賀先生は鍼に応用されています。「十二分に蓄えられた丹田の気を鍼尖まで伝え、それを患者に注入している」と賀先生は言っています。鍼は50年位、武術も40何年、徒弟制度で、14、5歳頃から、ずっと続けてやっているとのことです。いま中医学院とか、中医専門の大きな大学もありますが、なかなか名医は育ちません。賀先生がおっしゃるには「学問、知識をふやすこと、それと自分が練功、内なるエネルギーを高める練習をすること、これらは両輪である。ひとつ欠けてもいけない。ところがいまの治療者たちは、テクニックや知識はあるけれど、練功が足りないから内功がない。だから効き目が良くないんだ。特に補法、自分がそういう力がなければ補えない」と。皆さんもよくご存知の華陀であるとか扁鵲であるとかいう中国の歴史上の名医は、奇跡的な治療を行ったといわれていますが、彼等も練功を積み、特殊な能力を持っていたようです。いまでも賀先生のところでは、奇跡的な治療がいくつも見られます。鍼の数も少なく、ほんとうに必要なだけです。斜視で、片方目が寄っているのを、ケングウだけで治してしまう。胆石なども一本です。キュウキョから透刺します。てんかんも同じです。ダイツイとチョウキョウの二本だけです。これだけで治るのです。いまビデオに映っていた子どもも、腎臓が悪くて頭が禿げてしまって、母親は毎日泣いていた。一年も二年も入院して、また違う病院に行って、最後に賀先生のところに来たのですが、賀先生が使った鍼は左右のジンユだけです。そしてそこを特殊な温灸であっためる。筒にもぐさをつめた温灸ですが、そのもぐさには麝香も少し混ぜてあります。賀先生はそれを「太乙鍼灸」と名づけていましたが、もともと古典からもってきたんです。治療はそれだけです。そしたら2ヶ月くらいで頭の毛が生えてきて、顔色が良くなり、今ではまったく正常になっています。中国にはまだまだ隠れた名人がいるんです。鍼灸師だったら鍼灸師用の練功、たとえば座っての静功などがあるし、それらによって内功を作らないとだめなようです。それを武術に応用したのが太極拳であり、八卦掌であり、気の武術、力ではなく気によって相手を操ったりする武術であるのです。いま中国では、意識のエネルギーというものが研究されつつあります。私の知り合いで牛先生という数学の学者がいるのですが、その先生はアメリカにも講演に行かれるほどの先生ですが、「これからは意識のエネルギー、場のエネルギーが研究されるだろう。見えないエネルギーというものが解明されていくだろう」とおっしゃっていました。その先生自身も気功を50年以上続けていらっしゃいます。もう70半ばというのに、体は健康そのもので顔にもつやがあり、頭がまたすばらしく冴えています。気功は頭脳も開発するそうです」中健次郎『中国伝統医学の心の故郷を訪ねて』自然生活 第三集 野草社



わたしが温灸を治療院のウリに取り入れたのは、

たぶん、この文章に接したのがキッカケであろう。

わたしはわたし自身の持病の坐骨神経痛をなんとか治したかった。

だから温灸を手に入れてからは、ほとんど毎日、

ジンユというツボのみならず、

仙骨付近をはじめ肩も肩甲骨のあいだも、背骨も

みな手が届く背部に、温灸を続けた。

そんなことを2年は続けただろうか。

わたしを悩ませた坐骨神経痛はスッカリ消退し、

それいらい再発はない。

一発で治らなくとも、何年もかけて治す。

それもまた凡の手以上神の手未満の

馬骨無尽のオハコだ。

2017.06.26 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

馬骨無尽

横尾「上羽さんから木村さんの『健康の原点』という本を送っていただきまして、読んだんですけど、木村さんは外科医だったわけですね。けれども、メスも、薬も捨てて病気を治すっていうことが書いてありましたが、そうされるようになった動機のようなところから、まずお話をお聞きしたいと思うんですけども」

木村「そうですね。まあ、動機は単一ではないですからね。私自身、小さいときから、なんかそういう精神世界に興味を持ってたんですよ。幸か不幸か、小さいときからオーラ(生体磁気波)が見えたもんでね。だから患者さんの病気というのは、大体見ただけでも、よくわかった時期があるんです。それと、まあ、外科医でしたから、メスで切ってばかりいましたが、そういうことをやっているうちに、病気というものは、どうも繰り返すもんだ。肉体はまあ物質ですからね。それに対して、物質力で薬を与えたり、悪いところを取れば、もうその部分はなくなりますからね。しかし、また別の所に病気が起こってくる。そうなると病気が起こる原因というものが、その部分にあるんじゃなしに、どっか、もっと別の世界、別の次元にあって、それが肉体に投影してくるのが病気であると、こう考えておったんですね。例えば、簡単には、高血圧という病気は起こりやすい人には起こります。私自身が胃潰瘍と膵臓炎があります。これは神経質で取り越し苦労をする体質に起こる病気です。そのほか肝炎っていうのは、頑固な人で、抑圧した精神状態のとき、癌は、怨みを持って抑圧したときに一番発生しやすい。こういった病気と、それを起こす原因である感情の世界とを結びつけて見るようになってきた。その辺を心のあり方といいますかね、性格が病気を作るのに大きな誘因になっている。そういうことがわかってくると、そういう誘因を除去することが、病気にならないことだと当然そう思ってくる。そこで、治療にかかる前、あるいは治療をしながら、そこの原因に問題があるのを突っこんで探っていったんです。そうすると、原因のわかった人はその病気がポカッと治ってきた。それで、だんだんそういうことに興味を持って、治療よりも健康管理、予防医学のほうへ進もうと思いましてね」木村裕昭(医学博士)『病は心のアンバランス』

横尾忠則『宇宙瞑想』平河出版社




世に溢れる医療情報は膨大だ。

しかし、そのほとんどはありきたりの常識的な内容がほとんどである。

ところが、そんなありきたりの常識的な医療情報のなかに、

ときたま、とんでもなくレベルの高い情報があることがある。

本記事冒頭に掲げた対談内容などその筆頭にあたるだろう。

馬骨無尽(ナイナイ尽くしの馬の骨)のわたくしも、

何度も熟読した内容だ。

ハリィー今村のコアファンに今回は特別にプレゼントする。

とくと熟読吟味の程、お楽しみあれ。

2017.06.25 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

以上で未満

「・・私は西洋医学イコール科学的医療とは考えていない。たしかに、いろんな検査手段によって、五感だけでは捉えられないような病態を客観的にとらえるという面は科学的であり、それこそ正に東洋医学に欠けている面でもある。また、西洋医学を学問として見れば、科学的に手続きが整っていると思う。しかし医療の実際面を見れば、重大な矛盾を抱えていることは見逃せない。例えば西洋医学では病名に拘るが、ある人を高血圧症、慢性肝炎、リウマチ、神経痛などと診断しても、その患者さんを総合的に理解したことにはならないし、血圧が高ければ降下剤、熱には解熱剤、痛みには痛み止めという治療など、実際に行われているのは対症療法が殆どである。また、風邪のような身近な疾患を例にとっても、自然治癒との比較もせず、まして漢方薬との比較などはせずに、カゼ薬を「使った、治った、だから効いた」と「三た」理論を展開しているのは西洋医学も同様なのである。次々と新薬が登場し、しばらくするとそれが消えてなくなり、また次ぎの新薬に取って代わられるというのも常識であるが、それを医学の進歩などと称しているのも不思議である。なかでも最も非科学的なのは、西洋医学のどういう面が患者さんの役に立っているのか、どういう面が有害無益なのかをほとんど認識していないことではなかろうか。もし医者自身がこのような矛盾、限界などに気づかなければ、ふんぞり返っていられるのだろうが、それに気づいて悩む医者も存在するのである。拙著『中神琴渓』『はぐれ医者』を読んでいただいた医師の中にも、次のようなお便りをくださった方が少なくない。ここではある整形外科医のお便りの一部を紹介させていただく。「昭和五十年に大学を卒業し、昭和六十一年まで主として第一線の整形外科でやってきました。特に後半の数年間は、手術や診療に明け暮れました。外傷で手術を必要とする場合はいいのですが、大多数の患者さんは手術の対象外です。ご承知の通り、有効な治療法はありません。ワンパターンのように温熱療法や牽引を指示するだけで、せいぜい牽引の方向や強さを調整する程度です。薬も効果がある場合はめったにありません。外来では毎回のように、同じ症状が続くことを聞かされ、それに対してできるのは、日常生活の注意をし、とにかく励ますことぐらいでした。無力感に陥っていた時に、昭和六十二年ふとしたキッカケから漢方のことを知ったのです。実際に漢方をやり始めてみますと、無力感を抱いた整形外来と随分違うことが分かりました。一つは、体全体を見ようとしますから、今まであまり触らなかったお腹にも触れます。それまで理解しようとしなかった、冷えやシビレにも関心が出てきました。同じ病名がついていても、人によっていろいろな違いがあることに気づきました(以下、省略)」他の医師たちからのお便りでも、同様の悩みを抱えていることがうかがえる。皆さんはとても真剣で、何とか患者さんの役に立つような診療をしたいのだが、西洋医学が役に立つのは一部の分野だけということに気づいたのである。この問題に触れると際限がないので簡略するが、結論として、西洋医学には東洋医学を批判する資格などないはずであるが、現実には西洋医学が主役であるから、へたに逆らうと後が怖いので、西洋医学と歩調を合わせて科学化を目指しながら、併せて東洋医学の独自性を追求することが現実的な対策になるようだ。しかし、素晴らしい面を取り入れるべきなのは当然であるが、西洋医学的な検査法やデータを並べさえすれば科学的、と信じているかのような若者が増加している様は、誠にうす気味が悪い。・・私は今までもいろんな噂を耳にし、その噂を確かめるために、実際に何人かの方々にお会いしてきた。その結果、名人と呼ぶかどうかは別として、世の中には「桁外れ」の素晴らしい人物が存在するものだとつくづく感心させられてきた。もちろん、自称名人・大家とは区別しなければならないが、書かれた物や言葉ではなく、治療の実績を確認すれば鑑別できると思う。彼等に共通しているのは、教科書や常識から離れ、患者さんから学び創意工夫し、独特な治療法を開発していることである。またマスコミには登場せず、初心者を集めてホラを吹くこともせず、同じ職業の人よりもむしろ他の業種の人たちと交流し、何の宣伝もなしに遠方から患者さんを集めていることも共通しているようである。なかなか難しいことではあるが、私は少しでも彼等に近づきたいものだと念じている。もし、そのような域に達することができるならば、西洋医学からの非難なんぞ、物の数ではなくなるだろうから。」『はぐれ医者が見た鍼・灸』小田慶一  医道の日本・平成3年12月号



鍼灸指圧師として25年間余、臨床にたずさわってきた。

少なく見積もっても、3万タッチを越える患者さんを触ってきた。

そうした経験から導かれる私の生命観をこのブログに書きつづってきた。

この世の中には本当に多くの医療情報が溢れている。

そのなかには有益なものもあれば、無益なものもある。

有益な医療情報を称賛することに私もやぶさかではない。

医学の進歩発展は大いに喜ばしいことだ。

しかし、こうした一般論は私にとってたいした問題ではない。

私にとってのたいした問題、一大事とは、

できればどんな症状だろうと、その場で即座に一発で治すこと。

このことに尽きるのだ。

どんな症状も1回で治す一発治療、いわゆる神の手の領域こそが

わたしの目指す到達点なのだ。

もちろん、神の手などという言葉はひとさまをだまくらかす詐欺用語である

ことは充分に承知している。

ではあるが、やはり治療師である私はあくまでそこを目指したい。

神の手を目指した結果、少しはそれに近くなったかどうかは、

まだよくわからない。

しかし、少なくとも凡人の手よりは神の手に近づいたと思っている。

わたしの術のレベルはそういう意味では、

凡の手以上神の手未満、と言えるだろう。

いつなんどきどんな症状であっても

コリの底に眠る気竜を目覚めさせることができれば、

たぶん神の手の領域に到達できるだろう。

気竜に遭遇する機会はいぜんに比べて

格段に増してきている。

精進潔斎。

おごることなく気竜と対峙していく。

2017.06.25 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

ランチアデルタ

「ガゼットクロッチ温灸」とは、

内股部分に温灸を当てることを言うハリィー今村の造語。

効能は、足全体の血行改善による足腰の疲労感の軽減。

一昨日に思いつきで、これまであまり温めた事がなかった

太股の内股部分に温灸を当ててみた。

そして内股だけでなく外股も含めて股の周囲360度ぐるり

を温灸した。つまりお尻も、仙骨も、股関節も

すべてを温灸で温めてみたのだ。

鍼灸指圧はやってその場で即座に結果が出る事が多いが、

それだけでなく翌日や翌々日に顕著に効果が出るという

のも鍼灸指圧の特徴だ。

ガゼットクロッチ温灸の効能を昨日はとくに実感した。

わたしの左足は中学高校のバスケット部の激しい運動の

弊害で脛骨骨頭が異形化するオズクット・シュラッテル氏病の

既往がある。そのせいか坐骨神経痛も左足に出たし、

どうかすると左足の股関節に、なんともいえない痛みが

出ることがあった。それから歩くときはいつも

左足が外側に開くクセがあった。

この歩くときに左足が開くクセが、

昨日はほとんど消失しており、

左足の親指に自然に力が入る理想的な足取りが実現できたのだ。

恐らくはガゼットクロッチ温灸のお蔭で、

股関節周囲のユガミが改善されたのだろう。

先の記事で先日の休日に馴染みの服屋に出かけた話をした。

その帰り道にある光景を目撃した。

それはイタリア車専門のお店のガレージで、

タイヤを外されて、下回りの整備のために

高い位置に上げられたアルファロメオの姿だ。

このイタリア車専門のお店は静岡市では老舗で、

このお店の前を通るときは、いつもショールームに

どんなクルマが置いてあるのか見るのが楽しみなのだ。

今回は中古の白のランチアデルタが置いてあった。

カーデザイナー・ジョルジュット・ジュッジャーロが

デザインした90年代の名車だ。

カクカクした特有のエッジなデザインはいつ見てもカッコイイ。

それはともかく、吊り上げられて整備されているクルマを見て、

わたしの脳裡に様々な連想が湧いた。

クルマは言ってみれば四つ足動物いや四つ足マシンだ。

このようにクルマは生き物ではなくマシンだから、

生き物のような自然治癒力という自己再生能力は有しない。

よってあのようにタイヤを外して、

自重を支える部分の一番大事なサスペンション付近を

念入りに掃除し新たな潤滑油を注ぐことで、

クルマとしての寿命を伸ばすのだ。

こういう作業を定期点検とか車検と呼ぶ。

人間は四つ足動物でも四つ足マシンでもなく二つ足動物だ。

さて、ヒトの躰の重さのプロポーションは

どうなっているのだろうか。

ヒトの足1本の重さは体重50キロの場合は、

17.5%、なんと片足だけで8.8キログラムの重さだ!

ちなみに、頭の重さが3.5キロ(7%)、

胴体が23キロ(46%)、

片方の手が3キロ(6%)となっている。

そしてこれらの重さの配分を仙骨付近に重心をとって

バランスを保っている。

相当にアンバランスな自重配分をどうにかいなす曲芸が

ヒトの二本足直立歩行というわけだ。

ということは、ガゼットクロッチ温灸を当てる股関節周囲には、

つねに体重の上屋部分の、頭+両手+胴の重さの65%が

加算されている計算になる。

全体重50キロの場合は32.5キロもの重さが、

つねに股関節周囲の筋群にのしかかるのだ。

30キロを越えるオモリをつねに支えているのが、

両足の股関節とその周囲の筋群というわけだ。

だからこの部位にはあらゆるユガミ、

疲労が蓄積するのは当たり前と言えるのだ。

もしもヒトが四つ足マシンならぬ二つ足クルマならば、

あの吊り上げられたアルファロメオみたいに

両足のタイヤを外してサスペンション付近に相当する

股関節を掃除してその周囲の筋群を新品のパーツと

入れ替えたいところだ。

しかし、いかんせん、ヒトはクルマではないから、

それはかなわない。

ではあるが、ガゼットクロッチ温灸を実行すれば、

ほとんどそれと同じ効果が発揮できることを、

昨日の自分のシットリとした歩行の感触で実感した。

ショールームに飾られたランチアデルタも、

充分にガゼットクロッチ温灸もとい

整備を終えて、またいつか、どこかのオーナーに

引き取られて、ともに生を全うしていくのだろう。

現代人は愛車の車検には熱心だが、

わが身の肉体の整備には随分と無頓着だ。

ガゼットクロッチ温灸を実行していけば、

股関節が長持ちしそうだ。

ガゼットクロッチ+サルエルジーパンが

私に新たな気づきをプレゼントしてくれた。

2017.06.24 | | コメント(7) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

ガゼットクロッチ

このあいだの休日に馴染みの服屋さんに出かけた。

このお店はその時々に売っている商品を

ネットに随時アップしている。

それで良さそうなジーパンが30%オフになったので、

これは取りあえずお店に行って、

はいてみるしかないと思い

急ぎ出かけた次第だ。

お目当てのジーパンは、

ガゼットクロッチ+サルエル

という部分がウリだ。

ガゼットクロッチなる言葉は聞き慣れないが。

クライミングパンツなどに用いられる

可動性を高めるための内股部分のマチを

こう呼ぶそうだ。

サルエルというのはイスラム系の民族衣装にみられる

股下がダボダボしたペンギンみたいに見えるズボンのことで、

ジャニーズの嵐のニノがよくはいているアレだ。

はいてみたら、このジーパンはストレッチが効いて

柔らかい素材で、履き心地が軽くてとても気持ちがいい。

ただ、ガゼットクロッチ+サルエルだから、

短足がさらに短足に見えるのが難点。

で、服屋のオーナーにそう告げたら、

「そう、だから、短足に見えるのはジーパンのせい、

ってひとには言えて、短足をジーパンのせいに

できちゃうところもミソ」

と、ナイスな返答で、結果、お買い上げ(笑)

あと、このジーパンに合わせるTシャツと、

キャップも買った。

ふだんは穴開きのぼろいナリだけど、

それなりに決めたい時もある。

その決めたい時用にキャップ、Tシャツ、ジーパンの

3点セットを購入した次第だ。

それで、このTシャツは、90年代のスケーター風という

やつで、ようはちょっとビッグサイズな感じ。

じつはファッションの世界では、ちょっと前から

スケボー乗りのファッションがトレンドなのだ。

それでオーナーに、自分の治療院に昨年、

アメリカのレジェンド・スケーターが来院して、

治療した事を自慢しつつ、話に花を咲かせた。

さて、ガゼットクロッチからの連想ではないが、

昨日はこの内股に温灸を当ててみた。

こういうデリケートな部分は患者相手の治療では、

なかなか試す機会がない部分なのだ。

いわゆるセクハラ的に思われそうな部位ということだ。

でも、考えてみると、そういう部位には、

免疫系のメッカであるリンパ管が密集している場合も多く、

こういう部分にも、しっかりアクセスする必要があるな、

と思いながら内股に温灸を当てた。

内股だけでなく、股の周囲をぐるりと360度当ててみた。

どこも気持ちいい!

とくに大臀部、お尻を温めるのは、かなり気持ちいい。

あとは、腰骨の張った部分の前の方もイイ。

ひとは立っているとき、どうもここら辺りで

自重を支えているようだ。

だからかどうかは知らないが、

この股や尻を温めると、足全体が軽くなり、

身体全体も温まった。

ガゼットクロッチな温灸を今後も追試してみたい。

2017.06.23 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

折り合い

「雪夜(せつや)の月天(げつてん)に当(あた)りては、心境も便(すなわち)尓(しか)く澄徹(ちょうてつ)し、春風の和気に遭わば、意界(いかい)も亦(また)自(おの)ずから冲融(ちゅうゆう)す。造化人心(ぞうかじんしん)は、混合して間(へだて)無し」

訳文「雪の積もった夜の月が明るい時には、心境もその景色のように、清らかに澄みとおっており、また、春の風が吹くのどかな気候の時には、気持ちも自然に和らぎなごんでくる。このように天の心と人間の心とは、少しの隙間もなく、まったく一つに溶け合っているものである」『菜根譚』中村璋八・石川力山 講談社学術文庫




昨日は私が住んでいる地区に豪雨があった。

いちじ避難勧告が出されるほどだった。

仕事場の鍼灸院はテナントの二階なので

浸水の心配はないが、我が家にいたるまでの道のりに、

何箇所か低い場所があり、小川がすでに溢れ、

田んぼと脇の道路の境界が消えていた。

クルマの運転にビビリながら

お昼の休憩に帰宅し昼食を頂いたが、

気がそぞろで、どういうわけか妙な時間に

雪隠に行ったが、空砲一発。

なんとも小心者で情けない体質とひとり嘆き、

雨もおさまった頃に冒頭の書物を紐解いたら、

天地自然と人心生理は一体だと、

説かれていて、なるほどと、すこし安心した。

大雨洪水警報が発令されれば、こちらの心身が乱れるのは

当たり前なのだ。

そしてピーカンのお天気で太陽がまぶしく

青空が澄んでいれば、こちらの心身も晴れやかになる。

ラージスケールで捉えればヒトの心は天の心と一体なのだ。

しかるに、天地自然の動向は自分の力ではいかんともしがたい。

しかし、人心生理はある程度は自分の力でなんとかなる。

人心生理を自分の力でなんとかしようとする営為を

養生法という。

大雨にビビッた私は、我が人心生理を整えるために

昨日もストレッチをし、温灸をした。

お蔭で昨夜はグッスリと熟睡できた。

だから今朝はそとの気候は曇り空だが

体内の気候はそれなりに晴れている。

びびっても、とりかえす(笑)

天地自然と冲融(ちゅうゆう)するとは、

天地自然に翻弄されることではなく、

いかに天地自然とうまく折り合いをつけるか、

だと、私は思う。

2017.06.22 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

リアル

「・・学ぶものの多くはこれを秘事あるいは秘術などというが秘するほどの術とは実はとるに足らないものである。物事は秘するとかえって目立つものである。いわんや観相は仁の術であり、どうして秘しておくことができようか。相術の奥義とは、あるのでもなくないのでもない。偉大なものでもなく卑小なものでもない。天でもなく地でもない。自分でもなく他人でもない。およそあまねく天地四方の内に存在するものではない。空漠たる一つの霊気の中に貴き一人の翁がいる。その翁は鼻もなく眼もなく影もなく形もない。その名を無意相という。この翁をつかまえて相法の師とし、相法の妙を知るべきである。この師を得なければ相を明らかにすることはできないのであって未だにこの師を得ていない相者は相法を冒瀆する者である。この無意相先生に近寄りたいと思うならば、尊き出家または博学の人に先生の所在を問うがよい。また出家や学者に先生への道筋を教わったとしても行く時は自分一人である。その先生の城郭のほとりには八万四千の魔王がいる。それぞれに名があるが、その魔王たちが先生の城郭に入られるのを恐れていろいろと妨げ敵対する。その時こそ自分の持っている刃もなく形もない鋭利な剣でもってその八万四千の魔王をことごとく切り払い、先生の城郭に勇んで入りこみ、相法の妙義奥義を開き問うがよい。そのような時にこそ人を相しても妙法明白となり、麻の中に矢を放つごとくにすっきりとするであろう」水野南北著 現代訳・岩崎春雄 校閲者・小林三剛『南北相法』自然社




わたしは鍼灸指圧師をすでに25年以上やってきた。

師と呼べる先生は初期の頃にはいた。

しかし、その研鑽会をやめてからは師にはついていない。

今から25年前の平成4年の3月、鍼灸指圧師の国家資格を取得し、

鍼灸の専門学校を卒業した。

その卒業式の会場から一次会の会場へと向かう道中で

厳しかった鍼灸の専門学校の恩師から

「自分たちの仕事は今日まで。明日からは患者さんが先生だよ」

という言葉を頂戴した。

いまになってこの言葉の重みを感じずにはいられない。

そうなのだ。

わたしにとっての師とはわたしを頼ってわたしの治療院に

足を運んでくれたすべての患者さんだ。

いや、より正確に言えばその患者さんたちを生かしている

生命力と呼んだほうがいいだろう。

指圧をし、鍼をし、灸をするとき、

わたしは指先をツボにアクセスしたまま

わたしのからだぜんたいをつかって

患者の生命力の声を聞き取ろうとする。

患者の体表や四肢体幹のすみずみの動きを注視する。

患者の腸管の蠕動運動や呼吸の音に耳を澄ます。

そうして指先の意識の場を虚空と同化する。

そうしていると、指先からひとつの動きが立ち上がるのだ。

その指先から立ち上がる動きは、

いつも滑らかでエネルギッシュでダイナミックで、

それはまるで架空の伝説の神獣である竜が動くさまに

そっくりなのだ。

だから、わたしはこの動きを竜もしくは気竜と呼んでいる。

患者のからだに立ち上がる気竜の動きはどんな患者でも

ほぼ一定している。

ということは、この気竜こそが生命力の本体なのではなかろうか、

とそんな風に感じている。

その気竜はわたしの指先から放たれた主竜に導かれて、

患者の体壁筋肉系を駆け巡ると、

やがて四肢末端のツボの井穴(せいけつ)から体外へ飛び出して、

大宇宙の玄竜と同化する。

こうして私の指先の主竜に導かれた患者の気竜が

大宇宙の玄竜と交歓する三竜の同化融合が達成すると、

患者のコリは溶けてほぐれて患者の体壁筋肉系の湖面の

さざ波が止まり静寂が訪れるのだ。

わたしの気竜、患者の気竜、宇宙の気竜、

この三つの気竜が描き出す神秘の共演が見られた時、

治療の成果は一段と上がる。

冒頭の観相術の大家である水野南北がいうところの

無意相先生という師。

私にとってその無意相先生に相当するのが

指先に生じる気竜たちだ。

私の師は指先の竜。

これはファンタジーでもフィクションでもない

まぎれもない25年の実証を経たリアルだ。

2017.06.19 | | コメント(4) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

本日は営業日

「・・これは何年か前、神経痛にかかって以来の新しい習慣だけど、日曜ごとに鍼と指圧の治療を受けに、荏原の自宅から杉並の方南町まで出かける。なぜ日曜の治療にしてもらったかというと、空いているからですよ、道路が。平日なら交通ラッシュで一時間以上もかかる距離を、日曜日に行けば三十分で鍼医の家へ着ける。鍼を打った日は、どうしても躰がだるい。帰って来て風呂へ入ると、夕飯までベッドへころがって一眠りということになる。その分だけ書く時間が食われてしまうわけだけれども、次の月曜日には疲れがきれいに抜けて元気になる。だから、いまのぼくは、世の中のたいていの人と同じに日曜日を休日にしているといえなくもない。日曜日が休日といっても、鍼の治療を受けている一時間に、ぼくは小説の構想をととのえるんだよ。それが習慣になるように自分を仕向けていると、そのうちに本当の習慣になってしまうものです。鍼医の治療室で、ベッドへうつぶせになった途端、連載中のいくつかの小説のイメージが次つぎと脳裡へ浮かんでくる。もう、ぼくの肉体そのものが、そういうふうに反応するようになっているわけですよ仕事の行き詰まりを頭脳からではなく、躰のほうから解いていく・・これも言わば、ぼくの流儀の一つだな」池波正太郎『男の作法』新潮文庫



今日は日曜日だが、我が鍼灸院の営業日だ。

わたしは奇数日の第一日曜日と第三日曜日と第五日曜日は、

基本的に営業する。

日曜日なら来られるというお客さんに対応するためだ。

いまのところ日曜日の常連さんで冒頭の池波正太郎のような

有名な作家はいない。

わたしの治療院の常連さんは、ほとんどが普通の一般の人だ。

そんな普通の人たちも、なかには目利きがいて、

わたしの鍼灸指圧治療を受けることを習慣にすることで、

日々の養生的ライフスタイルを実践する者がある。

たいへんにありがたいことだ。

ココロとカラダは一体なのだ。

だからココロがなんとなくふさいだ時に、

カラダをほぐすとココロも晴れやかになる。

ココロの語源はコロコロだという。

ココロはコロコロと転がり流れ動いているのが正常だ。

ココロをコロコロと動かし続けるためには、

カラダもコロコロと動かし続けなければいけない。

カラダがコロコロ動かなくなり、

カラダにコリコリが発生したら要注意!

カラダにコリコリが発生したらココロもコリコリになり、

やがてココロはコロコロと動かなくなり、

行き詰まり憂鬱にふさぎこみ、完全にココロが動きを止めると、

ウツ病になってしまう。

ココロもカラダも同時に

コリコリをコロコロにする。

それが鍼灸指圧の真髄だ。

さあ、営業サンデーのスタートだ。

2017.06.18 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

マジシャン

「この地理学では、吉相を鑑定するという観点からとくに注視する要素を、三つ教えている。まず最初が「龍脈」だ。これは、その土地にある最も高い山から流れくだってくる生命エネルギーの通路で、通常は山のつながり具合がこのルートをあらわす。高く、険しく、力づよいものは「主龍」といい、大きな通路である。しかしすでに死んでエネルギーを運ばなくなった龍脈もある。これを「死龍」という。死龍は直線的で凸凹がまったくない。一方、さかんにエネルギーを運んでくる「活龍」は凸凹がいちじるしく、ジグザグしている。この龍脈にそったところなら、どこに自邸やオフィスを建てても吉相に恵まれるが、龍脈の行きつく底部には、地下の生命エネルギーあるいは地下の「気」を噴きあげる特別な地点がある。風水では、そういう特異地点を「穴位」あるいは「龍穴」という。英語ではネスト(巣の意味)と呼ぶが、ここに家を建てると最良の環境に恵まれ、家内安全・商売繁盛が約束される」荒俣宏『荒俣宏コレクション 風水先生 地相占術の驚異』集英社



いわゆる風水(ふうすい)とは、

中国に伝わる古代テクノロジーのひとつだ。

大地に流れる気というエネルギーの流れを読み、

いかにして安全な地に住み、

安寧な住み家を確保するか。

そのための技術を風水という。

例えば「四神相応」の地。

東に清流が流れ、西に大きな通路があり、

南が大きく平野に開け、北に山を背負う。

この真ん中に位置すると、

暴風を防ぎ水を得る吉相の「蔵風得水」となる。

こんな風にラージスケールで

自然と折り合いをつけるのが風水学だ。

わたしは鍼灸指圧の治療を続けるなかで、

凝りのなかには「活きた凝り」と「死んだ凝り」が

あることを発見した。

「コリの巣」である「活きた凝り」の底には、

とぐろを巻いた気の竜が潜んでいる。

このコリの底に潜む気の竜をその眠りから目覚めさせ、

ひとの体壁筋肉系に解き放つことができれば、

治療は目覚ましい効果を発揮するのだ。

しかし「死んだ凝り」の底を探しても、

なかなか活きた竜は見つからない。

冒頭の言を借りれば、

わたしにとって「活きた凝り」の巣は「竜穴」と言えるのだ。

大地の気を観る風水術。

人体の気を観る鍼灸指圧術。

スケールは違えど同じ気を観るテクノロジーだ。

マジシャンがシルクハットから鳩を飛び立たせるように、

わたしはツボから竜をおびきだす。

ハリー・ポッターもとい

ハリィー今村の名はダテではない。

2017.06.17 | | コメント(6) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

連動

音もなく 香もなく 常に天地(あめつち)は

言わざる経を 繰り返しつつ
」二宮尊徳



よく知られているように健康という言葉は、

もともとは自然界の星や月が変わりなく運行するさま

を表現した言葉だ。その原意が転じて

ひとの心身が正常に恒常性を営むことも、

健康という言葉で表現するようになった。

いまではこちらの心身の健康に関しての使い方が

メジャーだが、もともとは健康という言葉は

もっと大きな意味合いだった。

311という人類史上最大の公害が発生して

すでに6年が経過した。

みなさんもご存知のように、

世の中はもうなにもなかったかのように装っている。

しかし、大量の放射性廃棄物が地球環境に拡散したことは

間違いないのだ。

そしてそれは消えたわけではない。

地球の健康は侵されてしまった。

そんな地球でわたしたちは健康になろうと

いま四苦八苦している。

なんだかおかしい。

わが身の健康と地球の健康は常に連動するのだ。

わが身の健康を願うのなら、

地球の健康も願うのがスジだ。

天地(あめつち)が常に言わざる経を繰り返す、

そんな真の意味で健康な世界を取り戻したい。

手の内の微々たる活動だが、

鍼灸指圧を通して、

ひとの気と地球の気を

今日も連動させるように努める。

2017.06.16 | | コメント(5) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

凝り=命

「筋肉というものは、使えば疲労するし、休めば回復すると、漠然と考えられている。でも、いつどのように休めば回復するのか、誰もそのメカニズムを説明できていません。さきほど、自然法則という言葉を使いましたが、筋肉は自然法則に従った使い方をしていれば、疲れは自然に回復し、病気などしなくなるんです。自然法則こそ気ですね。つまり、気が滞っていないかどうかは筋肉を見れば分かるんです。自然法則に沿った生活をしていないと、気が滞ります。これは、筋肉の疲労、凝りとしてからだに現れます。筋肉疲労は、自律神経やリンパ液、血液の流れに悪い影響を与えます。そして、それがいろいろな病気の原因になるんです。筋肉疲労をとってしまうと、自律神経やリンパ液、血液の流れがスムーズになっていく。そうすれば、病気も治ってしまう。そんな仕組みなんです。・・人間には七情というものが存在するとされています。東洋医学の古典『黄帝内経(こうていだいけい)』では、喜・怒・憂・思・悲・恐・驚。仏教では喜・怒・哀・楽・愛・悪・欲の七つですね。これに快や恨みを加えて考えてみると、人間の感情や心理が、筋肉の状態をみごとに左右していることが分かります。喜とか快は、筋肉が緩むように働きます。その他のものは、すべて筋肉を縮ませます。よく身が縮むとか手に汗を握るとか、息を殺す、奥歯を噛みしめるといった表現がありますが、あれは筋肉が縮む様子を言ったものです。仏教ではもっと厳密で、喜だけが良気とされ、他のものは邪気とされています。快という感情は、やりすぎることが付随するので、仏教では邪気とされています。つまり、筋肉を緩めるものが良気であり、筋肉を縮ませるものが邪気というわけです。たとえば怒りですが、そのときの筋肉の状態を見ると、ちょうど猫が喧嘩をするように全身が坂立って骨格筋の全体が縮んでいます。不安をもっているときは、顔から首、そして恥骨にかけて凝り、それが手足の先まで及びます。恨みだと、後頭部から首筋、肩甲骨の内側にかけての肩が凝ります。こういった縮み、凝りの状態が続けば慢性筋肉疲労の状態になるわけですから、自律神経やリンパ液、血液の流れが異常になり、病気につながっていくのです」福増廣幸


ご参考までに福増氏の経歴は

「1941年生まれ。京都大学医学部卒業。医学博士。
県立尼崎病院心臓外科、国立姫路病院心臓血管外科に勤務の後、
アメリカのユタ州へ医学留学する。4年にわたり人工心臓の研究・開発に
取り組み、人工心臓を埋め込んだ牛の世界最長記録を達成。
その後、旧東ドイツ国立ロストック大学医学部附属病院客員教授をへて、
帰国後は心臓外科の第一線で活躍をする。ロンドンのヘアフィールド病院の
心臓移植チームにも所属した経験をもつ。
ユタ州立大学では、人工心臓研究所の所長代理として、
人工心臓研究の中心となって働いた。そして、1982年には、
人類最初の人工心臓の臨床への応用に成功している」

とある。

世の中の100%の一般大衆が文句なく一斉に、ははぁ〜と

ひれふす福増氏の圧倒的な学歴とキャリア。

そんな水戸黄門の印籠であるブランドとバッジを福増氏は

アッサリと捨て去り、晩年は「触手療法」と銘打ち、

いわゆる気功指圧のような手技の世界に到達したのだ。

西洋医学の世界ではメスを持ち世界の一線で活躍した医師が、

なにゆえに晩年は原始的な手技の世界に落ち着いたのか?

そのへんの細かい心情の変化を余人は知るよしもない。

しかし冒頭の言葉はたいへんにわかりやすく、

筋肉の凝りが病気の原因になることを説明している。

わたしのような学歴も地位も名声も、な〜んにもない、

ナイナイ尽くしの馬の骨が、同じような事を言っても、

世間の100%はガン無視スルーだが、

福増氏のような学歴も地位も名声もすべてが揃った

アルアル尽くしの大御所が、同義を物申せば、

世間の100%は、ははぁ〜、まさにそのとおり、

おっしゃるとおり、わかりましたでございますぅ〜、と

頭を下げるはずだ。

ではあるのだが、惜しいことに、福増氏はすでにご他界召されている。

もしも福増氏があと30年、元気でいてくれたら、

もしかしたら、わたしの論説とシンクロする機会ができたかもしれない。

ひとの体壁筋肉系を手で触り、凝りを見つけだし、

その凝りという慢性筋肉疲労をほぐすことで、

そのからだに新たな活力を生み出す、という

福増氏が行った触手療法は、

ほぼ、わたしが到達した今の治療スタイルとソックリ同じなのだ。

わたしはひとの体壁筋肉系に発生する凝りの再生力を

引き出すことで治療の成果を挙げている。

その凝りが命の再生力を取り戻すとき、

まるで凝りの淵の底から竜が動き出したような、

じつにダイナミックでエネルギッシュでエキサイティングな

気の脈動の情景が展開する。

しかし、こんな漫画チックな凝り竜の様態を私が力説したところで、

ナイナイ尽くしの馬の骨の戯れ言と一笑に付されるに決まっている。

だからこそ、アルアル尽くしの福増氏のような方に、

冒頭の言葉を語ってもらう必要があるのだ。

凝りがうまくほぐれる時、ひとの体壁筋肉系に

命の竜が躍動する。

凝り=命。

2017.06.15 | | コメント(1) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

生命力の本質

「私は昭和52年1月現在、大阪府の岸和田市で薬局を経営しているが、薬の販売に従事して22年、針灸治療院を併設して2年経ってしまった。旧制の七高から九大理学部数学科を出て全く無関係の薬局の主人となり、しかも針灸師になるなどと一度も考えた事はなかった。どこかの諺に棺の蓋を閉じるまでその人の一生は分からない、というのがあるが、人生は長い目で見なければ本当のところは分からない。薬局をはじめて3年経った頃、妻がひどい病気になった。京大、阪大、日赤と大病院を回ったが病名も不明で治らない。その頃は健康保険が完備する前であったから薬局のほうが病院よりも薬が豊富であった。麻疹の治療に使うガンマーグロブリンなどを子供のために取寄せて病院へ持って行くと「こんな高価な薬は病院で使えないので始めて見ますが、薬局の子供はよろしいなあ」などと言って注射してもらったものである。抗生物質も、副腎ホルモン剤も、輸入品で情報も入手も薬局のほうが早い時代であったから、指示があればすぐ取寄せて使用したのにも拘わらず妻の病気は全く治らなかった。それが、何気なく読んだ漢方の雑誌の中の漢方薬であっさり治ってしまった。これが漢方医学を研究し、漢方薬を販売しようというキッカケになったのである。以来20年、知人や問屋から冷笑されながら漢方薬にとりつかれたまま過ぎたが、そのうちに、神経痛の患者を治すのにはどんなに努力しても2日以上かかるという壁にブチ当たった。まあ早くて2日、遅ければ10日以上かかる事がある。或る日、重症と病院で診断された坐骨神経痛の患者に、昼頃漢方薬を処方したら、夕方の5時頃普通と変わりなく歩いているのを見かけた。二人の人に支えられた患者が数時間後に正常になっているのに驚いて尋ねたところ、帰宅の途中で針をやって治ったというのである。それがキッカケでついつい針灸学校に通い47年9月に免許をとることになってしまった。その頃、またまた長男がひどいノイローゼになったのを、たった1回の針灸治療で、小田原の間中善雄先生に治していただいたのがキッカケで、先生を師匠として無認可の押しかけ弟子となってしまった。師は「針灸は東洋医学の中でシステム化することの出来る数少ないものの1つであり、又、2本の針さえ使えばほとんどの病気は治療出来るものである」と教えて下さった。私が専攻した推計学から見ても適用するのに一番便利な医学のように考えられ、その点、湯液を使う漢方のほうが遙かにシステムになりにくいようである」     

入江正著『経別・経筋・奇経療法』医道の日本社






昨日は2週間ぶりにIさんが来院した。

Iさんが2週間前に来院したのは、

痛くて痛くてどうしようもない腰痛をどうにかして欲しい、と

訴えてのことだった。

整形外科で診てもらうと、重症のヘルニアだから手術をせよ、

とばかり言われ、手術はイヤだと断ると、

痛み止めの注射を打たれ、痛み止めの飲み薬を渡され、

痛み止めの湿布を処方されて、それらをすべて試してみたが、

まったく腰の痛みが治らない、ということだった。

腰を触ってみると腰の筋肉が強度に緊張していた。

これだけ腰の筋肉が硬くなっていては、うまくないだろうと

思いながら、入念に腰に針を打っていった。

針治療が佳境に至ると、幸運にも凝りが動き出した。

わたし流の表現でいうところの「竜」のお出ましだ。

腰の凝りに潜んでいた竜たちが一斉に解き放たれた。

みごとに体壁筋肉系を飛び回る竜たち。

やがてひととおり竜の飛翔が終わると腰の筋群に静けさが戻る。

治療後にIさんはベッドから立ち上がりながら、

「アレッ、もう腰が軽いやあ!」と驚いていた。

昨日、2週間ぶりに来院して開口一番、

「あの日の次ぎの朝はまだ少し腰にハリがあったけど、その次ぎの日から

もうぜんぜん痛みが無くなっちゃって。湿布も、痛み止めの飲み薬も

もうぜんぶやめちゃった。魔法みたいに腰が楽になった。

アレだけいろいろとそこら中の病院に回って、

カネをたくさん使ってバカみたいだっけ」

冒頭の文中にもあるように、針治療はうまくすると、

たった1回の治療でも劇的な効果を発揮するケースがある。

痛みをこらえて這うように来院した患者が、

帰るときには普通に帰る。

そんなケースが鍼灸指圧治療の現場では

意外にも多々あるのだ。

もちろん1回で治るケースばかりではない。

10回で治るケース、三ヶ月かかるケース、

半年、一年、三年、五年と長くかけて治すケース、と

患者の様態により治る経過はケースバイケースだ。

1回で治る魔法のような一発治療はたしかに

ある意味、それを成功させた鍼灸師をドヤ顔に

させる治療の華ではある。

そんな魔法の鍼治療がひとつでも出来ると、

それを成功させた針灸師の心に少なからぬ自信が芽生える。

では、Iさんの腰に打った針の「手の内」はどんなものだったのか?

それは、いつもどおり普通に針を打っただけのことだ。

いままでどおりのやり方で、これまでどおりの針を打ったのだ。

俺が治してみせるぞ、とか、よしっ、一発でこの痛みを取ってやるぞ、

とか、そんな子供じみた「力み」は25年の臨床経験ですでに

キレイに抜けて枯れている。

こうした「力み」は、治療の邪魔なのだ。

治療はあくまでサラッと軽く柔らかく進行する。

そうした時に、はじめて竜たちが手助けをしてくれるのだ。

Iさんの腰の痛みは無くなったが、持病の坐骨神経痛が

その後、顔を出して、昨日の来院となった。

腰の辺りに残存していた残りの竜たちが昨日の針治療で

うまい具合に飛翔していった。

治療はシステム化できる部分と、そうでない部分がある。

マニュアルで口頭や文字で教えること以外の部分、

そこに生命力の神秘が潜む。

コリには生命力の本質が隠されている。

2017.06.14 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

こころが大事

「老子曰く、身を治むるに、太上(たいじょう)は神を養う、其の次は形を養う。神清み意平らかなれば、百節皆寧(やす)らかなり。養生の本なり。肌膚(きふ)を肥やし腹腸(ふくちょう)を充たし嗜欲(しよく)に供するは、養生の末なり」『通玄真経』



私もすでに47歳だ。

寄る年波をそこかしこに常に実感する今日この頃だ。

それゆえに幾ばくかでもエイジングに抗うために、

日々、筋トレに励み、ストレッチを励行し、

アゴ裏押しを思いだしたようにやり、

たまには後ろ向きに歩き、

時々は思いっきり息を吐いて丹田呼吸を意識し、

治療院の床の段差で青竹踏みを日課にし、

疲れを感じたら自分で自分の体に鍼を打ち、

灸を据え、自己指圧に精を出している。

しかし、冒頭の言によれば、

こうした実践的な養生メソッドは、どちらかと言えば

それほど重要ではなく、むしろもっとも大事なのは、

「神を養う」ことと説かれている。

ここでいう「神(しん)」とは、

精神の意味で、心がけ、くらいの意味だ。

この教えはたしかに一理ある。

どんなに身体に手をかけて体調を良くしていても、

だれかのデリカシーのないひとことで、

いきなり気分が悪くなったり、

どうでもいい些細なことで腹を立てて気分を害したりなど、

そんなことがしょっちゅうある。

やはり精神の修養がもっとも大事なのだ。

養生メソッドは身と心の二つを修練してはじめて大成する。

ふむ、身については、なにかとやってはいるが、

心のほうは、てんで遅れているようだ。

男の更年期なのか、最近は他愛もない事で怒り、

落ちこむことが多い(笑)

修行、修行の毎日だ。

2017.06.13 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

まことのひと

「湯王(とうおう)が伊尹(いいん)に問うた。「天下を取(おさ)めたいが、どのようにするのか」。伊尹は答えた。「天下を取めようとしても、天下は取められません。取めることができるとすれば、わが身を先ず取めるべきです」と。いったい万事の根本は、必ず先ず身を治めることです。大宝(気)を嗇(お)しんで、新たな気を用い、陳(ふる)い気を棄てるようにすれば、腠理(そうり)は通ずるようになり、精気が日々に新たになりますと、邪気はことごとく去って、天年をとげるでしょう。こういうのを真人といいます」『呂氏春秋』



私は決して天下国家を論ずるようなたいそうな者では断じてない。

はっきり言えば学歴も地位も名声も、な〜んにもない、

まったく世の中のひとびとにアピールできるバッジも

ブランドもいっさいない、ナイナイ尽くしのただの馬の骨だ。

だから、わたしの発言など今の世のほぼ100%のみなさまに

スルーされるのは至極当たり前の事と深く認識している。

べつにこんなことをわざわざ書くのは、自虐でも卑屈でもない。

実際の正直な感想を述べているだけだ。

このブログとて、べつにメジャーではない。

いってみれば泡沫ブログ、ネットの片隅でブツブツと

わけのわからんヤツがほざいている、というそんなブログに過ぎない。

そういう認識を踏まえたうえで、わたしはこのブログを続けている。

私の本業はここを毎日読んでくれている皆様はご存知のように

鍼灸指圧の治療院の経営だ。

その本業で得た情報をここに書いているという次第だ。

だからある意味、ここに書く情報には時間とゼニが

たっぷりとかかっている。

そんじょそこいらのちゃらい情報とは情報の質が違う。

いや違うどころではない。月とスッポンだ。

家人にはいつもこう言われる。

「なんでアンタはタダでそんな貴重な情報を

バンバンと大判振る舞いするんだ?

ぜんぶコピーされて盗まれて、そういう連中が

本を書いちゃうじゃん!

あ〜、もったいない。アンタはバカだねぇ〜」と。

はい、わたしはバカなんです(笑)

冒頭の文献は中国のたいへんに古い文献だ。

登場人物のイインという人物は

漢方薬を作った最初の人と言われている。

天下国家を収める前に、まず自らの心身を治めよ。

まったく、なんと、素晴らしいメッセージだろうか。

いまの世において天下国家を論ずる者は多い。

しかし、そんなごたいそうなものたちが、

果たしてわが身の健康に気を配っているだろうか?

わが身が健康な者が増えれば、自然に国家は収まるのだ。

わが身を健康に導くことこそが天下泰平、国家安定の礎(いしずえ)なのだ。

わが身を健康に導くには、正しく確かな養生メソッドの情報が必須だ。

正しく確かな養生メソッドの情報を発信すること。

それが本ブログの究極の目標だ。

つまり、本ブログの情報はすなわち天下国家の安寧につながるのだ。

バカと呼ばれるナイナイ尽くしだが、

これまでどおり、エンジン全開、

ぜんぶ放出、大バーゲンで続行する。

真人(しんじん)の表記を、

わたしは「まことのひと」と読みたい。

「まことのひと」とは、

ホンモノを追及し、

ホンモノになろうとする者を言う。

まあ、バカもとい、わたしみたいな者のこと(笑)

2017.06.12 | | コメント(6) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

ユートピア

「実はミトコンドリアは昔、独立のバクテリアだったのです。今から30億年も前のこと、地球上にまださまざまな種類のバクテリアしか存在しなかったころのことです。当時の地球の表面にはまだ酸素はほとんど存在せず、バクテリアたちわずかな有機物を拾い集めたり、無機分子からわずかのエネルギーを取り出したりして、ほそぼそと生活していました。ところが、その中のあるものが特殊なタンパク質を持つようになり、太陽の光からエネルギーを取り出す能力を身につけたのです。そして、このエネルギーを利用して空気中にふんだんにある炭酸ガスから有機物を作るようになりました。光合成細菌(シアノバクテリア)の出現です。光合成は、ほとんど経費をかけずに、身体を作る材料である有機物を生み出してくれるので、光合成細菌はおおいに繁栄し、やがてより効率の良い方法で光合成を行うようになりました。ところがこの改良型は、最終産物として酸素を放出する性質を持っていたため、何億年もこの営みを続けているうちに、地球環境中に酸素が蓄積されることになったのです。酸素は非常に反応性の高い物質であるため、細胞の内部にまでどんどん侵入して、いろいろな分子と勝手に結合してその性質を変えてしまうので、生命活動を攪乱するまでになりました。私たち人間になくてはならない酸素も、このころのバクテリアにとっては猛毒以外の何ものでもありませんでした。この猛毒から身を守るために、あるバクテリアは地中深くにもぐり込み、別のバクテリアは何匹もが融合して身体を大きくし、DNAを細胞膜に付着させたまま体内に取り込みました。これがミトコンドリアの祖先です。こうしてDNAを身体の中心において細胞質で包んでおけば、侵入してきた酸素は最初に出会ったタンパク質などの細胞質成分と反応してしまい、DNAに取りついてこれを変質させることも滅多になくなります。このようにいろいろなバクテリアが酸素の毒から逃げ回って右往左往しているかたわらで、ミトコンドリアの祖先は、酸素を利用してブドウ糖から効率良くエネルギーを取り出す代謝経路を作り出すことに成功しました、つまり、毒を薬に変えてしまったのです」団まりな著『細胞の意思 自発性の源を見つめる』NHKブックス




アゴ裏のコリをほぐすベンネット考案のアゴ凝りリリース運動法も、

右肩を上げて胃液分泌を高める方法も、

ムーンウォークよろしく後ろ向きに歩く方法も、

三呼一吸の丹田呼吸法で自律神経を調節する方法も、

すべては血流を促進し、酸素を効率よくヘモグロビンに結合し、

全身の60兆個の細胞内に棲む1京8000兆個のミトコンドリアに、

酸素と栄養素をタップリと送り届けてATPと体熱を

ミトコンドリアに旺盛に産生してもらうための最良の養生メソッドだ。

今から12億年前にミトコンドリアが始原真核生物の体内に共生した。

ミトコンドリアは真核生物の体内に住み家を見つけ、

そのなかでホストである宿主細胞と共に生きることで、

すべての真核生物の体内にユートピアを築いたのだ。

わたしたちヒトもミトコンドリア・ユートピア共和国の一員なのだ。

いかにすれば無病息災で健康な一生を送ることができるのか?

その答えを求め続けるなかで、

わたしはミトコンドリアという存在に到達した。

「聖人と称し仏陀と号するも もとよりひとなれば、

畢竟 我 講求討論の友にして師とするものは

ミトコンドリアなり」

懸垂をやり、ストレッチをやり、青竹踏みをやり、

鍼を打ち、灸をすえ、自己指圧に励み、

食事にそれなりに気を使い、

そうしてわが身に共生するミトコンドリアと対話することで、

わたしのコンテンツは出来上がっている。

わたしのコンテンツは無名ゆえにたいしたことがないのか?

名がある者だけが素晴らしいわけでもあるまい。

ここに挙げている文献と同じく私の言葉だって負けていないはずだ。

我が師はミトコンドリア。

2017.06.11 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

テッペン

「私は生来あまり体質的に恵まれず、春夏秋冬風邪は引きやすく、その都度ゼイゼイと喘息様の息苦しさがあった。中学時代に風邪から肺炎となり、このときもかなり呼吸が困難であったことを覚えている。そして悪いことが続くもので、その後肋膜炎となり、さらに急性腎炎、さらには強度の貧血症となった。そのため多くの薬を飲み、胃腸障害を起こした。そのうえ増血剤といって渡された薬で、私は全く食欲がなくなり、日々体力の衰えていくのを感じた。このように薬ばかりに頼っていては命もなくなるという予感がして、一切の薬を止めてしまった。父が心配してそれなら木刀の素振りをせよとて、父の手造りの木刀を渡された。私は薬に代わるものを求めていたので、この教えに従った。そのとき木刀の素振りという言葉も覚えた。木刀は樫の木か何かで重みがあった。しかし残念なことに、それをするとすぐ疲れてしまった。それほどに当時は体力が低下していた。でも思いなおして毎日少しずつ増やしていくうちにそれに慣れて、私なりに素振りをしていた。今にして思えばこれが三呼一吸法であった。そのやり方を言葉にするとハッハッハァ、ハッハッハァ、ハッハッハァと三回ずつ力強く息を出す。そのとき木刀の振りおろしを十二回しては休み、また続けるといった工合で、三十分も続けると汗びっしょりになった。木刀の素振りの後は疲れはするが体中が温かくなり、後でさわやかさを感ずるようになった。そして三ヶ月もすると血色はよくなり、おまけに従来の多病を根こそぎ撃退してしまった。その後私はこれに自信を得て、毎日素振りを欠かさなかった。健康となって上京し東京医科歯科大学に学び、卒業後しばらくしてから学生時代にお世話になった解剖学教授の藤田恒太郎先生が東大へと栄転されていった。そして私は藤田教授の研究室に入れて頂いた。当時私は木刀の素振りと、貧血の克服とがどんな関係にあるのか知りたく、教授に教えを乞うたが先生は首をかしげておられた。・・地球上の大気の組成はあらゆる生物を活かす条件を備えている。大気中の酸素は血液内の赤血球のヘモグロビンと結合し、鮮紅色のオキシヘモグロビンとなって全身に行きわたる。それは力強い呼気によって促進される(反対に吸うことにとらわれた呼吸は案外効率がよくないし、長続きしない)。さて、そこで細胞内のミトコンドリアでは血液内のブドウ糖と豊富なオキシヘモグロビンから放出される酸素とを用いて、爆発的なエネルギーが生ずる。そのうちの熱エネルギーによって全身が温かくなる。坐ったままでもよい三呼一吸法を5セットから10セットほどすると、足の爪先まで温かくなる。三呼一吸法はきわめて即効性のある丹田呼吸であり、その都度みぞおちの後ろにある太陽神経叢(腹腔神経叢のこと)の働きもよくするので、三呼一吸法はこの自律神経の積極的な調整を行っていることがわかる。この三呼一吸法を活用した座りマラソン、木刀の素振り、タオル搾りなどを工夫して実践されると、人生は一味も二味も変わってくる。この三呼一吸法のための道具は万人の体内に備わっているので、それをフルに活用すればよいのである。要は実行する意志と努力にかかっている。丹田呼吸はその理論を知っていても実行しなければその効果は現れない。至極もっともなことである。三呼一吸法などはすべて力強い呼気の積み重ねであって心身ともに温かさを感ずる。これは実行してみない人にはわからない」調和道協会会長 村木弘昌




世に溢れる養生メソッドからホンモノだけを抜き取る。

それもまた私の仕事だ。

今回、ここに貼り付けた文章はまさに金塊に値するホンモノ文献だ。

この文章のなかに私たちを健康に導く大いなるヒントがある。

呼吸は吸うことよりも吐くことを重視する。

力強く吐けば、おのずと自然な吸気がなされる。

そうして力強く吐く行為が肺胞を活性化して、

その活性化された肺胞でヘモグロビンが酸素と結合すると、

酸素を吸着して真っ赤になったヘモグロビンが全身に送られる。

真っ赤になったヘモグロビンが顔にまで到達すると顔色がピンク色に変ずる。

これが貧血症が治り血色が良くなった理由だ。

酸素は地球に27億年前に出現した新しい元素だった。

しかもそれは嫌気性バクテリアにとっては猛毒だった。

12億年前、酸素をエネルギー源にできる新種の生命体が地球に誕生した。

それがミトコンドリア内臓型のハイブリッド真核生物、つまり

わたしたちのご先祖さまだ。

酸素をエネルギー源にすることで真核生物は地球の覇者となった。

ヒトという真核生物が活き活きと生きるために必要なことは、

全身の細胞内に共生するミトコンドリアに酸素と栄養を送ることなのだ。

そのためには血液の流れを良くして、その血液に豊富な酸素と栄養を

入れてやれなければならない。

血液に豊富な酸素を入れるためには三回強く吐いて一回吸うという

三呼一吸法という丹田呼吸法がベストだ、とここで述べられている。

また血液にミトコンドリアが欲する豊富な栄養素を入れるためには、

なんでもまんべんなく食べることが絶対に必要だ。

少食や断食を続ければミトコンドリアへ供給する栄養が不足してしまう。

そうなれば体温も下がるし、ミトコンドリアが生み出すホルモン&エネルギーの

ATPも不足して細胞生理が滞り、活動がにぶってしまう。

だからもしもミトコンドリアに豊富な酸素と栄養素を送り届けたければ、

正しい呼吸法と、しっかり食べることは、絶対に必須なメソッドなのだ!

万病を予防し万病を克服する方法は至極簡単だ。

息を吐ききって吸う。

美味しくなんでも食べる。

たったこの二つのことを実践するだけでも相当の養生効果が期待できる。

木刀の素振りで虚弱体質を改善し、

ミトコンドリアの生態から生命力の本質を知る。

真理の山頂への道のりは険しく、それぞれ異なるといえども、

テッペンからの絶景は誰にも等しく与えられる。

2017.06.11 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

ムーン・ウォーカー

「原因不明で、突然に足に力が入らなくなったと聞いたときには心配した。ところが彼は、自己流で治してしまった。その方法はというと、なんと後ろ向きのウォーキング!人間は、前向きにばかり歩くので、弱ってしまった足の筋がある。それを鍛えるのだといって、日に1万歩!も後ろ歩きして、どういうわけだか回復した。「後ろ向きに歩いていると、行き交う人が大変ですねと同情してくれるのだよ」ですって」山川みどり『考える人 季刊誌2007年夏号』新潮社




世の中には医学の常識など無視した、とんでもないツワモノがたくさんいる。

この冒頭文の登場人物は足の不調を後ろ向きに歩くことで治してしまった。

これもある意味、奇想天外で独創的な荒療治だ。

いぜんに私が常駐していたあるサイトの掲示板で私は仰天したことがある。

それはとある大人の御婦人がオトナになって仕事のストレスで突然に

アトピー症状が出て難儀した時、ふとスーパーの魚売り場で

サバの塩漬けを見たら、もう食べたくて食べたくていてもたってもいられず、

それを買って帰ってアブラがギットギトの塩サバを焼いて皮までそっくり

ペロッと美味しく食べた。

するとその塩サバを食べたあとに全身の皮膚になにか

急速にエネルギーが充満されていくのを実感し、

その晩ぐっすりと眠ると、次ぎの日の朝になったら、

アトピー症状がすべて消えていたという実話だ。

アトピー症は普通は塩サバを食べてたった一日で瞬間的に治るような

そんな生やさしい病症ではない。

しかし、この御婦人はスーパーの魚売り場で感じた「食べたい」という

自分の本能を頼りに行動し、アッサリと自分の苦にしている症状を克服したのだ。

通常医療の常識では考えられないようなこうした自然治癒例は、

世界中をくまなく探せば恐らくは膨大な実例があるはずだ。

そうしたシロウトの荒療治から、生命力の本質を知るキッカケが

得られるかもしれない。

わたしは冒頭のエッセイの一文に大きな示唆を受けていらい、

ときどき、後ろ歩きをすることにしている。

後ろ歩きをした時に眼に写る世界は実に新鮮で愉快だ。

それでマイケル・ジャクソンになった気分で、

ムーン・ウォーカー!

2017.06.10 | | コメント(3) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

メシウマ

「昔から、右肩が上がっている人は大食漢だといわれています。事実、右の肩が上がっている人は、食欲の旺盛な人が多い。これは、右肩が上がることによって、胸椎(背骨)から出ている胃液分泌の神経を刺激するため、食欲が増進するからです。また、食べすぎや胃液分泌が多すぎて胃を悪くするのもこのタイプの人。逆に右肩の下がっている人は、胃液分泌の神経の刺激が少なく、食欲不振になり、あまり食べられません。だから、食欲のないときは、右肩を上げるようにすれば、神経が刺激されて食欲が出てきます。食欲のないときは、新聞を左側において読みながら食べると、自然に右肩が上がるのでよく食べられます。少し右側に体重をかけて、からだをちょっと左にひねれば、右肩が前に出て上がります。左側に新聞をおいて読めば、こんな姿勢になります」  監修・橋本敬三 編著・茂貫雅嵩『操体法の実際』農山漁村文化協会





昨日は古くから馴染みの年配のもと大工の常連さんが来院した。

右肩の肩関節や肩甲骨内部の五十肩風の痛みが主訴だ。

コリの巣を探り、そこに鍼を打つ。

「あ〜、う〜、そこそこ、おぉ〜、よく効くわ!」

鍼の響きが好きなMさんは、いちいち鍼のアタリに感嘆の声を漏らす。

鍼治療が佳境にさしかかる。

コリの巣にとぐろを巻いていた竜たちが一斉に飛翔を開始した。

見るも鮮やかに肩甲骨の一点から飛び出していく竜たち。

肩甲骨の一点からはじまったコリの振動は全身の経絡を

波立たせていく。

やがてその波動が静かになる。

コリの巣に静寂が訪れる。

「Mさん、はい、これで、だいたい1時間!」

「おっ、うんっ、あれっ? 

俺、いま眠っちゃったみたいだな(笑)

あ〜、よく効いた!」

鍼を使った私の気の治療は、こういうものだ。



さて、冒頭の文献の内容は、なかなかに愉快だ。

右肩を上げると食欲が増すそうだ。

梅雨入りした日本列島。

梅雨の時期はやおら食欲が低下する。

そんな時、ちょっと右肩を上げて食膳に向かえば、

食欲が増すというのだ。

今日から右肩上がりで食事をする者が激増しそうだ(笑)

胃を支配する神経は胸椎だけでなく

頸部から出ていく迷走神経もある。

首や肩、肩甲骨の付近のコリを取ることも、

食欲増進には有効だ。

実は鍼治療をしたあとは、メシがやたらと旨く感じる。

これは私自身のいつもの実感だ。

昨日に治療したMさんも、今朝のご飯が美味しいはずだ。

鍼灸指圧はひとの体壁筋肉系に働きかけることで、

「体表内臓反射、内臓体壁反射」を介して

胃腸の蠕動運動を活発にする。

だから鍼灸指圧をするとメシが旨いのだ。

鍼灸指圧でメシウマニッポン。

2017.06.09 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

気身一如

「医学という言葉を聞くと、今、日本では、いわゆる西洋医学ということになっていますけれど、世界中を見まわしたら、いろいろな伝統的な医学がたくさんあります。しかし、大別して、いわゆる東洋医学と西洋医学とに分けることができます。西洋医学のほうは、科学を基盤にして、人間の感覚でとらえることのできる『モノ』というもので人間の病気をつかみ、また、『モノ』で病気を治そうとしてきたわけです。しかし、これは、たいへんなカベにぶつかっています。で、片方の東洋医学は、今の科学ではまったくキャッチできない『気』というものをもとにして考えているわけです。人間の体には『気』というものが流れていて、これが、とどこおりなく流れていれば健康だけれども、この『気』の流れがわるくなったのが『病気』だから、その流れをスムースにさせてやれば、病気というものは治る、というわけです。ハリやキュウでは『ツボ』ということを言いますけれど、体中に気の流れがあって、その結節点がところどころにあって、それが『ツボ』であると。だから、そのツボを、ハリとかキュウで刺激してやる、という治し方なんです。ところが、その気の流れとか、ツボとかいっても、いくら人体を解剖しても、何も見えないから、西洋医学では、こういうものを認めていなかったんです。しかし、その後、生物体から、人間の目に見えないエネルギーが出ているのを、特殊な装置で撮影できるようになった。ソ連の電気技術者の、キルリアン夫婦が、高周波を発振する電気回路を設計して、人間や植物から出ている目に見えないエネルギーの写真をどんどん撮りだした。アメリカでも、このキルリアン写真の研究グループができて、何冊も本を出しています。ところが、そこに生命体があったから、それからエネルギーが放射していて、それが写真にうつったんだ、と、こう考えますね。しかし、ここに重大な問題があるんです。ここに一枚の葉がありますね。この葉っぱは生きているから、まわり中にエネルギーを放射しているのが写真にうつります。ところが、その葉っぱの先の一部をハサミで切り取るんです。切ってしまったんだから、そこに『モノ』はないんです。ないけれども、まるで元通りにあるように、まわり中に光を出しています。これを、どう説明するか、という問題です。東洋医学では『気』というものは目に見えないけれど、これが体の中を循環していて、この『気』によって体ができて、動いている、と、こう説明しているんですが、これを科学でどう説明するか、というと、それは、できないでしょう。あらゆるものは原子からできていて、そのつながりあいで、いろんなエネルギーがでてくる、という考え方なんですから。こういうふうに、切ってしまっても、なお、そこからエネルギーが出ている、とうことは説明がつかないわけです。ところが同じ科学的な手法を使って、このキルリアン写真のようなものを出されると、今までの科学の立場をどう説明するか、ということになりますね。大変な問題だと思います。人間にも、同じようなことがあるんです。私の友だちで、交通事故で足を切られた男がいるんです。ところが、足の先は切ってしまって、ないのに、小指の先がかゆい、とか、親指がいたい、とか言うんです。だから、私なんかは、それは、頭の中に、足の先にあたる局在があって、そこが、かゆいとか、痛い、とかいう命令を出しているから、そう感じるんだろう、と言ってごまかしていたんですが、いざ、こういう写真を見てみると、そうじゃないんですね。モノ自体ができる前に、『気』というものが動いていて、その上に、いわゆる目に見える『モノ』ができている、ということになるんですね」大森英桜『正食医学 講義録第②集』日本CI協会





身と気はひとつなり。

身だけを診る西洋医学。

気だけを診る東洋医学。

もしも、身も気も同じように診る医学が完成したならば、

いまよりももっと医学は進歩するはずだ。

西洋医学と東洋医学はいまのところは水と油、犬と猿。

二つの医学のあいだには永遠に埋まらない大きな溝がある。

どうしたらこの溝を埋めることができるのか?

東洋医学者と西洋医学者がともに歩み寄る良策はないものか?

キルリアン夫婦のオーラの発見。

ハロルド・サクストン・バー博士の「エレクトロ・ダイナミック・フィールド仮説」。

クリーブ・バクスター氏の「プライマリー・パーセプション仮説」。

西欧人が科学的な手法で発見したこれらの気に類するエネルギー場の研究が、

今後進展していけば、もしかしたら西洋医学が東洋医学に接近する機会が

出てくるかもしれない。

果たしてそれはいつのことか?

あと数十年先か、あるいは数百年先か。

う〜む、そんなに先だと、オレ的には面白くないな(笑)

ということで、オレはオレで勝手にこれらの先端科学と東洋医学を独自に融合して、

オレ流のアヴァンギャルド気医学を打ち立てていくぜ!

気というエネルギーは身という分子世界をガイドするナビゲーションマップだ。

気という導きがあるからこそ、そこに分子が集合できる。

気身一如。

2017.06.08 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

大判振る舞い

「【顎裏を押す運動】

まず『正しく仰臥』し、ついで左または右の親指をもって、アゴの内側、すなわちノドボトケの上部を圧するのであります。これも一張一弛(いっちょういっし)の法則にしたがうので、圧力はかなり強くしてもさしつかえありません。この運動は客と対座してる時でも、電車のなかでも容易に実行することができるのでありまして、毎日欠かさず少なくとも50回くらいの圧力を加えるべきであります。速力は柱時計の一刻みに一圧を加えるくらいが適当であります。この運動は咽喉部のもっとも主要なる筋肉を丈夫にする方法で、運動方法は至極簡単でありますが、これを実行する時は、その効果はすこぶる顕著でありまして、容易にその部分の筋肉の発達を自覚することができます。この部分の筋肉の修練は、もっとも大切なものであるにもかかわらず、この点に注目したひとはもちろん、実行したひとは古来皆無といってよろしいと思います。それを我がベンネットが発見したので、これが咽喉部の発達に少なからぬ効果のあることを、実地に証明し得たのであります。太平洋の彼岸に横たわっていた米大陸、それは盲人でも容易に発見し得られるような、大きな、大きな大陸でありますが、コロンブスを待ってはじめて発見し得たようなもので、やはりこうした容易な運動方法でも、創始者の苦心は充分にかってやらねばならぬのであります」星利彦著『ベンネット式若返り運動法』谷口書店




ひとの体壁筋肉系はどこを押しても

押せば一酸化窒素の泉が湧く。

この一酸化窒素とは化学式をNOと表記するように、

酸素原子のOが1個と窒素原子のNが1個くっついた分子だ。

このNOという一酸化窒素は指圧で皮膚を押すと、

皮膚と血管壁からそれぞれ半分ずつ分泌されることが、

皮膚科学の厳密な研究から明らかにされている。

この皮膚と血管壁が指圧で分泌する一酸化窒素は、

血管壁に作用して血管を拡げるホルモンだ。

血管というパイプは収縮と拡張を繰り返すことで、

その内容物である血液を全身へ送る。

つまり一酸化窒素は全身へ血液をくまなく送るために

絶対に必要なもっとも基本的で大事な分子ガスホルモンというわけだ。

鍼灸指圧、つまりハリ治療、灸治療、指圧はすべて

ひとの体壁筋肉系に圧力や刺激を送り皮膚と血管壁から

一酸化窒素の分泌を活性化する。

一酸化窒素は血管を拡張して血流をスムースにし、

血圧を下げる作用のみならず、

免疫細胞のマクロファージを活性化し、

大脳の認知機能を高めることもわかっている。

NOの分泌量を増すことは、すなわち脳活効果を発揮する。

NO活=脳活。

これシャレでもなんでもなくまさに一酸化窒素を

活性化することは脳を活性化するのだ。

さて、ではこの一酸化窒素の絶大なる効能に浴するためには、

いったいどのようにひとの体壁筋肉系に働きかければいいのか?

それは他でもない私のような熟練の鍼灸指圧師のもとに

定期的に通って鍼灸指圧をルーティンな習慣として、

あなたのライフスタイルに取りこむことがベストに決まっている。

しかし、わたしの治療院が地理的にあまりに遠いとか、

鍼灸院に通うゼニがもったいないなど、様々な理由で

鍼灸院に通うのはチョットと思う貴殿貴女のために、

冒頭に挙げた自分で出来る自己指圧術を公開した。

【顎裏を押す運動(あごうらをおすうんどう)』

こんな運動法は恐らくはこれまで見たことも

聞いたこともないはずだ。

ある意味、非常にレアで貴重な情報だ。

静岡県立美術館の名物に巷間の俗名で「ロダンの考える人」

という彫刻作品がある。あれは実際は地獄門という作品の

門のなかで地獄に堕ちる者たちの様相を見つめる

「思索する人、見る人」というのが正しい認識だそうだ。

そんなネタはともかく、そうつまりは、

ちょうどあのアゴに手を当ててうつむく「考える人」ポーズで、

【顎裏を押す運動】をやれば、見ているひとからは、

あっ、あのひとはきっと何か考えているんだな、と

思われて、そんなに不自然ではないかもしれない。

いやべつにヒトサマが見ている場所で、わざわざこの

運動法をやる必要はないんだけど(笑)

アゴの下裏に片手の拇指を押し当てて、

頭の重さを利用して拇指に圧力をかけて、

それに対抗して拇指に反発する圧力をかける。

するとふだんはまず圧力などかからないこのアゴ裏の周囲に

一酸化窒素が分泌されて、この咽喉部の血流がスムースになる。

咽喉部はご存知のように頸部リンパ管が多数張り巡らされた

免疫ネットワークのメッカだ。

ということはアゴ裏一押し運動で、うまくすれば

咽喉部の筋肉の発達と頸部リンパ系の免疫活性化が

達成できるかもしれないのだ。

老化は首を見ればわかる、などとよく言われる。

首のシワだけは美容整形でも、なかなかごまかすのが難しいとも聞く。

若返り、アンチエイジングは万民の願いだ。

しかし、実際にそれを達成するのは至難のワザでもある。

ベンネットという方は50歳にして老人だったが、

一念発起して自己流の養生メソッドを実践することで、

70歳にして青年に若返ったという。

そんなベンネット式運動法のひとつが、

冒頭の【顎裏を押す運動】というわけだ。

たぶん、いてもたってもいられずに、

いまあなたはすでにアゴ裏に親指を当てているだろう。

これで今日からあなたは「ロダンの考える人」ならぬ、

「ベンネットの顎裏を押す人」の仲間入りだ(笑)

養生メソッドはとにかく、

ゼニ要らずで簡単で即効性があるのがベストだ。

鍼灸指圧の治療院に通うのがめんどくさいというご諸兄に、

今回は大判振る舞いで、とびっきりの情報を公開した。

ただし、あまりに喜んでアゴ裏ばっかり押し過ぎないように。

なにごともほどほどに。

そして長く継続すること。

アゴ裏だけでなく、どこを押しても

一酸化窒素でNO活できる。

全身をくまなく押すことをお奨めする。

2017.06.07 | | コメント(4) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

ピンコロ革命

「生命は永遠に変わることのない、宇宙の大生命の根源に通じている。仙人というのがいて長く生きていたそうだが、一体その仙人はどんな生活をしていたのだろうかと研究して来ると、やはりこの生命に帰一するのである。その仙人は、木の実を食べていた。清らかな水を飲んで、清らかな山の光線に当たって、朝早くからよく働いていた。田舎の長寿者はみなこの仙人のような生活をしている。そこには生命の四元ともいうべき強い日光、澄んだ空気、清らかな水、新鮮な食物が集まっていた。ここに住む百人が百人健康になった。いわゆる生命の泉である。ここに来れば病気で死ぬ人は一人もない。みな健康で天命をまっとうして安らかに大往生することができる。まるで油が尽きて燈心が風もないのに消えるように、苦しみ一つない、いわゆる生理的死がそれである。この生理的死には少しの病気もない。胃も腸も脳も肺も全部健康である。動物はみなこの生理的死で死んでいる。山へ行っても、だれも動物の死体を見ない。また、夏になると出てくるハエや蚊が一体どこへ行って死ぬだろうかとふしぎであるが、よく調べてみると、たとえば木の葉の裏などへ、ちゃんと自分で上手に死体を隠している。かれらは死ぬ前まで健康で、行くべき所まで行って死んでいるのである。ところが、今日そんな大往生をする人がないところを見ると、今日の医学の研究は生命を離れて端へ端へと行っていることがわかる。その意味で、今日の医学は回れ右をして、もう一度生命の根源へ帰って来なければならないと思う。・・今日の日本の状態はどうかというと、ある意味では日本全国病人だらけだとも考えられるのである。生まれたときは丈夫で生まれて来た人が、死ぬときはみな病気で死んでいる。なにゆえに生理的な大往生ができないで病気で死ぬのかと考えるときに、今の栄養とか衛生の問題を根本的にたてかえなければならないことがわかる。・・人間は本来健康体になれば自分の体のことなどは考えなくなって、人のためにしたくなるものである。日本が健康になれば、隣の国の世話もしたくなるのである。その時に初めて平和の世界が実現するのである。われわれは平和の世界を計画する前に、わが日本の平和を、なおその前にわが身自身の平和を確立しなければならない。すなわちわが身の心と体と、血液と部分との関係がうまくいっているかどうか、血の回らない所はないか、汚れている所はないかを考え、まず自分自身の真の健康を打ち立てなければならない」二木謙三『健康への道』竹井出版





今の我が国の医療問題における焦眉は年間医療費40兆円という負の遺産。

医療経済学においては、この40兆円をいかに削減するかが、

喫緊の課題だ。

しかし、いまだ最善の解決策は提示されていない。

わたしが思うに最速でこの医療費40兆円を圧縮する方法はひとつしかない。

それはピンピンコロリの一大国民運動、

すなわち「ピンコロ革命」を引き寄せることだ!

ピンピンで元気に生きて、

ある日、気がついたらコロッとあの世へ逝っている。

そんな国民ばかりになれば日本は世界に冠たる養生王国と胸を張れるだろう。

このブログに日参し、毎日読んでくれている200余名のみなさん。

あなたこそがピンコロ革命のパルチザン、戦士なのだ。

健康大国ニッポンを目指して、ともに闘いましょう!

2017.06.04 | | コメント(4) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

食=宇宙

「食は人・物ともにその親にして道の太本なり。ゆえに転定(てんち)、人・物、皆、食より生じ食を為す。ゆえに食なきときは、人・物すなわち死す。食を為すときは人・物つねなり。ゆえに人・物の食はすなわち人・物なり。ゆえに人・物は人・物にあらず。食は人・物なり。わけて人は米穀を食して人となれば、人はすなわち米穀なり。人ただ食のために人と成るまでなり。かつて別用無く、上下、貴賎、聖釈、衆人といえども食して居るのみの用にして、死すれば本の食となり、また生じて食するまでの事なり。ゆえに言語も聖釈も説法も教解も、鳴くも吠ゆるもみな食わんがためなり。ゆえに世界は一食道のみ。しかるに聖人・釈迦、品種の書説をなして食道のゆえんを説くこと無し。これおのれら直耕の食道を盗み、不耕貪食するゆえ、これを恥じ食道を説かざるは重失なり。みだりに百味の飲食、八珍の美味など、奢賁(しゃひ)の妄言をいえども、食道のゆえんを言わず。道の太本をうずむるは私の妄言のみ。ゆえに世を迷わすなり」『人の食は道の太本、之を言わざるの失(あやま)りの論』安藤昌益




人間も動物も植物もバクテリアもみな食べるために生きている。

人間も動物も植物もバクテリアもみな食べるから生きていられる。

人間も動物も植物もバクテリアもみな食べなければ生きられない。

人間も動物も植物もバクテリアもみなその命は食により養われている。

地球上のすべての生き物の命を養う食。

食こそが地球の生命系を養うおおもとだ。

と、冒頭の安藤昌益の言葉を私流に意訳してみた。




いつからか意味不明の糖質制限という言葉が流行り、少食や断食がブームだ。

食べ過ぎ、飲みすぎの反動から起こったこうした食の制限ブームだが、

食べないというベクトルは私にはある意味、死を志向しているように見える。

すべての生き物は食べるために生きている。

いや食べるためだけに生きていると言っても過言ではない。

そしてそれが命の自然な生理、営みなのだ。

だから食べることを否定する食の制限ブームは、どう考えてもおかしい。

腹が減っては戦は出来ぬ。

腹が満たされてはじめて活動が出来るのだ。



生命史におけるわたしたちヒトという動物の起源を遡ると、

5億年前の腔腸動物のヒドラの祖先にたどりつく。

その花瓶のようなラッパのようなナリの生き物は、

頭の花瓶の口の細胞がセンサーとなり周囲のアミノ酸を探知すると、

矢のようなトゲをピュッと放ち、近くにいるイトミミズを

捕獲し、その腸管内に取りこむ。

そうして獲物の養分を吸収すると、残滓を花瓶の口から吐き出すのだ。

「喰って寝て起きて糞して子が親に子が親に」

ヒドラから延々と繰り返されてきたこの命の営みが、

やがて魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類の「動く物たち」を、

すなわち動物界を生みだしたのだ。

人間はこれら動くもののトップに位置する万類の霊長と自負し、

自分たちを霊長類などと自称する。

しかし、わたしたちももとをたどれば花瓶のようなナリのヒドラであり、

いまも「食って寝て起きて糞して子が親に子が親に」を

繰り返す単なる動物の一種に過ぎない。

なにを偉そうに霊長類だの、ホモサピエンス、知恵のあるサルだのと

人間は威張っているのだろうか。



どんな高尚な哲学も教義も特にそれほどありがたくもない。

ありがたい本当に大切なものは、日々、わたしたちの身心を

養ってくれる食それだけだ。

食ほど大切で大事なものはない。

食こそが人生における一大事だ。



その食を生み出すは農村漁村の営みであり、

その農や漁の営みを育むのは大地や海や空であり、

大地や海や空は、地球と宇宙により成り立つ。

わたしたちひとは食を通じて、

農や漁や大地や海や空や地球や宇宙とつながる。

食=宇宙。

2017.06.04 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

NO活

「我々を取り巻く空気の78パーセントは2原子からなる窒素分子によって占められている。窒素分子の2個の窒素原子は非常に強い三重結合で結びついている。この結合を壊すことができるのは、ごくわずかな微生物に限られている。呼吸をするつど何百万もの窒素分子が肺を出入りしているが、同化されるものは一つもない。地球の窒素の99パーセントは大気中の窒素ガスとして貯蔵されている。残りの1パーセントが土壌や海洋や生物体内に含まれている。地球に住む我々人間や他の生物は、窒素ガスを利用可能な形に変換してくれる『窒素固定細菌』と呼ばれる特殊な原核生物(古細菌や細菌)に頼らなければならない。進化における窒素固定の「発明」は光合成(炭素固定)に匹敵する地球の生命史の要になる出来事だった。光合成によって生物圏が太陽エネルギーと二酸化炭素(炭酸ガス)の炭素を利用する仕組みが初めて作り出されたように、窒素固定によって大気中に含まれる大量の窒素源が利用できるようになった。・・窒素ガスを固定する微生物にとって、克服しなければならない最初で最大の難関は、2個の窒素原子を結びつけている非常に強い化学結合を壊すことだ。結合が壊れてしまえば、自由になった窒素原子は水素、炭素、その他の元素と結合してアミノ酸、タンパク質、その他生物に重要な分子を作ることができる。窒素固定細菌が死んで分解したり食われたりすると、窒素は他の生物が利用できる有機分子として食物連鎖に入る。我々の体のタンパク質や遺伝子に含まれる窒素のほとんどすべてのものは、どこかで窒素固定細菌を通ってきたのだ。世界各地の土壌や海水に住む何万種もの細菌のうち、窒素固定をしつつ自由に暮らせる細菌は約200種にすぎない。これよりいくらか一般的なものとして、宿主植物の根に住みつき、植物に窒素を与え、お返しに光合成産物(炭素やエネルギーが豊富に含まれる糖類)を受け取るものが知られている。世界中の窒素固定生物は、自由生活を行うものも共生を行うものも、同じ酵素であるニトロゲナーゼを用いて窒素ガスをアンモニウム(1個の窒素原子に4個の水素原子が結合した利用しやすい分子)に変える。ニトロゲナーゼは酵素のうちでも二つの意味で文字通り巨大な存在だ。まずサイズが巨大で複雑だということ、もう一つは地球規模の生化学における巨人ということである。自然界の壊れやすいバランスを心配する人は、この貴重な酵素が全地球に数キログラムしか存在しないことを知ったらかなり不安に駆られるかもしれない。全世界のニトロゲナーゼを集めても、たった1個の大型ビーカーやバケツに入ってしまう量にすぎないのだ。これを失うと今日の地球の生命は停止してしまう」デヴィッド・W・ウォルフ著 長野敬+赤松眞紀訳『地中生命の驚異 秘められた自然誌』青土社





わたしたちひとは呼吸で肺から窒素を取りこむことはできない。

肺に吸い込んだ空気の約80パーセントは窒素なのに、

肺では窒素は取り込めない。

窒素は人体に必須の原子であり、アミノ酸やタンパク質や核酸を作るために

必須の原子だ。

このひとの生命維持に絶対に必須の窒素原子をひとは肺で取り込めない

かわりに、口から食べ物として取り込む。

食べ物のタンパク質やアミノ酸に含まれる窒素を消化器の消化酵素で

分解して窒素原子を腸管内で血液中に吸収するのだ。

この食べ物に含まれる窒素は例えば枝豆の場合は

その枝豆の根に共生するリゾビウムという窒素固定細菌が

空気中の窒素をニトロゲナーゼという酵素で分解して

アンモニウムに変換して枝豆の植物体内に取り込み

タネである枝豆の豆のなかにアミノ酸のアルギニンとして蓄えたものだ。

この枝豆に含まれるアルギニンはひとに食べられると、

口から胃に落ちて胃液のタンパク質分解酵素で分解されて、

小腸の絨毛からひとの体内に取りこまれる。

小腸絨毛からひとの体内に取りこまれた枝豆のアルギニンは、

ひとの血液の流れに乗って全身に運ばれると、

9万6000キロの血管壁で血管を拡げる一酸化窒素という

ガスホルモンの材料に利用されるのだ。

指圧で皮膚と血管壁を押すと皮膚と血管壁からそれぞれ半分ずつの

一酸化窒素が作られることがわかっている。

大気中にある80パーセントもの窒素は肺では取り込めないが、

こうして枝豆のなかに含まれていた窒素はひとがそれを食べることで、

ようやくひとの生理活動に必須の分子として利用できるのだ。

血管を拡げる一酸化窒素というガスホルモンは、

血管を拡げて血液を全身に送るために絶対に必要なもっとも基本的で

大事なホルモンだ。

血液が全身に行き届かなければひとの60兆個の細胞は酸素や栄養素を

受け取ることができずに生化学反応がストップしてしまう。

だから血管壁が自前で生み出す血管拡張ホルモンの一酸化窒素と

血管収縮ホルモンのエンドセリンは、ホルモンのなかでは、

もっとも重要で大切なホルモンとされる。

この人体にとってもっとも大事なホルモンである一酸化窒素の

NOのNの窒素は、実は他でもない土壌微生物の窒素固定細菌が

空気中の窒素をニトロゲナーゼという酵素で分解して取りこんでくれたからこそ

わたしたちは窒素を手にすることができるのだ。

枝豆の根に共生する窒素固定細菌がいなければ、

ひとは血管を拡張することすらできない。

わたしたちひとは枝豆と一心同体、いや

枝豆の根に共生する窒素固定細菌と一心同体、いや

土壌と大気と、いや、地球と宇宙と一心同体の

天人合一な存在なのだ。

ひとの血管壁は指圧で押されると一酸化窒素・NOを生む。

指圧はNOを活性化する最良の治療法なのだ。

指圧こそが最強のNO活だ。

2017.06.03 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

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