森の医学

「目に見えない経絡や経穴が、かくも精緻にとらえられてきたのは何故だろうか?長年の試行錯誤と経験の積み重ねによって身体をめぐる経絡が一つ一つ探り当てられていったというのが常識的な理解ではあるだろう。しかし、紀元前にすでに経絡の大半が記載されていたことを考えると、経験の積み重ね説にはどこか無理がある。むしろ、身体を流れる気の通路を実感できる『経絡敏感人』や気の流れが目に見える特異能力を備えた人びとによって、経絡はその存在をとらえられてきたと考えた方が自然なのではないだろうか。事実、それを裏付けるような話を白寿会診療所の森万寿夫博士から聞いたことがある。白寿会診療所にある日来診した少女は、自分自身だけではなく、いろいろな患者の経絡を指でたどり、ツボを指摘したそうだ。それが経絡図とぴったり一致するので驚いた森先生がどうして分かるのかときくと、少女は目に見えるのだと答えたという。この少女は中卒で、経絡や医学に来する知識はまったく持っていなかった。森先生はこの少女の特異な能力について、いろいろな角度から検討して詳細な記録を残しているし、東洋医学研究の第一人者である間中善雄博士もこの少女を診察している。ただし、この少女の透視能力は、病気が治るとともに消失してしまったらしい」勝田産婦人科医院院長 勝田正泰『気から経絡を考える』別冊宝島103「気は挑戦する」より



紀元前をさかのぼる古代中国大陸の表面は

今のはげた黄砂の大地と異なり、

国土の80%以上が樹木に覆われた大森林だった。

鬱蒼としたその森にはゾウやトラが跋扈していた。

そうまるで「もののけ姫」の世界だ。

森の空気は澄み、そこに住む人々の感性は

豊かで鋭敏だったはずだ。

そんな時代に東洋医学の基本コンセプトができた。

そんな時代に暮らした森の住民は、

その鋭敏な感性で、経絡や経穴を直接に

見ることができたのか?

きっとできたのではないだろうか。

そんな仮説をこの冒頭文を読んだのちに、

ずっと私はこの胸に温めてきた。

今の時代に生きる鈍感な者でも、

訓練を積めば、どうにか気を感じるくらいはできる。

と、自分の経験を踏まえて感じる。

こんな汚れきった世界でも気は感じることができるのだ。

だとしたら、汚れていないまっさらな古代の森の中なら、

きっと経絡や経穴は見えた、

いや今よりもはるかに気を捉える能力は

高かっただろう。

現代人の常識など古代世界には通用しない。

想像力をたくましくしなければ、

東洋医学の真実は読み解けないのだ。

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2017.03.30 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

羅針盤

「人体にくまなく浸透し、それを包みこんでいる生命場は電磁気エネルギーでできている。そして、そのエネルギーが体内にあるとき、わたしはそれを『生命力』と呼ぶ。生命力という概念はこむずかしい形而上学や哲学的な教義から生まれたものではない。それは単純な観察と、だれにでもよくわかる日常的な理解から生まれている。長いあいだ多くの患者を診てきて、わたしもそれが実在すると確信している。著明な精神分析学者、ウィルヘルム・ライヒは、その生命力の感じを『ジンジンするような感覚』と表現したことがある。多くの研究を重ねたライヒは、その生命エネルギーが体内にばかりではなく、『宇宙の力』というかたちで体外にも存在すると確信するようになっていた。バー博士やライヒ博士のほかにも生命力について書いている人はたくさんいるが、わたしがその存在を信じている理由のひとつは、自分がそれを頼りに仕事をしてきたというところにある。生命力についての知識がなければ、わたしはけっして多くの人を助けることができなかったはずだ。オステオパシーの手技の訓練のおかげで、わたしの手はいつの間にか、患者のからだにさわるだけで、エネルギーの動きやブロックのようすが感じとれるようになったのだった。指に感じる生命力とはどんな感覚なのかと、多くの人に聞かれる。ことばではうまく表現できないが、なんとか説明しようとすれば、ピリピリするような感じということになるかもしれない。ライヒもそうだったが、それがいちばん近い実感なのだ。健康で生命力にあふれている人にさわるとき、わたしの手も『ジンジン』するように感じる。しかし、指がすべっていかずに立ち往生するようなときは、その人のからだも鈍り、生命力がブロックされていることがわかる。・・・もし生命場が目に見えれば、それは人間の影のかたちのように見えるはずだ。あたまのまわりを丸くとりかこみ、肩の部分でひろがって、腰でせまくなり、足に向かってだんだん細くなっている。ある意味で、生命場はからだの片割れ、残りの半分だと考えることもできる。からだの半分は、われわれがふだん人間として認識している肉体であり、あとの半分は目に見えない『場』なのだ。一時期、科学者たちはその生命場をしらべ、皮膚から1センチ弱ほどのものを検出したことがあったが、最近の研究では皮膚から80センチ以上もあるということがわかっている。」ロバート・C・フルフォード&ジーン・ストーン著 上野圭一訳「いのちの輝き」翔泳社






先日の3月27日にこのブログにアップした記事「フォースと共に」で

触れたハロルド・サクストン・バー博士の動電場について、

アメリカの伝説的な手技療法家でヒーラーであったロバート・C・フルフォード博士が

その唯一の著書で言及している箇所を冒頭にピックアップした。

少し長い引用で読みでがあるが、読む価値のある情報だ。

この本の初版が1997年。

ちょうど今から20年前だ。

わたしがいまの治療院を開業して5年経たかどうかの

治療師として駆け出しの頃に出版された本だ。

当時は夜間の主張治療をしていた。

その出張先の隣町の吉田町からの帰宅の折に、

さらに大井川の橋を越えて今では焼津市に

合併された旧大井川町の書店にブラリと足を延ばし、

この本を探しにいき、まさかあるとは思えないような

その書店の棚にこの本を見つけた時は、

なんともラッキーな気分になったのを、今でも鮮明に思い出す。

ラッキーな気分になったのは、決してまんざらではなかった。

この本には、自分が知りたいことの、ほとんどすべてが

書かれていたといっても過言ではない。

あれから20年。まさにこの本は私の羅針盤、座右の書となった。

この本のなにがいいかって?

例えば訳者が上野圭一さんだよ!

鍼灸界で彼の名を知らぬ者はいないといえる程の

鍼灸師&翻訳家が翻訳しているのだ。

この本が優れて読みやすく、また濃いコンテンツであるのは、

翻訳を担当した上野圭一さんの力によるところが大きいと

わたしはみている。

そして、書き手のフルフォード博士はといえば、

伝説の手技療法家なのだ。

医の原点である「手当て」を仕事にし、

そのなかで生命の実相を把握したいち治療家。

かれが得た体験知と哲学のすべてが余すところなく

この本に描かれている。

恐らくはフルフォード博士もすでに鬼籍に入られて久しいだろう。

本つまり活字はあくまで二次元の情報だ。

活字で三次元のリアルな世界のすべてを伝えることは不可能だ。

しかし、そんな平面に閉じこめられた二次元情報の文字が、

何千キロも離れた島国に住む孤独な鍼灸指圧師の心を癒し、

その心を20年以上にもわたって、

ゆさぶり、鼓舞し、励まし続けることもあるのだ。

自分が感じている生命力を、おなじように感じている者がいた。

そして追及している世界も同じ。

そんな同士を見つけた時、わたしがどれほど嬉しかったか。

江戸末期の葦原検校と共に、フルフォード博士は、

わたしにとってマスター(師匠)と呼べるひとりだ。

マスターと呼べる者はその他にも何人かいる。

「 Light 」の記事に登場したわたしの鍼の師匠もそのひとりであるし、

ここのところ頻繁に登場するハロルド・サクストン・バー博士も、

クリーブ・バクスター博士も、間中善雄博士も、みな師匠だ。

いや師匠と呼ぶならこれまで触れた患者さんは

みな師匠であるし、その身体に立ち上がった竜こそ、

わたしに生命の不思議を教えてくれたグランドマスターだ。

気の動きを龍に例えるのは江戸期の鍼術の一派「杉山真伝流」では、

なんと! 普通の事だったようだ。

その杉山真伝流の祖流となるのが近世江戸をさらに遡る

中世日本の鍼術一派の入江流とされる。

その入江流の『皆伝・入江流鍼術』なる書物が近年に発掘され、

ふたりの鍼灸家の手で解読が試みられた。

その本のなかで、鍼の『手の内』が解説されている。

入江流には15の鍼の操作術が書かれていた。

その表現は日本的な文学的なもので、

読解は難儀を極めた。

我が業界のスターであろう長野仁氏と、

大浦慈観氏のご努力により、

その難儀な読解が進み、その全容が明らかにされた。

お二人の尽力に多大なる敬意を表す。

15の鍼の操作とはいかなるものか?

そのひとつになんと龍が出現しているのだ!

東洋医学は本当に奥が深い。

日本に伝わった鍼灸術は日本人の手でアレンジされて、

日本独自の文化に練られて、

日本特有の日本鍼灸へと変容した。

日本鍼灸の凄味は2000年つづいた気の医学を、

生き物に例えることで手の内に落とし込み、

そのおもてなし精神は現代の鍼灸指圧師の手で

さらにアレンジが加えられて、

生命場の領域へとつながった。

2000年前から中世日本へ、

そして現代から未来へ。

気の流れは時空を越えて

竜に導かれる。

2017.03.30 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

ホンモノ

ひとくちに東洋医学といっても、

そのカテゴリーは多様で多層だ。

一般に按摩マッサージ指圧と一括して呼ばれる手技部門に

おいても、様々な流派や派閥、伝統がある。

また鍼灸にいたっては、そのニッチをインデックス化する

ことなど不可能ではないかと思えるほどに、

大小の多くの研究会があり、伝統派から革新派まで千差万別だ。

世界を見渡せば中国はお国柄ゆえに覇権主義、膨張主義を

前面に押し出した鍼灸は中国のものだ的な中医学の

主張が激しい。またいまではアメリカや欧州においても、

また南米やアジア諸国においても、それぞれの地域に

固有の鍼灸医学が芽生えてきている。

すでに鍼灸は東洋医学というよりも世界医学の様相を

呈しているのだ。

さて、我が国に中国、韓国を経由して鍼灸医学が

伝わったのが西暦400年代とされる。

韓流スターならぬ韓国の僧侶が来日し、

鍼灸術を伝授したのが日本鍼灸の始まりのようだ。

爾来、明治維新まで我が国の主流医学は日本鍼灸、日本漢方だった。

明治維新という突発的な事故、アクシデントにより

ある程度は日本鍼灸の伝統の系譜が断絶した。

一子相伝、師から弟子へと技を伝えるのが鍼灸医学だ。

そうした伝承方式は万事が合理主義の

近代社会と折り合いが悪い。

効率重視でゼニ儲けを至上とする近代社会は、

ひとつの技、熟練の腕を生みだすのに

多くの時間をかけて手間暇をかけねばならない鍼灸医学を

育むのには適した社会ではないのだ。

また本来は漢方薬は鍼灸医学とセットで扱うものだが、

これもどういうわけか今では西洋式のやり方で

処方される始末だ。現状に文句を言えばきりがない。

そうした日本鍼灸を取り巻くモロモロの

ここ130年余ではあったが、

近年になり日本鍼灸の古典医書の発見や復刻、

解読がややトレンドと呼べる程に活性化している。

戦後にGHQが我が国に鍼灸禁止令を発布しようと

たくらんだ事は我が業界ではつとに有名だ。

しかし、それをなんとしても阻もうと、

立ち上がったのは鍼灸師のみならず時の西洋医であった

ことも私たち鍼灸家には周知だ。

その先頭に立ったのが曾祖父に華岡青州の門下生を

もつ医師の石川日出鶴丸博士であったことは、

鍼灸家なら必須の知識だ。

石川博士たちの功績がなければ、

恐らくは私たち鍼灸指圧師は今の日本には存在しない。

日本鍼灸がかろうじて継承されたのは、

石川博士と志しを同じくしてGHQと闘った

時の医師や鍼灸家たちのお蔭であることを

私たち鍼灸家は忘れてはならないのだ。

ということでザックリと日本鍼灸、

日本の東洋医学の歴史を振り返ってみたのだが、

ええと、何を言いたかったか?といえば、

そうそう、そうだ。

奇跡という言葉をあまり使いたくはないのだが、

私のこのブログのコメント欄にコメントを

くださった「爪食めば」さん、は

すでにコメント欄を読んでいる皆様もご承知のように、

わたしと同業の鍼灸師であります。

鍼灸師が開設しているブログに同業の鍼灸師が

コメントをくれる、というのは、

実はけっこう難易度が高いというのが、

これまでの私の認識でした。

というのは、やはり鍼灸師は、ひとりひとりが

お山の大将で一国一城ならぬ鍼灸院の主(あるじ)

ですから、それぞれに個性ある主張や信念、

哲学、ライフスタイルがあり、

それゆえに、ヨソサマ鍼灸師の入り込めない

ある種のバリアーというか、砦(とりで)を

築いている。当然だよね。

そうでもしなければ、自分の立ち位置が侵されて

グラグラしてしまうからね。

あるいはウッカリと自分のワザのコツでも盗まれたら、

それを売りにされて、自分の売りネタが奪われる

危険性もある。

デフレの厳しい今の時代では、

私たちもニッチを確立して生きていくのがたいへんなのだ。

そうした諸事情もあり、ブログでコメントを交換し、

鍼灸師同士が共に侃々諤々と楽しく語り合う、

などというケースは絶対にないだろうと、

諦めていた。いや、ほんの少しの希望を残しつつ、

このブログをこれまで続けてきた。

そして、ご存知のように、奇跡(笑)が起きた。

わたしは自分のワザやコツを秘匿する気は

さらさらない。そもそもワザやコツは

文字で伝授することなど不可能だからね。

そしてもしもワザやコツが文字で伝授できるのなら、

なるべくホットな旬のうちに、そのワザやコツを文字化して

公開する方がイイ、というのが私の美学だ。

文字にしてそこからインスピレーションを得て、

それがヨソサマの糧になるのなら、

それは技が伝承されたと云えるのだ。

掲示板などではお互いの了見がバッティングすると、

醜い諍い、読むに耐えぬ罵詈雑言祭りに至る。

ヘタをするとこうしたブログのコメント欄も、

そうした傾向に陥る場合もある。

私はなるべくなら私のブログのコメント欄を

建設的に活用したいと常々考えている。

同業の鍼灸師である「爪食めば」さんのコメントに

触発されて、この私が日本鍼灸の古典医書を

まじめに読んでみようか、などと思うに至ったのだ。

これがこのブログの建設的効果でなくて、

なんであろう。もっともその古典医書も

一度ならず何度もページを開いてはいるのだ。

古典を読解するのは、かなりハードルが高い。

むしろどなたかインテリジェンスが豊かな方が

解読して咀嚼してそのひとの言葉で書かれたものを

読むほうが、はるかに楽だろう。

だから、自分も古典をそのまま読むというよりも、

解説文からヒントを得るクチだ。

たった一節の言葉、たった一字から、

大きな閃きやインスピレーションが湧くことがある。

そうした出会いが古典医書を解読する楽しみだ。

江戸のはじまる前の中世にも、もちろん日本鍼灸はあった。

ネットなどない時代には、絵入りでツボの位置が書かれて、

そのツボの主治症が列記された本は、

とてつもなく貴重なコンテンツだったはずだ。

そんな日本鍼灸の古典医書が近年に発掘され、

その解読に挑む鍼灸師が増えてきているということは、

なにやらとても嬉しく感じる。

ホンモノたちを神は決して見捨てないだろう。

ホンモノになるために、今日も精進だ!

2017.03.29 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

治る力

うちの治療院の常連さんで、

私の治療で花粉症がほとんど完治した方がいる。

今年は昨年の3倍量の花粉が飛んでいるけど、

その常連さんには今年も花粉症の症状がほぼ出ない。

この一例を誇大宣伝にして、

オレの鍼灸指圧で花粉症は完治する!

と大書きしたポスターでも作って貼れば、

アタシもついにカリスマ鍼灸師の

仲間入りができるかもしれない(笑)

もちろん、そんな事は当たり前ですが、

しません。

治った例の隙間には、

治せなかった例が夥しく積まれている。

それがリアルでシビアな現実なんです。

アッ、こんな事を正直に告白しているから、

いつまでたってもカリスマになれないわけだ(笑)

ヒトの身心は72億人のすべてで異なる。

ひとりひとりがみなまったく異なる身心を持つ。

だから、あるヒトに効いたある療法が、

ほかのだれかに効くことはまずない。

いや、効くかもしれないし、効かないかもしれない。

それはやってみなければわからないのだ。

こんな症状があるが、鍼灸指圧で治るか?

とよくわたしたち鍼灸家は聞かれる。

治るか、治らないか、など一度、身体を触って、

治療をやってみなければわからないに決まっているだろうが。

もちろん、最初から治せないものもある。

西洋医学で難病とされるようなものは、

東洋医学でも難病だ。

そんな非可逆的に進行した変性疾患は、

たぶん、どんな奇跡の手でも、

魔法でも、治せない。

もちろん、カリスマではない

ただの手の私の普通の治療でも治せない。

だけど、通常の活きた凝りの範囲、

つまり可塑性があり、非可逆的な変性にまで

至っていない可逆的な状態の症状ならば、

私の治療でも、治る可能性は大だ。

「治す」というのは「治る力」を引き出すということ。

もともと治る力は本来的に患者側の身心に

備わっているのだ。

その患者側の治る力を引き出し治すのが、

鍼灸指圧師、すなわち治療師の役目だ。

2017.03.28 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

さらに上を

「・・・アメーバ(NHKブックス)の著者、太田次郎氏によると、生体にみられるいろいろな運動型には共通点が多く、そのしくみの根源にATPと収縮性タンパク質よりなるエネルギー転換系が存在するらしいことが明らかになり、生物の多様性にもかかわらず、その起源には一元性が存在し、長い生物進化の間に進化していったにすぎないという。・・・原形質のゾル・ゲル転換がどのようにして運動につながるかは、まだ不明の点が多いようだが、アメーバの外側と偽足の前端部ではゲル化しており、内面と反対側はゾル状であるということから、ゲルが陽の働き、ゾルが陰の働きを担っていると云えよう。ゲルがなければアメーバ運動がおこらないことは確かで、アメーバに高圧を与えて完全な液体状のゾルになると偽足は出ないでアメーバ運動はみられず、内部でブラウン運動が観察されたという実験がある。ここで興味のあることは、圧力を加えるとゲルがゾルにかわる性質は、アメーバのみならず多くの細胞の原形質に備わった性質で、揺変性(シクソトロピー)と呼ばれる。揺変性は、高い圧力を与えないでも、原形質の中でガラス針を振動させてもおこる(前掲書)ということである。・・・そこで『圧を加えるとゲルがゾルにかわる揺変性』を思い出してもらえば、コリや硬直などの実に対し本能的に圧を加える手技療法が、まず医療に現れたこともうなずける。その揺変性が、高い圧力を加えないでも、原形質の中でガラス針を振動させてもおこる、というのが、鍼灸の着想にピタリと当てはまる。その他いろいろの刺激を、経絡のツボに与えて実をとろうとすることは、このようにしてゲル化したままで揺変性を失っている原形質にゾル化を促進する方法として考えられた、ということをコロイド化学の面から裏付けることができよう。」増永静人著「経絡と指圧」医道の日本社より引用





【 ヒトの皮膚は鍼灸指圧の刺激で圧力を受けると、

皮膚内が「ATP⇔ADPのゆらぎ」が高まることで、

活きた凝りの内部のコリの本体である変性タンパク質が

ATPやヒートショックプロテインや一酸化窒素などの

分子カクテルで攪拌されて、変性タンパク質を分解する

ユビキチン・プロテアソーム系やオートファジー系が

起動することで、変性タンパク質はアミノ酸に変換される。

アミノ酸に変換されたコリの原因分子であった変性タンパク質は、

また細胞核セントラルドグマの働きで新たなタンパク質に生まれ変わる(c)】





冒頭文の増永コンテンツに、私独自の解読の【(c)】コンテンツを

融合し、さらに発酵させれば、

コリをほぐす事の科学的メカニズムを十分に説明できる、

と私はいま確信する次第だ。



鍼灸指圧はなぜ効くのか?

その問いになんとか答えを見いだし、

なんとか大衆の目をこちら側に向けさせるために、

わたしたち鍼灸指圧師は、これまで決して

ボンヤリとなにもせずに過ごしてきたわけではない。



そう必死に鍼灸指圧がなぜ効くのか?

を科学的に明解に解説しようと努めてきた者が、

たしかにいたのだ。



先人を師とし、先人のコンテンツをさらに洗練させる。

増永コンテンツが不朽の逸品である如く、

今村コンテンツもさらに上を目指す。

2017.03.27 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

フォースと共に

「あらゆる生物システムの形態または組織は、複雑な動電場によって形成される。動電場と、それを構成する物理的化学的成分との間には、『成分が場を決定し、逆に場が成分の動向を決定する』という関係が部分的に成り立っている。動電場は、物性的には電気的性質をもち、その特性ゆえのかたちで生物システムと結びついている。また、この場というもの自体、生物システムの存在に起源を起源をもつ部分がある。したがって、動電場とその構成要素は、相互依存の関係にある。動電場は、単にパターンを形成するだけでなく、生命体の盛んな物理化学的新陳代謝の中で、パターンを維持し続ける能力がある。だから、それは生命体をコントロールするものであり、その活動により、生命体に全体性、組織性、および継続性が生じるのだといえる。したがって動電場は、ドリーシュのエンテレヒー、シュペーマンの発生場、ワイスの生物場などにも匹敵するものである」ハロルド・サクストン・バー著 神保圭志訳「生命場の科学」日本教文社




東洋医学はヒトの身体をただの物体と見なすことなく、

物体としての身体を取り巻き、それをはぐくみ、

養うある種の生命力の根源的エネルギーと呼べる気(き)と

いうナニカを設定することで、東洋医学の生命観を打ち出した。

まだいまのように科学が発達していなかった2000年以上前の

中国で、古代の鍼医は気などという意味不明のトリセツ用語を

設定することで、大衆を煙に巻き、医療という既得利権を

保持する姑息な手段を使ったのか?



気など無いと、現代科学に洗脳された者たちは思いたいだろう。

しかし、鍼灸指圧師になって25年余。

気などあるわけがない、という思いを十分に尊重できるほどに

現代的価値観に洗脳されていた私ですら、

やはり何らかの気と呼べる現象が確実にある、と思うに至るに

十分なエビデンスを体感しているのだ。



気をひとことで説明できる科学用語があればどれほどありがたいか。

気をひとことで説明できる科学用語があれば、

きっともう東洋医学をウサンクサイなどど言ってはいられなくなる。

バイタル・フォース(生命力)という概念が

スッポリと抜け落ちた現代医学を盲信する一般大衆の視線を、

どうにかこちら側に向けさせることはできないものか?



そんな事ばかりを考えて、関連書籍を読み漁っているうちに、

日本の先駆的皮膚科学者の傳田光洋博士の著書のなかで、

冒頭の動電場のネタがフューチャーされている記述を発見した。



うん? なになに? 動電場だって? なんのことだ?

そいつは、漢字の読みのとおりの、動く電気の場のことかい?

動電場についての唯一と言える専門書が日本の出版社で

復刻されていることをその傳田博士の本で知り、

私は即座に書店に注文を入れて、今か今かとその本が

届くのを待ちに待った。

ようやくその本が手に入った!

興奮の坩堝と化して読みふける。

待望の本には、まさに私がずっと求めていたものがあったのだ!



名門の誉れ高きイエール大学・神経生理学教授ハロルド・サクストン・バー博士。

現代医学の正統アカデミズムの殿堂にあり、

異端を貫いた西洋の間中善雄。

その30年以上に渡る地道で精密な実験は、

ヒトの生命が宇宙と電気的に連動し、

ヒトの身体と心が電気的に共鳴していることを

ついに立証したのだ。



冒頭本の最初のページにはバー博士の英知溢れる肖像画が掲載されている。

スター・ウォーズ・シリーズでジェダイ・マスターを演じた

俳優のリーアム・ニーソンに少し似ている風貌だ。

そして次ぎのページをめくると序文に、



「私たちのいる宇宙。私たちと密接不可分の関係にあるこの宇宙は『法則』と『秩序』の場なのです。それは偶然に生じたものではなく、混沌でもありません。宇宙は、すべての荷電粒子の位置と動きを決定できる『動電場(エレクトロ・ダイナミック・フィールド)』によって組織され、維持されているのです。ほぼ半世紀の間、この仮説の論理的帰結が厳密に管理された実験にゆだねられてきましたが、否定する結果には、いちども出会っていないのです H・S・バー」



と書かれている。



東洋医学の哲学において中核となるコンセプトが

天人合一(てんじんごういつ)というアイデアだ。

天とは天空のみならずヒトを取り巻くすべてを意味する。

そのヒトを取り巻くすべてとヒトは同一、

つまりヒトとこの宇宙は密接不可分だと訴える究極のエコロジー思想だ。



バー博士はヒトのみならず植物や動物などの地球に生きる生き物の

すべてが、その生命体の内外に電気的な場を保持し、

その電気的な場が鋳型の導きとなり生命は胚から発生分化し、

その電気的な場は宇宙の電気的な場と連動しながら、

生命の成長を養い、生命は電気的な場の栄枯盛衰と共に、

生長化収蔵のサイクルを過ごし、

生老病死の一生を電気的にトレースする、ことを実験で立証した。

このように東洋医学の天人合一思想は、バー博士の動電場理論と

見事な一致を見せる。



であるのなら、気というバイタル・フォースを表現する

ひとつの有力な証拠として動電場をピックアップしても

それほど荒唐無稽ではない、と私には思えたのだ。



気 ≒ 動電場 ?

いや フォース ≒ エレクトロ・ダイナミック・フィールド ?



銀河最強のジェダイ・グランドマスターのヨーダは

気についてこんな風に語っている。



「・・・フォースは、わが強き味方。生命がそれを産み、はぐくむ。そのエネルギーは、われわれを取り巻き、われわれを結び付ける。われわれは輝ける存在。こんな粗雑な物体ではない。身の周りのフォースを感じるのだ。ほれ、わしとお前の間にも、そこの岩と木の間にも、いたるところにある・・・」冒頭同書より引用



フォースはヒトの体壁筋肉系の活きた凝りにも宿る。

その活きた凝りのフォースが開放された時、

ヒトは宇宙と一体になる。



気とはわたしたちと天を結びつけるかけがえのないフォース、

動電場だ。

2017.03.27 | | コメント(3) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

ドラゴン・エフェクト

いわゆる気(き)についてこれまでに

わかってきたことは、気功師と被術者の

脳波が同調する脳波同調現象が起こること。

そして科学的な観測機械で捉えた気の特質としては、

①脈動する赤外線輻射
②変動する生体磁場
③16ヘルツ以下の超低周波
④イオン流
⑤フォトンなどの微粒子
⑥静電気&動電気

とされる。

鍼灸指圧師として気とは何かについてストレートに語ること。

治療院を開業して25年を機にこの命題に挑んでみたい。



私が活きた凝りに指圧をしていると、

指圧治療が佳境に至ると、

その凝りから脈動がスタートする。

その凝りから始まった脈動は、全身へと波及する。

その全身へと波及する脈動のさまは、さざ波の

ようであり、またなにか鉄砲の玉がはじけて

飛んでいくようでもある。



江戸末期の盲目の鍼医、葦原検校はその著『鍼道発秘』の

なかで、鍼治療中に鍼に感じる気の動きを、

「サカナやスッポンが釣り針にヒットした当たり。

鳥を打つための鉄砲が発砲した時の衝撃」と記述している。

わたしはこの葦原検校の気の感触を表現した一文を

はじめて目にした時、「やったぁ〜!

俺が感じているものと同じものを感じていた人間がいたんだぁ〜!」と、

狂喜乱舞した事は言うまでもない。



気とは何かがヒットして伝播する動きだ。

このヒットと伝播、が気を解読するカギとなった。

実は気を分子レベルの現象と捉えるには、

いささかマクロ過ぎるのだ。

分子レベルは、もちろん小さいがそれなりに大きさがある世界だ。

大きさがあるということは、重いということで、

瞬間的な動きには向かないし、

大きさを動かすには大きな力が必要となる。

大きさを運ぶなんらかの媒体も必須だ。

気の動きは瞬間的で粒子性と波動性を兼ね備えている。

この瞬間的で粒子性と波動性を兼ね備えた動きは、

大きさと重さがある分子レベルの世界では成し得ない。

とすると、さらに極小の量子レベルが視野に入ってきた。



量子は分子レベルよりもさらに小さい世界の話だ。

量子の動きの特徴は粒子性と波動性で私が捉えた気の動きと

ピッタリとマッチする。

そしてその量子の動きは分子レベルとは異なり、

瞬間的でランダムとされる。



江戸末期に一日に多い日は百人を越す患者を治療して、

治せぬ患者は、ほとんどいない、とまで豪語した

名医であった葦原検校。

その彼が感得した気の感触と、

約190年後の現代のまったく無名の鍼灸指圧師の感性が、

ここで火花を散らしスパークしたのだ。

気とは分子レベルよりもさらに極微の量子レベルの何か、

ではないのか?



「生物が示す一貫性の水準がたいへんに高いことから、
生命体のなかで量子論的な過程が起こっているのではないかと推測される。
たとえば、生命体はひじょうに低周波の電磁波や、
最高性能の装置でなければ測定できないような微弱な磁場に反応する。
だが、分子の大きさよりも小さな輻射が分子の集合体に影響を
及ぼすことは、その集合体をなす多数の分子どうしがきわめて高い
一貫性をもって相関していなければありえない。
このような結びつきは、量子論的な過程が生命体の
生化学過程を補っていてはじめて可能である。
生命体は、いくつかの意味において
『巨視的な量子系』であると考えられそうだ」
アーヴィン・ラズロ著 吉田三知世訳『叡智の海・宇宙』日本教文社より




ヒトの意識活動も、もしかしたら量子論的な現象ではないだろうか?

だとすれば、それなりに符号が合う。

気功師と被術者の脳波が同調する時、それは量子的な意識が

伝播し合い共鳴したからと分析できてくる。

私が開業当初に悩まされた二つの特異的な生理現象の

人体発火現象とトランスパーソナル現象。

量子レベルで私の身心と患者の身心は呼応し共鳴したのかもしれない。



活きた凝りが指圧で変容する時に発生するDLS現象。

DLS現象に特徴的な動きこそ粒子性と波動性の量子的な動きだ。

また鍼治療中の発光現象は、量子跳躍( quantum jump )と呼ばれる

物理現象に伴う光りの放出になぞらえる事が可能かもしれない。




本稿を概括するならば気とは量子レベルの何かだ、と

いう結論に達する。

いや、結論は取りあえず、まだ出さない方がいいだろう。

気については、まだまだ先走りした結論は差し控えた方がいい。

あくまで現時点で言えることは、

このくらい、ということだ。



気がいったい何なのか。

それはまだ完全にはわからない。

しかし、活きた凝りが鍼灸指圧の「ATP⇔ADPのゆらぎ」の

なかで溶解し変容する時、そこに出現するDLS現象と、

それに連なる発光現象は、まさに量子の跳躍と呼ぶに

ふさわしい現象なのだ。



クォンタム・ジャンプと共に歩んだ25年。

活きた凝りの竜は粒子性と波動性を伴い

量子の光りとなって

天空へ飛翔する。



ドラゴン・エフェクト。

活きた凝りは竜となり光りとなる。

2017.03.25 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

草稿を練る

【 命は摩訶不思議なカオスでコスモスでフラジャイルな存在であり、

本当のところは命が何なのかは常にわからない。

しかし、ヒトの体壁筋肉系に発生する凝りに触れてわかったことがある。

それはヒトの体壁筋肉系に発生する凝りには

可塑性に満ちた『活きた凝り』と、

非可逆的に変性してしまった『死んだ凝り』の

二つの凝りがあるということだ。

活きた凝りに鍼灸指圧をすると、活きた凝りの内部が変容を始める。

活きた凝りは鍼灸指圧で引き起こされた「ATP⇔ADPのゆらぎ」の

さざ波を受けると、固形化していた変性タンパク質が流動性を帯びてくる。

流動性を帯びた変性タンパク質はヒートショックプロテインや一酸化窒素に

より攪拌されると、ユビキチン・プロテアソーム系やオートファジーに

より分解されて、アミノ酸に変換される。変換されたアミノ酸は、

また細胞核セントラルドグマの働きで新たなタンパク質に生まれ変わる。

活きた凝りの変性タンパク質が解体されて新たなタンパク質に

生まれ変わると、活きた凝りは消えてなくなる。

分子レベルで活きた凝りが解消されるとき同時に、

量子レベルでも活きた凝りが消えていく。

量子レベルの活きた凝りの解消は時に応じて、

光りのミストとなって視覚化される。

活きた凝りならば引き戻せる。

しかし、死んでしまった凝りは、いかんともしがたい。

活きた凝りがあるうちにその凝りを解消する事こそが、

本当の意味での養生となる。

活きた凝りを活かす、

これすなわち究極の養生なり。(c)】




光伯堂創業25周年の決定版コンテンツの公開に向けて修行中(笑)

2017.03.24 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

リアルの味

平成4年の5月に私は今の治療院を開業した。

その前の1年間ほどは鍼灸の専門学校に通いながら、

按摩マッサージ指圧の出張治療を夜間に行っていた。

だから治療師としての臨床歴は足かけ26年ほどになる。

だけど正確に開業してからでは、

もうじき25周年を迎える。

なんとなく25周年というと節目のように感じる。

そんな思いからか、ここのところ、

私の脳内に滞積沈殿したアーカイブを棚卸ししたい気分なのだ。

それで、本ブログ記事の更新スピードが増している。

本ブログ記事の内容もかなりコアな方向へと向かっている。

ご興味のない方はすっ飛ばしてスルーして頂きたい。



さて、開業後に悩まされた事が二つあった。

そのひとつが治療中に身体が熱を持つことだった。

患者を治療していると、決まって身体が変容してくるのだ。

治療に入り、集中して佳境に至ると、身体の前面の胸の中央の

ダンチュウというツボの付近に玉の汗が出てくる。

そしてその汗が集まり液体になりヘソにまでしたたり落ちる、

ということがよく続いた。

汗だけでなく、涙や鼻水まで出てくることもあった。

いったい、こりゃあ、何事だ?

いつも不思議な感情を抱いたものだ。

しかし、その様な治療中の変容状態は、

それほど苦痛でもイヤでもなく、

むしろそうした変容状態を経験した時は、

自分も気持ちが良くなるし、治療の結果も

良いような気がしたものだ。

こんな治療中に身体が熱くなる変容状態も、

そのうち起こらなくなった。



二つ目の悩みは、突発的な痛みだ。

何をしたわけでもないのに、突然に腰が痛くなる。

あるいは背中の一部分や、肩や足が。

なぜなにをしたわけでもない痛みが

突発的に私の身体に出現するのか?

そういぶかしげに思っていると、必ず同じ部位に

痛みや症状を抱えた患者がその後、来院することに

気づいた。

そうか! この突発的な痛みは、

その同じ部位に痛みや症状がある患者が来るぞ、

というサインだったのだ!

そんな身体に移行してから、ある時、患者が何も

どこが痛いと言わないのに、自然に患者の痛いツボに

手が届く時が、何度か、あった。

その患者は何も言わないのに、勝手に一番やって欲しいツボに

手が届く私の治療に、よく心底ビックリ驚嘆したものだ。

しかし、そんなサインもやがて感じなくなった。



開業後すぐの頃に私を悩ませていた二つの出来事。

そのひとつは治療中の身体発火現象。

ふたつめが患者の主訴のトランスパーソナル(以心伝心)現象。

この二つの出来事は治療師を続けるうちに、

数年後には、やがて消えていった。

恐らくはこの二つの出来事は治療師としての登竜門、

いわゆるイニシエーション(通過儀礼)だったのだ、

と今振り返る次第だ。



話が突然に変わるが、

とかく治療師などというヤカラは、

自分を大きく見せたがるものだ。

パチンコが好きな者がフィーバーを出して勝った時の

事だけを得意げに語るように、

カリスマ治療師と呼ばれるヤカラは、

自分が治せなかった患者のことを正直に告白するケースは

ほとんどない。

万病を治す、というキャッチフレーズほど馬鹿馬鹿しいものはないのだ。

ゲノムの変異に起因する遺伝病、パーキンソン症候群や

筋萎縮性側索硬化症、ミトコンドリア病、

脳中枢の変異を原因とする神経や筋肉の麻痺、

末期ガン、脳血管障害の後遺症の麻痺など、など。

これだけではないが、どんな治療も歯が立たない難病は

ごまんとある。

そんな西洋医学でも東洋医学でも治せない難病を前にして、

それでも、万病を治す、と豪語するヤカラは、

ハッキリ言ってただの馬鹿だ。



25年も治療師をやっていると、

治せるもの、と、治せないもの、がはっきりと峻別できてくる。

治せるもの、は治せる。

しかし、治せないものは、なんとしても治せないのだ。

治療師として長年やっていれば、いつかすべての疾患症状を

治せる奇跡の腕、奇跡の手、奇跡の指が手に入る?

そんな子供じみた希望、幻想がこれでもかと打ち砕かれることで、

命とは何なのか、の私の哲学が作られてきた。



「命とは摩訶不思議なカオスでコスモスでフラジャイルな存在」



このひとことは、治療師となり二つのイニシエーションを通過し、

身体が変容し、奇跡ではなく挫折を繰り返すことで生まれた言葉だ。



科学でわかってきたものの恩恵は計り知れない。

でも、科学では命の何たるか、については、

「本当のところはいつもわからない」のだ。



幻想はいつもリアルが打ち砕いてくれる。

リアルは決して甘くはない。

2017.03.24 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

Light

アレをはじめて見たのは静岡脈診医学会に

在籍して間もない頃だ。

カミワザの腕を持つ盲目の鍼医の師匠に、

鍼治療の手ほどきを受けている最中だった。

私が鍼を打つ役になり患者側になった友人の

足のツボを探していた。

「ぜんぜん、ちがう、そこじゃない」

師匠は厳しい言葉を容赦なく浴びせてくる。

しかし、師匠には私のやっていることは

もちろん見えてはいないはずなのだ。

ようやくそれらしいポイントを見つけた。

すると師匠は間髪を入れずに

「うん、そこだ。そこに鍼をまず立てて」

まったく、なんで、いちいち、ぜんぶ、わかるんだ?

「いいよ、そのまま、ほんの少し刺入して」

私は必死に師匠の導きのままに鍼を打つことに集中していた。

没我の境地とはこんな状態を云うのだろう。

周囲の雰囲気がなにか、ガラッと変化したような気がした。

目がかすんだのか?

鍼を打っている手先からロウソクの炎のようなシルエットに

光りのミストが立ち上がるのが見えてきた。

「うん、いいよ。気が立ち上がったきたよ。

よしっ、今村君、そこまで、ハイッ、鍼を抜いて、

すぐ、閉じるっ」

冷や汗なのか汗が身体に溢れる。

とにかく身体が熱い。

「今日みたいな鍼が、いつも打てるようになれば、

いい鍼師になれるよ」

師匠の誉め言葉も上の空で、さっき見えたものが

なんだったのか、胸がざわつき、気になった。

カミワザの腕を持つ鍼医の師匠がこの会を去ると、

それからほどなくして私もこの会を退会した。

それからはどこの研究会にも派閥にも属さず、

311後はいっさいの東洋医学関連の団体と

関係を持たずに今に至る。

アレにはあの没我の坩堝の一時だけでなく、

これまでに通算で5度ほど遭遇した。

いつも鍼治療をしている時だ。

こんな仮説はどうだろうか?



【 ヒトの体壁筋肉系に発生する凝りは、

鍼灸指圧の治療をすることで、

「ATP⇔ADPのゆらぎ」が高まり、

凝りの中の分子構造が攪拌されることで、

凝りは凝りでなくなる。

その凝りが凝りでなくなるとき、

固体であった凝りはまず流動性をもった液体のような

状態に移行する。液体化した凝りの成分は、

体液の中に流れ込み、血液やリンパ液の流れに従い、

全身へと送られ、やがて肝臓や腎臓で解毒・再吸収が

おこなわれると要らないものが体外へと排出される。

また凝りの一部は、治療師の手から送られた

量子的な力で気体のようなミストに変換されて、

直接にツボから発散されて、体外へと排出される。

その時にツボから揮発した凝りに光線が当たると、

それが光りの粒、光りのミストとなって視覚化する。

凝りが溶解するルートには液体化と気化の

二つのルートがある。

指圧はどちらかと云えば凝りの液体化に向いた術。

鍼はどちらかと云えば凝りの気化に向いた術。

だとすると灸は火で凝りを燃やして気化する術と

いえなくもない。

凝りという固体は鍼灸指圧の治療で、

液体化し気化することで、

身体から消し去ることができる。

凝りを身体から消し去ることができるから、

鍼灸指圧は効くのだ(C) 】

とする仮説だ。




この仮説でいくと指圧治療中によく発生するDLS現象は、

凝りの液体化と捉えることができ、

現象と仮説に整合性ができてくる。

そして鍼治療中に発生する光りのミスト現象も、

凝りの揮発化という仮説で決着がつく。

治療師の個人的な特殊な体験を

すべて科学的に証明することは、

たぶん無理だろう。

しかし、それでも、それなりの科学的な仮説を

組み立てて、自分の体験を万人にわかりやすく説くことは、

治療師としてなずべき義務だと私は強く感じている。




鍼灸指圧治療で高まった患者の体壁筋肉系の

「ATP⇔ADPのゆらぎ」は、

凝りを溶解し、DLS現象を引き起こし、

やがて光りのミストに昇華する。



私の指先からはじまった竜の動きは

クライマックスにひとすじの Light となり、

天空へと飛翔する。

竜が飛翔し飛び去った体壁筋肉系には

やがて静寂と身心の爽快感が残る。



私の名前は光臣。

光りの使い、という意味を持つ。

そして治療院の屋号が光伯堂。

光りのマスターの舘だ。

私の風貌がヨーダに似ているのはダテではない。

凝りを竜に変え、光りに変える治療師は

世界広しといえど、

わたしひとりくらいのものだろう。

銀河最強のジェダイ・グランドマスターもとい、

銀河最強の指圧師、ここにあり!

2017.03.23 | | コメント(10) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

昇竜の指圧

増永静人著「指圧療法」創元医学新書 の冒頭「指圧対談」より引用

藤井「これは増永先生のような方にお願いしたいのですが、東洋的なものに良いものがあることはわかっても、それを知るために余分な要らないものを百倍も学ばねばならぬという面倒さをなくせないものですかね」

増永「東洋医学を古いままで有り難がっていては、時代が変わっているのですから、ついてゆけません」

藤井「素材の整理を、扱っている人の価値判断でしなくては、もう一ついうと尾ひれが多すぎる」

増永「ですから東洋的なものを学ぶには、根本の単純なところをしっかりつかんで出発し直す。手技でいえば一番単純な操作で一番治療効果をあげている指圧というものに眼を向け、これを近代的な実験台にのせて研究してみる必要があると思います。・・行為が単純だと、その効果を暗示効果ぐらいにしか考えない傾向がありまして」

藤井「まあ多くの良いもの、本当に価値のあるものは、どこにでもあって誰にでも手が届く、俗に云えば、お金の取りようのないものにあるということですね」
 
銀座内科 医師 藤井尚治  日本指圧協会 指圧師 増永静人




どんなに素晴らしいものであっても、

時代のトレンドに合わなくなれば、

やがて廃(すた)れてしまう。

ここ20年ほどで街角から指圧の看板が消えた。

指圧は本当に素晴らしい手技だ。

しかし、その術が単純な操作に見えることが

災いして、指圧はたいして有り難がられることもなく、

カリスマであった指圧の啓蒙に尽力した浪越徳治郎先生や、

経絡指圧(けいらくしあつ)という言葉を創始して

東洋医学界にニューウェーブを

巻き起こした増永静人先生がご他界召されると、

指圧は一般大衆からの求心力を失い、

アッという間に、無資格のディスカウントリラク産業に

潰されて、今に至る。

指圧を東洋医学の三本柱の重要な1本と認知している者が、

いまの世にどのくらいいるだろうか?

恐らくは鍼灸師すら指圧を屁とも思っていないだろう。

私は鍼灸指圧師だ。

鍼灸師の資格を持つから鍼灸だけで営業ができるが、

指圧師の免許に誇りを持ち、

指圧において特によく発現するDLS現象を治療効果の

指標にするので、指圧は開業以来25年間、

ずっと継続してきた。

指圧とひとことに云っても、

その内容はひとことで語れるものでは決してない。

指圧をただ指で押すだけ、と思うかもしれないが、

指で押すその内容は融通無碍にバラエティー豊かだ。

押すだけの攻めの指圧だけでなく、

押して引く引きの指圧、

押して待つ待ちの指圧、

DLS現象を引き出す昇竜の指圧。

シロウトが見よう見まねでは絶対に出来ない

あらゆる工夫、技が私の指圧にはあるのだ。

しかし、その技を言葉で表現しても

ほとんど意味がない。

世間が求めているのは、

ひとことで指圧の良さをアピールする、

それなのだ。

浪越徳治郎先生は

「指圧の心 母心 押せば命の 泉湧く」

のキャッチフレーズで一世を風靡してブレイクした。

私はさしずめ

「鍼灸指圧でATPチャージ」

のキャッチフレーズで二番煎じを狙いたい。

素材の整理を扱っている人の価値判断でおこない、

多すぎる尾ひれをバッサリと切り捨てて、

浮かび上がった言葉こそ

「鍼灸指圧でATPチャージ」

のひとことだ。

2017.03.23 | | コメント(3) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

凝りは敵にあらず

では、最速で次号開始!

ヒトの体壁筋肉系に発生する凝りを押していると、

非常に不可思議な現象が立ち上がる。

その不可思議な現象とは、凝りを起点に

その体壁筋肉系へとさざ波のように伝播し

脈動する動きだ。

その動きは私には、まるで竜が皮膚内を泳ぎ、

やがて体外へと飛翔する、そう伝説の空想の動物、

竜にソックリに見えるのだ。

だからこの凝りを押していて始まるこの動きを

竜になぞらえて、私は

【 DLS( Dragon Like Stream )】(竜のような流れ)、

と命名した。

このDLS現象は、私が言うところの「活きた凝り」に

特に出現する現象だ。

「活きた凝り」とは文字通り、治療していると、

その固さがほぐれて、柔軟になる可塑性に溢れた凝り、

ということが言える。

それとは対照的に「死んだ凝り」と呼べる凝りが

あることも確かだ。

「死んだ凝り」は、いくら治療しても、

なかなかほぐれない。いや、なかなかほぐれないどころか、

まったく可塑性を失っているケースも多々ある。

こうした非可逆的な凝りにまで進展したケースは、

治療師泣かせだ。

そして「死んだ凝り」の治療においては、

ほとんどDLS現象が見られないのだ。

「死んだ凝り」のなかで竜は共に死んだのか?

それとも竜は鎖にでもつながれて凝りの中に

幽閉されてしまったのか?

なにが原因かはいまだ不明だが、

「死んだ凝り」からDLS現象を導くのは、

この私の25年の腕をもってしても至難のワザだ。

治療が佳境に入り、竜が顔を出すと、

私はホッとして、嬉しくなる。

そうして、ああ、これで、この患者は救われる。

竜の飛翔と共に、この凝りは解消されると、

確信し、結果、その通りになる。

治療が佳境に入っても、竜がちっとも見えてこない。

息が少し乱れて、ブルッてくる。

焦ってはダメだ。心を落ち着けよう。

急いては事をし損じる。

竜は焦っても決してその姿を見せないことは先刻承知だ。

しかし、どれだけ、落ち着いて対処しても、

竜は一向に姿を見せない。

フーッ、とひとつため息。

そんな時、わたしは治療師として、

少しやりきれない思いになる。

竜はどこにいったのか?

サインを見せないことが、ひとつのサインとなる。

ヒトの体壁筋肉系の凝りが開放される時に見えてくるDLS現象。

この私にしか見えない特異的な生理現象を考察する時、

命には不可侵の領域があることを悟る。

治療とは、あくまで可逆的な段階で、

という限定された世界のハナシなのだ。

非可逆的な可塑性を失った凝りを、もとに戻すことは、

熟練のカリスマ治療師でも恐らくは無理だろう。

それすらも治せると豪語すれば、それは天にツバを吐く所業だ。

「活きた凝り」の段階なら、

竜が凝りにまだ居座っている時期なら、

わたしの治療は奏効する。

しかし「死んだ凝り」の段階になり、

竜が凝りから消えたら、最早、私の出番はない。

「鍼灸指圧でATPチャージ」の恩恵にあずかりたければ、

ぜひとも「活きた凝り」があるうちに、

鍼灸指圧を楽しんで欲しい。

「死んだ凝り」になっては、

いかんともしがたいのだ。

竜は敵か味方か?

どうやら、やはり竜は味方だったようだ。

竜がいるうちに、ATPがチャージできるうちに、

ミトコンドリアを増強できるうちに、

なるべく早く鍼灸指圧をライフスタイルのルーティンに取りこむ。

さすれば、貴方の人生は竜と共に輝きを増すだろう。

凝りは敵にあらず。

凝りを敵にするはおのれの不養生。

凝りを味方につければ、

きっと竜と友達になれる。

2017.03.22 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

鍼灸指圧でATPチャージ(C)

ヒトの皮膚は押されることでATPを放出する。

このATPとはアデノシン三リン酸という分子で、

その分子構造の尻尾(しっぽ)の三つ目の

リン酸基を切り離すと、

1モルあたり、11から13キロカロリーの

結合エネルギーを放出する。

このATPの尻尾切りに伴い生み出されるエネルギーを、

細胞はあらゆる分子の合成や解体に利用しているのだ。

尻尾が切れたATPはADPというアデノシン二リン酸に

変わってしまい、エネルギーを供給する分子の役目が

なくなり無用の分子になってしまう。

しかし、さにあらず。

ここですかさずATP合成酵素がそのADPをつかまえると、

酵素反応により再びリン酸基をひとつバックアップし、

ADPは即座にATPに復活するのだ。

ATPは細胞核の周囲にネットワーク構造を築いている

ミトコンドリアのジャングルジムのそこかしこから、

細胞内に放たれることで、細胞内の各所の

酵素反応に利用されている。

細胞は常時、ATP⇔ADPをくり返すことで、

その生を営む。

この「ATP⇔ADPのゆらぎ」が

命の揺りかご、なのだ。

皮膚を押す手技の指圧は、

だから皮膚内にATPを満たす手技だ。

皮膚内が指圧でATPチャージされると、

皮膚内が「ATP⇔ADPのゆらぎ」で

さわがしくなる。

そのATPとADPの押しては返すさざ波は、

凝りの内部の変性タンパク質で固くなった

砂山のような分子構造を押し流していく。

変性タンパク質はATP介在性オートファジーで

分解されて、またアミノ酸に戻る。

アミノ酸に戻された変性タンパク質は、

またATPを使って新たなタンパク質にフォールディングされる。

指圧によりATPチャージされた凝りの内部では、

猛烈な勢いで分子構造が変化して、

凝りはやがて雲散霧消する。

指圧という見た目が単純で道具すら要らない、

シロウトが真似て簡単にできそうな手技が、

なぜ時に絶大な生理活性作用を示すのか?

その答えこそが

「指圧の皮膚押しATPチャージ効果」と言えるのだ。

鍼灸指圧史2000年において、

いまここに書いたように、わかりやすく分子レベルで

指圧の治効メカニズムを解読解説した者は、

恐らくは私が初めてだ。

私たち鍼灸指圧師は、いつも、世間からこう問われる。

「ねぇ、鍼灸指圧って、なぜ効くの?」と。

その質問には、いつも言外に、

鍼灸指圧なんか科学で認められていないから、

きっとこの質問にも答えられるわけがないわよねぇ〜、

という嘲笑がもれなくついてくる。

西洋医学、現代医学を至上のものと洗脳された一般人99.9%に、

たったひとことで鍼灸指圧の素晴らしさを伝えるには、

同じ科学の土俵に立ち、同じ生理学用語を使わなければ、

相手にもされない。

東洋医学をウサンクサイとみなす99.9%の日本国民のなかで、

わたしの情報は精度を上げてきた。

鍼灸指圧をウサンクサイと見なす99.9%の日本国民よ、

これまで私を磨いてくれて、ありがとう。

お蔭でようやくひとことで万人を説得できる

鍼灸指圧の宣伝文句が出来上がった。

「鍼灸指圧でATPチャージ」

「ATP⇔ADPのゆらぎ」こそが生きているアカシだ。

いまこの瞬間にも、細胞内では膨大な

ATP⇔ADPの揺りかご、が揺れている。

その揺りかごに、そっと手を差し伸べて、

その動きを優しく後押しする。

それこそが鍼灸指圧の真髄なのだ。

「鍼灸指圧でATPチャージ」された凝りのなかで、

竜が目を覚ました。

この竜は果たして敵か味方か?

次号に続く(笑)

2017.03.22 | | コメント(4) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

ドラゴン祭り

TDL は 東京ディズニーランド。

DLS は 竜のような流れ。

TDLと聞いてディズニーランドがパッと思い浮かぶ

99.9%の一般国民が、

いつの日にか、DLSと聞いて、

瞬時に、ああ、それは凝りの中に潜む竜の動きの略だな、

と思えるまで、わたしの言説の闘いは続くであろう。

はるかなる道だ(笑)

ヒトの皮膚は押されることで皮膚表層から

ATPが放出される。

この皮膚表層で押されて放出されたATPは、

皮膚深層に到達してホルモンとして機能する。

皮膚はATPをホルモンとして活用しているのだ。

その皮膚ATPホルモンの役割がいったい何なのか、

については本当のところよくわからない。

しかし、ATPがもともとはエネルギーとして扱われていた

ことからすれば、何らかの危機回避、ストレス防御のために

ATPが放出されたと考えても不思議ではない。

皮膚が押されるということは、言ってみれば

ひとつの外部環境からのストレスだ。

正確に言えばストレス(歪み)を生じさせる因子の

ストレッサー刺激だ。

押すというストレッサー刺激によって、皮膚や筋肉や血管の

タンパク質で出来た構造が歪み、傷つき、変性する危険性が出た。

そのタンパク質が変性した時のために、あらかじめATPを

放出しておくことで、もしも本当に傷つき歪んだ変性タンパク質が

出たら、このATPを使って速やかに修復作業に入ることができる。

こうした前向き制御(フィード・フォワード)機構が

皮膚を押すことで放出されるATPの真の役割だろうと、

わたしは推定している。

皮膚を押すことで放出されるATPは

つまりは皮膚内で皮膚細胞たちが、

「いま、牧之原市の光伯堂という鍼灸院で、

なんだか一風変わった治療師が、

なんだか特殊な押し方で指圧してるぜ」

とお喋りを始めている証拠なのだ。

ホルモンとは分子言語であり、

細胞間の言葉のことで、細胞はホルモンという言語を

駆使して、細胞内のホメオスタシスをコントロールする。

皮膚は押されることでATPというホルモンを使って、

会話を始めるのだ。

だから鍼灸指圧をしていると、皮膚はATPという分子言語を

使って、もうやかましいほどにお喋りをするのだ。

恐らくはそんな皮膚のうるさい程のATPのお喋りが

キッカケになって、凝りの中の竜は目を覚ますのかもしれない。

ただ漠然と同じリズムで指圧をしていても、

竜にはお目にかかれない。

時々、変則的に驚くような長押しをしてやる。

そうすることで、どういうわけか患者は眠りにつく。

患者の意識が随意から不随意に移行すると、

DLSが姿を現すのだ。

指圧と言えば、ただ指で押すだけ。

一般国民の99.9%は、この認識しかない。

そして、だから、指圧なんかたいした手技でも、

たいした職業でもない、と勝手に思いこんでいる。

下手をすると鍼灸師だって、

同じように思いこんでいる節がある。

鍼灸は道具を使うから指圧よりも高度だ、と。

指圧はいっさいの道具を使わず、

ただ指だけでおこなう術だ。

ちょいと真似すれば見よう見まねでシロウトでも

できる、手軽な療法だ。

これが世間一般の指圧に対するイメージの典型だ。

フンッ、冗談じゃあないってぇ〜のっ!

やってみりゃあ、わかるって。

指圧だけを一日中、8時間、やってみろって。

シロウトに、そんなことは、できっこない。

だいいち指が10分と持たないって。

こっちは25年以上も指圧をしてきてるんだぜ。

それも術として、業としてだ。

だからこそ、俺が今ここに記している指圧の世界は、

読む価値があるんだよ。

指圧を通して私は医学の正規の教科書で学ぶものとは

違うナニカが命のなかに潜んでいることを教えられた。

そのナニカは実に不思議な、まるでファンタジーのような世界だ。

しかしファンタジーと異なるのは、それが作り話ではなく、

まったくの、リアルな現象ということだ。

DLSは空想でも作り話でもない。

臨床上に立ち上がるウソ偽りのないホントウの世界、

動き、流れだ。

ヒトの体壁筋肉系とは私にとって

ディズニーランドよりもおもしろい

ドラゴン祭りのテーマパークだ。

2017.03.21 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

治癒力の源泉

ヒトの体壁筋肉系の凝りに潜む竜のような動きの

DLS( Dragon Like Stream )が

指圧の治療中に見えてくると、

それが鍼の治療中にも、灸の治療中にも、

見えてくるようになった。

鍼を腰に打っていると、全身へとそのDLSが波及し、

患者の手の指先が呼応しタップを鳴らし、

足先がステップする。

腰に温灸を当てていると、

やはりDLSが顔を出し、

患者の全身が振動する。


【体壁筋肉系のある一点への鍼灸指圧の入力情報は、

体壁筋肉系のすべてを振動させる。

それは体壁筋肉系にはDLSというメカニズムが

作動しているからなのだ】


これまで東洋医学2000年の歴史において、

いま私がここに書いたようなコンテンツを

公開提示できた者がいただろうか?

そもそも、指圧の術を極めて凝りに潜む竜の存在を

発見した者とて、恐らくはいないはずだ。

だから今ここに私が書いている内容は、

これまでの2000年の東洋医学史においては、

初の公開となる非常に斬新な発見であることを、

ここに明記しておく。

よく言う秘伝や門外不出の情報などは

私にとっては単なるコケオドシの釣りに過ぎない。

そうした秘伝の魔法があると喧伝することで、

そうした派閥におっちょこちょいを吸引し、

しばりつけておくのが組織の生き残り戦略なのだ。

私はこれまで自分の知見をすべてタダで

ここに公開してきた。

25年余かけて私しか知り得ないDLSの真相も、

いまこうして無料で公開してしまった。

隠していては、世紀の発見も埋もれてしまう。

ネタにも旬があるのだ。

DLSがあるから時に奇跡的な治癒に成功する。

DLSこそ治癒力の源泉だ。

2017.03.20 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

DLS

ヒトの体壁筋肉系に発生する凝りには

得体の知れないモノが棲んでいる。

その得体の知れないモノは

わたしの指圧により顕在化する。

顕在化するとは、その動きが目に見えて、

その動きが私の指にヒットするということだ。

ヒトの体壁筋肉系の凝りに棲む得体の知れないモノは、

治療中に患者が寝た時に特に発生しやすい。

わたしの指圧が佳境に入り、押す時間が長くなる。

いよいよヤツのお出ましだ。

わたしには凝りに棲む得体の知れないモノが、

空想の動物である竜に見える。

凝りのなかで眠りから目覚めた竜は、

羽根を広げて伸びをすると、

もぞもぞと動きを開始して、

体壁筋肉系の雲海をさまよいはじめる。

その竜の飛び交う動きは規則があるようでなく、

アンフォルメルに自在だ。

凝りに潜む竜を導くには、通常の指圧では無理だ。

一圧一圧のリズムが一定で速くては、

竜は決して見えてこない。

一圧一圧のリズムをイレギュラーにわざと破綻させ、

長押しをした時に、とにかく待つのだ。

押したままジッと待つ。

この攻めの指圧ではない「待ちの指圧」、

押していながら少し力を抜く「引きの指圧」が

できなければ、竜とは対面できないのだ。

竜が目覚めたら、あとは竜の動きに任せればいい。

竜が体壁筋肉系を自由に飛翔し、そこかしこに

ATPの炎を噴射していくごとに、

体壁筋肉系は柔軟に変容し、

竜の振動はやがて体壁筋肉系から

腸管内臓系まで、ゆさぶりにかかる。

凝りから解き放たれた竜が狂喜乱舞して

体内を駆け巡ると、患者の身心はそれと当時に、

軽やかになる。

さきほどまであれほど激しく動いていた竜の動きが

静まってくる頃合いが、竜との別れの時だ。

竜はどうやら患者の体内から体外へと飛び去ったようだ。

私が鍼灸指圧師になって25年余。

私はこの凝りに棲む竜に導かれてここまで来た。

竜が私の師匠なのだ。

東洋医学は気の医学だ、と通常は思われている。

しかし、それはひとつの洗脳の結果なのだ。

真っさらな気持ちで臨床に臨み、垣間見た命の真実。

それをこれまでの洗脳概念の気という言葉に

むりやり当てはめなければならない理由などない。

あくまで私個人が感じた手応えを、

私個人が生みだした言葉で語って何が悪い?

竜は決して経絡(けいらく)などという空想のルートを

規則通りに歩むことはしない。

竜は自由自在に体壁筋肉系のなかを行き来する。

経絡=規則的なルート、という固定概念が

命の真実を見る目を曇らせて邪魔をするのだ。

体表のある一点を押していると、

その押した一点の圧刺激は体表のあらゆる部位へと波及する。

この私が発見した現象である「体表・体表反射」を竜になぞらえて、


【 DLS( Dragon Like Stream ・竜のような流れ )】


と、わたしはここに命名する。

本邦初、世界初の私オリジナルの用語だ。

DLSは指圧治療における分子レベルの生理活性変化の前に

起こる量子レベルの生理現象という位置づけだ。

恐らくは気というカテゴリーは分子レベルよりも

微細で淡い量子レベルの領域の生理現象だと私は睨んでいる。

しかし、量子レベルの世界が分子レベルの世界に

どのように関わっているのかの詳細研究は、

まだ漠として進展していない。

アメリカでは「バイブレーショナル・メディスン」という

言葉が創始されて、同名の書物がベストセラーを記録している。

邦語訳版の書物を私も入手して読んだが、

その先進的でフロンティアな意気はかうが、

まだまだこなれていないと感じる。

わたしのような術者のナマの声が反映されるようになれば、

バイブレーショナル・メディスンも、

より手の内になじみやすくなるはずだ。

DLSを発見し、DLSを師とし、DLSを導くために

わたしはこの25年間、治療師をやってきた。

いまそんな感慨を抱いている。

ヒトの命にはDLSが宿る。

2017.03.20 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

真実の時



「 The Moment of Truth 」

私が高校1年生の時に観た映画の原題だ。

まだビデオもそれほど普及していない、

ましてDVDなど見たこともない、

今から30年以上前のはなしだ。

この映画、日本では

「ベストキッド」の名で上映された。

ご存知のように、

主役のダニエル役のラルフ・マッチオと、

空手の師匠のミヤギ役のノリユキ・パット・モリタが

ブレイクした映画だ。

ちなみにヒロインのアリ役のエリザベス・シューが

めっちゃ可愛くて、むしろ、

そっちの印象が強い(笑)

この映画のストーリーはたいへんにわかりやすい

いわゆる定番のスポ根ものだ。

弱かった主役が師匠の導きで強くなり、

自分をいじめつづけた主犯を最後に倒す、という

単純明快のプロットだ。

シリーズ化されて4まで制作され、

リメイク版がジャッキー・チェン主演で

近年に上映されているそうだ。

私は1と2を公開時に劇場で観たのみだ。

1のラストにかかるシーンになぜか

いまでも心に残るシーンがある。

ダニエルが空手トーナメントを勝ち上がり、

決勝戦に向かう前のシーンだ。

決勝戦の前の試合でダニエルは負傷する。

その負傷を師匠のミヤギが不思議な術で治すのだ。

ミヤギは両の手の平を合わせて合掌の形にして、

おもむろにこすり、摩擦熱で手の平を熱くして、

その熱くなった手をダニエルの負傷した患部に当てるのだ。

なぜか、このシーンが今でもハッキリとよみがえる。

ギリシャの医聖ヒポクラテスは、

治療中に患者の患部に当てた自分の手が光るのを

目視していたという。

ミヤギの手がその時に光っていたかどうかは

覚えていない。しかしダニエルはミヤギの

その不思議な治療術で見事に復活し、

優勝を勝ち取る。

医のルーツは「手当て」だ。

私は指圧の治療中によく不思議な動きを感じる。

押している指がなにか得体の知れないモノに、

押し返されるのだ。

するとその押し返してくる「動き」の波は、

今度はそこかしこへと飛び交いはじめ、

動きの波は患者の身体中へと波及していく。

肩を押しているのに、足先へと飛ぶ。

腰を押しているのに、手先へと飛ぶ。

足を押しているのに、顔へと飛ぶ。

不思議な動きはこうして

患者の身体中を駆け巡るのだ。

こんな動きの波がよく飛ぶ治療が出来ると、

なぜかこちらの気分も非常に良くなる。

もしかしたら、わたしの身体にも

おなじような動きが起こっているのかもしれない。

脳波同調現象。

気功師と被術者の脳波は同調するのだ。

だとしたら、患者の動きの波と

私の動きの波が同調しても不思議ではない。

わたしはこの得体の知れない動きの波を、

古来からの空想の動物である竜に例えた。

凝りのなかで眠っていた竜が目覚め、

おもむろに羽根を広げ、そうして

クチから炎を吐き出しながら、

飛翔していく。

そんな姿がいつも見えてくるからだ。

いつもと言ったが、必ずしも、

いつも、とは限らない。

患者が治療中に寝てしまった時に、

竜は現れることが多い。

竜と対面し、竜の飛翔を観察し、

竜と対決するひととき。

そのひとときは、

治療師の私にとって

命の不思議を垣間見る

「真実の時」だ。






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2017.03.19 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

決意の一文

気(き)。

この言葉ほど私を支え、

そして私を悩ましたものはない。

私は気を治療中に感じることができる。

そのくらいのレベルには私も

治療師として達している。

ではあるが、その内容を事細かくひとに言った

ことはそれほどない。

気と呼べるモノはたしかにあるのだ。

ただし、それは気という言葉、概念を

あらかじめ脳内にインストールしていたから、

それが気に見えるだけかもしれない。

だからその私が感じている気というモノを

ハロルド・サクストン・バー博士が体系化した

動電場(エレクトロ・ダイナミック・フィールド)と

表現しても、それはそれでオッケーと言える。

たまたま、気という用語を先に知っていたから、

自分が感じたモノを気と思ったに過ぎない。

たぶん、世の中とはそんなものなのだろう。

2017年を経過した東洋医学をいったん消去して、

新しく0から言葉をいちいち作り直して、

まったくこれまでになかった東洋医学を作る。

そんなこれまで誰もやったことのないチャレンジに

わたしはこれから立ち向かう。

そう思ったら、なんだかとてもワクワクしてきた。

もうアレを気と呼ばなくてもイイんだ。

気と呼んでいた命の脈動を竜(りゅう)と呼んでも

べつに誰の咎めも受けない。

もとより、どんな理論でやろうと鍼灸指圧は自由のはずだ。

なぜ、みんなもっと自由にやらないのだろうか。

いや、それはどうでもいいことだ。

ひとはひと。おのれはおのれ。

オレ流の東洋医学をこれから思う存分に

見せてやるぜ!

2017.03.18 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

開放元年

東洋医学は鍼灸指圧という道具(ツール)が

まず、はじまり(ルーツ)にあり、

その鍼灸指圧という道具が実用に値したから

これまで2000年も継続した。

道具を使うためには取り扱い説明書、

いわゆるトリセツが必要だ。

だからトリセツとして東洋医学理論が出来た。

しかし、それはまだ科学が発展しない時代に

むりやり作らねばならなかったのだ。

それで中国において、当時、支配的だった

易経(えききょう)という学問を援用し、

この世界を陰(いん)と陽(よう)の2つに

まず別(わ)けて考え、さらに、

木火土金水(もっかどごんすい)という

5つのカテゴリーに細分化して世界を捉えようとする

陰陽五行理論(いんようごぎょうりろん)という

パラダイム(枠組み)が東洋医学のトリセツとして

採用された。

鍼灸指圧というツールを使いこなすトリセツとして

陰陽五行理論はこの2000年のあいだ、

本当によく役だってくれた。

その恩を世界の鍼灸指圧師たちはこれからも

忘れることはないだろう。

時は2017年。

ようやく開放元年が訪れた!

さあ、新しい東洋医学の歴史が今からスタートするのだ!

東洋医学は生命力を表現するために、

気(き)というキーワードを用いてきた。

それは2000年前の

心電図も脳波計もCTスキャンもMRIも血液検査もできない時代に、

生命力を計る指標となる何らかのキーワードが

必要だったから編み出された言葉だ。

そうしたトリセツの必然性で生まれた気という言葉も、

2000年も経つと、屁理屈がつきまとい

とんでもなく崇高で偉そうなモノになってしまった。

単に気という言葉を使うしかなかったのだ。

それなのに気という用語が

何やら神秘的な様相を呈してきた。

そして気という言葉の意味は拡大されて

生命力だけでなく、宇宙の根本を創成するパワー

という概念にまで発展した。

この宇宙のすべてが気の力で貫かれている。

この宇宙のすべては気でひとつにつながった存在だ。

そうした気モノガタリはたしかにロマンがあって、

まるでファンタジーのエンタメを楽しむように心が躍る。

しかし、残念ながら気というキーワードの

賞味期限はもう終わったのだ。

生命力を表現するには、

心電図や脳波計のほうが便利だ。

あるいは瞳孔が開いているかどうか、

脈があるかどうか、を調べるだけでも十分だ。

べつに気という用語を使用せずとも、

生命力くらい把握できるのが今の時代だ。

気が抜けたビールならぬ

気の概念を失った東洋医学に存在価値などない?

あるいは気の概念を失ったら東洋医学は

東洋医学でなくなる?

そんな危惧を抱く業界人は恐らく99%にのぼるだろう。

気という用語にしがみつかなければ生きていけないまでに

気に毒されてしまったのが東洋医学界、

鍼灸指圧師なのだ。

気という言葉も元(ルーツ)をたどれば、

単にトリセツの必要から生まれたに過ぎない。

であるのなら、2000年後のいま、

べつなトリセツに更新されるのを機に、

気という用語がそのトリセツから消えてなくなるのは

自明なのだ。

いや、それはあくまで私個人のトリセツだから、

旧来のトリセツでこれまで通りの鍼灸指圧を

継続したい99%の業界人には、

関係のないことではある。

だから安心して気という言葉を使用して、

99%の鍼灸指圧師はこれまで通り、

2000年来の鍼灸指圧を踏襲していくだろう。

そのことにべつに私が異を唱える理由はない。

ただ、わたし個人に限って言えば、

もう気という用語など使用しないで、

十分に現代科学、生理学の言葉だけで、

東洋医学の治効メカニズムは説明しきれる、

といま判断しているのだ。

ヒトの皮膚は押されるとATPを放出する。

ATPとはご存知のようにアデノシン三リン酸という分子だが、

このATPという分子からリン酸がひとつはずれて、

ADP(アデノシン二リン酸)という分子に変換される際に、

エネルギーが放たれる。

このエネルギーが細胞生理の駆動力、

すなわち生命力なのだ。

そしてこのATPは細胞で作られるのだが、

糖質を分解する解糖系というシステムをスタートとし、

ミトコンドリアへとつながるラインで分子が流れて、

ミトコンドリア内の酵素反応により95%の

ATPが生み出される仕組みだ。

つまり生命力の源となるエネルギーのATPは

そのほとんどをミトコンドリアの産生に依存しているのだ。

(※ ATPはエネルギーであるとともにホルモンでもある)

ということは、生命力があるということは、

ATPがあることに等しく、

生命力を高めることはATP産生を増産することに等しい、

ことが見えてくる。

生命力が高いことは健康であると言えるだろう。

ならばATPをよく産生する身体を手に入れれば、

健康な一生が送れそうだ、となる。

そこでATPの95%を産生しているミトコンドリアを

元気にすれば、もしかしたらATPの産生量が増えて、

エネルギッシュな人生を送れそうだ、との期待が高まるのだ。

そんな理屈から、いまチマタではミトコンドリアを元気にする

ためには、こうしたらいい、ああしよう、の

ミトコンドリア丸投げ論が、大流行の兆しを見せている。

しかし、こうしたミトコンドリア丸投げ論トレンドは

とりあえず激スルーの完無視でオッケーだ。

だいたい、こうした論は、スカスカのチャラチャラで、

すべて線形的なお馬鹿な理屈で成り立っている。

生命はこうしたらこうなる、という線形的な論理が

いっさい通じない世界だ。

なのに人間の思考は線形的なおさまりのよいシックリする

キレイな論理が大好きなので、

こうした線形ロジックにはまるのが常なのだ。

ミトコンドリアを単独で活性化する事ができないのは、

ミトコンドリア内の酵素が細胞核遺伝子で生み出されているという

たったひとつの事実を述べるだけで十分だ。

ミトコンドリアは細胞内小器官に過ぎない。

だからミトコンドリアだけをどうこうしようというその発想自体が

最初から間違っているのだ。

こうしためんどくさい問題はともかく、

先に述べたように、

皮膚は押せばATPを放出することも事実だ。

皮膚が押されることでATPを皮膚から放出する

ということは、皮膚内のミトコンドリアが

押されることで活性化して、

ATPを放出するということだ。

つまり皮膚を押すことで

皮膚のミトコンドリアは活性化するのだ。

そして皮膚のミトコンドリアが放出したATPは

皮膚の深部に伝達されてホルモンとして機能する。

ATPは生命力と同義だ。

押せば命の泉湧く。

鍼灸指圧は気ではなくATPを操る医学。

東洋医学は気の医学ではなくATPの医学。

鍼灸指圧は生命力であるATPの産生量を増すから

よく治効を発揮する。

鍼灸指圧を気の医学からATPの医学へ。

「鍼灸指圧はATP医学である」、

と地球人口72億人のすべてが

認知するパラダイムシフト(枠組みの刷新)の

夜明けに向けて、

いよいよわたしの孤軍奮闘が

はじまる!

2017.03.18 | | コメント(1) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

ツールがルーツ 完

東洋医学は気の医学だそうだ。

しかし、気の有無や、その実体についての

たしかな概念が確立されていなかったせいで

これまで様々な論争が起こった。

それはさておき、

気功師が被術者に気を送ると

気功師と被術者の脳波が同調する生理現象、

いわゆる脳波同調現象が、今から25年前に

大脳生理学者の故・品川嘉也博士らによる

実験で確認された。

この発見は当時、時の気功ブームとあいまって、

世界初の気の科学的エビデンスと

センセーショナルに報道されたものだ。

この脳波同調現象に限局して気を考えるのなら、

気は脳波に関係するある種の大脳生理に関わるモノ

と言える。

この大脳生理に関わるモノとはひとことで

いえば、ヒトの意識活動だ。

つまり気=意識、ということで、

とりあえずは気論争に決着がつくかもしれない。

この脳波同調現象とは別にこれまで

気の科学的特質としては以下のエビデンスが獲得されている。

①脈動する赤外線輻射。

②変動する生体磁場。

③16ヘルツ以下の超低周波。

④イオン流。

⑤フォトンなどの微粒子。

⑥静電気や動電気。

これらをまとめていえば、

気とはヒトの意識活動であり、

ヒトの意識活動には①から⑥までの

物理的な現象が伴う、となろうか。

気とは、たぶん、この程度のものだ。

そして、これ以上のものではない。

世間では気というとなにかとても神秘的で、

いわば超能力のようなものと捉える節がある。

かつてテレビで見た触れずしてひとを飛ばす

派手なパフォーマンスや、

伝説の武道家たちの空気投げなども、

気に関わるモノと、おなじように扱われてきた。

しかし、申し訳ないが、こうしたメディアが

煽った手品的なパフォーマンスは、

わたしたち鍼灸指圧家にとっては、

まったく関係のないベツモノであり、

もっといえば、あんなパフォーマンスが

気と同類と見なされることは、

むしろわたしたち鍼灸指圧業界にとっては

百害あって一利なし、のまったくもって

迷惑極まる出来事だったのだ。

こうした武道や手品的なパフォーマンスは

いっさい私たち業界とは関係ない。

そのことを再度ここに強調しておく。

さて、以上のようにザックリと気について概観してみた。

東洋医学は2000年前の医学だ。

2000年前にはまだ生理学などなかった。

だから生命力をATPで表現することもできず、

ホルモンで表現することもできず、だから

一酸化窒素もナトリウム利尿ペプチドも

グレリンも乳酸も当時の鍼灸指圧師たちは知らなかった。

もしも、当時、2000年前に東洋医学の基礎概念を

つくろうと四苦八苦していた古代の鍼灸指圧師たちが、

いまの現代に転生輪廻して、

現代の医学や生理学を学んだら、

果たしてどんな東洋医学観を生み出すだろうか?

恐らくは、わたしがこのブログでやっていることと

そっくり同じことをやるだろう。

それは気という意味不明の言葉を使用せずに、

徹底的に現代の生理学で説明する東洋医学だ。

2000年前の東洋医学観だけをマンネリに踏襲し、

それに固執し、それ以外を排除する。

そんな偏狭な世界からは新しいものは絶対に生まれない。

転生輪廻した古代の中医たちは、

現代の東洋医学界の惨状を見て、なんと思うだろうか?

気一元論の東洋医学をぶっ壊し、

現代の生理学と完璧に整合させた新しい東洋医学を生み出す。

これこそが私のやりたい事であり、

これこそが転生輪廻した古代の中医たちがのぞむ

東洋医学のはずだ。

130年の遅れを、いや2000年の遅れを取り戻す。

そのために私は25年余、鍼灸指圧師を生きてきた。

経穴(けいけつ・ツボ)、経絡(けいらく)という概念は

すべて体壁筋肉系と「体表内臓反射・内臓体壁反射」という言葉で

置き換えられる。

気(き)という概念は、すべて一酸化窒素やATPや

HSPなどのホルモンや生理活性物質という言葉で

置き換えられる。

そうして、ザックリと気一元論の東洋医学を

こうして現代生理学の基本概念と置き換えてしまえば、

東洋医学は現代医学と同じ共通の言葉を手に入れることができる。

そうなって、はじめて東洋医学は

現代社会に受け入れられるスタート地点に立てるのだ。

ウサンクサイ気一元論のみの東洋医学は

いまここで終わったのだ!

これからは体壁筋肉系とホルモンで説明する

新しい東洋医学が始まる。

いや、すでに私はその新しい東洋医学を

スタートさせている。

鍼灸指圧を現代人がわかるようにカスタマイズする。

そのことにこだわって25年。

東洋医学というツール(花)に

ついに新しいルーツ(毛根)が

いま派生した。

2017.03.17 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

ツールがルーツ 9

ご飯を食べるように鍼灸指圧する。

私の日常はそんな感じだ。

昨日も自分の足の三里(あしのさんり)という

有名な胃のツボと、腰にハリを打った。

そのせいか、胃腸の蠕動運動が活発になって、

昨夜のご飯も美味しく、

今朝のオナラも威勢が良い。

もっとも、オナラはいつものことだが(笑)

健康のバロメーターは、実はオナラだ。

オナラが威勢良く出ているということは、

腸の蠕動運動がうまくいっている証拠だ。

腸の蠕動運動には腸管筋肉マクロファージという

腸管の筋肉にいる免疫細胞のマクロファージが

いちまい噛んでいる。

腸の蠕動運動の仕組みは、かいつまんで言うと、

まず腸内細菌の分泌物であるLPSが、

腸管神経を刺激して、腸管神経細胞が

腸管筋肉マクロファージを活性化するホルモンである

サイトカインを分泌すると、今度は

腸管筋肉マクロファージがBMP2という

骨の形成を促進するサイトカインを分泌し、

この腸管筋肉マクロファージが分泌したBMP2が、

また戻って腸管神経細胞を刺激すると、

これでようやく腸管筋肉が蠕動運動を始めるという

かなり込み入ってめんどくさい仕組みだ。

わかりやすくチャート化すると、

①腸内細菌のLPS→②腸管神経刺激→

③腸管神経細胞からサイトカイン分泌→④腸管筋肉マクロファージ刺激→

⑤腸管筋肉マクロファージからBMP2が分泌→

⑥腸管神経細胞を刺激→⑦蠕動運動スタート→

⑧オナラが押し出されて→⑧ブーッ!→

⑨ た〜ま〜や〜!(笑)

と、なかなかに、かいつまんでも、

チャート化しても、複雑なメカニズムで、

オナラが押し出されてくる。

つまり、オナラがブーブーとうまく出ていると

いうことは、この複雑な腸管蠕動メカニズムが

すべて円滑にうまくいっているアカシなのだ。

オナラは、蠕動運動がうまくいってるよ、

と、その香気な音色で知らせてくれているのだ。

ありがたきかな、オナラさん!

足の三里という胃のツボにハリを打って、

上向きで寝ていると、

お腹がグーグーと気持ちよく動き出してくる。

古いはなしだが、お腹や腰にハリを打つと、

腸内環境が良くなるエビデンスが獲得されている、

ことは当業界では常識だ。

足の三里というツボにハリを打つと、

胃腸の蠕動運動が活発になる映像も

とっくのむかしに撮られている。

ご飯を食べると胃直腸反射が起こり、

胃腸の蠕動運動が活発化する。

鍼灸指圧をしても体表内臓反射が起こり、

胃腸の蠕動運動が活発化する。

ご飯を食べることも、

鍼灸指圧をすることも、

わたしにとっては、

まったく同じ日常の営為だ。

鍼灸指圧を医療として位置づけると、

医療的な場合でしか利用できなくなる。

それが鍼灸指圧の敷居を高くし、

鍼灸指圧を受ける間口を狭めて、

鍼灸指圧ファンを激減させてしまった。

鍼灸指圧は本当はもっと簡単に

サクッと利用してこそ、

真価を発揮するのだ。

べつになにか症状で困っていなくても、

お腹がすいた時にご飯を食べるように、

鍼灸指圧を受ければイイ。

そんな症状がなにもない時に

鍼灸指圧を受けて、胃腸の蠕動運動を

活発にしておけば、

胃壁から出るミトコンドリア増強ホルモンの分泌が

高まって、全身のミトコンドリアが元気になって、

ATPホルモン&エネルギーの恩恵に浴して、

エネルギッシュな身心が手に入って、

ご飯が美味しくなって、オナラがよく出る体質になるのだ。

鍼灸指圧はオマンマと一緒。

鍼灸指圧を受けるのはヒトとして当たり前。

そんな感性の日本人が増えることを

願ってやまない。

日本という国から鍼灸指圧という記号が

消えて130年以上が経過した。

鍼灸指圧という記号を再認知させるためには、

これでもかの猛烈なプレゼン、

ブランディング、マーケティングが

今必要とされているのだ。

しかし、状況は決して甘くない。

相変わらずに鍼灸指圧を胡散臭いと思う

99.9%ピープルが住むアウェー・ニッポンが相手だ。

う〜む、突破口はどこにあるのか?

まあ、とりあえず、いまのところは、

ここで、徹底的にぶちまける、

もとい、啓蒙に励む。

2017.03.16 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

ツールがルーツ 8

鍼灸指圧はビンテージデニムの味わい。

日本の鍼灸指圧は明治維新の際に、

国の医学から民間の医学へと格落ちさせられた。

そのときに日本の1500年近く続いた伝統的な

鍼灸指圧の系譜は断たれ、

伝統は、そこで終わったのだ。

だから明治維新から今までの、ここ130年の

日本の鍼灸指圧界は、すでに新しい時代の

鍼灸指圧に、はからずもなってしまったといえる。

それがイイとか悪いとか、今さら言っても

しょうがないことだ。

さて、日本の鍼灸指圧の歴史が

いま新たな時代を迎えたといっても、

果たしてその新しい時代に合った鍼灸指圧観や、

新しい時代のいまの人々の価値観にマッチした

鍼灸指圧ブランドのブランディングが出来ているか、

といえば、これはまったくとんでもなく

すでに遅れを取っているといえるだろう。

あまり内輪の業界を批判したくはないが、

例えば伝統鍼灸などは今でも気一元論の

論理をもってして、すべて事足れり、

としているようにみえる。

わたしは決して伝統的な鍼灸指圧観や

東洋医学理論を全否定するつもりはない。

しかし、昔ながらの気や経絡やツボという

言葉だけで、今を生きる現代人を納得させる

ことは不可能である、と痛感している。

だからこそのこのブログなのだ。

例えばファッション業界の用語などは、

これでもかと横文字が頻出する。

あまりに横文字過ぎて、

いったい何を表現したいのか、

意味不明に感じることも多々ある。

しかし、そんな失礼だがチャライ用語を

駆使するファッションの世界は、

鍼灸指圧業界よりもはるかに

ブランディングに長けた業界だ。

ブランディングとは、

ひとことで言えば、

その業種や会社やブランドの自己アピール

と言えよう。

ようはマーケティング戦略の一環の宣伝広告

なのだが、医は仁術、の教えを守る崇高な

我が業界では、こうしたマーケティング戦略を

取ることはむしろこれまでは忌避される傾向にあった。

それが災いし、いまでは類似業者のリラク産業が幅を利かし、

本職である有資格者の職域がコテンパンに侵蝕され、

もはや指圧の看板が街から消える、

そんな状態にまで陥っていることは、

皆様もご存知のとおりだ。

鍼灸指圧は日常的に利用することで、

日々の体調を良好に保つ最良のツールだ。

使える、という意味でよくファッションの世界では、

ユーティリティーという用語を使用する。

その例で言えば鍼灸指圧は使える医療、

鍼灸指圧は使える道具、

ヘビーユースに使ってこそ輝くビンテージデニムの

ような、そんな味のあるユーティリティーアイテム。

そう、鍼灸指圧はユーティリティーなツールなのだ。

是非、毎日とは言わないが、週に1回でも、

2週間に1回でも、いや1月に1回のハレの日でも、

お出かけ用でも、おめかし用でも、

どちらでもいいが、とにかく

鍼灸指圧というツールを履き込んで、

いや、使い込んで欲しい。

そうすれば使い込むほどに味が出る

鍼灸指圧のツールとしての有用性が

肌身に滲みてわかるはずだ。

2017.03.13 | | コメント(12) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

ツールがルーツ 7

鍼灸指圧は超高級なツール。

世の中には記号としての高級品がある。

例えばクルマ。

クルマは私の子供の頃には、まだ今ほどは

世間に出回っていなかった。

だから当時から言わば高級品だったわけだが、

そんな高級品のクルマも今では

ひとりに一台、一家に4台、

なんてあるのも当たり前の時代を迎えた。

しかし、それはそれ。

そうした実用品としてのクルマではなく、

誰が見てもパッとすぐに高級車とわかる

クルマがある。たしかに見た目もスペシャルで、

値段は卒倒しそうなほど高額だ。

およそ庶民では手が出ないどころか、

そんなクルマに乗ったところで、

似合いもしないし、

置いておく屋根付きのガレージもない、残念(笑)

クルマもピンからキリまで幅広い趣味だ。

クルマと同じく時計もまた同じだ。

機能だけなら今の時代なら

子供のお小遣いでも手に入る。

しかし高級時計になると、

高級車と同じく立ちくらみが

するような値段がつく。

クルマは雨風しのいで走れば良し。

時計は時間がわかれば良し。

というか時計はもつ習慣すらない。

そんな無趣味の無粋な人間からすれば、

なぜにそれほど高級という記号に執着するのか

意味がまったくわからない。

私はクルマや時計の良さがわかるような

高級な生まれではない。

でも、自分の仕事の鍼灸指圧という業は、

これは世界一の高級な趣味に値すると

つねづね思っている。

高級車に乗ると即座に頭痛が治り、

便通が改善されて、筋肉がついてきて、

ミトコンドリアが活性化して、

ATPに満ちたエネルギッシュな身心に生まれ変わる

のだろうか?

たぶん、頭痛の時に高級車に乗っても頭痛はすぐには

治らないだろうし、便通は改善せずにつまったままで、

ミトコンドリアもしょんぼりしたままで、

ATPがとくにたくさん出てくるわけでもなく、

エネルギッシュな身心などとうてい手に入れることなど

できはしない、ことは想像に難くない。

高級時計を腕につけたら、同じく頭痛が即座に治ることもないし、

身体が活性化しないことは

高級車の例に同じく自明だ。

クルマも時計もただの道具(ツール)でありモノ。

そして高級だの低級だのというそんな価値観は

マーケティングのブランディング洗脳による

記号の刷り込みに過ぎない。

ようはメディアによる洗脳で脳味噌を殴られて

価値観を固定化された皆様が、

こぞってあちらにお金をつぎこみ、

こちらにお金をつぎこみ、

それで高級品の市場経済が回っているという

それだけのはなしなのだ。

もちろんヒトサマの趣味にとやかく

何か物申すことは野暮の極みで、

ゼニ無しのひがみ根性もあいまって、

こんな意見などセレブの皆様にはどこ吹く風だろう。

でも、そこのセレブの旦那に、淑女さん。

あなたたちがまだまったく知らないこの世でもっとも

贅沢で最高にプレミアムなスペシャルに高級な趣味が

あるのを、ここだけでコッソリと教えてあげよう。

それはね、ちまたの99.9%の皆様がいつも

胡散臭いとイメージする鍼灸指圧というものなんだぜ。

エッ、マジで、って、

もう、そんなにビックリしないでよ(笑)

だって、鍼灸指圧を受けると頭痛なんか即座に治るし、

便通が改善されてお通じが整ってお腹がスッキリして、

グレリンという胃壁から分泌される空腹ホルモンが

バンバンと分泌されると胃腸の蠕動運動が促進されて、

何を食べても美味しく感じる身体になって、

おまけにグレリンのミトコンドリア増強作用で

身体中にATPというホルモン&エネルギーが満ち満ちて

くるんだぜ。それで鍼灸指圧は皮膚と血管壁から

一酸化窒素という血管拡張&筋弛緩ホルモンの

産生を促すから、血流が良くなって、

筋肉がほぐれて、身体がチョーーーー軽くなる。

チョーーーーー気持ち良くなる。

また鍼灸指圧により皮膚や血管壁から分泌量が増した

オキシトシンというホルモンは認知機能を高める作用も

あるから、だいぶ年とってちょっとヤバクなってきた

脳機能も自然に活性化してボケ防止までできちゃう。

どうよ。スゲエでしょ?

そう、鍼灸指圧はスゲエどころの騒ぎじゃない。

この世のなかで何が高級って、

鍼灸指圧くらいすごくて素晴らしものはないんだぜ。

知らなかったって?

うん、誰もこんな事を教えてくれないからね。

メディアってのはゼニをたんまり払ったスポンサーの宣伝しかしない。

そういったスポンサー様が売りたい高級品だけを高級品と

洗脳するのがメディアのお仕事。

だからセレブの皆様は今まで鍼灸指圧の良さなど

まったく知らなかったんだよ。

でも、それはしょうがないことだよね。

ある意味、同情しちゃうね。

だけど、もうイイじゃん。

鍼灸指圧の凄味を今日、ここを読んで知ることが

できたんだからさ。

新しい超高級な趣味だよ。

セレブな貴方の住んでる近所で

お気に入りの鍼灸指圧院を見つけてさ、

コッソリと通い続けてみなよ。

そうすれば内側から身心が高級になって、

貴方の高級車や高級時計も今よりも

もっとよく似合ってくるからさ。

なんと言っても身体が健康でなくちゃあ、

人生、面白くないでしょ?

身体が健康でセレブなら、いうことなしじゃん。

世の中にはどれだけゼニを積んでも満足しない世界がある。

しかし、世の中にはたいしてゼニをかけずに、

やたらと満足できる世界もある。

たいしたゼニを払うわけではなく、

ほんの少しのゼニを払うだけで味わえる

世界一の高級趣味。

それこそが鍼灸指圧というツールだ。

2017.03.13 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

ツールがルーツ 6

鍼灸指圧はアート。

わたしの指は長年の指圧により、

いささかコブが目だち、爪も変形している。

これまで25年間の指圧師人生で、

3万タッチを越える多くのヒトの身体を触ってきた。

現在、現役で指圧を業とする指圧師が

日本にどれだけいるのか、正確には知らないが、

わたしはもちろん現役の指圧師だ。

遠方から我が治療院に来院される皆様がこぞって

クチにする言葉が

「先生の治療院がうちの近くにあれば

毎週でも通いたい」というひとことだ。

どうも私のような指圧をする指圧師が

全国的にいないようなのだ。

私の指圧術がとくべつに優れているわけでも、

とくべつに変わっているわけでもないはずなのだ。

あくまで基本に沿って、丁寧に一圧一圧に心を込める、

いわゆる日本人らしいおもてなし精神でおこなう指圧。

これは基本を踏襲しているに過ぎない。

ただ、もしも自分のやり方で、

なにかヨソサマと違いがあるとすれば、

それはある場合には、押す時間が非常に長くなる、

といった独自のイレギュラーなリズムがある、

というくらいだ。

治療の値段も特別に高いわけではない。

15分間1000円からで、

1時間で4000円だ。

都市部の平均価格からすれば馬鹿みたいなディスカウントだ。

基本的な指圧を良心的な値段で提供する。

とくべつなことはなにひとつない。

しかし、私にも矜持くらいあるのだ。

世の中にはアートと呼ばれるものがある。

普通はアートと言えば芸術作品を連想する。

ようは絵画や彫刻などの美術品のたぐいだ。

美術品はともすればとてつもない高額がつく。

ただペンキをぶちまけただけにみえる

アメリカのポップアートのジャクソン・ポロックの作品など、

いまでは億単位で取引されている。

もちろん有名処のゴッホなども億の世界だ。

こうしたモノとしての芸術とはべつに、

音楽もまた芸術だ。

音楽はモノではないので、意味不明な金銭取引は

比較的に少ないような気がする。

そういう意味では音楽は純粋だ。

音楽は鼓膜を空気がゆさぶりマッサージすることで

ひとを感動させる芸術だ。

しかし、それは瞬間の出来事で、

美しい調べが鼓膜を震わせても、

その瞬間が過ぎれば消えてしまうものだ。

音の振動は一瞬だが、音の振動は電気信号となって

脳へと神経伝達されると、脳内で情動となって感動を呼ぶ。

古来、中国では最強の気(き)は音だったという。

実は音は耳だけでなく皮膚でも感知されている。

だからヒトは耳と皮膚の両方で音を捉えているのだ。

指圧は指圧師の指で患者の皮膚を押していく。

指圧師の指先は微弱な赤外線を発し振動している。

指圧師の指先の振動は患者の皮膚に触れることで、

その振動を伝達する。指圧師の指先の振動は

患者の皮膚を振動させると、その振動の波は

患者の皮膚へと様々な紋様を描きながら、

波打ち広がっていく。

指圧師は患者の皮膚というキャンバスに

色を塗り、音を聴かせるアーティストなのだ。

アートの語源のなかには、腕という意味も含まれるそうだ。

腕の意味を少し拡大してその先っぽの指先まで含ませれば、

やはり私の仕事は立派なアートだといえよう。

指圧というアートはモノではないゆえに、

ポロックやゴッホの作品のように高額をつける

わけにはいかない。

そして音楽という総合芸術のように美しいホールで

大勢のひとを一度に楽しませることも不可能だ。

場末のやれた雑居テナントの二階の小さな店が

指圧アートの展示会場だ。

モノとしての価値はないし、

すべてのひとに認められた価値でもない。

しかし指圧というアートはどんな素晴らしい芸術と

肩を並べても決して恥ずかしくない純粋な芸術だと

わたしは胸を張りたい。

わたしにしか描けない絵を、

わたしにしか出せない音を、

わたしは治療院で描き奏でるのだ。

鍼灸指圧という絵筆と楽器をツールに、

治療という芸術作品に挑む。

2017.03.13 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

ツールがルーツ 5

鍼灸指圧は科学的。

私が鍼灸指圧師になって25年余が経過した。

鍼灸指圧師になってイイことも、

イヤな事も経験してきた。

それはどんな職業に就いてもそうだろう。

しかし、何もその業種の中身を知らない者に

鍼灸指圧は胡散臭い、と言われた事が一度ならず

何度かあるが、これほどイヤに感じたことはなかった。

正直、ものすごくへこんだ。

しかし、それが現実なのだ。

では、なぜ鍼灸指圧が胡散臭いとイメージされるのか、

といえば、そう言い切る者たちは、

鍼灸指圧は科学で証明されていない、

と漠然と思いこんでいるからに違いないのだ。

鍼灸指圧は紀元前の古くから行われているが、

いっこうに科学的な検証もされずに、

科学の世界では相手にもされていない。

そんな風に思う世間一般の99.9%の者が、

いまも鍼灸指圧を胡散臭いとイメージしている。

ちょっと、イイカゲンにしてくれよ!

先の私の「ツールがルーツ 4」の記事を

全文、目をこれでもかと皿のように、カーッと見開いて、

アドレナリンとオレキシンとβエンドルフィンを分泌させながら、

隅々まで一言一句舐めるように

何度も何度も読んでくれたまえよ。

そうすれば、きっと、もう鍼灸指圧が胡散臭いなどと

口が裂けても言えなくなるはずだ。

エッ、そこの貴方、まだ鍼灸指圧が胡散臭くて科学的でない、

と言いたいの?

ならば、どうぞ、私に思いっきりロジックで

徹底抗戦を挑んでくれたまえ。

どんな論戦だろうと受けて立つぜ。

さて、鍼灸指圧を胡散臭いと思おうが、

イケテルと思おうが、何が一番大事かと言うと、

鍼灸指圧の何たるかを知りたければ、

鍼灸指圧を鍼灸指圧師から実際に受けて、

その身体で鍼灸指圧の何たるかを

体感することに尽きる。

どんな理屈も、どんな理論も、どんな反論も、

実際に鍼灸指圧を受ければ、

また違った視座が目覚めるはずだ。

鍼灸指圧をただの一度も受けたこともない者に、

いったい鍼灸指圧の何がわかるというのか?

胡散臭いだって?

科学的でないだって?

ヒトの体壁筋肉系におのずから宿る潜在的なホルモン産生力。

これは胡散臭いも科学もない、あるがままのそのままの

身体が保持してきた自力の治癒力ということだ。

この体壁筋肉系のホルモン産生力という自力治癒力を

引き出すから鍼灸指圧はATP医療と言えるのだ。

鍼灸指圧は体壁筋肉系のホルモン産生力を引き出す

世界一イケテル科学的な医療なのだ。

鍼灸指圧を胡散臭いと思う者は人類の医の源にツバを吐く

恥知らずの不届き者と断言しよう。

人類は700万年のあいだ、按摩マッサージ指圧で身心を癒し、

180万年のあいだ火の力で身心を癒し、

7万年のあいだハリ治療で身心を癒して、

生き延びてきたのだ!

鍼灸指圧があったから人類の今がある。

鍼灸指圧こそ人類の宝の遺産、

世界に誇る医療遺産だ。

2017.03.12 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

ツールがルーツ 4

鍼灸指圧はATP医療。

皮膚は押されると表層からATPを分泌する。

この皮膚表層で分泌されたATPはその後、

皮膚深層へと到達してメッセンジャーとなり、

皮膚が押された信号を伝達する。

つまり皮膚表層で押されることで分泌されたATPは

皮膚内で情報伝達分子として機能しているのだ。

これまで生理学の通説では、長らくのあいだ

ATPは細胞活動のエネルギー通貨というのが常識だったが、

この皮膚内で情報伝達分子として機能するATPの役割が

解明されるにつれ、ここ20年ほどで

ATPのホルモンとしての機能がクローズアップされるに至った。

例えばオキシトシンというホルモンがあるが、

これもホルモンであると同時に神経伝達物質だ。

またセロトニンなども同類だ。

胃壁から分泌される空腹ホルモンのグレリンも、

脳へと高速で伝達する神経ルートと、

血液を介して血流に乗せて全細胞へと伝達する血流ルートの

神経伝達物質とホルモンのダブルスタンダードな側面を有する。

アセチルコリンやアドレナリンも同じ作用を持つ。

だから、これまでは神経伝達物質とホルモンをわけて考えていたが、

いまではそのような分け方自体が意味を成さないことがわかり、

神経伝達物質とホルモンとサイトカインを一括してホルモンと

呼ぶ傾向が生理学のなかで出て来た。

糖質制限などと称し今では忌み嫌われている糖質のブドウ糖なども、

実はホルモンのように振る舞うことがわかっている。

糖質を摂取しブドウ糖が血液中に回り出すこと、

それ自体がひとつの信号となり、身体中が活性化するのだ。

食べ物に含まれるタウリンやグリシン、グルタミン酸や

アスパラギン酸などもブドウ糖と同じくホルモンのように

作用する分子だ。

ある意味、体内に存在する分子はもしかしたら

すべてホルモンと言い換えることが可能かもしれない。

さて、そのホルモンのなかでもなんといっても

もっとも基本的で大事なホルモンがATPだ。

ATPはADPに変換される際にエネルギーを放つ。

このエネルギーこそが命の躍動の源泉なのだ。

ATPは体重の約1.4倍量が日々、産生されている。

その内訳は95%をミトコンドリアに依存する。

そういったわけでミトコンドリアを元気にすれば、

このATP産生が高まり、体力が増して元気になる、

いやもっと言えば病気にならない身体ができる、

などというミトコンドリア丸投げ論が

昨今、幅を利かせて流行り始めているわけなのだ。

だがしかし、事はそれほど単純ではない。

ミトコンドリアは12億年前に原始真核生物と共生する際に

ミトコンドリアDNAのほとんどの遺伝子を

細胞核のなかへと疎開避難させてしまったのだ。

ミトコンドリアが酸素を使ってATPを生み出す際に

酸素の酸化毒で自身のミトコンドリア遺伝子が傷つく事を避けるための

賢明な国策ならぬ「細胞策」な処置が施されたのだ。

311後にそれをしなかったどこかの国とは対照的な

素晴らしい処置だ。

生命のやる事は本当に驚くほどに賢い。

ところがそのミトコンドリア遺伝子の細胞核への

疎開避難のせいで、だからミトコンドリアは今では

自力で単独では、ミトコンドリア内の酵素活動を

おこなえなくなってしまっているのだ。

ミトコンドリアは細胞核DNAのなかに

疎開避難させたミトコンドリア遺伝子をもとに、

細胞小器官の小胞体やゴルジ体を経由してセントラルドグマで

生み出される酵素タンパク質をヒートショックプロテイン60の

シャペロン能力を頼りに、ミトコンドリア内にまで

ロジスティック(移送運搬)してもらうことで

ようやくミトコンドリアが正常に機能する段取りになっている。

つまり、いくらミトコンドリアさえ活性化すれば、

と大声で念仏を唱えても、それはそう簡単にはいかない事が

これでおわかり頂けるだろう。

あくまでミトコンドリアは細胞と協調して二人三脚で

いつもラブラブカップルでなければならないのだ。

だから細胞核遺伝子が何らかの環境ストレスで傷つけば、

ミトコンドリアも共倒れの憂き目に遭ってしまうのだ。

このへんの領域のはなしは、かなりめんどくさくて、

興味のない方々にとってはどうでもいい問題なのだが、

私のような者にとっては、看過できない領域となる。

だから、敢えて細かくしつこくもう一度、言ってみた。

そういうわけなのだが、私なりの調査分析では

ミトコンドリアを活性化する方法はそれなりに

あるのだ。

ミトコンドリアを活性化するには、

①一酸化窒素と②ナトリウム利尿ペプチドと

③グレリンと④乳酸の

この4つの分子が有効だ。

これら4分子のミトコンドリア活性化には

動物実験やヒトにおける臨床実験の科学的お墨付きという

れっきとした実証エビデンスが獲得済みだ。

さらにここに⑤ATPそれ自体を加えたい。

生命には正のフィードバックとも呼べる機能がある。

ある分子が分泌されると、それ自体が信号となって、

さらにその分子の分泌が高まるという仕組みだ。

オキシトシンというホルモンなどもそうした機序で

分泌が高まる。

やればやるほどやる気が出てくる。

そんなメカニズムがATPにも備わっているはずだ。

この①から⑤までのミトコンドリアを活性化する分子は

すべて鍼灸指圧により産生量が高まる分子だ。

なぜなら皮膚は押されることでATPが出ると

いう厳然たる事実ひとつだけでも

簡単にこれは立証できるのだ。

皮膚は押されるとATPを出すが、

筋肉をほぐす一酸化窒素も分泌する。

また体壁筋肉系を押すことは

血管を押すことに等しいが、

血管も押されることで一酸化窒素を分泌する。

血管は血管拡張ホルモンの一酸化窒素だけでなく

血管収縮ホルモンのエンドセリンを分泌するし、

ナトリウム利尿ペプチドCも分泌するし、

オキシトシンも分泌する。

血管は4種類ものホルモンを合成できるのだ。

また乳酸は常に皮膚や筋肉内や脳や内蔵で合成されているが、

乳酸は速筋で生み出されたものを心筋や遅筋の

ミトコンドリアで使い回しするように

各細胞膜に乳酸トランスポーターという装置が装備されて、

血流を介して乳酸はやりとりされている。

血流を促進する一酸化窒素やナトリウム利尿ペプチドが

乳酸活用に有効であろうことは論を待たない。

グレリンに関しては臨床において、

患者の胃腸の蠕動運動が高まり、

胃や腸が動くグーグー音をよく聞くことで

いまのところはエビデンスと言えるだろう。

実際にはハリを胃のツボである足の三里のツボに打ち、

CTスキャンなどで胃を見ていると、

驚くほどによく胃が動く映像が確認されている。

鍼灸指圧は体壁筋肉系をアクセスポイントとすることで、

皮膚や血管壁からATPや一酸化窒素やナトリウム利尿ペプチドを

産生し、血流を促進することで乳酸をよく使い回し、

胃からのグレリン分泌を高めることで、

全身のミトコンドリアを活性化し、

95%のATP産生を後押しすると言えよう。

鍼灸指圧こそがミトコンドリアを活性化する医療なのだ。

ミトコンドリアが活性化すれば、

ATPが潤沢に産生されて、

ヒトはエネルギッシュになる。

鍼灸指圧はエネルギッシュなATPメガ盛り人間を増やす

ATP医療の真打ちだ。

2017.03.12 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

ツールがルーツ 3

鍼灸指圧は効いたから続いた。

鍼灸指圧というツール(道具)をいったい

人類はいつから手にしたのか。

ハリは少なくとも7万年前にはあった。

灸は火を使い始めた頃と一致するのか。

人類が火を使った確実な考古学的証拠は

イスラエル北部で見つかった囲炉裏の跡と

焼けた石片だ。今から80万年前の遺跡だ。

アフリカでは100万年以上前の複数の遺跡で

焼けた骨が見つかっている。

これももしかしたら人類の料理の痕跡の可能性がある。

専門家によれば料理の証拠はさらに遡れるそうだ。

180万年前のホモエレクトス(原人)の身体の構造には

料理したものを食べたことを示す短くなった消化管と

小さなアゴがみられる。

つまりホモエレクトスはすでに火を使い料理していたと

みなせるのだ。

だとすると人類が火を使い始めたのは、

今から180万年前までさかのぼれる。

火を利用して皮膚を焼くような灸のルーツ的な

治療は、だからかなり古い時代からと

推定できるかもしれない。

マッサージの起源はサルのグルーミングだ。

700万年前から共に過ごしたチンパンジーとヒトの共通祖先から

ヒトが完全に分岐したのが、今から630万年前。

サルのようなナリのヒトの祖先からヒトらしく

歩み出した人類はずっとグルーミングで身体を癒してきた。

つまり按摩マッサージ指圧の歴史は優に700万年を越える。

鍼灸指圧のルーツを探ると、

古い順に按摩マッサージ指圧の700万年前、

灸の180万年前、

ハリの7万年前、というだいたいの目安が出る。

よく老舗の商店やブランドは創業年をタグなどに

記している。

その習慣から言えば鍼灸指圧のタグには

「創業700万年」や「since B.C68000」と

刻印できる。

鍼灸指圧は、まさに由緒正しきブランド医療なのだ。

人類史と共にある鍼灸指圧。

鍼灸指圧がこれほど古いルーツを保つのは、

鍼灸指圧が有効だった証拠であり、

鍼灸指圧はここ700万年の人類の生理機構を

常にバックアップしてきたと言えるだろう。

2017.03.12 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

ツールがルーツ 2

東洋医学ではない鍼灸指圧。

こんな文言を書こうものなら、

当業界で猛烈な反発を招くことは必至だ。

しかし、アイスマンの例に見るまでもなく、

鍼灸指圧術は東洋医学が成立するよりも

はるかに前から人類共通の医学として

行われていたことは確かだ。

ホモサピエンスが衣服をつくるために

縫い針を手にしたのは約7万年前だ。

縫い針と鍼灸用の鍼はもちろん目的は異なるが、

ハリという道具はすでに7万年前からあったことは

これで確実となる。

縫い針が先か、治療用のハリが先か。

そのへんはまだ未解明だが、道具の発明が

それを扱う技術を発達させたことは明らかだ。

SF映画「2001年 宇宙の旅」の

冒頭の「人類の夜明け」は、

動物の骨を道具として手に取った原始人類のひとりが、

水飲み場の取り合いで敵のボスを叩き殺して雄叫びをあげて、

振り上げた道具の骨が空中へと飛び上がるシーンから、

第二幕の現代の月面探査のシーンへとつながっていく。

空中へ飛んだ動物の骨がゆっくりとスローモーションで

地上に落下するその瞬間に骨のシルエットが現代の宇宙船に変わる。

骨という人類が最初に手にした道具は20万年を経てついに

宇宙船にまで進化した、とスタンリー・キューブリック監督が

言っているようなとても美しく印象的な映像シーンだ。

さて、冒頭の問題に立ち返ろう。

私はこのシリーズでいったい何を企んでいるのか。

それは恐らくは、鍼灸指圧と言えば東洋医学である、

という常識をまずはいったん御破算にして、

まっさらな気持ちで、もう一度、鍼灸指圧とは何なのか、

を考察してみたいということになるだろうか。

私たち鍼灸指圧師も、一般ピープルも、

鍼灸指圧と言えば東洋医学、

というこの固定概念にあまりに

長く馴染みすぎた。

だから、鍼灸指圧は東洋医学である、という常識を

自明のものと思いこんでいる。

しかし、それはあくまで現代における洗脳の賜物なのだ。

まずはこうした鍼灸指圧にまつわる常識を

きれいさっぱりとデトックスする。

そうして0から鍼灸指圧についての

モロモロを考察してみようと思う。

早い話しが東洋医学的なキーワードは

一切使用しないで、私なりの生理学用語を

駆使した鍼灸指圧論を展開するという試みだ。

エッ、それならもうとっくに

ずっとここでお前がやってるだろって?

はい、そのとうり。

わたしはこれまで、ほとんど東洋医学独特の

専門用語を使わずに、鍼灸指圧論を展開してきました。

それは、つまりは現代人にわかる現代人のための

鍼灸指圧論を提示することこそが、

現代に生きる鍼灸指圧師の責務だ、との強い思いから

でありました。

これはすなわち私なりのおもてなし精神の体現なのだ。

チマタの鍼灸指圧について何も知りもしない一般ピープルに

いつも鍼灸指圧は胡散臭いなどと言われる現実。

この鍼灸指圧は胡散臭いというイメージの壁を

いかに突き崩すか。

これが私の最もやりたい事、悲願のひとつなのだ。

東洋医学独特の専門用語を駆使した鍼灸指圧論は

どこかの誰かがやればイイ。

しかし、わたしは日々、細胞が生まれ変わるように、

つねに新鮮な言葉で自分の鍼灸指圧論を提示したいのだ。

さしずめまずは前シリーズから引き継ぐ形で

皮膚の持つ潜在的な能力にスポットを当てる。

皮膚も血管もホルモンを産生する一大ホットスポットだ。

皮膚や血管のこのホルモン産生力を促進するから、

鍼灸指圧は医学として成り立つと言える。

わたしにとっての気づきのモノリス、

それはいつも体壁筋肉系なのだ。

2017.03.12 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

ツールがルーツ

はじめに道具ありき。

SF映画「2001年 宇宙の旅」のエピソード1に登場する

原始人類のシーンで象徴的に描かれているのが、

動物の骨を道具に思いつく1シーンだ。

なにげなく砂をかき分けて、

そこに転がっていた動物の骨がクランと揺れて傾く。

その不思議な骨の動く様に見とれた原始人類のひとりが、

その動物の骨を手にとる。

いぶかしげにその骨をしげしげと眺めて、

その骨をつかんで、先程と同じように

骨を地面に叩くようにゆらしてみる。

モノリスと太陽と月のイメージがここに重なる。

そんなシーンのあとに、おもむろに

原始人類がその骨を使って動物を叩き殺して

食べるシーンへと続いていく。

道具の使いはじめには、その道具を操るための

思想や信条や理論などないのだ。

あくまで実践的な利便性が先に立ち道具を使い出す。

鍼灸指圧もまた同じだったはずだ。

指を使って身体を撫でる。

ハリのようなもので膿を排出する。

火を使って患部を焼く。

抗生剤などない時代に火で消毒滅菌することは、

バイ菌の殺菌にむいていただろう。

そんな実用性、利便性が鍼灸指圧の起源にある。

東洋医学などと偉そうにドヤ顔で宣言する前に

すでに鍼灸指圧はあったのだ。

5400年前のアイスマンの入れ墨はハリ治療の痕跡とされる。

アイスマンは東洋医学を習った鍼灸指圧師に治療してもらったのか?

いや、そんなことはない。

なぜなら当時の欧州に東洋医学はまだ伝播していなかったからだ。

いやいや、東洋医学が成立したのはアイスマンが生きた時代から

さらに遅れること2000年後のことだ。

アイスマンはだから東洋医学ではないハリ治療を受けたのだ。

私たちは鍼灸指圧と言えば東洋医学と固定概念で思っている。

しかし、それはあくまで後付けの現代の屁理屈だ。

易も、陰陽も、五行理論も、まだ未発達の時代から

鍼灸指圧術を人類がおこなっていた。

それは利便性と実用性をもとにそれぞれがそれぞれの

やり方で継承したものだったのか?

鍼灸指圧はあくまでツール(道具)なのだ。

そのツールを使いこなすために、

果たして高尚な東洋医学の理論などいるのだろうか?

痛いところに手を当てる。

この手当てという原点(ルーツ)に東洋医学の理論も

ヘチマもない。

道具、ツールがすべてのルーツ、始まりだったのだ。

ツールがルーツ。

我ながらいいネーミングのシリーズがスタートした!

2017.03.11 | | コメント(1) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

身体論の解体と再構築 完

「本当のところはわからない」今村光臣(C)




「でも、トウトは、細胞とか、そういう事を

いっぱい知っているからいいけど、

私はそんな事を聞いても、

まだ何にもわからないし、

普通に街にいるひとだって、

そういうことに、そんなに詳しくないから、

そんな事をそのまま言っても、

きっと、わかんないよ。

だから、もっとわかるような言葉で言わないと

ダメじゃないの?」

「う〜ん、たしかに、そうだね。

わかりやすく伝えるってのは、

今の自分の一番の課題で、

図星だよ(笑)

でね、わかりやすく伝えるには、

本当にそのことがよくわかっていないと

できないんだよ。

でも、わかったような口ぶりで言ったあとに、

トウトはいつも、最後に必ず、

でも、本当のところはわからない、

と決めぜりふを、言うんだよ。

わかっている事、わかってきた事は

たしかに増えたけど、

からだのことは、やっぱりまだまだ完全には

わかっていないからね」

「ふ〜ん、なんだかソレって

面白いかも」



昨日、娘とお風呂に入っていて、こんな会話をした。

身体論の解体と再構築と銘打ったシリーズも、

なんと今回の記事で32本目となった。

ちょっと、長く続いたので、

ひとまず、本記事でこのシリーズを休止しようと思う。

いや続けようと思えば、ずっと続けられるのだが、

やはり、なんというか、新しいキーワードも

いっぱい湧いてきて、

本来の目的が見えてきた。

鍼灸指圧の良さをもっともっとアピールして、

鍼灸指圧をスポーツとして楽しむ、そんな

ひとを増やしたい。

よって、次ぎの記事からはまた新たなシリーズを

始めようと思う。

私はいわゆるここ2000年続いた東洋医学などという

大それたものは、すでに役割を終えたと、

そんな認識に今至っている。

東洋医学はもう終わったのだ。

こんな言いぐさを言おうものなら、

恐らくは当業界人から

猛反発を喰らい、猛攻撃に遭うだろう。

でも、とっくに東洋医学は終わっているのだ。

私が言う、その終わってる東洋医学とは、

昔ながらの言葉で昔ながらのやり方でやる東洋医学のことだ。

気や経絡にはじまる東洋医学独特の専門用語を駆使し、

虚実を調整し陰陽を調和する、と豪語する

そんな昔ながらの東洋医学は、もう時代遅れであり、

世間の誰一人としてついてこないと

わたしは言っているのだ。

東洋医学の理想郷は天人合一(てんじんごういつ)だそうだ。

天とは天空の星々という意味だけではなく、

それも含めたヒトを取り巻くすべての環境を意味する。

そのヒトを取り巻くすべての環境のなかには、

ヒトの体内の内部環境までも意味すると私は認識している。

つまりヒトという存在は、銀河系の動向とそこにある星々の運行、

太陽黒点の活動、月の引力、地球の重力、地磁気、

地球の気候変動、大気の状態、海の様子、

土壌の組成、河川の具合、そこで採れる食べ物の質、

食べる量、食べる時間、運動のやり方、仕事、

ライフスタイル、そうしたすべてに影響され、

また自律する分子レベルの生理システム・・・と、

こうしたヒトを取り巻くすべての環境とつながった存在だ、

というのが東洋医学の人間観であり、

だから、つまりはヒトを健康に導きたいのなら、

このすべてを健康にするのが本筋だ、

と古代の中医たちは悟っていたはずだ。

では、ひるがえって現代の鍼灸指圧師たちは、

天人合一という念仏を唱えながら、

果たして本当の意味で天人合一のための何らかのアクションを

いま実践しているといえるのか?

311から今日で6年だ。

この間にいったい何人の鍼灸指圧師が本気で

脱原発を叫び、本気で内部被曝を防御するメソッドを提示したのか?

いまこうしてこの文言を書いていると、

なぜか胸からこみ上げるものがあがり、

涙がちょちょぎれる。

わたしも各媒体にこれまで精力的に311がらみの論考を

発表してきたが、なんとも言えない忸怩たる無念が

心の底に滞留しているのを今実感している。

名も無きひとりがいくら声高に叫んでも、

原子力ムラの闇にその声はスーッと溶けて消えるだけだ。

先日も、この私の住む町のある大きなホールで、

原子力ムラの精鋭の学者や経済アナリストや

もとマラソン選手などが集い、

原発推進の啓蒙講演が行われたばかりだ。

昨日の中日新聞の一面には、

福島・浪江町の牛飼いの吉沢正巳さんの記事が載っていた。

被曝地帯にいまだに住みつづけウシの世話をしている

自称カウ・レジスタンスだ。

彼は自分の身体を被曝にさらして犠牲にしてまで、

棄てられたウシの世話をして、

いまこの国が進めている棄畜政策は

棄民政策と同じだ、と原発反対を訴え続けている。

「俺たちが生々しい体験を訴え、仲間をつくるしかない。

理解者がもっと増えるとうれしい」との

吉沢さんの言葉だ。

天は311でことごとく汚染された。

そのことに気づかずに、いや気づいても何も言わなかった、

言えなかった鍼灸指圧師たちよ、医療人たちよ。

まだ、見ざる、言わざる、聞かざる、の三猿でいる気なのか?

ひとりの声など知れている。

無名のひとりの声など、誰の耳にも届かない。

でも、ひとりが十人になり、

十人が百人になり、百人が千人になり、

千人が万人になる頃には、

もしかしたら蝶の羽ばたきが竜巻に変わるかもしれない。

このバタフライ・エフェクトに期待した6年だったが、

無駄なあがきだったようだ。

それでも天は回っている。

塵芥に等しいヒトの所業など天にとっては微々たるものだ。

放射能がやがて世界を覆い尽くせば、

生き残るのはデイノコッカス・ラディオデュランスのような

耐放射能性能を備えたバクテリアだけだ。

そんなバクテリアだけの世界になった地球から、

また何らかの生命史が刻まれることだろう。

その新たな生命史の行く末にヒトのような存在が

誕生するかどうかはわからない。

しかし、もしも誕生したなら、

今度こそは、地球と、天と、健康に合一できる素晴らしい世界を作ることを

そのヒトのような生き物に期待する。

ヒトの身体のことも、

地球の未来のことも、

本当のところは、いつもわからない。

しかし、わからないからこそ、

わたしたちは慎重になり、

わかる範囲を拡大すべく科学的な検証に精を出すのだ。

鍼灸指圧は科学的に十分に説明できる段階に達した。

科学的な説明と「鍼灸指圧はスポーツだ」を合い言葉に、

より一層の鍼灸指圧のアピールに努める所存だ。

俺がやらなくて誰がやる。

鍼灸指圧はこの世で味わう最高の贅沢だ!

2017.03.11 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

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