気を観る 22

しかし、昨日はメチャクチャ暑かったね!

その暑い中を、少し周辺のグルメマップの補強にと思い、新しい旨い店探しに出掛けたんだけど、

はじめてうかがったお目当ての中華屋がちょうど客席がいっぱいで、30分ほど待ってどこかテーブルが空く頃には、

ちょうどでかい法事客の団体が入るから、ここでお待ち頂くのはお勧めしない、と丁重に断られてしまって、さあ大変!

子供っちは、腹が減ったと途端に不機嫌になるし、オトウもね、沽券失墜、

はい、かなり不機嫌になり、一気に不穏な一触即発の空気感に包まれ窒息寸前(笑)、

はっきり言って、陸の孤島の牧之原市をさらにひたすら国道を西へと向かい海岸線をクルマで走らせていっているわけで、

つまりは陸の孤島のクライマックスの髙みへと向かう途上にそんなイイ店なんかありっこない。

とにかくここらの沿岸ロードとなる国道150号線沿いのさびれ具合がもうハンパなく凄まじくて、

やめちゃったガソリンスタンドから空き店舗、つぶれた喫茶店など、

東海大地震による津波を警戒しての内陸部への転居、店舗の移転の加速も後押ししてか、

あるいはアベノミクスの失政が地方を疲弊させたのか、いずれにしても地方経済の壊滅具合をまざまざと見せつけられて、

腹が減ってて不愉快な気分がマックスの時に、そんな景色を見てさらにわびしい気持ちになりながら、

てやんでぇ、もう、これ以上、西へ走らせて、大都市(笑)の浜松市に着く頃には日干しになっちまう、

しょうがねぇなぁ、オッ、ヨッシャ!、ちょうどエエ具合に東名袋井のインターチェンジへと向かう看板を見つけたんで、

おっし、こっちの道へ行ってインターの近くまで行けばファミレスくらいあるだろうから、ってんで150号線から右折したら、

目の前の広大な田園風景に目まいがして(笑)、そういえば浅羽町って穀倉地帯というか大豆や小麦や米の供給地だもんな、

なんて感慨に浸ること数分すると、道路沿いになにやら店らしきものを発見して、

どんどこ浅羽?、地産地消?、バイキング?

あっ、そういやぁ、むかし、ウチの常連さんが、浅羽町にあるバイキングレストランに行ったら、豆腐が旨いっけ!

って言ってたな、と思いだし、これ幸いにここでランチとあいなりました。

いや、もうね、子供っちは限界だし、俺も連れ合いもね。

このお店は出来てだいぶ経つ感じで、建物や内装はちょっとヤレ感もあるし、

地産地消のバイキングじゃあ、このへんじゃあ例えば、

ショッピングモールの磐田のららぽーと、や、老舗系のデパートの静岡セノバに入っている

「葡萄の丘」あたりがオシャレで有名だけど、それに比べれば、ちとドンクサ感は否めなかったけど、

何気に地場産メロンの引換券があって、これを受け取り口に持っていくと、ひとりに一切れのメロンの特典があったり、

こちらのお店のウリのお豆腐を食べる醤油が、ここらじゃあ有名な「栄醤油」さんだったりで、

この栄醤油のお醤油は我が家でも使ってるけど、むかし、このお醤油を作ってる醸造元まで行って、

蔵の内部を見せてもらったことがあるんだけど、昔ながらの伝統的な醤油作りをかたくなに守り続けている

ジェダイの蔵元だったのを記憶しておりますので、この栄醤油をバイキングで使ってるとは、

かなりポイントが高いというか、見あげたもんだよ屋根屋のふんどし、太っ腹!

全体的には野菜中心のおふくろ料理という感じで、そりゃあ一流シェフが作る洒落た料理ではないんだけれど、

米粉を使ったフライとか、細部にヘルシーで、味付けもソフトで

ちと濃い味が苦手になりつつある年頃の俺にはピッタリ(笑)

お味噌汁も旨かったし、デザートのスイカは皿に出ると速攻で無くなる人気だったけど、

なるほど、決してオゾイのじゃなくて、甘くて旨いスイカだったね。

あっ、オゾイってのは静岡弁で、ようはバッドって意味合いの方言です、はい。

あれだね、野菜をたくさん食べた後の体感は、やっぱ野菜はカラダにイイという実感だね。

ということで、こちら光伯堂詣での際のグルメマップに「どんどこ浅羽」さんを追加と言いたいんだけど、

なにせ、光伯堂からクルマを走らせて1時間半はかかるので、周辺マップというには、ちと遠い(笑)

でも、ドライブがお好きなご諸兄ならなんでもない距離かもしれません。

本ブログお約束の定番「お出かけ日記」はここまで。







ええと、本題というか、なにか言いたいことがあったというか、補足というか、

前稿ではウイルス進化論の焼き直しみたいな事をやりましたが、

ウイルスは現在その種類が判明しているのが5000種ほどあるんだけど、

いわゆる病原ウイルスとしてはたったの100種類が知られているのみで、

ようはウイルスの何たるか?はハッキリ言えば、いまだにまったくわかっていないのです!

それで、近年になって相次いで巨大なウイルスが見つかっているのが海や水辺や氷土の中からで、

特に海洋ウイルスの生息数があまりに多く、海洋ウイルスの実態の研究はまだ始まったばかり。

つまり、ウイルス学はいまだまったく成熟していない、フロンティアの分野なのです。

俺に言わせればインフルエンザウイルスだって、もしかしたらガン免疫ウイルスかもしれないよ!

エッ、なんのこと〜♪(ここ松たか子調に歌いながらエルサ風に読んでね  笑)

だ〜か〜ら、インフルエンザウイルスに罹患するから熱が出て、免疫系が起動して、

ヒートショックプロテインでマクロファージが活性化して、インフルエンザウイルスを撃墜するついでに、

ガン細胞もぜんぶマクロファージに貪食されてしまうんだから、インフルエンザウイルスってのは

天然の癌ワクチンじゃん?!!!!!

まあ、こういう発想でいけば、ウイルスは敵ではなく味方ってことになるね。

これって、けっこうコペルニクス的なパラダイムシフトだぜい!

医学観ってのはさ、まずもって一定の意図で作られているから、そこんとこを自力で打ち砕くと、

けっこう快感なんだよね(笑)

エボラやエイズにだって、きっと何らかの役目があるかもしれんよ。






「ウイルスは敵ではなく味方であり仲間である」







これが常識になるには、たぶんあと、100年はかかるね。


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2015.07.27 | | コメント(8) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

気を観る 21

このブログはタイトル名を「養生法の探求」と言う以上は、

いかにして健やかに命を養うか?

の養生(ようじょう、ようせい)の方法を探り求めている事は、

改めて言うまでもありません。

しかし、この命を健やかに養うことほど、また難しく、

いやそもそも命とは何なのか?

この大命題を解くことはもっともっと難儀なことと言わねばなりません。

ということで、いかにしてこの命を捉えたらいいのか?

を模索してきた記録もこのブログの特徴でありました。




現在、地球に共に暮らす地球の生き物の数はだいたい低く見積もって130万種ほど、多く見積もって3000万種ほどになるといいます。

この多様な地球生命の仲間もおおもとをたどれば、地球に最初に誕生した38億年前の最初の生命体にたどりつきます。

この地球最初の生命体がいったいどのようにして誕生したのか?

は諸説ありますが、いわゆる偶然の産物としてどうも最初の生命体は生まれたというのが通説とされます。

偶然の結果、たまたま奇跡的に生まれた地球最初の生命体の末裔がわれわれ地球生命種である、というのです。

これね、どうも、おかしくね?

さて、クドクドした論説は好きではないので、サクッとザックリといきましょう(笑)

はい、では本稿の核心というか一番言いたいことを、ここから述べていきます。





まず、生命の定義というか生命の目的を既存の学説とは異なり、大幅にアヴァンギャルドに変更してひとことで

「生命とはゲノムをつなぐもの」

とします。そうしますとゲノムを次世代につなぐ方法としては、

いわゆる生殖細胞を介した親から子への垂直遺伝というものが、これに相当することは常識です。

そして、この垂直遺伝とは違う様式でのウイルスを介した個体から個体、種から種へとゲノムをつなぐ方法を

水平遺伝とも、水平伝播とも言います。

要約すると、「生命とは垂直遺伝と水平遺伝でゲノムをつなぐもの」となります。

それで、この生命がゲノムをつなぐ方法の垂直遺伝の方はかなり普通に理解できますが、

こと水平遺伝となると、にわかにワケが分からなくなる方々が多いはずです。

ですが、本稿ではいちいち水平遺伝の詳細には触れずに、一番言いたいキモだけに今回はタッチしますので、

もしも、水平遺伝の詳細を知りたくば、本ブログの過去記事を探って頂きたく思います。





今や3.11後、4年目を迎えて、ある情報によれば、極めて深刻な事態が進行していることは皆さんもすでにご承知のことと思います。

ある意味、すでに人類は絶滅の危機にマジで直面しているようなのです。

それゆえに終末論的な未来図がどうしても予想され、デリケートな感性の持ち主であれば、かなり憂鬱にならざるを得ない状況です。

でもね、脳内お花畑の楽観論をここで振りかざすつもりはないけど、地球生命種は常にウイルスにコントロールされてるから心配いらないよ!

と言っておきましょう。





はぁ?

「地球生命種は常にウイルスにコントロールされてるから心配いらないよ!」だって?!!!

アンタ、また突拍子もないことを言って、いったい何を言いたいの?

と思った読者の皆様、はい、最後まで読んでくださいね。





あくまでこれはごく私的な仮説とあらかじめ断っておきますが、わたしは現生130万種の地球生命体を例えばひとつのネットワークか、

もしくはひとつの総体、ユニットと仮に想定しています。

つまり地球上に生きている130万種の生命体は一見すると、それぞれの単一種が独自に生きているようにみえますが、

実は地球生命の本質的な目的である

「生命とは垂直遺伝と水平遺伝でゲノムをつなぐもの」の役目を果たすための

ひとつのツールとしてのいち生命種という概念が浮上してきます。

ようは、どの種であれ地球生命種としてのゲノムを次代につなげれば、それで地球生命種としてのミッションは完遂できたことになるのです。





だから、例えばもしもこのまま人類種が放射能禍によって絶滅しても、他の種が生き延びることで地球の生命ゲノムは途絶えることなくつながっていきますから、

地球生命種全体としては、人類の絶滅はほとんどたいした問題ではないと言えそうなのです。

人類を過大に評価されたい向きには、はなはだ面白くない意見でしょうが、わたしから見たら人類の存在などこんな程度と言えます。





そして、この地球生命種がゲノムをつなぐその本源的な原動力として機能し、また実は地球生命種のバランスや盛衰のすべてをコントロールしているのが、

私たちが病原毒として恐れてやまないウイルスであろう、というのが私の大胆な仮説です。

そう、もう一度言いますと

「地球生命種は常にウイルスにコントロールされてるから心配いらないよ!」なのです。





ウイルスからみたら、ゲノムを運ぶ運び屋はどんな種であろうとかまわないのです。

だからウイルスから見たら、バクテリアも植物も動物もヒトもみな同じウイルスの乗り物なのです。





地球生命種はウイルスによる水平遺伝によって常にそのゲノムを地球環境に適応するようにその時々で仕立て直し、

ウイルスの水平遺伝によってその時々の地球環境にマッチするゲノムツールを付与された、

つまりはゲノムに組み込まれた獲得形質を次代に垂直遺伝することで、

種は永続し進化していくという、この

「地球生命種=一大ウイルス帝国」

という仕組みこそが地球の生命進化のプロトコル(おきて)だったのです。





ええと、本稿はかなり通常の生命科学の常識とは逸脱しておりますので、すでにお腹いっぱいの方、もう少しの我慢をお願いします(笑)





ということで、本稿でほんとのとこ何を言いたいかというと、

すでに人類はこの放射能危機に直面したことで、垂直遺伝に暗い影を落としているのですが、

恐らくはガイアな地母神たるすべてのウイルスの母であるマザー・ウイルスが、

その使いであるウイルス・チルドレンたちに、人類が放射能に対抗できるプログラムを組み込んだゲノムを運ばせて、

すでに一部の人類にこの放射能耐性ゲノムが水平遺伝されている、と希望的推測を抱いてみると、

ちょっと精神衛生上、イイ感じだぜ、と言いたくて、ここまで長い記事となりました。





とんでもない仮説を提唱するのって、けっこう長い記事が必要なんですね(笑)





まあ、どう転んでも、なんとかなるさ!

こういう楽観論は一部のノストラダムス的な思考癖の皆様には嫌われましょうが、

アタシはどこまでいっても、希望を捨てる気はありませんね。






人類もその他の種も、しぶとくこの3.11後の世界を生き抜いていくことでしょう。

いや、生き抜いていくのだ!

2015.07.26 | | コメント(5) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

気を観る 20

今週は治療院まで優にクルマもしくは公共交通機関を使って片道3時間以上はかかる遠方は日本の東西から

連日の如くに、初診、再診のクライアント様が来院されました。

まずもって、遠方よりお越し頂いたクライアント様たちに、改めて深くお礼を申し上げる次第です。



わたしの指診断によれば、シビアなケースあり、それほどでないケースありと、それぞれの身体の歴史が反映された凝りを触らせて頂きました。

1回の治療で良くなるケースももちろん多々ありますが、そうではないケースもまた多々ございます。

シビアなケースでは、やはり1回の治療では治し得ませんが、何回か治療するうちに好転のきざしが見えてくるパターンもございます。

1回の治療ですぐに良くならなくても、決して諦めずに、前向きに自分の身体と向き合っていただければ幸いに存じます。




わたしは、少し前にネット上にて、「日本最強の治療師」というキャッチフレーズを頂きました。

そのことで、このブログがこれまでにない程に注目されアクセス数が激増するとともに、

治療院のクライアント様の様相にもその後、変化が起こり、

一気にクライアント層は全国区へと広がり、いま現在に至っております。

このネットを介したここ2ヵ月ほどのある種の宣伝効果には、たいへんに驚くとともに、

新しいクライアント様との出会いをたいへんに嬉しく受け止めております。




治療師である以上は、悩み苦しむ症状を治すのがクライアント様への最大のおもてなし、であることは十分承知しております。

しかし、治す、治せない、治る、治らない、の手の内の治療世界は、

それこそ非常に多くのファクター(要因)とパラメーター(媒介変数)が

ケルトの組み紐紋様の如くに絡み合う非線形的で非局在性の量子論的な複雑系の事象です。



たまたま、たった1回の治療で奇跡的にこれまで長年悩み苦しんでいた症状が消えてしまう、

というケースはハッキリ言って、まずあり得ません。

いや、ごくごくマレに、そうしたセレンディピティな奇跡に出会います。

そんな奇跡的な治癒との出会いを知る治療師は、どうしてもいつもそれを望んで、

そのような奇跡をまた再現しようとクライアント様の初診の最初の第1回のファーストセッションに全能力を傾注します。

またクライアント様はクライアント様で、やはり恐らくはそのような奇跡的な治癒が起こって欲しいと切に願いながら初めての治療を受けるはずです。

この治療師とクライアント様の双方の気がひとつに融合し、お互いのフォースとパワーが気レベルと分子レベルでシンクロした時に、

どうかすると奇跡的な治癒と呼べるような癒しが訪れるのです。




もしも、どんなクライアント様でも、すべてを1回で治せたら、どんなにいいか。

そう願いながら日夜、みずからの気フォースをコントロールし、

天地の気とクライアント様の気を融合せんと努めておりますが、

まだすべてのクライアント様をたった1回で治すキリストや釈迦のレベルには到底、

わたくしハリィーは到達しておりません。




細胞核ゲノムレベルの変異により、セントラルドグマが変調し、セントラルドグマによって生み出されるタンパク質が変性することで、

長期的な細胞ストレス状態が続き、すでに形態や器質に明らかに客観的な変化が認められ、その変化した形態が長引いて固定化した状態の場合、

例えばパーキンソン症候群やリウマチによる関節の変形、固形ガンの病巣化したもの、長く患っている筋ジストロフィーや脳梗塞の後遺症など、

このようなものは、やはりなかなか1回ではうまくいきません。




それでも、1回治療すれば1回治療しただけの

なにがしかの手応えを得ていただけるように、

常に全力を尽くして治療に当たっております。




ここで少し重大な問題を提起しますが、そもそも「治る」とはいったい命のどのプロセスを指してそう呼ぶのでしょうか?

単純にはもしも痛みがあればその痛みがなくなった時、

あるいは体調がかんばしくなくヤル気が出なかったのが、身体がスッキリして頭脳明晰になって何でもヤル気になった時、

こんな好転プロセスを普通は「治る」「治った」と言います。




しかし、こうした意味での「治る」ケースに属さないのが、

先程申し上げた細胞核ゲノムレベルでの変異により非可逆的な変性が進行しているケースです。

このような言わば単純に「治る」ケースに属さない症状をお持ちのクライアント様に、

治療師である私はどんな「おもてなし」ができるのか?

を常に考えながら、ここまで来ました。



そうして導かれた結論的な手の内メソッドとは、こうしたシビアなケースでは、

治る事を目的とするのではなく、例え治らなくとも、せめてこの1回の治療時間のあいだだけでも、

身体が気持ちよく軽くなるように、との思いで治療することでした。



ある意味、治るかどうかは、神なる命の向こうにあずけられた世界なのですから、

治療師の仕事とは、やはり手の内で出来る最善を尽くすこと、なのです。



たとえ簡単に治るケースでないシビアなケースであっても、わたしは絶対に手を抜くことはありません。

指圧という手技は、手を抜けば即座にクライアント様にそのずぼらな手抜きを見抜かれるほどに、実は治療師にとっては恐ろしい手技なのです。

ですから、逆に言えば指圧で結果を出すことは、私は鍼や灸の道具を使って結果を出すことよりも、はるかに高度な技であると常々、考えております。



指圧の地位は実はこの代替医療の分野では、かなり低く見られ、

代替医療カテゴリーだけでなく一般の人から見ても、まだまだ指圧は低級な医療の範疇と錯覚されていると感じます。

しかし、足かけ26年間も指圧にこだわってきた私に言わせれば、指圧こそが最上のおもてなし医療であり、

指圧こそがどんな贅沢よりも価値のある真の意味でのラグジュアリーな快楽なのです。



いつでありましたか、キャメロン・ディアスとルーシー・リューとドリュー・バリモアの、

新チャーリーズ・エンジェル三姉妹が、映画のプロモーションで来日した際に、

日本滞在時のご褒美としてリクエストしたのが、

日本一の治療師による最上の東洋医学ケアを受ける、というオーダーでした。



いやさ、ほら当時はまだオレは無名だったから、

残念ながら美女お三方のご指名にはあずかれなかったんだけどね(笑)





世界に誇る日本最強の治療師を目指して、

いつの日にかハリウッドセレブもお忍びで通うと言われる治療院を目指して、

畏れと慎みを胸に、また今日も指圧道に励みます。






指圧エンターティナー・ハリィーの名が

クオラムセンシングなカスケード反応でバタフライ効果に

世界へと羽ばたきますように(笑)

2015.07.25 | | コメント(3) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

気を観る 19

内部被曝を制する者は3.11後を制する ←ここをクリック!




はい、この冒頭クリック記事は2年前に私が本ブログにアップした記事ですが、

このように「養生法の探求」ブログは執拗なまでに内部被曝問題を追及してきまして、それがこのブログの真骨頂でもありました。

ただ、最近になってあまり内部被曝問題に触れなくなったのは、これまでの公開情報で十分に言い尽くしたと感じていたからです。




ではありますが、たまにはこうした過去記事でも参照して、デブリ再臨界を迎えた4年目の気分を引き締めるのも悪くないかもしれません。



???内部被曝による健康被害を未然に防ぐ最良の策は免疫力の維持である???

???放射能の被害は煎じ詰めれば人体の酸化現象なので、酸化を還元する水素や電子の供給で内部被曝を制することが可能だ???



こんな論調がネットでは多々見受けられます。

わたしに言わせればどちらも、帯に短したすきに長し、の感はぬぐえません。

いや、もしかしたらこうした論調の背後には、いわゆる原子力ムラの影響力すら介在するのでは?

そんな穿った見方すらできそうです。





内部被曝を制する核心とは、内部つまり人体内、細胞内に入りこんだ放射性同位元素という重金属の元素をいかにして人体外、細胞外へと排泄デトックスするか?

これこそがもっとも重大かつ最優先の喫緊の対策なのです。




そのことへと触れずに、免疫力と酸化還元のみに焦点を当てることは、ある意味、もっとも必要な放射性同位元素のデトックスという核心の目くらまし、スピンと受けとられても文句は言えません。

なんでもヘンテコな電子供給マシンに人間をつなげば、酸化したカラダが還元される、と吹聴するヤカラは、このヘンテコマシンさえあれば内部被曝にすら打ち勝つと豪語しますが、

果たしてそんな便利な機械が本当にこの世に存在し、本当にその機械さえあれば内部被曝の健康被害が未然に防げるのでしょうか?

わたしはこうした論説にはずっと疑問を抱いておりますことは、すでに本ブログ読者には常識です。





それはともかく、まず第1に内部被曝を防御するうえで最重要なことは、

予期せぬ人体内、細胞内への放射性元素の侵入に対して、

これを即効でキレート(つまみ出し)排泄するための多糖体の摂取、

ネバネバの摂取に尽きる、

ことをもう一度確認しておきます。




そして、内部被曝により痛んだ細胞膜やDNAの修復には、

ヒートショックプロテインによる細胞修復作用が絶対に必須ですから、

ヒートショックプロテインを分泌する様々な方法を用いること。

その筆頭こそがヒートショックプロテイン医療の最高峰である鍼灸指圧術であり、

とくに指圧ではマウス実験でも立証された被曝対策のカナメとなる分子であるNO(一酸化窒素)が分泌できますし、

また鍼灸指圧術では脳内オピオイドのβエンドルフィンという鎮痛ホルモンが旺盛に分泌されますが、

このβエンドルフィンはガン免疫の主役であるNK細胞を活性化しますし、

また指圧やハリで誘発産生される一酸化窒素には免疫細胞のもっとも重要なポジションにあるマクロファージを活性化できますから、

鍼灸指圧術によるこれら様々な分子リガンドの産生は、

内部被曝に対抗する細胞修復と免疫力の維持においてたいへんに優れていることが伺われるのです。





ネバネバの摂取で体内に侵入してしまった放射性元素をデトックスしつつ、

鍼灸指圧術によりヒートショックプロテインと一酸化窒素とβエンドルフィンを分泌して

細胞DNA修復と免疫力維持を達成する。

つまりは、

ネバネバヒート養生法こそが内部被曝をコンプリートに制する仮説を、

ここに改めて大プッシュしておきます。





デブリ再臨界の恐怖に怖じ気づくことなく、黙々とネバネバヒートに励むことで、

恐らくは3.11後の内部被曝への未病治アプローチの確かな道が見えてくることでしょう。




久しぶりに、本ブログのアイコンともいえる内部被曝問題にクローズアップしてみました。

2015.07.22 | | コメント(3) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

気を観る 18

先週、地元の常連さんに、

「先生、発酵食品が免疫力を上げるって言うけど、これって本当?」と聞かれたので、




「ほら、発酵食品ってのはいわゆる細菌つまりバクテリアが例えば糖質を乳酸に変えることで、酸っぱいあの沢庵もそうだけど、味噌とかの味もね。ようは発酵菌が産生する分泌物によって美味しい味になるから、みんな旨い旨い!って食べてるんだけど、確かに旨いのもあるんだけど、こと免疫力を上げるという観点で言えば、これは外来菌といって腸内にもとから棲んでる常在菌からしたら敵なの?」

「エッ?発酵食品が敵?」

「そう、このあいだ大本営放送局でも特集が組まれて話題になった腸内フローラね、人間の腸内には常在菌が叢(むら)を形成していて、これら腸内常在菌叢の菌類が口から入った栄養素を分解したり、二次産物である乳酸やビタミンやセロトニン前駆体やドーパミン前駆体などを生み出すことで、ヒトは正常な生理を営み健康でいられるというアレね。これはもうそこそこ常識じゃん!」

「うん、先生は随分と前からそのことを私に教えてくれてたから、あぁ、ついに時代が先生に追いついてきたとあの特番を見て感慨が深かった(笑)」

「いや、こんな腸内フローラのことは、もうねそのスジの権威である光岡知足博士が何十年も前から提言していたことだから、べつに私の専門じゃあないけど、光岡博士も触れていないだろう腸管免疫の主役である免疫細胞のマクロファージの細胞膜レセプターの問題ね、このトールライクレセプター、略してTLRについてがこと発酵食品と免疫という問題において一番重要な点なの」

「なになに、なんだかそれはまだ聞いたことがないわ!」

「ほら、さっき発酵食品の発酵菌は外来菌で敵だ、って言ったでしょ?でね、この外部から腸管内に侵入してくるバクテリアってのは、基本的に腸内フローラにとっては敵ってのはすぐに理解できるでしょ?だってもしもドカドカと土足で腸内に踏み込んでもとから棲んでいた腸内フローラの居場所を横取りされて、DQNみたいにドヤ顔で歩き回って、そこら中を占拠されたら、腸内フローラの居場所がないじゃん。腸内フローラはその個々人に固有のアイデンティティーみたいな構成になってるから、それが乱されるということは健康な生理バランスが崩れるということ。その代表が腸チフス菌とか赤痢菌とかO157とか、コレラ菌とかね、こういった病原菌のたぐいは即座に病的反応を誘発する。だからそういった外来菌に対する滅菌殺菌器官として強酸の胃液で殺菌する胃袋という器官があるんだ」

「じゃあ、発酵食品の発酵菌もみんな胃で殺菌されちゃうの?」

「基本的に発酵食品の発酵菌だって、胃液でキレイサッパリ殺菌されちゃうね。でも菌体成分といって胃液で分解されたあとの残滓みたいなものはちゃんと腸まで届くから、これが丸山ワクチンと同じような免疫活性化の役割を果たすというわけ。ここからが免疫の何たるか?の最重要部分になるんだけど」

「前振りだけで、もうもの凄い情報量!あと、ついて行けるか不安になってきた(笑)」

「ギャハハ、こんな話はもう話し出したら延々と続いちゃうから、ここからはザックリと核心だけ言うけど、ほらさっき言った腸管免疫の主役のマクロファージの細胞膜レセプターのトールライクレセプターTLRがウンヌンというアレね、このマクロファージの細胞膜には、外来菌やその菌体成分であるバクテリアの細胞壁の多糖成分とかあとはウイルスとかヒートショックプロテインなんかのいわゆる抗原と呼ばれる分子を捕捉してキャッチして捕まえる武器としてのレセプターが備わっていて、この人体や腸内フローラにとっては異物や異種となる分子を完璧に仕分ける能力がマクロファージには備わっているんだよね。だからどんな分子が入りこんでもこの腸管免疫で待ち受けてる腹腔マクロファージによって捉えられて、しかるべき判断が下される。このマクロファージの細胞膜レセプターによるしかるべき判断こそが免疫力の活性化というわけ」

「やっぱり先生に発酵食品と免疫に関する話を振ったアタシが間違いだった(笑)もうかなりお腹いっぱい、というかこれだけのことを言える人ってなかなかいないよ、先生」

「いや、それはね、研究者とかならもうゴロゴロこんなレベルを越えてる御仁はぎょうさんいてはるけど、そうこのねマクロファージの細胞膜レセプター研究の第一人者ってのは日本人の研究者で大阪大学の審良静男博士なんだけど、アキラ博士の名前がまだぜんぜん一般化してないの!ということはマクロファージの細胞膜レセプターについて、まだまったく一般化してないってことなんだけど、自分はすでにブログでこのことは何度も取り上げていてね」

「先生のブログはまだ読んだことないもん、アタシ」

「うん、それはとくに読めとは言いません。なにしろエキセントリックでアヴァンギャルドなブログで、ヘタ打つともう記事が長大で誰も読まない、読みたくない文の総量になるから、もう見た瞬間に重くて読めない人もいっぱいいるはず。一時は祭りみたいにアクセス数が激増したけど、最近、ちょっと落ち着いてきたし。まあ、そんなにいつまでも付いてこれるファンばっかりでもないね」

「でも、新しく連載始めたんでしょ?」

「そうそう、養生アルカディアね!まあ、色んな切り口で、幅広い間口を設けて、いろんな入り口を作るのはイイことだよね。そうそうれでね、結論としては発酵食品はカラダに良くて、免疫力をアップするけど、その真のメカニズムは腹腔マクロファージの細胞膜レセプターに秘密があるってことね」

「ここに来て、先生とこうして色んな話をして、いつも感心するけど、これだけ言える人ってほんといないと思う。遠くから来る患者さんが増えてきたのも頷けるわよ」

「そうね、昨日は東京から、その前の日は宮城県は仙台市から、ほんとは今日は大阪からみえる方がいるはずだったんだけど台風で来週に延期で、今月末には九州から泊まりで来院される予定のクライアント様があるんだよ」

「いよいよ、全国区ですね、先生。アタシたち地元民のことも忘れないでね」

「もちろん、地元の常連さんあってのハリィーですから!」

「エッ、なにそのハリィーって?」

「あっ、なんでもないっすよ。まあ自分のブログでのあだ名みたいなものですから、気にしないでください」

「あ〜、でも発酵食品と免疫の話は、またひとつ賢くなった気分で、先生ありがとう!」

「いやいや、こんなのは朝飯前で、また何でも聞いてください。答えることができることは答えるけど、答えることができないことは答えられないから(笑)」




なんて、話しました。

2015.07.21 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

気を観る 17

アヴァンギャルド鍼灸指圧師ハリィーのプロフィール ←ここをクリック!




ちょいと今さらだけど、アタシの自己紹介などが、 ↑ トリニティウェブの連載記事の付録に掲載されておりますので、こちらでもご紹介!

手前味噌テンコ盛りのプロフィールで、いささか恥ずかしいんだけど、いちおう言うべきことは言っておかないとね。

けっこううまく自己紹介がまとまってるでしょ?

ということで、ただそれだけだけど(笑)





アタシの場合は、とにかく言いたいことは常に山ほどあるんだけど、よくクライアント様に聞かれるのが、

①読書が前から好きで読書量がハンパないんじゃないか?とか、

②ネタ帳みたいなものにメモ書きしたネタをもとに記事を書いているのか?とか、

この二つのご質問はよく受けます。




それで第①のご質問の読書に関しては、たぶんそんなに読書量は多くないはずで、

なにしろ、仕事中はもちろん読書は出来ないし、仕事以外の時もそんなに読書に集中できるわけでもないから、

読んだ本の総量というのは恐らくはたいしたことはなくて、荒俣宏あたりはハンパない読書量なのは有名だけど、

そういう読書好きからしたら、ぜんぜん問題外なくらいに読んだ本の数は多くないと思う。

また子供の頃から読書が好きかと言えば、たぶん、どちらかといえばそんなに好きでもない方だったような気がするし、

でも夏休みの課題の読書感想文とかは、そんなに嫌いじゃなかったかも。

読書に関してはそんな程度だね。

この鍼灸指圧業の仕事についてから読んだ本が今の記事を書くうえで非常に裨益するところ大だったと感じている。

ようは鍼灸関連の専門書を読んで、記事を書くスタミナみたいなものが養われたんでしょうね。




さいで、②つめのご質問のネタ帳に関しては、イタリアは花の都フィレンツェのティツィアーノの描くヌード画の傑作「ウルビノのヴィーナス」が収蔵されているウフィッツイ美術館の売店で買ってきた、

ボッティチェルリが描いたメディチ家の別荘の壁を飾ったあの生まれたばかりのアフロディーテが貝殻の上に乗った「ヴィーナスの誕生」が表紙を飾るメモ帳があるにはあって、

このネタ帳にはそこそこデータを記載してはあるんだけど、実はあんまりこれも使わないで記事を書きます。

そもそも、このブログ「養生法の探求」はだいたい思いつきと成り行きで進行するというのがテーゼというかそういう方針で、

朝こうしてパソコンに向かって思いつくままを書くのが味というか習わしでありまして、

ただ外注で原稿を依頼された場合は、けっこう真剣にデータ的なものは確認するようにはしています。




あとはとにかく常に新しいネタを書きたいというのもあって、基本は書き起こし、というのも自分の記事の特徴ですね。

もちろんネタが常に重複するというか、例えばネバネバヒートとか、活きた凝りとか、養生文明なんて頻出ワードもあるんだけど、

こうした頻出ワードは自分の持ちネタなんで頻繁に露出するんだけど、記事は基本的には常に書き起こしするようにしております。

だって、過去に書いた記事を焼き直ししようなんて気持ちはこれっぽちも思わないんですわ。




美術史における様式や形式を常に破壊しつつ突き進む芸術運動アンフォルメルの先駆者であった今井俊満の信条は、

「自分のコピーはしない」

そう、常に古い自己を変革することが一番カッコイイとアタシも思うわけ。

ムッシュ・イマイも晩年はガンに罹患して死の恐怖と対面しながらも、常に新しい芸術を創作しつづけた。

46才で聴覚を完全に失ったゴヤしかり、ゴッホは言うまでもなく

歴史に名を残す芸術家たちは禍福はあざなえる縄のごとしの壮絶な人生の中で

常に新しいものにチャレンジしつづけた。

不肖ハリィーも、だから常に新しい表現に挑戦しているというわけです。

トリニティウェブの「養生アルカディア」もね、そういう意味で、新しい挑戦なのです。






「凝り」についての連載なんて、書きようによっては、もの凄くちんちくりんの小さい世界に陥りそうだけど、

それをいかにして大きなスケール感で描いていけるか、が今回の挑戦というわけです。

キリストの奇跡の手当てに始まり、ミケランジェロの天地創造のアダムの誕生につなげた今回の記事は、

俺的にはけっこうイイ感じで、気に入ってるんだけど、みなさんはどうですかね?




まあ、そういったわけで、自分的には今回のトリニティウェブの連載「養生アルカディア」は

かなり気が乗ってきたんで、今後の展開にご期待ください。

イイネ点数はまだスゲエ低いけど、そういうのは気にしない気にしない(笑)

書かしていただけるだけで、ほんと、ありがたいです。





あっ、なんか今日のこの記事はかなり無駄感全開の記事だね(笑)




さてと、草刈りをしないと庭がもうもの凄いことになってるし。

スクランブルエッグをたっぷり作って頂いたら、いざ草刈りに出陣!

2015.07.20 | | コメント(5) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

気を観る 16

「養生アルカディア 凝りを巡る哲学的考察とセルフケア」vol.2 ←ここをクリック!






ということで、ようやくトリニティウェブにて連載がスタートした

「養生アルカディア」シリーズの第二話がネット上にアップされました。

すでに連載がはじまったあとで何なんだけど、ちょっと、この連載にかける意気込み

みたいなものを開陳しますと、まず連載のお話しを頂いてから、どんな路線で行くか、

でかなり難儀というか逡巡がありまして、ああでもない、こうでもない、と色んな路線を模索しました。

それで最初は超お気楽路線に「ハリィーのアヴァンギャルドな日々」みたいな日記調がイイかな、

なんて思っていたんだけど、どういうわけか蓋を開けてみたら、けっこうマジメというかお堅いというか、ちゃんとした路線になってしまいました。

でも、実はこのタイトル、かなり気に入っております。

だって普通は養生なんて古くさい言葉は、絶対に西洋的な価値観とはなじまないんだけど、

それが意外にもギリシャ神話の理想郷という意味の言葉であるアルカディアとスッと融合していて、

養生アルカディアだもん。かっこイイでしょ? 

フフフ、誰も褒めてくれないから、自画自賛(笑)

あとはサブタイトルの「凝りを巡る哲学的考察とセルフケア」もね、けっこうイイ感じだと思います。

今回から末尾の「について」は省略しました。

それでこの新連載シリーズの意気込みなんだけど、もちろんこれまで誰も語っていない内容を押し出していくことが基軸であり、

また新しい路線を作り出すからには、新しい言葉を造語し、新しいキーワードを創出していくことを念頭において、楽しんで書いていきます。

今回vol.2も前回vol.1も西洋絵画の話題をマクラというか隠し味に使っているんだけど、これはその絵をズバリ掲載すると、より臨場感が増すのはわかっていますが、

絵画引用における著作権などの問題もあり、今回のシリーズでは文字のみの説明となります。

どんな絵かは逐一、検索を入れればネットで詳細部分まで見ることができる時代なので、引用文中の絵画にご興味を持たれた皆様は是非に各自でその絵をご覧になって、

さらに文章や絵を読み込んで頂きますれば幸いに存じます。

自分は小学校の時は図工や美術がけっこう好きで得意な方だったので、それが理由というわけでもないんだけど、雑誌「芸術新潮」を定期購読していた時期も長くあり、

まあ、そんなこんなで美術にもの凄くはまっているわけではないけど、一般教養程度には好きという感じでおりました。

そんな下地もあって、フッと天から「養生アルカディア」という言葉が降ってきた、という次第です。

「画家哲学者」と称されたニコラ・プッサンは

「絵は読まれるべきもの。絵は精神に訴えるもの。眼に訴えるものではない」とも申していたそうです。

なかなか面白い見解ではあります。

そういう意味では文章や文字もまた、ただそのままを読むものではなく、その文章や文字にこめた思いを読むもの、であり、

文章や文字はヒトの精神に訴えるもの、であると言い換えることができるかもしれません。

がんらい、凝りなどという極めて感覚的な治療師にしかわかり得ない感触を文字にしてヒトサマに伝えるなどいう行為は、

これはある意味ドンキホーテ的な無謀な試みなのです。

しかし、自分が知り得た凝りを通した命の世界を、自分のなかだけに仕舞っておいては勿体ないし、こうした経験をヒトサマに披瀝することで、

新しい養生観を醸成していくことはたいへんに意義のある仕事である、と認識する次第です。

そんなこんなで「養生アルカディア」シリーズは発進しました!

第二弾の感触はどんなですかね?

こちらブログは書き殴りというか、思いつきでパッパと思考の流れにしたがって、けっこう適当に書いているんだけど、

今回の連載シリーズは原稿を書いてから、かなりの回数、手を入れて何度も何度も推敲を重ねて修正して、

読む際に読み手の方がどこかで意味が分からなくて、読むスピードが落ちたりストップしたりしないように、

一気にスーッと読めるまで文章を鞣(なめ)してから入稿しております。

サラッと一気に読める文章がうまい文章だ、とはかの時代小説家の池波正太郎先生のお言葉ですが、

もちろん、わたしのような野人がそんな小説家レベルに達することなど到底あり得ませんが、

読み手が楽しんでスッと読める文章を今後も目指してまいりますので、

よろしくご指導、ご支援、ご鞭撻のほど、お願い申し上げます。

いやはや、長いマクラでした(笑)





まあ、アレだね、キリストの奇跡の癒しなんてのは、これは医学的な検証をするとね、ちょっとあり得ないなんて野暮な見解がでてきてしまうんだけど、

それを言っちゃあ、おしまいよ!

なんで、それに近いことはあった、くらいにお茶を濁しておきましょうかね。

だって、脳梗塞の後遺症で半身麻痺になった者が一瞬の手当てで、麻痺が完治して、歩行もできなかった者が歩けるようになる、なんてこれは絶対にあり得ないからね。

麻痺した部分、特に拘縮(こうしゅく)が起こって完全に固まってしまったような部位がいともカンタンに柔らかくなって完全治癒すれば、

それこそ本当に神のレベルのホンマモンのゴッド・ハンドだよね。

でも、それは悪いけど絶対にあり得ないから。

もしも少しでも良くなる、もしくは他の部位の機能低下を防ぐという意味においてなら、これは永続的な手当てが有効である、とは言えます。

しかし、脳梗塞の後遺症を長く患って症状が固定化したものが、即効で簡単に完治するなど、奇跡でも起きない限りあり得ません。

奇跡は絶対にあり得ないから奇跡なのです。

そんなあり得ない奇跡を期待するよりも、もっと手堅く地道なごく平凡なありふれた日常の養生セルフケア。

そのことに注目する方がよほど賢明なのではないでしょうか?

誰かの手の癒しの奇跡に期待するのではなく、みずからの命の中にこそある奇跡に目覚めることができたら、

ヒトは真の癒しを知るのかもしれません。

自然治癒の偉大なる力をわたしたちひとりひとりが授かっています。

この自然治癒力が発揮されたときに、奇跡に匹敵する治癒が達成できるはずです。

キリストの奇跡の癒しエピソードは、実はわたしたちひとりひとりに同じような能力があることを教えているのかもしれません。




イエス様に追いつき追い越せ、の指圧道は今日も続きます。

2015.07.19 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

気を観る 15

今朝は台風一過で雲の間からお日様が顔を出して、ニイニイゼミやクマゼミがそこかしこで鳴く、夏らしい朝です。

じゃっかんジトジトとまだ湿気が強いけどね。そういえば、この自宅パソコンがある部屋からは小屋とそこに連なる壁が見えますが、

先日、朝早くにパソコンに向かっていると、なにやらチュンチュンと7匹ほどのスズメが壁のテッペンに勢揃いして、

こちらを向いて整列しておりました。その時はただ、なんだろ?って思って、そのままパソコンに書き込みし続けて、

それから朝食を頂いて、ちょっとたって、アッ!と思って、小屋の軒下を見に行きました。

そしたら、やっぱりあった、あった!どうもここんところ、スズメが軒下にせわしなく出入りしているのを

なんども見ていて、うんっ?巣でもあるのか?と思っていたのを思いだして、

それでちゃんと見にいったら、随分と立派な大きな巣がちょうど小屋の軒と壁の微妙な隙間スペースに造築されていました。

づるづると引っ張り出して落としたら、ほんと見事なラセン形の巣の中心部には凹みがあって、

はは〜ん、そうか!巣を借りたお礼を兼ねて、巣立ちの挨拶の整列をしてくれたんだ、と合点がいきました。

まったく、殊勝なスズメたちの礼儀正しさには参りましたよ(笑)




前稿では私たちホモサピエンスのご先祖様は7万年前のトバ火山の大爆発による噴煙が太陽光線を遮る火山の冬によって、

絶滅一歩手前の1万人にまで生息数が激減したことに触れました。

その7万年前の急激な地球の寒冷化を生き延びた1万人のホモサピエンスのなかから、

その後2万年を経過して、さらに選び抜かれた150人ほどのホモサピエンス集団が東アフリカを出立したのが、

今から5万年前と言われております。

つまり、実はこのたった150人のホモサピエンスこそが本当の意味での私たちホモサピエンスの種民(しゅみん)だったのです!

これだけ少ない人数からすると遺伝子プールの多様性から見れば極端なボトルネック効果によって、

遺伝子の多様性は失われ、一見、サバイバルには不利なDNAしか保有していない危険性すらあるこの150人集団は、

実はある意味、アベンジャーズでXメンな最強集団だったであろうと私は推測します。

この最強150人ホモサピエンス種民がおれらの祖先なんだぜ!

その子孫が今や72億人!

地球はものすごいことになってるってわけだ。




まっ、だからさ、人類はそのうちとてつもない事を考えたり、発明したりして、

どうにかこうにかこのハリボテ文明を修正して、けっこうイイ感じの共生文明を築くかも、

なんて甘いこともたまには考えてみると、精神衛生上、好ましいかもね。



セミだって、かれこれ3億年くらいは子孫を伝えているし、

人類は630万年くらいしかまだ継続できてないけど、

このDNAは40億年くらいの歴史をもってるからね。



ネバネバヒートにたくましく生きていきまひょ(笑)





※ お待たせしておりましたが、本日7月18日15時に

「養生アルカディア 凝りを巡る哲学的考察とセルフケアについて」vol.2

がアップされます。どうぞよろしくご堪能くださいませ。

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養生アルカディア 第二弾 ←ここをクリック!





2015.07.18 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

気を観る 14

昨日は東京からお見えになったクライアント様( Kさん)と非常に有益な交流ができました。

職種は違えど、指をあやつり道具の先に気を集中し、ヒトサマの気分をよくすることをお互いに20年以上続けているということもあり、

また本ブログを古くから読み込んでくれているということもあって、話の内容が正鵠を射るというか、

ツボにしみ込むような内容でなんとも素晴らしい刺激を与えて頂きました。

しかし、キラーカーンに即座に反応してくれたのは、かなり嬉しかったです(笑)

また、イギリスの女流ジャーナリストが提唱した、人類の祖先はかつて水辺で半水生生活を送ることで体毛を逸し、二足歩行を獲得したとするいわゆる「水生類人猿仮説」、通称アクア説は

サバンナ説や樹上説とあまりに異質ゆえにアカデミズムからは異端視された学説ですが、自分はこのアクア説はまんざらでもないと感じて、このことは以前に記事にしたためました。

このアクア説がらみの話題を Kさんがふってくれて、まさかあれだけ盛り上がるとは予想もしていなかったので、これもかなり嬉しかったです。

ただ話題を提供してくれただけでなく、すでに自分なりの実体験にもとづく仮説も考案されていて、もの凄く参考になりました。

野生のイルカと共に泳ぐ、という経験はもしかしたらまさにかつてのエデンの園、東アフリカのダナキル地塁に囲まれた広大な海水湖に取り残された人類の祖先の日常的な姿だったのかも。

宗教では聖水として水を神聖なるものとしますが、初期キリスト教ではイルカは信徒を導くシンボルでもあるとのこと。なんだか色々とフラクタルにつながっていきます。

体内にも実はイルカがいて、そう分子レベルのイルカで、名前はβエンドルフィンというドルフィンちゃんですが、ここんところ、自分にも鍼を打って体内に分子リガンドのイルカちゃんを泳がせておりましたが、

昨日はもうβエンどころか無数のメガかギガレベルのイルカの群れ、ギガドルフィンが9万6000キロの血流の中を泳ぎまくって、快楽の度合いがマックスになり体内がリフレッシュされたようです。

ちょうど月曜休日が重なってしまうので、なかなかしょっちゅうは来られないでしょうが、Kさんのまたのご来院を心よりお待ちしております。

アクア説をさらに練ってパワーアップしておきますね!





ということで、トリニティウェブのほうの「養生アルカディア 凝りを巡る哲学的考察とセルフケアについて」の第二弾の原稿はすでに入稿済みなので、近日中にアップされると編集部から通達がございました。

一両日中にと前回記事にて申しまして、まだアップされておりませんが、確実にアップされる予定ですので、よろしくお待ち下さいますようお願い申し上げます。




冒頭の Kさんとの会話で一番印象に残ったキーワードは

「定命と養生のバランス」です。

この定命(じょうみょう・ていめい)という思想は、

ひとことで言えば人は生まれながらに寿命が決まっている、ということです。

だからどんなことをやっても、なにをやってもその人の運命は変えられない、とも言えます。

そして養生(ようじょう、ようせい)のほうは、

命を健(すこ)やかに養(やしな)う、ということです。

これはできるかぎりのことをして健康寿命を延ばす、と言い換えることができます。

つまり「定命と養生のバランス」とは、二律背反な思想の融合なのです。





3.11後の生き方とは、内部被曝を前提にあらゆる養生法を実践しつつ、どこかで定命観を受け入れる、ということなのかもしれません。

寿命が決まっているのなら、なにをやっても無駄か?

わたしはそんな風には考えません。

むしろ寿命が決まっているからこそ、その寿命内において目一杯人生を楽しむ。

目一杯人生を楽しむためには、不健康よりも健康の方がより楽しいはずだ。

では健康でいるためには、なにをやったらいいのか?

そこで養生法の実践だな!

そういえば、なんだかハリィーとかいう変な野郎が、盛んにネバネバヒート養生法とかと、耳タコに連呼していたっけなぁ?

はは〜ん、そんじゃあ、ネバネバ食べて、ヒートショックプロテインを分泌する養生法を実践すればイイのか!

鍼灸指圧はヒートショックプロテインを分泌できるけど、

それだけでなくて被曝対策の真打ち、一酸化窒素(NO)も分泌できるって!

ああ、そう言えば「放射能には指圧で N O !」ともハリィーは言ってたな。

ガン免疫の立役者であるNK細胞はβエンドルフィンで活性化するけど、

βエンドルフィンというホルモンは、鍼灸指圧で分泌量が増すから、

被曝で増加するガン細胞を封じ込めるうえでも、

鍼灸指圧は優れているな。




ネバネバヒートな養生法を楽しんで実践することで、定命をめいっぱい楽しむ。

3.11後の生き方とは、このことに尽きることを改めて昨日は思い直した次第です。




国政はすさんでおりますし、ある程度、国土もすさんでおります。

しかし今から7万年前のインドネシアはトバ火山の超ド級の大噴火の際には、噴き上げられた5000〜7500立方キロメートルの灰により、

太陽光線が遮られ惑星アルベドがバランスを失い、地球はハビタブルゾーン(生命生存可能領域)から遠ざかる

「火山の冬」を迎えて、地球の平均気温は15℃も下がり、

急速な乾燥化と冷却化が進行し、その後1000年間は寒冷な地球環境が続いたといいます。

そのかんに、アフリカ中にいたホモサピエンスは絶滅寸前まで追い込まれ、成人数で1万人にまで数が減りました。

この人類にとって余りに酷薄な地球環境の変動の洗礼が、実は急速な人類の進化を促して、

ホモサピエンスは新たな何らかの能力を開花させたのでは?

と分析する者もいます。

危機的環境こそが進化のチャンスなのかもしれません。





中国道教においては、天地は41億万年ごとに開闢(かいびゃく)と消滅を繰り返し、

この1サイクルを劫(ごう)とします。

そしてひとつのサイクルである劫(ごう)が終焉するときに、次ぎのサイクルである劫(ごう)へと

次代をつなぐためにサバイバルを乗り越えて生き延びる者を種民(しゅみん)と呼びます。



トバ大噴火のあとの火山の冬の劫(ごう)を乗り越えた1万人のホモサピエンス集団こそ

が「ホモサピエンスの種民」、わたしたちの祖先なのです!

現在72億人の人類のそれぞれのDNAには7万年前の過酷な火山の冬を乗り越えた

種民ホモサピエンスのご先祖様たちの貴い遺伝子が脈々と受け継がれバトンタッチされているのです。




3.11後という劫(ごう)に遭っても、それに抗(あらが)ってたくましく生き抜いていきましょうよ、みなさん!

そう「定命と養生のバランス」をとって、ネバネバヒートにね。




ネバネバヒートなおれたち種民が、次世紀の人類の未来を切り開くのだ!

2015.07.17 | | コメント(18) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

気を観る 13

だいたいノストラダムス的な終末論というのはあの忌まわしき地下鉄サリン事件を想起するように、ようはカルト宗教の客寄せパンダロジックであって、

また酸化こそ諸悪の根源という論理でなにやら怪しげな健康法を吹聴するヤカラもまた、同じような不安感を煽ることで集客する言わばステルスマーケティングな詐欺の常套手段と分析できてくる。

たしかに福島事故原発の地下がどうなっているのか?は不安ではあるが、だからといって私ら庶民にはそれを処理することもできないし、

いくら声高に放射能の危機を主張しようと、大衆は見ざる、言わざる、聞かざる、の3猿を決め込んでいるから、なにを言っても無駄。

で、それなら戦法を変えるしかないというわけでもないんだけど、こちらも色々と仕掛けを工夫して、それなりに情報発信の仕方を変化させているつもりです。

恐らくは一両日中にトリニティウェブに連載がスタートした「養生アルカディア 凝りを巡る哲学的考察とセルフケアについて」の第二弾がアップされますので、

どうぞそちらの最新記事も期待していてください。

今夏は映画「ターミネーター」の最新作が公開となっているわけですが、現実のリアルな地球世界もまったくこのターミネーターのプロットの通り、核戦争後の未来となっており、

また日増しに放射能濃度が増しているかもしれないこの地球上の姿はまさに映画「トータルリコール 2012年版」に描かれた人の住めないノーゾーンな地上の姿の顕在化であるのかもしれない。

こうした暗い未来が予測できたからというよりも、やむにやまれぬ鍼医魂に突き動かされて私は3.11勃発後8時間半にして、ネットに放射能防護の養生法アイデアを書き込み、

それ以降、今に至るまで4年以上も内部被曝による健康被害をいかにして未然に防ぐか、の提言をしてまいりました。

この内部被曝を追及するその原動力はひとえに「怒り」にあった、といって間違いありません。

では何に対する怒りかと言えば、一番大きいのはやはり自分が在籍する東洋医学界に対しての怒り、ということになりましょう。

我が業界の医学思想の根本にはバイタルフォースの源としての「気」というイデアがあることはご承知の通りであり、これが単なる観念の妄想などではなくリアルにこの指で感触できる何らかのエネルギー情報であることは、

すでに再三にわたり私は指摘しております。

たしかにある種の訓練を経なければ「気」をその指で実感することは難しいですが、この気というものは決して架空の産物ではなく、実際に存在するひとつの生命エネルギーの表象であります。

この微細な生命エネルギーを操ることを至上目的とし、気を操るからこそ治病という目標が達成できる東洋医学において、

気というバイタルフォースが3.11後はずっと放射能の侵襲を受けて、気力が低下し、心肺がセシウムやプルトニウムに侵され、あらゆる組織臓器が機能低下する極めて重大な事態が進行しているわけです。

それなのになぜ、この業界の名人やカリスマや重鎮たちは、いまだに放射能危機に対して口をつぐんでいるのでしょうか?

このことに対する猛烈な怒りこそが、わたしの情報発信の原動力でした。

怒りはまったく収まっておりません!

だから、今後も私は私なりに放射能防御のための東洋医学を提唱していきます。

指圧によって体内に分泌量が増す一酸化窒素というガス分子は、ご存知のように血管を拡張し血流を促進し、免疫細胞の主役であるマクロファージを活性化し、脳神経の情報伝達物質として機能することで脳を活性化し認知機能を高めます。

たかが指圧、されど指圧が、放射能に対抗できる決定的な医療であることは、まだほとんどの人が知りません。

こうしたまだ知られていない東洋医学の放射能防御な魅力もまだまだ声を大にして発信していかねばなりません。

ちまたには雨後の竹の子の如く様々な健康指南番やヒーラーが出現しておりますが、それもご時世なんでしょう。

かの日本を代表するプロダクトデザイナーの川崎和男氏も今後のトレンドは「健康」である、と発言しております。

世の動きに敏感なデザイナーはすでに凄惨な未来図を正確に予見しているのかもしれません。

むろん気を通して命を観つづけてきたハリィーは、3.11勃発後にすぐに暗い未来予想図を想像し、放射能対策にうって出たことはこれまで記述した通りです。

時代はとっくに大きく動いています。

「変わらなくあるために、変わりつづける」営為は続きます。

夏本番ですかね?

いよいよセミの声がそこかしこから聞こえてきます!

2015.07.15 | | コメント(4) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

気を観る 12

昨日は超久しぶりに都会へお出かけして、都会といっても田舎からみたら静岡市や浜松市は私らにしてみれば大都会で(笑)、

静岡市に出掛けるといえば、もうかなりテンションが上がるものです(ここ笑うところ? 笑)

だって、まず店の数が違うし、ヒトの数も違うし、このへんじゃあ歩いていてもヒトサマと肩が擦れ合うことはまずまったくないけど、

静岡市の繁華街の路地やデパートの中では、うっかりすればどなたかに当たってしまうから、

田舎者は普段使わない神経を使って緊張するのよね。

駐車場選びも大事だし、ほんと田舎は色んな意味で鷹揚というかゆるいというか楽〜なことに気づかされました。

なじみだった服屋さんが、最初は人通りのむちゃくちゃ少ない路地裏のお店でスタートして、次ぎに少し人目のつく通り沿いに拡大オープンして、

ついに二年前くらいに目抜き通りの一番のメインストリートにでっかい店にリニューアルオープンとなったんだけど、

その場所にその服屋さんが移ってから初めて伺って、なじみの店員さんがいなくて、ちょっと淋しかったけど、

担当した代わりの別な店員さんが見た目が「タクシー・ドライバー」のロバート・デニーロ風のパンキッシュなちょいコワモテな感じなのに、

喋ったらモロにオネエで声がソプラノの高音で、一瞬、申し訳ないけど、ギャッ!とびっくりしたけど、

商品説明も正確で丁寧だし、ちょこちょこまとわりついてくるウチの娘たちにも親切に応対しくれて、

そう、おもてなし精神がハンパなくて、癒されながらバーゲン品を一着お買い上げしちゃいました。

やっぱりさ、商品もさることながら、店員さんの質って実はもの凄く重要で、だからこそ、あの服屋さんはドンドンとでかくなったんだろうね。

随分と前にこのお店を仕切っている店長(社長)さんに接客してもらったことがあったんだけど、あの店長さんの人柄とか社員教育の賜物なんでしょうね。

で、昼食は青葉公園の通り沿いに出来たピザがどれも500円で食べられるイタリアン・バルな店に入ったんだけど、

店が狭くてちょいビックリ、でも、こちらもおもてなし精神も申し分なく、焼きたてピザの味も、旨っ、グー!で、

子供っちと連れ合いが喜んでくれて良かった。

よしゃあイイのに、下の娘の世話を焼いて、食べさせてあげようとしたら娘に指まで食べられて、

「イッテッ!」で、食いちぎられないで済んでほんと良かったです。軽くまだ痛い気が(笑)

人間の噛む力って強いんですね。

まっ、そんなこんなで駐車場はもと新静岡センターのセノバに停めて、セノバ内のお店では本屋に自分は行ったんだけど、

ジュンク堂と丸善が合体した本屋があるのを今頃気がついて、まずビックリで、医学関係のコーナーに普通は東洋医学関連の本はちょぼちょぼしか置いて無いはずなのに、

なんと、しっかりと東洋医学のブースが専門に設けてあり、置いてある本がうちらのような業界関係者向けのプロ仕様の物件が多数収めてあって、二度ビックリ!

ビックリばっかの田舎者(笑)

そいでつらつらと、物件を物色して「坂出祥伸『道教と養生思想』ぺりかん社」という本をゲット!

この坂出祥伸氏の文章は以前に『導引體要』という養生書の解説をしていたのを知っていて、

その解説がハンパなく優れていたのを覚えていたので、だから即買いだったんだけど、

たまたま帰宅した際にわが家に居合わせた義兄に見せたら

「みっちゃん、この本が欲しくて探して買ったの?それともたまたま?この本スゴイよ!だって1992年が第一刷でそれから版をいっさい重ねてないじゃん。初版本で20年以上前のだから、ぜんぜん買ってるひとがいないってことだよ」

と言われて「えっ、レアもの?俺って目利き?(笑)」で、そんなもんなのかな、と思った次第です。

この本の帯には

「紀元前から今日まで伝わる導引、房中術、内観等の健康法を追及した『気』の身体論」とあり、

もろにこちら「養生法の探求」の世界とリンクしておりまして、

ちょろっと読んだ限りでは、なかなかいい感じで、ガチンコリアルなあたしのような気フェチ野郎も、

実は概念や思想としての気データの集積に余念がないことを、ちょっと皆さんに自慢したくて、

ここまで長いマクラ、前振りとなりました。

今まで行った本屋の中では一等、東洋医学関連本の蔵書量が多いこちら本屋さんの収穫は、

業界人たちが出してる本が一望できたことで、なるほどなるほど、

まだまだこちらからの反撃の余地がある、ことを確信できたことは大きな収穫でした。

あんまりこちらの手の内は、ばらしたくないけど、

まず気を語る連中には現代の生理学や生物学や物理学の用語概念と整合性を持たせる

という姿勢が欠落していることが判明。前からわかっていたけど(笑)

しかし、現代的なモノとのすり合わせ、そればっかでも何であって、ようはバランスだろうね。

つまり、本業界の重鎮ってのは古典的な気論や東洋医学学説を結局は踏襲し墨守する者が

いまだに大多数を占めていて、アヴァンギャルドな改革者はまずもっていないと断言できましょう。

まあ、だからこそ、今後はこのツッパリ野郎のハリィーの旦那がひと肌もふた肌も脱ごうって意気込んでいるわけで、

そんなに脱がんでも宜しいのは百も承知だけど、

やる時はやります!

キリッ!




理論を通して気を観るのではなく、気を通して命を観る。





はい、いい結論に到達しました。

2015.07.13 | | コメント(5) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

気を観る 11

だいたい紀元前に成立された医学が東洋医学であって、その中核理念として「気」という概念が設定されて、いわば気一元論と呼べる気の叙事詩が中医学、平たく言えば東洋医学なのだが、

この「気」というものを頭で理解しようとしたって、それは論理的な解釈ということで言えば、古典的な、気が多いだの、少ないだのをいう虚実(きょじつ)なんて概念で「気」を理解したような気にはなれるかもしれないが、

だからあくまでも実際の臨床の現場においては、徹底して「手の内」の生のリアルなノンフィクションな実存実体としてのモノ的な「気」というエネルギー情報をとらえることができなければ、

「気」医療をおこなうことなど、本来はできはしないのだ。

あくまで理論はまず現実のリアルな「気」体験をもとに、後付けで作り物としてフィクションとして構築され成立されてくるものだから、おうおうにして理論的な世界はフェイクの要素が増えてきて、

やおら論理的整合性を重んじるあまり、そのうちとんでもない飛躍を遂げて、理論だけが暴走するなんてこともままあるわけです。

鍼灸指圧術がそのよりどころとする「気」の通り道とされる「経絡(けいらく)」だって、最初は11本しか設定されていなかったのだ!

それがやがて12本になるのは、これはいったいどうしたわけか?

さらに古代には失われた8本の経絡が存在した、ともいう!

ならば本来は19本、もしくは20本の経絡があってしかるべきではないのか?

実際に手に20本、足に20本の経絡、つまり指の爪先の両側にそれぞれ1本ずつを設定すれば、5本の指 × 2本の経絡で = 手足に20本の経絡、という案が浮上してくる。

ドイツあたりにはこうした先進的な20本経絡説があり、また日本の指圧界の哲学者にして浪越徳治郎氏と二大ツートップをはった増永静人氏もまた同じように20本経絡説に近似した説を提唱している。

こうした古典的なアンシャンレジーム経絡説をただ盲目的に追従するだけでなく、自分なりに規範となる理論をいっぺん崩して改革し、生の身体と向き合うことで新たな東洋医学の道を探った先人はいるにはいるのだ。

間中善雄博士しかり。代田分誌しかり。

ではあっても、どんなことをしても恐らくは絶対に12本経絡説を崩すことは不可能だし、経絡なんてルートはなくて、それは治療上の都合でそういう風に設定したまでで、

つまり「気」とは「場」であるからして、鍼先のドット、鍼先の点にこだわるのではなく、あくまで「点即場」な量子論的な作動機序が「気」の「場」である身体には適用されるべきだ、

なんて私の考える「経絡場説」が今後も認められることは、恐らくは絶対にないだろうと予測できるのです。

ただ、わたしにはもうアンシャンレジームな古典理論なんかどうでも良くて、

とにかく実際の臨床における実践の長年の気体験の指タコ体験から見えてくる気世界を今後も発信し、描いていくし、

それこそが真っさらな気持ちでヒト様の気とやり合ってきたオレ流の東洋医学論なんだから、

誰彼構わずに何の拘束も制約もプレッシャーも受けることなく、

今後も絶対的自己流主観の気論を展開していきます。

業界のお偉いさんなんか「マスター・気」の前では、取るに足らん存在だもん。

おれを導くのはこの「手の内」に実在する「気」なんだよー!

理論でもないし、エライセンセイでもない、テメエの眼の前におわします「気」の流れに耳を傾け、

「気」の教え導くままの道をすすむことこそが、気医学たる東洋医学のあり方ではないのかい?

研究会も研鑽会も臨床報告もけっこうだけど、俺はこの実存としての「気」をこそ道しるべとして、

羅針盤として、先生として、導師として、グランドマスターとして生きていきます。

業界批判ばっかしてるって?

いやいや、批判じゃあ、ありませんって。相互進化のためのウマノホネの妄言暴言ですって(笑)

ただ誰もこんなウマノホネなんか相手にしないからイイのよ。

だいたい何年も治療師をやっていたって、本当に気がその指先で触知できている者が果たしてどれだけいるのだろうか?

俺が研究会を脱退したのだって、気をわかりもしないようなのがそういう会の中枢に陣取っていたからなんだけどね。

まっ、それだけが理由でもないんだけど、命と向き合うにはどこかの組織に属していなければイケナイなんて法もないだろうし。

本来はこうした命と向き合う作業は孤独な作業で、かなりなんというか厳しく恐ろしいもの。

その厳しくも恐ろしい命の魔境を自力でかいくぐっていくことで、気の何たるか?が獲得されてくるのだ。

つまりこうした気を錬磨する作業を通して、わたしのDNAがエピジェネティック(後世的)に変容して、気をとらえる能力がセントラルドグマに芽生えてきているのかもしれない。

だからこのような気を探るイニシエーション(通過儀礼)を踏んでいない者には、

もしかしたら永遠に気の実在など獲得できないと言えるだろう。

気の実在など獲得できなくとも、鍼を打ち、灸を据えて、指圧をすれば、身体はそれに応えてくれる。

この身体が本来持っているアダプティブサイトプロテクションな適応的細胞保護の自然治癒力があるからこそ、

別にそれほど「気」が何なのか?を深く追及せずとも、平気でいられるのでしょう。

しかし、「気」の何たるか?を実感できるエピゲノムな進化形である Xメン な

ハリィーは独自の気論を徹底して追及する所存です。

ふぅ〜、なんだかシロウトさんには、お腹いっぱい、布袋(ほて)っ腹(ぱら)てんこ盛りの、

久しぶりのこてこてアヴァンギャルドでロココでバロックな気論記事となりました。

興味のない方、あいスンマセンね。

ああ、でも、このくらいジャカジャカとぶちまけると、だいぶ脳内がスッキリとしてきました。

ぶちまけ御免!

2015.07.12 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

気を観る 10

まず鍼灸指圧師の国家資格を取得したらば、しかるべき研究会に在籍して、そこでそれなりに修行を積んで、臨床発表を多くして、後輩に勝るポストを確立して、あわよくば研究会の重鎮となり、なんらかの役職を得て、そうして少しづつ名を業界に売っていき、やがては研究会を背負って立つ立派な治療師として大成する、

なんてのがウチラ業界の出世コースであったりするわけで、まず普通はこうした行程をちゃんと踏んで、この業界ならではの所作や言葉遣いに精通していくことが、やっぱりこの世界で生きていく掟(おきて)であるわけです。

つまり東洋医学について語る場合には、必ずや中医学理論とか、五行学説とか、気血水説とか、陰陽論とか、こういった東洋医学の古典的な学説を基軸に論説を展開するのがこの世界でのお作法であるし、

また鍼灸指圧の臨床における現場の術に関しても、古典派であれ、現代派であれ、オーソドックスなガイダンスにしたがった正規の術をもってして臨床にあたることは基本中の基本と言えます。

このような鍼灸コミュニティーに特有の出世コースを歩むことも、どんな他ジャンルの職域における出生コースのプロセスと何ら変わりない、つまりアンシャンレジーム(旧体制)を踏襲することを意味しているのです。

さてでは、こうした東洋医学界アンシャンレジームを良しとしない生まれながらの反逆者というか、へそ曲がりというか、ようはアヴァンギャルドでアンフォルメルな定型を好まない偏屈タイプには、

いったいどんな未来が待ち受けているかといえば、アンシャンレジームな家元制度にはとてもついていけないので、途中でお偉いさんのセンセイ方に嫌われて一門を破門になるか、

みずからの命運を知ってその場を立ち去るという運命が待ち受けているのです。

しかししかし、やがてアンシャンレジームを追い出された、もしくは飛び出したツッパリは、艱難辛苦の末についに新たなひとつの道をみずからの力で切り開き、まだ誰も見たこともない世界を人類に公開することに成功するのです。

という一連の流れがあって、わたくしハリィーはこんなブログ記事を飽きもせずに四六時中、書き殴っているというわけなのです。

へへっ、そんじゃあ、お前さんは、すでに新たな東洋医学の道を見つけたとでも言うのかい?だって?

はい、たぶん、見つけたっぽいね(笑)

まんず、なにしろ気功指圧なんてジャンルはこれまで東洋医学界には無かったカテゴリーでありまして、

この分野の先駆者にしてフロンティアこそが、わたくしハリィーになる、とここに宣言しちゃっておきましょうかね。

まだまだ未完成ではありますが、いちおう「活きた凝り」を動かすくらいならすでに可能なレベルにまで術が発酵してきていることは確か。

ただし「死んだ凝り」に関しては、まだハッキリとわからない事も多く、この「死んだ凝り」を完全に理解して、

どうにかコントロールできるようになったら、その時は世界にうって出る所存です、ウソ(笑)

だいたい気功なんてのは、普通は指圧のように直接に地肌に触れないで、ようは手かざしで随分と肌身から離れた位置から気を送るのが通常の気功だから、

指圧で気功なんてのは、それこそかなり異質というか特殊なワザであって、果たして俺レベルくらいの気功指圧が出来る者がこの業界にどれくらいいるかは不明だけど、

たぶん、せいぜい数人くらいか、もしかしたら俺ひとりしかいないかもしんないね。

あの俺を売り込む記事ではないんですけど、ちょっと流れで俺を売り込んでいると錯覚して憤慨しているアナタ、先を読んでから怒ってチョーダイね。

で、なんでこんな幾ばくかどうでもイイ文章をここまで書いてきたかというと、そうアンシャンレジームな東洋医学界に決別したうえで、

アタシは真っさらな気持ちで、真摯に真剣に身体宇宙と向き合ってまいりました。

理論なんか最終的にはどうでもイイのです。

患者さんが楽になり、その治療時間の間や後に一瞬でも救われた気分になるのなら、

それこそが治療家の本望なのです。

患者さんを臨床発表の対象つまりモルモットと同列に論じる家元研究会の発表会など、私にはまったく興味が湧きません。

また、これで治った、あれで治った、の治った報告だって、だから何?の世界。

そりゃあ治るためにみんな必死になってるんだから、治る者は治るし、治らない者は治らないしで、治ったエビデンスの蓄積に意味はありましょうが、

やはり私にはこうした活動の時間が惜しく思われます。

そんなことをしている暇があったら、ひとりでも多くの患者さんを触っていたい。

これが業界と疎遠になる一番の理由でした。

またそれに3.11が拍車をかけました。

もういつなんどき何が起こっても不思議ではないシビアな世界が現出してしまったのだから、

できうるかぎり身近な愛する人間達との時間を大事にしたい。

だったらどうでもいい慣れあいの付き合いはすべて無くしてしまう。

そんなこんなで私は今、現在、鍼灸コミュニティーとは無縁な生き方を選択しております。

不思議なことに捨てる神あれば拾う神あり、で鍼灸コミュニティーと無縁になりましたら、

また様々な世界の皆様とご縁を頂いているという次第です。





鍼灸指圧術の世界において私を導くものは、やはりただひとつ、

この手の内で触知できる「気」です。

これは形而上の頭の中で作られた観念のイデアな産物などではなく、

実際にこの手で常に感触しているリアルな

形而下のモノとしての実存実体の

エネルギー、フォースです。

言葉遊びの絵空事の老荘思想に頻出するようないわゆる思想や概念としての「気」ではなく、

あくまで徹底的にこの指を通してバイブレーショナルな振動としての

何らかのエネルギー情報としての「気」が、

これまで私をずっと導き支えてくれた偉大なるグランドマスター、導師なのです。




この指先の向こうの「気」が、おっちょこちょいのツッパリをここまで引っ張ってきてくれました。

万能感、全能感に浸るおごれる「走火入魔」なダークサイドな精神に陥れば

即座にこのマスター「気」はどこかに雲散霧消してしまうでしょう。

あくまで謙虚に「畏れと慎み」をもって、今後もフォースな「気」と戯れる道を歩みます。




どうぞ、こんな不可思議なハリィーの野郎に

今後とも、温かいご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。

2015.07.12 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

気を観る 9

昨日は、なんでも知り合いの方から何か訴えや症状が出たら、とにかく私の治療院へ行きなさい、と常々言われていて、

ついにたまたま膝に痛みを覚えたので、どこか整形外科にでも行こうかと思っていたら、

やはりその知り合いが、だからとにかく一目散に「光伯堂へ行け」、と言われたので来ました、

という御婦人を治療した。

それで、私の治療院を強く勧めてくれた当のお知り合いという男性は私の治療院の常連さんでもなければ、これまで一度も光伯堂へは来たことがない、というんだから、

なんともクチコミの不可思議さというか、これもネットの力なのか、まずもって昨日の御婦人を紹介してくださった御仁にはこの場を借りて感謝を申し上げます。

さて、くだんの御婦人の訴えは、左の膝の痛みであり、3日前から左膝に違和感が生じて少し痛みが出たしたが、前の晩は痛みがズキズキと続発して眠れないほどに増悪したとのことだった。

つらつらと問診をするに、どうもこの膝の痛みが出る前にご旅行をして固い靴で長時間歩いたことを聞き出して、また普段のお仕事がクルマに乗っていることが多く、

クルマから降りると今度は走ることが多い営業であることから、過度に下肢に負荷のかかる仕事の疲れにプラスして旅行の際の長時間の歩きの負荷が加算されての

突発的な膝周囲の靭帯や筋肉の疲労性の痛みであろうと診断し、念入りな気功指圧を腰背部から下肢背面と下肢前面におこなった。

ちょうど左の膝下前面の足の三里のツボから足首へとくだる前脛骨筋の胃経のラインを押している時に、気が充実してきて、

まさに足の三里に溜まっていた凝りが溶けるプロセスにおいてフォースが身体中に弾けて発散されていった。

治療後、ベッドから起き上がり、立って膝の具合を確かめた御婦人は開口一番、

「あれっ?、・・・、来たときは足をひきづるほどだったのに、なにこれ、痛くないじゃん!ええっ、ビックリ!」

で、なんでも指圧を受けたのは生まれて初めてとか。

痛み止めの鎮痛剤など飲まずに、わずか1時間弱の指圧でこれだけの効果が出るなんて、西欧医学的な常識に慣れた現代人にはそれこそ、馬の耳に念仏だろうけど、

実際に気を動かせる指圧の実力とはこういうものです。

「活きた凝り」に気が充実して、「活きた凝り」が生きているうちなら、なんとかなる。

しかし「活きた凝り」が精気を失い、「活きた凝り」のなかに気が存在しなくなった「死んだ凝り」を、

生き返らせることは、まだ私の腕でもなかなか出来ない。

もしも「死んだ凝り」を生き返らせることができるようになれば、その時こそ、日本最強の治療師と自信を持って豪語できよう。

そんな日が来るまで、精進努力の日々が続きます。

「活きた凝り」なら蘇生できる治療師が在籍する治療院の名は「 鍼灸指圧 光伯堂 」です。

2015.07.11 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

気を観る 8

今朝も雨が降っており、なんともお日様が恋しい今日この頃です。

皆様、如何お過ごしでしょうか?

ということで、いよいよ本業界のタブーを蹴破り、ハリィーの旦那が魔界について語ります!

といっても、別にたいしてビックリするようなことを言うワケじゃあない。聞けば誰でも納得するだろうし、すでにコメント欄で前振りというか、結論を語っているから新鮮味も無いだろうけど、

うちら業界にもカリスマ鍼灸師とか、難病を治す名人とか、日本一の最強の鍼灸師とか、日本最強の治療師(どこかでハリィーをこう呼ぶ方々もいる 笑)などと呼ばれる者がいることはいるんだけど、

こういった名人のたぐいがなぜ名人と呼ばれるかというと、そりゃあ治った、治った、の治った事例しか公開しないんだから、これじゃあパチンコで勝った時だけを覚えて大もうけしたと吹聴するパチンコ版の宮本武蔵みたいなもんで、

自分より強そうな相手と闘わなけりゃあ、そりゃあ向かうところ敵無しで連戦連勝で、ついには細川家の剣術指南番に出世すると、いやはや武蔵もなかなかの策士だね。

で、ようはうちら業界で出世したけりゃあ、いや業界でというよりも世間にカリスマ治療師として打って出たければ、早い話しが治った、治った、の治った詐欺を徹底すれば、それなりに顧客を掴むことは可能でしょうね。

ただ、こんな姑息な手段で患者を集めても、早晩にハリボテのインチキ看板の化けの皮が剥がれて信用失墜ガタ落ちで老後は哀れなもんの末路か、

はたまた難病奇病の患者のオンパレードに疲弊して、できもしない外気の放射をし過ぎて、みずからの内気を使い果たして早めにこの世とおさらばなんて運命が待っているかもしれないのは、

詐欺に加担した宿命と言えましょう。

やっちゃあイケナイことをすれば天罰てきめん、は当たり前だの何とか!

で、だいたい何を言いたいか分かりましたかね?

そっ、どんな名人でも決して治せない疾患、疾病、難病奇病は厳然として存在するということ。

チマタでは末期癌が治った、とかそんなエピソードをネタに意味不明の高額な医療機器やサプリメントを売りつける悪質なステルスマーケティングブロガーが後を絶たないんだけど、

そもそも人間の生命力とか、意識の作用とか、そういった分野はまだまだ不可思議極まりないんであって、だから信じる者は救われる、で何かを信じて一心不乱に念じたら末期癌が治るケースだって、あるにはある。

でも、だからといって、そのヘンテコ機械をもってしてすべての末期癌が治るなんてことは絶対にないわけ。

人間は100人いれば100人の個性があり、その体質もまた100の固有の性質を帯びており、なんらかの疾患を発症しているとしても、その疾患を発症させたファクター(要因)もパラメーター(媒介要因)もまたそれぞれで異なる。

おまけにこの病気を発生させるファクター&パラメーターがそれこそ数え切れないほどにたくさん存在していて、まるでケルトの組み紐紋様の如くに縦横無尽に絡み合っているから、

例えば電子の不足で酸化が原因だから不足分の電子を供給して還元すれば細胞が賦活して元通りになるとか、ミトコンドリアが機能不全を起こしているのが万病の原因だからミトコンドリアを復活させれば万病が予防でき治療できるとする、

たったひとつのファクター&パラメーターに諸悪の原因を収斂させるような要素還元論のロジックがいかに浅薄で幼稚で子供じみているか、がいまだにご理解できない御仁がほんとたくさんいらっしゃいます。

そんなに「病気治し」は甘くないですよ。

DNAゲノムが完全に変異して、その結果、変異したDNAが表現した器質が完全に固定化したような筋ジストロフィーの長患いの患者さんの身体を一度でも触ってみれば、

いかに理論が実際の現場で役に立たないか、がイヤというほど身に染みる。

もう筋肉がほとんど無い身体だよ。いったいどうやってカンタンにこれを治すって言うんだい?

だけど、現場では即、結果を出すことが要求されるから、そりゃあ必死に治療しますよ。それで「あ〜、気持ちイイ!」という声を引き出せれば、少しは役目を果たせたかと安堵するけど、

決して完全に治しているわけじゃあないし、筋ジストロフィーのような重病でなくても、例えばリウマチで関節が変形してしまったような患者さんだって、カンタンに治せるもんじゃあない、のはうちら業界人なら誰でも知ってることだろうね。

もちろん末期癌の場合、私もそういった患者さんを何人も触っているけど、尋常じゃあない「死んだ凝り」が出現する。

なんでもカンタンに治りゃあ、苦労せんわい!

触れるこちらの手が痺れて痛くなるほどに冷たく固い凝りを触ってみ!

そう、指先の向こうには希望の世界が広がっていることもあるけど、触れる者をして恐怖のどん底につき落とす魔界もまたある、ということなのです。

こんな恐ろしい命のありようを語ることなく、どいつもこいつも名人にカリスマだぜ。

まったくウソと詐欺がどこにもはびこっていやがる。

わたしが命に対して「畏れと慎み」をもって対峙するというのは、なにも格好付けてそう言うわけではないの。

本当に命が何なのか?本当のところ分かんないから、そう言うまで。

なんで、命はある時には勝手に暴走して魔界に入りこんでしまうのか?

その意味や理由が分かれば、もしかしたらもっと有効な養生法が提言できるかもしれない。

ダテに指に血と汗と涙がこびりついている、と発言しているわけじゃあないぜ。

ホントに治せなかった命の慟哭がこの指に記憶されているの。

だからこそ「活きた凝り」「死んだ凝り」という言葉が発想されてきた。

こうして言葉をつむぐことは、救えなかった患者さんへのレクイエム(鎮魂歌)かもしれない。

最強の治療師は、自分の身の程をよく知っています。

気があるうちに、気を友達にできたら、それこそが最上の養生かもね。

う〜ん、かなり業界を敵に回したか?(笑)

まあ、もともと一匹狼な性分だし、特に業界とは今はなんの縁も無いし、サッパリしたもんだよ。

言いたいことを言うには、一匹でいるのが一番だね。

2015.07.09 | | コメント(5) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

気を観る 7

眼には見えないが確実に存在する気というものを、いかにして立証するかという問題は今後も永遠に私のような職業の者にはついて回る命題ではある。

だから、気とは何か?について、これまでも多くのページをさいてきたし、今後もずっと気の問題には触れていくだろう。

気のブームのようなものは、私がちょうど鍼灸学校に通っている今から25年前頃がピークだったので、

その頃の熱狂も覚えているし、当時、有名だったニワカ気功師らも今では高齢化し、またすでにご他界召された方も多い。

安易に気の世界に参入し、やおら自分の気の練り方がまだ足りないのに自分の気を人に与えてばかりいれば寿命が縮まるに決まってるんだけど、

そういった基礎も知らないで、なんだか俺の手からは気が出るぞ!でうっかり気功師なんぞを始めたらそりゃあエライことになる。

本場中国の気功師&鍼医あたりになると、太極拳を50年間も続けて内気を充実させたうえで鍼治療をやってるのが当たり前で、

つまり自分の気が充実しているのはもちろんだけど、このへんのクラスになるともう自分の気だけではなく、

自分を媒介にして自分の身体は避雷針のようなもので、ようは天地の気を自分の中に貫通させてそれを鍼や指を通して患者さんに環流させるわけだから、

ここまでいけば、もう何人治療しようが疲れるなんてことはない。

完全にフォースのみで治療してるヨーダレベルが中国気功界の猛者ということになる。

こちとらハリィーの旦那は、まだまだヒヨッコなんでいまだにパワーとフォースの両方を使っており、いやむしろフォースよりもパワーに頼ることも多く、普通に仕事量が上がってくると、

それなりに疲労感は身に染みる。だっから寝不足は禁物で、寝が足りないととたんに身体に響くね。

今朝は昨夜9時に就寝してさっき5時まで8時間、グッスリと1回も起きずに熟睡したから、頭もスッキリで脳細胞にドーパミンも補充されてるから、少しはセンスのいい記事が書けるはずなんだけど、

まあこういうダラダラと書くのもそんなに嫌いじゃあないので、本記事はダラダラでこのままいきます。

そうだ!ちょうどいいんで、久しぶりに何かちょっとブチマケ風も悪くないかも。

そうそう新レーベル「養生アルカディア 凝りを巡る哲学的考察とセルフケア」がスピリチュアル雑誌「トリニティ」のネット版「トリニティウェブ」誌上で先日の6月30日からスタートしてるんだけど、

第二弾の記事の原稿を昨日に書きました。これから少しづつ草稿に手を入れて7月15日の配信を目指して、入稿の予定です。

こちらの自前のブログはこんな風にその日の気分で、スタイルを変えたり、べらんめぇ調でも、ブチマケ風でもいっこうに構わないんだけど、

やっぱり外注で依頼された連載記事となると、やっぱりそれなりに構成をちゃんとして、全体のつながりをつくっていくのは常識だと思うんで、

それなりに気を遣うし、またそれが刺激になって楽しいわけです。

まあどこでなにを私が言おうが、私は私であり、わたしのこの血と汗と涙のこびりついた指からつむがれた言葉、

思惟、思念を描出できていけば、それなりに読者を掴むことはできるだろうと、楽観しております。

なんといっても実体験から導く言葉、現場から書き起こす、これが俺の強みだと思うね。

またそういう現場体験のない気論とか、末期癌をはじめ難病の患者さんと接して、そこで自分の術が通じないという絶望を経て、

それでもいったい自分に何が出来るのか?いや何が出来たのか?

を自問自答する中で、そういう苦悶と自責と絶望の崖っぷちに何度も遭遇した者の言葉でなければ、

私は萌えないんですね。

今やネット上には雨後の竹の子の如き健康指南番が登場し、ニワカ気功師もまた累々と誕生しているんですが、

こうした連中の中にホンモノがどれだけいるか?はアタシには即座に峻別できてしまいます。

現場を知る者ほど怖いものはないぜよ!ウソの妄言、パソコン上の寝言は、瞬時に見抜けます。

整合性のある理論など、実際の現場には一切通じません。

ミトコンドリアを活性化できれば万病が治る、と意気込んでも筋ジストロフィーを20年間病んで、筋肉がほとんどなくなった患者さんの前では、

そんな理論はまったく役に立ちません!筋肉内にいるはずのミトコンドリアはもうほとんどいないんですからね。

そういう場数を踏んでいくなかで、治せるものと治せないものが厳然と存在する事を悟り、

それではいったい俺の存在価値はいったいどこにあるのか?

俺の強みとはいったい何なのか?

を洞察するようになり、ああ、やっぱり、「死んだ凝り」を生み出さない「活きた凝り」を活かしつづける養生法を提言するしかない!

と強く思うようになったから、こんなブログを書いて、「養生アルカディア」も始めているというわけですね。

絶望の淵がいかに恐ろしいか。

末期癌の凝りがいかに固く、冷たいか。

そういった魔界も今後は公開していくべきかもね。

「こうすればこうなる」なんて予定調和の希望的推測など現場では木っ端微塵に粉砕される。

それでもそのなかからなにがしかの希望をつかみ取る。

その希望を私は語っているのでしょう。

これからも希望に満ちた記事を更新していく所存です。

どうぞ、よろしく!

2015.07.07 | | コメント(5) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

気を観る 6

東洋医学とひとくちに言っても、そのなかには中医学あり、韓医学あり、チベット医学あり、ウイグル医学あり、日本鍼灸あり、日本指圧ありと、

東アジア全域の医学を東洋医学とひと言でひとくくりにできないほどにバラエティーに富んでいることは、関係諸子が知るところである。

しかしこれらの医学に共通する根本理念として「気」というキーワードを設定するのなら、

この東アジア全域の医学はひとまとめに「気医学」と呼ぶことはそれほどおかしくはないだろう。

生命力を生命力そのままにとらえたアジアの風土が生んだ医学は、すでに2000年の風雪に耐えてしぶとくその伝統を継承してきた。

しかしながら19世紀以降のグローバリズムの侵攻により、ここユーラシア大陸の東端もまた西欧列強の植民地化に遭い、

苛烈な外来思想の注入と従来の山川草木を愛する思想から人間中心主義のエセヒューマニズムに思想転換を余儀なくされ、

医学もまた西欧式の身体という物質のみを細分化していく人間機械論の先鋭化した現代医学が主流となっていった。

この外来医学の普及により今や東洋医学はその地位を失墜し、主流医学の蚊帳の外のオルタナティブな代替医療というポジションに貶められていることは、

また関係諸子が憂慮し呻吟する事実だ。

ということで、いったいどうしたらこの西欧式現代医学にはひれ伏すくせに、東洋医学を蔑視する風潮を転回し、

東洋医学アウェーの世界を、東洋医学ラブな潮流へとバックアップできるかが、

今後の私たち鍼灸指圧師に課せられた最大のミッションということになるわけです。

それで、ではどこから着手すれば挽回できるかと言えば、やはり東洋医学の根幹理念である

「気」とは何か?

という問題を前面に押し出して、東洋医学の素晴らしさをアッピールしていくのが本筋だろうと、

これまで私は再三にわたり、「気」の特集を組んでまいりました。

お陰様でこれまでの「気」の特集シリーズはどのシリーズも好評を博しており、

やおら今回もまた「気を観る」と題して、「気」の本質へとまた一歩近づいております。

前稿や最新のコメント欄にて、すでに私が「気」をどのように体感しているかの実際を語っておりますが、

端的にここでもう一度、そのことに触れておきます。

西欧列強の侵蝕がすでに始まっていた江戸後期は幕末に葦原検校という盲目の鍼医が実在し、

日に100人を越える患者を相手に鍼治療を施し、治せぬ者はほとんどいない、と豪語した名人として

知る人ぞ知る名人とされます。

その彼の著書とされる「鍼道発秘」なる古書が近年になり鍼医の横田観風氏により発掘され、

その全容が解き明かされました。

この国宝級の鍼の手ほどきの医書の中に葦原検校が感知していた「気」のありさまが記載された箇所がございます。

こんな感じです。

「魚鼈の鉤に触るるが如く、鳥銃の炮を発するが若し」

直訳すると

「魚やスッポンが釣り鉤の針にかかった際のアタリのような、鳥を打つ鉄砲の弾が音を立てて発砲した際の衝撃のような」

となりますが、

つまり葦原検校は鍼先の向こうで蠢(うごめ)く「気」の流動を、このような感覚で実際にその指と身体で触知(しょくち)していたということなのです。

わたしがこの言葉に出会った際にどんなに嬉しかったか!

そう、まさに私もまったく葦原検校と同じように、指先の向こうの気を同じ感覚でとらえていたのです。

明らかに「気」と呼べる何か、が体内を流通しています。

しかし、それがいったいなんであるかはこれから科学が進歩しても、それほど詳しくハッキリとは解明されないのではないでしょうか。

命の何たるか?

など、人間の浅知恵で果たしてわかろうものか。

そうこの宇宙はカオスにしてコスモス。

コスモスなる明在系の向こうには膨大なる暗在系のカオスの闇が潜んでいる。

不可思議でわからんものは、そのまんまわからんで宜しいのと、ちゃいまっか?

2015.07.06 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

気を観る 5

「目に見えない経絡や経穴がかくも精緻にとらえられてきたのは何故だろうか?長年の試行錯誤と経験の積み重ねによって身体をめぐる経絡が一つ一つ探り当てられていったというのが常識的な理解ではあるだろう。

しかし、紀元前にすでに大半が記録されていたことを考えると、経験の積み重ね説にはどこか無理がある。むしろ、身体を流れる気の通路を実感できる『経絡敏感人』や

気の流れが目に見える特異能力を備えた人びとによって、経絡はその存在をとらえられてきたと考えた方が自然なのではないだろうか。

事実、それを裏付けるような話を白寿会診療所の森万寿夫博士から聞いたことがある。

白寿会診療所にある日、来診した少女は、自分自身だけではなく、いろいろな患者の経絡を指でたどり、ツボを指摘したそうだ。

それが経絡図とぴったり一致するので驚いた森先生がどうして分かるのかと聞くと、少女は見に見えるのだと答えたという。

この少女は中卒で、経絡や医学に対する知識はまったく持っていなかった。森先生はこの少女の特異な能力について、いろいろの角度から検討して詳細な記録を残しているし、

東洋医学研究の第一人者である間中善雄博士もこの少女を診察している。ただし、この少女の透視能力は、病気が治るとともに消失してしまったらしい。」
『気から経絡を考える』勝田産婦人科医院院長 勝田正泰

 引用 別冊宝島103「気は挑戦する」













「気を観る」と題してスタートした本シリーズですが、こちら冒頭の引用文はそのものズバリ!「気を見る」ことができるビックリ人間の実話です。

実を言うとわたくしハリィーもどういうわけか、この鍼灸指圧の道に入ってまもなくから、

気の類(たぐ)い希(まれ)なる聖なる流動の有り様をココロで「観る」のではなく

リアルに可視光領域の範囲で実際にこの眼のオプシン受容体をもってして、光りや色の信号が電気信号にチェンジして脳へと電送された後に脳内で画像として受像されるかたちで、

つまりはカラダの一部である眼という感覚器官をもってして「見る」ことができたのです!

とはいえ、別にそれだから私が特別に秀でた気フォース体質だとも思わないし、人類の進化形である「 Xメン」に属するようなタイプであるとも思えないのです。

ようは、徹底した観察なんですね。

見えるだろうと思って見ていれば、聖なる気はその姿をわれわれの眼前に見せてくれるのです。

そう、こちらの気の持ちようなのです。

命に対する絶対的信頼、

命に対する絶対的畏敬、

この命を尊敬する「畏れと慎み」のスピリットをもって命に対峙すれば、

そこには東洋医学が根本で尊崇してきた豊穣なる気の粒子が水蒸気のように立ち上がり、

その気の雲海の合間からは命の真理の一端が垣間見えてきます。






「気は実在するか、否か?」などという稚拙な問答など、わたしの実存世界にはすでにありません。

気はあるに決まってる。いや気なくしては生理現象など成り立ちません。

つまり気を抜きにして医学を語ることなど、気の抜けたビールを飲むようなもの。

気を抜きにした医学が隆盛を極める現代だからこそ、医療は混迷の隘路に陥っているのです。

いやもっと大きく言えば、気を抜きにした科学、技術、文明によって人類は今、絶命の危機に直面しているのです。




気は偶像崇拝の宗教のイコン(聖痕)のように観念として「信じる」ようなたぐいのイデア(心理的)の産物ではありません。

あくまで気は実際にこの眼で見て、この指で触れることができるリアルに

コンタクトできるひとつの場、実存、実体、モノなのです。




気と戯れることができる普通体質のハリィーが23年間、

気を触ってきてそう言うんだから、

断じて、絶対に事実です!




気はアナタの身心を今この瞬間も滋養し、

地球上のすべての生き物を養い、

太陽系や銀河系を育み、

宇宙の大規模構造を成立させています。




われわれの住む世界はまさに気宇宙なのです。

2015.07.05 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

気を観る 4

東洋医学と言えば気、気と言えば東洋医学と言えるほどに、東洋医学と気は切っても切れない間柄であることは周知の事実だ。

ではあるけれど、気とは何ぞや?というこの気の実体の理解に関しては、まったくもっていっこうに進展はしていない。

でもこれオカシイんだよね。例えば重力というものは目には見えないんだけど、この重力つまり万有引力の実体を疑う現代人は恐らくはひとりもいない。

俺は重力なんか信じないから、とビルの屋上から羽根のように両腕を広げて空を飛ぼうとするヤツがいたら、アイツは馬鹿だ、と普通は世間は笑うでしょう。

また放射線というものも目には見えないけど、だからといって何の影響力もないから怖くない、なんて思っているヤカラも今ではかなり減ったと思う。

もっとも当代随一の名誉教授とか免疫学者なんかの医療系の御用学者にしてからが、放射線を当てるとかえって免疫力が高まってホルミシスな効能がある、

なんてデマを平気で口にするご時世なんで、まだまだ放射線や放射能や放射性物質に対する危機意識の閾値ハードルが低い御仁も多々存在する可能性は残っている。

こういったわけで、曲がりなりにも重力も放射線も目には見えないんだけど、一応はその存在は既存の物理化学で立証されているというわけです。





それで気というものも、もちろん目には見えないんだけど、これは確かに存在するし、いや気がなければ生命はそのフォースを全うすることなどできません。

でも気の存在の真偽は?という問題に直面すると、これはいまだに賛否両論が侃々諤々で、

まずもって気の存在などを声高に主張しようものなら、間違いなくトンデモ扱いを受けて、

ヘタ打つと火炙りにあって拷問をかけられる、ことはさすがにないか(笑)

まあとにかく、な〜んか、これって、おかしくね?





重力も放射線も確かに色んな意味で人間にとっては大事な要素だから研究しなければいけないけど、

おいっ!もっともっと大事なのは命を活かしている気という存在に決まってるだろうが!

この命というものがいったいどんなシステムで運用され、どんな要素で成り立っているのか?

というこの命の根本問題を抜きにして、いったいどんな文化、文明が出来るっていうんだい?!

命の不可思議さ、気の重大性を無視しているからこそ、

こんなデタラメな文化、文明、科学が築かれたんじゃないの?!

な〜んて、そんなこんなをつらつらと連想する今日この頃。





気にも色々あって、食べ物の気は水穀の気(すいこくのき)、

呼吸で取りこむ酸素は宗気(そうき)と呼びます。

それでこの水穀の気と宗気の二つの気を合わせて、

後天の気(こうてんのき)と称します。

ヒトがこうして生きていられるのも、後天の気を毎日、毎瞬間、摂取しているから。

特に水穀の気は少しくらい摂取しなくても何とかなるけど、

宗気はほんの少し摂取できなくても命の危機に直面するくらいに大事な気だ。

だから呼吸法だの坐禅だのヨーガだのと、この宗気にまつわるメソッドが古来より重視されてきたのだ。




そんでヒト細胞60兆個の細胞核に仕舞われているDNAのストリング、

ゲノムのヒモの機能である必須なタンパク質をもれなく生み出す原理をセントラルドグマと呼ぶんだけど、

このセントラルドグマこそが東洋医学が呼ぶところの先天の気(せんてんのき)である、

とは、これは私の独創独自の思想でありまして、

つまり人体という命は「先天の気」と「後天の気」で運用されているというわけです。




畢竟すればヒトはDNAゲノムの気と、水穀の気と、宗気の、

この3つのトリニティな三位一体の気によって成り立つ存在と言えましょう。




この先天の気と後天の気がトリニティに融合した気を営衛の気(えいえのき)と呼びますが、

この営衛の気が人体をくまなく覆う弦、ストリング、通路、ルートである経絡内に

満ち満ちて、サラサラとうまく流れてさえいれば、

ヒトは病気にもならず、凝りも溜まらないんだけど、

ひとたび気が停滞し、どこかに溜まると

それが凝りとなり、病原となります。





だから常に流す、流す、流れるままに、流し続けること。

これが養生の秘訣と言えましょう。



生々流転、ヒトは生まれながらの放浪者?




さて、今日も流しに流してまいりましょう!

2015.07.04 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

気を観る 3

試してガッテン的なアドバイス(笑) ←ここをクリック!





「この方法が身体にイイ」とか「これを食べると免疫力が上がる」とか今後はこういった安直な自動販売機でジュースを買うように、なにかを入れたら欲しいモノが手に入るみたいな養生法アドバイスはしません!

と宣言しておきながら、その舌の根の乾かぬうちにまたぞろ、冒頭クリック記事のようなアドバイスをするところがハリィーのハリィーたる真骨頂と自画自賛(笑)

ええと、昨日は遠くは大阪市から新幹線とバスを乗り継いで陸の孤島である牧之原市は我が治療院「 鍼灸指圧 光伯堂 」へとお一人でお越し下さった S.K様から、治療中に

「スタミナが切れた時に即効で効くモノってありますか?」

と聞かれて「クエン酸系の酸っぱい果物なんかがイイという説があって、自分も以前にブログでキウイフルーツを宣伝しまくった時期がありますが・・」

などとお話しさせて頂いたんですが、そういえば伝家の宝刀カプシカム属のシシトウ、ピーマン、パプリカ、トウガラシがあったでは、あ〜りませんか!

ということでスタミナが切れてファイト一発!を期待するご諸兄にも、シシトウを炙ってご賞味いただきますれば、意外に霊験あらたかかもしれません。

なんでも養鶏家の方々に伝わる弱った鶏を蘇生させる即効的なやり方が、トウガラシを浸した水を飲ませるとかで、これで食欲が減退して元気がなくなった鶏が

アッという間にピンピン!になるということですから、カプサイシンやカプサンチンの効能はまんざらでもないようです。

冒頭クリック記事は以前に私が飯山一郎さんの交流掲示板「放知技」に投稿したものを、どなたか有志の方がまとめて阿修羅掲示板に貼ってくれたものです。

こうして私の言説が少しづつクオラムセンシングに拡散されていくことも、またひとつの「養生アルカディア」ムーブメントであると実感しております。

新レーベル「養生アルカディア」が発足できたのも、ひとえにこれまで本ブログを読んでくださった読者様のお蔭であり、

当院へお越し下さった患者さま、クライアント様のお蔭であり、

山崎農業研究所の季刊誌「耕」の編集長のご指導ご鞭撻のお蔭であり、

今回ご贔屓にしてくださったトリニティウェブ代表者様、並びにトリニティウェブ編集部様のお蔭です。

ここにおいてこれまでの本ブログならびに私へのご贔屓、ご支援、ご指導のすべてに改めて多大なる感謝を申し上げます。

本当にありがとうございます!







さて気の続きですが、端的に申して私が「凝り」を触るなかで何を観ているかと言えば、

これが気であり、気しか見ていないと言ってもいいほどに、

わたしと気の付き合いは長いのです。





それで話題の「活きた凝り」は治療していて良く気が動く凝りという意味で

「死んだ凝り」は治療していてもあまり気が動かないか、全然、気が動かない凝りのことを意味します。




気が動くという生理現象の内部では恐らくは分子レベルのリガンドの発動が活発化しており、

βエンドルフィンや一酸化窒素やヒートショックプロテインの分泌量が増大していることでしょう。




そういった意味でも、冒頭のネタに戻りますが、トウガラシを含むカプシカム属の野菜類を食べることは気の動きをよく高めるだろうと推定されます。

「凝り」が強い体質の皆さんも、今からが旬のシシトウなどを炙って塩またはお醤油をつけて食べる、そんな小さな積み重ねを習慣化することで「凝り体質」から脱却できるかもしれません。






本記事はかなりアルアル大辞典か、試してガッテンに近い安直なコンビニ養生法指南かも?

いやいや、実際はこれだけのアドバイスをするには、それ相応の年季が要るんですよ、とちょっと自己弁護を打っておきましょう。





辛味は東洋医学では肺臓と大腸に効くとされます。

気管支が弱かったりする場合にも効果的かもしれません。

もっともあまり好きでもない方には辛味を無理に勧めることはいたしません。

なんでも美味しいと思えるモノが、やっぱり身体にイイと私は考えます。







以上、「養生法の探求的アルアル試してコンビニ養生法」の巻でした。

ハーハッハッハー(笑)

2015.07.03 | | コメント(5) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

気を観る 2

「アルカディアの牧人たち」に絡めてのシンクロ記事 ←ここをクリック!





こちら冒頭クリック記事はすでに本ブログではお馴染みの sasaraさんのブログ「 So it shall be 」のエントリーです。

ちょうどいい具合に「アルカディアの牧人たち」の実際の絵を見ることができ、

また鋭くも私の今回の「養生アルカディア」シリーズに込めた隠された思いを見抜いている sasaraさんの記事内容も優れておりますので、

クリックしてお読みいただきますれば幸いに存じます。





それで少し今回の「トリニティウェブ」連載記事である

「養生アルカディア 凝りを巡る哲学的考察とセルフケア」

に込めた思いをフォローしておきます。

連載のお話しを頂いてから、原稿が完成するまで、ああでもないこうでもないとそれなりに構想が逡巡しました。

こうした新連載の記事構想の生みの「楽しみ」のなかで浮上してきたのが、

「もうこれまでのように、こうすれば健康になるとか、ああすれば病気にならないとか、もうそういった言説からは卒業しよう」

との、強い思いでした。

そうした過程でフッと「アルカディアの牧人たち」の絵が脳裏に降臨して、

セレンディピティに「養生アルカディア」という言葉がコロンと創発されました!

養生の本質を徹底的にえぐる、そんな嫌らしくも楽しい素晴らしいシリーズに育てていく所存です。

配信は執筆者各自のペースに任せられていますが、私は月2回の配信を予定しております。

今回は月末に原稿を入稿しましたので、月末に最初の記事がアップされましたが、

今後は各月の1日と15日を「養生アルカディア」の記事配信の日と決めて、原稿の作成をしていく予定です。

どうぞ「養生アルカディア」のご贔屓もよろしくお願い申し上げます。

( ※ 本ブログ左脇下のリンク欄に「養生アルカディア」を追加リンクしましたので、いつにてもこちらをクリックして頂ければ「養生アルカディア」に飛べますので、よろしくお願いします)








ということで、さて気の問題を少し掘り下げておきます。

とりあえずこれまで本ブログでは気に関しては多角的にそれなりに論説を積んでおりますから、

今回はこれまでとは違った切り口でいきます。

端的に申しますと、つまり鍼灸指圧師歴23年間のキャリアをもつ私が、いったいどのように気を観ているのかのリアルを今回は公開します。







以前にこんな経験がございました。

ある初診の患者さんが訪れて、その方の付き添いで来院された方がベッドサイドに腰掛けて私の治療を見学されておりました。

そうして初診の患者さんの治療もクライマックスを迎えて、イイ感じに気が動きだしたので、見学していたその付き添いの方に

「今、気が動いてきて、患者さんの手の指先が動いているけどわかりますか?」

とお声をかけたのですが、どうもまったくこの気の動くサマが見えていない、いや観えていないようだったのです。

それで私は思ったのですが、どうももしかしたら、

すでに私には見えている(観えている)この気というものが、

普通の人達には見えないし、観えないのかもしれないと、その時にハタと悟ったわけです。





そんなわけで、私がいったいどんな風に気をとらえているのか?

をコッソリと皆さんだけに公開しちゃいます。






で、もったいぶるわけじゃないけど、紙数が尽きた(笑)

では、また次回!

2015.07.02 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

気を観る

ついに新媒体へデビュー! ←ここをクリック!




ということで、ここのところ話題にしていた新媒体「トリニティウェブ」への連載記事の初回原稿がようやく完成し、入稿を経て、昨日ネット上に第1回目がアップ、お披露目となりました!

いやいや感激!

こちらトリニティウェブ様より記事連載のお話しを頂いてからは、ずっとどんな方向性の記事で行くのか?と、そんな事ばかり考えていたので、こちらブログも滞り気味でした。

ようやくひとつの方向性が打ち出せましたので、今後はこちらブログとトリニティウェブの二刀流で記事を執筆していきます。





さて、これまでの本ブログのコア読者の皆様の読後感、反響はいかがなものでしょうかね?





この「養生アルカディア」の初回記事の冒頭の写真は実は私が撮影したものです。

この撮影現場は自宅から歩いて10分ほどの場所でして、5000年前に縄文人が住んでいた地元では「ママヤマ遺跡」と呼ばれる高台の場所から遠くアルプス山系を望んで撮影いたしました。

もちろん記事内容とフラクタルに重層的に、イメージが「かぶる」背景ということでこのロケーションを選んだのですよ!

写真の右手に写り込んでくれているのは我が治療院のデスク脇で23年間、私の仕事を見守り続けてくれた経絡人形です。

今回、縁あって撮影モデルに選ばれて、こうして皆様の前にデビューすることになりました。

私の分身ですので正式名称は「ツボオミ」で、愛称は「ツーボ君」でして、これからは記事配信の巻頭写真に必ずツーボ君が登場する予定です。

今後は「お出かけツーボ君」な巻頭写真にもご期待ください(笑)





トリニティウェブ版の「養生法の探求」である「養生アルカディア」は副題が「凝りを巡る哲学的考察とセルフケア」とありますように、

本ブログでブレイクした「活きた凝り」のニュー・キーワードを軸に論説を展開していく予定です。

コアな「養生法の探求」ファンにも、新たな「養生アルカディア」の読者様にも、どちらの皆様にも楽しんで頂ける記事を心がけていくつもりです。

どうぞこれまで通り、温かいご支援、ご指導をよろしくお願い申し上げます。







さて、こちら「養生法の探求」ブログの新シリーズのお題は「気を観る」に決定いたしました。

本年4月が「命を耕す」で、5月が「新・命を耕す」、6月が「躰を創る」と続いてのお題です。

つまり4月からのタイトルを通しで読むと

「命を耕し躰を創り気を観る」となります。

いったい「気を観る」とは何ぞや?

と思われた読者様も多いと思いますが、これから1ヵ月かけて、気を観るレッスンをしていきますので、どうぞお付き合いの程、お願い申し上げます。





まず手始めに、では「気」とは何なのか?という大命題をザックリと解説すると、

ひとことで言えば「気とは命そのものである」と言えるかと思います。

気が流れているからこそヒトはエネルギッシュに動くことが可能であり、

もしも気が流れなくなるとフォースが身体内外を行き来しなくなり

とたんに躰が言うことを聞かなくなります。

気があってこその命。




気をいかにしてうまく流動させるか?

の実践的なメソッドなどがうまく公開できたら面白いなと、画策しております。







さてツーボ君のバタフライ効果やいかに?

クオラムセンシングなムーブメントがいよいよスタートです!

2015.07.01 | | コメント(3) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

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