新・命を耕す

ということで、ついに新シリーズへと移行してまいります。

本稿からは、前シリーズ「命を耕す」において基礎資料として引用された様々なトピックスからヒントになる言葉のエッセンスや断片を、もう一度汲み取って、

鋤(すき)と鍬(くわ)をもって再度掘り起こしながら、関連事項を練り上げつつ、今度は自分の言葉で咀嚼しなおして、新たな論説を醸造し、発酵させていく方針です。

ちなみにこれまで基礎資料として引用したモロモロの文献コンテンツは、わたしが言うのも何ですが、たいへんに貴重なものも多数含まれておりまして、今では故人となってしまった方々の論説も随所に引用されています。

触手療法の創始者の医学博士の福増廣幸氏、伝説のヒーラー・オステオパシー医のロバート・C・フルフォード博士、操体法の創始者であった医師・鍼灸師の橋本敬三氏、肥田式強健術の肥田春充氏などの

言説や理論はまことに貴重であり、オカネをどれだけ積んでも手に入らない価値を持ち、それらは未来永劫にわたる人類の福音たり得る不朽の輝きを放っております。

どうか、そのつもりで、何度も何度も当該箇所をお読みいただき、みずからの血肉へと変換しますれば、皆様の人生における健康養生のアドバイザーとしてそのコンテンツは裨益するところ大なるものがあると確信しております。

その旨で大事に有効に基礎資料を扱って頂きますように、本ブログ読者様にはよろしくお願い申し上げます。




まず、なんだか、かってぇなぁ〜(笑)

さいでは、柔らかく行きましょう!

そうそう、動物園のことが話し足りなかったんだけど、いやさ、ほら前稿でポロッと口をついて出た話題でね、昨年の4月の第4日曜日に、家族で静岡市の日本平動物園にお出かけしたんだわさ。

そいで、その時にね、色んな動物に会ってきたんだけど、例えばシカね、バンビちゃん。これがまたもの凄くエレガントな動物でね、美しいの何の、立ち居振る舞いがとても静かでビックリしたわけね。

なんというかオーラをさ、つまり気配を消してるんだよね。それでこのシカだけでなくて、だいたいどの動物もスゴク静かで足音ひとつ立てないで歩くという発見がありました。

あとはリアルスパイダーマンと言えるクモザルの忍者顔負けの体さばきには、ほんと目が点になるくらいに驚いたね。このサルは、まず手も長いし、足も長いし、シッポも長いんだけど、

この手と足とシッポをつかって、岩肌を自在に動き回って、どこでも歩き回れるほどの身体能力の持ち主。これにはそんじょそこいらの古武道の大家も、合気道の達人もね、かないっこないと思わせるほどに素晴らしいのがクモザルだった!

それで、チンパンジーの歩く姿に、ビリッと来たとね、前稿ですでに言いました。

でね、考えてみればさ、動物界で唯一、純粋に、二本足で立って、二足で歩行するのは実は人間だけなんだよね!

だっから、人間は動物界で最もユニークな移動手段を有する貴重な種族とも言えるわけです。

それで、じゃあいったいいつから人間が二足歩行を開始したかと言うと、少なくとも340万年前くらいにはすでに二足歩行をしていたらしい、ということはアファール猿人の足跡化石から判明していて、

チンパンジーとボノボと人間の祖先から、人間が分岐した時期ってのは、今から630万年前頃とされている。

さて、ということは、だいたい630万年前頃から人間は人間に固有の動き方を模索しながら動き始めて、それから300万年ほど経た後に、ようやく二足歩行ができるようになったと言えて、

そこからさらに300万年ほど経って、やっとこさぁ、今の人類のように割と自然に二足で歩行ができる体制を獲得したと言えるんですね。

でも、よくよく考えてみれば、生命らしきものが誕生したのが38億年前だとして、人間が歩いてきた時間はたったの630万年間とすると、もうね、生命史の中では、ほんの一瞬だけ人間は人間らしく歩いているに過ぎないと言えるのです。

つまり、人間はまだまだ真の意味での効率の良い、バランスの取れた二足歩行のやり方を獲得しきっていない、のではと思うのです。

だいたい、どうしたら疲れないで長時間のあいだ歩けるか?を知っている者なんて、まずいないでしょ?

これ、知ってる人、いますかね?

このへんの答えがね、今、ネタにしている爪先歩きとか、太極拳の足底の意念の用い方、なんかとつながってくるんですね。

ある武道家は一本足の下駄を開発して、それを乗りこなすことでバランスを取るなんて事を披露しているし、

また琉球空手の達人なんかは、やはり不安定な円盤状のモノにうまく乗らせるような指導をすることで、ある高校球児たちの指導をしてケガが少なく試合に勝てるチーム作りをしております。

ようは、こういった武道家や空手家はどこを見ているかというと、恐らくは足首の柔軟性と重心の取り方ということになるのだろうと推察します。

荘子のあの言葉、「その息するや深深たり、真人は踵をもってし、衆人の息は喉をもってす」

の真意とは、実は体のバランスをどこで取るかということを暗示しているのではと、謎解きが出来そうなのです。

バランスを取る位置が高いと体は不安定で疲れやすいが、バランスを取る位置が低ければ体は安定して疲れにくい。

太極拳などでは、敵を倒す際にワザと相手の足底にかかる重心が小指側にずれるようにし向けて、それで相手がバランスを崩したところで技をかけていくということもするそうです。

気功や太極拳はよく言われるように「場・ば」の体操、意識のスポーツ、などと呼ばれ、いかにして自分の周囲の空間を動かすかが雌雄を決するとも言われます。

そうなると、自己の身心の「物理的&意念的」な中心をどこに置くか、は最重要な問題となってきます。

つまり、ここに丹田や足底のあり方がクローズアップされてくるのです。

自分を1個の惑星か球体と見立てるのなら、いちばんに安定するのは最下部の足底に意識や重心があることとなりましょうか。

そうしてこの球体が動く場面になれば、重心はやや上がってきて、それが正中線上に浮上してきて、下丹田、中丹田、上丹田などと呼ばれる部位になるのかもしれません。

チンパンジーの祖先に毛が生えた、いや毛が抜けた程度の脳科学しか持ち合わせない人間も、ようやく630万年を経て、

どうしたらうまく歩けるのか?、どうしたらうまく体を使いこなせるのか?の

人類の誰もが知るべき最も基本的な身体操作マニュアルを真剣に考える時代を迎えそうです。

俺もこんな事を考える鍼灸指圧師になるとは、思ってもみなかったよ(笑)

そんな、こんな、のモロモロをひとつ皆さんと共に考えて、思惟の道程をシェアしていきたく思います。

どうぞ、ラフな言葉で綴る気や指圧や体術にまつわる深くて面白い探求の旅に、ご同伴頂きますれば幸いに存じます。

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2015.04.30 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

命を耕す 33

「自分が一番気持ちのいいようにしてもらえば治るんです。一番気持ちのいいようにということは、悪い方から良い方へ戻すことで、戻すのは実に気持ちのいいことなんですよ。

ところがね、これにもやり方の上手、下手があって、いくら気持ちの良い方に引っぱっていくといってもね、あんまり気張ってエャーとばかりにやったって、うまくいかない。

そうじゃなくてね、フウーと、水の中に浮かんでいる水草を引っぱってくるように、スウーと動かせばいいのです。コースにさえ乗れば、うまくゆくんだから。

それもね、必ず息を呼(は)きながらやるんだ。息を呼きながら動かさないと、からだを壊してしまう。この『息を呼く』ということにもね、ちゃんと法則があるんです。

例えば、けんかして、人をぶんなぐる時に、げんけつ振り上げて、息を吸いながらぶんなぐることは出来ない。出来たとしても、人を圧倒するほどの打撃は与えない。やっぱり、コンチクショーとばかりに息呼きながらでなきゃ、力が入らない。

呼吸と運動には、そのようにチャンと法則がある。この法則を知らないとケガをします。運動は息を呼きながらやる。吸う時には、運動神経が働きません。

剣道などでもスキを突かれる時は、必ず吸う瞬間です。柔道にしても、この瞬間に技をきめられやすく、ギックリ腰も吸う時にやられやすい。

管楽器を奏する時、あるいはお経をあげたり、詩吟や歌をうたう時など、みな呼吸の自然法則に合ったやり方でないとうまくいきません。

よく『修養して腹をつくれ』と言うが、この『腹』も呼吸によって練れてきます。

私は患者さんたちに、毎晩眠る前に腹式深呼吸をするようにすすめています。夜寝る前に床の中でおやりなさい、と。

枕をはずして両手を下腹に当て、両膝を立てて軽く合わせます。その時、足先を少し内側に向け、爪先を軽く踏む気持ちになって、下腹をくぼませながら、できるだけ息を呼(は)き切る。

からだの中の息を全部呼き出すつもりで呼くのです。

そして吸う時は下腹に吸うつもりで、ごく自然に吸ってください。

これを毎晩床の上で十回くらいする習慣をつけるとよいのですが。

毎晩これを続けていますと、起きている時も、何か仕事をしている時も、いつの間にか腹に力が入っているようになり、落ち着きが出てきます。『腹』が練れてきた証拠です。

コツは呼き方にあります。とにかく充分に呼く。よく呼けば吸う方はひとりでに入る。吸う息のことに意を使うことはありません。

吸う息は素早く、呼く息は長く、です。

とにかくね、呼吸する時は背骨がみんな動いているんだ。背骨が動いたら、内臓もみな影響うけるんです。

呼吸の仕方ひとつでからだの中が変わり、人間が変わるということは、注目すべきことだと思います。」

引用 橋本敬三「からだの設計にミスはない」柏樹社









前稿の肥田春充翁の爪先に意念を置く歩き方講座に、引き続く、橋本敬三先生による呼吸と丹田に関連する重要コンテンツの公開です!

まんず、スゲー!スゲー!の、凄すぎコンテンツの怒濤の引用が、ここんとこ、連続しておりまして、こうして公開しているとっくの昔にこれらのコンテンツを読み漁っていた当の本人(俺)ですら、

ちょっと興奮してハイになっているんですから、こうした文献にはじめて触れた読者諸兄においては、もう興奮しっぱなしで、エクスタシーに酔いしれているんでは、と想像いたします。

どうぞ、存分に酔いしれて痺れて頂きますれば、ブログ主冥利に尽きますので、その旨でよろしくお願いします(笑)

本稿の橋本敬三先生は、そのスジでは知る人ぞ知るの治療家でして、今さら説明は要りませんが、医師・鍼灸師でありながら民間の治療術の精髄を模索し、

ついに体の異常のほとんどが筋骨格系の歪みにあるとの結論に到達し、歪んだものを元通りに戻せば体は楽になる、

という至極単純にして深淵なる橋本式操体法という身体操術を編み出して、病苦に悩める庶民の救済に生涯を費やした偉大なる我が業界の師匠、マスターです。

さて、前稿においては歩行時に爪先、とくに足の親指に意識を置くことの重要性がクローズアップされましたが、

実はわたしは先年の今頃、子供を連れて日本平動物園に出掛けた折に、チンパンジーの歩く姿を見て、ビビビッと閃くモノがございました。

そうチンパンジーはまったく足音を立てずに、まるで足先を手のようにして地面をつかむようにして歩いていたんですね。

実は太極拳においては、足先の3点、親指と小指と踵のこの3つのポイントを意識する、と言われておりますが、

これも、ようは武道でいうところの、からだが固着してしまう「居付き」を嫌う所作なのかと推察する次第です。

武道においては、臨機応変に柔軟に敵に対処するためには、体が固まってしまうことは絶対にあってはなりません。

それゆえに武道家はこの「居つき」を嫌うのです。

不意打ちを喰らった際に、サッと身をかわすには、サッと身をかわせる体制でつねに準備していなければなりません。

ヨッコイショ、とドッタリと和んでいる「居ついた」スキを突いて、敵はやってくるのですからね。

つまり、太極拳における足底の意念も、肥田式強健術における爪先の重要性も、チンパンジーの歩き方も、みな「居付き」にならないための、

足さばき、と言えそうです。

そして、この足さばきは、必ずや腰腹丹田と連動することで、より身体の統合性が高まるということになるはずです。

ということで、本年4月の「命を耕す」シリーズも、本日が最後となりました。

全33講義、渾身の出来と自負しております。

まずもって、連日、ここに詣でてくれた読者諸兄には多大なる感謝をあらためて申し上げます。

この「命を耕す」というタイトルは、実は自分はもの凄く気に入っておりまして、思い入れも強く、それゆえに次月も同じタイトルで同じネタを続行する所存です。

どうか、次稿からの「新・命を耕す」シリーズにもご期待ください。

ハーハッハッハー!

いつも元気な浪越先生(笑)

2015.04.30 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

命を耕す 32

「動作を敏活にするということは、結局『脚』の問題に帰着する。体を支え、これを自由に運びうるものは『脚』だ。この『脚』によって体の中心をとり、これを働かせて初めて自由に動作できるのである。

だから『脚』の筋肉には十分な運動を与えて、その発達をはからなければならないのに、多くの人は『脚』をなおざりにしてしまっている。

もっとも『脚』といっても、それは腰から出るのだが、腰が座るためには、またこの『脚』に待たなければならない。

さらに腹筋に対してもっとも有効に、極度の大緊張を与えるるには、どうしても『脚』からこなければならない。

心身強健の秘訣、修養の極致は、この『脚』に潜んでいる。

古人が『踵(かかと)で息(いき)をする』と言ったのはこれである。踵で息をするとは、心気を足端(そくたん)に注ぐことである。

踵を活かすには、必ず爪先(つまさき)に覚醒を与えなければならない。爪先には5本の指がある。

だがそのなかで、ただ『親指』だけへ強く力を入れれば良いのである。すなわち腹筋の完全なる緊張は、足の『親指』からこなければならない。

剣術においては切っ先三寸(きっさきさんずん)というが、切っ先を活かすには、『左手小指』から跳ね返すような力を送らなければならない。

そして左手小指の力は『丹田』からこなければならない。しかも丹田力は、『踵』からこなければならない。

踵を強くするのには、爪先三寸を活かさなければならない。

爪先を活かすのには、親指に力を入れるのである。

結局、切っ先に迸(ほとばし)る精気は、足の親指から発するわけである。

しかし足先を支配するものは、やはり腰腹丹田(ようふくたんでん)の中心力でなければならない」

引用 高木一行「鉄人を創る肥田式強健術」学研







ドヒャーーーーー!!!!! 

アヒョーーーーー!!!!! 

ワチャーーーーー!!!!!


いやいや、この文章はかなり凄いというか、お宝中のお宝物件を探し当てたというか、

観る人が観れば、「うわぁ、全部言ってしまった!」とかそんな慨嘆が聞こえてきそうな、

言わば武道や芸事の極意のすべて、キモ中のキモを余すことなく言ってしまっているような、

そんな、まことに素晴らしいコンテンツの登場です!

この引用元の本はと言えば、アンタ、何と何とのあの

「 MU SUPER MYSTERY BOOKS」だもん。

「ムー」って雑誌を知ってるでしょ?

はい、アレがらみってこと。だから普通の学者さんとかさ、そういったマジメなアカデミズムに棲息している御仁は先天的に忌避しちゃう部門なんだけど、

アタシはこれで、アヴァンギャルドだし、昔はそれなりにミステリアスな領域もけっこう好きだったし、最近はUFOネタとかは御法度にしてるけど、

別にそのへんだってスティーブン・グリア博士だし、そんなだっしー、ってなんで、ふなっしーな口調になってんだ?(笑)

はい、それで、この冒頭論説においては「丹田と末端との力学的な相関メカニズム」が解読されておりまして、

要旨を集約すれば、最重要な部位とは意外にも『足の親指』と言えそうです。

実は、みんなには内緒にしてたんだけど(笑)アタシは少し前から歩く時に、足の親指に力を入れて歩くようにしてるの。

それで、この足の親指を意識して歩く動作が、どんな効能をもたらすのかを、先行して実験しておったわけです。

つまり、みんなよりも一歩早く、丹田力を充実させようと画策して、そうつまり、コッソリと出し抜こうとね。

ハーハッハッハー!

さいで、「足の親指意識歩行」の効能ってのは、ひとことで言えば、歩く際の重心が決まって、バランスが良くなると言えます。

ではでは、みなさんも、歩く際には是非とも足の親指を意識して、丹田力を練って頂きますれば幸いに存じます。

フフフ、実践的なアドバイスが何よりも嬉しいよね!

って、自分で言うな(笑)

2015.04.29 | | コメント(6) | トラックバック(1) | 鍼灸指圧

命を耕す 31(追加文あり)

「気が神経系に関与することについて今一つそれを示唆する話題がある。それは、おなかのいわゆる下丹田と言われている辺りに、神経節が集まった

『リトル・ブレイン』

と呼ばれる部位があることである。

下丹田に限らず、全身のあちこちにこの『リトル・ブレイン』は存在しているという。

頭が大型コンピューターであるならば、この『リトル・ブレイン』はパソコンで、狭い範囲ではパソコンで十分処理できる。

丹田に気を集めるとは実はこの『リトル・ブレイン』を活性化させることに他ならなかったのではないか。」

引用 「『気』が癒す」集英社



「わたしの講演を聞く医師の多くが渋い顔をして首を横にふる話題のひとつが

『太陽神経叢』

である。口にはださないが、かれらが「まさか」と思っていることは、こちらにもわかっている。

太陽神経叢(腹腔神経叢)は体幹の中央、心臓のしたから胃の裏がわにかけて大きくひろがる神経細胞の集まりである。太陽神経叢からは腹腔のすべてに向かって神経が放射状にのび、肝臓・膵臓・腎臓などを支配している。

太陽神経叢への強烈なボディーブローでボクサーが倒れるのは、重要臓器が衝撃を受けるからである。ここまでは医師たちも認めている。

しかし私に言わせれば、太陽神経叢はたんなる神経の集まりではない。それは腹にあるもうひとつの脳であり、情動はそこで生まれ、そこを中枢としている。

『ガッド・フィーリング(腹の底からくる感じ)』という表現は、その情動が文字どおり『ガッド(腹・内臓)』で生まれていることを正確に描写しているのだ。

情動にふりまわされた人が消化器症状を呈する場合が多いことの理由もそこにある。

あたまにある脳は図書館とかコンピューターのようなものだ。記憶をたくわえておき、神経系をつうじてその人の欲望や意思の実現を助ける。

ところが太陽神経叢は情動の中枢であるばかりではなく、腹腔臓器のはたらきを維持し、バランスをとる仕事もしている。

そこからのびる神経は腹壁・生殖器・腎臓などへの血液供給も支配しているので、怒り・喜び・哀しみ・憎しみなどの感情が生じると、

太陽神経叢は臓器間のバランスを維持するため、その感情によって機能不全を起こした臓器の修復をしなければならない。

新生児はあたまの脳より腹の脳のほうが発達している。ことばはしゃべれないが乳は飲み、消化する。針でつつけば痛みを感じて泣く。

あたまの脳が発達してくるのは三歳近くになってからである。

腹の脳の声に耳をかたむけてほしい。たとえば、転勤の辞令がでたとき、『腹のなかでは行きたくないと思っているが、行くしかない』という人がよくいる。あたまの脳の決定にしたがうように教え込まれているのだ。

だが、太陽神経叢に集まる神経末端も脳であることを知っていたら、その人の選択は違ったものになっていたかもしれない。腹の脳の判断が、自分が考える以上に真実に近い場合が少なくないのである。

以上の事実は、わたしが最初に発見したわけではない。地球上にはとっくにそれを知っている人たちが無数にいる。

たとえば、ヨーガでは人体にチャクラという七つのエネルギーセンターを認めているが、そのうちのいくつかは、わたしのいう太陽神経叢と同じものである。

しかし、ヒンドゥー教徒のほとんどは別の大陸に暮らしているので、西洋医学はかれらの見解をまともに取り上げようとはしない。

第一、大多数の現代医学の医師は自社ブランド以外の医学の考えに耳を貸す気は毛頭ないのだ。

東洋の思想家たちが何千年知恵を蓄積しようが、そんなことはどうでもいいらしい。」

引用 ロバート・C・フルフォード&ジーン・ストーン著 上野圭一訳「いのちの輝き」翔泳社



「まず背側大動脈に沿って内臓動脈の枝が出ていますが、横隔膜の真下から左右に枝分かれしているのが腹腔動脈すなわち胃の動脈、

そのすぐ下から上間膜動脈が出て、大体、小腸に分枝して、そのさらに下から下間膜動脈が出て、これは大腸に分布します。

その近辺には左右対称に腎臓に行く腎動脈があります。これがお腹の動脈系ですが、

その枝分かれの部分にルイルイと交感神経の塊(かたまり)があります。その中で胃袋へ行く腹腔動脈を左右から大きな塊が囲んでおります。これが有名な

腹腔神経節(太陽神経節)

で、消化吸収の機能を支える大切な血流の調節中枢であります。」

引用 三木成夫「人間生命の誕生」築地書館






はい、いよいよ、腹式呼吸法、横隔膜呼吸法、丹田呼吸法の解剖学的な核心を突いた秀逸な言説からの怒濤の引用です!

ようは、今、話題にしている舌ベラを起点とする頸部直筋、腹直筋、陰部肛門を支配する筋群のすべてと絡んでくるのが、この太陽神経叢というリトルブレインであり、

この小さな脳にして、実は巨大な脳である、いや原初的な本当の脳とも言える人間に人間らしい情動を付与する最も重要な器官であるリトルブレインを活性化する方法こそが、

腹部を中心に刺激を与える呼吸法や運動法だろうと思う次第です。

鼻呼吸の際に舌ベラを引き上げるのと同時に、横隔膜も引き上げて、さらに肛門も引っ込める、

そのあとに今度は、口から吸った息を吐き出しながら、舌も横隔膜も肛門もすべてを弛緩して引き下げるように息を吐くと、

まるで腸管内臓系のすべてで呼吸しているように感じるものです。

また腹筋をヒクヒクと動かして、腹にマジックか墨で書いた顔をクニョクニョと動かす腹芸でもするように、

腹部の筋肉を律動させると、なんだか内臓の内部から内臓全体が按摩されているように感じます。

こんなゼニを一銭もかけない内圧メソッドで、簡単にリトルブレインが活性化できれば、ほんとありがたいよね。

ということで、私は今後も、リトルブレインの活性化を視点に指圧や気に関する養生法を探求する所存です。

ヒヒヒ、かなり面白くなってきたでしょ?






※ 営業案内:ゴールデンウィーク中は、5月4日(月)を除き、休まず営業しております。

この機会にひとつハリーなるアヴァンギャルド指圧師をひと目見ておこうとか、

あるいは気功指圧を受けてみて、なんぼのもんじゃい!と文句を言ってみたいとか、

色んな思惑をお持ちの方々、

是非ともこの機会に「鍼灸指圧 光伯堂」 電話 0548(22)8740

に、ご予約のうえ、当院にお越し下さいませ。

いや先週にね、フラッと花の都、京都からお越し頂いた男性がありまして、その方もこのブログを読んでくれている常連さんでした。

その男性は前腕部に長年の凝りがございましたが、自分で出来る何か有効な方法を知りたいとの事でしたので、

治療後に、こうしてやるとイイよ、という自己指圧法を指導しました。

今、ネタにしてる腹式呼吸法なんかについても、その場でアドバイスできますので、お気軽に何でもご相談ください。

腹式のコツはね、つまりは腹や肺に溜まった空気を腹圧と横隔膜の力でまず全部吐き出すのが最大のポイント。

ようは「息を吐く」、吐ききることが最大のキモ!!!!!

さすれば、あとは自然に息を吸い込むが宜しい。

と、ただ、これだけのことなのよ〜ん(笑)

そう、難しく考えるもんでもない。

そんなこんなの以上、このブログ始まって以来、初めての営業案内的な告知でした。

ギャハハ(笑)

2015.04.27 | | コメント(9) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

命を耕す 30

「人はつねに心気を身体の下部にみたさせるべきである。心気が下部に落ちつき、一身の元気が全身にみちるときは諸病のおきる一部の隙もない。

名人達士の息は足の踵でし、凡人は喉で呼吸をする。

およそ、生をやしなうの道は、身体の上部を清涼にし、下部は温暖をたもつように気をつけねばならない。

臍の上に小豆をのせてあると想像し、観念し、心気を丹田におさめる。

心を掌のなかにみたして行動せよ。

心を足の裏におさめて、よく万病を治す。

心こそ、地獄と、極楽の作り手である。心の奥の心宝の光をかくす心上の雲を吹きはらえ。

なにももとめなくてもよい。おのれの心さえ平和に養いたもち、正しくととのえ、そだてあげればあとは自然によくなる。」

引用 直木公彦「白隠禅師 健康法と逸話」日本教文社







バイタルフォース(生命力)とは、身心のエネルギーが合致したもの。

しかるに、身体は心の支配を受けて働き、心は身体の具合に左右される。

この心と身体の両方ともを健やかにすることが、生命力を養う秘訣である。

しかし、現代人はこのモノとしての身体の本当の仕組みも使い方も知らないし、

またこの見えざる心の出所も知らず、心を自在に操る方法も知らない。

ようは身心の実相実体を何も知らずに生きているのが現代人なのだ。

だからこそ、万病がはびこり、万障に襲われるのだ。

人類をこの無知無明の災厄から救う手だては果たしてあるのか?

もっち、ある、ある、あるに決まってまっせ、ここ、ここ、ここに、ありまっせ(笑)

ビリージョエルの名曲「素顔のままで」

あの曲の中に人の生きる道の真理が歌われていました。

橋本敬三先生は「人は本来、生まれながらに救われている」とも申しております。

肩肘張らずに、素直に、素顔のままで生きられたら、

その瞬間に、わたしたちは極楽の仙境に到達するのでしょうね。

とはいえ、わたしはけっこうつねに修羅の世界における阿修羅の憤怒像と化しておりますがね(笑)

フンヌーッ!!!!!、と憤怒してるうちは、まずもって神気(しんき)は丹田に収まりませんわな!

足裏を意識しながら、歩くと、地に足が付きます。

この要領で、自在に意念を身体全域に通じさせることができれば、

百病が生じる隙がなくなり、健康体になるかもしれません。

まあ、心がね、なかなか御(ぎょ)せないのが、俺のいちばんの問題かも(笑)

ユーチューブで観た、じじー・ジョエルの顔、まるでシルベスター・スタローンみたいで、

人生の哀愁が顔に出ていて貫禄と味があった。

あのお歳で、ピアノ弾き語りだもんね。すげえよ!

いやさ、よくビリーの曲を聴いていた高校時代を思いだして、

スイート&ビターな気分に浸って、泣けてきちゃったよ。

フフフ、こういうのも音という気による浄化作用というか、気功そのものだよね。

2015.04.26 | | コメント(16) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

命を耕す 29

「人間のからだには心臓が三つある。一つはわれわれの心臓、一つは横隔膜、もう一つは筋肉である。つまり三つの心臓がある。

ふつう医学部の生理学の授業では循環器というのは心臓と動静脈、大体これで終わっております。こういった心臓の外に第二、第三の心臓があるということはいわゆる古典的な教科書には書いてございません。

しかしながら改めて丹田呼吸の世界からこれを見ますと、この見方というものは正しく脊椎動物の形態学の真髄をうがった言葉であるという外はありません。・・

調和息の要ともいうべき横隔膜の問題について振り返ってみたいと存じます。そもそも横隔膜とはどこから来たかと申しますと、蛙(かえる)の「のど」を見ると、そこはふくらんでいる。かれらはここに息をためて、この筋肉で肺の中に空気を送り入れる。

つまり頸(くび)の全面の筋肉を使って、肺に空気を入れたり出したりしているのです。要するに蛙は頸で呼吸している。ではいったい、この蛙の頸の筋肉が人間ではどうなっているのでしょうか?

もちろん、同じものがわれわれの頸の全面に短冊のように左右一本ずつ平行に走っております。ところが人間ではこの筋肉が胸のところで無くなり、再び腹直筋となって、お腹の正中を下がり、やがて骨盤の出口の筋肉に変わる。ずっとこのようにからだの前面正中線に沿って二本並んで走るのです。

われわれ人間の外陰部の複雑な筋肉や肛門の筋肉は、要するにこの頸から腹にかけての筋肉の一番下の部分に当たる。

そして話のついでですが、舌を動かす、これも複雑な筋肉ですが、この舌の筋肉は、反対に一番上の部分に当たる。

つまり舌から頸・腹を通って陰部までこの筋肉群はえんえんと続いているのです。

そしてその頸の筋肉の一部がずっと落ちこんで出来たものが横隔膜であります。

つまり横隔膜は、蛙がふくらましていた頸の筋肉と親戚のものに当たるということになります。

神経をたどっていくと一緒になっているのでわかります。胎児で見ますと頸の筋肉がちぎれて心臓と肝臓の間に入りこんでいることがわかります。死体を解剖して頸を見ますと横隔膜を動かす神経と腕を動かす神経が一緒のところから出ています。

手の運動と横隔膜の運動は同じところから出ています。また、手と足も中枢神経の仲介で運動しております。

調和息のときに大切なこととして、姿勢とかあるいは他の運動との連動が要求されるのは以上のようなわけだと思います。

( ※ 横隔膜の由来 横隔膜の筋肉は、舌と同じ前頸壁の直筋系に由来する。その支配神経は、頸直筋や腕の筋肉と同じ頸神経の枝(横隔神経)である)」

引用 三木成夫『人間生命の誕生』築地書館









頭でっかちの現代人は自分たちが高度な教育を受けて、科学的な思考が出来ると錯覚しているが、

私たちは実はこの自分の体の本当の仕組みを誰からも教わっていないし、それゆえにどのようにしてこの体を使うのが一番いいのか?もまったくわかっていない。

ようは身心の仕組みをまるで知らなくて生きているのが現代人なのだ。

だからみな健康に不安を抱え、チマタのワケの分からない健康情報に振り回され続けている。

本稿の冒頭文はかの三木成夫博士の秀逸な言説の一部である。

古今東西の博識をもってして視野の広さでは本邦随一の医学者ならではの「人体取り扱いマニュアル」の一端がここに開示されております。

第一の心臓であるいわゆる解剖学や生理学が通常医学で教える心臓とは別に、第二の心臓としては横隔膜、そして第三の心臓として筋肉がある、

との指摘はなんともクールで目が覚める思いが致します。

この冒頭文は丹田呼吸法のある会における講演録であります。

さて、この引用文における私にとってのアヴァンギャルドなとっておきのキモとなる部分は、

「舌から頸・腹を通って陰部までこの筋肉群はえんえんと続いている。頸の筋肉の一部がずっと落ちこんで出来たものが横隔膜」

のココです。

先頃から少しづつ触れている気功における呼吸法の話題の中で、わたしは舌ベラの先端を意識的に挙上させて、上歯の背側である上口蓋に舌の尖端を付けて、

鼻から空気を吸い込むという呼吸術を話題にしておりました。

この舌を上アゴにくっつける呼吸の意味については、気功的には体の前面と背面の経絡をつなぐ意味があると言われておりますが、実際に舌を上アゴにつけて鼻から空気を吸い込むのは、

慣れないあいだは何か違和感がございまして、舌を上げることの本当の意味も計りかねておりました。

しかし、この三木博士の冒頭文を読んだ瞬間に、電撃閃光が脳内にフラッシュし、一瞬にして舌上げの解剖学的な意味が氷解したのです!

つまり舌先を呼吸と連動させるということの意味は、この

「舌から頸・腹を通って陰部まで筋肉群、頸の筋肉の一部がずっと落ちこんで出来た横隔膜」

のすべてを刺激すると言えそうなのです。

ダテに舌使い呼吸法の秘技は2千年続いてきたわけではなかったようです。

それで、ようは舌を上アゴにつけるだけでなく舌を色々と動かすだけで、

もしかしたらこの蛙のノド笛から続く生命史に由来する由緒正しき頸直筋、腹直筋、骨盤底筋群、横隔膜のすべてを

インスパイアーできるのでは?と思うに到りました。

それで舌は牛タンのタンですから舌を積極的に運動させる方法を

舌を挙げるという意味で、「アップ・タン 養生術」と命名して、

これから少しづつ我が身の養生法ライフに取り入れて修練実践を積んでいこうと思っております。

基本は舌ベラを上アゴにつけることになりますが、それだけではつまらないので、舌を突き出したり、

ローリングストーンズのアイコンみたいにベロ出ししたりと、色々と舌の運動を探ってみます。

そうすることで、第二の心臓である横隔膜が刺激されて横隔膜の運動も盛んになり、

また横隔膜や腹直筋や肛門括約筋や手足なども意識して連動させることで、

第三の心臓である各種の筋肉領域へと自分の意念を通じさせていくプログラムです。

人類は文明を興して1万5千年ほど経て、やっと、ようやく舌の正しい養生法をここに獲得しました。

今日は記念すべき、「舌使い養生術」の誕生日です!

ハッピー・バースデー! 

「アップ・タン・ガール」「アップ・タン・ボーイ」

が新世紀の養生法を切り開きます。

これじゃあ、まるでビリー・ジョエルの曲名だよなぁ(笑)

2015.04.25 | | コメント(5) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

命を耕す 28

「形象も死にては気がなき故・・・生きて居る人の臓腑にあらざれば医者の用には立たぬなり」望月三英



さて、確かに寒いですね。

ただこの寒さが果たして本当にダークサイド・プラントが噴出し続けているアレによる惑星アルベド(太陽エネルギーを反射する割合)の変動のせいなのか?

それともすでに1万年以上を経過してしまった温暖な間氷期が明けて、次ぎの10万年間も続く氷期に移行する際の気候のブレによるのか?

あるいは、単にこういう春先の気候もよくあることなのか?

またはこうした予測とは異なる全く予想外の原因があるのか?

本当のところは、わかりません。

これまでここ1万年ほどはたまたま氷河期とはいえ、温暖な気候が続いた間氷期であったわけですが、実際には地球はずっと冷え続けていく過程にあり、これからもこうした寒さは周期的か連続的に訪れることは必至とも予想できます。

とはいえ、こうした分析もおうおうにして外れる場合もあり、結局は未来は予測不能ではないか、と私は思っております。

冒頭の発言は江戸中期の漢方医、鍼医であった山脇東洋(1705〜1762)が日本で初めての死体解剖に踏み切った際に、

この人体解剖を良しとするトレンドに対して反対の論陣を張った同じく漢方医・望月三英(1697〜1769)の言葉です。

東洋医学は生きた身体をもとにしてシステム化された気の医学であるとは、哲学者・故・湯浅泰雄氏の視点でもあります。

望月三英もまた湯浅氏と同じく、死んでしまった臓器をいくら調べても医者の役には立たない、生きた気のある命を相手にするのが医の王道だ、と捉えていたようです。

望月はまたその書『観医抄』にて「古の明医は人の内景を洞視して論じ置けるなり。今時の人は此れを守て替へざるべし」とも申しております。

この「内景を洞視」という部分は、いわゆる気功修練などにおける体内をイメージで視ていく方法の「内観法」のたぐいのことを指していると思われます。

つまり「気の医学」である東洋医学の人体内臓の認識とは、屍体解剖をもとにした物的な肉体として正確に把握するというよりも、生きたありのままの肉体内臓を体感で把握することに重点を置いたと言えるのかもしれません。

現代医学、現代生物学もまた実験室の科学であり、それが果たして生きた気のあるヒトの身心にそのまま適用できるかどうかは、もう一度、再検討する必要がありそうです。

ミトコンドリアという細胞内小器官だけが細胞を生かしているわけではありません。

細胞核ゲノムも、小胞体も、リボソームも、リソソームも、ペルオキシソームも、細胞膜も、細胞質内の80億個のタンパク分子も含めて、細胞質のオルガネラのすべてが協調し協働することで、

細胞生理は営まれ、細胞は生命力であるフォースに満たされて『細胞場』を形成できるのです。

だから、ミトコンドリアという単一の要素に還元して、命を論じても命の真相は見えてきません。

まして、ミクロの分子レベルの細胞生理だけでは、気の何たるか?命の何たるか?

は、とてもとても捉えきれません。

全体は部分の総和以上の意味がある。

生きて居る人の全体である臓腑経絡は常に鍼医の用に立ちます。

ヒトも、あらゆる生き物も、生きていて、なんぼ!

ネバネバヒート養生法に励んで、本日もヴィヴィッドにファンキーに

気を柔(やわ)らかにして、まいりましょうや!

2015.04.24 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

命を耕す 27

「その息(いき)するや深深(しんしん)たり、真人(しんじん)の息は踵(かかと)をもってし、衆人(しゅうじん)の息は喉(のど)をもってす」荘子




「気とは何か?」という問いは、わたしたち鍼灸師にとっては一生、つきまとう命題でありまして、また時折、まるでこちらの全存在を試されるように質問される場合もある禅問答的なクエスチョンであります。

ところで、今から25年前の気功ブームにおいて、メディアが醸成した人々の気に関する関心は気功の本質にはほど遠い、見せ物小屋レベルのトンデモ気功ショーに終始したことは以前に触れましたが、

この気功ブームの失敗による後遺症によって、今では一般でも気を語ることはタブーのようなネタになりつつあり、わたしたちの「気の医学」の本場である東洋医学界においても、気をマジメに語ることは憚れるような状況と化しているように思えます。

つまり鍼灸師でありながら、気を語らず、あえて、気については有耶無耶にしてスルーするというポジションを決め込む者は決して少なくないでしょう。

なにせ、ただでさえ鍼灸指圧の認知度は低く、普通にそのへんの人々の口を介して鍼灸指圧の一般評価は「胡散臭い」とされるのですから、

これ以上に胡散臭く思われるのはとても耐えられないので、いっそのこと「気」なんてものは迷信か妄想のたぐいとして一蹴してしまう。

そんな立ち位置で生きている東洋医学関係者も、今では少なからず存在するかもしれません。

つらつらとここ30年ほどの気に関する関心のトレンドを追ってみると、今や気をマジメに熱く語ることは決してトレンドではなくなりつつあり、イケテイナイ領域と化していると見なせます。

そんな気を過去のものとする風潮の中にあって、一体、誰ですか?そんなに気を熱く語ってるのは?

は〜い!アタシ、私、わっち、おいら、アタイだってば、そう俺だよ、希代のアヴァンギャルド指圧師、マスター・ハリー・コウハクに決まってんがな!

ということで、今回は冒頭引用文は控えめに、自分の言葉を少々、書き連ねてみます。

いやね、実はかくいう自分もこれまで気については、本ブログの記事にするにしても慎重に取り扱ってきてまして、私もこの業界に入ってスグの頃は、あまり気について語ることはしませんでした。

ちょうど自分たちが鍼灸学校に通っている頃に、あの気功ブームのお祭り騒動の絶頂期でして、その絶頂の波はショーキンとかいうインチキ気功師が法外な治療費を治りもしないのに請求したカドで逮捕されるに及び、

この気功ブームがアッという間に沈静化していく経過を冷ややかにライブで観察しておりました。

それゆえに、それ以降は何となく気の話題を避ける、そんな風潮がこちら鍼灸界にも形成されていったように感じます。

また気の科学的計測も当時は随分と流行しまして、その中で出色とも言える成果としては、大脳生理学者の故・品川嘉也博士が世界で初めて捉えた気功師と被術者における脳波同調現象なるものも、ございました。

脳波計で気功師の脳内全体に易経の太極マークと同じようなα波の動きが描き出されると、気をかけられている被験者の脳波もまたこの気功師と同じく太極マークのα波が浮かび上がる。

なんとも不思議なこの気功における脳波同調現象は、気の交流が意識活動の中枢である大脳の認知機能と深く関わることを暗示しているように思えます。

気功を修練していくと、体調が整うだけでなく、脳も非常に活性化すると言われますが、先日、我が治療院に来院された前稿で取り上げた常連の御婦人のSさんによれば、

わたしの「気功指圧 1時間半コース 6000円」を受けたら、もの凄く体調が良くなり、仕事の能率が抜群に上がったと報告されていますので、やはり大脳の活性化に気功は大いに役立つと言えそうです。

気功指圧と言っても、別に特別なことをするわけではなく、26年間かけて築き上げた全能力をこの指先と体と意念で表現するだけのことですが、

この幾ばくかの指の圧力プラス意念という、力と気のバランス、フォース&パワーの天秤を取るというコツが、普通の一般のシロウトさんには、ちっとやそっとではマネできないレベルということになるかもしれません。

私が気功指圧をしている際には患者さんの脳波が、私の脳波と同調しているとすると、こちらがリラックスしなければ、患者さんの脳波はα波にはなりませんね。

そういう意味でも気功指圧をする際には、こちらの意識はなるべく無になるように心がけて、道(タオ)の世界と同化し、気と戯れ遊ぶ心境で常にいることが必要でしょう。

書家の祖父に揮毫してもらった「氣遊」が木製の額縁に入れて、治療院のデスク脇に飾ってありますが、まさに気と遊ぶ心境でいると、どうも患者さんの気も良く動くようです。

さて、今回の「命を耕す」の気功指圧シリーズは、好事家の皆さんに大変に好評で、また識見の高い方からも注目を頂いております。

まことにありがたいことで、ここにおいて、改めて御礼申しあげる次第です。

ええと、今回のシリーズの特徴はこれまでと違って、敢えて現代科学の生物学用語や物理学用語と整合性を持たせるという、時流とのすり合わせをするようなことはしていません。

というのは、これまで散々とこういった現代医学とのすり合わせは、本ブログでは試みてきましたし、そういうわけで、現代科学の用語に変換することには、もうお腹いっぱい、食傷気味というのが正直な気持ちです。

科学的には生命力はATPの発露だとしても、体感としては体が軽くなった、痛みがなくなった、頭の回転が良くなった、というリアルな実感、体験知が全てであり、

その体調の好転がATPの供給量が上がったからかどうかは、本当のところ実感で捉えることは不可能です。

脳科学の科学用語に変換すればそう言えるかもしれないが、本当にその単一の要素のみの事象に還元できるほどに、命は、機械論的で線形的でチャチでちゃらいわけではありません。

気の動きはまるで龍かヘビか、あるいは妖精のティンカーベルが舞い飛ぶ姿か、実に摩訶不思議な動きを見せてくれます。

これが単なるATPや電子のしわざか?

いやいや、だからね、そんなメッチャ、こまい微細な、ミクロの分子レベルの「点と点をむすんだだけ」の要素還元論では決して理解できない程に、深淵にして不可思議なる世界が「命の場」「気の現場」なのです。

場の中を探ると要素が見える。だから要素はあくまで場全体の一部であって、全部ではありません。

全部が命なのであり、一部は命の片鱗に過ぎません。

部分の総和である全体は部分を集めた以上のなにがしかを生じる。

ちまたには、『生命場』を電池か家電製品かケータイ電話かと錯覚したような論説がまま見受けられます。

命には心がありますが、電池や家電製品やケータイには意識、意念、こころ、がありませんよね?

だから心のない、気の出ない医療機器マシンから供給される意味不明な要素をもってしても、気の場である心ある命は何も反応しませんよ。

ようは暗示効果、プラシーボによって、いくばくか気が反応するだけです。

つまり、これで何か効きそうだという気のせい(笑)そんじゃあ、つまりは気に効いてるのか?(笑)

老子や荘子の理想の呼吸とは、ノドでも肺でも腹でもなく、なんと足のカカトで呼吸することだと、冒頭で申しております。

もちろん、これは比喩ですよ。

そう意識をカカトまで持っていく、というこれも気功修練なのです。

とかく頭部にばかり気血を上(のぼ)らせてカッカ!カッカ!する御仁が多いご時世には、

グーーーッと意識を身体下部にまで引き下げて、腹式呼吸も通り過ぎて、カカト呼吸にまで到達するといいかもしれません。

かの西野流呼吸法は足の裏のツボ湧泉(ゆうせん)から地の気を吸い上げて、全身を上昇し、頭頂のツボ百会(ひゃくえ)からその地の気を天空へと放ち、今度は天の気をツボ百会から導引して、また今度は全身を下降させて足裏のツボ湧泉から地へと抜いていく。

こんな「足芯呼吸法」をアドバイスしていたと記憶しております。

呼吸法ひとつチェンジするだけで、身心の気の流れは随分と良くなるかもしれません。

あぁ〜、ダラダラとよく語ったよ、久しぶりに(笑)

2015.04.23 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

命を耕す 26

「生物に生じる現象のほとんどは通常の物理的・化学的な力によって説明することができると信じている人たちがいる。

生物学者は、生物学が進歩さえすれば未知の現象も説明できるようになると主張する。もっぱら化学的なプロセスだけに目を向けている化学者は、化学が進歩さえすれば未知の自然現象も説明できるようになると信じている。物理学者は素粒子の世界でのさらなる発見を期待している。

その人たちにとっての「生命」とは、分子構造という興味のつきない遊技場である。

しかし、いのちは機械論や要素還元主義の限界をこえている。

従来の生物学・化学・物理学のことばでは、いのちを説明しきることはできない。

ある決定的な要因に気づいていないからだ。

それは生命場という、宇宙の創造的な力のことである。

人体にくまなく浸透し、それを包みこんでいる生命場は電磁気エネルギーでできている。そして、そのエネルギーが体内にあるとき、わたしはそれを「生命力」と呼ぶ。

著明な精神分析学者、ウィルヘルム・ライヒは、その生命力の感じを「ジンジンするような感覚」と表現したことがある。

健康で生命力にあふれている人にさわるとき、わたしの手も「ジンジン」するように感じる。

生命力の流れの多くはこころによって調節されている。

こころがからだをコントロールし、感情的な反応がからだを締めつけたり、ブロックしているのだ。

東洋では何千年も前から、似たような生命エネルギーの概念が認められてきた。中国人はそれを「気・チ」と呼び、日本人は「気」と、インド人は「プラーナ」と呼んできた。残念ながら、アメリカにはそれを呼ぶことばがないのである。・・


流行する治療法はまず消えていくのがふつうだ。そのほとんどは暗示効果でしかなく、はっきりいえば、健康に対する関心を利用した、だれかのカネもうけの手段である。

フィットネスの新説には惑わされないことだ。自分が楽しんでやれるかどうか、いちばん大切な基準はそこにある。」

引用 ロバート・C・フルフォード&ジーン・ストーン著 上野圭一訳「いのちの輝き」翔泳社









こちらフルフォード博士の著書は、いのちの真理を求める者には、必須の情報が満載された内容となっておりますので、好事家の皆さんは是非、手にとってお読み頂ければ、裨益するするところ大なるものがあると確信しております。

さて、昨日、治療院を訪れた常連さんとこんな会話をしました。

「このあいだ1時間半のコースをやってもらったら、もう絶好調に体の調子が良くなって、やらなければならない仕事が、はかどる、はかどる!嘘みたいにスパスパと能率が上がって、ほ〜んと、助かっちゃった!で、今日は少し今、時間が取れたんで、30分だけでもやってもらおうと思って寄ったの」

「ほんとぉ、体調良くなって、良かったですねぇ!今日は肩とか肩甲骨の辺りを中心にということですが、ほほう、肩甲骨のこのへんが・・」

「あ〜、そこ、気持ちいい!なんでやって欲しいところにうまく手がいくの?」

「うん、そりゃあ、なにも言われなくても、自然に患者さんのやってほしいツボに手が届くようにならないとプロとは言えませんからね」

「ほ〜んと、その通り。でも、このあいだ話したけど、こういう本式の指圧を、やってもらえるってもう貴重になってきてるんだよねぇ?」

「そうですねぇ。たぶん、こういう本式の指圧はうちらの代で消滅していく感じですね。ほら、あのインチキ代替医療のあのシロウト按摩がね、東洋医学のスタンダードと錯覚するようなご時世になってきたから、もうある意味、本式の指圧は終焉のフェイズに突入してるって感じっすね」

「こういう治療こそが本当の意味での国民健康保険でしょ?なんで国はこういうのを保険が効くようにしないのか。そうか、そうか!本当はこういう東洋医学の良さを知ってて、もしも保険医療に参入させたら、薬なんかが売れなくなるって知ってるから、そうだよね、絶対に東洋医学を保健医療の中に組み込むわけないよね」

「ふふふ、Sさんは個人経営の会社を経営しているだけあって、いつも勘が鋭いとうか、実に返しがイイっすねぇ。まったく、その通りで、頭痛薬ひとつに的を絞っても、もしも鍼灸指圧が鎮痛領域の医療の中に入りこめば、このへんは鍼灸指圧の独壇場だからね。つまり東洋医学は売薬ビジネスにとっては最大の脅威となるわけで、日本をマーケットにしている世界の製薬企業もロビー活動を関係省庁に、これでもかと怒濤の攻勢をかけているとかなんとか、そのへんの真偽は不明ってことで(笑)」

「ははは、そうそう、ロビー活動ね。だからさぁ、アタシっちは、その裏をかいてね、こうして身銭切ってさ、ひそかにここに通えばイイわけよ。ただ実費がかかるから、誰にも勧められるもんでもないし」

「そこが一番の障壁ですよ。たとえイイものでも、一定の実費負担はかかるから、おいそれと、回数をかけて通いなさい、とも言いづらい。これは本来的には未病治の観点からしたら、本当は何度も通いなさいと、言うべきなのは百も承知だけど、こんな経済状況ではね、それも、そうそう言えないし」

「だから、しょうがないよ。みんな、それなりの器で、自分に合ったやり方を見つけるしかない。でも、アタシはこういう治療の価値をこの体でジカに感じて分かってるから、これからもここに通うけどね」

「いや、ほんとありがたいです。体感知は脳科学よりも強し!」

「だって、アンタ、何千年も続いているこういう治療が体に悪いわけないじゃん!イイに決まってる!もしも体に悪けりゃあ、とっくに廃(すた)れてるよ。それが3千年だか2千年だか知らないけど、今までずっと続いていて、いまだにこうして気持ちイイんだから」

「いや、以前にね、北里大学の東洋医学研究所の東洋医学史の先生が、話してくれたんだけど、紀元前の鍼灸指圧のスタイルってのが、まず按摩指圧をして体全体を揉みほぐして、それが診断と治療を兼ねていて、それで冷えているツボを見つけたらそこには灸をして、凝りの強いツボを発見したらそこには鍼をしたんだって」

「まさに、ここの治療じゃん!」

「そう、嬉しくて、講義の後に先生が帰るところをつかまえて、『先生、あの、自分も紀元前の治療をやってます!』って言ったら、その先生も『あっ、僕も紀元前の治療、大好きです!』って、話しに花が咲いてね、その先生とモロに意気投合しちゃったっけ!」

「らしいじゃん!」






私の鍼灸指圧のスタイルは、決してトレンドとは言えない流行もしていない古くさい紀元前の鍼灸指圧スタイルだけど、これこそがまさにこの手で26年間かけて「ジンジン」する指先の感覚を頼りに獲得した、気功を目的とした鍼灸指圧なのだ。

2015.04.22 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

命を耕す 25

「人間には七情というものが存在するとされています。

東洋医学の古典『黄帝内経』では、喜・怒・憂・思・悲・恐・驚。

仏教では、喜・怒・哀・楽・愛・悪・欲、の七つですね。

これに快や恨みを加えて考えてみると、人間の感情や心理が、筋肉の状態をみごとに左右していることが分かります。

喜とか快は、筋肉が緩むように働きます。その他のものは、すべて筋肉を縮ませます。

よく身が縮むとか手に汗を握るとか、息を殺す、奥歯を噛みしめるといった表現がありますが、あれは筋肉が縮む様子を言ったものです。

仏教ではもっと厳密で、喜だけが良気とされ、他のものは邪気とされています。

快という感情は、やりすぎることが付随するので、仏教では邪気とされています。

つまり筋肉を緩めるものが良気であり、筋肉を縮ませるものが邪気というわけです。

たとえば怒りですが、そのときに筋肉の状態を見ると、ちょうど猫が喧嘩をするように全身が逆立って骨格筋の全体が縮んでいます。

不安をもっているときは、顔から首、そして恥骨にかけて凝り、それが手足の先まで及びます。

恨みだと、後頭部から首筋、肩甲骨の内側にかけての肩が凝ります。

こういった縮み、凝りの状態が続けば、慢性筋肉疲労の状態になるわけですから、

自律神経やリンパ液、血液の流れが異常になり、病気につながっていくのです」

『慢性筋肉疲労を最新の触手療法でとりさる』
 
医学博士、全生医療道場主宰・福増廣幸  取材構成フリーライター 小原田泰久

(なにげなく暮らしているだけで、筋肉に少しづつ疲労がたまり、それがまわりまわって病気を引き起こす。第一線の心臓外科医がメスを手放し、自ら編み出した筋肉ネットワーク説を手がかりに、手と気だけで難病に立ち向かう)

引用「別冊宝島220『気で治る本』日本の気の医療、最前線!」宝島社








「身心一如」の何たるか?のすべてがこの冒頭の短い故・福増廣幸氏の言葉の中に余すことなく表現されています。

高度で難しいことをより難しく表現して箔を付けたがる専門家が多い中で、

これだけ高度なことをわかりやすく表現できる福増氏はやはり現場を知る第一級の治療師ゆえであったからと推察します。

西洋医学、東洋医学、仏教のすべてに精通して、最後に到達したのが人肌にじかに触れてヒトを癒すという気の医療、『凝り』との対峙という医療であった。

まことに、真理はとっくに誰にも等しく開かれていたといえましょう。

汝の身の『凝り』に聞くことで、汝の身心をコントロールしていく。

他でもない命の何たるか?を教えてくれるのは、自分の命なのです。

2015.04.21 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

命を耕す 24

「人の体というのは動きたいとおもうものじゃ。だが、はげしい運動はだめじゃ。

体をゆり動かすと穀物の気は消え、血脈はながれ、病気は生じぬ。

これはたとえば開き戸の軸が朽ちないのと同じことじゃ。

だからいにしえの仙者は導引をしたのじゃ。

熊みたいにぶらさがったり、梟(ふくろう)みたいに首だけ振り返ったり、腰や体を引っぱったり、あちこちの関節を動かしたりした。

そうやって老いないことをもとめたのじゃ。

わしに一術がある。なづけて五禽戯(ごきんぎ)という。

一にいわく『虎』。二にいわく『鹿』。三にいわく『熊』。四にいわく『猿』。五にいわく『鳥』。

これは病気をとりのぞくだけでなく、足をじょうぶにするのじゃ。だから導引をせねばならぬ。

体の調子がわるければ、たちあがって一禽の戯をすればよい。そうすればなんだか楽しくなって汗が出てくる。

そこで粉をつければ体が軽くなって食欲がでてくる。」

引用 大形徹「『不老不死』仙人の誕生と神仙術」講談社現代新書








いよいよ、中医学界のスーパースター、マスター・ヨーダ級のフォースレベルに到達した老師であり名医であった華陀(かだ)が授けた導引の極意『五禽戯』の解説である。

華陀は湯液にも鍼灸にも精通していたが、東洋医学が苦手とする外科にも通じていたことは余りに有名であり、それゆえに華陀は外科医療が発達していた西域のアラブ医学の系譜を踏襲するイラン人であったとする説も真面目に語られている。

またその外科手術には麻酔性の生薬成分を酒に溶かし込んで飲ませたと言われ、その麻酔薬は麻沸散(まふつさん)の名でよく知られているが、かの世界初の乳ガンの外科手術を世界に先行すること半世紀ほど早く実現した江戸期の漢方医、華岡青州はこの華陀の開発した麻酔薬である麻沸散(まふつさん)にヒントを得て、

麻酔性の主薬である曼荼羅華(まんだらげ、チョウセンアサガオの実・茎・葉)や、麻痺性の成分である烏頭(うず、ヤマトリカブトの根)などを配合した痛仙散(つうせんさん)を編み出したことも、よく知られた事実だ。

さて、この身体髪膚を修める内外東西の医療によく通じていた華陀は実は、未病治の養生法としての運動法、エクササイズの何たるか?をもしっかりと熟知し、

その持てる医療知識、技能をもってして後人のための指針となるエクササイズ法を指導していたことは好事家のあいだでは密かな伝説として語られてきた。

今で言うイメージトレーニングか、はたまたシュミレーション運動法というか、あるいはバーチャルなりきりメソッドとでも呼べる、ようはトラやシカやクマやサルやトリの動きを真似て、

その動物になった気分で体を動かすことで、気血の流動性を促進し、『流水は腐らず、戸枢(こすう)は螻(ろう)せず』ボディになるためのメソッドを開発していたのだ。

それがここで説明されている『五禽戯』という導引術である。

5つのアニマルになりきった時、あなたの身心がフォースで満たされるはずじゃ。

マスター・ハリー・コウハクは、これで時々、マイケル・ジャクソンになりきって『ブラック オア ホワイト』をBGMに踊り狂い、汗をかくことがある。

これもまた華陀の『五禽戯』の未来版に他ならないのじゃ。

わしもいよいよ、こんな口調になっちまって、まるでヨーダの領域じゃ(笑)

2015.04.20 | | コメント(4) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

命を耕す 23

「『清朝にはかつて多くの病人がいました。彼らはたくさんの薬物を飲んだり、また各種の鍛錬をおこなったりしましたが、なかなか病気は治りませんでした。

そんなとき、年齢のさだかでないひとりの老人が現れました。この老人は、声が鐘のように大きく、七尺の身体はがっしりとして、押しても微動だにしません。百数歳であろうというもっぱらの噂でした。

もの好きの人がこの老人にどれくらいの力があるかと思い、ためしに綱引きをおこなったとき、十人の人が縄の一端を力いっぱい曳いたが、老人は少しも動かされないどころか、かえって自分の面前まで十人を引っぱりこみ総くずれとさせました。

この老人は力が大きいだけでなく、一時間に四十余里(約10キロメートル)を往復できるので、人は〈 地仙 〉 と彼を呼びました。

彼は〈 延年九転法 〉という、ひとり按摩を練習していましたが、病気になり易い人が老人にこの功法を学んだ後には、薬を用いなくてすぐに病気が治りました。

これ以来、老人は別の病人にもこの方法を伝え、その人も同様に顕著な効果をおさめることができました』

これは民間の伝説ですが、当時の人々が按摩術を重視していたことが分かります。医家は多く、ひとり按摩を、経絡と経穴の理論に結びつけます。

中医は『腎を先天の本』として、ひとり按摩の際には、ツボの腎兪(じんゆ)、命門(めいもん)を擦するのをよく採用しますが、これをもって先天を養護する方法としています。

古代の医家はみな祛病延年(病を取り去り、長生きする)を宗旨としていますが、ひとり按摩の方法にもいろいろな流派が出現し、またそのためにひとり按摩法自体も充実して、多くの理論と経験が蓄積され、わたしたちの今日の養生防病に豊富な経験を提供しています。

・・ひとり按摩はこれからの『自我療法』や『自身修整』の方面で、人類の健康のためにきわめて大きな役割を発揮することと信じています。」

引用 永谷義文、孫維良 共著『中国式 ひとり按摩 その理論と実技』エンタプライズ刊







まるで最近になって、我が治療院の常連さんになった84歳の市井のプチ仙人のKさんのような、本当の意味での仙人というか、フォースの使い手が中国には実際にいるんです。

そんな逸話がたっぷりとエピソードとして綴られた秀逸の気功学習書が、先にコメント欄で推薦図書として挙げた

中健次郎「病気が治る『気功入門』DVDブック」マキノ出版、という本です。

まさにこの〈 地仙 〉やプチ仙人のKさんに負けず劣らないかつて現存し、今も生きている中さんが遭遇した幾人もの仙人の実話には、まったくもって現代科学に洗脳されきった現代人の度肝を抜くこと必至です。

でもね、気功の最終目的地は仙人になることではない。

あくまで自分の意識で自分の身心をコントロールできること、が気功を含む中医学、鍼灸指圧術の目標地点です。

身体の、どこもかしこも、自分で気持ちいいという感触を頼りに、押し、揉み、さする。

これが自己指圧、ひとり按摩、セルフマッサージであり、まさにこれこそが行気導引(こうきどういん)という最も原初的な気功形態なのです。

行気(こうき)とは、呼吸法によって気を体内外に巡らすことを言い、

導引(どういん)とは、気を宇宙からこの身心に導き引き入れることを言います。

ゆっくりと腹式呼吸を心がけながら、ひとり指圧、ひとり按摩、ひとりマッサージを丁寧に自分の身体に自分で施すとき、

あなたはその瞬間に豊かな身体との対話を通して大宇宙のフォースと一体となり、天人合一(てんじんごういつ)の仙境へと到達するでしょう。

はらね、そぐそこに「気の王国」へのチケットはプレミア付きで、散らばっているんですよ、フフフ(笑)

2015.04.20 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

命を耕す 22

[ 「 施灸によって、白血球数が著しく増加することについては、既に青池正徳博士や原志免太郎博士によって報告され、針灸界でもこのことは常識になっている。だがこれらは無病の動物に行った実験であり、原志免太郎博士の如きは、家兎に0.5グラムもの大灸をすえた実験である。0.5グラムの灸というと、人間の大人の拇指頭大にも相当する大灸であって、人間の体よりも遙かに小さい家兎にとっては、大火傷に該当するような過大な熱刺激である。だからこの実験を人体にあてはめて考えることは、妥当でないように思う。その後にも、人体に施灸した実験報告があり、白血球の増加が認められている。だが、それらは病体に施されたものでなく、正常な人体においてなされたものであった。そこで、病気のために白血球が著しく減少したような人間の場合に、灸を施して果して白血球が増加するであろうか。そうした実験報告がほしかった。ところが、私は子宮癌手術後にレントゲン照射をやって、それが過剰となり、骨髄における白血球の再生能力が低下して再生不良性貧血症となった患者の治療を引受けてやったことがある。それは2例だけであったが、2例ともが長期間病院に入院し、輸血をつづけ、どうしても白血球が増加せずに困っていた。お灸をはじめると白血球が増加しはじめ、根気よく針灸治療を継続することによって、白血球数が正常数に回復し、遂に治癒したのである。これについては、日本針灸治療学会で発表し、会誌にもその報告がのっている。ところが、本年(43年)になって、よい1例を得た。これは50才前後の男性で、睾丸に悪性腫瘍が出来、それを手術したが、転移と再発を予防するために、コバルトとレントゲンの照射を患部と腰臀部とに繰り返し行った。その結果、著しく白血球の減少を来たし、血液1ミリ立方に対する白血球数が3000以下となってしまった。もう既に生命にとっての危険信号である。病院側では、これが正常値(5000)にもどるに、少なくとも数カ月以上かかるといって心配していた。私がこの患者に、9月に全体的な治療を施して灸したところ、約1ヵ月の施灸で、今まで3000以下だったものが5000となったのである。病院側でも、この成績を見て非常におどろいているとのことで、私も非常にうれしい。私としては、この治験によって、人間の病体に施した灸によって白血球数が著明に増加したという実証を得たのが何よりうれしい。 」引用 代田分誌「針灸臨床ノート・下巻」医道の日本社

灸文化の衰退が、ガンや痴呆、アレルギーをはじめとする各種の免疫病の増大と密接に関わっていると推測します。ガン保険に金使うんなら、毎日、足の三里に灸したほうが、よっぽど「ガン保険」になりまっせ。↑ 文中の原志免太郎博士は、ご夫婦で60年間、毎日、足の三里と背中の腰のツボに、お灸をし続け、奥様は96才、原博士は108才の長寿をまっとうしております。博士のご子息が博士よりも先にご他界されてしまい、博士がもう一度、院長に返り咲き104才まで聴診器をもって診察にあたられたそうで、医師でありながら、身をもって灸の効用を実証してくださいました。深く深く感謝申し上げる次第です。とかく、西洋医学と東洋医学は対比して優劣論で語られることが多いような気がしますが、それこそ、ワンワールド支配層の双頭戦略の術中にはまる愚であり、奴らを利するだけかと思います。あえて、今まで医師でありながら鍼灸に取り組んだ方々を取り上げてきたのは、西洋医学を修めた医師でありながらも、東洋医学の発展に貢献して下さった方がいる事を知ってほしかったのと、実際に彼らの見解が非常に有益だからです。とらわれない、ニュートラルな思考・姿勢にも魅力を感じるからです。患者側にしてみれば、いかにリスクが少なく、早く病状を除去できるかということが最重要なわけで、東西医学の優劣など問題外でしょう。今日、久しぶりに、空き時間があったので、自分の体に灸をしました。快感のうちに、しみじみ、『日本の宝』だと感じ入りました。『気持ちいい治療』ってのが、東洋医学の最大の魅力でしょうね]








はい、これが少し手直しをしてありますが、2010年の10月のある日に某サイトの掲示板に私が書き込んだコメントです。

当時と今とあんまり言ってることが変わっていないことに皆さんも気づかれることと思います。

ただ、この代田分誌の治験例において注目すべき箇所がございます。

それはすぐに皆さんも着目した通り、いわゆるガンに対する放射線療法がガン患者の白血球数を著しく減少させてしまい、ガン患者の免疫力を大幅にスポイルし、ダウンさせてしまうことは、よく知られておりますが、

このガンに対する放射線療法の副作用が、灸治療をメインとした鍼灸治療によって非常に短期的に抑制されて、ガン患者の免疫力が即効的に回復したという驚くべき実例がここには記載されているのです。

実は私が受け持った私の治療院の患者さんに、初期のガンを手術した後に、抗癌剤を処方されて、やはり抗癌剤の処方後に白血球数が大幅に減少するという副作用を経験された方がおります。

しかし、この私の治療院のもとガン患者さんが、通常のガン患者さんと異なるのは、外科手術の前も後も、抗癌剤を処方されているあいだも、私の気功指圧と温灸を継続的に受療し続けて、

白血球数の劇的な減少を抑制し、免疫力を維持したことにあります。

彼女は、手足が痺れ、頭髪がすべて抜けてしまう猛烈な抗癌剤の副作用にも負けずに、私の気功指圧と温灸を受け続けて、ついに6クールの抗癌剤の予定を、主治医とかけあって4クールで終わらせて、

外科手術の後遺症となる足の付け根のソケイ部のリンパ節の浮腫も発生せずに、半年間の休業を終えて、ついに職場に現役復帰して、

今も元気に仕事に勤しみ、ヨガ教室へと通い、だいたい週1回のペースで私の気功指圧と温灸を今も継続して受療しております。

彼女はいわゆる今や殺人療法と呼び声も高い現代医学の癌の三大療法を受けながらも、なぜか殺されることはありませんでした。

なぜ彼女は殺人療法とチマタでは盛んに糾弾される抗ガン三大療法をされても、命を失うことはなかったのか?

それは彼女が私の気功指圧と温灸を味方に付けて、みずからの身心をみずからの意識でコントロールしようとしたからに他なりません。

そう彼女は癌を通して、気功的なライフスタイルを獲得したと言えるのです。

であるのなら、わたしたちは彼女を見習って、まだ癌になる前に、気功的ライフスタイルを一刻も早く手に入れるようにすれば、癌にもならずに、いまや日常的な危機となった放射線による被曝によって白血球数が減少することも防げるはずです。

私が今回のシリーズで、なぜ気功と指圧を取り上げているのか?

そろそろ賢明な読者の皆様は、感づいておられるでしょう。

福島第一原発事故からすでに4年が経過しました。

いまだ収束もせずに、噂では地下に溶け落ちた核燃料が最近になって再臨界を起こし、膨大な放射能プルームがまた地表へと噴き出して、全地球へと拡散しているとの分析も聞きます。

冒頭の治験例はあくまで外部被曝による免疫不全への防御に鍼灸術が有効であったという実例ですが、内部被曝においても免疫不全が引き起こされることから、

同じような未病治の養生法が有効であろうと予測できます。

内部被曝で体内に侵入した放射性核種をつまみだすネバネバな食養生にプラスして、ゲノムやタンパク分子の損傷を修復するヒートショックプロテインの分泌を促進する鍼灸指圧治療や行気導引エクササイズを習慣化したネバネバヒート養生法の実践は、

今後も実際に益のある有効な被曝対策の目玉、王道と私は見ております。

ネバネバとはネバネバせずとも、植物の細胞壁はすべてネバネバ多糖体であることを忘れないでください。

人参スティックで、十二分にネバネバは摂取できて、腹腔マクロファージから旺盛にインターフェロンが分泌されることで、抗ガン、抗ウイルスの無敵なハダカデバネズミ体質を獲得できるはずです。

フォースはオカネをかけずに、身近な実践で手に入れるが得策です。

脚下照顧

『気の王国』への鍵はいつも足元に転がっているのです。

2015.04.20 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

命を耕す 21

野澤「この世紀末になって、気の思想とか、東洋の思想というのが、日本で、そして、また中国で、ふわーっと浮上してきたというのは、何か、すごくシンボリックなことのような気がしてきますね。」

岸根「シンボリックですよ。東洋医学が見直されるというのは、ほんとうに、それを象徴していると思います。」

野澤「そういう方向に行ってほしいと切望しますね。」

対談『未来世紀 いのちのかたち』 引用「『気』が癒す」集英社






この二人の碩学による知的かつ先見的な対談が行われたのは、今をさかのぼる22年前にあたる。

果たして時代は、野澤さんが求めた通りに東洋医学を見直す時代を迎えているのか?

現状は冷徹に見れば東洋医学の認知度が増したなどというには余りに不甲斐なく、とても東洋医学が本当の意味で再評価される時代を迎えているなどとは言えないのだ。

いったいなぜ? そして誰の責任だろうか?

それは、他でもない自分の責任と言うことに帰着するだろう。

私が東洋医学界の惨状を見かねて、とてもこのままではどうしようもない、と腹をくくって、

ネット上において東洋医学の啓蒙活動を始めたのは2009年5月28日からで、今から約6年前、とあるサイトの東洋医学に関する掲示板であった。

その際には今と同じようにコンテンツの密度が高い資料をまず提供して、自分の意見を付記するスタイルで東洋医学に関する情報を発信した。

それなりに反響はあったが、一身上の都合でそこを離れてからも、折りに触れて東洋医学の啓蒙に励み、この自分のブログを開設してからは、

思いきり自分なりの東洋医学に関する啓蒙活動を実践してきた。

少しは成果があったかどうかはともかく、現状は依然として東洋医学の認知度は最低のままだろう。

世の中は一見すると膨大な健康情報が発信されており、今やネット上の健康指南番は素人、玄人を問わず、誰もがいっぱしの口を聞く時代を迎えている。

しかし、私が見るところ、そのほとんどはどこかの専門家の受け売りであり、つまりは誰かの意見の貼り付けであって、ようはヒトのフンドシで相撲を取っているブログがほとんど言える。

そうした中でもやはり、実際にヒトサマの身体をじかに触れて治療している有資格者である治療家の意見は、それなりに読ませるコンテンツを提供していると感じている。

私もこれまで多くの言説をこのブログで発信してきたが、そのすべては実際の臨床における手指の感覚をもとに醸成された『命を耕す』現場の哲学を背景に書き起こしたものである。

そのことをここでもう一度、強調しておきたい。

この『気』に関するシリーズも、足かけ26年間の現場体験の中で実際に『気』の何たるか?と対決し、

ようやく『気』らしきものの実体を朧気ながら掴めた感触があるからこそ、こうして記事を書いております。

ただ文献を漁り、ただネット上の誰かの意見をコピペするのではなく、実際のリアルな生きた『気』のありよう、

がこの手で把握できており、その感覚をもとに書き起こしているからこそ、この『気』シリーズはこれまで高評価を得ていると推定しております。

昨日は久しぶりに訪れた常連の御婦人客が帰り際に、「なんだか命拾いをしたよ。身体が軽くなって安心した。もっと早く来て身体を手入れしとけば良かった」と

感慨深げに治療後の爽快感を表現して帰宅されました。

身体は手入れさえしていれば、それに応えてくれるものです。

ある常連さんは「ここでやってもらってるから、私は風邪も引かないし、仕事が少しキツクても頑張れると身体に言い聞かせてると、本当にそうなる」と仰ったので、

わたしはその言葉を受けて「それこそが実は気功なんですよ。気功ってスプーンを曲げたり、ヒトを吹っ飛ばす事ではなくて、実は自分の意識で自分の身体をコントロールすることで、今、Sさんが仰ったことがまさに気功の本質なんです」

と解説してみせたら、「そんなこと、ぜ〜んぜん、知らないけど、本当にそうだもん!」とあっけらかんとした清々しい言葉を返してくださいました。

自分の意識で自分の身心をコントロールすること、それが気功です。

だから日々、気功的な生き方をしているヒトは、あえてエクササイズとしての気功法は必要ありません。

生き方そのものが気功になるために、気功エクササイズを学ぶ、というのが本当なのです。

つまり、気功エクササイズはあくまで手段であって、気功の本質ではありません。

でも、これだけ気を乱されるご時世にあっては、気功エクササイズも気功的な生き方をするために有効で必須な養生法と成り得るでしょう。

東洋医学界に対するありがたき応援であった「野澤・岸根対談」から20数年のブランクを経て、

本当の意味で『気』とは何かを人々に発信し、東洋医学の認知度を上げるための私の闘いは、まだスタートしたばかりです。

2015.04.20 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

命を耕す 20

野澤「あらゆる生物は、私たちの想像を超える偉大な生命力をもっていると思うんです。ところが、その本来の生命力が、今の地球、そして私たちを取り囲む自然環境のなかでは発揮されていない。トマトの巨木ができましたのは、発芽するときに『情報』を伝えているからなんです。『どんどん伸びていっていいんだよ』という気持ちとそういう環境を、発芽する時期に瞬間的に与えているわけです。エネルギーは、ほとんどかかっていない。生命のメカニズムというのは、情報なり、いのちの機能に刺激を与えることによって、それが促進されていく。」

岸根「エネルギーの問題じゃないですね。私は宇宙情報だと思います。じゃあ、なぜハイポニカ・ハウスで、それができたのか。あの場には、植物に与えられた宇宙情報と栽培者の心の相互浸透があるから、植物も安心して生長できた。私はこれは『気』の思想とも似ていると思うんです。気を宇宙情報と考えると、気は宇宙を形づくる根源で、生物も、人間も気によって生かされていることになる。私たちが知らなければいけないし、また最も知りたいのは、そうした見えない宇宙情報。つまり、不可視な宇宙の仕組み、本質なんです。私たちは謙虚に、ほんとうに無心になって、もう一度学び直さないといけない。」

野澤「そうなんですよね。」

岸根「ところが現代科学は見えない世界を理解しようとしない。これは人から聞いた話なんですが、あるお医者さんがこんなことを言われたそうです。『私は、臨床医だ。日々、生と死に対面しているから、死とは何か、生とは何か、命とは何か、を知りたいし、語りたい。けれども、私がひとたび、命とは何か、神とは何かというようなことを言えば、西洋医学者の私は、もうその場で生命を失います』現代の科学者は、物と心を分離する2元論の西洋科学にほとんど洗脳されてしまっていますからね。だから、パラダイム転換ができないんです。」

野澤「それは痛切に感じますね。」

岸根「たとえば、物体を見たとき、人はこんなもの生きていないと思っている。ところが、物体をどんどん分解していって、素粒子の段階になったら、素粒子はすごく躍動している。つまり、生きているんです。同じ宇宙の構成物質からできているものを、人間が勝手に個体とか液体とか有機体に分けて、固体や液体を無生物、有機体を生物と差別しているだけのことです。」

野澤「そういうことです。既成概念を全部捨てて、ほんとに無垢の状態になって、自然というものが素晴らしい大きな可能性を持っているという謙虚な気持ちになったとき、わかってくる。でも、なかなかわかってもらえないので、私、あまり言わないんですけどね。」

岸根「いや、堂々と声をあげておっしゃってください。わからんという人には、以心伝心というのが証明できますか?、と言ってあげてください。何も言わなくても、お互いに好き嫌いもわかりますしね。そういうものですよ。みんなそういう不可視な世界を見ようとしないだけです。」

対談『未来世紀 いのちのかたち』引用「『気』が癒す」集英社

野澤重雄(1913年生まれ。東京大学農学部卒業。協和株式会社会長。1本で1万2千個以上の実をつけたトマトの巨木を1985年の「科学万博つくば85」の政府テーマ館に出展し、科学技術長官賞を受賞)

岸根卓郎(1927年生まれ。京都大学農学部卒業。京都大学名誉教授、農学博士。地球環境の危機が叫ばれるなか、文明の転換を予見し、「グリーンルネッサンス運動」を始め、代表も務める)








この岸根卓郎博士の言説はあのオウム真理教の中枢が注目していたとも、どこぞで言われておりますが、ほんの少しだけ、こうした岸根氏の気に関する考えに触れただけで、岸根氏がいかに優れた思想家であるかが、一瞬にして理解できます。

かのデーヴィット・ボームはこの宇宙は見えているエクスプリシットオーダー(明在系)と、その見えている世界を生みだしている見えざるインプリシットオーダー(暗在系)によって構造化されていると仮説を立てた。

気の科学的研究では、気は変動する赤外線輻射や、変動する生体磁場、16ヘルツ以下の超低周波、イオン流、フォトンなどの微粒子、静電気などとして計測されている。

しかし、これは気の明在系におけるほんの一断片に過ぎないのであって、気の実体はこの科学的に物理計測で捕捉された氷山の一角の下に埋まる膨大な暗在系の実相を含むことは決して見逃してはならない。

もしも気が単なる物理現象であるならば、コタツやストーブに当たるだけで気は充分に補充可能だろう。

機械から発せられるエネルギーには、決して生命情報は乗っていないし、意念もこもっていない。

宇宙は宇宙の意識、意念、こころ、によって生じたのだろうか?

指先のわたしの意念は今日も気功指圧の診療の中で宇宙の本源の気と同化する。

2015.04.19 | | コメント(4) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

命を耕す 19

「『気』を考える上で、宗教の動作がヒントを与えてくれそうだ。仏教も、神道も、キリスト教も、道教も、仏ないし神に向かう時、両手を合わせる。こする、たたく、にぎる、と形式は異なるが、いずれも合わせるのは甲でなく、手のひらである。

そこで、自分の『気』を感知することのできる最も簡単な方法を紹介する。両手のひらを無理なく、自然に広げる。それぞれの指はくっつかないほどに離しておく。ようするに自然体である。左右の手のひらを向き合わせ、ソフトボールがはいるくらいの間隔にする。両目をとじ、呼吸を深くゆっくりとする。

問題は意識であるが、手のひらに集中し、手のひらで呼吸をしている『つもり』になる。

それが実は気功の大きなポイントである。

これをしばらくつづけると、両手の間に一種の実在感が生じるであろう。両手を押しつけようとすれば抵抗感があり、逆に両手を引き離そうとすると粘着感がある。

たとえていうならば、ゴム風船を両手のひらではさんだようであり、その風船が手のひらにピッタリと貼りついている。そんな感じである。

それが『気』である。

この時、他人がそこに手をさしこんだら、温かさを感じるはずである。これ以外にも、意識を臍(へそ)の下の丹田(たんでん)や、ひたいの眉間(みけん)に集中した場合、独特の感覚が生じる。

さらに、息を吸うときの意識が、足のかかとから背中を通り、頭のてっぺんまで、じょじょに息とともに移動する段階になれば、全身的な『気』の流れを感知することができるだろう」

引用 池上正治「『気』で観る人体 経絡とツボのネットワーク」講談社現代新書







気を自分の感覚で獲得した場合の体感は『八触』と呼ばれており、つまり8種類の気の感じが通常はあるとされる。その8つの気の感じとは

①熱い(温かい)、②しびれる、③涼しい、④重たい、⑤かゆい、⑥虫がはう、⑦はれぼったい、⑧だるい、

である。

とはいえ、気の流れるボディに隅々までキレイに気が流れていさえすればイイわけだから、気感を味わえなくとも別に何の問題もないのです。

余りに気を求めすぎると体内の気の流れが乱れて気のコントロールを失って『偏差』という状況が生まれ、幻覚を見たり、精神状態が変調する『走火入魔』というダークサイドに陥る危険性もある。

あくまで自然体にして、ソフトに少しづつ修練を積むが宜しい。

手の平に意識を集中する訓練くらいなら、ほとんど何も問題はないでしょう。

気感を得ずとも、『気』は常にあなたの「敵ではなく味方であり仲間」です。

フォースと共に。

2015.04.18 | | コメント(7) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

命を耕す 18

「近代医学の方法を無視してしまうということは原則としてありえないわけです。臨床的にも、感染症などに対しては近代医学の方が優れている面があるわけですからね。近代医学にはもともと二つの柱がありまして、一つは、細胞病理の研究です。これは外科手術の発達にかかわっている。もう一つは細菌学で、こっちは薬の研究開発にかかわっています。近代的な薬理学というものは、外部から体内に侵入してくる細菌などをやっつけるための方法として生まれてきて、それがだんだん体の器官の機能を良くするように働きかける薬物をつくるように発達してきているわけです。

ただ、この二つは両方とも、攻撃型の、悪いものをやっつけてしまうという考え方を基本にしている。これに対して、中国医学の伝統のなかにあるのは、簡単に言えば、自然治癒力を強めていくという医学観なんですね。

西洋医学ですと、自然治癒力とは保険衛生の領域に属することであって、病気にかからないように環境要因を抑制するという二次的な役割を果たすものに過ぎない。しかし、東洋医学は、病気になったときの対処の仕方というのはもちろんありますが、それ以上に病気にならないようにすることに力点がおかれている。

身体観では、体を気の流れる場として見るということ。

そして、医学的には、自然治癒力の強化を基本におく、というこの二つが東洋の伝統だということを注意しておく必要があるでしょうね」

哲学者・湯浅泰雄インタビュー『気の人間学へ向かって』
引用「別冊宝島103『気は挑戦する』」JICC出版局







命の本質を求めて止まない求道者たちを今、もっともホットに熱くしているブログと言えば、本ブログをおいてほかにございません。

さて、いよいよ本シリーズも佳境に入ってまいりました。

『命を耕す』熱い講義、第18本目がスタートです!

いわゆる気功という一種、不思議な健康法が一大ブームとなったのは、かれこれ25年前頃をピークとしますが、ちょうど当時、私は鍼灸の専門学校の学生でしたので、

鍼灸学校の学友には西野流呼吸法に通っている者もいたりして、それなりに気とは何か?に触れる機会が多くございました。

ただこうした派手なヒトを気で吹っ飛ばすような武道系の外気功や、スプーンを曲げたり、透視をしたり、物品を移動させるテレポーテーションなどの超能力のたぐいに属する「特異功能」は

テレビを主体とするメディアがセンセーショナルに取り上げるに充分な絵であった反面、メディアという魔物の消費力によって、

あっという間に派手な気功のこうしたほんの一面は一般大衆に飽きられてしまい、挙げ句の果てに気功による遠隔治療によって法外な治療費を要求した詐欺師の気功師が逮捕されるに及び、

またポット出のにわか気功師や最初から詐欺目的の日本人ニセ気功師たちの金銭欲が透けて見えるにいたり、この一時期、日本を熱くした気功ブームは坂を転がり落ちるように終息してしまいました。

しかし、そんな渦中にあっても、一級の哲学者や医療関係者たちがこの気功ムーブメントに着目し、気功の何たるか?に挑み、命の本質へと到達すべく静謐で高度な論考洞察を繰り広げていたことは見逃してはなりません。

本シリーズの冒頭の引用文はそうした様々な識者による優れた気功に関する論考から引用しております。

さて、本講義の冒頭引用文もたいへんに素晴らしい見解と目が覚める思いです。

前稿においても哲学者の湯浅泰雄氏の秀逸な気や東洋医学に関する論考が垣間見えます。

中国医学は死体を用いた解剖学に立脚せずに、生きた生身の命をもとにシステム化された医学である、との指摘はまことに正鵠を射て核心を突き、こちらの心臓を射ぬかれたように、ハッとします。

そうなのです。生きた生身のピッチピチの命の躍動こそが、気の溢れる生命の本質です。

概して気の臨床現場においては、子供や若者の気の動きは活発で、老人や病位が深く重い者ほど気の動きは不活発です。

この物質としての肉体は気という生命力のうつわ、容れ物に過ぎませんので、気の量の多少、気の動きの具合によって、生命の発現様態が変わってきます。

気さえコントロールできれば、命はその本文を全うします。

昨日は市井のプチ仙人の84歳のKさんが5度目の来院をして、また色々と面白い話しを聞かせてくれました。

なんでも「このあいだここで指圧をやってもらうまでは、50メートルを走っても息が切れてハアハアしてしまってたのが、今じゃあ100メートル走っても全然息が切れない」

と言ったので、ビックリして「走るって、どこを?」と聞いたら、

「な〜に、散歩の途中でいつも走ってみて、体調を確認してるだよ」

だそうで、どこまでも凄いプチ仙人の生き方に、こちら養生法の探求などと言っている若造は一泡もふた泡も吹かされてしまいました。

彼曰く、わたしの気功指圧を受けて以来、「とにかく嘘のように体が軽くなって、息が深く吸い込めるようになった」とのことで、昨日などは帰り際に、

「身体がこんなに楽になって、ほんとありがたいだよ・・・」と感極まって涙まで流して喜んでおいででした。

指圧師冥利に尽きるとはこのことです。

背中の左側の肩甲骨の下に居座っていた気のカタマリである凝りを押しても、今回からは前回まで程の痛みを感じなかったようで、ここにいた大物の龍も、小物の龍に孫悟空の毛をむしってフーッと一息するが如くに変化して、

虚空のかなたに同化していっているようです。まだあと少し気の淵には龍が棲まっているようです。

でも、この龍はKさん自身であるかもしれません。

余剰の気や詰まって溜まった気を、邪気(じゃき)とか邪実(じゃじつ)と、東洋医学では呼びます。

あるツボに溜(た)まってしまった気のカタマリである凝りという淀(よど)みが取り除かれて、滞(とどこお)っていた気の流れが元通りになって、新たな正気(せいき)が呼吸や飲食から宗気(そうき)や衛気(えき)や営気(えいき)となって全身経絡中に供給環流され、真気(しんき)が丹田(たんでん)に充実して、元気(げんき)が身体中に満つれば、命はハツラツとしてまた輝き出すのです。

Kさんの体が軽くなっていく自然治癒の過程を見ていると、まさに東洋医学とは湯浅泰雄氏が喝破した通りに

「体を気の流れる場として見て、自然治癒力の強化を基本におく」

ことの大切さを感じずにはいられません。

命は幽玄深淵にして、単純シンプルなのです。

心臓外科の第一線において物質的な命の中枢である心臓をナマで何度も触れてきた故・福増廣幸氏も、アメリカの伝説的ヒーラーで数々の難病をその手技ひとつで救ってきたオステオパシー医であった故・ロバート・C・フルフォード博士も、

最後の最後にたどり着いた病気の原因としたものこそが、体表筋肉の「凝り」でありました。

「百病は一気の留滞による生ずる」「流水は腐らず」

気の流れる身体に、気が滞りなく流れてさえいれば、ヒトは健康なのです。

「押せば命の泉湧く」

浪越イズムは現場の命の哲学です。

2015.04.17 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

命を耕す 17

「 Q. 近代医学の立場からは、気などいうものは受け入れることはできませんよね」

「これはもう、近代医学のシステムとは正面衝突してしまう。臨床医学の場面で近代医学と中国医学を結びつけたり、それが共存することはできるし、現実にそうなっているわけですが、理論的に結びつけることは非常に困難です。どこに困難があるかと言うと、近代医学は解剖学をベースに出発していて、この解剖学というのは簡単に言ってしまえば、死体の解剖から始まっているわけです」

「 Q. 命のない物質ですよね、死体は」

「中国医学の場合は、生きている身体から出発している。中国で死体の解剖をやらなかったというのはフィクションでして、実際はやっていた。古代には解剖学はかなりやられていたんです。それが、三国時代の頃から解剖に基づかない医学のシステムが完成していくんです。解剖学、つまり死体の観察と分析から身体を考えるということは、運動器官や内臓器官などのいろいろなオーガン(器官)の集合体として体を理解することが基本となる。それぞれの器官が、それぞれに機能を分担する、分業して体を動かしているという考え方です。ところが、中国医学では器官は一義的なものではない。気のほうが本質的な役割を果たしているのであって、器官は気の容れ物にすぎない。もっと言えば、身体それ自体が気の容れ物であり、気が流れている場が身体なのだと捉えるから、そもそもの出発点がぜんぜん違っているんです。

ところが、気というものが存在し、働いていることを立証するとなると、近代医学の方法をベースにしているかぎり、気は見えないものですから立証は非常に困難です。じゃあどうしたらよいのか?気を捕捉しようとするなら、気の現れてきた効果やその働きの結果をキャッチして、そこから気の性質を考えていくしかない。現在の気の研究はそういうやり方をしています。もうひとつの方法は、トレーニングを通して気を実際に体験してみる、あるいは気による治療効果をとらえていく。そして、この二つの研究成果をくっつけて、そこから気がなんであるかを考えていくということです。

中国を代表する物理学者の銭学森さんなんかは、唯象気功学ということを提唱しています。これは気の現象を記述していくということで、今の段階は、いろんな現象的データを集めてみる、それを蓄積する段階であって、その理論的な根拠についてはまだ解明できそうもない、と言っている。ぼくもそう言っていいと思うんです。物理学で例えれば、気体を加熱すると膨張する。そういう性質があることを経験的データとして集積していく。じゃあ、どうしてそういう法則が成り立つのか、気体の体積と熱の間には一定の定数があることが分かったとして、なぜそうなるのかという理論づけは今のところまだできない 、ー そういうことだと思います」
哲学者・湯浅泰雄との対談「気の人間学へ向かって」のインタビュー録より





全世界待望の「気の何たるか?」を知り、指圧の素晴らしさを再認識し、命の本質へと到達する、

今世紀最大の医学革命を成し遂げんとするアヴァンギャルド指圧師の今村光臣がお届けしている珠玉の名演説シリーズ(笑)、

「命を耕す」第17講義がここに開講いたします。

今日はちっと時間がないので、あまり書けないんですが、まずもって、連日本ブログに詣でてくれている常連読者の皆様には改めて多大なる感謝を申し上げます。

ありがとうございます。

それで、ここんとこまず記事のはじめにゴチンッ!としたコンテンツ密度の高い基礎資料を配置しているんですが、この基礎資料の数々が、実はもの凄く貴重なシロモノでして、

例えば本記事冒頭で取り上げたこの哲学者の湯浅泰雄氏も、先の記事で取り上げた福増廣幸氏もロバート・C・フルフォード博士も、

みな今やご他界されており、ナマの発言は今となってはもうここにあるもの以外は取れません。

さらに福増氏の発言などにいたっては、それこそ著書も1冊あるかどうかというほどに少なく、わたしから言わせれば福増氏のこの発言録などは億単位の価値があると思うくらいに貴重だと認識しております。

よって、皆さんはそんな超貴重な情報を指をワンクリックして手に入れることができたんだから、超超超幸せなんですよ!と実に恩着せがましく、強調しておきましょう(笑)

まっ、私の貴重な発言(笑)も、そのうち目一杯放出しますので、まずは気の何たるか?を知るための基礎資料となる本シリーズの冒頭文は再読再読で、

読書百遍意おのずから通ず、の要領で何度も読んでその身心に貴重なコンテンツをインストールしてください。

今日から極意は無しです。

あっ、そろそろ娘とネバネバヒートの朝ご飯を頂く時間です。

では、次回の講義まで、またね〜!

みじかっ(笑)

2015.04.16 | | コメント(3) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

命を耕す 16

「元東京理科大学教授・長沢元夫氏が、ある講演のなかで恩師・荒木正胤氏は、手を患者の体にスーッと触れていくと、体内で何が生じているかあたかもレントゲンのように分かる人であった、と話したのを聞いたことがある。また『鍼灸真髄』のなかで、代田文誌氏が沢田健について「指頭の感覚、神の如し」と表現している。私は実際には沢田健の診断とはいかなるものかとかねてより知りたいと思っていたが、あるとき著明な鍼灸の長老の方と会食をしたときに、「沢田先生の診断は手をかざして診断された」という話しを聞き、大いに得心がいったものである。なぜなら私自身がそのような「手かざし」による邪気診断をして大変な恩恵を受けているからである。私がそのような術を用いたのは、恩師・横田観風先生が治療の中で使っておられたので、それを自得し自らの診断に使用するようになったものである。この方法は体から発する邪気をキャッチするものである。キャッチした位置から垂直線を体の方向に伸ばして邪気の出所を捕らえるのである。するとそこが体の病んでいる場所である。ただし皮膚表面が病んでいるのか、その下にある臓器が病んでいるのかは推理しなければならない。この診断は基本的には面的なものであるが、正確に捕らえられるようになると、点で見られるようになる。今、私がこの診断法を語るのは邪気診断はこれしかないという意味で語っているのではない。手かざしでも接触法でも押す法でもいずれでも差し支えない。要は分かれば極めて貴重な診断情報になるということを言いたかったのである。・・今日の鍼灸界をみると、東洋医学ブームとは裏腹に停滞感を感じるのである。その理由は中医学もほぼ出尽くして新鮮味なく、これ以上の発展は期待できない(全くパラダイムを変更すれば別である)。日本の経絡治療も論ずるまでもなく停滞している。それはなぜかというと、いずれも人間の頭で概念分析したものであるから(五行もその一つ)、それは自分なりの枠組みを作っているだけなのである。枠組みを一旦作ってしまえば硬直化することは明らかである。だから我々の取るべき態度は、どこまでも事実を素直に見ていくということである。体に聞くということなのである。だから体に聞く技術を学ぶことが最大の課題なのである」引用 奥平明観著『邪気論 見えない身体への一歩』医道の日本社



今月4月に入って始まった本シリーズ「命を耕す」のメインテーマは今やその手技を正しく伝える者が減り、ちまたの無資格インチキ代替医療ビジネスの止めどない侵蝕により、

最早、絶滅は真逃れないであろう日本が世界に誇るクールジャパン文化!日本人が大正時代に発明した世界一の「おもてなし医療」である「指圧」をクローズアップする企画としてスタートしました。

早、記事更新回数も16回を数えましたが、日によっては通常のアクセス数がドンと跳ね上がり、ここ数日もグングンとアクセス数が増大しております。

またこれまで本ブログのコメント欄にコメントをしてくださっていた常連コメンテーターからも、「こんなシリーズを待っていた!」なる言葉を頂戴し、これまでで一番面白いシリーズである、などという評価も頂いております。

鍼灸指圧師になって足かけ26年間が経過しますが、これまで私は鍼灸業界でも、他所でも注目されたこともなければ、何らかの影響力を与えたこともほとんどありませんでした。

なにせもともとシャイな性格でして、余り目立つ事を好みませんからね。鍼灸業界の全国団体の会に所属していた時期も、古典鍼灸の研究会である脈診医学の研究会に所属していた時期も、まったく目立たないように隅っこの方に小さくなって棲息していたクチでしたので、

そんな自分がここのブログでは、随分と大きな口を聞いていることを考えると、何だかおかしくも思えます。

しかしそんなシャイな性分のわたしの気持ちを奮い立たせたのは、やはりこの素晴らしい東洋医学の伝統を絶えさせてはならない、という一念でありました。

もう手遅れかもしれませんが、奇跡的にも、もしかしたらまだ間に合うかもしれません。

浪越徳治郎先生がご存命の折に一大指圧ブームを起こし、浪越先生に触発されてその当時に指圧師の資格を取得して一時期を築いた指圧師たちが、今や高齢化して次々に店の看板を閉じて、廃業するか、寿命を迎えて鬼籍に入る時期を迎えました。

街中から「指圧」の看板が消滅するのは時間の問題です。

指圧を供給する指圧師がいなくなり、指圧を受けた経験のある患者がいなくなった時に、日本が世界に誇る最上の「おもてなし医療」である指圧という手技はこの世からなくなるのでしょう。

一歩、一歩、その瞬間が近づいているようでなりません。

果たしてそれで本当にイイのだろうか? いや、イイわけがありませんね。

ピンチはチャンス!

「チャンスは準備の出来た者に微笑む」 by ルイ・パスツール

いよいよ、シャイなわたしもここにきて、待ったなし、気合充分です。

東洋医学イノベーション!

マンネリ崇拝の旧態依然とした東洋医学時代を終わらせ、新たなムーブメントを巻き起こすぜ!

ということで、本シリーズを今後ともよろしくお願い申し上げます。

冒頭の発言は鍼灸家の奥平明観氏です。横田観風氏を代表とする日本鍼灸研鑽会の精鋭部隊の筆頭の人物の発言は、やはり凄味を感じさせて、ひと味もふた味も違います。

実は私の鍼灸学校の学友が、横田氏の「いやしの道協会」の会員でして、彼は今や古典医書の解読をライフワークに、日々、鍼の診療に勤しんでおります。

まさか彼にそんな才能があるとは学生時代についぞ思いませんでしたし、私がこんなにアヴァンギャルドとは、恐らくは彼も今頃、仰天していることと思います。

日本鍼灸、日本指圧を継承し、後世に伝えていく、という一点では二人の気持ちは一致しておりますが、なにぶんお互い忙しい身ゆえに、まず遭うこともなく、年賀状のやり取りのみの付き合いがこれまで続いております。

今度、もし彼と会う機会がありましたら、大いに話しの花を咲かせたく思います。

この冒頭引用文で奥平氏は非常に重要な指摘をされています。それは今の鍼灸界がマンネリズムのドグマの反芻という呪縛に陥り、いっこうに新しい動きがないことの指摘であり、

また陰陽五行理論という論理の世界にはまりこみ、頭でっかちになってしまった東洋医学には未来がない、という主旨の指摘です。

わたしもまったくこの意見には賛同します。

そして最も重要な指摘が「我々の取るべき態度は、どこまでも事実を素直に見ていくということである。体に聞くということなのである。だから体に聞く技術を学ぶことが最大の課題なのである」の部分です。

この引用文の最初の方に出てくる名前は、まるで「鍼灸界ジェダイマスター列伝」と呼べる錚々たる面々が顔を揃えていて、私などはそれだけで狂喜乱舞しそうです。

先月かと思いますが本ブログのガンと食養に絡めてのトピックの際に取り上げた『漢方問答』の著者である鍼灸家にして漢方家であり仏僧であった荒木正胤氏もまた、

オステオパシー医のロバート・C・フルフォード博士や、『触手療法』の福増廣幸氏や、アヴァンギャルド鍼灸指圧師の今村光臣氏(笑)と同じく、「気」の何たるか?を捕らえることができる手指の持ち主であったとは、

なんだかとても嬉しく思えます。

先人が築き上げた論理系体を尊重することはやぶさかではありませんが、それはそれとして、私は常に患者さんの体を先生とし、患者さんの体の「凝り」を師匠として、これまで自分の医学観を育んできました。

やはり「気」こそが生命力の本源なのです。

まずヒトがヒトに触れなければ、医療など始まりません。

「手当て」が「手当て」であり続ける限り、指圧も、鍼灸も絶滅することはないでしょう。

いついかなる時も、「体に聞くということ。体に聞く技術を学ぶこと」が私たち鍼灸指圧師の原点であり灯明です。



『極意その八 指圧の未来は今のおれらの努力いかんにかかっている』


なんだか極意が決意とか格言になってきました(笑)

まっ、細かいことは余り気にしないでください。

なにせアヴァンギャルド指圧師ですから、うんっ、アヴァンギャルドというよりもアバウトじゃね?

どっちでもエエがな(笑)

2015.04.15 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

命を耕す 15

「気というのは自然法則のことです。からだは自然に、昼間ははつらつと働き、夜になると沈静して披露を取るために眠くなる。これは気が動いているからにほかなりません。それを、夜のからだで昼間のように働いても思うように働けませんね。それでも働こうとすれば、気の動きに異常が出ます。つまり、法則が誤作動を起こしているわけです。それが病気の原因になります。じゃあ、治すためにはどうしたらいいか。誤作動を起こさせているものを取り除いて、法則性を取り戻せばいいわけです。人間には、自然治癒力という自分で治ろうとする力があります。その力が働こうとするのを止めている何かがあるから病気は治らない。その何かを取ってしまえば、病気は治ってしまう。簡単なことなんですね。自然治癒力の働きを邪魔しているものは何かということですが、これは人によって解釈が違う。僕の場合は、それが『慢性筋肉疲労』だと思っている。それを信じるかどうかは受け手の自由で、僕はそういう仮説を立てて、それを実証しようと、今やっているわけです。・・筋肉というものは、使えば疲労するし、休めば回復すると、漠然と考えられている。でも、いつどのように休めば回復するのか、誰もそのメカニズムを説明できていません。さきほど、自然法則という言葉を使いましたが、筋肉は自然法則に従った使い方をしていれば、疲れは自然に回復し、病気などしなくなるんです。自然法則こそ気ですね。つまり、気が滞っていないかどうかは筋肉を見れば分かるんです。自然法則に沿った生活をしていないと、気が滞ります。これは、筋肉の疲労、凝りとして身体に現れます。筋肉疲労は、自律神経やリンパ液、血液の流れに悪い影響を与えます。そして、それがいろいろな病気の原因となるのです。筋肉疲労を取ってしまうと、自律神経やリンパ液、血液の流れがスムースになっていく。そうすれば病気も治ってしまう。そんな仕組みなんです」独自の手技『触手療法』を創始した、もと心臓外科の世界的権威の西洋医であった医学博士の故・福増廣幸氏の発言録より



世界一ハイレベルで、世界一濃厚で、世界一コンテンツ密度が高い東洋医学史2000年来のこれまでの常識を覆し、あらたなミレニアム東洋医学のスタンダードモデルを打ち立てんとする希代のアヴァンギャルド指圧師が挑む渾身のライフワークの精髄!

今あなたの医学観は音もなく崩壊し、まったく新しい東洋医学観、身体意識がその身心にインストールされる!

この快感と衝撃にアナタは付いてこれるか?!!!!!!!

さて、『絶対に真似したくなるプロが教える究極のツボ養生法』シリーズの第七弾がここに始まりました!

お陰様でアクセス数もうなぎ登り!春だというのに余りに寒い気候異変とは打って変わって、こちらサイトは余りに熱くてヒートショックプロテインがビシバシと分泌中です。

マスター・ハリー・コウハクも乗ってまいりました!

さて、冒頭の発言の主である福増氏の経歴を少し列記しておきます。はい、こんな感じです。

「1941年生まれ。京都大学医学部卒業。医学博士。県立尼崎病院心臓血管外科、国立姫路病院心臓血管外科に勤務の後、アメリカのユタ州へ医学留学する。4年にわたり人工心臓の研究・開発に取り組み、人工心臓を埋め込んだ牛の延命の世界最長記録を達成する。その後、旧東ドイツの国立ロストック大学医学部附属病院客員教授を経て、帰国後は心臓外科の第一線で活躍する。ロンドンのヘアフィールド病院の心臓移植チームにも所属した経験をもつ」

どうですかね?余りに凄い経歴に、こちら野人はもうバンザイするしかありませんね。

このとてつもないハイレベルの心臓外科医としての西洋医のキャリアを「東洋医学を極めるための西洋医学」と、アッサリと下積みとしてしまい、晩年は「凝りに気を送りながら、凝りをほぐしていく」独自の手技である「触手療法」を編み出して、

万民の救済に勤めた、まことにこれぞまさに「医は仁術」の体現者であったと言えましょう。

こんな素晴らしい医人がいたことを、みなさん、これまで知らなかったでしょ?

東洋医学関係者だって、恐らくはほとんどノーマークだったんじゃない?

どうも、福増氏の著作は1冊あるかどうかくらいで、1991年あたりで50歳近辺でご他界されている。

50歳くらいでのお亡くなりでは少し若過ぎですね。あと30年生きていてくれれば、東洋医学界に相当の変革の嵐が吹いたかもしれません。

しょうがねぇ、不肖オレが福増氏の遺志を引き継ぎまっせ!

ちなみに福増氏の手技の実際がどんなだったかというと、これは手の内のことゆえ、詳細は分かりかねますが、ものの本によれば、

「患者さんの呼吸に合わせて、力の具合を調整しながら、新しい凝りはソフトに繊細に、古い凝りにはギューッと力強く触り、凝りのポイントだけでなく、筋肉全体をネットワークシステムとして捉えて治療していく」

と、こんな主旨のようでした。

だいたい、自分の治療術とも一致しますが、もちろん、私の治療とすべて同じではないでしょう。

アメリカの伝説的なヒーラー、オステオパシー医であった故・ロバート・C・フルフォード博士の手技と、もと心臓外科の世界的権威で晩年に独自の治病術「触手療法」を創始した故・福増廣幸氏の手技と、苦節26年にしていまだ無名のアヴァンギャルド指圧師の現生・今村光臣が到達した独自の「気功指圧」の三者の手技には、

どうも共通点があるようです。

それは人体上に存在する生命力の発現をブロックしている「凝り」をその手指で捉えて、その「凝り」を独自の気功法で取り除くという点です。

道具を使わない手技が、道具を使う鍼灸よりも劣る、というようなことは決してございませんし、

また手技をもってして気の何たるか?を触知できない者に、手技うんぬんをとやかく言われる筋合いはございません。

鍼灸界には手技を一段低い医療と見なすような意味不明な偏見があるように感じられます。

手技で気を捉えようとしないで、道具ばかりに頼るような「ぬるい」風潮の中から、新しいモノなど生まれようもありません。

旧態依然として、ここ2000年の東洋医学観をマンネリに踏襲するのみの、現在の東洋医学界と縁を切っているからこそ、こうした自由で挑戦的な発言発信ができるのです。

本当にその手でリアルに「気」が感覚できなければ、何をもって東洋医学と言うんだい?

「気」の何たるか?を本気で語れるのは、「気」を実感し、実際に「気」と対話できる者だけ。




『極意其の七 指圧は気の何たるかを知る医療である』


新・東洋医学は、フルフォード、福増、今村の三者から芽生えていく!

なんちって、フフ(笑)

2015.04.14 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

命を耕す 14

「親父は、気合術のようなもので病気を治していました。近眼治療の名人やと言われていたんですね。きっかけは、自分の近眼をあるお坊さんに治してもらったことだったそうです。そのお寺へ通ううちに、気が出ているからと、親父はお坊さんに気の治療法を伝授されたんです。そのことをおふくろから何回も聞かされていたので、病気治療への興味はおのずと高まり、『医者になろう』という気持ちを、小さいころから持つようになったんです。1ヶ月前くらいに、54年ぶりに親父の供養をやったんです。そしたら、治療効果を示す親父が記録したデータが出て来ました。これがすごいデータで、親父の治療で、たくさんの近眼が治っているんですね。それも、視力が0.3くらいの人が約15日の治療で1.0まで回復しているんです。現代医学では、近眼は体質的なものとされていて、そう簡単には治らないものという思いこみが、医者にも患者にもあると思うんです。でも、この親父のデータを見ると、けっしてそうじゃないことが分かる。近眼だけじゃなくて、いろいろな病気、難病と言われているものは、現代医学が治らないと錯覚してしまっている。そして、治らないような理論が組み立てられているとしか思えませんね。でも、そんな現代医学が治らないとしている病気が東洋医学で治っている。その理由を探っていけば、何千年も続いた東洋医学の真髄が見えてくるんじゃないですか。・・(父親の遺した治療データには、何やらモールス信号のような暗号めいた記号が書かれていた。それが現在の自分の治療法と密接に関わっていると直感した時に、福増氏は、目に見えない力の存在を感じずにはいられなかった。福増氏の治療術は簡単に言うと、手で患者さんの身体を触り、気を送りながら、患者さんの筋肉の凝りを取っていく治療法である。福増氏の父が書き残したモールス信号は、実はどんなリズムで凝りに触れ、気を送れば効果的か、を示したものだったのだ)・・私の物の考え方は、おのずと育ったんで、自分で努力して育てたという自覚を全部に持てるかというと、そんなことはないわけですよ。たまたま、死んだ親父が気合術みたいなものをやってた。その息子やという自信過剰があった。おふくろが仕事をもっていたので、私は自由に育って、とんでもないことばかり考えることができた。京大の医学部へ入って、さらに自信過剰になった。でも、その自信過剰が、他の人やったらつまずいていたことも乗り越えさせてくれた。というような偶然が積み重なって私というものがあるんです。こういったものは、ふつうたまたまとか偶然として片付けられるけれど、本当はそんなものじゃないかもしれない。私は、何かの意図でそんなふうに作られてきたのかもしれない。そうやって作られることを、私は輪廻転生やと思うんです」
独自の手技である『触手療法』を創始した、もと心臓外科の世界的権威であり医学博士であった故・福増廣幸氏の発言より


ベッドサイドのプラトン?畳のうえのソクラテス?いや、その実体は単なる誇大妄想狂の変人指圧師でんがなぁ〜!

あやや、随分とまた、すべってますね、ハリーの旦那は(はい、自分でボケとツッコミやって世話ねぇなと 笑)

ということで、本日は休業日なので、なんとなんとの、あの超人気シリーズの第五弾の前稿に続いて、2講目の第六弾をここに御披露しようってんだから、まったくマスター・ハリー・コウハクは太っ腹だぜ!

痩せてるけどね(笑)

はい、馬鹿っぱなし、はこのぐらいにして、まあ惜しい人をね、東洋医学界も失ってしまったもんです。

この冒頭の発言の主である福増氏がもしも、もっと長生きして、多くの著作をものし、多くの病者を救い、多くの医療者を啓蒙していたら、もしかすると、今後2000年をリードできる新たな東洋医学のスタンダードモデルを生みだしたかもしれません。

しかし、神のいたずらか、悪魔の采配か、福増氏は志し半ばで、50代を少し過ぎてアッサリと鬼籍に入られました。

「手で患者さんの身体を触り、気を送りながら、患者さんの筋肉の凝りを取っていく治療法」とは、まさに私の気功指圧なのです。

同じ境地に達している者がいることが、どれほど嬉しく励みになったか。

そして、もっと彼の言説を知りたいと思った時に、すでに彼がこの世にいないことを知った時に、どれほど悲しんだか。

輪廻転生とは、志しを引き継ぐことを意味するのなら、私はまぎれもない福増氏が輪廻転生した人間と言えるかもしれません。

彼の到達した境地とは、端的にひとことで申せば「凝りこそが病気の原因」となりましょう。

心臓外科の第一線で活躍した世界に誇る日本の西洋医が、最後に到達した真の病因が「凝り」とは何とも、拍子抜けするかもしれませんが、凝りと対峙し続けてきた私には、福増氏の言いたいことのすべてがハッキリと分かるのです。

凝りを通して気を実感してきたからこそ、今、こうして、私の持てるすべてを公開できるのです。



『極意其の六 指圧は命の本質を悟る医療である』



『凝りは敵ではなく味方であり仲間であり、命そのものである』

2015.04.13 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

命を耕す 13

「ある大学の教授が手遅れの口腔癌となり、筆者に紹介されてきました。舌癌が進んで口腔底全体に波及して口が開かない状態となっていました。手術をしても助からないので、抗癌剤と放射線療法を行いました。患者さんのたっての希望で、病院には内緒で気功師を呼んで週に2回、病室で気功治療を受けていました。筆者にだけコッソリと教えてくれましたので、気功の効果を客観的に観察してみました。現代医学による抗癌剤と放射線療法の抗ガン治療が1クール終了した後にも、気功を続けたところ、抗癌剤と放射線療法がガンの転移巣には効果のないはずなのに、ドンドンと癌病巣が縮小して、口も開くようになりました。気を投入しているときにガン病巣に痛みを感じるとの訴えが患者からありましたので、気功療法は恐らく体温と同じ電磁波であろうと筆者は考えて、30枚程の写真を気功師が気功治療をしている際に撮影してみました。そのうちの5枚くらいの写真に、気の投与中に気功師と患者さんから光りが出ているものが撮影されましたので、医学的に気功を考えると生命エネルギーの電磁波が患者の腎臓の上部にある内分泌器官である副腎臓器に作用して、副腎皮質ホルモンが分泌され、この作用で免疫力が増強されてガン転移巣の癌細胞が白血球によって貪食消化されることが予想されました。白血球による細胞レベルの消化には、内呼吸つまり細胞レベルの呼吸(ミトコンドリアによる内呼吸)が必須ですから、この患者さんに外呼吸として釈迦の横隔膜呼吸法を指導しましたところ、効果がてきめんでCTでわかるほどに癌が縮小しました。ベッドで寝ながら呼吸法を続けたところ、患者さんが自分でも分かるほどに癌が縮小してきたころ、突然、横隔膜呼吸の途中でお産にソックリの運動をするようになったと筆者に報告がありました。本人が言うには、「男なのに、どう考えても足と腹の動きが出産運動と同じで、顎(あご)に残っている癌を身体が腹から胎児のごとくに排除したがっているようです」と報告するのでした。大きな癌組織は、完成した胎児と同様にその細胞膜にMHC(主要組織適合性遺伝子複合体)を持つ肉塊となりますから、横隔膜呼吸法を続けると、余った栄養の完成体の赤ちゃんの排出・出産と同様に鰓(エラ)の排出のシステムが作動し、足と腹を使って出産運動をする遺伝子ゲノムの引き金・トリガーが引かれるのです。もとより、男性にも乳腺が存在し乳房があるごとくに、出産機能の筋肉の連鎖運動も遺伝子として男性にも存在するのです。この例でわかるように腕と脚はまぎれもなく、ヒトの生命史における魚類時代のエラの機能である酸素や栄養の取りこみと、老廃物の大小便と余剰栄養の完成体である卵、胎児の排泄出産の補助器官としてのエラ機能を継承しており、エラの進化した手足の運動は生命のいとなみの最も重要な呼吸排泄の装置の一部なのです」
引用参照 西原克成著『内臓が生みだす心』NHKブックス


ええと、なんだっけ、思い出すのも大変な大仰なコケオドシの私の出世名は?

トドだっけ?「オーウッ、オウッ!」

いや違う違う!わしゃあ、海生哺乳類じゃあないわい(笑)う〜んと、そう!

「 ベッドサイドのソクラテス、畳の上の哲学者、希代のアヴァンギャルド指圧師 マスター・ハリー・コウハク 」

が養生健康の秘訣を求めて悩める人類72億人にお届けしている各界騒然!コアファン随喜垂涎の

「絶対に真似したくなるプロが教える究極のツボ養生法」の第5弾講義、いよいよここに本日開講です!

だいたい人間ってのは飽きっぽいもので、オッと思ったネタもすぐに食傷気味となって、「なんだよ、またおんなじかよ、ツマンネェなぁ、もっと、面白いネタを持ってこんかい、この大言壮語野郎がっ!」

と、まったくアイデアを出す側の苦労も知らないで、勝手でわがままな事を抜かすものです。

ということで、少し自分を粉飾するデビュー名も変更してみました。なかなかイイでしょ?ちょっとサッパリ系の塩味ラーメンみたいで。

ちなみにアタシは牧之原市のラーメンダイナー「くりめん」さんの担々麺が好きですがね。あっ、レアな地元ネタでスンマセン(笑)

さて、私のどうでもいい馬鹿っ話しで少しリラックスして全身の気が緩んだかと存じますが、そうこの冒頭の文章のなんとも言えない緊張感に満ちたハイレベルでメタリックな硬質感というか、コンテンツのこの密度、内容の濃さには皆様も圧倒されたことでしょう。

こういうね、普通に出版されているごくごく普通の正統派の臨床医学者の発言から、気功がらみの文章を見つけて来て、こうやってバッと公開しちゃう、

というところが私の実にアヴァンギャルドな性格をよくよく表していると思うんですよ。そう思いませんか?みなさん!

この文章の中には、本当に多くの養生のキモとなる濃い情報が満載されており、本来は素人さん向けに、さらにこの文章を細かく咀嚼して噛み砕いて解析して、

エスプレッソで濃厚な苦味ばしった大人の文章を、あっさりと飲めるお子ちゃま向けのアメリカンかミルク入りラテにまで薄めて甘くして飲みやすくする作業を私がしなくてはいけないのですが、

取りあえず、ほんの少しだけそれをやってみますと、本シリーズとの関連アイテムをこの文章からピックアップしつつ俺流のアレンジでヌーベルキュイジーニュに味付けしなおすと、

「気功治療中の写真から判明した気功治療により患者さんと気功師の両者から光りが発せられる事実からは、患者さんと術者の気がまさに交錯しスパークしている証拠がエビデンスとして立証されたと言えるのであり、この患者さんと術者の気の電磁波の共鳴によって、患者さんの免疫細胞が活性化した結果、ガン免疫も活性化し、NK細胞やキラーT細胞やマクロファージの癌細胞を貪食消化する免疫細胞が活躍して癌細胞はアポトーシス誘導されて消去されてしまうことがわかった。また外呼吸の肺呼吸と内呼吸のミトコンドリア呼吸を活性化させるための簡単な腹式呼吸法や手足運動のエクササイズがもたらす免疫増強作用、HSP分泌も実に優れた養生アイテムだ。わたしの気功指圧は気功をしながら、指圧をするのだから、気功で患者さんの電磁波環境を整えながら、全身の血流を促進し、もっとも大事なラインである背骨の両側のツボを中心に、副腎のツボももちろんしっかりと押しながら、最後の仕上げには手足の指圧を必ず忘れずに施して治療を終えるのだから、まったくもってどれほど伯龍式の気功指圧が素晴らしいか、がこれでお分かり頂けたかと存じます」

と、こんな感じになります。

えっ?「おい、ステマ満載じゃねぇか?」って?

はい、だって、『鍼灸指圧 光伯堂』サイトに併設しているブログが本ブログですからね。

ステマも何もこのブログは本来は光伯堂の営業宣伝のためにあるのです。

でも、今までそうした宣伝めいたブログ記事はいっさい書いてきませんでしたので、たまにはイイでしょ?(笑)

リンクに貼ってあった『光伯堂』をクリックしても、『鍼灸指圧 光伯堂』サイトが開かないとの、クレームが寄せられたので、

リンク名を『鍼灸指圧 光伯堂』に改めて、ちゃんとクリックして開くようにしときましたので、その旨もよろしくお願い申し上げます。

無駄話はともかく、実はここ日本には本当の意味で気功的なとてつもなく優れた医療が大正期に編み出されて、すでに先達により完成の域に達し、こんにちまで細々とではありますが、なんとか継承されていたのです。

奇跡の医療は、街中の目立たない超ジミ〜な『指圧』の看板がある建物の中で、ずっと行われていたのです。

この万病を予防し、万病を治療できる可能性を秘めた日本が生んだ独自の手技も、今や無資格代替医療モドキビジネスの百花繚乱の繁盛の前に、まさかの風前の灯火です。

日本人が日本固有のクールジャパンな医療を応援しなくて、いったい誰が応援すると言うのでしょう?



『極意其の五 指圧こそが日本が誇る世界一の「おもてなし医療」である』



この極意5を、何度も何度も暗唱してください。

さすれば、指圧道は永遠に不滅です!

2015.04.13 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

命を耕す 12

「人体にくまなく浸透し、それを包み込んでいる生命場は電磁気エネルギーでできている。そのエネルギーが体内にあるとき、わたしはそれを『生命力』と呼ぶ。バー博士(『生命場としての動電場(エレクトロ・ダイナミック・フィールド)』仮説を提唱したイエール大学・神経生理学教授だった故・ハロルド・サクストン・バー博士)やライヒ博士(人体や宇宙のすべてが気のような『オルゴンエネルギー』で満たされているとする仮説を提唱したウィーン出身の精神科医である故・ウィルヘルム・ライヒ博士)のほかにも生命力について書いている人はたくさんいるが、わたしがその存在を信じている理由のひとつは、自分がそれを頼りに仕事をしてきたというところにある。生命力についての知識がなければ、わたしは決して多くの人を助けることができなかったはずだ。オステオパシー(整骨術)の手技の訓練のおかげで、わたしの手はいつのまにか、患者のからだにさわるだけで、エネルギーの動きやブロックのようすが感じ取れるようになったのだ。指に感じる生命力とはどんな感覚なのかと、多くの人に聞かれる。ことばでうまく表現できないが、なんとか説明しようとすれば、ピリピリするような感じということになるかもしれない。ライヒもそうだったが、それがいちばん近い実感なのだ。健康で生命力にあふれている人にさわるとき、わたしの手も『ジンジン』するように感じる。しかし、指がすべっていかずに立ち往生するようなときは、その人の身体も鈍り、生命力がブロックされていることがわかる。ときどき生命力がほとんど感じられない患者がいる。そんな人をわたしは『ブランク』と呼んでいる。空白としか感じられないのだ。生命力の流れが悪いので、からだに手を当てて動かしていっても、引きつったような感じで、あるところから先は手がすべっていかない。生命力の流れの多くは、こころによって調節されている」引用参照「ロバート・C・フルフォード博士&ジーン・ストーン著、上野圭一訳『いのちの輝き』翔泳社」



「開祖老子 爾来相伝弐千年 元祖気功式日本指圧 普及会 伯龍会 初代代表 指圧道マスター・ハリー・コウハク総帥」

が渾身の気合いを込めてお届けする各界騒然!コアファン垂涎の「改題 絶対に真似したくなるプロが教える究極のツボ養生法」シリーズの第4弾、本日堂々の開講です!

さて、私の肩書きも見ての通りいよいよコケオドシ満艦飾で、余計な尾ひれが幾つも連なって怪しさ満点です(笑)

だいたい「詐欺師の門構え」と昔から言うように、詐欺師ほど見た目に気を遣い見栄えを気にするものです。「人は見た目で99%判断される」みたいなタイトルの本も最近は話題になりましたから、詐欺師は人の心のツボをしっかりと押さえている、偽りの世界の気功師(笑)といえるのかも知れません。

とはいえ、わたしの場合はその言説も臨床における実技もいっさい詐欺的なモノは皆無で、こちらはホンモノの世界の気功師の話なので、安心してこちら本ブログに日参詣でして頂ければありがたく思います。

さて、すでに本ブログ読者のみなさまはテーマパーク『気の王国』の切符を手にして、入り口ゲートをくぐりぬけて、最初のアトラクションの第一層の場の中へと入り、そこの第一の階段である龍の意匠が施された「意」のステージへとファーストステップ、一『歩』だけ足を踏み込みました。

しかし、この『気の王国』のアトラクション『三層九歩』が、いったいどんなモノか右も左もまったく分からないというすべてが初体験となる未知なる気のワンダーゾーンに皆様は迷い込んだも同然ですから、

これから皆様を先導し、正しい階梯へと誘導できる指導員というかアシスタントというか、エヴァンジェリスト(伝道師)というか、スタッフというか、ようは手取り足取りお手伝いをしてくれる介添人を皆様は欲しているはずです。

もちろん、私がその役目を引き受けますが、それだけではいささか心細く思われる方も多々おられましょうから、冒頭のフルフォード博士のような素晴らしい気の使い手の言葉などを引用することで、

より深く気の世界を理解し、『気の王国』をフルに楽しんで頂けるようにサポートしていきます。

フルフォード博士がその手指で掴んだ気の実感と、わたしがここ26年間の気功指圧の修練で獲得した『指先の向こう』の気の感覚は、もののみごとに一致します。

この冒頭引用文の最後でフルフォード博士が『ブランク』と呼ぶ状態を、私はこのシリーズでは『癌の凝り』として、同じように表現しています。

どんなにこちらが気を込めて指圧しても、反応しない凝りが存在します。こちらの気の呼びかけに応えてくれない凝りと遭遇すると、命と命がスパークすることなく、龍が交錯し、脈動し、飛翔することもありません。

ガン、パーキンソン症候群、筋緊張性筋ジストロフィー、多系統萎縮症、リウマチ、重度のアトピー症などに発現してくる凝りは『ブランク』に属する凝りです。

こうした凝りに遭遇しても、私は健康な凝りに対するのとまったく同様に気を注いでいきます。

例えすぐに反応しなくても、いつかきっと私の気に反応して固くなってしまった気のカタマリが動き出すことを期待してのことです。

通常の東洋医学ではこうした宿痾と化したような凝りを邪気とか邪骨と呼びますが、わたしは決してそのようには呼びませんし、そのような扱いをしません。

例えもの凄く固くなってしまった凝りであったとしても、それもまたひとつの『命のありよう』であると、私は考えます。

いつか映画「E.T」のように、風邪で頭が痛む子役のドリュー・バリモアの眉間のツボ印堂穴にE.Tが長い光る指先で「ポンッ」と、さわっただけで、人のあらゆる症状を治せてしまう、そんな気功指圧が出来ることを夢見て、

これからもあらゆる凝りと対峙していく所存です。

さて気功進歩の階梯である『三層九歩』の第一層の第1関門は『意』であることは解説しましたが、それに続く第2関門は『形』、第3関門は『気』というステージとなります。

この第一層の『意』『形』『気』の3ステージを通したミッションの目標は「精を練って気と化す」の言葉のとおり、粗い素材であった身心のエネルギーを『意念』によって統合して、洗練されて浄化された『気』のレベルへと質的な変換を果たす、ことです。

『形』の第2ステージは、いわゆる太極拳や動功や静功などの気功的な体操のようなものを通して、気の通過しやすい身体のフォームを体得するフェイズであり、

こうして『意』と『形』を自在にコントロールできることで、ようやく『気』が体内に充実してきて、『気』をコントロールできる「精を練って気と化す」のレベルへと到達します。

いちおう私はすでにこの第一層のミッションはパスしていると実感していますが、ここからさらに20年を経て第二層を攻略できるかどうか、といった次第です。

中国に少なからずいるホンモノの気功が出来る鍼灸師は、みな太極拳歴40年から50年、鍼灸歴も同じくらい長いという、とてつもない長い修練を経た猛者ばかりです。

そうしたストイックな厳しい長年の気の修練の結果、ついに白髪98歳にして、屈強の武に長けた若者を指一本触れることなく吹っ飛ばす妙技を披露できるまでの境地へと到達し、

鍼1本、頭に刺してそこへと気を通しただけで脳梗塞の片麻痺の歩行困難な患者が、一瞬にして杖無しで帰って歩いたり、首と腰のツボに鍼を打つだけで子供のテンカンを治したり、左右の肩のあるツボに両側同時に鍼を刺しただけで斜視を治すという、

まるで奇跡としかいいようがない、気の妙なる世界を垣間見せるまでになるのです。

『気の王国』の素晴らしさは、はかりしれません。

さて、今回はおもむきを少し変えて、いつものあれにいってみましょう、ゴクリのアレね!



『極意其の四 指圧は指先の哲学である』



はい、今回は少し形而上学的な表現で恐縮です(笑)

按摩、マッサージ、指圧の手技三法が侮蔑的に「畳のうえの土方」と呼ばれる時代はもうここで今日、この瞬間から終わりました。

そう、私たち指圧師は「ベッドサイドのソクラテス」なのです。

いや「畳のうえの哲学者」の方がふさわしいかしら。

ようやく梅原猛さんと同じレベルですよ(笑)

指先に脳を付着させ、指先に丹田をもってきて、指先の向こうで龍と対話しつづけた26年間。

この厳しくも豊穣なる時間はわたしに独自の生命観を宿してくれました。

「命を耕す」哲学が、ここにこうして開陳できたすべてのご縁に、心より感謝申し上げます。

2015.04.12 | | コメント(3) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

命を耕す 11

「休んでいる時でも気を利用してます。試合で怪我をしたり、練習中に捻挫したりすると、部屋でじっくり気を集中させて、自然に治癒させるんです。嘘だと思われるかもしれないけど、捻挫した足首など静かに気を集中していると、自然にあと3日で完治するとわかるんです。で、その通りに1日目に25%治り、2日目に75%治り、そして3日目に100%完璧に治るんですよ。お告げでもなんでもないですけどね。頭の中で『あぁ、この捻挫なら3日だな』と、わかっちゃうんですよね。だから、俺の場合、気を利用するとサイボーグになってしまうんです(笑)・・自分にとっての気は?ええ、だから戦闘服ですね。気の戦闘服を脱ぐと俺はただの普通の人間になってしまうんです」レスラー・船木誠勝


「 気功式日本指圧法 普及会 伯龍会 初代代表 指圧道マスター ハリー・コウハク総帥 」が渾身の気合いを込めて本ブログフリークにお届けしている

各界騒然! コアファンには大好評の「誰も絶対に真似できないその道のプロが実践する奇跡のツボ療法」シリーズ、第3弾、本日開講です!

まず気功に関する予備知識を少し、学んでおきましょう。

そもそも気功とは何か?というと、端的にひとことで申せば「意識をコントロールすること」です。

そういう意味では合掌して指先に血脈の搏動を感じるかどうかとか、手をかざして人体から放射されている気を感じるかどうかとか、こういった気の感覚を得るかどうかは、気功における本質的な問題とは言えません。

あくまで自分の意識、意念、心をコントロールすることで身体をコントロールしていき、最終的に意識の力によって身体をコントロール『できる』境地を目指す事が、究極の気功の目的となります。

ですから、気でヒトを飛ばしたり、気でスプーンを曲げたり、気で蛍光灯を点灯したり、気でモノを移動したり、という不思議な現象は気功修練の過程で発現してくる余技的な能力に過ぎません。

こういった超常現象的な気功の能力は「特異功能」と呼ばれますが、今から25年前頃にピークを迎えたメディアが捏造した気功ブームは、こういった気功の不可思議な側面ばかりを強調したがゆえに、気功の大事な本質が一般に伝わらず、

気功が、手品か奇術か詐欺かトンデモのレベルに貶められてしまったと、今振り返る次第です。

気功の本質とは、ヒトがみずからの意識の力に目覚め、意識をもって肉体をコントロールするスベを獲得し、「命の本質を悟る」ことにあります。

冒頭の船木氏が到達している境地こそが、実は気功の究極の目的地なのです。

私は気功師に習って気功の何たるか?を学んだ経験はいっさいございませんが、ホンモノの気功師の言葉を借りて、少し気功のレベルについて解説します。

気功の修練は段階的に進歩するもので、その階梯には「三層九歩」の段階があるとされます。

これはどういうことかというと、つまり気功レベルには3つの階層が備わり、その3つの階層のそれぞれに、また3つの「歩」の階段が設けられているということです。

三階建ての家があって、その一階ごとに小さな階段が3つづつあると、イメージしたらイイかもしれません。

あるいはブルースリーの映画「死亡の塔」か、はたまた「塔の上のラプンツェル」でもイイですね。

「ラプンツェル」、ほんと、イイ映画だったなぁ、涙が一杯出て、いっぱい笑って、いっぱいハラハラして、俺の身過ぎ世過ぎで汚れきった毒気が少しは浄化されたよ(笑)

もとい、それでは、ラプンツェル、またもとい(笑)、『気の王国』の美しい黄金の扉を開けて、気功修練の第一層である1階の部屋に入ってみましょう!

1階の入り口には「精を練って気と化す」との看板があります。部屋の戸を開けると、いや実に素晴らしい絢爛豪華な中国的なロココのコッテコテの世界が拡がっていますね。

そんな美しい調度には目もくれず、ではあちらの手摺りが龍の彫刻で、絨毯も龍の紋様が施された龍尽くしの階段を昇っていきましょう。

このもっとも最初の階段の手摺りには「意・い」の札が掛かっています。

「えっ?なになに?なんなの、この『意』って?どういう意味?」ですよね?

はい、これがこれまで何度もこのシリーズで口にしてきた言葉である「意念」の「意」なのです。

気功修練の最も初歩の最初の訓練とは、みずからの意識に目を向けて、みずからの意識を自分で自在にコントロールしていく、という行程です。

通常の生活においては次から次に立ち上がる雑務に追われてその雑務をこなすための「雑念」ばかりで生活しています。

この「雑念」を思うことを止めて「雑念」を追い払って、さて、みずからの意識をみずからの意志でコントロールしようとするその意識を「意念」と呼びます。

この「意念」をもってして、身体本来の声を聞いていくことで、身体と心を統合し、命の本来のありよう、を見つめていく。

これが気功のスタート地点である「意」のフェイズです。

私が合掌の修練をして指先の搏動を感じてください、と言ったのは、つまりは皆さんを「意」の階段に上げるためだったのです。

そうなのです。すでに皆さんは『気の王国』の扉を開けて、「精を練って気と化す」部屋に招かれ、凝った意匠が施された「意」の階段の一段目のステップをすでに踏んでいるのです。

「 ブラボー!『気の王国』へ、ようこそ! 」

では、アレに行きましょう、ええと、ゴクイ、いな、ゴクリ!



『 極意 其の三 指圧は力でなく、心で押して、押した先で待ったら、気の動きと融合せよ 』



はい、極意其の三になって、いきなりスピードアップです(笑)

気功指圧のキモは、気のカタマリである凝りに指圧して、その凝りの気を動かすことにあります。

まず指先に意念を乗せて、普通の按摩、マッサージ、指圧の要領で、身体の隅々をもみほぐしなから、

どこに凝りが集積したポイントがあるのか?を探ります。

そして、凝りが集積したポイントが見つかったら、ここへとピンポイントの気功指圧を仕掛けていきます。

この凝りのホットスポットを見つけるまでのあいだに、患者さんには得も言われぬ快感を与えて、

βエンドルフィンの麻酔性ペプチドと、プロスタグランジンの天然の睡眠薬を分泌させて、60兆個の細胞内へとこの「癒しリガンド」を満たす「おもてなし医療」の技量は、当然必須となってきます。

すでにトロトロ感に浴している身体ゆえに、気功指圧がより効いてくるのです。

気のカタマリである凝りが動き出すとき、私はその気の動きに身をゆだねます。

患者さんと術者の気が融合する瞬間です。

ふたつの龍が二重螺旋を描く歓喜の世界!

命と命がスパークする医療、それが気功指圧です。

2015.04.11 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

命を耕す 10

「祈る姿が美しかった?違うんですよ。別に俺は試合前に神に対して祈ってるわけじゃあないんです。クリスチャンでもないですから。祈るのは前日までですね。『世界で一番強いレスラーにしてください』と願うことはありますけど。リングに上がる寸前は、集中力というか、『気』をね、両手に集めることにしているんです。頭の毛の先から爪先まで、自分の気合いを一瞬にして両手に集めるんですよ。そうすることによって、身体全体が動き出すんです。つまり自分の気を両手に集中させる過程で、身体全体の細胞に『これから試合だぞ、起きろ起きろ。起きないと逆に相手にやられてしまうぞ』と信号を送っているんです。・・後は試合会場に入って気を少しだけ集中していると、汚い話しなんですけど、クソがね、全部出るんです。午前中の11時頃に食べた飯が午後4時頃になると、自然に全部出ちゃうんですよ。だからリングに上がる寸前は胃の中も腸の中も空っぽです。完璧に闘う身体になっていますよね。・・起きろ起きろと、両手に気を集中させて信号を送ると、起きた起きたと、身体全体の細胞が返事をしてくれるんですよ」レスラー・船木誠勝


さて、みなさん、「伯龍気功指圧会 初代会長 指圧道 マスター・ハリー・コウハク」の言いつけ通りに、指先に意識、意念、心を乗せる修練を試してみましたかね?

極限の世界に生きるアスリートや格闘家は誰に教わったわけでもなく、自分の身心をコントロールするスベを本能的に身につけるようです。

この冒頭の船木誠勝氏の言葉など、どうしてどうして実に素晴らしいじゃないですか?

合掌という所作は古来よりあらゆる宗教の行儀として、今に伝わる仕草ですが、恐らくは船木氏の思いと同じく、古来よりヒトは手と手を合わせることにより、身心が統一されることを実感してきたと推察されます。

私の言いつけ通りに合掌行をしてみると、意外にも血脈の搏動を感じるのが難しかったと感じたはずです。普通は脈を取る場合は手首の内側の親指の下の橈骨動脈の搏動部で取りますから、

血流の搏動を知りたければ、ここを指先で触知すれば血管の搏動は充分に感じることができますので、血脈の搏動の感じを知りたければ、こちらで試してください。

指先の血流が良い時に、私が言ったように合掌して各指先間を間隔を空けて、指の腹同士をくっつけて、指先に意識を集中すれば、たやすく搏動を感じるはずです。

しかし、搏動を感じることはできなかったが、何か指先がチクチク、チリチリと電気的な感覚を覚えたり、あるいは、合掌したまま指先に意識を集中していたら、身体の他の部位のどこかがピクピクと動くのを感じたり、

またお腹がゴロゴロと鳴り出したりして便意を催したり、といった変化を感じたかもしれません。

指先のツボはすべて五臓六腑の腸管蠕動運動とインタラクティブに同期連動しますから、指先に意識つまり気を集めると、内臓が活性化するのです。

指圧師で便秘症の持病を持つ者は恐らくは皆無でしょう。

私もいっさい便秘とは無縁で、どちらかと言えば極めて多便タイプです。

なぜかと言えば、指圧をナリワイとしておりますから、四六時中、気を指先に集中させています。

特に肺と大腸のガスと便の排泄器官の臓器と密接に連動するのが手の親指、拇指で、この拇指での指圧術を多用しますから、

おのずと肺や大腸が刺激されて、常に呼吸運動と腸管蠕動運動が促進されます。

どうですか?

「誰も絶対に真似できないその道のプロが実践する奇跡のツボ療法」の凄味の片鱗が垣間見えて、そこのアナタ、今、ゾクゾクと鳥肌が立ってきたでしょ?(笑)

では、アレを進めてまいりましょう、ゴクリ!



『極意 其の弐 指圧は力で押さず、心で押して、そこで待て』



はい、今回の極意はこれです!

普通の指圧本やツボ本では、「ツボを押して3秒ほどしたら、ゆっくりと押すのを止めて戻す」なんてアドバイスされますが、こういう指圧はハッキリ言って、まったく臨床的な価値はほとんどありません。

こんな指圧のやり方では、リラクやセータイやリンパやリフレやアロマなどの無資格代替医療モドキビジネスとまったく差がありません。

気を動かしていく指圧である気功指圧、指圧気功の目的とは、凝りという気のカタマリを動かしていくことが、最大の目的となるのですから、

この気を動かす、というポイントに照準が合っていなければ、指圧本のアドバイスとしては失格です。

マンネリズムの極致とも言えるこれまでの一般向けの指圧法の指導では、どれだけ経験を積んでも、そんな手技では無資格者やシロウトと差がありません。

つまり充分に気を乗せた指先で、気のカタマリである凝りの中心部へと指圧していき、そこで沈めた指先を留めること。

この「沈(しず)めた先で指を留(とど)める」、シアツ(指圧)がシマツ(指待つ)に質的変化をするここのキモ!

これが極意2のコアです。

さて、ではどれくらい待てばイイのか?

それは凝りに聞くのが一番よろしい。

凝りこそが命の何たるかを教えてくれる先生、気の何たるかを教えてくれる師匠ですから、直接、押しながら、凝りマスターにいつ押すのを止めたらいいのか?

を聞いて下さい。

では、会員の皆さん、次回まで、みっちりと修練を積んでおくように(笑)

2015.04.10 | | コメント(3) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

命を耕す 9

「 伯龍直伝 気功式 日本指圧道 再興の総帥 マスター・ハリー・コウハク 」がついにその秘技を本ブログに全公開!

これまで語られなかったある指圧師の数奇なる運命、もとい、ここまで到達するのに足かけ26年間、前人未踏のその神秘なる指圧気功の全貌をついに一挙、一般公開!

「誰でもできる簡単即効ツボ療法」なんてタイトルのお馬鹿なツボ本の量産こそが、鍼灸指圧師の社会的地位の失墜をみずから招いた、と

徹底的に鍼灸業界や出版界のこうしたツボ本トレンドを批判していた当人が、何を血迷ったか、今さらなぜツボの切り売り、技術の安売り大バーゲン、などという同じ愚を繰り返すようなマネをしでかすのか?

と、連日ここに詣でてくださっている本ブログ常連読者の皆さんもお思いのことと推察いたします。

だからね、つまりはバカなツボ本とは一線を画す、超コアで超ハイレベルな指圧の世界を、

とくとこれから公開していこうという企画を、いきなり急にうっかり思い立ってしまったというわけです。

もしもこのシリーズにプチタイトルを付けるなら

「誰も絶対に真似できないその道のプロが実践する奇跡のツボ療法」

なんてのがイイかもしれません。

チマタの本屋に陳列されている「お馬鹿ツボ本」の定番スタイルはというと、ツボの名前と位置が分かるイラストまたは写真が掲載されて、

そのツボがどんな疾患、症状に効くかの説明をする、というのがお決まりの定型パターンです。

でもね、こんなもんを見ても、絶対にシロウトさんが、ツボを使いこなすことなどできません。

なぜか? それは、いったいどのようにして、そのツボを探すのか?いったいどんな風に指圧すればいいのか?そもそも、ツボとは何なのか?気とは何なのか?凝りとは何なのか?

という最も基本的な問いに対する答え、説明がこうした従来のツボ本には、いっさい書かれていないからです。

これでは、とてもじゃあないがシロウトさんにはツボなど使いこなせません。

それで、こういった指圧道における基本中の基本事項を織り交ぜながら、

ひとつどこにもこれまで書かれていなかった、私独自の経験を踏まえたオリジナルの指圧道講座をここに開設することとします。

普通はどこの業界でもプロという者は、その手の内を簡単にヒトに話したりしません。

というのは、プロというのは言わば利権であり、それでメシを喰っていかねばなりませんから、シロウトがもしもプロと同じようなことが出来てしまっては、

利権構造というメシの種が崩壊して、プロは自分の食い扶持を失ってしまいます。

よって、鍼灸指圧師もその手の内を公開することは、まずないと言っていいでしょう。

でも、俺ってかなり変わってるから、全部公開しちゃいます(笑)

だってさ、プロのワザってのは、シロウトが簡単にマネできるものではないし、

例えマネできたとしても、理論と実践がプロに追いつくことなんて永遠にないわけよ。

だからね、ジャンジャンとプロのワザは本当は公開した方がイイに決まってるの!

なにを勘違いしてんのかね? プロがプロのワザの何たるか?を公開すればする程、プロの凄味と存在価値が高まるに決まってんじゃん!

日本指圧がここまで衰退してしまったのには、ひとつには指圧の何たるか?を語るスターが浪越徳治郎先生の没後はまったく不在で、

次なる指圧道エヴァンジェリストたり得るニュースターが出現しなかったことに起因している。

「指圧の心 母心 押せば命の 泉湧く」

の浪越先生のオハコのキャッチフレーズも、今や知る者が少なくなって、いよいよ日本指圧道も絶滅の崖っぷち、瀬戸際にまで来てしまった。

そこで、「新たな指圧界のスターが誕生せねばならん、そこのお前、行っとけ!」と、どういうわけか天啓が私に舞い降りたようなのです。

よって、本記事冒頭の大げさなコケオドシの一派を創設して、ついに鍼灸指圧師 今村光臣が開祖となって、新たな指圧道の一派をここに誕生させることとなりました。

今日は偶然にも4月9日で、吉数?が並んで数字も縁起が良くて、すげえイイ日じゃない?(笑)

死苦ならぬ苦心惨憺の血と涙と指のタコの末に生み出されたオレ流指圧気功の奥義をそれでは、いよいよ伝授いたします。

ゴクリ!



「極意 其の壱  指圧は力で押すな、心で押せ」



はい、今回はこれだけ(笑)

でも、こんな基本中の基本を言ってくれるツボ本なんて無いからね。

実はこの極意1ほど、貴重なアドバイスはないんだよ!

もしも物理的な力だけで指圧が気持ちよく感じて、ツライ悩みや症状が解消されるのなら、電気屋で打ってる電動マッサージ機にやってもらえばイイわけよ。

でもね、あんな機械のマッサージじゃあ、全然、気持ちよくならない、って、ウチの治療院の常連さんたちは口々に言うわけです。

じゃあ、機械マッサージと指圧師の指圧と何が違うのか?

と言えば、機械マッサージのマシンの先端部には心など乗ってないけど、指圧師の指先にはちゃんと指圧師のヒトを治そうとする心が宿っている。

身心一如

身体が身体を、身体が心を、心が身体を、心が心を、ヒトがヒトを、指圧するからこそ、

「生命力」の凝結した気のカタマリである「凝り」が感応し、龍の如くに動き出すのです。

私に指圧の奥義を伝授してくれた師匠は「凝り」そのものでありました。

つまり私の師匠はヒトサマや自分の身体の「凝り」なのです。

そして「凝り」が動き出すサマは、私の指には、まさに龍神の脈動飛翔する姿としてこれまで捉えられてきました。

「伯龍直伝」とは、だから冗談からそう名づけたわけではなく、あくまで私のリアルな指感覚、ここ26年間の指圧道の実体験からそう名づけたのです。

気は心

気で押すから、気の、心のカタマリである「凝り」が反応するのです。

指先に意識、意念、心を乗せる修練をまずしてみてください。

それには、合掌し、指と指の間隔を空けて、それぞれの指先の血脈の搏動をすべての指から感じる訓練から始めたら良いです。

少し強めに左右の同じ指の腹同士を持続圧で押し合いしてみてください。

そうしたら、少し押す圧を緩めて、そこで搏動を感じるはずです。

これが気功指圧の基本になってきます。

搏動を感じる指が出来たら、いよいよ、ヒトサマに指圧していきます。

凝りの部位を探して、今と同じ要領で、そこに持続圧をして、少し間をおいて今度は圧を少し緩めて、そこで当たりを待ちます。

さて、それから26年間も経過すれば、その指圧した凝りの奥底から龍神様が目出度く、お出ましとあいなることでしょう。

「10年から、15年、経たにゃあ、カタはできねぇ」とは人形師の言葉だが、

『 指圧道は25年経たにゃあ、カタはできねぇ 』

とは指圧道 マスター・ハリー・コウハクの言葉です。

2015.04.09 | | コメント(6) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

命を耕す 8

指圧という手技は、ここ日本における発明であり、大正時代に「指圧」なる呼称が使われ出したので、指圧の創立時期をこの大正期とする説がある。

いわゆる気功という「物理的エネルギーのうえに生命体のメッセージが乗ったもの」である「気」をコントロールする養生法が成立したのは、中国においては、今から2000年以上前とされる。

この中国古代の哲学、医学、天文学、宗教、芸術、教育などすべての文化は、「気」をキーワードとして、「気」を中核思想として、成り立っているのである。

気という文字のオリジナルは「炁」である。

この文字を解析すると、下の点々の4つは「れっか」という部首で、火によってグラグラと沸き立った水が水蒸気になったサマを現し、また心の意味をもつとされます。

そして下の点々をのぞく上の部分は、「無」という文字の草書体です。

つまり、気とは

「心的物質が熱により泡だってミスト(霧)のように立ち上がり、フォースとなって虚空の無限宇宙に広がっていく」

そんなイメージと言えそうです。

気とは何なのか?

気は決して単なる物理的なエネルギーではなく、必ずそこにはヒトの意識、意念、「こころ」が介在するのです。

「指圧のこころ 母心 押せば 命の泉湧く」

母のような「こころ」、慈愛の乗った「気」の指先で押すから、

命の泉である「凝り」が動き出すのです。

指圧という手技で気功を極めようとしたのは、東洋医学史初、いやもしかしたら人類史630万年ではわたしが初めての快挙となるかもしれません。

「指先の向こう」へと旅し、指圧によって気の世界に到達したフロンティアはそこでいったい何を垣間見たのか?

フフフ、それはそれは、あちらの世界は不可思議に満ちておりましたよ。

2015.04.08 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

命を耕す 7

「場のエネルギーというのは、無限に広がっているのだ。各細胞一つを見ても、場のエネルギーはものすごい広さであり、場のエネルギーで治療すれば、遠隔治療なんてそんなに難しいものではないんだ」

とは、もと西洋医の整形外科医であった気功師、李和生氏の言葉である。

李・気功師の治療エピソードには奇跡的なものが数知れないのだが、例えば大腿骨が壊死した患者が松葉杖をついて通っていたのが、何回かの気功治療で杖無しで歩けるように治ったケースなどもある。

もとは整形外科医なので、李氏もこれにはビックリし、「おかしい、壊死しているものが、こんなに早く回復するわけはない。診断ミスだ」として、前に病院で撮った患部のレントゲン写真を確認したら、やっぱり壊死していたので、

今度は歩けるようになった後に、もう1回、様々な角度から当該部位の大腿骨周囲をレントゲンで撮影してみたら、壊死が治っているわけではないことが判明した。

これには気功を施した当人の李氏がいちばん驚いて、「いままでの西洋医学では、器質的に変化して回復してから、機能的に回復していくのが常識だが、反対のこともありうるのかもしれない。まず機能が回復して、そのあと器質的によくなっていくということが」と語ったという。

私は本シリーズの冒頭にて、老練な指圧師との会話の再現シーンで記述したとおり、これまで一度も気功を本格的に習ったことはありません。

しかし、今から22年前に手に入れたある資料をこれまで、ずっとここ20年間頼りにして、日々の指圧気功による診療の羅針盤にしてきました。

その資料こそがこの冒頭の李・気功師のエピソードも掲載された、気功師であり、鍼灸師である中健次郎氏が東京に本部を置く鍼の研鑽会で講演した「中国伝統医学の心の故郷を訪ねて」と題した講義録でした。

たった34ページほどの内容ですが、私のような「ホンモノの気の世界」を追及する者にとって、この中健次郎氏の講演資料はとても優れた素材であり、これまで座右の友として、私を気の道へと正しく導いてくれました。

気功のブームは今から25年前頃が全盛期かと思い起こしますが、その当時、メディアに露出した気功師のほとんどを今は見かけません。

幾ばくかのホンモノの気功師はその頃でもいたかもしれませんが、恐らくはそのほとんどはニセモノであったと私は見ております。

ホンモノはこうしたメディアが捏造するブームの渦中には、まずその姿を現すことはありません。

でも、確かに李氏のようなホンモノは存在するのです。

私もこれまでこうしたメディアが主体となった気功ブームなどにはまったく関心を寄せることなく、常にホンモノは何か?を追及し、手の内の気の世界を極めようとコツコツと実地に修練を積んできました。

実際の臨床の場に日々身を置く鍼灸指圧師にとっては、日々の診療それ自体が気功の訓練であり、日々の診療それ自体が気功治療なのです。

気功師に習って気功は学んできませんでしたが、日々の診療という気功訓練を通して、気功の何たるか?を自行し、自得しました。

凝りが動き出すサマを、私は「ツボに潜んでいた龍神さまが動き出すようだ」と表現しましたが、これはまぎれもない手の内が捉えた私独自の気の実感、気の世界と言えます。

大きな竜から小さな竜まで無数の竜が蠢き渦巻く人体。

もしも鍼灸指圧師にならなかったら、決してこんな不可思議な人体観を得ることは出来なかったでしょう。

西洋医学が教える身体生理観とは異なる、「もうひとつの身体のありよう」は確かに、現実に存在します。

鍼灸界の中央の動向には私はまったく頓着しないので、今の鍼灸界のトレンドがどのへんにあるのか知りません。

しかし、鍼灸指圧師が「気」を語らずして、いったい誰がこの日本で「気」を語ると言うのでしょうか?

わたしが気の感触を得るためにした最初の修練の方法は、まず合掌して指先に意識を集中し、血脈の搏動を感じることからスタートしました。

爾来20年間余、ずっと指先に意念のフォースを乗せて、「指先の向こう」の世界を旅してまいりました。

気の「かたまり」である「凝り」はまるで小さな竜がトグロを巻いてそこにいるように感じます。

この多くの「凝り」というドラゴンたちとの接触によって、わたしの指先は研ぎ澄まされ、洗練の度を増しようやくここまで到達できました。

竜が羽根を広げて「気の大空」を火を吹きながら飛翔するが如くに、

ハリー式・指圧気功について、さらに熱く語っていきます。

2015.04.07 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

命を耕す 6

「このあいだ、いつものように熱が出た後に、足が痛くて、だるくて、どうしようもなくて救急に駆け込んで、鎮痛剤の注射をして、ようやくしのいだんだけど、その後、なんだか疲れちゃって、体調が元に戻らない。病院じゃあ、リウマチというか、膠原病の疑いがある、と診断されたんだけど、血液検査では確かにそういう徴候のデータが取れたけど、あくまでまだ膠原病の疑いがある、というだけで、確定は出来ないらしくて・」

「ようは血液検査で炎症反応の数値は出てるけど、ヨウ連菌が検出されてもいないし、そもそも、膠原病やリウマチの確たる原因はまだハッキリとは分かっていないとかって、病院には言われるんでしょ?」

「そういうこと」

「その居ても立ってもいられない程の、うめき声をあげちゃうような猛烈な足の痛み、だるさの前には、なにか前兆というか前駆症状みたいなものはあるんですか?」

「それがね、やっぱり肩こりと背中の鈍痛感みたいなのを感じた後に、いつも熱が出てきて、その後に足の症状が続いて出てくる・」

「たしかに、今、こうしてさわってみると、肩と特にこの背中のここの凝りが強いから、このへんが全体のエネルギーの流れをブロックしてる感じですね。とにかく、いつも通り、全身を指圧していきますね・・・

( Tさんはいつも2時間コースで、だいたい指圧をはじめて早ければ30分くらいで、睡眠状態に入って、そこから気が激しく動き出すんだけど、今日の Tさんの身体は、いつもと違って、寝てしまうまでにかなり時間がかかるなぁ。

もう40分はいつものようにハリー式の指圧気功の要領で指圧してるんだけど、まだほとんど気も動いてこない。

こりゃあ、今日はヤッコさんの機嫌が悪いか?なんかいつもより深いところに潜って沈んじゃってるみたいだな。お〜い、気の龍神さんよぉ、ボチボチ動き出してくれんか?

おっと、あんまりこちらから強い気を放射しない方がいいな。治そうとか、気を動かそうとする気持ち、意念が強すぎると、かえって術者と患者の「気場」の重なったこのフォースフィールドの流動性を阻害してしまう。

あくまで意念は淡く、淡く、のウーイースー(無意志)の心境で、指先に意念を淡く乗せて、浅からず、深からず、強からず、弱からずの持続圧で、真ん中あたりの深さで、ゆっくりと当たりを待つしかないな。・・・

おっ、ヤッコさんが、ようやく、お出ましだ!ありがてぇ!これこれ!このまるで竜体のような気の、フォースの、動きさえ戻れば、 Tさんの身体も元通りになる!

あとは龍神さまの動きに身を任せて、その動きをサポートするように、指圧していけばいい。そうフォースに導かれるままにね。

あぁ、ほんと、ありがてぇ!合掌したいが、指圧中だから、それはできんな(笑)

中医学の古典に『人の頼るところ、ただこの気のみ、気聚まって生まれ、気散じて死す』

とあるが、今この瞬間に、まさに『気聚まって』、気流れて、気拡散して、 Tさんの命は養われている!)

はい、それじゃあ、上向きになって、最後の仕上げに、足の方と手の方と、指圧しますね、・・

では、起きてください」

「あ〜ぁ、ふぅ〜、楽になった!ほんと、今日は楽になったよ!」

「ここの首のあたりは全然、凝ってないから、やっぱり肩、背中、腰の凝りが体調不良に関係していそうですね、(もう少し、治療の頻度を上げて、回数を重ねて治療できれば、もっと気の巡りがイイ身体になって、発熱症状や足の症状も出ないんだろうけど、2時間コースだと、8000円の実費を毎回、払うことになるから、おいそれと、回数上げて来なさい、とも言えないしね)、それじゃあ、また、凝りすぎちゃう前に、来院してください」

「あ〜、ありがとう!」




常連さんの身体には、それぞれその身体に特有の気の流れのパターンがあるんだけど、この Tさんの気の動きも、実にダイナミックによく動くタイプです。

でも、昨日は気が動き出すまでに、時間がいつもよりかかりました。

そのへんが、ようは疲れの本体ということになりましょうか。

気の動きによって、人は生かされ、癒されている、というのは、決して空想の絵空事ではなく、私にとっては、まぎれもないリアルな手の内の実感なのです。

気が動きさえすればなんとかなる、という信念はここ23年の、気との対話によって醸成された私の確信です。

気(フォース)をコントロールすることが、鍼灸指圧術の要諦であり、養生の基本です。

2015.04.06 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

命を耕す 5

「凝りってのは不思議でね、健康で元気なヒトの凝りは、まるで賑やかな家に招かれたみたいに、その凝りの中にはエネルギーが充満してて、それでその凝りの玄関のドアをノックすると、ワーイ、ワーッ!って子供たちが駆けだしてくるみたいに、元気良く凝りが動き出す感じなの。今押してる、こういう凝りね。だけどね、癌の凝りってのはさぁ、それはそれは怖くてね、これまでの経験で言えば、癌の凝りのドアをノックしても誰も返事をしないの!まるで人の気配がしない草ボウボウのお化け屋敷で、家の中はクモの巣が張ってる荒れ果てたアバラ屋みたいな凝り。誰の声もしないから、こっちから凝りに話しかけても、シーンとしててね、なんだかとっても淋しい気がして、それで触っていると、こっちの身体が冷えてきて、ゾクゾクと寒気で震えるような感じがするんだよね」

「先生、凄い表現!」

「そう、でも、ほんとそんな感じがするし、そうとしか言えないんだよね、経験からは。凝りを敵視するような思潮もあるんだけど、私の指の実感から言えば、それは単なる机上の空論でね、別に凝りは敵でも味方でもない。それはいつも、私が命について語る時の通り。命ってのは、いつも、ありのまま、のありようしかないから。でも命を言葉で説明しようとして、命のメカニズムを説くために論理的な整合性を科学用語で成り立たせようとすると、途端に論理の呪縛にとらわれて、本質を見失うの。私は常に本質の、命のありのまま、にこうして触れているから、そうした論理の世界は、凄く、ちっちゃくて、ちゃちく見えちゃう」

「先生、そこを押してもらってると、足首の辺りから気が噴き出してるのが、分かる!」

「ホント?さすが、もと西野流呼吸法をやってた、ヨガ行者だね(笑)でも、そういう経験も知識もない普通の患者さんでも、例えば肩を押してるのに、足先が熱くなってきた、って分かる患者さんって、けっこういるもんだよ。でも、こんな話しは、そうそうこれまでは言えなかったけど、今、ブログでやってる指圧シリーズは、モロに今回は、気とか指圧を絡めて、存分に自分独自の気の世界を描いている最中で、実は自分もこういうのをやりたくて、というか、これこそが自分をアピールできる領域で、分子レベルの細胞内小器官の話しとか、そういうのは余技みたいなもんで、ほんとはね、こういうマクロの手の内の実感の世界をずっと書きたかったんだよね」

「わたしもそういう世界はスゴク興味があるし、神秘的で面白そう!」

「ひと月、かけて、じっくりと、気の世界を書くつもりだから、ばっちゃんわらすのおかんさんも、期待しててくださいね」



気の合う常連さんとの会話は思わず話しが弾んで、ついつい饒舌になってしまいます。

術者が治療中に話し過ぎるのは、絶対に良くなくて、患者さんが70%、術者は30%くらいの会話率が、鍼灸院でのトークの鉄則と心に決めております。

気功と言う言葉は意外にも、新しい言葉であり、中医学の養生術を包括する概念として気功という言葉が編み出されたと言われています。

ここ20年余のわたしの手の内の修行で見えてきた「指先の向こう」の世界は実に豊潤で深淵であり、

それは気の奔流が宇宙の虚空の彼方まで絶え間なく流れ、広がっていく世界でありました。

「気とは何か?」の答えを、すでに私は手にしています。

そう、気とはまぎれもない私たちの命そのもの、宇宙そのもの、です。

そして、気はいつも私たちの味方なのです。

気と戯(たわむ)れ、気と友達になり、気に裏切られ、気と融合し、気とひとつになった、この20年余。

本当に私は気が好きで好きでたまらないんだと、最近、思い直しています。

気と共に、フォースと共に、あったからこそ、どんな惨めな思いも乗り越えられたのです。

気よ、本当にありがとう!

そして、これからもよろしくね!

2015.04.05 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

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