癒しの原点 30

「長生すれば、楽しみ多く益多し。日々にいまだ知らざる事を知り、月々にいまだよくせざる事をよくす。この故に学問の長進する事も、知識の明達なる事も、長生きせざれば得がたし」『養生訓』巻第一、総論・上19

まったく益軒先生の申すとおり、最近は知らない事を知っては自分の無知を恥じ、新たな知識を得ては自然界の驚くべき作用に驚嘆する毎日を送っております。

さて前稿は少し先走ってネタを詰め込み過ぎた感がありますが、少し読みにくい箇所などを修正しましたので、再読頂きますようにお願い申し上げます。

少し時事ネタに触れますが、只今目下、ISISなるテロ組織による人質事件が世間を賑わせております。人命第一といういかにもな、お題目には誰も逆らえませんが、それはさておき、私が一番に危惧するのは

こうした疑似餌のテロを理由に国家規模の軍事作戦を展開する「ホンモノのテロ」を画策し第三次世界大戦を勃発させんとする動きだけは絶対に阻止しなければならないし、

イスラム国なる命名も含めてイスラム圏の国々をまるでいつも野蛮なテロリストの住む国をイメージするような事も絶対にしてはならないと思うのです。

空爆されたガレキの中からパンをこねる棒と台を拾うウチの娘と同じ年頃の中東地区の少女の写真を近頃ネットで見たのだが、こうした子供たちには大人のバカなインチキテロごっこなど一切関係ないのです。

何の罪がこの子らにあると言うのでしょうか?くだらない大人の戦争ごっこの代償が子供たちの命であっては余りに理不尽です。

おい、世界中の大人達よ〜、エエ加減に目を覚ませ!この馬鹿たれどもがぁ〜〜〜!

お前等らがノホホンと金満生活を送る替わりにイスラム圏の国に爆弾が落とされてるんだって。

ほんとバカヤローな世の中だぜ。

ということで少し胸の内を吐露してしまいました。すみません。

対テロ戦争は武器を売ることではなく、オカネをばらまくことでもなく、その地に住む人が自給自足できる農業や牧畜を指導すること。

自分たちで自分の生き方をマネジメントできる支援さえすれば、あとはその地に住む人に任せる。

こういうやり方こそが対テロ戦ではないのかね? 

ISISに誘われるプータローの若者がいなくなれば、テロ組織など維持できないのだから。

また現在の強毒性ウイルスのほとんどはそのウイルスキャリアの第一宿主となる野生動物との接触からアウトブレイク(感染爆発)が始まる。

ということはこれらのブッシュミート(野生動物の肉)を狩ってそれをタンパク源にしかできないような地区に正しい農業支援をし、農業による栽培作物を主要な食糧にする施策が実行できれば、

ヒトと野生動物を介してウイルスがアクセスできる経路がほぼ完璧に遮断できるのだ。

こうした大きな俯瞰から見ると、農耕がウイルスパンデミックやテロの防止に果たす役割の大きさに改めて驚きを禁じ得ない。

「中央より先に地方があり、科学技術より先に労働があり、産業経済より先に暮らしがあり、政治より先に人間がある」

とは私もほんの少しだけお付き合いを頂いている農産漁村文化協会のスローガンである。

これに習えばここ2講のキモをまとめれば

「対テロ戦争より先に農耕があり、ウイルスパンデミック対策より先に農耕があり、医療養生より先に農耕がある」

となりましょうか。

ヒトゲノムの解読によりチンパンジーとヒトはラミダス猿人のようなナリをした700万年以上前の共通祖先と分岐した後も、ヒトとチンパンジーの祖先が約100万年ほども長いあいだ異種交配による交雑を繰り返していたことがわかっています。

現生チンパンジーはいまだに小さな個体の絶滅危惧種のサルを生け捕りにしては生肉や生の内臓をむさぼり食べ、場合によってはヒトの赤ん坊までさらって貪欲に食べるカニバリズムの習性を残存させています。

現生のヒトである私たちはこうした近種のチンパンジーの恐ろしい嗜肉食癖に眉をひそめますが、戦争やテロで平気でヒトとヒトが殺し合うカニバリズムそのものの自分たちの残酷な性癖にはいっこうに無頓着です。

いったいチンパンジーとヒトと、どちらが残酷でしょうか?

ヒトはチンパンジーと交雑し合った約100万年間を経た後の今から630万年前にようやくチンパンジーと袂(たもと)を分かち、リンネ分類学の正式名称「ホモ・サピエンス・サピエンス」知恵のあるサルへの道を歩き始めました。

7万年前のトバ火山の大噴火による「火山の冬」の到来により成人数で1万人まで大幅に個体数を減らしたホモサピエンスは現在のゴリラやチンパンジーかそれよりも過酷な絶滅の危機に瀕し、

それまで保持していた遺伝子に内臓された免疫記憶や様々な生き残りのためのアクセサリーツールや、常在ウイルスや常在細菌などの微生物プールも失う「ボトルネック効果」により

食料や飲み水を失って乾ききったワジ(枯れた湖)や川底を眺めていた「火山の冬」の乾燥化により森林を失ったカニバリズム系の肉食ホモサピエンスのほとんどが絶滅しスクリーニングされてしまい、

ようやく残った少数の生き残り集団であった海岸線に住み海洋資源を主要な食糧としていたホモ・アクアが全世界へと拡散していきやがて定住と農耕牧畜を始めてホモ・カルチュアとなり、

農耕と牧畜による安定した栄養摂取をもとに個体数を取り戻し、約1万年まえからヒトの人口が急激に増加していき現代につながる真のホモサピエンスへと成長していったのです。

ホモ・カニバリズムからホモ・アクアへ、そしてホモ・アクアからホモ・カルチュアへのこの流れは意図せずに導かれた神の配剤だったと言えましょう。

ようやくヒトがカニバリズムの習慣から脱して、ヒトがヒトを気遣い敬い愛し合える世界が築ける土壌を作っておきながら、なにゆえにいまだに対テロ戦争なのでしょうか?

バカにも程があるよね!人種なんて架空の概念だよ。

みんなミトコンドリア・イブとY染色体アダムの末裔。

そう「世界は一家、人類はみな兄弟」

これは昔、へんなオッサンが言ってたけど、ほんとこの通りなんだよね。

なのにさ〜、なんでいまだにヒトとヒトが殺し合っているんだよー、まったく!

チンパンジーやボノボに顔見せできないじゃん。

おれらは知恵のあるサルなんだろ?そんじゃあ、知恵のあるところをすこしは見せようぜ。

長生きしてる大人諸君、少しはヒトらしい知恵を発揮しましょう!

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2015.01.31 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

癒しの原点 29

「ヒトの身は100年をもって期(ご)とす。上寿(じょうじゅ)は100歳、中寿(ちゅうじゅ)は80、下寿(かじゅ)は60なり。60以上は長生なり。世上のヒトを見るに、下寿を保つヒト少なく、50以下短命なるヒト多し。人生70古来まれなり、と言えるは、虚語(きょご)にあらず。ヒトの命なんぞ此の如く短きや。これ、みな、養生の術なければなり。短命なるは生まれつきて短きにはあらず。10人に9人は皆みずから損(そこな)えるなり。ここをもってヒトみな養生の術なくんばあるべからず」『養生訓』総論・上 18

益軒先生の分類における100歳オーバーの上寿を、長寿文化学などでは「センテナリアン」などと称します。この100歳を越えても健康な者が多い地域を世界中から見つける作業が開始されて、

最初に地図にマッピングする際に青いペンで長寿者の住むポイントを印字していったので、センテナリアンが大勢住む地区はブルーに染められていきました。従って後にこの長寿村はブルーゾーンと呼ばれることになったと言います。

イタリアはサルディーニャ島、コスタリカはニコジャ半島、アメリカはカリフォルニア州ロマリンダ、日本の沖縄、の4つのブルーゾーンが有名であり、また旧ブルーゾーンとしてはパキスタンはフンザ王国、旧ソ連コーカサス地方、南米はビルカバンバ村、山梨県旧棡原村なども忘れてはいけない地区です。

こうした長寿村はこれまで随分と様々な医学関係者により注目され継続して研究されてきましたが、そこに住む者たちの養生の叡智が一般化することはこれまでついぞありませんでした。

私はこれまでこれらブルーゾーンの養生の秘密をすでに公開しておりますので、再掲となりますが、端的にその要旨をここに述べると、もっとも重大で単純な彼らセンテナリアンの長生きの秘訣とは彼ら長寿者たちは実にヒトの歯の構成比に正しく従った食生活を心がけてきたというただ1点だけが共通する「長生きコード」だと断定できます。

古代インド医学のアユルベーダの聖典「チャラカ・サンヒター」の総論の言葉に「正しい食物を取ることが人間を健康に発育させる唯一の方法です。また正しくない食物を取ることが病気の原因です」とはっきりと記載されています。

では正しい食物とは何なのか?

実は共通祖先であるラミダス猿人のようなナリをした800万年前の共通祖先から分化した類人猿は3種類が存在し、チンパンジーとボノボとそしてヒトであることは考古人類学や生物学や進化医学の常識ですが、

この3種のサルに共通する悪しき食性に肉食が存在するのです。チンパンジーは通常生理として肉食を欲することが1960年代からのジャングルでのフィールドワークから判明しており、ついでボノボもまた肉食をすることがわかっております。

少し小さい体型のサルを生け捕りにして生のまま内臓を口にするチンパンジーやボノボの習性を知った時は余りの衝撃に脳端末の思考経路がフリーズしました。それはさておき、こうしたこの3種のサルに共通する一種異様なカニバリズム(同族嗜食)の習性が果たして現在のヒトにも受け継がれているかというと、

わたしは実はこのヒトにおけるカニバリズムの習性は今現在はかなり薄まっているのではと推定しております。というのはヒト属ホモサピエンスはその進化史において絶滅に追い込まれており、

この絶滅の危機に瀕した際に遺伝的な多様性を大きく失う「ボトルネック現象」が起こって、肉食性が減じたとわたしは予想したのです。東アフリカを5万年前に旅だった初期ホモサピエンスの150人集団は海岸ルートを選んで五大陸へと拡散していった。

それは海岸からは豊富な海洋資源を食料にすることが可能であり、魚貝類や海藻を主な食料源とする新しいホモサピエンスの誕生を意味した。仮に5万年前に海岸線を渡航ルートに選んだホモサピエンスを水生資源を食料とするヒトという意味で「ホモ・アクア」と呼ぶが、

長き4万年のホモ・アクアの旅路は1万年前からの定住農耕によりさらに洗練され、よりヒトの歯の構成比に近い食事が可能となる。この1万年前にスタートした農耕を母体とし、植物性の栽培植物から栄養を得ることを可能にしたホモサピエンスをまた仮に農耕をするヒトという意味で「ホモ・カルチュア」と名づけるが、

このホモ・カルチュアの末裔こそが現在の私たちなのだ。つまり人類はかつては現在のチンパンジーやボノボと同じく森に棲み仲間のサルやウシの仲間であるフォレスト・アンテロープの一種を習慣的に襲撃し組織的な狩りをしては狩猟して、

生肉や内臓をむさぼっていたホモ・カニバリズムであったのだが、7万年前の現在のインドネシアのトバ火山の大噴火がもたらした「火山の冬」による気候変動によって乾燥と寒冷化が急激にアフリカ大陸で進行し、

森が消失し、新種のウイルスが追い打ちをかけて一気にホモサピエンスの個体数が激減し、絶滅の一歩手前までホモサピエンスは窮地に陥った。そして唯一生き残っていた東アフリカの海岸線ですでに海藻や貝やサカナの海洋資源に順応していた150人集団が勇猛果敢にも紅海はバブ・エル・マンデブ海峡を横断して、

インドからサフルとスンダを経由しつつ東アジアから中央ユーラシアへ、そして北米や南米へ、またインドルートではない西側ルートとしては中東から欧州へとホモ・アクアが拡散し、

ついに1万年前に最終氷期極盛期が終えると温暖で安定した間氷期が訪れて、定住と農耕と牧畜を主にしたヒトらしい文明をスタートすることが出来たのだ。

そう私たちはまぎれもない自然を飼い慣らし栽培する名人である「ホモ・カルチュア」なのだ。これほど上手に自然を意のままにみずからの養生に取りこんだ種族は地球生命種130万種の中ではヒトしかいない。

むろん昆虫のアリには細菌を養殖するものがいるらしいが、ヒトの比ではないだろう。

キョウビのダイエット戦線のトレンドに糖質制限なるものがあり、そのなかには炭水化物が人類を滅ぼすなる暴論まで噴出しているが、こうしたここ5万年の人類史をつぶさに俯瞰すれば、栽培穀類や栽培野菜のありがたさがイヤと言うほど身に染みて、

決してそのような暴言は吐けないと思うのだが、何を血迷ったのか糖質を制限しさえすれば健康になれると錯覚したマインドコントロールがここのところブームであることは、健康を維持するうえでも

まことに危機感を募らせる案件である。

強毒性の新型ウイルスの発生源は野生の動物と触れる場であることはウイルス研究者などの地道な研究からハッキリした事実なのだ。

エイズウイルス(HIV-1)はサルが持つサル免疫不全ウイルス(SIV)のキャリアである中央アフリカはシロエリマンガベイとオオハナジログエノンという2種のサルを食べたチンパンジーの体内で

この2つの固有のSIVが遺伝子組み換えと遺伝子再集合をして誕生したハイブリッドSIVが大元であり、この元祖HIVキャリア・チンパンジーをヒトが狩って食べる為に解体した際に飛び散ったチンパンジーの血液からヒトに感染したのがそもそものエイズのアウトブレイク(感染爆発)の始まりだったのだ。

どうも陰謀論の世界ではウイルス性のパンデミックはすべて人工だとか、そんな噂が絶えないが、ウイルス学の常識から言えば笑止千万なチューボーレベルの話しと一掃されるだろう。

つまりヒトが森に入りこまず、チンパンジーをはじめとした野生動物などを狩って食べるブッシュミート(野生の肉)嗜好な習慣を捨てれば、その他のウイルスも含めてエイズウイルスやエボラ出血熱ウイルスや狂犬病ウイルスなどの発生は格段に防げるのだ。

実は本当のところはこれらウイルスパンデミックも、今はやりのインチキテロも防ぐ一番の解決策とは、このような地区への農業支援に尽きるのだ。

中東やアフリカで自給自足農業が実現すれば紛争も戦争もISISもなくなる。むろん米国やNATOの関与を排除することは言うまでもない。

これらモロモロの事象から帰納すれば、つまりはヒトは森林を抜け出して荒野を開拓して農耕を始めることで、森林を源泉とするウイルスと縁を切ったとも考えられる。さらに植物の多糖体を豊富に摂取する食性の変化が、

ヒトの腹腔マクロファージのトールライクレセプターをよく賦活して、ウイルスや細菌に対抗する免疫力を人類に授けたとも見なせる。

私の見立てでは、ヒトをチンパンジーやボノボと別(わか)った最後の鍵は農耕の発明だったと、推定できるのだ。

センテナリアンが多く住むブルーゾーンはまさにそうした伝統的な農耕生活を未(いま)だに送る地区を指す。

養生の前に農耕あり。

2015.01.30 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

癒しの原点 28

「クスリはみな気の偏(かたよ)りなり。上薬(じょうやく)といえども、そのヤマイに応ぜざれば害あり。いわんや中下(ちゅうげ)のクスリ、元気を損じ他病を生ず。鍼は瀉(しゃ)ありて、補(ほ)なし。ヤマイに応ぜざれば元気を減らす。灸もそのヤマイに応ぜざるに、みだりに灸すれば、元気を減らし気を上(のぼ)す。クスリと鍼灸と、損益ある事かくのごとし。やむ事を得ざるにあらずんば、鍼、灸、薬を用ゆべからず。ただ、保生(ほせい)の術を頼むべし」

貝原益軒著『養生訓』巻第一、総論・上の15番の文章のシメの言葉です。この15番についてはひと言で言えばゼアトロニック「医原病」についてのくだりであると解釈すればよろしいかと存じます。

漢方薬にしろ、鍼灸にしろ、あくまでこれは症状があるケースにおいて処方使用すべき医療であり、たとえ副作用や誤治(ごち)の危険性が他の医療に比して限りなく低いとしても、

やはりむやみに健康増進のために朝鮮人参を飲んだりすることはタブーであると諭しております。

私は鍼灸師ですので、鍼灸の効能に精通しております。貝原益軒は鍼灸師ではなく、あくまで儒医という立場からの提言ですから、実はこの鍼には気を減らす作用があるとか、

灸すらも元気を損なうなどの文言に関しては、大いに異論を挟みたく思いますが、これはこれまで私の論説を読んで下さっている方々にはすでにモロモロと既知の案件ですので、あえて今回は大々的に反論しません。

誰もが自分の手で自分のイノチを養うという視点で書かれた実践的かつ哲学的な養生指南書『養生訓』の立場から言えば、

あくまでクスリや鍼灸はこれは素人ではおいそれと手が出ませんから、こういった素人に対する注意として益軒先生は鍼灸に関しても注意を促しているという見方でいいと思います。

さらにこの文脈でいけば、今のネット時代にはただの素人がまるで健康や養生に関するプロのような顔をして、したり顔で意味不明な論説を展開し、そこら中からヒトサマの説をコピペしまくり、

あのISISばりのコラージュ全開のヒトのフンドシで相撲をとりまくり貼り付け論を展開しつつ、高額なプラシーボ機械を購入させんとするステルスマーケティングなブロガーが跳梁跋扈しております。

こうした素人の生兵法は大怪我のもとであることをよくよく自覚し、みなさんにおかれましては『養生訓』の精髄をここで読み取って、養生に関するリテラシーを磨いて頂きますれば幸いに存じます。

さて、ウイルスなんですが、これまで小出しにしてきたウイルスに関する新情報を少し綜合して整理してみますと、

今から110年前にオランダはデルフトにある自身の研究所でマルティヌス・ベイエリンクがタバコモザイクウイルス(TMV)を発見して以来このかた、ベイエリンクが命名した

ラテン語で「毒」を意味するウイルスの毒作用の研究ばかりにここ110年間はスポットが当たってきました。

しかし2001年にヒトゲノムの全配列が解読されるとヒトゲノムには機能遺伝子としてセントラルドグマを駆動するタンパク質を合成するデータが保存されているエクソン領域は

全配列のたった1.5%しか存在せずに、残りの98.5%のイントロン領域が未知の領域であることが判明し、これを「ヒトゲノムのパラドックス」と呼ぶことにしたのだが、

その後の分子解析の発展により明らかになったことは、このヒトゲノムのイントロン領域の実に46%もが過去の生命史においてウイルスが感染した痕跡であることが判明した。

そしてこのヒト内在性レトロウイルス領域やDNAトランスポゾンと呼ばれるイントロン領域はヒトの通常生理においては、脳内のタンパク質を合成したり、妊娠時の胎盤合成に関わる重要な働きをし、

また逆にそれだけでなく免疫疾患や癌化などヒトの疾病においても何らかの原因になっている可能性があるとの研究が鋭意継続中である。

こうしたヒトゲノムとウイルスとヒト生理に関わる案件から透けて見えてきた新たなパラダイムがいわゆるウイルスと生命種との「共進化」という概念であり、

ウイルスはどうも生命進化を動かす大きな原動力であることがわかってきた。

また平均して細菌つまりバクテリアよりも1000分の1の大きさしかないウイルスが、細菌に感染して細菌を殺す作用があり、

その作用により海洋ウイルスは海洋細菌のスカベンジャー(終末処理係)の役目を果たし、

海洋ウイルスが海水中の有機物のバランスを維持する海洋生態系における重要な位置を占める存在であることも把握されてきた。

この海洋ウイルスの事例を敷衍すれば恐らくは土壌中の土壌ウイルスもまた土壌バクテリアを分解することで土壌の有機物バランスを保持していることは容易に想像できるし、

また腸内に常在するT4ファージのようなウイルスが腸内細菌を分解することで腸内環境を整えているだろうとの予測も立つ。

つまりこれまではこうした環境中の有機物や元素の循環の担い手はバクテリアが一手に引き受けていると認識されていたのだが、

さらにその下部をくまなく覆うシステムとしてのウイルスによる生態系の維持という側面があらたに浮上したパラダイムシフトとなろうか。

わたしたち生命界は実はウイルスというお釈迦様の手の平に乗せられた存在なのだ。

ウイルスあっての命。ウイルスあっての地球。

敵こそ味方なり。

2015.01.29 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

癒しの原点 27

「腹中(ふくちゅう)の痞満(ひまん)して食気(しょっき)つかゆるヒトも、朝夕歩行し身を労働して、久坐久臥(きゅうざきゅうが)を禁ぜば、クスリと鍼灸とを用いずして、痞塞(ひさい)の憂いなかるべし。これ上策とす」

前稿の文言に続く下策をバックアップする上策の提言です。今回の文は前稿も含む貝原益軒著『養生訓』総論・上のナンバー15に当たりますが、

総論・上は40番まで続きます。定石通り、順を追って私流の解読を加えていきます。

今回は特に解説も要らない程に明解ですが、ようは食べたら少し動け!さすれば気血が流動し、四肢運動と腸管蠕動は

「内蔵体壁反射、体表内臓反射」に連動するから腸内の食塊の消化もスムースに進行して、腹の張りも痞(つか)えも取れて、スッキリして快便快腸になる。

こうしたほんの細かい日常行動への心遣いによって「いまだやまいならざるをちす」の未病治ライフスタイルを実行すれば、

わざわざ高価なサプリメントを飲む必要もなく、わざわざ高額な酸化還元マシンの奴隷になって機械につながれる必要もなく、

むろん鍼灸院に駆け込む必要もなく、ゼニを一銭もかけずにみずからの命をみずからの手で養うことができる、

とマスター・エッケンはクールにラディカルに提言しております。

江戸初期にヨクイニンをよく使いこなし癌すらもよく治したとされる神医と称えられた名医の漢方医に永田徳本(ながたとくほん)という者がおりました。

生薬に精通し野山を散策しては薬草を渉猟採取して薬袋を身体に巻き付け、まるで老子のように白牛にまたがって全国を行脚して

「くすり一服、16文〜」と唱えたとされ、時の徳川将軍の難病をあざやかに治しても豪勢な褒美も貰わずに、サッサと定額分の薬値のみを受け取ると速やかに立ち去ったなどという

数々の伝説をもつ仙人のような漢方医でした。なにが仙人って、アンタ、享年118歳ですよ!

なんとも驚異的な長寿なのです。それもそのはず彼はいわゆる気功のような導引法に精通しておりましたから、

みずからの命をみずからの手で養うのはお手の物だったのです。

湿布薬でおなじみの某クスリメーカーの名の由来であるトクホン翁の治病哲学はひとことで言えば

「便秘は万病のもと」

益軒先生の今回のアドバイスとフラクタルに共振共鳴しております。

身体が肥満する原因には実は腸内細菌叢のバランスに原因があるとの研究がすでに成されております。ようは太りやすいものには特有の腸内細菌が棲んでいるのです。

腸内細菌に善玉菌と悪玉菌と日和見菌の3つの区別をするのは常識ですが、これに肥満菌なるカテゴリーを追加する日が近々来るかも知れません。

反対に痩せるのに貢献する菌もやがて発見されて痩身菌なる名称も一般化するかしら?

それはさておき、ウイルスにはまだ善玉ウイルス、悪玉ウイルス、日和見ウイルスという分類はございませんが、

しかし恐らくは近い将来にはこうしたウイルスの多面的な側面に注目が集まっていくと私は確信しています。

そもそもナノレベルの生命界はウイルス宇宙と呼べるほどのウイルス蠢くウイルスの独壇場です。

このウイルスサイズ1000倍の世界が腸内細菌を含むバクテリア界となります。

バクテリアをサッカーボールの大きさとするとヒトの全長はサッカースタジアム全体に相当します。

ウイルスは大気中にも地表にもおびただしい数が棲息しておりますが、実は土中や海中にもまた大量に棲息しております。

特に海の中にいる海洋ウイルスの数の多さはまだ未定ですが、とてつもない量のウイルスが海には棲息していると予想されています。

地球生命界のバイオマス(生態系に占める棲息量)比にしても恐らくはウイルスは最大規模になるでありましょう。

このウイルスについて私たちはこれまでまったく無知同然でした。ヒトの腸内に棲むT4ファージと呼ばれるウイルスはヒト細胞に悪さをすることはなく、大腸菌に感染して自身をコピーします。

つまりもしかすると腸内常在性ウイルスのT4ファージは整腸剤のような働きをして、腸内細菌叢のバランスの保持にひとやくかってくれているのかもしれない、との仮説が浮上してくるのです。

ようは腸内に共生同居しているT4ファージは善玉ウイルスと見なす、という仮説です。こうしたウイルスの善なる側面を探求することは

実にエキサイティングでアヴァンギャルドに革命的な試みで、ほんと胸がワクワクしますね。

海洋ウイルスは毎日、海洋細菌の20〜40%を殺菌することで、海中に細菌成分のアミノ酸や炭素、窒素が放出されて海洋中の有機物のバランスが保持されているといわれます。

「天地を知るは我私の意を入れず、あるがままに天地に従いて、天地を師とするにしくはなく候」三浦梅園

ウイルスの何たるか? はマスターである天地自然に聞くのがどうも一番早そうです。

2015.01.28 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

癒しの原点 26

「およそクスリと鍼灸を用いるは、やむ事を得ざる下策(げさく)なり。飲食、色慾を慎み、起臥(きが)を時にして、養生をよくすればヤマイなし」

東洋医学における医療者のランキングは上医(じょうい)、中医(ちゅうい)、下医(げい)の3ランクに分けられ、

最低ランクの下医は病気を治せないくせに金銭だけはしっかりかすめとるヤブ医のことで、今時の健康指南番を装いながら

ヘンテコな医療器具を推奨しまくるステルスマーケティングブロガーみたいな詐欺師もこのへんに分類されるヤカラだがそれはさておき、

中医はよくヤマイに精通して病気を治す医療者を指す。

さてでは我が東アジアの医療界においてもっとも高貴なる上医の称号を与えられる医療者とはいったいどんな人物を言うのか?

これはこれまで何度も本ブログや他媒体の文章でわたしが訴えてきた通り、命の運用法を教え、命の大切さを説いて、いかにして命を養えばいいのか?の哲学や実践法を教えることで、

みずからの身心というものを知り、みずからのチカラで自分のイノチを養う能力を育む者を最高級の名医、上医と呼ぶのである。

現実の世界には恐らくはまだ上医と呼べる者はこれまでほんの少ししか出現していないだろうが、『養生訓』を著した貝原益軒はまぎれもない第一級の上医と呼べよう。

「草根木皮これ小薬、鍼灸これ中薬、飲食衣服これ大薬、身を修め心を治めるはこれ薬源なり」『通義録』

「いまだやまいならざるをちす」の「未病治」こそが医療の理想であり、医療が到達すべき桃源郷だ。

3.11後に私が発信した養生法コンテンツは実はそのすべては「未病治コンテンツ」に費やした軌跡である。

このわたしの真意をしっかりと把握して頂いた少数の方々に支えられて、ここまで本ブログを存続してくることができました。

これまでのご支援、ご声援に改めて感謝申し上げます。

さて、ウイルスに関しては、いま続々とコンテンツを充実させているところですが、何しろまだウイルスが発見されてからたった110年ほどしか経ておらず、

これまでは文字通りラテン語で「毒」を意味するこの毒作用の研究しか注目されてきませんでした。

そのため「邪正一如」のウイルスの善なる側面にはまったくスポットが当たらずに、こちらのウイルスの自然界における「正・善・良・薬」作用の実体はまったく未解明だったのです。

しかし人工か自然発生かは定かではない強毒性ウイルスのパンデミックが派手に演出されたお陰で、ウイルスに注目が集まり結果としてウイルスの何たるか?

に人々の関心が向き、ウイルスを別な視点で見る私のような人間がチラホラと出現し始めております。

特に様々な病気との関連でウイルスがいったいどのように関わっているのか?は臨床に携わる私のような医療者にとっては実にホットな領域となります。

これまで癌とは何か?については事細かく分析し、独自のユニークな私なりの見解を提示し物議を醸したのは記憶に新しいのですが、例えばウイルスがなぜガン細胞内に見いだせるかと言えば、

ウイルスには自己を増殖し拡散するという目的がありますから、細胞分裂が盛んなガン病巣に入りこめば自分たちウイルスもまたそこで繁殖して数を増すチャンスが生まれるのです。

レトロウイルスなどはホスト細胞がDNA合成をする際にそのDNA内に自身のRNAを逆転写酵素を使ってすべり込ませる方法を使ってホストのDNA機能を乗っ取りますので、

細胞分裂が盛んなガン細胞や生殖細胞や幹細胞にレトロウイルスやその他のウイルスが入りこむのはある意味、必然なのです。

つまり私の見立てでは子宮頸ガンの原因とされるヒトパピローマウイルス16型、18型やガン細胞に入りこんだカビである真菌類は実はガン化の原因ではなく、結果だろうとの仮説が立てられます。

DNA合成が行われる細胞分裂がガン細胞においては盛んだから、そこならば自身のコピーを大量に増殖できると見込んでウイルスがガン細胞内に入りこんだだけであり、

ウイルスそのものがガン化を促進しているわけではないのかも!、という「気づき」が舞い降りたというわけです。

ただヒトゲノムに融合し同居し共生しているウイルス由来データ46%が、ヒトの生理に及ぼしている影響は無視できないほどに甚大です。

このウイルス由来ゲノムがヒトのガン化や免疫疾患に密接につながっているだろうとの研究は今現在、鋭意続行中のホットスポットです。

ということで、今後も『養生訓』と『新ハリー流養生訓』の二重ラセンのダンスはヒートアップの予定です。

ウイルスを制する者は養生法を制する、はず。

2015.01.27 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

癒しの原点 25

「こころは身のヌシなり、静かにして安からしむべし。身は心の奴(やっこ)なり、動かして労せしむべし」

身心の主従関係を明確に分別して、宇宙のたった4%の物質をもとにゲノムのたった1.5%により合成されるタンパク質で構造化されたこの60兆個の細胞身体はあくまで主(あるじ)に仕える奴隷のようなものであり、

身心の真の主体は「こころ」にあり、「こころ」こそが細胞宇宙のマスター(師)である。

「身体はホットによく動かし、心はクールに保つ」の「動中の静」こそが養生の要諦である、

と説く! フューッ、アヴァンギャルドだぜ!

貝原益軒の『養生訓』が特に素晴らしいのは、ハンス・セリエの「ストレス学説」を先取りしたこのようなボディよりもマインドを重視した身体倫理学を構築したことにあるのだ。

身心を疲弊させ元気をマイナスし気血をストップさせるようなショックドクトリンなマインドコントロールにより、ボディの親方であるマインドが乱されて精神疾患や各種疾病が激増する今という時代に、

『養生訓』の叡智は今後、新たな光りを放つだろう。

日本と世界を取り巻く「テロ対正義」の駆け引きがエスカレートし、少しばかり「心の冷静さ」を欠く品性のない軽率な言説がネットや主要メディアを賑わしております。

確かに様々な陰謀が世界の裏側では渦巻いているのでしょう。しかしこれは知的にも精神的にも身心ともに未成熟な、赤ん坊のような霊性しか持ち得ない現生ホモサピエンスの文明社会には必然のツキモノとも言えます。

相も変わらぬ戦争や紛争への傾斜をいかにして阻止するか?これは現代人が抱える喫緊の課題であります。

マーチン・ルーサー・キングやマハートマ・ガンディーがこの現在の混乱、カオスな現状を見たら、何と思うでしょうか?

「暴力を暴力で返すことは、暴力を増殖し星のない闇をさらに深めてしまう。闇に闇を追い払うことはできない。それができるのは光のみ。憎しみに憎しみを消し去ることはできない。それができるのは愛のみ」Martin Luther King Jr.

「人類は非暴力によってのみ暴力から脱出しなければならない。憎悪は愛によってのみ克服される。憎悪に対するに憎しみをもってすることは、ただ憎悪を深め、その範囲をひろげるだけである」Mahatma Gandhi

平和とは永遠に手に入らないものなのでしょうか?

私がこんなブログを書くのも、実はこれで人類社会を正常化して本来の宇宙の真理に沿った共生社会に人類文明のベクトルを矯正したいが為なのです。

とてもそんな風には見えないでしょうが、これでそれなりに大きな野望があるのですよ。

わたしは東洋医学を取り巻く思想的ソフトの懐(ふところ)の深さをよく認識していますので、特に「邪正一如」思想を中核に据えた「養生文明」を次なる文明のトレンドにしたいという夢があるのです。

62桁の宇宙構造と138億年の宇宙史を想起するとき、ヒトゲノムのイントロン領域98.5%が起動し、60兆個の細胞のヌシである心が解放され多次元で多層な全宇宙のフォース・フィールド・データにアクセスが開始される。

その瞬間にヒトという種族はすべての生命種とゲノムを共有する大きなファミリーの一員であることを思いだし、充足した気分に浸るのです。

道に迷ったら自然を師として仰ぐ。これこそが先賢先哲が歩んだ王道です。

「聖人と称し、仏陀と号するも、もとよりヒトなれば畢竟、我、講求討論の友にして、師とするものは天地なり」

とは江戸中期(1723〜1789)に生きた思想家であった三浦梅園の言葉です。

天地父母である自然をこそ神とし、師とするのなら、ヒトはみな自然のヤッコに過ぎません。

ヤッコ同士の争いはまったくもって醜いです。

今こそ「ラブ&ピース」じゃん!

イスラム圏は平和を愛するお国柄でしょ?イラン国は他国にここ300年間も武力行使をしなかった平和国家だそうだよ。

まるで267年間の長きにわたり戦争をしなかった江戸期の日本みたいだよね。

そんな平和な時代だったからこそ貝原益軒、三浦梅園、安藤昌益らの革命的な思想家が江戸期に生まれたのでしょう。

ここはひとつ踏ん張り所ですな。

イスラムラブの心意気で、ここだけは行きましょうや、みなさん!

2015.01.26 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

癒しの原点 24

「養生の害2あり。元気を減らす1なり。元気を滞(とどこお)らしむる2なり。飲食、色慾、労働を過ごせば、元気が傷(やぶ)れて減る。飲食、安逸、睡眠を過ごせば、滞(とどこお)りてふさがる。耗(へる)と滞(とどこおる)と、みな元気を損なう」

いやはや益軒先生の独自の養生哲学はまことにクールです!

人体にもとから備わった60兆個の細胞核ゲノムのチカラを中医学では「先天の精」と呼び、

飲食を穀類の気「穀気・こくき」としてこの穀気の栄養と、肺呼吸による大気から取りこむ酸素を合わせて「後天の精」と称し、

ヒトの潜在的なチカラの源「先天ゲノムポテンシャルパワー」は、日々に体内に取りこむ飲食から吸収された糖質と脂質とアミノ酸とビタミンとミネラルとフィトケミカルと水分と、

呼吸から取りこんだ酸素や窒素の「後天栄養」により滋養され、日々元気百倍にパワーアップするのだと、俺流に翻訳できます。

そして先天の精と後天の精を合わせた元気というものは、うっかり食べ過ぎて脾胃に負担をかけたり、色事に熱心になり過ぎて疲れたり、働きすぎて筋肉疲労や精神的ストレスをかけすぎると、

せっかく充足されていた元気パワーの充電が切れてしまう。これ元気のマイナス要因なり。

そしてまた食べ過ぎ飲みすぎると消化不良になって消化産物が大腸内にヘドロのように溜まって宿便になり、便秘は万病のもとで

腸内悪玉菌のウエルシュ菌がインドールやスカトールの有毒物質を合成しこれが腸管内壁から体内に吸収されて血行性に60兆個の細胞に送られると

そこで腐敗物質が細胞内に侵入すれば細胞核の周囲で核DNAのガードマンとして解毒を担うミトコンドリアがこのインドールらを取りこんで

チトクロム酵素で解毒するのだが、余りに毒素が多ければミトコンドリアも疲れ果ててしまい毒素がついに細胞内オルガネラの機能を失調させて細胞生理が滞るだろう。

肉食の弊害とは肉食によって増えるウエルシュ菌が産生する有毒ガスであることは日頃、余りお肉を食べない者が、たまにたくさんのお肉を食べるとオナラが強烈に臭くなることでもよく分かる。

また働き過ぎとは逆に労働もせずにブラブラし過ぎていると気血の流動が弛緩してきて血の巡りが悪くなり身心ともに活気がなくなるし、

また寝過ぎると重力負荷が寝ている身体下部に集中して床ずれになることはそうなくとも、起きた際に腰痛がしたり、首を寝違えたり、頭痛になったりするから、こうした寝過ぎや寝相も気血の滞りの原因となる。

これみな元気のストップ要因なり。

ヒトの身心を構成するエレクトロ・ダイナミック・フィールドなバイタル・フォースは気血がマイナスになることと、気血がストップすることで低下するので、

実に気血のマイナスとストップの2つの原因をよくわきまえて、ヒトの身を損なうモノを避けて、人生第一の養生法の探求に邁進せよ。

とのマスター・エッケンからの伝言です。

早い話しが元気をプラスして、気血の環流フローを促進することを養生法として実践すれば良い、ということになりましょうか。

さて、ヒトの先天の精であるゲノムの谷間の玄牝に何が潜んでいるのか?の概要は朧気ながらも少しづつ見えてきたでしょうか?

2001年2月12日に、国際ヒトゲノム配列決定コンソーシアムと民間企業セレラ社が競争して解読を進めてきたヒトゲノムはその全貌をついに白日のもとに曝したが、

しかしその後のヒトゲノムの解読により、ヒトゲノムにおける機能遺伝子と呼ばれるヒト生理に必須のタンパク分子を生み出す「セントラルドグマ・中心条理」に関わるエクソン領域はたったの1.5%しかなく、

残りの98.5%のイントロン領域に関しては、いったい何のデータが保存されているのか分からないという「ヒトゲノムのパラドックス」が生じて、

はじめはこの分からない部分をジャンク遺伝子などと呼び、まるでその呼び名のとおりゴミのような情報だろうと高をくくっていたのだ。

しかしその後の分子遺伝学における解析技術の発展により少しずつ明らかにされてきたことには、このヒトゲノムの未知なるイントロン領域には

どうも生命史において過去にウイルスが入植感染した痕跡が多数発見され、そのウイルス由来のデータが余りに多く、イントロン領域の何と46%がウイルス由来の配列で占拠されていることが明らかにされた。

これまで何度も同じこのことに言及しつつ、なかなか論考が先へと進まないのは、この驚天動地の事実にさすがの私も途方に暮れていると言ったところだろうか。

そしてウイルス領域を除く他の残りの52.5%のここが本当にまだ未知なるイントロン領域なのだが、この半分のインプリシットオーダー(暗在系)なゲノム配列にはいったいどんな秘密が隠されているのか?

これもまた非常に興味深い案件だ。ドイツの遺伝子研究者からは、実はヒトゲノムはこの62桁と138億年の時空間の情報を受信し、またこちらから発信するひとつの「送受信アンテナ」の機能を有しているとの仮説も提示されている。

であるのなら、52.5%の未知なるイントロン領域は恐らくはこうした多重多次元・時空宇宙との連絡に使われる領域なのでは、との想像も膨らんでくる。

宇宙を構成する物質がたった4%ほどであり、残り96%が未だ謎のダークマターとダークエネルギーであることは宇宙物理学の常識だが、

ヒトゲノムもまた1.5%のエクソン領域を除く残りの98.5%のイントロン領域がまだほとんどその機能や役割が分かっていないことは、なんとも言えないフラクタルな一致と言えそうだ。

つまり私たちはこの「宇宙の何たるか?」も、ヒトの命を司る先天の精である「ヒトゲノムの何たるか?」も

まだまったくなにもわかっていない知性も精神性も未熟な「赤ん坊」なのだ。こんなヨチヨチ歩きもままならないベビーベビーでバブバブなホモサピエンスが

文明の利器と称して科学技術を扱うんだから、まさに何とかに刃物でいずれ凶器に変質するに決まってるよね。

ヒトゲノムにある遺伝子のうち2758個がショウジョウバエと共通で、2031個が土壌に棲む線虫と同じくし、1523個をショウジョウバエと線虫とヒトが使い回している。

昆虫もヒトもゲノム的には親戚ということになりそうだ。いや恐らくは地球生命種130万種、これまでに絶滅した30億種を含む

ウイルスやバクテリアや真菌類や原生動物や動植物はみなゲノム的には親子・親戚・兄弟・従兄弟であるのだろう。

宇宙はくまなくダークマターとダークエネルギーに満たされ、ゲノムもあまねく共通したコードによるプールされている。

生きとし生けるこの地球上の生き物はみな交信し感応することを実証したクリーブ・バクスター氏はこの生命に共通する情報系をプライマリー・パーセプション「原初的知覚」と呼んだ。

ヒトゲノムのイントロン領域の52.5%はもしや、プライマリー・パーセプションに関する配列なのだろうか?あるいは多次元宇宙との連絡に使用されているデータなのだろうか?

下痢症を引き起こすノロウイルスの親戚のサポウイルスは北海道は札幌で最初に発見されたことからこの名が付いており、

またギリシャ語で星を意味するアストロを冠にしたアストロウイルスも下痢を引き起こすが、サポもアストロも電子顕微鏡で捉えられたその容姿は、

まるで金平糖か真っ黒クロスケにそっくりな綺麗で愛らしいカタチである。

人類はある時はウイルスに感染されて絶滅の危機にまで発展してウイルスに自然淘汰されかけるが、やがてウイルスもホストを皆殺しにしては自分たちの住み家がなくなることを自覚して、

人類と共に生きるべくホストの免疫細胞マクロファージのトールライクレセプターに査読されて、やがて免疫寛容を許されて、

みずからのDNAを「セントラルドグマ」とはレトロ(逆)にホストの細胞核DNAに組み込む逆転写酵素を利用して、ヒト内在性レトロウイルスとして人類と共生する道を歩んだのだ。

これがウイルスとヒトとの「共進化」のメカニズムだ。

ウイルスとヒトの凄絶な対立による生存競争と、その後の和解と共生融合の歴史がヒトゲノムの半分に刻みこまれている。

全生命種と全宇宙と共生するのが本来の命のありようだ、とヒトゲノムは教えているようだ。

この「 S A T O R I 」なゲノムの仏性に気づいた時に、ヒトゲノムの未知なる98.5%のイントロン領域は輝き出すだろう。

時代はすでに「ポスト・エクソン」を迎えている。

2015.01.25 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

癒しの原点 23

「畏(おそ)るるとは身を守る心法(こころのほう)なり。事ごとに心を小にして気にまかせず、アヤマチなからんことを求め、常に天道をおそれて、慎み従い、人慾を畏れて慎み忍ぶにあり。これ畏るるは、慎みにおもむくハジメなり。畏るれば、慎み生ず。畏れざれば、慎みなし」

益軒学『養生訓』による「畏れと慎み」論もヒートショックプロテインに絶好調です。

さて、まずもって私たち養生法の探求族が何を畏れるかと言えば、それは本ブログフリークなら誰もが想起するイノチそのものであると断言します。

ではイノチとは何か?この生命を定義づけることは、あの偉大なる生理学者であったアレキシス・カレルでさえ至難のワザであったことはカレルが「生命、この未知なるもの」というタイトルの書を出版していることからもよくわかるだろう。

そもそも生命の不可思議さは、決して工学や物理学や化学と同じ要素還元論の線形的なロジックでは読み解けない異質な領域なのです。ところがこと医学という学問になると、イノチをまるで金属や機械と同じようなロジックで取り扱うアカデミズムの悪いクセが顔を出します。

鉄が酸素と化合して錆びたり、炭素が酸素によって燃焼されるこれら物理的な酸化還元現象の理屈をもって、人体におけるエネルギー産生や酵素反応の酸化還元現象を同列に論ずる者が多々見受けられます。

しかし何度も申しますが、イノチという62桁フラクタル&ホログラム空間層と宇宙138億年生命史が交わる二重螺旋のダンスの場における現象と、金属の劣化が同じであるわけがないのです。

ヒト細胞は今現在は完全にミトコンドリアというかつてはバクテリアだった生き物が共生融合しており、このミトコンドリアのDNAに有った300からの遺伝子もすでに細胞核DNAにレトロウイルスが行う方法と同じく逆転写酵素によって組み込まれてしまっており、

ミトコンドリアは細胞内オルガネラとしてホストである細胞と共に連動したATP産生やステロイドホルモンの産生や体熱産生の仕事をしていることは常識ですが、ミトコンドリアが行うATP産生は別名を酸化的リン酸化とも言います。

つまりミトコンドリアは栄養素として細胞内に取りこまれた糖質と脂質とアミノ酸の三大栄養素を酸素を使って燃焼して、これが酸化現象なのですが、この酵素を巧みに操り酸化していくプロセスで水素イオンを回収して、

この水素イオンによってプロトンモーターであるATP合成酵素というミクロの水素イオン発電所を回転させることでATPを毎秒120個も生みだしているのです。この電子伝達系の過程においては活性酸素が発生しますから、

このフリーラジカルの処理をして酸化した分子を還元するスーパーオキシドディスムターゼ(SOD)と言う酵素があらかじめ用意され、またカタラーゼやグルタチオンという酵素も肝臓やミトコンドリア内には豊富に存在し、

酸化分子の還元をして常に細胞内の細胞質やミトコンドリア内は酵素反応に適した一定のpH濃度に保たれるホメオスタシスの働きによって正常化されているのです。

この柔らかな切り返しこそがイノチのありようなのです。

鉄が錆びて茶色くなるように、人体や細胞も錆びるのだから、この錆びた状態を元通りにするためには水素を補給したり、電子を供給して酸化された細胞や体質を還元改善すれば良いとして、

盛んにヘンテコな医療器具を推奨するステルスマーケティングな営業マンがチマタの迷える病者から虎の子の金銭をかすめ取っています。

しかし、果たして人体はこのような機械から提供された電子や水素をありがたく受け入れるのでしょうか?ヒトの命は錆びた鉄などでは断じてありません。

命とは、動的平衡のホメオダイナミズムに従い常に流動し、ありのままに、ひとりする、摩訶不思議な可塑性を帯びた得体の知れない畏れ多き存在です。

そんな畏れ多い命に向かって、酸化してるんだから還元すれば簡単にカタが付くだって?

別にプラシーボという偽薬効果は医療には必須のマインドコントロールだから、それ自体は否定しませんが、効くと思うから効いたような気がする世界の話しをまともに受けてはね。何とも言い難いです。

酸化されきった身体とか、酸性体質という特異的な体質などあるわけがない。命という場は決して、行き止まりのどん詰まりの壁に向かって激突するような非可逆的な系ではありません。

例え壁に激突して酸化した分子も必ずや還元酵素が舞い降りて、この分子にイオンを与えて還元する仕組みがもとからちゃんと備わっているのです。

進化とはこうした壁にぶち当たった際にそれを乗り越えるバックアップシステムを作る営為だったのですから。

人類ホモサピエンスは地球生命種の中では最も後発隊である最終バッターですが、それゆえにヒト細胞の潜在的な生命力は計り知れない程に柔軟です。

この柔軟で可逆的で可塑性を帯びたイノチの場を、まるで壊れた機械や錆びた鉄柱と同列に論じることは、まさにエセ医学論として放擲するにふさわしいと感じます。

昭和10年頃に大阪大学・医学部の片瀬淡教授が「血液酸塩基平衡説」を唱えて「白砂糖亡国論」を展開しました。この片瀬教授は実は日本食養道の創始者である石塚左玄の弟子なのですが、

この石塚左玄に始まった日本の食養運動は二木謙三・医学博士と桜沢如一の二人をもって一大発展を遂げました。

断食と青汁で有名な故・甲田光雄博士は、マクロビオティックの創始者である桜沢如一の高弟の私も生前にお会いした事がある故・丸山博・医学博士の弟子に当たります。

甲田博士もまた白砂糖亡国論に習い糖質の選択を心がけるよう指導しておりましたが、この甲田博士の指導によって難治性の小脳変性失調症を克服された森ミチヨさんという女性鍼灸師が

昨今はメディアに重用されて、いわゆる少食健康法の生き証人として少食の有効性を立証するアイコンのように扱われ始めております。

しかしこれまでも何度も申しましたが、どんな健康法もダイエットもそれは72億人のすべてに適応できるものは絶対に無いという原則があるのですから、森さんひとりの体験知をそのまま一般化など出来ないことは論を待ちません。

酸塩基平衡説をもとにした白砂糖亡国論、酸化体質こそが万病のもと論、少食青汁で万病改善論など、これらの系譜は私に言わせればイノチの柔軟性を無視した極論であろうと判断します。

そもそも石塚左玄の化学的食養論は、ナトリウムとカリウムという2元素をキャラとして、この拮抗する二つの元素のチカラを利用すれば体内環境をいかようにも調整できるとするイノチの柔軟性を尊重した主張だったのです。

これをもう一度、中国哲学の易経のオハコである陰と陽にレトロに変換し直して、この宇宙における時空間に発生するすべてを陰陽で分析し、

食の調整はそのほんの一手段であり、ではあるが食の調整をもってまず健康を獲得したら、好きなことを好きなようにやってやってやり抜いて自由人として天寿を全うせよ、

と説いたのが桜沢如一のマクロビオティック思想であったのです。

マクロビオティック=玄米食?

こんな誤解を生み出したマクロビオティック思想の変節を、草場の蔭で泣いているのはもちろんマクロビの創始者ジョージ・オーサワそのヒトでありましょう。

どんな健康法も一長一短があり、プラシーボが介在します。プラシーボの効き目がその健康法の正否を目くらまししている事もよくあります。これをやれば効く、という言葉には決して騙されないで下さい。

高いお金を払った機械の効能がなければ、あるいは一生その高価なサプリメントを飲み続けなければ、我が身を養えないとしたら、それは自由人から1000キロメートル離れた機械とサプリメントの奴隷です。

「自分以外の人間が言ったことを絶対に信じてはいかん!」「奴隷になるな!」が口癖だった桜沢如一の弟子であれば、世の健康法の虚など一瞬で見抜けるのです。

酸性体質などありませんよ。もしも本当に酸性になってしまえば酵素反応がすべてストップして、即死してしまいます。また酸性体質の反対のアルカロージスもまた即死します。

酸塩基平衡説とは、身体が本来持っている動的平衡を説明しているだけです。ホメオダイナミクスな身心を説明しているだけです。医学の素養がある者はキョウビ、酸性アルカリ性の問題にはほとんど頓着しないのは、

酸性食品を食べようが、アルカリ性食品を食べようが、人体は口中のアルカリ性と胃内の酸性と小腸のアルカリ性と大腸の酸性の酸とアルカリの餅つきによって、すべてをうまく消化分解処理してしまうのですから、

イノチは命に任せておけば宜しいという結論に達するのです。畏れ多き命をありのままに尊崇すれば、宗教など要りませんね。

そうこのイノチにはウイルスが入植したおびただしい痕跡があります。ヒト・ゲノムの46%はウイルス由来の配列です。ヒトをヒトたらしめているのは1.5%のヒト・タンパク分子を合成する機能遺伝子のエクソン領域だけではなく、

ヒト内在性レトロウイルスやDNAトランスポゾンなどと呼ばれるウイルス由来のデータによっても、ヒトはイノチを養われています。

可動遺伝子領域、ジャンピング遺伝子とも呼ばれるウイルスに由来するDNAトランスポゾンはヒト・ゲノムにおいて40ファミリーが見つかっており、これに関してヒトの生命史において過去に9万8000種ものウイルスがヒト・ゲノムに入植した事が判明しております。

ほかのイントロン領域にあるものと合わせればいったいどれだけ膨大なウイルスが過去にヒト・ゲノムに侵入したのか、まさに想像を絶します。

まずもってヒトは我がゲノムを畏るべし。

2015.01.24 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

癒しの原点 22

「身を保ち生を養うに、一字の至れる要訣(ようけつ)あり。コレを行えば生命を長く保ちてヤマイなし。其の一字なんぞや。畏(おそるる)の字、コレなり」

貝原益軒の『養生訓』から最も特異的なキーワードを選ぶとすれば、恐らくはこの「畏れ」と、この冒頭文の後に登場する「慎み」の2つの言葉が選ばれるだろう。

ではいったい何を畏れて、何を慎むのか?と言えば、畢竟すれば万物を畏れて、万事を慎むとなろうか。

私はすでに『養生訓』思想の根底にはアニミズム思想が地下水脈のように流れていると分析しているが、アニミズムを自然崇拝と解釈すれば、

自然とは安藤昌益が「自(ヒト)り然(ス)る」とルビを振ったように、この「ありのまま」の62桁の無限大宇宙のフリーリンクなフラクタルでホログラムな、

まるでマトリョーシカと金太郎飴を足したようなどこもかしこも同じ球体構造を成して、どこを切ってもどんな微細な構造にも同じ仕組みが発現する不可思議極まる連続した空間層と、

138億年前に始まり46億年前の地球誕生を経て38億年前の生命誕生のプロセスの宇宙全生命史の連続した無窮の時間軸の、この膨大な空間と時間のすべてを

「ひとりするありのままの自然」と捉えれば、この神とも仏とも造物主ともいかようにも解釈できる自然を崇拝し、

敬い、畏れ、この我が身はまさにこの62桁と138億年の自然とつながっていることに思いを馳せ、

慎んで大事にこの身を扱い、人生の一大事である養生法の探求をもって、自然の恩義に応えて健康長寿を達成することが、人生の目的であり手段であると、『養生訓』の精髄を読み解くに到りました。

近代科学文明とは自然への「畏れ」を失念し、末期ホモサピエンスが我が身心を「慎む」ことを忘れた結果、生み出された文明の突然変異「畏敬文明」ならぬ「異形文明」ではなかったのか?

「自然を大事にしよう」というエコキャンペーンが叫ばれて久しいが、自然とは決して他者ではなく、自分自身もまた自然の一部であることを忘れて、傲慢にも自然が人間のチカラで操作できるかのようなこの発言からも、

人類が自然をそのままに認知する感性がヴィクトルから1000キロメートルは乖離していることがよくわかるのだ。

わたしはこれまで常々「ガンは敵ではなく味方であり仲間である」とか「ウイルスもバクテリアもガン細胞も仏性を有する」と言い続けているのは、

他でもないウイルスもバクテリアもガン細胞もまた自然の一部だからだ。ギリシャの医聖ヒポクラテスはヒトの身体に備わった自然治癒力をポノス( Ponos )と命名し、

「解体新書」を翻訳した杉田玄白はこのヒポクラテスの自然治癒思想を受けて「すべて病を治すは自然の力にして、クスリはその足らざるところを助くるものなり。西洋人は、自然は身体中の一大良医にしてクスリはその補佐なりと言えり」と唱えている。

いったい西洋医学はどこから医療ビジネスに変異したのだろうか?純粋にヒポクラテス思想を受け継いだなら、今の世においてこれほどのバッシングを受けることはなかったろうに。

あらゆる領域が腐敗し腐臭を呈し、二項対立の毒気に汚染されている現代文明。すべてはわたしたちそれぞれの責任なのだろうと推察します。

そもそもこの自然界は、いや宇宙すべては「敵ではなく味方であり仲間である」モノによって構成されているのです。

それを無理やり敵と味方、善と悪、邪と正、テロと正義、生命と非生命、解糖系とミトコンドリア、ガン細胞と正常細胞、酸性とアルカリ性、酸化と還元と、すべてを2つの対立する事柄に別(わ)けて、こざかしい分別知(ふんべつち)を持ち込むから

すべてを見失っているのです。2つに別けることなどできないのがこの宇宙なのです。それはこの宇宙に生じるすべての構造が「全一性」を象徴するラセンや球体を描くことからも、簡単に分かります。

ウイルスの基本構造ビリオンはまさに「ラセン型」と、球状の「正多面体」です。もちろんウイルスも宇宙の申し子であり、我々の仲間なのです。

さて、植物がウイルス対策として抗ウイルス性分子を生成していることを前稿で学びました。この植物がバクテリアやウイルスに対抗する分子を合成できる事を世界で最初に発見したのは、

旧ソ連の科学者ボリス・ペトロヴィチ・トーキン博士であることは知る人ぞ知る事実です。トーキン博士はこの植物の殺菌力をフィトンチッドと命名し、すべての植物がフィトンチッドを生成し、

フィトンチッドのチカラをもってして、このウイルス&バクテリア生命界でたくましく生きていることを立証しました。森林浴とはよく言われるように森の樹木が発散するこのフィトンチッドを浴びて吸うことを言いますが、

ヒトは古来よりフィトンチッドを体内に取りこむことで、ウイルスやバクテリアに対抗する免疫力を保持してきたのです。

中国大陸は3500年前まではその国土の80%以上が大森林でした。フィトンチッドに満ち満ちた霊気がユーラシア大陸の東部をことごとくブルースモッグとして覆っていたのです。

鉄器を生みだした人類はやがて森林を伐採する暴挙をしでかし、地球の大半の森林をペンペン草も生えない荒れ地にしてしまいました。

あの肺胞マクロファージを活性化しインターフェロンを旺盛に分泌してくれた清らかなフィトンチッドの粒子は、今や見る影もありません。

AIDS、エボラ出血熱、SARS、鳥インフルエンザ、・・・、次から次に強毒性の新種のウイルスが今世紀になり出現しております。

しかしこれらヒトに害をもたらすウイルスは本来は無害であり、いやいたとしてもフィトンチッドにおさえられてごくわずかだったとしたら?

そうなのです。もしかするとヒトが地球ウイルス界の免疫系である森林を伐採しなければ、これらのウイルスはこちらの人間界にまでノコノコと出てくることは出来なかったかもしれないのです。

畏れと慎みを忘れた近代文明がもたらした災厄がウイルスパンデミックなのかもしれません。

『養生訓』は現代文明の原罪まで浮き彫りにする優れた養生書です。

2015.01.23 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

癒しの原点 21

「内慾とは飲食の慾、好色の慾、睡(ねぶり)の慾、言語を欲しいままにするの慾と、喜怒憂思悲恐驚の七情の慾を言う。外邪とは天の4気なり。風寒暑湿を言う。内慾をこらえて、少なくし、外邪を畏れて防ぐ、これをもって元気を損なわず、ヤマイなくして天年を永く保つべし」『養生訓』

日本における養生思想には韓国を経由して西暦450年頃に日本に移入された中国医学の医学観が色濃く反映されていることは、

日本において明治になるまではこの移入された中医学をベースにして日本風にアレンジと洗練を加えた日本鍼灸と日本漢方が医療の主流であった事から当たり前であることは言うまでもないが、

益軒がベースにしている養生観も無論のこと中医学コンテンツがベースであるゆえに、『養生訓』を読み解く際には中医学の知識が要求されることも論を待たない。

チマタにはこれまで『養生訓』の解読書と呼べるモノが何冊も発行されているのだが、中医学の素養がある鍼医が解読したものはまずもって皆無ゆえに、

今回の鍼医である私による『養生訓』解読は恐らくは革命的な解釈になり、すでにラディカルでクールでアヴァンギャルドな解説がほとばしっている事は皆様にもご承知いただけているかと存じます。

前稿にて中医学の病因論をサラッと復習しましたが、内因とされるものに内慾なる言葉は出てきませんでした。内因と言えば通常は七情の乱れを論ずるのが中医学の基礎なのですが、

そこに内慾という概念を持ち込んだのは益軒先生の一流のアレンジと言えましょう。

さらに外因である外邪を6つから4つに絞り込んで、乾燥の燥気(そうき)と熱波の熱気(ねっき)の2つの邪気をスルーしておりますが、

これも日本の風土を鑑みた益軒先生なりの配慮であり、日本人に合った養生法を説くための「はしょり」、シンプル化であったと推定できます。

中国大陸は日本の国土と比較して広大であり、そこに影響する気候素因には砂漠の乾燥や熱波があることは容易に想像がつきます。

しかし日本には砂漠のような環境はありませんから、益軒先生はこの砂漠のような気象条件がもたらす外邪である燥気と熱気を除いたと目されます。

内慾に関しては永く眠ってばかりいると、体内の気血の流動が妨げられるとして「睡(ねぶり)の慾」を内因にもってきておりますが、これも益軒先生独自の養生観であり、なかなかユニークな視点であり、

また言語を欲しいままにするとは、言いたいことを言いたいように言葉を操って喋ることを言いますが、これも過ぎたるは人身に害を及ぼす邪となると注意を促している点も面白いです。

内慾を慎(つつし)んで、外邪を畏(おそ)れる。この畏れと慎みをもったライフスタイルを実践すれば健康な天寿を全うできると説くのが、

凡百のインチキでエセ医学論が満載された養生訓モドキと一線を画すホンモノの『養生訓』の凄味です。

是非に「テロ対正義」のマッチポンプ陰謀ハリボテ劇場が真っ盛りの末期ホモサピエンスがあがくこの近代毒気文明の渦中にありて、

『養生訓』の精髄をここで飲み干して、くだらない二項対立の毒気(どくき)を綺麗さっぱりとデトックスして頂ければと存じます。

さて毒と言えばラテン語でウイルスなのですが、少し視点をヒトから植物に移行して、自然界に繁殖している三木成夫博士が表現によれば「植わったモノ」である草木たちは、

このウイルスが下支えするウイルス生命界でいったいどうやって上手にウイルスと折り合いをつけて暮らしているのか?には強く興味がそそられます。

動物にとっても病原ウイルスはやっかいなシロモノで、ヘタをすると感染されれば病気になり、うっかりすると死滅すら真逃れず、

余りに感染が長引けば種が絶滅することすらあるのですが、それは植物にとっても同様な事象であり、農家にとってはウイルス性の病気が栽培植物に感染することは経済的なダメージもさることながら、

有効な対策がないことからも、植物に罹患するウイルスは、大変な問題であることはよく知られております。

しかし、植物界の繁栄はパッと見ても分かるように、地球上には草木が生い茂り、海中にも海藻が繁茂しております。

こうした事から自然界に棲む彼ら植物には恐らくは独自のウイルス対策があるのではと想像できます。

古代ギリシャの医聖ヒポクラテスは、ヤナギの樹皮から取った苦い物質に鎮痛解熱の効能があると記述しており、古代中東やアメリカのネイティブ達もまたヤナギの樹皮を薬用として重用しておりました。

配糖体であるサリシンという混合物がヤナギの樹皮( Salicis cortex )を煮つめて抽出されたのが1825年、1838年にはイタリアでサリシンをサリチル酸に精製するのに成功し、

1860年についにドイツの化学者アドルフ・コルベがサリチル酸を合成するに及び、1874年からサリチル酸が内科領域で使用を開始され、

1897年にアセチルサリチル酸の合成の成功をもって、ドイツバイエル社が解熱鎮痛剤アスピリン(アセチルサリチル酸)の販売に到る。

「ヒトはみずからのうちに百人の名医をもつ」との自然治癒思想を展開した西洋医学の祖ヒポクラテスが植物のうちなる自然治癒物質に目を向けてから約2000年を経て、

ようやく「ヒトはみずからのうちに百人の名医と、さらにもうひとりの名医をもつ」に到ったと言えよう。

実は、ヤナギの樹皮に多く含まれる配糖体サリシンという成分は、すべての植物の樹皮に保有されている植物がもつ「抗ウイルス薬」なのです。

天然の抗ウイルス薬をちゃんと保持しているからこそ、植物たちはこのウイルスがおびただしく棲息する地球で繁茂できていたのです。

つまり植物は樹皮にウイルスが感染した場合に、ウイルス感染を探知すると感染した細胞でサリチル酸を合成して、ウイルスや病原菌が繁殖拡大するのを食い止めますが、

その際にはヒトの白血球がウイルスや病原菌と闘って膿となってアポトーシスするのと同じく、ウイルスや病原菌の感染を食い止めた植物細胞がそこでアポトーシス死して白く斑点になることもあります。

こうして自然界の植物は我が身を損なうモノであり、外邪である疫病のもとであるウイルスや病原菌から身を守って養生しているのですが、

さらに驚くべきことには、水溶性のサリチル酸を揮散性のサリチル酸メチルに変換して、植物の葉の気孔から大気中へとサリチル酸メチルを飛ばすのです。

このあるウイルス感染された植物から発せられた危険信号であるサリチル酸メチルは仲間の植物の葉の気孔から吸い込まれると、

今度はそこで水溶性のサリチル酸にまた変換し直されて、今度はこの仲間の植物が自分の細胞で同じサリチル酸の合成を始めます。

つまり植物はウイルスや病原菌に感染されると、それに対抗する抗生剤や抗ウイルス薬を自前で合成し、さらに仲間の植物たちにもウイルスや病原菌が近くに侵入したと揮発性のフェロモンと呼べる信号分子を使って知らせあって、共同してウイルスや病原菌に適応しているのです。

これは言わばヒトでいう免疫系の仕組みとまったく瓜二つの現象と言えます。ヒトの免疫系は腸内の腹腔マクロファージや皮膚の樹状細胞のランゲルハンス細胞がまずは外来性の病原ウイルスや病原菌や異物を探知すると、

マクロファージや樹状細胞から「異物侵入」の知らせであるインターフェロンやインターロイキンや腫瘍壊死因子が分泌されて、

免疫細胞全体へと「敵機襲来!」の知らせが伝授され、すべての免疫システムがスタートする仕組みです。

植物がウイルスや病原菌の侵入をもってサリチル酸を合成することと、腹腔マクロファージや皮膚ランゲルハンス細胞がサイトカインを分泌することが、まったく同じような免疫機序であることがこれでわかります。

ヒトは本来的に「みずからのうちに百人の名医である免疫系を保持している」のですが、さらに植物由来の植物がもつ「百人の名医」まで横取りしているのですから、随分とズーズーしいですね。

なぜ漢方薬の生薬が草根木皮を主原料としてきたのか?それは植物の細胞壁に病原菌や病原ウイルスに対する有効な成分である多糖体が豊富に含有されていたからなのです。

であるのなら、普通に食材として野菜や果物を食べていればウイルスや病原菌に対抗できるサリチル酸のような多糖体が豊富に摂取できるのでは?

そうなのです。だっからずっと「ネバネバヒート養生法が世界を救う」とクドクドとアタシが提言しているわけなんです。

少しは、ネバネバヒートの底力が貴男、貴女にも分かってきましたかね?

「ヤマイなくして天年を永く保つ」秘訣はここだけの話し、ネバネバヒート養生法に尽きるから、そこんとこヨロシク!

2015.01.22 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

癒しの原点 20

「養生の術は、まず我が身を損(そこ)なうモノを去るべし。身を損なうモノは、内慾(ないよく)と外邪(がいじゃ)なり」『養生訓』

東洋医学、より専門的に言えば中医学(ちゅういがく)における病因論においては「およそヒトの苦しむところ、これを病(やまい)という。この病を致す所のモノ、これを因(いん)という」とされ、

病因はまたの名を「到病因素」や「病原」とも称すが、この病気の原因を3つに別(わ)けて、心理的な変動である内因(ないいん)と、

気候的な環境ストレスである外因(がいいん)と、このどちらでもない不内外因(ふないがいいん)に分類することについては、すでに以前に何度も本ブログでは記事にしたためている。

そこでここに挙げた3つの中医学における病因をもう少し細かく列挙すると、外因としては六淫(ろくいん)として「風・寒・暑・湿・燥・熱」の6つの環境ストレスがあるとされ、

内因としての七情(しちじょう)の乱れには「怒・喜・憂・思・悲・恐・驚」の変動があり、

また病原性ウイルスや病原性バクテリアや真菌類であるカビなどにより発症する微生物性の感染症を認識して疫癘(えきれい)と呼ばれる病因カテゴリーがすでに設けられ、

そして不内外因に相当するのが、不適切な飲食や、労働と休息のアンバランスである労逸失当(ろういつしっとう)や外傷、房事過多と過小の性生活の不適に当てている。

「内因なければ外邪はいらず」という有名な言葉があるが、これはザックリと言えば精神的なストレスがない場合は、例え環境ストレスが負荷されても病気には罹らないと訳せるが、

この概念が敷衍されて「バカは風邪をひかない」という慣用句が生まれたとも思われる。

チマタにはプラシーボ全開の「これさえやれば癌も治せて、万病を封じ込める」と吹聴するエセ医学論を振りかざすネット雀が多数散見されるが、

こうした魔法のようなお題目を念じて自分自身すら洗脳するお気楽なマインドコントロール医学観を保持できれば、もしかしたらこの「バカは何とか」と同じく、本当に万病を征圧できそうで、私などの疑い深い性格の者からすると逆に少し羨ましく思える。

とはいえ、そんなフリンジ・サイエンスにかかずりあっているヒマはこちらには、毛頭ありませんので、今後とも人生第一の大事である養生法の探求にいっそう邁進する所存です。

さて、中医学の病因論にはまだ免疫(めんえき)という言葉もなく、もちろん2300年前に体系化された医学ゆえに遺伝子やDNAに関する情報など皆無だったからゲノムに関する概念もなかったのですが、

免疫という言葉はまだ無くとも先に見たようにすでに感染症を他の病因と区別して分類して、疫癘(えきれい)や温疫(おんえき)と言う病因解読カテゴリーを設けていたことは実に特筆に値する事項かと存じます。

中医学の文献には疫病(えきびょう)という感染性疾患に関しては他に、疫気(えっき)、癘気(れいき)、戻気(れいき)、異気(いき)、毒気(どくき)、乖戻之気(かいれいのき)、雑気(ざっき)などの表記が発見されます。

「それ温疫の邪の病を為すは、風にあらず、寒にあらず、暑にあらず、湿にあらず、すなわち天地の間、別に一種の異気有りて感ずるところ」で「邪は口鼻より入る」と、今から373年前の1642年に発行された明時代の中医書『温疫論』には語られている。

イギリス人医師エドワード・ジェンナーが天然痘ウイルスに対するワクチンを開発したのがこの中医書が発行されてから154年後の1796年であることを鑑みても、

中医学における感染性病原因子に対する注目は、まさに世界の医学観を先取りしていたと言えるだろう。

季節性インフルエンザウイルスに罹患する患者が増大し、うちの娘が通う小学校では学級閉鎖が相次いでおります。

インフルエンザウイルスが好む湿度は20%前後であり、インフルエンザウイルスが快適と感じる温度は15〜20度前後です。

つまり外因という環境ストレスのうちの燥(そう)と寒(かん)が加わるとインフルエンザウイルスが疫癘(えきれい)化して毒気(どくき)に変貌するのです。

インフルエンザウイルスには何の罪もありませんし、インフルエンザウイルスはそもそもヒトを苦しめようなどとはツユも思っておりません。

ただインフルエンザウイルスにとっての快適な環境が整うと、それをもってインフルエンザウイルスが増えるというだけの話しなのです。

乾燥し低温化する秋冬から春にかけて季節性インフルエンザが流行する真因とは、インフルエンザウイルスにとっての好環境が地球環境の変動によってセッティングされる、というだけのことだったのです。

市販の不織布マスクはよく知られているように5マイクロメートル以上の粒子しか捕捉できませんが、ウイルスのサイズは0.025マイクロメートルから0.35マイクロメートルなので、このようなマスクでは簡単にインフルエンザウイルスは通過してしまいます。

しかし、すでにウイルスの保菌者となった者みずからが発する5マイクロメートル以上の唾液や飛沫に含まれるウイルスを、外部へと咳やクシャミと共に拡散しないためにマスクは必須であり、

また鼻腔を乾燥や温度低下から防ぐための予防としてもマスクは必携となります。例えマスクをウイルスがすり抜けるからと言っても、

マスクにはウイルスを拡散しないためと、ウイルスを鼻腔内に増殖させないためには、充分に有効であることは知っておいて損はないでしょう。

ただウイルスの遺伝子変異スピードは細菌の変異スピードの1000倍です。細菌の変異スピードはヒトの正常細胞の変異スピードの1000倍ですから、

実にウイルスのゲノム変異速度はヒト細胞の1000×1000倍ということになります。驚異的な進化変貌を瞬間的に遂げる種族がウイルスです。

いったんヒトの体内に入りこんだウイルスは即座にヒト細胞のゲノムと融合を開始して特異的なウイルスに変貌してしまうのですから、この事実からみてもインフルエンザワクチンの有効性には大いに疑問が残ります。

ウイルスはラテン語で「毒」を意味しますが、中医学で言う「毒気」に変貌させ、疫癘(えきれい)化させないコツは、

流行する時期はしかるべくマスクを着用して、多糖体を多く摂取する食事を心がけて腹腔マクロファージや肺胞マクロファージを活性化して、ウイルス干渉因子であるインターフェロンをマクロファージや体細胞に分泌させて、

睡眠時にマクロファージは最も活躍しますから、よく眠ることでインフルエンザウイルスの感染は予防できます。

我が身を損なうモノである外邪の筆頭、インフルエンザウイルスを封じ込めるちょっとした知恵を伝授してみました。

2015.01.21 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

癒しの原点 19

「園に草木を植えて愛するヒトは、朝夕こころにかけて、水をそそぎ土をかい、肥(こえ)をし、虫を去(さり)て、よく養い、その栄(さかえ)を悦(よろこ)び、衰(おとろえ)を憂(うれ)う。草木はいたりて軽(かろ)し。我が身はいたりて重(おも)し。あに我が身を愛する事、草木にもしかざるべきや。思わざる事はなはだし。それ養生の術を知りて行う事、天地父母に仕えて孝をなし、次には我が身、長生安楽のためなれば、不急なるツトメはまずさし置きて、若きときより、早くこの術を学ぶべし。身を慎み生を養うは、これ人間第一の重くすべき事の至りなり」

益軒『養生訓』総論・上の第三弾がこの文句だ。真にヒトに必須の養生法を探求し実践し、健康長寿を勝ち取る事は人間が第一にすべき最も大事なことと説く「身を慎み生を養うは、これ人間第一の重くすべき事の至りなり」との宣言は、まさに世界養生革命キャンペーン運動のキャッチコピーにもふさわしい優れて現代的な表現と言えよう。

人間第一の一大事を追及しているのが本ブログです。どうぞ今後ともよろしくお願い申し上げます。

さて、ウイルスの概略を少し復習と予習を兼ねて講義しておきます。

ウイルスが発見されたのは1892年とかなり最近のことであり、1883年に植物間を移動する謎の病原体が見つかり、この病原体を解明せんとする中で1892年に細菌濾過器を通した抽出液からも感染性因子が確認され、これにより細菌よりも微少な病原体があることがハッキリと確認された一大スクープとなる。

この最初のウイルスはタバコ属の植物から発見されたのでタバコモザイクウイルス(TMV)と命名されて、簡単な操作で大量にタバコ属の植物からこのウイルスが入手できることから、ウイルス研究の花形としてこれまでTMVが多用されてきた。

ウイルスの大きさは細菌濾過器を通過する程に小さいことからも分かるように、平均サイズはバクテリアの1000分の1は小さく、だいたい平均身長は25ナノメートルから350ナノメートルであるが、

2010年に発見された細菌に似ている(ミミック)という意味を持つミミウイルスの大きさはこれまでのウイルスサイズの常識を覆す600ナノメートルであり、さらに2011年にはミミウイルスをしのぐメガウイルス680ナノメートルの巨大なウイルスが発見されている。

このミミウイルスやメガウイルスで驚くのはその大きさだけでなく、ゲノムサイズもまた大きいことであり、通常はインフルエンザウイルスやエイズウイルスでもその遺伝子数はわずか10個前後であるのだが、この巨大ウイルスにいたっては何と1000個を越える遺伝子数を誇り、最少細菌であるマイコプラズマ(220ナノメートル以下)の遺伝子数500個をはるかに凌ぐゲノムサイズを持つ。

この巨大ウイルスの発見により、今後はウイルス観に修正が加わることは必至だろうと推定される。

ウイルスの構造は非常にシンプルであり、遺伝情報を保有するDNAやRNAなどの核酸分子をタンパク質の殻であるカプシドにくるんだ構造であり、外観は「らせん型」か「正多面体」で中でも正20面体が多数を占める。またカプシドの殻の上層にもうひと膜、タンパク質のシートであるエンベロープがかぶせられるタイプがあり、これはエンベロープウイルスと呼ばれる。

ウイルスが生物と無生物の中間と呼ばれる理由は宿主であるホストの体内にいない時にはまるで元素のように結晶化してしまう事から無生物的に捉えられるのだが、いったん生物の体内に感染するとそこでは分子生命体とも呼べる猛烈な動きを見せて、

レトロウイルスにいたっては宿主のDNAに入りこみ、自身をコピーして入植する手筈をすっかり整えて、増殖を開始していく。

ウイルス学研究者たちによれば、ウイルスは宿主に寄生した場合には明らかに生物的であるとの判断を下している。

体長25〜200ナノメートルのT4ファージと呼ばれる宇宙船か、はたまたタコ型ナノマシンかと思えるような非常に機械的なナリをしたウイルスが存在するのだが、バクテリオファージの名称からも分かるようにファージはバクテリアに寄生して、バクテリアのDNAを利用して増殖してバクテリアを殺す性質がある。

このバクテリアつまり細菌を殺す性質を利用して、病原菌に対する抗生剤的なファージの利用ができないか?という研究もすでに始まっている。

そしてこのバクテリオファージは実はヒトの腸管内にすでに常在性ウイルスとして常駐しているというのだ。

つまりヒトの腸内に常在しているウイルスが、例えば口から食物に乗ってヒトの腸内に侵入してきた外来性の病原細菌に寄生して、この病原菌を破壊して「溶菌現象」を引き起こすことで、外来性病原菌に対する抗生剤的で免疫的な活躍をこれまでしていたと仮定するのなら、

すでにヒトと腸内常在性ファージウイルスは共生的な関係を築いてきたと言えるかもしれないのだ。

ようはウイルスとヒトはかなり深く共生しているというのがウイルスに関する新たな知見なのだ。

これまで腸内細菌や皮膚常在菌との共生は常識的なものとなっていたが、新たにウイルスとの共生がヒトの生理に及ぼす影響に関する考察も今後は養生カテゴリーのトレンドとなると予測される。

まだまだウイルスの概略は書き足りません。

次稿にて、さらにウイルスのプロフィール紹介を続行します。

2015.01.20 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

癒しの原点 18

「万(よろづ)の事つとめて止まざれば、必ずシルシあり。例えば、春タネを播きて夏よく養えば、必ず秋ありて、なりわい多きがごとし。もし養生の術をつとめ学んで、久しく行わば、身強くして、天年を保ち、長生を得て、久しく楽しまん事、必然のシルシあるべし。この理、疑うべからず」

先の『養生訓』のスタートに続く、次なる一節がこれである。今回からほんの少しカタカタ表記などを取り入れて、原文とはまた異なるニュアンスを醸す工夫を試みております。ちなみに、これまでの原文引用においても、平仮名を漢字に直したり、古い仮名表記を現代風に直すことをすでに実行しておりました。

オリジナルの原文はいずこでも入手可能ゆえに、こちらでは少々スパイスを利かせて、クールでラディカルでアヴァンギャルドなテイストを今後も心がけていきます。

ということで、この第2文もまた実に素晴らしく、惚れ惚れします。あえて解説をするまでもなく、現代人の言語感覚にもまったく違和感なくスッと溶け込む魔法のような口溶けです。

私のブログ読者には、20年間も自然農と向き合って奇跡的に美味しい野菜を作る方がおりますが、貝原益軒が有名な『養生訓』の序論の二番手にもってきたネタと次なる3番手に登場させるネタが草木の栽培に例えて養生を語っていることを知れば、さぞ驚くと共に嬉しさがこみ上げるだろうと確信しております。

私自身は野菜作りは無類に下手くそなのですが、タネを播いて、芽が出て、大きくなり、やがて花が咲き、実を結び、またタネを付けて、やがて枯れていく。この植物の食と性の二相を追い求める循環の中に溶け込む生き方は、まさに植物の養生法の探求であろうと推測いたします。

こうした農や耕を通した植物との対話という植物養生法の探求から体得した叡智にも、またウイルスやバクテリアや動物やヒトや地球や銀河系や大宇宙といかにして折り合いを付けて、協調するかのヒントが満載されているであろうと想像されます。

益軒先生は冒頭言において野菜作りとヒトの身心の養生を一体の事象として、同一の文脈で語っております。野菜や身体に手をかける事は決して無駄ではない。ヒトの身体も野菜同様に上手に「お手入れ」することで、健康という花が咲き、長寿という実りを得る。

真の養生を実践する先にだけ健康長寿は達成できる。こうした『養生訓』に発見できる自然と植物とヒトを一体と見る健康的な養生哲学は、なんとも清々しく心洗われる思いが致します。

さてこの貴き大宇宙から頂いた身体髪膚、四肢百骸、五臓六腑をいかにして大事に扱い、末永く健康に保つか?ということにおいては、この60兆個の細胞と1京8000兆個のミトコンドリアと数百兆個の常在菌が織りなすヒトの命(いのち)とは一体いかなるモノか?をしっかりと精密に把握しなければ、到底、命の健やかな運用は出来かねます。

イノチとは何なのか?の大命題はお釈迦様でも草津の湯でも、なかなか解きほぐせない生命観のコリです。

いったい地球生命はいつ誕生して、どのようにして進化し、今この瞬間にいったいどんな風に生きているのか?

これまで生物界の単なるヒール役であり、厄介物でどちらかと言えば無くてケッコウと思われていた、あのラテン語で毒を意味するウイルスという種族が実は地球生命界の欠くべからざる仲間であり、いや仲間というよりもすべての生命種の命を見守り育む慈母とも呼べるモノがウイルスであり、

どうも地球生命種はウイルスが無くては一時も生きることが叶わぬ程にウイルスに依存し、同化し、融合し、ウイルスと共生していることが少しづつ分子生物学の発展と共に解明されてきました。

進化論においては現在の主流はネオ・ダーウィニズムであり、別名を「進化の綜合説」とも呼びますが、あのチャールズ・ダーウィンが20年間に渡り緻密に検証を重ねて発表した『種の起源』という著書から進化論の論争が始まったのは常識でありますが、ダーウィンが存命中にはまだ遺伝子やDNAやゲノムという概念がなかったがゆえに、

後にこれら遺伝学の知識がミックスされてダーウィン進化論はバージョンアップしました。これがネオ・ダーウィニズム「進化の綜合説」と呼ばれる学説であり、突然変異と自然選択により生命は進化すると、ザックリと説くのがこの学閥であります。

近年になり分子生物学の発展に伴いこれまで進化の原動力とされた突然変異や自然選択以外にも多くの進化の原動力が発見されてきております。

環境の変動により遺伝子がオン、オフすることはエピジェネティクスやエピゲノムと言いますが、これなどはダーウィンの生きた時代には考えもされなかった現象ですし、かの日本が誇る偉大なる碩学である故・今西錦司博士が提唱した「棲み分け」理論ももちろんエピゲノムや「共生進化」とも大いにリンクする有望な進化論です。

また植物ではありふれた現象でもある異種交配が動物間でも普通に起こっていることも遺伝子のバラエティーを増す重要な進化の原動力とされ、これらの様々な進化論を今後はミックスして、新たな進化論の大きな物語りが描かれていく未来が予測されます。

獲得形質の遺伝説はあの有名なジャン・バティスト・ラマルクが説ですが、ラマルク説はエピゲノムとウイルス水平遺伝説と共に、今後は汚名を返上し、復活のノロシを上げるだろうと私は期待しております。

進化の原動力は現状では、突然変異、自然選択、ゲノム重複、異種交配、エピゲノム、ラマルキズム、棲み分け、ウイルス共生などが候補として挙がります。

今現在、娘の小学校でもインフルエンザウイルスが猛威を振るいはじめておりますが、例えばバクテリアを食べるという意味のバクテリオファージと呼ばれるタコ型のマシンのようなナリをしたウイルスなどは

ヒトの腸内に普通に常在性のウイルスとして常駐していますし、鼻腔内にはインフルエンザとは違う普通の風邪を発症させるライノウイルスやコロナウイルスやアデノウイルスも常在しております。

こうした先住性の常在ウイルスたちは恐らくは季節性インフルエンザウイルスに対する交差免疫として、抗生剤のような一定の免疫力を発揮していると私は見ています。

そうなのです。私たちはとっくにウイルスと共存共栄し、共生していたのです。

ウイルスの全貌を解明せんとする革命的な挑戦がここ本ブログにおいて始まっています。

ウイルスの真相を解き明かすことで、養生法はまた大きな進展を遂げると確信します。

ウイルスを味方につけ、ウイルスと共存するには、まずもってネバネバヒートな養生法に励むが得策です。

ウイルスのDNAやRNAを査読する装置は、実は免疫細胞のマクロファージの体内にあるエンドソームの内膜にあるトールライクレセプターなのです。

ウイルスを知ることで、免疫の真実もより深く理解できてくるはずです。

ウイルスの解明と共に、本ブログもまた「ウイルス共生進化」を遂げます。

いつの日も「変わらなくあるために、変わりつづける」、

それこそが養生法の探求です。

2015.01.19 | | コメント(4) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

癒しの原点 17

「命みじかければ、天下四海の富を得ても益なし。財(たから)の山を前に積んでも用なし。然(しか)れば道に従い身を保ちて、長命(ちょうめい)なるほど大なる福(さいわい)なし。故に寿(いのちなが)きは、尚書(しょうしょ)に、五福の第一とす。これ万福の根本なり」

『養生訓』全8巻の巻頭を飾った総論における第一文のシメの言葉をここに引用した。書き下し文をわざわざ記して解説を加えることもない程に明解に益軒の思想の精髄がほとばしっている事は一読して誰にでもわかるだろう。

例えプライベートジェット機を手に入れて、バミューダ海域のプライベートアイランドや、ハワイの高級ホテルや、イタリアはトスカーナに別荘を所有し、世界中を遊興する程のゼニを懐(ふところ)に転がり込ませる事に成功したとしても、

便秘や偏頭痛に悩まされて、積み上げたゼニがいつか誰かにネコババされるのではないかとソワソワして一時も心が落ち着かない。そうであるのなら一体、その富みやゼニに何の意味があるというのだろうか?

人の幸せの根本とは健康である。健康で長寿であることこそがゼニを積み上げることよりもはるかに大事な事。幸せの根本は健康長寿。

しかし健康長寿を達成するためには真の養生法を知らねばならない。

つまり真の養生法を知り、それを実践し、健康長寿を達成することが最も幸せなことであり、人生最大の目的である。

貝原益軒の愛妻は教養に満ちた才女であったが、身体が弱かったという。身体の弱い自分の妻のような者をひとりでも減らし、皆が健やかに安住できる健康な社会を築くにはどうしたらいいのか?

益軒は妻をいたわり看ながらいつもそんな事ばかり、考えていたのだろう。

身近に弱い者がいると他者を思いやる視点が身につくものだし、自分が痛い思いや苦しい思いをして初めて本当の意味で他者の痛みに共感する心が芽生え、他者の苦しみを共有できるようになる。

『養生訓』とは愛妻とこの世界の痛みと苦しみを引き取り、いかにして宇宙生命史を正常化できるか、の思想と実践法を説いた希代なる世界遺産な養生書であったのです。

自身もまた幼少時より病弱であった益軒はコツコツと養生法を探求し、虫歯1本も無い身で、愛妻が亡くなった『養生訓』が出版された翌年に妻を追うようにしてこの世を去る。

まさに凄絶なる「愛の『養生法探求』訓」こそが『養生訓』にふさわしい評価であるとここに断言します。

この世にあまた存在する現代の「養生訓モドキ」に愛を感じますか?それらの言説は私に言わせれば、すべてゼニ儲けに収斂させる卑劣なステルスマーケティングに過ぎません。

よくよく世に溢れる養生指南を注意深く考察してください。これこれしかじかの病因が諸悪の根源だから、この諸悪の根源さえ取り除けばすべてカタが付く。

そしてカタを付けるために最も効果的な方法はこの医療器具で不足したホニャララを足してやるか、このサプリメントを飲食して不足していたホニャララを注入してやれば万事めでたし、目出度しで、万々歳!

ほとんどすべての健康法はこうした巧みで狡猾な利益誘導の線形的ロジックを駆使して、悩める病者から虎の子の金銭をかすめ取るのです。

フリンジ・サイエンス(疑似科学)な科学的な用語を多用して病因解読をしてみせて悩める者の思考を一端ショックドクトリンに停止させて、

そうしてまず思考のキャンバスを白紙にしておいてから、意味不明なエセ医学論でベタベタと脳内を塗りたくり洗脳するからこそ、

有害無益で百害なくとも一利もないインチキな医療器具やサプリメントに耽溺幻惑させることが出来るのです。

それって、ほとんど詐欺そのものだし、効果があったらそれこそ「効くと思うから効く」のプラシーボ(偽薬効果)100%だし、「鰯の頭も信心から」だからいっそのことイワシの頭でひと商売打つか?

高額な医療器具から得る効能や、高価なサプリメントから摂取する成分がなければ健康長寿が達成できないのなら、1%のゼニ持ち以外の99%の貧民は金輪際、一生永久に永遠に救われません。

ゼニ持ちは健康長寿、貧民は病弱短命。

こんな馬鹿な話しがあるでしょうか?断じてそんなバカな話しは銀河系外の宇宙の果てに蹴飛ばしてケッコー、ケッコー、コケコッコー!

残念でした、またどうぞっと! 

おれら貧民にはすでに誰も彼をも健康に幸せにする養生法がとっくのとうに手に入っているんだぜー! 

ヒューッ!

そっ、余分なゼニなんかほとんどまったくかからない「ネバネバヒート養生法」ね。

これさえあれば鬼に金棒、サラ・コナーにジョン・コナー、宇宙海賊コブラに北斗のケンシロウ、ってなもんよ。

ということで、ここまで俺流に『養生訓』の巻第一・総論上の書き出し文を解読してみました。実際に引用した文章はほんの一部であり、この総論のトップを飾る一章はもっと長く、

読み応えがありますが、すべてを引用してすべてを解説する事は本意ではありませんので、もしも全文を参照したくば講談社学術文庫から出版されている

伊藤友信氏の訳による『養生訓』の全現代語訳などを読んでいただきますれば、いっそうよく『養生訓』の醍醐味を堪能できますので、どうぞ好事家の皆様におかれましては、以上の旨で宜しくお願い申し上げます。

さて、ゲノムの谷間から全生命種を見守り続けている我らが内なる神ウイルスについては、次稿以降にヒートショックの予定です。

乞うご期待!

2015.01.19 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

癒しの原点 16

「日々に一日を慎(つつし)み、私欲(しよく)の危(あや)うきを恐(おそ)るること、深き淵に臨むが如く、薄き氷を踏むが如くならば、命長くして、ついに殃(わざわい)なかるべし」

貝原益軒が江戸期の正徳3年1713年の正月に書き上げた『養生訓』に関しては、300年後の現代に生きる日本人でもその書名や著者名くらいは小耳に挟んだことがあるという程度の人口膾炙率かと思われるが、

では実際のこの本の内容や著者のプロフィールについては、申し訳ないが恐らくはほとんど存じ上げないというのが正直なところだろうと推定する。だからこそ私は今回、この崇高かつ実践的な身体倫理学のバイブルである『養生訓』を現代風に読み直してみる価値を感じて、もう一度、現代に問うてみる挑戦をしているわけです。

現代にもおびただしい健康指南の本があり、あらゆるエクササイズが百花繚乱を呈し、ネットには我こそが覚醒者だと言わんばかりの上から目線なフリンジ・サイエンス(疑似科学)がてんこ盛りのお気楽でズボラな「これさえ浴びれば」式の医療器具を推奨するステルスマーケティングなブログが目白押しであるのだが、

この現代社会における健康指導に関する情報のとめどない混乱の原因には、一般大衆の無知につけ込んでゼニ儲けを企む医療器具屋や医薬産業が背後に潜んでおり、彼らが常に妨害するので一般人にまで本当に必須の養生情報が届かないとする分析が間々見受けられます。

しかし、私が見るところこういった陰謀論など子供騙しの陰謀ごっこ論争であり、この陰謀社会にあってもこちらがしっかりしてさえいれば、真に身体生理にとって重要な情報など幾らでも入手が可能であるのは紛れもない事実です。

現に私など普通に本屋で手に入る本から得た知識でこれまで論説を展開してきておりますし、秘密の機関や組織から得た情報などまったく皆無であり、封印されたり弾圧された情報からなにがしかのヒントを得たこともありません。

よくこういった弾圧を受けたり、しかるべき政府組織にツブされた医療情報などをこれみよがしに振りかざし、政府や厚労省に禁止された医療こそが真の医療だとの論理を展開するネット番長も本当によく散見するのですが、

そもそも、それらが本当に健康被害をもたらした医療詐欺であった事には、これらの覚醒者は一切耳を貸さないのです。別に医薬産業を脅かすからツブされたのではなく、まったくもって有害無益なトンデモだったからツブされたのに、それをそうではないと言い張る御仁もまた多数見受けられます。

この世がすべて陰謀で仕切られており、それゆえに人々が無知であり、その無知につけ込んで健康医療産業が好き勝手放題をしているが、俺はその中にあって真に重大な情報を入手した覚醒者だぞ!どうだ、俺は凄いだろ!

こういう手合いは政治経済がらみで陰謀論を振りかざす団体の代表などに非常によく見受けられる性癖ですが、健康指南の場においてもまったく同じロジックを使って、意味不明な医療器具などの販売促進に勤しむ御仁が多数見られますので、今後とも充分に皆様もお気を付け下さい。

こういった者たちが振りかざす論理は非常にシンプルでキレイで明解で惚れ惚れしてしまうのですが、よくよく細部を吟味していくと必ずアラが見えてきます。そしてだいたいこれらの者たちは同じ事しか言いませんし、言えません。ようは念仏を唱えるのと一緒で、これらも一種のお経、洗脳なのです。

一般社会が洗脳社会であると説きながら、そのくせまた自分の団体においては信者を洗脳して新たな拘束を課すのです。騙される側も無論悪いのですが。

健康医療カテゴリーにおいては、この世の中の情報はすべて間違っておりペテンでインチキな情報ばかりで、医者すらも洗脳されているから信用ならない。つまり医者すら信用ならないのだから、医療機関に頼っていては命を無駄死にさせるだけだ。もうこの世に出回っている医療などすべて信用できないから、自分で考えて自立しろ。

でもその時には「俺みたいな覚醒者に頼ればトンデモない有益な情報が手に入るぞ」と囁(ささや)く。それでいて、例えば東洋医学などにはまったく無知であったりする。

いいですか、みなさん。絶対にこういった口ぶりのインチキな詐欺師風情に騙されてはいけませんからね。例えば糖質制限に私がなぜこだわるかと言えば、これは余りに危険で命に関わるからなのです。

別にそんなにたいした事じゃあないじゃないか、と医学的な知識がない者は思うかもしれませんが、三大栄養素である炭水化物も脂質もタンパク質も最終的にはグルコースに変換されて、細胞膜のグルコース・トランスポーターという輸送口から細胞内へと取りこまれ、細胞質で解糖系が駆動してミトコンドリアを介してアデノシン三リン酸に変換されるのです。

ですから糖質という成分が人体から消失すれば、一気に身体中からATPがなくなって昏睡状態に陥る危険性があるのです。本来ならこうした栄養指導は医師か栄養士だけがやっていいこととされ、医師や栄養士の資格が無い者がもしも、こうしたいい加減な栄養指南をした場合には、法治的な措置すら検討される事案です。

炭水化物によって人間が死滅するとか、糖質制限で健康になる、などと提言しているのも医師であり、医師ゆえにこうした暴言が許されているわけですが、この口車に乗せられて一般人までが糖質制限を吹聴する時世になっては、これは危険極まる事態と言わねばなりません。

ということで、今後とも糖質制限はスルーしまくって、是非に本ブログの読者さまだけは「糖質選択」に勤しんで頂き、腹腔マクロファージのトールライクレセプターのTLR4にヒットし、インターフェロン・インデューサーとなるネバネバ多糖体の純良な糖質を大いに摂取して頂き、免疫細胞のNK細胞とキラーT細胞の賦活に励み、ウイルスやガン細胞の抑制に邁進して頂きますれば幸いに存じます。

さて冒頭言に戻りますが、マスター・エッケンの『養生訓』のコア思想は二つの言葉に収斂され、それは「畏れと慎み」であることは『養生訓』フリークには常識です。

益軒先生は全8巻の膨大な養生指南において、実に事細かく実践的な養生アドバイスを展開しているので、それはそれですべて詳細に検討することには価値があるのですが、しかし、もしもこの膨大なコンテンツをギュッと圧縮して要約するのならそれは「おそれ、と、つつしみ」の二つのキーワードに絞られるとされます。

では何を畏れ、何を慎みとするのでしょうか?

これは「元気を損なうものを畏れ、私欲を慎む」ということになりましょうか。ここ300年間の世界養生史において、これほどシンプルに明解に養生の本質を喝破した医療人は貝原益軒をおいて他には見つからないでしょう。

命を大事にし、命を惜しんで決して無理をしない。

これこそが『養生訓』の極意だったのです。

では、命とは何なのか?

これもまた重大な問題です。いったい命はいつこの宇宙に誕生し、どのような変遷を経て、今にいたり、今この瞬間にいったいどんなメカニズムで命は運用され、いったい今後はどんな未来が命に待ち受けているのか?

そしていったいどうしてこの貴い命を健やかに養えばいいのか?禅問答の堂々巡りのようですが、命の何たるか?が分からなければ、「畏れと慎み」の具体的な実践も出来かねます。

季節性インフルエンザウイルスが只今猛威を振るいはじめています。インフルエンザウイルスは乾燥と寒冷を快適環境として増殖します。室温の低下と湿度の管理には充分に留意下さい。そして彼らインフルエンザウイルスを「畏れ」るのなら、「交差免疫」の一手段として多糖体を多く含む発酵菌を生きたまま躍り食いする発酵食品の積極的な摂取に励んで下さい。

「交差免疫」とはあらかじめ別なウイルスやバクテリアが先住していると、新参の外来性ウイルスや外来性バクテリアの入植が妨害される機序を言いますが、より「交差免疫」の概念を拡張して、腹腔マクロファージを活性化するインターフェロン・インデューサーな多糖体の積極的な摂取法をも「交差免疫」的な免疫賦活として、

インターフェロンは文字通りウイルス抑制因子であるので、腹腔マクロファージを活性化して腹腔マクロファージにインターフェロンを分泌させることは、最も優れた季節性インフルエンザウイルス対策となる「養生訓」的な「畏れ」予防法となりましょう。

例え季節性インフルエンザウイルスが蔓延しても、ウイルスがすべて悪党であるなどと早計してはなりません。ヒト・ゲノムの半分の領域はすでにウイルスかウイルスの痕跡に占拠されており、すでに立派にヒト・生理にとっては必須なゲノム・ツールと化しているのですから。

ヒト・ゲノムに棲むヒト内在性レトロウイルス・HERVにより産生されるタンパク質のシンシチン1、シンシチン2はヒトの胎盤を作る成分であると同時に、何とヒトの脳内で胎盤合成よりもより多く発現が確認されているのだ。

初期ホモサピエンスの脳容量がサル時代の400ccから1600ccまで増大したその理由とは、もしかしたらホモ属27種時代のどこかで大規模なウイルス感染があったからなのかもしれない、と大胆にここに宣言いたします。

人類をチンパンジーから分岐させ、ヒトをヒトらしく仕立て上げた影の立役者こそがウイルスだった?

ラテン語でウイルスは「毒」の意味とされますが、どうしてどうしてこの毒は薬となり、いや命の滋養となり、すでにゲノムに融合同化しているのです。

命を理解するためには、ウイルスも理解しなくてはなりません。

探求は果てしない旅です。

2015.01.18 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

癒しの原点 15

「人身はいたりて貴く重くして、天下四海にもかえがたき物」

物理的に触れることが出来る3Dでフィジカルなボディであるところの我が「身」、押せばへこみ、焼けば熱く、刺せば痛く、傷つけば温かい血液が噴出するこの我が「肉体」があったればこそ、

天下四海つまりは天地父母である時間と空間のすべてである62桁の無限大宇宙の円空と、138億年の全宇宙生命史にアクセスしインプットすることができるのだ。

人身というフォースでエレクトロでダイナミックなフィールドであるところのこの「肉体場」は、真にかけがえのない程に大事だ。

益軒先生のラディカルな身体倫理学の真骨頂が、『養生訓』総論の白眉なミドルノートのシャウトから垣間見える。

さて、古典を現代的に読み解く事がこれほど面白いとは今回こうして手を付けるまで気がつきませんでしたが、古典も古典、哲学カテゴリーにおいては知らぬ者はおらぬ老荘哲学から有名な老子の第6章のあの一節をここに唐突に引用してみます。

「谷神(こくしん)は死せず、これを玄牝(げんぴん)という。玄牝の門、これを天地の根(こん)という。緜緜(めんめん)として存するがごとく、これを用いて勤(つ)きず」

この深遠なくだりはそのまま読み下しても素人にはいったい何を言っているのか、サッパリ意味不明ですが、この言葉は実は3通りに読めるとされ、ひとつ目が常識的に哲学的な解釈が出来て、二つ目には養生法として読み解けて、みっつ目には性的・即物的な解釈が可能であるとされます。

まず試みに基礎となる哲学的な解読をほんの少し私流に翻訳すれば

「恐ろしいほどに深い谷底のような何も無い窮極の場を玄牝と言い、この神とも太極とも同等のあるポイントから万物が生じるのでこれを天地の根っこと呼ぼう。あると思えば無いし、無いと思えばそこから万物が湧いてくる。どんなものも生成化育するチカラがあり、どれだけアポトーシスとリモデリングの「変わらなくあるために、変わりつづける」ダイナミズムが繰り返されても終わることはなく、その動きが尽きることはない」

となり、第2の解釈である養生バージョンは

「谷神(こくしん)は、神(しん)を谷(やしな)うと解き、この神とはこれ五臓に宿る神のことを指し、玄牝(げんぴん)の門とは五臓と外界をつなぐ出入り口である鼻と口に当てる。天地とはつまりはこの肉体であるが、天地である肉体が宇宙の万物の気と交信する出入り口が鼻呼吸と口からの栄養摂取である。呼吸も飲食も身体生理においては当たり前の機能として、極めて自然に行われ、滞りなく呼吸と飲食が為されれば身体生理もまたスムースに流れ、元気に満ちて勤(つか)れることはない」

となり、そして第3の即物的な解釈は

「神(しん)の死(し)せざるを谷(ほっ)さば、精を漏らさずに守ることだと解き、貝原益軒がその著『養生訓』で発した有名な言葉「接して漏らさず」を思い出せばいい。何事も慎んでやり過ぎないことが養生においては最も大事な要諦なのだ。畏(おそ)れと慎(つつし)み、このふたつこそが養生の秘訣である。玄牝の門とはこれは女性の陰孔(ほと)のことであり、現生人類72億人はみな20万年前にアフリカにいたミトコンドリア・イブの子宮から生み出された兄弟姉妹である。みだりに性慾や食欲を欲しいままにして、この貴い天下四海に代えがたき命を失うなかれ」

とでもなろうか。さらに第4の新解釈としては

「谷神(こくしん)とはこれウイルスのことなり。地球生命が「玄牝の門」である原始の海溝の熱水噴出孔の300℃の熱水が噴出する周囲で、DNAやRNAをタンパク分子の殻であるカプシドにくるんで自己複製と代謝のボディを手にした始まりが「天地の根」つまりは地球生命種の根源、始まりであったのだ。常にはヒトの目には肉眼では確認できないが、この地球上の海や山や川や空には無数のおびただしいウイルスが自由に繁殖し飛び交っており、ウイルスはDNAベクターの本質を全うするために、種から種へ、個体から個体へと地球生命種の共有ゲノムをここ40億年もの長きに渡り運び続けているが、その働きに終わりはなく、これからも未来へ向けてウイルスは生命を進化させ、永続させていく強力な推進力となるだろう。そうなのだ!ウイルスこそが進化の原動力であり、ゲノムの守護神であったのだ。もしかしたらウイルスこそが神なのかもしれない」

なんてのも面白い。

遺伝学者の大野乾(おおのすすむ)は1970年代に『遺伝子重複による進化』という著書の中で「自然選択と突然変異だけでは、生物の進化は説明できない」と大胆に宣言し、

突然変異や自然選択だけでは遺伝子の数が増えることも無ければ、遺伝子のバラエティーも複雑化しないことを理由に、地球生命種が大規模に進化する際に遺伝子重複が起こり、ゲノムが多倍体化したとする『2R仮説』を提示した。

近年のゲノム解析により最初に4倍体化のゲノム重複が起こった時期は今から5億1000万年前のカンブリア爆発の時期であり、二度目のゲノム重複は約4億2000万年前の魚類が両生類に陸生化する際に発現したことが確認された。

大野の優れた先見性は遺伝子解析の分子レベルな科学技術の進展をもって証明されたのだ。この大規模な地球生命の進化史におけるゲノム重複イベントに、重要で重大な役割を果たしたのが恐らくはウイルスたちであろうと言うことになる。

ウイルスが生命体のゲノムに侵入するからこそ、ゲノムが多様化するのだ。これからはもう突然変異などという少し突拍子も無い言葉など使う必要などないのではないか?

そうウイルスによりゲノムが変異するのなら「ウイルス性ゲノム変異」あるいは「ウイルス性進化」という呼び方の方が、より事実に即している。

天下四海にも匹敵する、いたりて貴く重きこの身体は、実はウイルスのお陰で授かったのだ。

ヒトの胚が子宮に着床できるのはヒト内在性レトロウイルスが起動するからだ。

ヒトの「玄牝の門」では、今もゲノムの谷間に安住の地を見つけた神であるHERVウイルスのチカラで、ミトコンドリア・イブとY染色体アダムから受け継がれたDNAコピーの営為が尽きることなく進行している。

2015.01.17 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

癒しの原点 14

「まずいにしえの道を考え、養生の術を学んで、よく我が身を保つべし。これ人生第一の大事なり」

これが『養生訓』巻頭を飾る総論・スタート文の枢軸となる決めセリフだ。

天地父母である無限大宇宙の62桁のフラクタル大円層に常時接続し、138億年の宇宙生命史がインプットされたこの貴(とうと)き四肢百骸、身体髪膚。

この動電場がスパークし続けるソウル&ボディな身心をいかにして健康に維持し、幸福な一生を送るか?

ヒトの人生において最高級にプレミアムでラグジュアリーでリッチであるということは、真に実践的でリアリティー溢れるヤルだけの価値あるホンモノの養生法をつかむことだ。

人生はそのためにある! と、マスター・エッケンは総論のミドル・ノートで熱く語っております。

そしてこの言を引き取って300年後の今ここにおいて、ポスト3.11という厳しい産業毒に被曝する時世にあって、

いったい、いかなる養生法が真に人々に求められているものなのかを模索し、この刻々と汚染状況が変わりゆく時代に即した養生法論の提言に勤しんだ記録こそが、ここ3年間に及ぶ拙ブログからの情報発信でありました。

このネットにおける今この時に必須とされる養生法に関する情報発信活動においては、今まで東洋医学界に誰も発表していない「皮膚ランゲルハンス細胞=ツボ仮説」や「鍼の起源は人類史をさかのぼる20万年前説」が公開され

また医学観としては「ガン細胞は敵ではなく味方であり仲間である」などなどが公開されたが、これらは世紀の一大発見となったと同時に物議を醸す提言となり、

同意や称賛だけでなく反発や憎悪までも生む結果となった事は現在進行形で尾を引いている。

ここ最近になって訪れた新しい「気づき」である「地球生命種の根源にはウイルスが存在し、生命のあらゆる領域階層にウイルスが媒介している」

とするウイルスの汚名を返上せんとする無謀な提言がこれからまた少しのあいだ物議を招くだろうことを、ここに公表いたします。

発酵食品が身体にイイという価値観が最近ではほとんど一般化しておりますが、そもそも発酵食品の何が身体にイイのか?を本当の意味で理解できている者は実は非常に少ないだろうと推測します。

発酵食品と言えばお馴染みの味噌や醤油やぬか漬けや、納豆などが思い浮かびますが、これらの食品に含まれる発酵菌が

例えば味噌ならば「こうじ菌」があらかじめ大豆のタンパク質を栄養源にして、アミノ酸に変換してくれているので消化がスムースになり、またビタミンなどを発酵菌が合成することで、より栄養価が高くなると普通は分析します。

こうした一般的な発酵食品の価値評価はそれはそれで当を得たものですが、ようは発酵食品とは発酵菌をそのまま、生きたまま食べるということを意味し、

これはつまりは外来性のバクテリアを「体内であり体外」である腸管内に人為的に侵入させることを意味します。

この外来性のバクテリアとは言ってみれば、人体にとっては常在性のもとから皮膚や腸内に棲んでいる「自己」と同化したバクテリアからすれば、「非自己」のバクテリアと見なせるわけで、

「自己と非自己」を厳密に峻別する免疫機構の免疫細胞の精査を受けて、この口から取りこんだ発酵食品に含まれる外来性の非自己バクテリアは実は免疫応答による排除の対象にされてしまうのです。

しかし、この体外から侵入した非自己バクテリアはこのような腹腔マクロファージの細胞膜レセプターであるトールライクレセプターによってそのバクテリアの細胞壁多糖が受容されることで、

腹腔マクロファージにとってのインターフェロン・インデューサーとなるという非常に優れた免疫賦活の作用があるということが言えるのです。

乳酸菌をはじめとする発酵食品ブームの真の価値とは、実は抗原として免疫系を活性化することに最大の意味があると言えます。

さてもとから人体に棲息している数百兆個の常在性バクテリアも恐らくは人類史の、生命史のはるかその昔に外部から体内や体表へと侵入してやがて免疫寛容を許されて、

免疫細胞に排除されることなく、ホストである宿主の体内外に同化し共生した歴史を持っています。

ですから今こうして常に味噌汁や納豆を食べていると、そのうちこれら発酵食品に含まれる外来性バクテリアが2000年ほどの長い間には腸内に棲みつく可能性もあります。

このようにして過去に棲みついた腸内や皮膚に棲みついている常在性バクテリアたちは、酸性の分泌物を産出することで他のバクテリアを寄せ付けないガードマンとなったり、

腸内常在バクテリアなどは消化産物を原料に必須ビタミンを合成したり、セロトニンやドーパミンの前駆体を産生したりと、ホストにとって有益な働きを今ではしてくれております。

ヒト・ゲノムにはウイルス由来成分と思われるおびただしい程の情報が存在し、ヒト生理に必須のタンパク分子を合成する1.5%の「エクソン」領域を除く、他の98%の「イントロン」領域のうち

なんと46%はウイルスに何らかの根源をもつ情報であろうと推定されています。そうなのです。ヒト・ゲノムにも外来性バクテリアが常在バクテリアになったと同じように、

かつて生命史において何度も何度もウイルスがヒト・ゲノムに罹患して感染して入植した痕跡が刻まれており、

すでにヒト・ゲノムに安住の地を見つけて完全にヒト・ゲノムに融合してしまったウイルスが多数在籍していることが事実として浮かび上がってきたのです。

これらヒト・ゲノムに組み込まれたウイルス由来因子はそれぞれ、HERV(ヒト内在性レトロウイルス)、LINE(長鎖散在反復配列)、SINE(短鎖散在反復配列)、DNAトランスポゾンなどと呼称されているが、

未だ不明な52.5%のイントロン領域以外の、ほとんどがウイルス由来の情報と推定されているのだ。

例え残りの52.5%がウイルス由来でないとしても、ヒト・ゲノムに占めるウイルス由来領域がほぼ半分の46%もの領域を占めているという厳然たる事実を、いったいどう解釈したらいいのだろうか?

少し乱暴な言い方をすれば「ヒト・ゲノム機能は、ほとんどウイルスによって成り立つ」と言い換えることすら可能だ。

むろん、これらがその昔にジャンク遺伝子などと呼ばれていたようなゴミのような無意味な情報でないことも、近年になり解明されてきている。

アメリカはイエローストーン国立公園の地熱で高温になった土壌に育つキビ類の植物には、ある真菌が感染しており、その真菌には未知な新種のウイルスが感染していることが発見された。

そしてこの真菌バクテリアに感染しているウイルスを取り除くと、このキビは地熱に耐えられずに枯れ始めたのだ。このことからキビが地熱に耐えて生きられるのは、

バクテリアとバクテリアに感染したウイルスの共生( Symbiosis )のお陰であることが判明したのである。どうやらウイルスの「代謝産物」がバクテリアや植物へと供給されることで、三者の共生がうまくいっているようなのだ。

ウイルスもまたヒトの腸内細菌と何ら変わりない共生的な働きをしているこのような実例も、またこれまでのところ枚挙にいとまがない程に多数報告されている。

ウイルスとバクテリアとホストの三連団マトリョーシカ的な共生。南極の湖底に構築されたコケとクマムシとバクテリアのホロビオントな「こけ坊主」に生命のプロトタイプがある、とする仮説もまんざらでもないのかもしれません。

いや、そも生命の始まりはウイルスであるのなら、ウイルスからバクテリアそして動植物の三者連合はこれこそが生命の本質であろうと洞察できてきます。

貝原益軒は『養生訓』で、命を養う方法を説いた。しかしまだ300年前の江戸期では命のホログラムな共生システムまでは掴めなかった。

だからマスター・エッケンの代わりに、わたしがホロビオント(共生)でホログラム(細部にも全情報が投影されるとするニューサイエンスな概念)な生命観を『養生訓』に注入する意味があるのです。

生命とはミクロからマクロへと重層し連環するゲノム・シンフォニーです。

2015.01.16 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

癒しの原点 13

「天地のみたまもの、父母の残せる身なれば、つつしんでよく養いて、損ない破らず、天年を長く保つべし」

引き続き貝原益軒学の二大語録として有名な哲学篇である『大疑録』と並ぶ世界養生史に輝かしき金字塔を打ち立てた、革命的な養生論が書かれた『養生訓』の巻頭序辞のスタート文を私なりに解説していきます。

益軒学におけるコアな思想とは本人益軒の言葉によれば「学問の要二つあり。道を明らかにすると、事に達するとなり。道を明らかにするは経学をすべし。事に達するは史学をすべし」とされ、

「経学」とは今で言う形而上の「哲学」であり、「史学」とは経験的事実の記録つまりは今で言う「科学」に近いカテゴリーを表しているようである。

この文脈からすると『養生訓』はもちろん後者、科学的な実践編に分類されるのだが、なにゆえに『養生訓』が世界に誇る日本の世界遺産かと言えば、

この類奇なる養生法論が崇高な哲学に裏付けれらた立派な思想書であると同時に、優れた身心調整の為の実践的ガイドブックであるという哲学と実践という二つの顔を併せ持った特徴にあることは言うまでもないことと言えよう。

『養生訓』が出版された江戸中期は正徳3年、1730年からすでに300年が経過しており、その間に人々の養生観が進歩して脱病院化社会が達成できているかどうかは非常に心もとないが、

チマタに陳列される養生指南の情報発信の中にこの『養生訓』を越える程の優れたコンテンツがあるかと言えば、これは絶対に無いと断言できる事も言うまでもないことだ。

少しもう一度くどくどしく強調しておくが、哲学と実践の両者がしっかりと融合し共生しているからこそ『養生訓』は珠玉なのだ。

さて冒頭言は先の記事「癒しの原点 11」から続いている一節であるが「天地のみたまもの、ちちははの のこせるみなれば、つつしんでよくやしないて、そこないやぶらず、てんねんをながくたもつべし」と読み下す。

ここまでの『養生訓』総論スタート文の三行をザックリと意訳するなら「この身心は天地と父母のお陰で授かり、養われるもので、もとより自分のものではなく、

天地父母から借りたものなのだから、この貴い仮住まいの身心を決して粗末に扱うことなく大事にし、天寿を全うすべし」となろう。

西洋哲学におけるかのルネ・デカルトの言葉に「われ思うゆえに、我あり」があることは有名だが、益軒学における「われ」の捉え方はおよそ対照的であり、

そもそも「我の本体である我が身は私の物にあらず、天地のものであり、父母の残せるもの」と説くのだから、

実に西洋的な価値観と比して益軒哲学がラディカルでアヴァンギャルドだと、私が強調するワケが読者の皆様にもそろそろ理解できてきた事でしょう。

私流に敷衍すると益軒が申す「天地」という空間的物理的な概念は、この無限大宇宙を構成する10のマイナス35乗の素粒子クォークの微細なミクロ世界から、

10のプラス27乗の銀河宇宙すべてを包含する極大なマクロ世界の62桁の大円球と見なせることができて、また益軒が言うところの「父母」という時間的なつながりは

ヒト・ゲノムの記録データにインプットされたすべての遺伝情報を読み解き、宇宙生誕138億年前に始まるこの一大宇宙叙事詩を刻んだDNAに見られる地球誕生46億年史と生命史38億年の全宇宙史がそれそのままに「父母」であると読み込める。

近年の生物学の進展によりヒト・ゲノム内のパラドックスの一端が解明されて、ヒト・ゲノムにおけるヒト生理に必須なタンパク質合成を指示する遺伝子「エクソン」領域はわずか1.5%しか存在せずに、

それ以外のDNA機能が解明されていない未知なる領域「イントロン」が98%以上も存在し、その内訳が徐々に判明しつつあることについては、前記事ですでに触れた。

何とヒト・ゲノムにはおびただしいまでに大量のウイルスの痕跡があったのだ。そしてどうもこのウイルス由来のDNA成分を使いながらヒトはその生理を維持しているようなのだ。

ウイルスはよく「生物と無生物の中間的なモノ」と解釈され、またAIDSウイルスや鳥インフルエンザウイルスなどヒトや動物に対して強毒性をもつウイルスが存在するゆえに

「ウイルス=ワルモノ」という視点でしか捉えることができない視野狭窄症が蔓延していることは周知な事実である。

しかし今少しこうしたウイルスに対する偏見や常識を脇に置き、つぶさに地球生命史38億年を俯瞰してみると、地球最初のバクテリアであり全生命の根源とされる「コモノート」が発生する前に意識が向き、

恐らくはこの「プレ・コモノート」の時代において幅を利かせていたのが、ひたすらDNAやRNAという情報媒体をコピーする能力を磨き続けたウイルス時代があった事が朧気に想起されてくるのだ。

生命を規定する二大要件に「代謝」と「自己複製」がある。ウイルスは代謝をしているかどうかは分からないが、自己複製には非常に優れている。

生命とは食と性の二相を追うのが本質であるが、言わばウイルスは性という自己をコピーする側面に特化した生き物と解釈してもいいかもしれない。

ヒトは細胞レベルではアポトーシスとリモデリングを繰り返して常に細胞をコピーし続けて、個体レベルでは生殖を介して自己とそっくり同じ個体を子供としてコピーし、種レベルでは進化を通して新しい種へと生まれ変わる存在である。

この細胞レベルと個体レベルと種レベルの3フェーズにおいて、どの階層においてもウイルスが介添え役となりシャペロン能力を発揮していると見ると、実にエキサイティングな新たな「ウイルス・ホロビオント・パラダイム(ウイルス共生生命観)」が誕生しそうだ。

そう我々はウイルスと切っても切れない関係を帯びたウイルス共同体の一員なのだ。いやもしかしたらウイルス抜きでは地球生命体の命は維持できないのかもしれない。

間違いなくワタシという身心はウイルスという「父母」と直結した存在なのだ。

ウイルスやバクテリアやガン細胞との共生を宿命づけられているのがヒト生命である。

「ミトコンドリアの細胞内共生説」を最初に唱えた故・リン・マーギュリス女史はこの説を唱えた当初はアカデミズムから猛烈なバッシングに遭遇した。かつて初期人類が水辺で半水生生活を送っていたとする

「水生類人猿仮説・アクア説」を唱えたエレイン・モーガン女史もまたこの仮説の発表から今現在に至るまで決して好意的なレスポンスを受けていない。

「山川草木が仏性を有するなら、ウイルスもバクテリアもガン細胞も仏性を有する、が当然の理だ」と提言する私もまた、これから猛烈な反発に逢うことは必至だろう。

しかし真実を洞察した以上は、信念は曲げられません。

2015.01.15 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

癒しの原点 12

「天地父母の恵みを受けて生まれ、また養われたる我が身なれば、我がわたしの物にあらず。天地のみたまもの」

いよいよ、益軒節のクールでラディカルでアヴァンギャルドなテイストが全面に描出される先の記事で取り上げた「養生訓」の、巻第一の総論・上の言挙げに次ぐ第二句がこの

「てんち ちちはは の めぐみをうけて うまれ、また やしなわれたる わがみ なれば、わが わたしの ものにあらず。てんちの みたまもの」である。

大意は「この身心は父母と天地の恵みにより授かり、養われているが、もとよりこの身心は私のものではない」とでもなろうか。

中医学などでよく使用される概念に「天人合一」や「天人相関」があるが、これも益軒の生命観と通底した概念であり、

畢竟すればヒトという存在は天である外界と同一であり、切っても切れない関係性を帯びる、とする易経を母体とした思想といえる。

またこれに似たものにアニミズム思想というものがあり、これは自然崇拝などと訳されるが、偶物崇拝である既存の宗教ではなく、

原初的で本来的なホモサピエンスが宿していた自然を賛美するようなもともとの健康的で開放的で原始的な信仰がアニミズムであると思われ、

その萌芽は今から3万2000年前の欧州で初期ホモサピエンスのクロマニヨン人が興したオーリニャック文化にその痕跡が見て取れる。

南仏はショーベ洞窟壁画に描かれたライオンやサイやホラアナグマなど200種の動物の炭絵や、スペインはアルタミラのバイソンなどに見られる動物を見つめた優しいまなざしからは、

彼ら初期ホモサピエンスにすでにアニミズムなスピリットが宿っていたと思わせるに充分な崇高な芸術性を洞察できる。

太極拳や気功の原点には中国は今から2200年前の漢の時代に活躍した名医でありイラン出身の外科医の華陀(かだ)が創始した「五禽の戯(ごきんのぎ)」があるとされ、

トラ、シカ、クマ、サル、トリの5種の動物の動きを真似るストレッチや運動を通して気血の流通をはかり、『呂師春秋』中の有名なあの言葉

「流水は腐らず、戸枢は朽ちず」の身体生理を導くエクササイズの流れが今に至る中華風運動法の根源と思われる。

オーリニャック文化に芽生えた洞窟壁画の動物画がもしも華陀の「五禽の戯」の5種の動物と同じく身体操法のためのイメージ・モチーフとして採用されていたとしたら、実に面白いと想像する。

ライオンやバイソンやクマやウマの俊敏で勇壮で流麗な動きを真似て、クロマニヨン人は洞窟内で舞い、歌い、ダンスをして養生に励んだとしたら、養生法の原点は3万年前までさかのぼることになる。

トラやシカになり四肢で大地をつかみ疾駆し、クマになって仁王立ちして木に前足をついて、サルになって枝から枝へとぶら下がり樹上へと招かれ、トリになって両手を羽ばたいて天空を飛翔する。

生命進化の流れをリバースするような5種のアニマルになりきるイメジュリー(イメージ療法)の中で、歌い踊りヒトは天人合一の境地に陶酔し、

全経絡が開放されて量子真空に満たされた62桁の無限大宇宙フォース・フィールドへとアクセスし、真の癒しと安らぎを得て瞑想し、束の間の「坐忘(ざぼう)」に浸るのだろうか。

ウイルスがDNAのベクター(運び屋)となり個体から個体へ、種から種へと遺伝子を水平遺伝するという「ウイルス水平遺伝」説という視点から地球生命種を俯瞰すると、

実はすべての動植物やバクテリアやウイルスは、地球に誕生してからの生命史を記録するために用意された情報媒体であり、

DNAとそこに記録された遺伝子という全ゲノム・データをプールするための「仮の器(かりのうつわ)」、ホテルが地球生命たちの多用な様々なナリ・カタチ、容貌、構造体、カプセル、ボディと言えそうだ。

こうしたゲノム・フラットな視点からすべての生き物を水平に捉え直してみるとこの現代生物学の最先端の考えが益軒節の「人の身は・・私の物にあらず、天地の・・もの」と共鳴し出すから不思議だ。

中国哲学がいう「天人合一」と、人類ホモサピエンスに共通する宗教的基盤であるアニミズム思想と、現代の最先端の生物学が唱える「ウイルス水平遺伝」説と、

生物間の共生の仕組み全般を指す概念「ホロビオント」セオリーを付加した新しい進化説「ホロゲノム進化論」が、

ここ日本においては天台本覚思想の「山川草木悉有仏性」に収斂され、「養生訓」のエッケン・スピリットにまで「水平遺伝」したと考えるのもそれほどおかしくないだろう。

ヒト・ゲノムにおいてヒト生理に必須のタンパク質を合成する遺伝子領域「エクソン」はたったの1.5%しか存在せず、残りの98%近くはその機能が解明されていない謎のDNA領域「イントロン」とされる。

そしてこのヒト・ゲノム領域に存在するまだ未知であるが何らかの重大な情報を保持していると推定される暗在系(インプリシット・オーダー)な「イントロン」領域には、

ジャンピング遺伝子と呼ばれるトランスポゾンが3%を占めていることがすでに判明しているのだが、

それ以外ではヒト内在性レトロウイルス・HERV( Human Endogenous Retro Virus)領域が9%もの大領域を占有していることが確認されている。

ウイルスに由来したゲノムを大量に含み、ウイルス的なゲノムと共生しながらヒトの命は養われているのだ。

生命が誕生したのは今から38億年前頃とされるが、私はまずウイルスが発生して、このウイルスが地球生命種に共通する自己複製の装置であるDNA遺伝子というゲノムデータをプールし、

シャッフルし、様々な種へと転写し水平遺伝させたことで地球生命種がここまで多様化したとする進化説を昨年来すでに展開済みであるが、

この「ウイルス・ベクターによるゲノム・プール」を生命の「天地」「命の揺りかご」と見ると、また益軒先生の生命観とフラクタルに共振して面白い。

「山川草木が仏性を有するのなら、ウイルスもバクテリアもガン細胞も仏性を有する」が、当然の理だ。

「 S A T O R I 」 な養生観は、水平でフラットに「天地父母」とリンクする。

2015.01.14 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

癒しの原点 11

「人の身は父母を本とし、天地を初とす」

は「ひとのみはちちははをもととし、てんちをはじめとす」と読み下す貝原益軒は名著「養生訓」の

輝かしき養生哲学の語りを飾る巻・第一の総論・上のスタートとなる文句である。

ある意味、この一句にマスター・エッケンの養生法論スピリットの全てが言い表されているといえよう。

益軒先生は儒学者であった。それゆえに儒教の教えをもってこの身体を授けてくれた自分の父親と母親をまず敬い、

この自分の身体は親の生殖細胞が交わり、それぞれのDNA1本鎖がラセン二重の綾に編まれたからこそワタシという存在がもたらされたと、前句で表現している。

そして二の句において、そもそもは父母という存在をもたらしたのはその父母であり7代もさかのぼり、いやもっとさかのぼりミトコンドリア・イブとY染色体アダムの父母をもさかのぼり、

さらに哺乳類から爬虫類、両生類、魚類とたどり、ついに今から5億4100万年前のカンブリア爆発において最初の脊椎動物であるミロクンミンギアに到達し、

さらにさらにこの遺伝子重複と遺伝子爆発の「生命のビッグバンイベント」の前の軟体動物ばかりのようやく多細胞生物の萌芽が見られたエディアカラ生物群をも通過して、

その前の原生代には地球が丸ごとシャーベットになったスノーボールアース事件が3回以上繰り返された「アナと雪の女王」の時代をも通り過ぎて、

バクテリアばかりが原始の海に棲息していた30億年間の長き地球生命の揺らん期を俯瞰して、ついに地球最初の生命体であるバクテリア「コモノート」に遭遇し、

さらに遡上して今度はこのコモノートを生みだしたであろう原始ウイルスがおびただしく繁殖するプレ・コモノートの世界が垣間見えてくる。

地球が誕生したのは46億年前であり、それからわずか6億年から8億年が経過してすぐにバクテリアのような単細胞生物が生まれたとする定説はやはり今後は疑うべき案件であり、

恐らくはこの生命誕生の前にすでに何らかの分子世界と生命界をつなぐミッシングリンク(失われた環)となる「生命らしきモノ」が胎動していたとみるのが自然だろう。

その「生命らしきモノ」とは、いったい何だったのか?ウイルスであろうというのが有力な仮説として浮上するが、自己複製と増殖能力を有するタンパク分子であるプリオンや、タンパク分子酵素、RNAなども候補に挙がるかもしれない。

貝原益軒の「養生訓」巻・第一の冒頭言の二の句である「天地を初とす」の「天地」という意味は、このように私にとっては空間的にも、時間的にも非常に広く長い概念に拡張できるのだ。

最近になって訪れた「気づき」に、もしかしたらワタシという存在は地球生命種のグランド・デザインのほんの一部、かけら、「ピース」であり、人類ホモサピエンスもやはり130万種の中のひとつのモザイクであり、

例え猛烈な氷期の訪れと共に、あるいは産業事故による放射能被害により、または人為的な戦争拡大により人類が絶滅したとしても、地球生命種としての遺伝子プールは他の種族やバクテリアやウイルスに保持されるので、

それほど地球の未来は心配要らないのかもしれない、というものがある。もちろん近代文明がもたらした産業毒を自分達の手でクリーニングするというカルマを人類は負っているのだが、

地球生命種はもとから「お釈迦様の手の平」の上ならぬ「ウイルス・ベクターのゲノム・プール」に浮かぶ存在なのだ。

ウイルスこそが神であり、仏であり、父母の本源なのかもしれない。

つつしんで、「ひとりする」自然の体現者「ウイルス」を、これからは「敵ではなく味方であり仲間である」ガン細胞同様に敬(うやま)おうではありませんか。

2015.01.13 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

癒しの原点 10

「楽しみはこれ人の生まれつきたる天地の生理なり。楽を失わざるは養生の本なり」


ここからは、コメント欄の常連さまへの返答コメを本文として少し書き連ねます。

三十路さまへ

ハンドルネームが微妙に違ってましたね。すまんこって、ペコリ。

糖質うんぬん論というのも、これはようは1対1の要素還元論と同じ線形ロジックを踏襲する文脈上にある論争であって、

糖質の本質を追及する流れとは違って、ガン細胞は糖質を好むとか、糖質の摂り過ぎは糖尿病の原因とか、糖化が促進されるから万病の原因になる、という結局はワルモノとしての糖質という側面のみを強調するワルモノ探しごっこの世界が展開されているんです。

でも、どう考えても糖質は細胞生理に必須の栄養素なのは、グルコース・トランスポーターが細胞膜に存在することから見ても明らかだし、そもそもミトコンドリアは居候のパラサイト(寄生体)であって、今は単なる細胞内オルガネラのひとつ。

とはいえ、かなり重要というかもの凄く重要な器官であることは論を待ちませんが、指揮系統が多すぎたら細胞生理は混乱するから、ミトコンドリアは12億年前の共生時に細胞核本体に遺伝子のほとんどを移住させているわけです。

そんでほんの少し残ったミトコンドリアDNAの遺伝子ってのは、ミトコンドリアの呼吸酵素に関係するタンパク質の設計図面なんだけど、ミトコンドリアの役割はATP産生だけじゃなくて、細胞核DNAを守る防衛網という非常に重要な側面もある。

ミトコンドリアは核の周囲に本当に毛細血管かクモの巣のようにネット状の構造物として築かれた細胞核シールド、核の防波堤でもあるのです。

実際の防波堤は津波などを防ぐためですが、ミトコンドリア防潮堤は津波を防ぐのではなく細胞核DNAを傷害するジノトキシック(遺伝子毒)作用をもたらす放射性同位元素や有毒性の化学物質や重金属などを防ぐ目的で築かれたもの。

ミトコンドリアは細胞というホテルに居候として転居すると、ATPというホテルを運営するためのあらゆるエネルギー源を生み出す「千と千尋の神隠し」のあの「釜じい」役をかって出てくれて、

そして、あらゆる有毒物質をミトコンドリア内にあるチトクロムP450という解毒酵素で分解処理する凄腕の用心棒として核DNAを守り抜く核のガードマンとなってくれているのです。

それからして、糖質とATPについて話しを戻すと、細胞本体であるところの細胞質で酵素反応によって糖質が分解されていく過程がATP産生の第一段階のインジェクション(発火装置)となり、この解糖系のATP着火をスタートとして、

次なるメインエンジンであるミトコンドリアでのATP産生が起爆されるというのが、通常生理におけるATPプロダクションの流れ。

ということは糖質を基本としてATP産生が行われていると極論できるわけです。

だから糖質をもしも制限したら、ヘタをするとミトコンドリアも共倒れとなります。

もちろんバックアップとしてミトコンドリア優位でATP産生をさせるために、アミノ酸と脂肪酸をのみミトコンドリアに配給させようとするタンパク質過剰な肉食的レシピを推奨する医師なども間々見受けられますが、

これも局部的な線形ロジックにとらわれたトンデモ栄養法としてやがて紅茶キノコと同じく歴史の闇に埋没していくことでしょう。

ワールブルグはベジタリアンというかヴィーガンでしたね、たぶん。

私はかつては厳格なマクロビアンでヴィーガンであった時期もありましたし、断食も経験しておりますが、

こういったマイナス栄養論はもうとっくに卒業しまして、今じゃあヴィクトル的な快楽追求型のエピキュリアンな食生活となっております。

三十路さんの仰るとおり、身体60兆個の細胞に、ミトコンドリア1京8000兆個に、そしてお腹の腸内常在菌と腹腔マクロファージに耳を傾ければ、その時の自分に何が必要な食物であるかはおのずと分かるはずなのです。

そうして脳端末に上がってきた「ああ、あれを食べたい」と思いついたものを、美味しく有り難く頂けばそれがいちばんの命の滋養になると確信しております。

だって人類は飢えない為に定住・農耕・酪農を開発し、ようやく飢えないで済むだけの文明を築くことに成功したのですから、何をもって一食だの少食だの、食べなくていいだの、と言えるのか?

食べるためと、子孫繁栄のためだけに生きるのが生命の本質です。

ヒト以外のすべての動植物はこの食と性の二相のみのライフサイクルを延々と繰り返しております。

なぜヒトだけに、食を減じ、糖質を制限せよ、と言えるのか?

もちろん私もラーメンもお肉も大好きですよ。そのかわり、肉にはタンパク質の分解を促進するタンパク質分解酵素を多く含む野菜や果物や薬味類やキノコ類や海藻と一緒に食べるという「食べ合わせ」という食べ方があり、

脂肪はもっとも消化が難しい成分で、脂肪を分解する酵素は胆汁に含まれるリパーゼのみなので、これも同じく野菜やフルーツと共に、大根おろしやユズやレモンなどの柑橘類やハーブや生姜や胡椒やトウガラシなどを使って油消しをする「食べ合わせ」の工夫を加えるのです。

こうした料理、調理の知恵をもってしてヒトは自在にあらゆる食材から必須成分を取りこむ食文化を築き上げたのです。

マクロビオティックの言葉に「料理こそ最高の芸術」なる言葉があります。

なにも制限せずに、あらゆる食の中において健康を確保するのが真の食養道であり、養生法です。




陣中見舞いさまへ

これからはマスター・ジンと呼ぼうかな(笑)陣さんとも、しかし、長い付き合いになりますね。何を隠そうウイルスの水平遺伝ネタで某サイトのコメント欄に「極意は横に飛ぶ」と書き込んだ陣さんのコメを読んで、

ムムム!とんでもない御仁がこの世にはおる、と唸ったあの5年前からのお付き合いですからね。その後、自分があちらを退会してからは、Kさんブログのところでとても良くして頂いて、

こちら自ブログでの情報発信に移行してからも、ずっと見守って頂いておりまして、こうした年齢も上で、人生経験も豊富な年配の後見人に、アッシはどうも恵まれております。

この場をお借りして、いつも多大なる叱咤激励のお声かけをして下さる皆様にあらためて感謝を申し上げる次第です。

さてマスター・ジン、癌の原因も糖尿病の原因も無論アレに決まっているのですが、世に流布するワルモノ探しでは何と糖質にその原因があるという倒錯まで引き起こされて、養生法論にも糖質うんぬん論の混乱の余波が押し寄せてきております。

って、アッシは端っから糖質制限なんか眼中にねぇっすけどね(笑)まずもって養生道はこれで安泰です。なんじゃそりゃ(笑)

貝原益軒の名と「養生訓」は人口に膾炙しておりますが、彼と彼の思想の真価はまったく伝わっておりません。

益軒先生と比較して人口膾炙率がグッと下がる漢方家であり思想家であった安藤昌益と自然哲学家であった三浦梅園を合わせて、

この益軒、昌益、梅園は江戸期の世界に誇る偉大なる三大思想家と位置づけられております。

安藤昌益と、中国は孔子と並ぶ思想家・墨子に目を開かせてくださったのは他でもないマスター・ジンのお導きです。

今年はマスター・ジンとの出会いを演出してくれた「ウイルス水平遺伝」も自分なりにもう少し咀嚼して公開できればと思考しております。

本シリーズでは、マスター・エッケンの比類なき養生論のコアテイストを損なわずに、そこにオレ流の味を注入していきますので、よろしくご堪能下さりませ。




ジェミニさまへ

本当にいつもありがとうございます。数字の間違いや誤字脱字はその都度、指摘して頂くとほんと助かります。これからも細部までチェックをよろしくお願い申し上げます。くりせんの真相がひとつ解明できましたかね(笑)



というわけで、どういうわけか久しぶりに私のコメント投稿がブロックされましたので、本編記事にコメ欄への返信コメをアップした所存です。

益軒先生は冒頭言において

「楽しむことが身体生理の滋養となり、楽しむことが養生の根本である」

と申しております。食も医も本来は楽しむものではないでしょうか?

制限する食や、苦しんだりする医が、楽しむというベクトル線上に位置しているのかどうか、よくよく胸に手を当てて沈思黙考すべきかと存じます。

マスター・エッケンの視点はさすがに鋭く、奥が深いです。

2015.01.12 | | コメント(4) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

癒しの原点 9

「人身は元気を本とす。穀の養(やしない)によりて、元気生々としてやまず」

現在のシリア北部、カラカダー山脈にあるアブ・フレイラ遺跡から出土した穀類アインコルンはすでに8500年前の当地で人類が穀類を栽培していた痕跡とされているが、

人類が最初に穀類を栽培化したのは定説では今から約1万5000年前にさかのぼるとされる。エンマーコムギの栽培はシリア・アブ・フレイラにおいては1万400年前にその痕跡が認められ、

ライ麦や大麦はトルコ南東部から地中海東岸にかけて広がっていた肥沃な三日月地帯の西半分で1万年前から栽培され、9500年前の地層からは大量のアインコルンが収穫されていたことが分かっている。

ちなみに、人類がオオカミの中から良く吠えて優しい性格のものを選んでイヌに家畜化したのは、ユーラシア東端の東アジアであり、時期は1万5000年前と推定されており、

ヒツジとヤギは1万〜9500年前に恐らくはすでに地球全域に拡散していた人類に共時的に家畜化され、欧州に棲息していた野生牛オーロックスからウシを、野生イノシシからブタを飼い慣らして家畜にしたのは8000年前、

そして6000年前になりユーラシア大陸は中央ウクライナからカザフスタンのユーラシア・ステップで野生馬が手なずけられてウマとなり手綱とアブミが乗せられたとされる。

現生ホモサピエンスである私たちのご先祖様の150人の小集団がアフリカを旅だって、バブ・エル・マンデブ海峡を越えて世界中に拡散していったのは、今から5万年前とされるが、

この人類のグレートジャーニーも4万年ほどが経過して後の旅の後半になって、ようやく人類はそれぞれの安住の地を見つけて、定住を始めたようだ。定説では定住と農耕のスタートをワンセットでとらえるのだが、実はこれもそれほど信頼に値する仮説ではなく、

定住しながら農耕などせずに狩りを専門にしていたり、移住と定住を繰り返しながら狩りや採取生活をしたり、定住と狩りに農耕がプラスされたり、意外にも定住にもバリエーションがたくさんあったことが近年になり古人類学者から指摘されている。

1万8000年前に現在の中東付近に起こったナトゥフ文化においては、マンモスの骨と皮で建てた住居で暮らし、遡上してくるサケなどの食料源が豊富で、ヘーゼルナッツなどが簡単に採取できる場所に人類が定住を開始していたことが判明している。

4万年の旅路の果てに「ここなら何とかやっていけそうだ」、という場所をようやく見つけて、その後、野生ムギなどの穀類を栽培化し、オオカミを飼い慣らして番犬と暖をとるためのイヌを愛玩するようになり、

ヒトはついに安定した暮らしを確保して、やがて文化を生みだして文明を創成したのだろう。

つまりここ1万5000年の人類文明は言い換えるのなら定住文明であり、栽培家畜化文明であり、農耕文明であり、「穀類文明」であったと言えるのだ。

現生の地球生命種130万種を見渡して、文明というものを生みだして、過酷な地球の自然環境ストレスからみずからの種を守るバリケードを築き、ここまで繁栄した種族はヒト族をおいて他にはない。

無論、近代科学技術文明の功罪の罪については、今後も厳しく断罪し徹底的にその非を洗い出して、テクノロジーをより一層洗練させて環境共生型の科学技術を一刻も早く生み出すことは喫緊の課題であるが、

今しばしその問題を脇に置いて、ホモサピエンス5万年史を振り返れば、やはり人類は穀類を摂取して安定して糖質を摂取することができたお陰でこれだけの個体数の増加を実現し、輝かしき文化文明を築いたことが認識できてくる。

糖質制限というイヤラシイ言葉がいつからか流行して、まるで糖質・炭水化物である穀類がワルモノであるかのような標的とされ、この穀類を断てば健康になれると思わせる意味不明なダイエットがちまたを風靡して久しいのだが、

あらゆる意味で人類が刻苦精励して野生の穀類を栽培化してきたここ1万5000年間の農耕史を冒瀆するような、いい加減な糖質制限ダイエットの流行は断じて私としては許すわけにはいかないのだ。

ヒト細胞の細胞膜にはグルコーストランスポーターと呼ばれる糖質を専門に取りこむための輸送口が装備されている。これは何を意味するかと言えば、糖質が絶対的に細胞生理に必須な素材であることの証拠なのだ。

なにをもって糖質を制限しろと言うのか?細胞にしろ、脳にしろ、筋肉にしろ、身体生理に備わった機能は使用しなければ「ルーの法則」に従って、廃用性萎縮が引き起こされて、その機能を失調してしまう。

もしも糖質を摂取しない生活が続けば、細胞膜のグルコーストランスポーターはその機能を失い、やがて細胞は死滅するだろう。血糖値が低下し過ぎて昏睡状態になることが病理現象として現に存在することは誰もが知っていなければならない医学的事実だ。

ヒトが摂るべき正しい食事とは何なのか?

かつての世界三大長寿村であったパキスタンはフンザ王国、旧ソ連コーカサス地方、南米エクアドルはビルカバンバ村、

そして新長寿村のブルーゾーンと呼ばれるイタリアはサルディーニャ島、中米コスタリカはニコジャ半島、アメリカはカリフォルニア州ロマリンダ、日本の沖縄の4つのゾーン、

さらにかつては日本の長寿村としてその名を馳せた山梨県は旧棡原村。

これらの世界中に存在するガンにもアルツハイマーにもミトコンドリア病にも罹らないセンテナリアン(百歳越え長寿者)が多く住む地区に共通する長寿食の秘訣を探れば、

いったいヒトが何を摂取すれば長寿で健康でいられるかの確たるエビデンス(証拠)がもたらされるはずだ。

棡原村はかつて秋から春までの半年間もの長いあいだ、朝食に里芋の味噌煮を主食としていたことで有名である。

旧三大長寿村に共通しているのは地産地消でオーガニックなマクロビオティック的な植物性7対動物性1の比率の食事内容であることであり、

新長寿村のブルーゾーンもやはり旧三大長寿村と同じような植物性食が主体であるが、動物性も少しは摂取するというワールブルグの食卓やゲルソン療法に近似の内容であった。

カリフォルニア州ロマリンダに住む心臓外科医はもとから肉食は少なかったのだが、心臓や血管の障害で手術をされる者のほとんどの食事内容が聞き取ると、肉食やジャンクフードに偏重していることを知り、

ますますベジタリアンに近づき、老齢になっても自分が健康なのは、純正な穀類と豊富なナッツ類と果物の摂取にあると広言していた。

歯の構成比に従って食律を組み立てれば、それはすなわち長寿村レシピであり、ワールブルグ・レシピであり、ホモサピエンス・レシピということなのだ。

臼歯と切歯が合わせて28本と犬歯が4本。この歯に刻まれた形と構成比こそがここ1万5000年の人類が食べたものの軌跡であり、穀類文明を築いた人類の生きた痕跡、記録、データ、食べ物の足跡なのだ。

ホモサピエンス5万年のグレートジャーニーとは文字通りこの肉体を通して雨風吹き荒れる外部環境と接し続けた旅であったと同時に、

肉体内部においては歯の上と消化管の表面と全身の60兆個の細胞膜を、食べた物が消化され分解され解毒され消費されリサイクルされ続けた旅でもあったのだ。

糖質を分解するアミラーゼが口腔や膵臓や小腸から分泌され、細胞膜にはグルコーストランスポーターという糖質専門の輸送口が開設されている。

ヒトという種族は糖質によって生かされる存在なのだ。

糖質制限ではなく「糖質選択」という言葉が一般化することを切に希望します。

マスター・エッケンは見ての通り冒頭言で「ヒトの元気は穀類によって養われる」との真言をすでに今から300年前に発してくれておりました。

謹(つつし)んで益軒先生のお言葉を拝聴しようではありませんか。

2015.01.11 | | コメント(7) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

癒しの原点 8

「食物の気味、我が心にかなわざる物は、養(やしない)とならず。かえって害となる」

昨年末から本年初頭にかけて、本ブログでは盛んにガンに関する情報を提供しているが、試みに今や余り注目されないが出版された当時はそれなりの影響力を見せたであろうガン関連の必読書と言える

アンソニー・J・サティラロ著の「がん ある『完全治癒』の記録」日本教文社・刊を再読してみた。

この本の内容はアメリカの麻酔科医であり、フィラデルフィア・メソジスト病院の院長であった当時47歳のサティラロ博士が、ある日、突然に前立腺癌の宣告を受けて、両睾丸の摘出と胸部肋骨のガン病巣の外科切除を経て、

やがてとあるキッカケでマクロビオティックという食律法に出会い、この食事ダイエットにより頭蓋骨や肩甲骨や脊椎骨や胸骨や肋骨に骨転移していたガン病巣がすべて消えていった2年余に及ぶ記録である。

この本の書評を書かれている医師も仰っているように、今の世には「ガンが治った、ガンを治す」と吹聴する外辺医療(フリンジ・メディスン)があまた存在するのだが、

では実際にそう言い切るだけの医学的なデータやエビデンス(証拠)が提示されているケースがあるかと言えば、これはまったくほとんど無い、と断言できる程に御粗末な状況であり、

こういったチマタのガン・コンテンツの中でもサティラロ博士の記録が貴重なのは、すべて正式な現代医学の客観的なデータが提出されたうえで、担当内科医が「完全寛解」と診断している点が非常に重要なポイントとなろう。

ガン宣告時の1978年6月のPET検査によるスキャン映像にはハッキリと全身に骨転移したガン病巣がとらえられているのだが、

14ヵ月後の1979年9月の同じ検査映像からは何とあのガン病巣の黒い影が全身から跡形もなく消えているのだ。

わたしたちに必要なガン情報とはこうしたリアリティー(現実)が伴ったものを言うのであり、このリアルなガン治癒の真の治効機序を解読することで、より精度の高いガン・コンテンツがもたらされると確信する次第です。

わたしはリアリティーもエビデンスもないガン治癒に関する希望的な妄想や、ガン細胞の線形的な病理解読にはまったく興味はなく、これからもこうした信用に値するコンテンツのみを提供することに務めてまいる所存です。

さて、マクロビオティックという食律法については今更、特に説明の必要もなかろうが、ザックリと私流にマクロビオティックを説明するのなら、

ようはヒトの大人の歯の形と構成比(臼歯切歯28本、犬歯4本)に準じた、植物性食が7に対して動物性食が1の、穀類と野菜を主体にした食事ということになる。

そしてマクロビオティックの創始者である故・桜沢如一氏の思想とは「健康をもって自由人たれ」であり、マクロビオティックによる食の調整は

健康を勝ち取って、自由にこの世を遊ぶための手段であって、決して目的ではないということが最大の要諦となるのだ。

マクロビオティックが玄米を食べる食事法と誤解されて久しいのだが、「マクロビオティック=玄米食」という固定イメージは

むしろ桜沢の思想を冒瀆しているとも言えるわけであり、桜沢は別に玄米を食べろ、とはひと言も言っていないと私は解釈している。

玄米を食べるのもあらゆる食律の中のほんのオプションであり、主食に何を据えるかは人それぞれの自由なのであり、

その自由な判断に従って自分で自分の食律をアレンジして独創して編み出していくことがマクロビオティックの本質となるのだ。

桜沢のフォロワーとなる弟子たちは今や世界中にゴマンと存在するのだが、果たして桜沢のマクロビオティック思想の原点をしっかりと掴んで啓蒙活動をしている者がいるのか、いないのかは少し心もとない。

来日時に私も何回か直接お会いしたことがあるアメリカはボストンを拠点にマクロビオティック啓蒙の世界運動を実践しているクシ・ミチオ氏と、そのお弟子さんたちがサティラロ博士と奇跡的に巡り会った事で引き起こされたガン治癒ドキュメントが、

前述の書の内容であるが、マクロビオティックがサティラロ博士のガンを自然退縮させたからと言って「マクロビオティックがガンを治す食事法」であると早計してもらっては困ると、

サティラロ博士本人も、書評を書いた医師も、翻訳をした鍼灸師の上野圭一氏も、日本のマクロビオティック関連団体の代表も、異口同音に口酸っぱく指摘していることは肝に銘じたい。

サティラロ博士のケースはあくまでサティラロ博士に特異的なパターンであり、つまり72億人のDNAはすべて異なるのだから、同じような食事法をもってしても72億人の予後パターンが存在するわけで、

ようはこうした実際の治癒例からいかにして普遍的なエビデンスを抽出して、いかにして一般化できるか?がこちらハリーの腕の見せ所となる。

20年前に読了していたサティラロ博士の貴重な経験談を、今回、再読してみて非常に益するところが大であり、新たな視座を獲得しつつあることをここに公表します。

誤解多きマクロビオティック食律法の中から私はついに金塊を探り当てました。

勘のいいブログ読者の皆様なら、すでに感づいているかもしれませんね。そうです。サティラロ博士の腹腔マクロファージのトールライクレセプター・TLR4に

玄米や海藻や味噌汁のマクロビオティック食に大量に含まれる多糖体がヒットして、多糖体がヒートショックプロテイン分泌を引き起こし、ヒートショックプロテインHSP60やHSP70も同じくTLR4にヒットして、

マクロビオティック食材に含まれる多糖体と、多糖体によって分泌が高まったヒートショックプロテインがインターフェロン・インデューサーとなり、マクロファージがインターフェロンや腫瘍壊死因子(TNF‐α)やインターロイキンを分泌することで、

NK細胞やキラーT細胞が活性化してガン細胞をパーフォリンとグランザイムとフラグメンチンの分解酵素で分解して、

最終的にマクロファージがアポトーシスされたガン細胞の断片を貪食することで、サティラロ博士の体内に散っていたガン病巣はすべて免疫細胞の消化力によって消去一掃されてしまったと解読できるのです。

マクロビオティックは植物性主体の食事法です。この植物性が主体であるという点が非常に重要であることには、植物の細胞壁が多糖体でシールドされコーティングされているということであり、

植物性食が主体の食事にすると必然的に多糖体が多く摂取できて、結果として腹腔マクロファージのトールライクレセプターを刺激して、免疫力が高まると結論できるのです。

陰陽論(いんようろん)や身土不二(しんどふに)、一物全体(いつぶつぜんたい)などのお決まりのマクロビ教義とはひと味もふた味も違う、『「TLRヒッター」としての食』という視座を、ついにわたくしことハリー今村は獲得したのです。

ドイツ人生化学者オットー・ワールブルク(1883〜1970)はガン細胞の病理のほんの一端であるガン細胞が細胞質の解糖系を亢進してATPを産生しているという、

のちの世にドグマ「ワールブルグ効果」として知られることになったガン組織のすべてではないがガン細胞の一部に発現する特異的な現象を発見したのですが、

彼が熱心な自然食派、オーガニックフード・マニアであり、加工食品を極度に嫌い、肉食をしないベジタリアンで、マクロビオティックに近い食事を実践していたことはよく知られております。

そしてこのガン細胞の真相の一端を解明したとされるワールブルグの熱烈な信奉者であったドイツ人医師マックス・ゲルソン(1881〜1959)が

ワールブルグ効果にヒントを得て創案したと目される食事法がガン治癒の食事法として余りに有名なゲルソン療法だったのです。

ゲルソンは西欧人のガンの原因が塩漬けにした肉の過食にあると推定して、塩分と肉食を厳格に規制して、大量の野菜や果物のジュースを1日に何度も飲むような独創的な食事法を開発したのです。この流れが今のスムージー・ブームにつながっているのでは、と私は推測しております。

さてここで懸案の糖質制限について核心を言っておきます。マクロビオティックにもゲルソン療法にも糖質制限という奇妙な言葉はいっさい登場しません。

糖質ということで言えば、マクロビオティックなどむしろ糖質過剰とも言える程の穀類に片寄った食事法です。この糖質過剰と言えるマクロビオティックでなぜステージD・末期のガン患者であったサティラロ博士のガンがすべて消えたのか?

それは勿論、博士の摂った糖質が多糖体が大量に存在する優れた『TLRヒッター』であったからなのですが、ゲルソン療法でも未精製の穀類を推奨しております。つまり最大のキモとは

「糖質を制限することには何の意味もないが、糖質を選択することには相応の意味がある」だったのです。

これが「糖質問答」の結論、答えです。

私流にもしも「糖質選択・とうしつせんたく」を自分の食事に取り入れるのなら、もっとも手っ取り早い方法が多糖類を多く含む植物性食材や発酵食品を幅広く選択するとなります。

かと言って単糖類を忌避する事も致しません。砂糖にだって、血糖値を即座に上げる立派な役目があるのですから。

多糖類とは糖が鎖状につながったポリ重合構造の糖質のことを言いますが、これがほとんどこれまで私がずっとプッシュしてきた多糖体とほぼ同義であることはすでに皆様も気づいておられることでしょう。

マクロビオティックもゲルソン療法も凌駕してポスト3.11のダイエット戦線を制するものこそが、

「『TLRヒッター』メソッド」、別名「ネバネバヒート養生法」である、とここに堂々と高々と自信を持って大宣言いたします。

ヴィクトル的な感性を養って、その時、その身体に必須の食を本能で嗅ぎ取って、美味しいものを美味しいと感じて頂けば、命の滋養になると、マスター・エッケンは冒頭の言で申しております。

本当に身体に必須な成分は、もとから腹腔マクロファージが知っているのです。

2015.01.10 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

癒しの原点 7

「およそ疑うべきを疑い、信ずべきを信ずるは、迷を解く道なり」

儒者でがあっても医師ではなかった貝原益軒翁は、幼少は非常に身体が弱かったのだが、流浪の身となって黒田藩から放擲されるような試練を経て、やがてまた黒田家に仕えて71歳まで藩の役人として働き、その後は旺盛な執筆活動をしながら健康に留意して元気に生きて、

虫歯1本も無い身を維持し、養生の訓(おし)えを万民に分かりやすい文語体で記した自身の実践した養生法の集大成と言える「養生訓」8巻を83歳に出版する偉業を達成し、その翌年84歳でマスター・エッケンは大往生を遂げている。

これから少しずつ「養生訓」の言葉を拾いながら、マスター・エッケンの「身体生理倫理学」とも「養生哲学」ともとれる崇高な生命観に触れていきますが、冒頭の言から垣間見えるエッケン・スピリットとは実にラディカルでアヴァンギャルドだったと言えるのです。

様々な経験を積み、多くの書物を読み込んで、実際に益のあるコンテンツだけを抽出し、憶測であっても充分に価値があると見込んだ独創の仮説も迷うことなく提示されているのが日本が誇る世界遺産な養生論治ガイダンスである「養生訓」なのです。

さて悟中に達して語られた「養生訓」とは異なり、迷中にあって書かれた健康ガイドブックしかない現代において、いかにして迷を破り、悟に到達できるかと言えば、やはりマスター・エッケンが申すとおりに、「うたがうべきをうたが」い続けることで、信ずるモノにアクセスするしかありません。

昨年末頃から私の脳裏に舞い降りた「うたがうべき」案件とは、それまで信じていたガン細胞の原因とされる「ワールブルグ効果」というドグマ(原理)でありました。

ガン細胞はミトコンドリアの機能不全をスタートとして発生するミトコンドリアのバックアップ細胞である、というそれまで私が常識的に考えていたこの当たり前の原理に、私はどうも納得がいかなくなりました。

確かにガン細胞はその細胞質におけるグルコースを分解してピルビン酸に変換する過程でATP2分子を獲得する発酵菌と同じエネルギー産生システムである解糖系を亢進して、ATPを盛んに造り出すことはあるのでしょうが、

ミトコンドリア研究の第一人者の文献などを読んでみると、実はワールブルグ効果によるガン化原因説はオットー・ワールブルグ博士が発表したすぐ後に否定されているとされ、

その理由はすべてのガン組織でワールブルグ効果が認められないこと、つまりミトコンドリアの呼吸酵素活性がガン細胞のすべてで停止しているわけではないことが分かったというのです。

またガン細胞であっても充分に酸素が供給されれば、ミトコンドリアの呼吸酵素活性が正常な状態に回復することも判明したのです。

つまり「ガン細胞=ミトコンドリア病」というセオリー(定理)はアッサリとこの研究者をして覆されてしまっていたのです。

やはり第一線の基礎研究者たちは実験による立証というエビデンスを武器に論説展開をするので、実に説得力があります。ここでわたしのガン・パラダイムがまたひとつ変容してステップアップする機会を得ました。

ようは正常細胞がガン化するパターンはミトコンドリアの機能不全だけでなく、他の様々なオプション機構も駆使しながら進行していくものだ、という新しいセオリーです。

「ガン化=複合的なバックアップ機構」とも呼べる新しい概念がガン・パラダイムに浮上したのです。

疑念を直視したからこそ、信念が堅固となるのです。

チマタのガン論争をよくよく俯瞰してください。果たしてそれは「一点論治ガイダンス派」か「何でもトッピング派」か、これらのチャンポン派か?よくよくご確認ください。

こうした迷いの中での論説は必ずや迷いの中に埋没していきます。命の何たるか?の試練を経ない論説など実に危険極まります。

糖質を制限するなどもってのほかです。

ミトコンドリアは細胞内に数百個存在しますが、それらはひとつらなりの機能を有して、変異や傷害を克服し希釈して、常に正常化しています。

簡単にはミトコンドリアは機能不全にはなりません。

ミトコンドリアにガン原因があるとされた疑念はようやく晴れつつあります。

2015.01.09 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

癒しの原点 6

「天地の生み育てたまえる人を救い助け、万民の生死をつかさどる術なれば、医を民の司命といい、極めて大事の職分なり」

とは「医は仁術なり」の言葉に次いでマスターエッケンが「養生訓」中で語る医術の本領である。

ヒトの命のありようは「ひとりする」62桁の無限大宇宙にありのままに「変わらなくあるために、変わりつづける」存在であり、医療者が患者の命のありように関与できる領域など、ほんの少しの刺激に過ぎず、

そのほんの少しの刺激によって例え、患者の状態が好転しようとも、その生命力の復活は他でもない患者の自然治癒力によるのであって、決して術者のチカラが優れているなどと、うぬぼれてはならないことは医療者として常に肝に銘じている。

そして命というものはそれ自体が自立して自律している特別なものであり、いまだに糖質がいったいどのように細胞生理に関与しているのかのホントのホントはまだ誰にもわかっていないことであり、

だから分かったようなクチをきいて、偉そうに上から目線で講釈を垂れる健康指南番の言いなりになど絶対になってはいけないことも、この際なので肝に銘じて欲しい。

医者であろうと、素人であろうと、どれほどのデータ蓄積があっても、命の奔放さに翻弄され続けている者にしか、命の何たるか?は悟り得ない。

では命の奔放さに翻弄されるとはどういう事かと申せば、それは命そのものであるエッジな生身に触れるということなのだ。

鍼医はパソコン画面にアップされた患者の血液検査の結果や病理所見を見ることはほとんど無いが、生身のエッジな血気の宿る肌には常に触れている。

SF映画の金字塔「2001年 宇宙の旅」で原始人類に道具をもたらす閃(ひらめ)きを与えた「モノリス」とは、

あの脳科学者デーヴィッド・ボームが構想したこの宇宙の仕組み「暗在系(あんざいけい)と明在系(めいざいけい)」の暗在系の象徴であると私は思っているのだが、

まさに鍼医にとっては患者の「肌」こそが「モノリス」なのだ、と常々、鍼医である私は感じている。

見える情報群である「エクスプリシット・オーダー(明在系)」ではない、明在系を成り立たせる見えざる情報群である「インプリシット・オーダー(暗在系)」としての「ヒト肌」に触れているからこそ、様々な気づきが私の脳裏に舞い降りるのだ。

もしかしたら私は「明在系」と「暗在系」をつなぐメディア(媒介者)なのかもしれない。

古代社会においては医を任ずる者はシャーマン(巫女・みこ)とされた。わたしは医の実践を通して少しづつシャーマン化して、古代の符医(ふい)に接近しているのだろうか。

さて、前稿で記述された「ガン、免疫疾患、不定愁訴、変性疾患、ミトコンドリア病、小胞体ストレス病、リソソーム蓄積病、オートファジー病、遺伝病」とは、

これは例えば主語が分かるように「は」を挿入して「ガンは免疫疾患、不定愁訴、変性疾患、ミトコンドリア病、小胞体ストレス病、リソソーム蓄積病、オートファジー病、遺伝病」としても、

主語を入れ替えて「免疫疾患はガン、不定愁訴、変性疾患、ミトコンドリア病、小胞体ストレス病、リソソーム蓄積病、オートファジー病、遺伝病」としても、

さらに主語をどんな風に入れ替えても文意が成り立つ不思議なロジックであるのだが、つまりはこうした病的な状態の呼び名など単なるマヤカシであり、

命とは連続した一連の流れであることが、この言葉遊びからもよく俯瞰できてくるのだ。

わたしたちは病名にとらわれて、病名にこだわるあまり、命の本質を見る視座を失ってしまっているのだ。

ガンの原因はミトコンドリア病である、とか、免疫低下がガンの原因である、とか、遺伝子の変性がガンの原因である、とか、ガンの原因説も諸説多々あるのだが、

これらも実はすべて命そのものである「ガン、免疫疾患、不定愁訴、変性疾患、ミトコンドリア病、小胞体ストレス病、リソソーム蓄積病、オートファジー病、遺伝病」

から、都合良く適当にトッピングして、得意げに説明して見せているだけのことであり、多賀法印流の「邪正一如」の医学観の「命は病、病は命」の視点から俯瞰すれば、

「命」と「病」を切り離して考えることがそもそもいかに愚かな事かなど、簡単に理解できてくるであろう。

「極めて大事の職分」に就き、「民の司命」をもっぱらとする鍼医は、命の何たるか?を民に知らしめる義務があるのだ。

義務に準ずる者に授けられた「ヒト肌」という「モノリス」から今日も命の叡智のなにがしかが授けられることだろう。

2015.01.08 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

癒しの原点 5

「流水はくさらず、たまり水はくさる」

ガン、免疫疾患、不定愁訴、変性疾患、ミトコンドリア病、小胞体ストレス病、リソソーム蓄積病、オートファジー病、遺伝病、・・・

この世の中に病気と規定されている疾患名は恐らくは四百四病をくだらない程に数が多く、そのそれぞれの病名に現代医学はガイドラインから適合する処方箋を示しているのだが、

煎じ詰めれば病気とは冒頭のマスター・エッケンが喝破しているように単なる「たまり水」状態を言うのであり、反対に健康とは「流水」であることを意味することは、これまで本ブログでも再三にわたりしつこく強調してきた。

病名など命の本質をカモフラージュするマヤカシに過ぎない。

病気の原因をどこかひとつのポイントに絞り、論治ガイダンスを展開する論説がネットなどには多数散見されるし、また逆に手当たり次第にあらゆる論説をトッピングして並べて見せてどうだ、と言わんばかりのてんこ盛りなサイトもまた多数見受けられる。

私に言わせればこういった「一点論治ガイダンス派」も「何でもトッピング派」も「一点&何でも派」も結局のところ「命の本質」をまったく理解していない「デタラメ派」にしか見えないのだが、

実を言うと健康法だの、ダイエットだの、養生だのと偉そうにのたまうこのカテゴリーにはデタラメでイカサマでインチキな霊感商法に毛が生えたような詐欺師がごまんと棲息する魑魅魍魎の巣窟であることはこの際はっきりと改めて強調しておきたい。

いつからか糖質制限という言葉がひとり歩きし、糖質を摂らなければそれだけで健康になる、という暴論がまるで正論の如くに語られるようになって久しいが、

糖質が細胞のATP産生には絶対に必須な栄養素であり、例えば肝臓においては糖質が言わばホルモンやサイトカインや神経伝達物質と同じくリガンド(信号分子)として機能しており、

糖質がもしも摂取されなければ肝臓における糖質コントロールがうまく作動せずに、肝臓の500余の生化学反応がトラブルを起こすという事実など絶対に知っておかねばならないことなのだ。

またなぜ救命救急の分野で点滴が行われてブドウ糖が静脈から輸液されることで危急を脱して身体が正常化するのかと言えば、ブドウ糖という糖質が60兆個の細胞生理に必須のエネルギー源であるからなのだ。

糖質がもしもすべての細胞に行き渡らなければ普通は血糖値の低下により、身体は不調になる。細胞においてATP産生の流れが滞るのだから、気力も出ないし、何をやってもスタミナがない。

しかし、こんな時に「お茶でもしようか?」と言って、美味しいスイーツとコーヒーなどを頂くと、アラ、アラ、不思議!さっきまでのダルさが抜けて、急に気分がハイになって、俄然やる気が出て来た。

こんな経験はどなたも経験済みでしょ?そう大工さんや職人さんは必ず10時と3時には「お茶タイム」をもうけて、煎餅に緑茶で、しっかりと糖質を摂取するのです。

これも長年の経験から導き出した養生の知恵なのです。大工さんや職人さんはハードに筋肉を酷使しますから、筋肉内に埋蔵してあるグリコーゲンをそれなりに使い果たしてしまうのです。

だからそうなる前に、つまり筋肉内のグリコーゲンや血液中の血糖値が低下してしまう前にあらかじめ10時と3時に「くりせん」をバリバリと食べて、糖質を補給するのです。

いったい糖質制限なんて馬鹿げた健康法を吹聴している連中は何を考えているんだい?

もしも糖質などむやみやたらに制限して、血糖値が低下して昏睡状態にでもなったらどうする気だね?

そりゃあ白砂糖や白米や精白小麦のいわゆる「三白(さんぱく)」の害などは、玄米系のマクロビオティックや自然食派の者には常識であって、今更、白砂糖の弊害などを得意げに話されても、だから何?の世界に決まってるんだよね。

ただこの「三白の害」とチマタで大流行している糖質制限をゴッチャゴロミソにしてはいけないのです。

白砂糖などの単糖類というのは摂取すると急激に血糖値を上昇させて、膵臓のインシュリンの分泌をまた急激に増大させる作用があり、これにより血糖値のアップダウンが短期で起こり、体内生理がかき乱されて、

やがて膵臓のインシュリン分泌がうまく作動せずに糖尿病を誘発する危険があり、また子供らが常に単糖類ばかりを摂取しているとADHDなどの

ハイアクティブな過活動状態な子供の身心生理を招いてしまうことは、かなり昔から指摘されている常識である。

つまり砂糖や果糖などの糖が鎖状につながっていない単糖類は逆に言えば、即効的に血糖値を上げたい時には都合の良い糖類という善なる側面がある反面、

この単糖類ばかりに頼っていると糖尿病やハイアクティブな不定愁訴を招く悪なる側面があるという、

おなじみのあらゆるモノには二面性が存在するという宇宙の定理の通りだと言えるのだ。

ようは糖質が悪いと叫ぶその論理の中核はこの単糖類の悪なる側面だけにスポットを当てて論理展開をしているというだけのことであり、

これもまた「一点論治ガイダンス」の愚を踏襲した御粗末なダイエットだった事がまざまざと俯瞰されてくるのである。

すべてのモノに善なる側面と悪なる側面があるという善悪一如の精神で読み解かねば、うっかりするとトンデモナイいい加減な論理を展開するハメに陥ってしまう。

多糖類という糖が鎖状につながった分子は同じ糖質であっても、腹腔マクロファージのトールライクレセプター・TLR4にヒットし受容されることで、免疫細胞のすべてを賦活して免疫力を高めてくれます。

もしも多糖体まで制限されたら、命にかかわりますよ。そしてそもそも、単糖類と多糖類を厳密に区別して摂取するなんて事は出来ないのですから、はなっから、こんなダイエットはデタラメなのです。

どうもおかしいと思って糖質制限を吹聴しているある医師の本を斜め読みしてみましたら、自分の持ちネタである何とかオイル・ダイエットに誘導する霊感商法が垣間見られて、バンザイしてしまいました。

糖質制限もまた「たまり水」の原因。

あるがままの流水なる身体生理には糖質は必須の素材です。

なんと言っても細胞質の解糖系を駆動する栄養源が糖質なのですから、解糖系に糖質がいかないと、解糖系をめいっぱい駆動せんとして細胞はガン化するかもしれません。

ガン細胞は正常細胞と何ら変わりない存在です。正常細胞の細胞質に糖質が配給されなくなれば、正常細胞は細胞質の乳酸をオートファジーを亢進することで糖新生をしてグルコースに変換して解糖系をも亢進していきます。

糖質制限が正常細胞をガン化することすらあるかもしれません。本当のところは人体生理など簡単には分からないのです。

論理的整合性を求めるあまりに、実際の人体を見ない健康法があまりに多いです。

2015.01.06 | | コメント(6) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

癒しの原点 4

「人、毎日昼夜の間、元気を養うことと元気を損なう事との、二つの多少を比べ見るべし」

中医学でいうところの元気(げんき)という言葉は、現在、普通に慣用的に使用される「元気がある、ない」的な意味合いよりも、むしろ元(もと)からヒトに備わっているパワーという意味合いの方が強く、

ある意味では現代生理学や生物学のいうところのヒトゲノムに関わる遺伝子発現やDNAセントラルドグマの潜在的な細胞核内の能力や、

細胞核の周囲にクモの巣のように張り巡らされて糸状のネットワーク構造を形成している細胞内オルガネラのミトコンドリアの活動まで含んでいると言えそうである。

ミトコンドリアは良く知られているように、血液中の糖質や脂質やタンパク質からブドウ糖が作られて、これらブドウ糖が細胞質における10の酵素反応で分解される解糖系を経てブドウ糖が中間分子の乳酸やピルビン酸に変換されていきアセチルCoAとなると、

このアセチルCoAという分子が次ぎにミトコンドリア内のハンス・アドルフ・クレブス博士が発見したクレブス回路に入っていきアセチルCoAのアセチル基がクエン酸に変換されるとクレブス回路が回転し出して、

酸化作用により発生する9種類の分子( cisアコニット酸、イソクエン酸、オキザロコハク酸、αケトグルタール酸、スクシニルCoA、コハク酸、フマル酸、リンゴ酸、オキザロ酢酸)の変換の過程で電子伝達系の材料であるNADHやFADH2が作られて、

これらの材料を利用しながら最終的にミトコンドリアの内膜マトリックス内の電子伝達系において細胞核DNAとミトコンドリアDNAの二つの遺伝子に

コードされた呼吸酵素複合体(Ⅰ〜Ⅴ)の5つの呼吸酵素反応を経由して酸化反応によって水素イオンがマトリックス膜外に回収されると、

この水素イオンが今度は濃度勾配による浸透圧な流れに従ってATP合成酵素(Ⅴ)のタービンを回転させるとアデノシン三リン酸という生命力の源であるエネルギー通貨のATPが毎秒120個から合成されて、

平均で一日に50〜100キログラムの体重の1.4倍量もの膨大な量のATPが身体全体の1京8000兆個のミトコンドリアで合成されている。

このミトコンドリア・コンテンツに関する人口膾炙率は恐らくは私を含むミトコンドリア・フリーク達の情報公開の努力もあってか、

マリアナ海溝10920メートルやトンガ海溝10800メートルよりも少し浅瀬に浮上して日本海溝8058メートルまでは上昇してきているはずだ。

冗談はさておきヒトが脳内で物事を思考するのも、筋肉を使って運動をするのもすべてその場で合成されてくるATPのお陰なのだ。

だから元気という中医学用語は現代生理学で言えばこのATPに極めて近い意味合いとも受け取れるが、西洋的なニュアンスではスタミナなる用語も元気の語義に近いと言える。

このスタミナ( stamina )という言葉はもとはラテン語であり、スターメン( stamen)の複数形で、本来の意味は「雄蕊(オシベ)」とか「本質」という意味合いであったのが、

のちに転じて「精力」や「生命力」を言い表すようになり、更に持久力や性的強度までも拡大的に意味するようになったとされる。

要するにスタミナという言葉は分かりやすく言えば「生命エネルギー」という意味であり、別な言い方をすれば東洋医学の中核概念である

「気(き)」と呼ばれる「バイタル・フォース(生命力)」と同義となろう。

ヒトの根源的なバイタル・フォースを中医学用語では単純に気や元気と呼んだり、真気(しんき)や正気(せいき)と言い換えたり、先天の気(せんてんのき)などと称するが、だいたいすべて同じモノを指している。

この元来ヒトに備わっているパワーを一日のうちの昼間と夜間で上手にやりくり塩梅して、均等に配分して、元気を使って消耗するだけでなく、

元気を補給して命を滋養することが養生の秘訣だ、と冒頭の言で貝原益軒翁は仰っております。

そして「養生訓」中で文章を次いで元気を補給する方法として益軒先生は「飲食」と「ねぶり臥(ふ)す」の二つがその方策だと説き、

しかし「食べ過ぎ」と「眠りすぎ」は逆に元気を損なうから注意せよ、と事細かに指示を出しております。

食べることでは、食べたものが消化されて小腸微絨毛から体内に吸収されて全身の細胞にまで血行性に運ばれた糖質をもとに、

必須栄養素のブドウ糖が細胞質の解糖系とミトコンドリアのクレブス回路と電子伝達系を経てバイタル・フォースの基本であるATPに酸化的リン酸化により合成されて、

また食べ物に含まれる多糖体が腸扁桃パイエル板に控える腹腔マクロファージの細胞膜レセプター・トールライクレセプター・TLR4にヒットし受容されることに

始まるマクロファージによるサイトカイン分泌を起点にした、NK細胞やキラーT細胞が活性化しての免疫賦活カスケード反応の進行により免疫力が高まります。

眠ることでは、身体を横たえて関節や骨が地球1Gの重力負荷から開放される中で盛んにマクロファージの細胞膜による他の細胞状態の細胞認証が行われて、

古い細胞と認識された細胞がマクロファージに次々に貪食されてアポトーシスされると新生細胞にリモデリングされることでエイジングが克服されていきます。

( ※ 糖質を制限したり、睡眠不足だったりすると、貴重な命を滋養する機会を逸しますよ )

人間の2大本能であり2大欲求とされる「寝食」の二つはこのように、まことに元気を養うにふさわしい方策であることが現代生理学でも読み解けるわけです。

この「食と眠り」の二つのバイタル・フォース補給法を見抜いたマスター・エッケンのセンスは、今の時代から見ても実にクールです。

「ハリー流・養生訓解読」ちょいと乗ってきました!

2015.01.05 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

癒しの原点 3

「華陀が言に、人の身は労働すべし。労働すれば穀気消えて、血脈流通すといへり」

お正月はお節に、お寿司に、お雑煮と、次から次に食べてはまた食べての酒池肉林が少しのあいだ続くのですが、わたしの場合は日に3回の筋トレを課して、ここ数日を過ごしております。

華陀(かだ)という人物は三国志にも登場する名医とされますが、彼の出自は実は中国よりも西域にあり、中医学というよりもむしろアラブ医学に精通していたイランの外科医とされ、

脳外科における開頭手術も、腹部を開くような大がかりな開腹手術も難なくこなしたとされる。

江戸期の浮世絵師の歌川国芳が描く3枚続きの錦絵「華陀骨刮関羽箭療治図」には囲碁をしている関羽の毒矢で腫れ上がった腕を治療している華陀の勇姿が描かれていて興味深い。

この中国は漢の時代に実在した神の手をもつカリスマ・スーパードクターであった華陀が、紀元前230年頃にはじめての外科手術の際に用いたのが「麻沸散」と呼ばれる生薬成分を酒に漬けて溶かし込んだ麻酔薬であり、

この酒に麻酔性の薬物成分を溶かしこむ手法は同じく華陀のレシピとされる日本の正月に飲む屠蘇酒(とそしゅ)にも応用されていることは意外に知られていないが事実だ。

世界の三大伝統医学と言えばギリシャ医学とインド医学と中国医学とされるが、ギリシャ医学を受け継ぐアラブ医学を

手の内の医療として自在に扱った伝説の名医・華陀が開発した「酒は百薬の長」の言葉のもとと私が推定している屠蘇酒が、

すでにここユーラシア東端の小島である日本の正月に必須の一品になっていることもまたなかなかに興味深い事実である。

アラブ医学はギリシャ医学を母体として発展した西域医学の精華とされ、このアラブ医学をもとに欧州・ヨーロッパの近代医学、のちの現代は西洋医学が勃興していったのであり、

アラブ医学とインド医学と中国医学はユーラシア大陸の中央に敷かれたシルクロードという交易ルートを通じて、それぞれが影響し合って発展していったのだから、

世界に根付いた固有の土着医療も、日本の伝統医学である日本鍼灸も日本指圧も、もとをたどれば多かれ少なかれ世界の三大伝統医学にその源があることが俯瞰されてくる。

さて、ここ日本において江戸後期に世界初の乳がん摘出手術を成功させたのは誰もが知る華岡青州その人であるが、彼が開発した「通仙散」が

華陀が開発した「麻沸散」にヒントを得て創薬されたものであることを知っている人口膾炙率もまたマリアナ海溝までは深くなくとも、

10800メートルの深海はトンガ海溝くらい低いことは確実だろうと思われる。レアな麻酔薬である「通仙散」はともかくも

ヤケドや切り傷によく効く軟膏である「紫雲膏」が華岡青州が創薬したものであることくらいは知っていてもいいだろう。

わたしも実はそのへんのドラッグストアで786円くらいで売られているこの「紫雲膏」をもしもの絆創膏代わりにいつも携帯している。

少しお灸の熱が強かった時などに、灸痕に塗っておくと治りが早いし、切り傷などを作った際にも即座に塗れば、やはり治癒スピードは格段に速い。

昭和初期に絶滅を真逃れた最後の漢方医であった故・大塚敬節氏の診療日記によれば、往診先の患家の台所から悲鳴が聞こえて駆けつけてみると天麩羅をあげていてうっかりその油を顔に受けてしまった女中さんに、

応急処置で手持ちの「紫雲膏」を塗ってあげたら、予後がたいへんに良くほとんどヤケドが跡に残らなかったような実例が幾つか掲載されいて、こんな貴重な記述を読んで以来、「紫雲膏」はわたしのお守りのひとつになっております。

華陀が創始した「五禽の戯(ごきんのぎ)」と呼ばれる5種の動物(トラ、シカ、クマ、サル、トリ)の所作を真似るストレッチ法が後に、

太極拳へと発展していき、1972年に歴史的な発見とあいなった「馬王堆古導引図」に見られる気血を整えるための「導引(どういん)」と呼ばれるエクササイズのムーブメントが中国を拠点に成立したことは養生法の発展のうえでも素晴らしい業績だったと言えよう。

体を動かすことで、気血の流れが促進されて、60兆個の細胞とその細胞内の1京8000兆個のミトコンドリアの活動に必須の酸素や水分や糖質と脂質とアミノ酸とビタミンとミネラルなどがうまく配給されることで、健康増進が達成できることを、

恐らくは身を以て実験し立証したからこそ、イランのカリスマ外科医であった華陀は「五禽の戯」として提言したのだろう。

まず実践ありきで、何らかの提言をするが名医の務め。

さて、トレーニングバーで背筋や大胸筋や三角筋を鍛えて、握力強化グリップをニギニギして、明日からの「労働」に備えるとしましょう。

2015.01.03 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

癒しの原点 2

「古人は詠歌舞踏して血脉を養う。詠歌はうたう也。舞踏は手の舞い、足の踏む也。みな心を和らげ、身を動かし、気を巡らし、体を養う。養生の道なり。いま按摩導引して気を巡らすがごとし」

貝原益軒が江戸期の正徳3年(1713年)の正月1日に、古今の養生の知恵精髄を自身の体験を交えて書き上げた不朽の健康ガイドブック「養生訓」の名は、ハイテクネット時代の現代に生きる者とて知らぬ者はいない程に有名であることは言うまでもないが、

その内容に関してどれだけ知悉しているかと言えば、これは意外にもそれほどの普及はしていないと推定できる。

例えば「医は仁術なり」というこの言葉が「養生訓」第6巻「医を択(えら)ぶ」と題された一章の中の一節であることを知っている者は恐らくはほとんどいないだろう。

「医は算術なり」となって久しいご時世にいつもそれを反省させるためのアンチテーゼとして持ち出される「医は仁術なり」の定番フレーズも、

その出所元は今から約300年前に出版されたのあの有名な養生書にあることくらいは、取りあえず日本人の常識であってほしいと願う次第です。

さらに時代を遡り今から1035年も前に出版された鍼博士・丹波康頼(たんばのやすより)が著した「医心方(いしんぽう)」と名づけられた書物も日本養生史に輝く世界に誇るレジェンドには違いないが、

こちらはさらに知名度が下がり、人口膾炙率は急降下して深さ10920メートルのマリアナ海溝まで落ちこむことは容易に予測できるが、

この書は内容の凄さもさることながら、書物のタイトルに丹波康頼の鍼医としての全スピリットが体現されているところが出色である。

「医療を行う者はまずもって病者に請われれば、なにを置いても急いで駆けつけて、自分の親子兄弟の如くに親身になって治療せよ、これこそが医を任ずる者に必須の不可欠な心である」

との戒めを丹波は中国の医書を網羅し選び抜いた一大養生ガイドセレクションのブックタイトルとしたのである。

丹波康頼の理想とした医療者が持つべき医の心と、貝原益軒の「医は仁術なり」は、日本医道史の地下水脈を通底している医の心得であることがここに見て取れる。

日本医道における「癒しの原点」はまさに「医は仁術」にあったのです。

冒頭の言葉は養生訓の第2巻中の一節である。意訳すれば

「古代の人々は歌を歌い、ダンスを楽しむことで血の巡りを整えてを体を活性化していた。これも立派な養生法である。今の時代に按摩やマッサージや指圧や鍼や灸をおこない気血を調整することと、歌を歌いダンスに興じることはまったくもって等しい養生術だ」

とでもなりましょうか。歌と言えば私の姉は声楽家でありまして、ルーティンの仕事として定期的に特養施設を訪れては、入所者やスタッフにソプラノの歌声を届けております。

その歌うナンバーの中に入所者のお気に入り「パーソナル・ソング」があるように演目をプログラムしているかどうかは知りませんが、

姉は日本の愛唱歌や童謡が好きで今ではあまり歌われないようなレアな楽曲もよく歌うように心がけています。わたしもスケジュールが合えば近場でのコンサートにはよく足を運んでおります。

今までは言ったことがありませんが、「声楽家が奏でる素晴らしい声の音波をこうして浴びて、全身60兆個の細胞が共振してバイブレーションする、この瞬間はまぎれもない治療だ」といつもコンサートを楽しんでいる最中に感じておりました。

冒頭の言はまさにこの私の治療家としての歌に対する感慨をストレートに表現しているのです。そう貝原益軒翁にとってはミュージック&ダンスの効用など百も承知だったのです。

本ブログフリークから昨年に「いつか「養生訓」を読んでみたい」とのコメントを頂いておりましたので、この養生指南のバイブル中からハリーセレクションなレアな言葉を拾いつつ、癒しの原点を探るシリーズを本年の皮切りといたします。

真面目かつユニークな講義を是非にご堪能下さいませ!

2015.01.02 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

癒しの原点

「病なき時、かねてつつしめば病なし」養生訓

新年早々の初ミュージックは声楽家の姉が娘にプレゼントしてくれたCDピアノセレクションの中のモーツァルトは「きらきら星変奏曲」にはじまり、お気に入りのエルガーの「愛の挨拶」と続き、リストの「ラ・カンパネラ」で朝からいい気分に浸りました。

人類が文字通り「音楽」という音を楽しむ習慣をいつ頃に身につけたのかは本当のところ定かではないが、ドイツはフォーゲヘルト洞窟遺跡から発見された3万5000年前のマンモスの牙で作られた笛などから判断するに、

今から4万5000年前から2万8000年前の現代の欧州・ヨーロッパに興ったオーリニャック文化の時代には、すでに人類は音を楽しむ習慣を身につけていたと推定される。

古代オーリニャック文化とは、あのフランスはショーベ洞窟壁画の200種を越える動物画を描いた初期ホモサピエンスのクロマニヨン人たちの文化である。

マンモスの牙や白鳥の骨で作られたフルートの音色はクロマニヨン人たちの身心を慰撫し、狩りに疲れた身体を癒し、交感神経の緊張を解き、副交感神経を惹起し、自律神経を整えて安らかな眠りを導いたのだろうか?

音のチカラは実は計り知れない程に強い。昨今封切られて話題になった「パーソナル・ソング」という映画によれば、高齢の認知症患者が若かりし頃に気に入っていた曲を親族から聞き取り、その曲を認知症を患って久しいこの患者に聞かせると、

それまで何事にも反応が鈍かったその患者が驚くような劇的な反応を示して、認知機能が改善され非常に活発なQOL(生活の質)を取り戻し、ウツ気味だった比較的に若い認知症患者などには完治と見られる例まで報告されているという。

音楽療法と脳機能の関連の詳細は未解明な部分もまだ多く、現在も鋭意、研究が進行中とのことだが、専門家に言わせれば、

音のチカラは脳の聴覚領にだけに特異的に作用するのではなく、非常に幅広く作用し、情動や記憶に関わる脳幹のような深い脳領域にも働きかけるだけのチカラを秘めていることは間違いないとのことである。

わたしたちは日々、好きな曲を聴き、リラックスして音を楽しむことで随分と音のチカラで命を養われているのかもしれない。

「病気にならない方法は、まだ発病などしていない時期に、目一杯、音楽を楽しむこと」なる文言を冒頭の貝原益軒翁の言葉に追加したいくらいだ、

と、ここまで、正月1日のピアノ観賞で感じる所感を述べてみました。

いよいよ今年も本ブログがスタートします。

昨年末の治療院のBGMは伝説のジャズシンガー、ジミー・スコットのアルバム「ムード・インディゴ」からでした。

このアルバムに収録されていたジミーの人生のすべてが映し出されたような慈愛に満ちたチャップリンの名曲「スマイル」は、あのマイケル・ジャクソンが最も好きだった曲とされます。

人生の終盤になってようやく脚光を浴びたジミー・スコットの歌唱力に年末の忙しさの中で、随分と自律神経を整えて頂きました。

さて、今年のお気に入りナンバーはいったいどんな曲になるのでしょうか?

もしかしたらオーリニャック文化の時代の洞窟はクラブかディスコか治療院も兼ねていたのだろうか?

ヒトは音に癒され、音に導かれて生きる存在かもしれません。

最先端の科学研究では超音波を一点に集めて「音の場」を空中に作り、そこにモノを置くと、音のチカラでそのモノが浮くそうです。

わたしも実際に小さな装置で「音の場」がマッチ棒の先っぽを浮かせるリアル映像を、テレビ録画で確認しました。

この「音の場」研究者が申すには、音の場だけでなく、電場と磁場をさらに音の場に加えて調整していけば将来的には、もっと大きなモノを浮かせることが出来るようになるのでは、とのことでした。

ヒト細胞60兆個がこのようなカタチを維持できているのも、恐らくは音場と電場と磁場などの物理エネルギーの複合的な作用によるのではないのか、と私は推定しております。

このヒトを構成している見えざる物理的なエネルギーの中でも、比較的に日常で操作し扱いやすいのが音波であり、実は音楽を楽しむことによって、ヒトは大昔から自然に知らず我が身を養っていたのかもしれません。

音という情報には計り知れない癒しのチカラが秘められている事はどうも確実です。

では文字のチカラはどうか?

文字という情報でどこまでヒトを癒し得るか?

本年も様々なトピックに挑戦してまいります。

今日からまたのお付き合いを、どうぞよろしくお願い申し上げます。

2015.01.01 | | コメント(4) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

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