The dawn of Harii 3

大喜びで雪の中を転げまわる程の快活さとたくましさを見せつけて、自然そのものの野生に生きる原始人の嗅覚がいかに鋭く、そしてその嗅覚に頼ることで自然界において生き延びる可能性が増すことをまざまざと証明したフランスは「アヴェロンの野生児」ヴィクトルが亡くなった1828年に、

ドイツの南部ニュルンベルグで地下室に長く幽閉されていた16歳ぐらいの少年が逃げ出したのが発見される。所持していたメモから彼の名はカスパー・ハウザーであることが判明する。

地下室という暗闇の中でパンと水以外に何も与えられなかったカスパーにはまさに驚くべき感覚が宿っていた。彼は遠方に生えている果樹の種類をそこから漂ってくる葉っぱから発せられた臭い分子を目を閉じて鼻粘膜で捉えることで判定できた。また足音だけで誰が近づいてきたのかを識別した。

さらに指先で触れるだけで金属を識別し、磁石のN極とS極の違いを当てた。光りの世界を強制的に失っていたことで代償性に嗅覚や聴覚や触覚の他の感覚が亢進し特異的に発達を遂げたのだろうか?

カスパーは発見後は介護を受けて暮らしたようだが、視力には問題は無かったようだ。一般的にはヒトも含む動物の遺伝子はしかるべき幼年期に光り刺激を網膜で受容することで視力を獲得するものであり、

その時期にもしも光りを受容することができないと視力を発現し維持する遺伝子が起動せずに、その後の一生を盲目で過ごすことになってしまう。これもまた遺伝子がエピゲノムな環境対応によって調整されている好例と言えよう。

残念ながらカスパーは王家の血を引く血統に属するとの噂により政治的謀略に巻き込まれ発見から5年後の1833年に殺害された。

ヴィクトルとカスパーはその驚異的な感覚をもって、本来的に人間に備わっている感覚器の潜在的な能力がいかに素晴らしいかを私たちに教えてくれたのだ。

カスパーは怒濤の如くに押し寄せる色彩と臭いに途方に暮れ、ヴィクトルは生肉を好んだのだが焼いた肉を食べることを強制されてやがてそれに従った。文化とはある種のプログラミングなのであり、我々はそれぞれが属する文化により感覚器の閾値(いきち)すら規定されてしまうのだ。

ムスティエ文化、アシュール文化、ナトゥフ文化、オーリニャック文化、グラベット文化、ソリュートレ文化、マドレーヌ文化など初期人類が原始の森や草原で興した文化は、彼らの感覚器の性能を決して鈍化させることはなかったであろう。1万2000年よりも前の人類は恐らくは皆すべてヴィクトルやカスパー並みの感覚を有していたのだ。

今でもアフリカのネイティブたちは私たち西欧的な文化圏から来訪した者に、私たちには何も見えない何キロも先を指さして「あそこにシマウマがいる」と言って、そんな馬鹿なと思ってランドクルーザーで近づくと、本当にシマウマがいて驚愕させるが、

つまりは、わたしたち近現代人の感覚器のすべてはすでに猛烈なスピードで鈍磨しているのである。視覚も、嗅覚も、聴覚も、触覚も、あるいは味覚すらも私たちは今や初期人類の感覚から余りに劣るのかもしれない。

便利なテクノロジーに頼る生活の代償として、わたしたちは嗅覚受容体遺伝子の60%をすでに消失したように、全感覚器もまたすでに多くの機能を失っているのだろうか。

外部環境を五感を総動員することで知覚し、その時々にあった適応をエピジェネティクスに遺伝子発現して生命体は内部環境を整えてここまで生き延びてきた。つまり五感というセンサーこそが生き残りのためのかけがえのないツールであったのだ。その大半を喪失した現代人が今みずからの生きる道を誤ったとしても何も不思議ではないのだ。

今や地球環境は生命体が生きるには余りに過酷な悪化の一途をたどっているのだが、もはやあらゆる意味で外部環境を察知するセンサーが鈍化した末期ホモサピエンスにはそのことに対するセンサーも働かず、危機意識が顕在化することもないのだ。

政治劇が選挙をすると言うのだが、果たして地球の危機を訴えている政党がひとつでもあるだろうか。火山の噴火、地震の多発。経済だの増税だのの前に、なずべきことがあることに気がつかないのだろうか。やはり現代人の感覚器はすでに99%劣化しているようだ。

今から4万5000年前から2万8000年前に欧州は今のイタリア、フランス、東部全域に及んだ初期ホモサピエンスが興した文化をオーリニャック文化と呼ぶ。

その痕跡はフランス南東部、アシュデル峡谷のショーベ洞窟壁画にくっきりと刻まれている。炭素14法によればショーベ洞窟に肌が黒くほっそりとしたホモサピエンスのクロマニヨン人が住んでいた時期は今から3万2000年前から3万年前と、2万7000年前から2万5000年前の二つの時期という。

壁画に描かれた動物は馬、トナカイ、ヨーロッパバイソン、フクロウ、ホラアナライオン、マンモス、サイなどで、今にも動き出しそうなリアルな絵は見る者を圧倒せずにはいない。

この時期のユーラシア大陸はそのほとんどが森林ではなく大草原であった。マンモス・ステップと呼ばれたこの草原にはその名の通りに、毛足の長いマンモスが闊歩し、バイソンやレイヨウなどが大量に棲息していた。

この動物たちがオーリニャック文化を生みだした私たちご先祖様の食料となり、衣服となり、食器となり、装飾品となり、恐らくは骨などが利用されて鍼治療用の鍼が出来たのだろう。

動物の毛皮を剥ぐ過程ではまだ息のある動物の体内が、皮膚へとサバイバルナイフのような石器を刺すごとにそれに反応して動くさまがつぶさに観察されたことだろう。

ヒトはまず動物で、生き物の体内と体表が連動して同期するという「内臓体壁反射、体表内臓反射」の真実を読み取ったのではなかろうか?

人類ホモサピエンスがアフリカを旅だって約4万年ほどは狩猟採集生活に明け暮れた。つまり4万年間のあいだ、ほぼ人類はずっと肉食を主にしてきたのだ。

皮を剥ぎ、肉を裂く、長き4万年の中でヒトは動物の生理を学び、動物の体表と内臓の仕組みを学び取ったのだ。その生肉から湯気が立ち上がる経験の中でオーリニャック文化人たちは独自の命観を構築していった。

この時代に半獣半人のキメラな絵図が描かれ、マンモスの牙で彫りだしたフィギュアが遺されている。そうタイガーマスクならぬ「ライオンマン」。顔がライオンで、身体はヒト。

このイメージで彼らはいったい何を表現しようとしたのか?ライオンの強さと同化しようとする願望が表出されたのだろうか?

活写された動物たちの生き生きとした姿からは、彼らの動物たちへの愛を強く感じる。

浅薄な動物愛護精神からは決して読み取れない真のSATORI精神を、わたしはオーリニャック文化人であるホモサピエンスのクロマニヨン人たちから転写されました。

鍼は間違いなくこの時代にすでに実践されていたと私は推測しています。

スポンサーサイト

2014.11.30 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 鍼灸創世46億年記

The dawn of Harii 2

鍼の起源を探るにあたりまず注意しておきたいことは、鍼を最初に医療に応用した数万年前の原始的な人類であった我々のご祖先種たちがいったい如何(いか)なる者たちだったのか?を現代に生きる者が想像することは決して簡単な事ではないということである。

例えば私たちは狩猟採集生活から定住と農耕を手に入れた1万2000年前頃から徐々に嗅覚に頼る生活を抜け出したせいで、これまで1万年ほどの文化生活により嗅覚受容体遺伝子の60%がすでに機能していないことがドイツのマックスプランク進化人類学研究所によって明らかにされているのだ。

つまり現代人が嗅覚を含む五感で捉えて感覚している外部環境と、3万5000年前に南フランスのショーベ洞窟壁画を描いたホモサピエンスが感じていた外部世界とは恐らくはまったく別なモノであろうと推定できるのだ。

現代に生きる私たちはいつもついうっかりと自分たちが感じている範囲、つまり自分の世界観ですべての物事を判断しがちである。しかし霊長類の中で4倍ものスピードで嗅覚受容体遺伝子を失いつつある鼻バカな我々と、100%嗅覚が利いていたクロマニヨン人ではまったく世界観が異なるであろうことはまず肝に銘じておきたい。

18世紀末にフランスはアヴェロンの森で12歳くらいのひとりの少年が野山を駆けまわっているのが発見された。後に「アヴェロンの野生児」として人々に記憶された彼こそが原始人とは如何なるものかを如実に語る良きサンプルであった。

彼は捉えられてヴィクトルと命名され1828年に亡くなるまで学者たちにより様々に調査されたが、何と言っても驚異的であったのはその嗅覚能力の高さであった。

ヴィクトルは手にしたものの臭いをすべて嗅ぎ、その臭いを嗅ぐことに至上の喜びを見いだしていると思われ、私たちには無臭と思われる小石の臭いにさえ驚喜した。彼は澄んだ水以外の飲み物は一切受け付けずにそれを至高のワインのように味わった。

また新しく出会う者を受け入れる場合には必ず相手の「手と頬」の臭いを嗅いでからでないと、相手を識別することも受け入れることもなかったという。この事実から類推するに西洋に残る「握手とキス」の風習とはまさに他人を識別する由緒正しき先祖伝来の嗅覚儀式なのかもしれない。

そして彼の嗅覚補助を司るヤコブソン器官が健在である証拠には性的衝動を抑えることが出来ずに、気に入った女性には熱烈に求愛し続けたこともわかっている。

恐らくはヴィクトルと同じような嗅覚の持ち主たちこそがサハラ砂漠の南縁で発見された700万年前の最初の類人猿サヘラントロプス・チャデンシスに始まった人類史を歩んだ原始人たちだったのだ。

哺乳類は通常は1000種類の嗅覚受容体遺伝子を備えており、この大気中に漂う臭い分子を捉える鼻粘膜の細胞膜レセプターがあるからこそ、果実が熟しているか、肉が腐敗していないかどうか、食べられるモノと食べられないモノが判定でき、

シカやクマは火山噴火や山火事をその煙に含まれる硫黄成分を感知することで、先の御嶽山噴火に見るまでもなく噴火前に山頂から下山するなどの凄テクを発揮することで生き延びてきたのである。

もちろんのこと人間もまたほんの少し前までヴィクトル同様の嗅覚をもって進化し生き延びてきたのだ。

今回のこのシリーズを始めるにあたり、私はここのところずっとタイムマシーンに乗ってホモサピエンスやネアンデルタール人やホモエレクトスやホモフロレシエンシスたちが生きた時代へとタイムスリップしておりました。

恐竜が絶滅し哺乳類の時代を迎えて、地球が寒冷化して氷河期に入っていく6550万年前に始まった新生代の後半にあって、260万年前の第4紀から何度も氷期と間氷期を経験しつつ、この猛烈な環境ストレスの中を生き抜いたご先祖様たちの姿を空想のタイムマシーンから俯瞰することで、

とてつもない尊敬の念とでも申しましょうか?ヒトという種が歩んだ厳しくも素晴らしき道のりを改めて思い直すたいへんに良い機会に恵まれました。

この旅の渦中ではこれまで思いもかけない発見もございました。これまで定説では血がつながっていないとされたネアンデルタール人のDNAが何とわたしたちのDNAに1〜4%も含まれていたのです。

わたしたちはホモサピエンスとネアンデルタール人の混血種であったのです。かつてはホモサピエンスに滅ぼされたと思われていたネアンデルタール人も絶滅してしまったのではなく、わたしたちご先祖様と混じり、今ここに私として生き延びているのです。

最後のネアンデルタール人は現在のスペインはジブラルタル海峡を望むゴーラム洞窟で2万4000年前にその生涯を閉じたのですが、5万年から8万年前にホモサピエンスと交わったネアンデルタール人の末裔が今や72億人にまで増えていると言えるのです。

もしかすると体長3メートル体重500キロを越えたとされる史上最大の霊長類ギガントピテクスや、2004年にインドネシアはジャワ島の東620キロに浮かぶフローレス島のリアンブア洞窟から発見されたわずか体長1メートルの通称「ホビット」と呼ばれるホモエレクトスの末裔とされるホモフロレシエンシスや、

ここ最近になって発見されホットな話題を提供している1万1000年前頃まで中国南部に住んでいたとされるレッド・ディア・ケーヴ・ピープルや、まだ茫として全容が判明していない謎のデニソワ人にいたるまで、

わたしたちという存在はこれまでまだ知られていない類人猿種を含めて、多くのホモ族との交雑やウイルス水平遺伝の恩恵でここまで進化し、命をつないできたのかもしれない。

荒ぶる自然界を相手に、マンモスやケブカサイやオオツノジカやトナカイやアイベックスやホラアナライオンを接近戦でその背中に馬乗りにまたがり、肩甲骨のすき間から素早く木の槍で心臓をひと突きして仕留めていたであろうネアンデルタール人の年老いた化石からは、

生前はその身体が打撲や打ち身で傷だらけであり、骨折のためか片手が不自由になり、片目を失明し、歯が2本しか残されていないものなどが見つかっているのです。

K1の格闘家すらも及ばないようなとてつもない生死の境涯を20万年間も生き抜いた彼らホモ・ネアンデルターレンシスのご先祖様の身体能力が、光栄にもわたしたちホモサピエンスの末裔のDNAには宿っているのです。

27種を越えるだろう人類種の先輩たち、このわたしたちご先祖様を支えた医療とはいったい何だったのだろうか?

眠っていた嗅覚受容体遺伝子を揺り起こすような鍼の起源を巡るアドベンチャーは今、始まったばかりです。

2014.11.29 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 鍼灸創世46億年記

The dawn of Harii

1991年、オーストリアとイタリアの国境付近のアルプス山脈の溶け出した氷河の中から一体のほぼ完全な男性ミイラが発見された。発見時には10年前に付近で遭難した登山客であろうと予測されたのだが、放射性炭素を用いた年代測定法により現代からはるか昔、5300年は前に遡る時代に生きていた人間であることが発覚する。

この40代半ばとおぼしき男性ミイラは発見されたエッツタール峡谷にちなんで後に研究者たちから「エッツィ」と呼ばれ、また氷の中から見いだされたので別名を「アイスマン」と呼称されるようになる。

初期の研究ではアイスマンはビジネスマンであり、商用で出張する際にふと眠りについた場所に運悪く、たまたま吹雪が押し寄せて凍死してしまったと予測されたのだが、後のX線解析による詳しい調査によりアイスマンの左肩には矢尻が食い込んだ痕があることがわかり、死因は凍死ではなく、矢で射ぬかれた襲撃にあったことが判明した。

またアイスマンは銅製の斧(おの)や短剣、弓矢を所持しており、他には使用方法の分からない鉛筆のようなものや、白樺林で採取された最高級の漢方薬の高貴薬であるキノコであるサルノコシカケを携行しており、

またアイスマンの出で立ちは、しっかりとした樹皮繊維を使ったオーバーコートのようなものから、動物の毛皮のスーツ、革製の帽子、中綿のように草を敷き詰めた革靴まで実にオシャレで洗練されたファッションに身を包んでいたことがわかっている。5300年前の人類は決して「はじめ人間ギャートルズ」ではなかったのだ。

そして最も度肝を抜いたアイスマンにおける一大スクープこそが、彼の腰部や下肢背面にかけて坐骨神経痛の際に使用するツボに施されたドット状の入れ墨が発見されたことであった。

現在わたしたち鍼灸師が学ぶ経絡図に描かれた経穴の位置にピッタリと一致するアイスマンのツボ・タトゥーは、取穴(しゅけつ)の精度が余りに高く、東洋医学に造詣が深い世界中の鍼灸師や研究者をして心底、驚嘆させた事は言うまでもない。

ここにおいて、にわかに浮上した問題こそが「鍼灸中国起源説」から「鍼灸汎世界起源説」へのパラダイムシフトであった。

鍼灸指圧を運用するための東洋医学ガイダンスである中医学の古典的バイブルの「素門」「霊枢」という二大経典が編纂されたのは確かに中国は紀元前300年頃であり、

中医学は文字の国であり、記録の国であった中国においてここ2000年間で一大発展を遂げたことは誰も疑わない事実なのだが、

では、紀元前に編纂され体系化された鍼灸医術の起源はいったいどこまで遡れるのか?と言えば、これはまだ茫洋として判然としないといっていいだろう。

つまり、アイスマンのツボに刻印された入れ墨はこの鍼術の起源問題に大きな大きな一石を投じた事件であったのだ。

ニューギニアを専門とするある民俗学者はアイスマンに触発されて鍼の起源を自分なりに探り、恐らくは原始医学としての人類に共通の鍼治療が全世界的に広く普及しており、

鍼治療における出血を止めるための止血法として煤(すす)をツボという鍼治ポイントに塗り込んだのが皮膚に着色されて、これが入れ墨の起源となり、

やがて全人類が皮膚を入れ墨で染めていくタトゥーの風習を生みだしたとの仮説を鍼灸学術会議の壇上に招かれて提唱した。

だとするのなら、鍼の起源は実に人類史をはるか昔まで遡るのだろうか?

いったい人類はいつ鍼というものを手にして、それを治療用の医療器具として使用したのだろうか?

ヒトが衣類らしきものを身につけたのは今から7万2千年前頃と分析され、裁縫用の針を手にしたのは3万5千年前頃と推定されている。

動物の毛皮を衣類用に編んでいたその針を、狩りで捕獲しようとして暴れたシカの角で誤ってザックリと開いた背中の傷口を縫うのに使用するまでに、それほど時間はかからなかっただろう。

いやうっかりと踏み抜いたイバラのトゲで化膿した足裏の腫れをひかせるために針を打って、排膿を促したのが早かったか?

恐らくは針を身体に刺すというよりも、このように創傷部位を縫合し、切開するために使用したのが最初の鍼ではなかったろうかと、私は仮説を立てた。

この傷口を縫合し、切開していた鍼が、やがてアイスマンの坐骨神経痛への処方のような瀉血(しゃけつ)を主体とした「血の医学」の鍼治療に変わり、

それからほどなく欧州から伝播した鍼治療が3000年ほどを経て、紀元前のユーラシア大陸の東端で「気」を調整するための現代の「気の医学」の中医学にまで昇華していく、

この人類と鍼術の変遷を私なりに探索する旅へといよいよ出発します。

題して「鍼医の夜明け」

渾身のライフワークに挑みます。

2014.11.28 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 鍼灸創世46億年記

活ッ 20(完)

『 ツボとは命が発する言葉すなわち生命言語である 』

2000年以上前の中国には近代的な医療検査機器であるCTスキャナーもMRIもレントゲンもなく、血液検査すらも出来なかったが、生命力の本質である気血の流れが健康のカギを握っていることをしっかりと認識し、五臓六腑の変動の情報はツボというカタチとなって体表にメッセージとして出現することを捉えて、

このツボという身体が発する言葉を鍼医が指先でよく読みこんで、そこへと鍼灸指圧を施すことで患者の身体と対話し、このツボを介した鍼医と患者のコミュニケーションによりお互いの心身が改善されるという、こうしたツボを通した命のやりとりの積み重ねにより東アジアに特有の「気の医学」が築き上げられたと言えよう。

ツボを発見したからこそ体表系医学としての東洋医学は、今現在もぶれることなくヒトの心身を操作することが可能なのだ。

東洋医学に遅れること2000年の西洋医学はいまだにツボや気の存在など無視し、ひたすら目に見える「血の医学」を追究し、今や細胞内をくまなく探索し、細胞核DNAが2メートルのヒモであり、1京8000兆個のミトコンドリアが全体で連繋を保ち棲息していることまでわかり、

細胞の質的悪化の原因には細胞内オルガネラの小胞体に変性タンパク質が溜まる「小胞体ストレス」が存在し、この小胞体に溜まった変性タンパク質をヒートショックプロテインによって分解する「小胞体ストレス応答」を促進することで細胞の質を正常化できることまで判明している。

「気の医学」が気血の滞りであるコリを取った瞬間に、「血の医学」においてはヒートショックプロテインが小胞体ストレス応答を引き起こしているのだ。

ようやく2000年を経て「気の医学」と「血の医学」はアヴァンギャルドな鍼医の魔法の論理によって目出度くここに融合しようとしている。

同じくヒトの身体を診て、東洋医学、西洋医学、それぞれに固有の医学用語を使用して、同じように治病メカニズムを説明できてはじめてそれは普遍的な医学真理となる。

東洋医学による説明と西洋医学による説明がまったく矛盾せずに整合性をもった時に、真の意味での「気血の医学」が誕生するのだ。

今まさにここに「気血医学」の新時代がスタートした!

中国哲学では古い事物が変じることを「変」と称し、新しい事物が生まれることを「化」と表現し、新しい事物が生まれる時には、すでに古いものの滅亡が同期していると説く。

宇宙万物は常に『変わらなくあるために、変わりつづける』アポトーシスとリモデリングの渦中にある。

西洋医学も東洋医学も共に「変化」する可能性を秘めたハリー流「気血医学」の誕生に幸あれ!

「陰陽互根相抱きてはなれず」
『類証治裁』(林佩琴・著 清時代 1839年)

『 心身気血(しんしんきけつ)が流水(りゅうすい)の如(ごと)くに清(きよ)らかであれば、ヒトは健康(けんこう)である 』

「活ッ」シリーズのご笑読に、感謝!

2014.11.26 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

活ッ 19

今から5年前にネットでの情報発信をはじめて、ここ5年間で言いたいことのレベルを徐々に上げて、ようやく本シリーズにて「ツボの真実」を公開するまでこぎつけました。

これでここまでコツコツと少しずつツボコンテンツの精度を上げて「ツボの何たるか?」を覆うベールを紐解き、一歩一歩とツボの核心へと近づいてきたわけで、まったくここまでの道のりはなかなか長かったですよ。

世に流布している「誰でも出来るツボコンテンツ」を本シリーズでは徹底的に浅薄でバカで役立たずとこれでもかとバカにしてきた理由も、

本シリーズのクライマックスにさしかかり、ようやく本ブログの読者常連様たちに飲み込めてきていると確信します。

そうなのです。たしかに現代科学の洗礼を浴びた科学真理教の信者さんにとっては「気や経絡は寝言」かもしれませんが、

ここ2000年間に中医学を学び、その中医学コンテンツをベースに鍼灸指圧術を展開してきた「はりたて」である鍼医たちにとっては、

ツボは確かに実在するモノであることは間違いないのです。ツボは東洋医学の修行を積んだ者にだけ「そっと」その真実を明かすのです。

つまりツボは身体宇宙の真理と対話する「魔法の扉」なのです。であるからして、私は通名がハリーなのですが、ようは魔法使いのハリー・ポッターならぬ鍼使いのハリー今村というわけ(笑)

これが決して冗談でもギャグでもないのは、実際に私がツボを使いこなせば魔法の如き現象が立ち上がるというわけで、実際にこれまで魔法の恩恵に浴した者はそれぞれがみな健康の道を歩み始めておるという具合です。

実は「気や経絡は寝言」というセリフは私の口癖でもあるのですが、もちろんこんなセリフを鍼灸指圧業界にいながらこの業界に向けて発すれば、

間違いなく何らかの猛烈に反発するリアクションが発生する事などは百も承知で、これまでこのセリフを何度も口にしてきた事は言うまでもありません。

ただこういった過激な言葉をなぜ私がしつこく発言するのか?の真意をくみ取ることができれば、わたしの東洋医学や鍼灸指圧に対する愛の深さが心に染みて、

反発していた同業者の両頬に熱い涙が滝の如くに流れることは必定でありましょう。

いいですか?いままでわたしたち業界人は決して本当の意味で「ツボの何たるか?」を啓蒙してこなかったのです。

それは世間に開示されているツボコンテンツが「この症状にはこのツボ」的な情報ばかりであることを俯瞰すればまったく一目瞭然でしょう。

そしてこうした実に浅薄なツボ講座、ツボ情報ばかりだったがゆえに、東洋医学は安く値踏みされ、西洋医たちにバカにされ、インチキリラク産業に侵蝕されて、ここまでケチョンケチョンに東洋医学の社会的地位は落下してしまったのです。

水戸黄門の締めじゃないけど「もういいでしょう」の時期がとっくに到来しているのです。

断じてツボという崇高な命の言葉「生命言語」を東洋医学の素養のない素人が聞き取り、読みこなし、使えるわけがないということを、これでもかと示し、イヤというほど知らしめるという意気込みで、鍼医が感得した「ツボの真実」を今こそ語りましょうよ!

などと言っても、別にアタシは鍼灸業界や出版界をアジテーションする気などサラサラありませんし、これからも一匹狼で単独行動でいままで通りに情報発信をしていくだけですが(笑)

とにかくツボはわたしたち鍼医の専売特許であり、なんぴとも私たち「鍼立て」を専業とする者以上には絶対にツボを使いこなすことなどできないという事を、今後はもっともっとアピールしていく所存です。

素人にできないワザを使うからこそプロフェッショナルなのです。まっ、そういうことです。

「諸内有れば、必ず諸外を形(あらわ)す」

内側に生じた変化は、必ずや外側であるツボに反応有るカタチとなって現れる。

日本の正統医学の世界で立証された「内臓体壁反射、体表内臓反射」という生理学における科学的エビデンスは、

東洋医学2000年のなかでツボや経絡概念として鍼医たちのたゆまぬ修練によって熟成されてきました。

ツボこそが、気こそが、経絡こそが東洋医学の誇りであり、鍼医である私の誇りです。

生命は気によって活かされている。

2014.11.25 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

活ッ 18

ツボを使ってプロフェッショナルな鍼医が心身と向き合うとは如何(いか)なるものか?ということのほんの一端が前記事で少しはわかりましたでしょうか?

ようはこういった死生のキワドイ境界線上において常にツボを通して命と対峙しているのが鍼灸師というものであり、であるからこそツボの何たるか?を語ることが可能なのだが、

ではチマタに流布されているツボコンテンツの中に「活の鍼」記事中のような優れた内容があるかと言えば、恐らくはそんなものはまったく無いだろうと断言できるのです。

だから「誰でも出来る簡単即効ツボ療法」など断じてこの世には存在しないのです。ここまでクドクドと何度も申しあげている通り、ツボを使って心身を調整するということはプロ中のプロである鍼医の仕事なのであり、

もしもそのようなプロ中のプロが何かツボに関した提言をするのなら例えば「誰にも出来ない超絶ツボ療法」とか「プロにしか使えないツボ治療」とか「これまで語られなかったツボの真実」とか、

そんなタイトル本がふさわしいかと存じます。本シリーズ「活ッ」においては記事の最後を中医学の言葉で締めてまとめるという定型パターンをお約束にここまで記事を連載してきましたが、

こういった中医学の古典医書から拾いあげた言葉すらも、一般の方々の99%はいままで知らなかったと思います。ツボを使いこなすためには、そのベースとなる膨大で深淵な哲学や論理がまずあるのであり、

それだけの中医学コンテンツをベースに弁証論治(べんしょうろんち)と称する病因分析(びょういんぶんせき)を四診(ししん)法をもとに行った上で、

患者が呈している病態に正確に適応するツボを選択し、そこへと鍼灸指圧術を繰り広げて、最終的に患者の症状を緩解させていくのがプロである鍼医のツボ療法なのですから、

まったく素人である普通の一般人にツボを本当の意味で活用して、ツボを本当に活かしきるような使い方など出来るわけがないことがそろそろ皆様にも朧気(おぼろげ)ながらわかりかけてきたかと思います。

鍼術としてのツボとは葦原検校(あしわらけんぎょう)が使いこなしたようなツボのことを言うのです。

それは「生きたツボ」なのです。生命は生き物なのですから、ツボもまた生き物です。

病気や症状とは生きているがゆえに生じる現象であり、通常とは異なる生理状態を反映するカタチで身体からの訴え、メッセージとして出現するものが「病の応は体表にあり」の言葉のとおり

体表に出現する経穴(けいけつ)すなわちツボです。命が生き物なら、ツボも生き物。経絡図に書かれたツボの所在はあくまで目安であり、生きたツボはその都度、好き勝手な場所に出現するのです。

ですから、無論、素人さんにはツボなど見つけることは不可能なのです。プロは長年の修練のうえに自然にツボの上で指がひっかかって止まる指頭感覚を獲得するまで修行します。

熟練の鍼医はこのツボを自然に触知発見できるだけの指頭感覚を獲得形質するまで進化したうえで、しかるべきツボを選定し、

しかるべき鍼灸指圧術を施すのですから、まずもって素人にはこのツボを触知発見できる指が備わっていないのですから、

「誰でも出来る簡単即効ツボ療法」というタイトルがいかに論理的整合性を欠いたデタラメなものかがこれでやっとおわかり頂けたとの感慨を今噛みしめております。

ツボに命をかけて、ツボに命をまかせ、ツボに命を救われ、ツボに命を教わり、日々、ツボまみれな生活を送る鍼灸師にしか語ることができないツボの世界を公開するのなら、

そこにはプロフェッショナルな者にしか出せない味が生まれ、希少価値のある読み物が誕生するでしょうが、なんでいっつも浅薄このうえないバッカ!な

「誰でも出来る簡単即効ツボ療法」なんだよ! いい加減にやめんかい、馬鹿なツボ本の量産は!

まあこういったくだらないまったく役に立たないツボ馬鹿本ばかりが出版されている限り、日本の東洋医学界は衰退トレンドのフェーズから脱出できないでしょう。

もうとっくにツボコンテンツ・チェンジな時代なんだよ!

「医を学びて経絡を知らざれば、開口動手すなわち錯(あやま)る」
『扁鵲心書』(宋時代・編 1146年)

東洋哲学も、気の何たるか?も、経絡の何たるか?も、ツボの何たるか?も、そもそも命の何たるか?も、知らないのにツボなど扱(あつか)えるわけがないのだ。

「経絡も知らないで医術をもてあそべば、開口動手すなわち口を開き手を動かすの治療の一番はじめからすべてが間違う」と

この伝説の鍼医・扁鵲(へんじゃく)の名をタイトルに掲げた中医学の古典医書は申しているのです。

生きたツボを「活かす」ことができるのはプロフェッショナルな鍼医だけです!

そう俺のようなね(笑)

2014.11.24 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

活ッ 17

「先(まず)員利鍼(えんりしん)にて痞根(ひこん)、陽陵泉(ようりょうせん)をつよくさすべし、又百会(ひゃくえ)より少し血をもらすべし、かならず治るなり」

これが江戸後期、幕末の鍼の名手であった葦原検校(あしわらけんぎょう)の書「鍼道発秘(しんどうはっぴ)」中に記載されている「活(かつ)の鍼」の一節である。

「活の鍼」とは脳貧血や外傷や打撲によるショックなどで急に気絶してしまった者を蘇生(そせい)させる鍼術のことを指すのだが、使っているツボはわずか3つであることは実に驚くべき事である。

少し解説を試みると痞根(ひこん)というツボは奇穴(きけつ)に属するツボのひとつで、奇穴(きけつ)はこういった特殊なケースでのみ使用する

通常の14経絡(けいらく)上の361余の正穴(せいけつ)と区別して扱われるツボ群を称するのだが、

この痞根(ひこん)もつまりはそういったサブ的なツボとして重用される背面腰部付近に出現するツボであり、まずこの痞根(ひこん)周辺を探り

「生きたツボ」を見つけて、強めに刺鍼(ししん)して全体の経絡に気を響かせて、腹部のどこかに鬱積(うっせき)してストップして停滞してしまっているであろう真気(しんき)を再還流するように促し、

次ぎに陽陵泉(ようりょうせん)という膝下外側にある正穴(せいけつ)にやはり強めの刺鍼(ししん)をすることで末端部の気の流れを加速させることで腹部の気のコリの再稼働を遠方からも応援し、

最後に頭頂部のこれも正穴(せいけつ)の中の正穴(せいけつ)だがすべての経絡(けいらく)の気が集まるという意味がある百会(ひゃくえ)というツボに

ほんの鍼先直径の小さな穴を開けて瀉血(しゃけつ)を施して、少しだけ出血させることで全体の気血の流れを調整するためのベント処置を試みれば、

どんな気絶状態でも必ずや治る、と日に100人以上もの患者を治療し快癒させていた実在の鍼の名手は申しているのです。

名人であった彼もまた初期の頃には随分とみずからの鍼治療によって患者を脳貧血にいたらしめ気絶させる事があったと言われております。

その冷や汗をかくような凄絶な治療体験の中で、また気絶を元通りに復する「活の鍼」も磨かれたと言えるのです。

わたしもこれは指圧だけだったのですが、治療も後半のクライマックスにさしかかり、患者が気分が悪いと言いだしたが最後、アレヨアレヨと気を失ってしまった経験がございます。

その転瞬後に、こちらの気が動転する中で何とか幾ばくかの処置をしてこの患者は息を吹き返しましたが、今こうして思いだしても心がざわめく程に実に冷や汗ものの体験でした。

鍼道(しんどう)の秘(ひ)に到達した者がだけが発(はっ)する事ができる言葉とは、冒頭の如くかくも短いのですが、実にその文中には絶ゆまぬ修練とその末に獲得された奥義が内包されており、貴くも味わい深いものです。

モーツァルトは虫垂炎の治療と称した間違った西洋医学式の瀉血法で大量出血に逢い、その失血によるショックで死亡したとの説が有力視されていますが、

現代の鍼灸師には常識である虫垂炎時に使用するスーパーサブな特効穴(とっこうけつ)は正穴(せいけつ)ど真ん中の足三里穴(あしさんりけつ)の下二寸にある奇穴(きけつ)・蘭尾穴(らんびけつ)で、

ここに小さくひねったお灸を5壮も施せば、いとも簡単に即効でモーツァルトの虫垂炎など治せたかもしれません。

「活の鍼」の瀉血(しゃけつ)に見られるように東洋医学における「血の医学」は実に洗練されており、すでに江戸末期には「血の医学」と「気の医学」はかなりの完成度で融合していたと見なせそうです。

シーボルトは日本のこんな高度な「気血の医学」を垣間見て、恐らくは驚天動地の感想を抱いたというのが真相ではなかったのかと、そんな感慨に浸る葦原検校の「活の鍼」の一節のお話しでした。

「血は気の行く所につき従うなり、気行けば則ち血行く、気止まれば則ち血止まる」
『医林縄墨』(明時代 1584年)

東洋医学、鍼灸指圧は生命を生命たらしめる糧(かて)である気血(きけつ)を自在に操(あやつ)れるからこそ気絶を治し、虫垂炎を回復させ、万病を予防し治療できるのです。

さて本日も予約は満員!

正穴(せいけつ)、奇穴(きけつ)が我が治療院で待ってます。

2014.11.22 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

活ッ 16

病気や症状の原因をたったひとつの原因に還元することを万病帰一説(まんびょうきいつせつ)などと呼びまして、ようはこのたったひとつの原因さえ取り除かれればすべての症状や病気が予防できて治療されてしまうとこれらの論説は囁(ささや)くのですが、

そのくせいっこうに世の中から病人が減ることもなく、悩める症状が改善したという報告がないのは、やはり万病の原因は決して単一には絞れないし、生体というものはそんなに簡単でシンプルには事が運ばない程に複雑である、ということなのだろう。

最近になって出版されたインチキ医学やエセ健康法のたぐいを徹底的に糾弾し論破している本をサラッと斜め読みしてみたのだが、この本の著者が内科医ということもあり、なかなか鋭い視点でエセ健康法の虚を突いており面白かった。

この本中でインチキ医学として糾弾されているものの中に「気功療法」がやはりリストアップされていて、気というものに関して彼なりの考えが言及されていたが、特に反発も反感も自分の中に湧かなかったのは不思議であった。

気の何たるか?など実際に体験してみないことにはわからないのだから、実体験のない者が気に対してどんな批評をしようとこちらの思惟が揺らぐことはないということなのだ。

さて、またある医師は昨今になり何でもヒトの生死に関わるような重大な提言をして一躍ベストセラー本を連発する人気を博しているのだが、こちらの最新刊の対談録をチラッと読んでみたら、少しトンデモでスピリチュアルな内容にドン引きしてしまった。

わたしとしてはインチキ医学を糾弾している内科医の方を応援したい。

この内科医がリストアップした「気功セラピー」のたぐいはもちろん私も今まで何度も糾弾している通り、そのほとんどはインチキ詐欺療法であり、

これらインチキ気功によって幾ばくか私たちの東洋医学の信用もまた失われてきたことは否めないだろうと推定できる。

代替医療というくくりでは、一般に鍼灸指圧すらその中にカテゴライズされかねないのだが、正統医学の座を取って代わるだけの実力を有しているのは恐らくは鍼灸指圧だけなのであり、

それ以外の何チャラヒーリングだの、とんでもセラピーだのの、ちゃらいインチキ健康法のすべてはまったく取るに足らない詐欺療法であると断言できるのだ。そもそも日本の医業類似行為法では鍼灸指圧師の資格がないのに、それらに似た看板など出せないのだから、

はっきり言って、この国で医療を実践するのに許される資格者とは医師と鍼灸指圧師と柔道整復師しかなく、それなのにチマタにはインチキ医療がゴマンと存在し、それぞれが繁盛しているのだから、まったくわけがわからない状況が健康道の周辺には起こっているといえよう。

そのわけがわからない無法地帯をいいことにインチキ健康法が喧伝されていい加減な論説が跳梁跋扈しており、それゆえにかの内科医は苦言を呈しているのだ。いやほんとにウソ八百を並べた健康指南ばかりであることには不肖ワタクシも常々、腹立たしく思っておる次第です。

だからこその「活ッ」シリーズだったのですが、これまでの本シリーズではまだまだ活が足りないかもしれませんが、時代が時代なので、ここはひとつ何事も上品に進めて参る所存です。

それで私もこれですでに20年以上もヒトサマの身心を鍼灸指圧治療を通してみつめて来ましたので、万病帰一説のひとつも言ってみたくなるのですが、例えばモノとしての人体の構造的な欠陥に関してはだいたいの感じは掴めてきておりまして、

ピンポイントでいったいどこの部位を改善するといいか?ぐらいは私なりの見解を持つに至っております。まあすでに今までに本ブログではとっくに公開済みなのですが、

私が何度も申し上げる通りにモノとしての人体には常に地球重力が負荷されますので、その重力負荷が蓄積する部位こそが実はかなりの症状の原因地点なのだということなのです。

そう何度も申し上げている通り、首と腰なのです。

それでチマタには「首コリ」と「腰痛」がらみの本が今やブレイク祭りなのですが、それは別にわたしの言説の影響などではまったくなく、恐らくはみんなそれなりに身心の真理には到達しているのでしょう。

まっ、でもね、そんな本を読んでもアタシみたいなのにはちっともピンときませんがね。ということで私もすでに万病帰一説に近い論説はこれでけっこう唱えているようですが、

まあ私の説は自分で言うのも何だけど、本当にそれなりにけっこうイイ線を行ってますので、信じる者は救われる、である程度は信じてもいいと言っておきます。

「万病帰一説」のような還元論というのは確かに魅力的なんだけど、やっぱり全体論で俯瞰すると身体宇宙は無限な広がりがあるわけで、本当のところは命の真実とは何なのか?はまだまだはっきりとはわかりかねるというのが正直な気持ちです。

気もツボも経絡もあくまで古代人の生命観ですが、いまでもある程度は通用するソフトであることを鑑みると、やはりその中には幾ばくかの真実が内包されているのかもしれません。

「昇降出入は百病の綱領、生死の枢機なり」
『読医随筆』(周学海・撰 清時代 1898年)

気の昇降出入を妨げるコリを取り除くことができれば、心身の活力は取り戻せると、この古典医書の一節は教えています。

このへんはかなり真実っぽいね。

2014.11.21 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

活ッ 15

西洋医学は東洋医学よりも2000年は遅れた医学であるが、東洋医学は東洋医学で実はここ2000年のあいだ何の進展もなく止まったままの医学であるからして、結局、どっちもどっちでたいして人類の医療は発展も進歩もしていない。

これが医療の真相なのだ。西洋医学の世界はよく言われるようにデカルトが心身二元論を唱えて以来、急速に人間機械論を推し進め、ようは物体、

モノとしての人体を事細かに追及した結果、今や臓器移植が普通に行われ、幹細胞を操作してあらゆる組織や臓器すら作成可能だと豪語するに到っているのだが、

臓器移植によりドナー(臓器提供者)の人格がレシピエント(臓器受給者)に乗り移るケースなどはまさに組織や臓器や細胞にすら「心」があることの証明であり、

つまり心身は決して二つに分けることなど出来ないことまで判明しているのだが、そういったエビデンスがあっても一向に機械論的な生命観が修正されないのはいかがなものか?と思うのは多分、わたしのような人間だけに限られるのだろう。

デカルトは実は心身を二つに分けて考えたあとに、もういちど一つに合わせて考えるつもりであったそうだが、もしも彼がもっと長生きして心身一元論に到達していたのなら、

機械論と生気論が融合した西洋式の独自の生命観が誕生して、西洋医学はいまごろ東洋医学を追い越して「 SATORI 医学」に一番乗りしていたかもしれない。

モノ・ボディであるヒト細胞60兆個にはそれぞれ細胞核DNAが備わり300匹からのミトコンドリアが共棲しており、それぞれの細胞は独自の命をその細胞内で養いつつ、

ホストである本体の電磁場ボディと共生しているのだから、細胞ひとつひとつにもまた電磁場ボディから環流した「気」や「心」が宿っているのだ。

万能細胞からあらゆる組織や臓器をホストである電磁場ボディ抜きにシャーレや培養器で生みだしたとして、いったいその

「カオナシ」のような無人格の組織臓器に果たしてその後いったいどんな性格が宿るのか?少し想像しただけでもかなり恐ろしい。

科学の粋を集めた分子医学によって得た電子顕微鏡の世界のナノレベルのミクロの細胞知識は実にわたしたちの知性をよく刺激してくれるのだが、それだけにとどまらずにまた今までに想像もしなかった不安も与えてくれる。

さて、東洋医学がここ2000年間に怠(なま)けてやってこなかった事とは何だったのか?と言えばこれはひと言で言えば機械論的な視点を導入しなかったということになろう。

「気の医学」がずっと「気の医学」のままだったからここまで東洋医学は人心(じんしん)と乖離(かいり)してしまったのだ。

機械論が全盛の科学時代には機械論をも取りこんで、「気の医学」をさらにパワーアップすべきだったのだが、東洋医学界は

タコツボのような偏狭なツボ利権コミュニティーを造って、そのなかでヌクヌクと「気の医学」に浸り安住する道を選択してしまった。

それゆえの現今の東洋医学の凋落だとわたしは見て取っている。これから東洋医学がもう一度見直されるためには、もっとも旬でフレッシュな最新の分子医学のデータを取りこんで、東洋医学の素晴らしさを伝えることにある。

「百病は小胞体に溜まった変性タンパク質によって生じるが、鍼灸指圧によって細胞核DNAセントラルドグマを起動してヒートショックプロテインを大量に増産することで、小胞体ストレス応答な機序を発動し、小胞体に溜まった変性タンパク質を一掃することで、百病は予防し治療できる」

これこそがわたしが今現在言える超最新の東洋医学の治効理論である。

まだ誰も言及していない「セントラルドグマ」と「小胞体ストレス」と「小胞体ストレス応答」と「ヒートショックプロテイン」という用語を使用して

こんな風に東洋医学の素晴らしさをアピールすることで、わたしはここ2000年来の東洋医学の遅れを取り戻すつもりだ。

「気の医学」が専売特許である東洋医学と「血の医学」を発展させた西洋医学は目出度くここにおいて融合し、未来型の「気血(きけつ)の医学」へと進化するのだ。

「重陰は必ず陽となり、重陽は必ず陰となる」『素門』

西洋医学と東洋医学が、機械論と生気論が、還元論と全体論が、「血の医学」と「気の医学」が、心と身体が、ともに頂点でスパーク放電した時に「 SATORI 医学」の地平が開ける。

2014.11.20 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

活ッ 14

音楽家(声楽家)である姉から一昨日に電話があり、モーツァルトに関する前記事が面白かったとの感想を聞いたのだが、そのほんの束の間の会話の際に少し「気づき」がありまして、

ようは西洋医学が東洋医学よりも常に進歩しているという間違ったイメージがいったいいつ頃に形成されたのか?そもそも西洋医学は東洋医学よりも進歩したことなどあったのか?との疑念が思い浮かびました。

実際に江戸後期に来日して日本の西洋医学の礎を築いたとされるシーボルトにはまだ虫垂炎の知識すらなく、注射器も聴診器も持っていなかったのだし、

シーボルトが好んで処方した「ヲクリカンクリ」なる薬物はなんとカニの目玉だったというし、また「蝲蛄石(オクリカンキリ)」はものの本によると、

脱皮前のザリガニの胃に溜まったカルシウム結石であり、なんでも体内に貯留した酸敗液を尿にして排泄させる効能があるとされていたというのだが、

かのシーボルト先生がオハコのこの処方箋といい、大量出血を引き起こし失血によるショック死の危険性が常につきまとう西洋医学式の瀉血(しゃけつ)法といい

果たして当時の欧州の先端医療は実際にはどれほどのレベルだったのだろうか?

私がみるところ、いや実は彼ら西洋からの訪日医療団こそが日本鍼灸や日本漢方から当時の最先端の日本の東洋医学の医療知識を学び取り、その知識をもって

西洋医学の世界に東洋の鍼術を真似た注射器が華々しく開発され、漢方医学の薬物の叡智からヒントを得て様々な薬物が創薬されるに到ったのではなかろうか?

つまり「事実は小説よりも奇なり」で、江戸末期にわが国に蘭学が興り蘭方医が増えていった事は歴史が教える真実ではあるのだが、

だからといって別に当時の日本鍼灸や日本漢方が蘭方よりも劣っていたわけではさらさらなく、いやむしろ時の日本鍼灸や日本漢方は恐らくは世界一洗練された東洋医学に到達していたであろうことは間違いなく、

それゆえにシーボルトもビュルガーもケンペルもライネもみな一様に日本の医療のレベルの高さに驚嘆瞠目し、なんとしてでもその精髄を奪い取り

本国の雇い主や支配層へとこれ幸いに誇らしげに東洋医学の医療資産をごっそりと手土産として持ち帰ったのだ。これぞまさに世界中を植民地にして憚らない西洋グローバル侵略ギャング団の面目躍如なり。

西洋医学というか近代医学が高く評価され出したのはその医療技術の高さからではなく、恐らくはゼンメルワイス(1816〜1865)の消毒思想やリスター(1827〜1912)の殺菌術が徐々に注目されて、ベルグマン(1836〜1907)による無菌法が普通になり、

パスツールやコッホ(1843〜1910)により病原バクテリアが顕微鏡下に特定されて、フレミング(1881〜1955)が発見したアオカビ分泌物の抗生作用から抗生剤「ペニシリン」が1940年頃から大量生産され、

天然薬であった阿片からモルヒネが、キナ皮からキニーネが、ベラドンナからアトロピンが、麻黄からエフェドリンが単離されて、ヤナギの樹皮からサリシンが抽出されてついにドイツバイエル社から解熱鎮痛薬「アスピリン」が販売されるに到った20世紀初頭においてであり、

それまではやおら解剖学の知識だけは立派で消毒もせずにメスで腹を切りさばき、その雑菌だらけの外科医の手で内臓をまさぐられた患者たちは、次々に体内に増殖した病原バクテリアの細菌毒素エンドトキシンショックによる敗血症で、

術後の予後不良な40%超の患者があえなく絶命していたのが、みなさんが涙を流さんばかりに崇拝して止まない科学の御威光輝かしき18、19世紀の西洋医学の現実であったのだ。

モーツァルトもまたそんな摩訶不思議な18世紀の西洋の最先端医学の治療を受けて、医療ミスで死亡したのである。近代医学には確かに優れた側面が多々あるのだが、

わたしに言わせれば根本的に 『2000年は遅れた医学!!!』 と言わざるを得ない。

「血は独りでは生ぜず、気に頼りて以って之を生ず」
『医論三十篇』(韋協夢・撰 清時代 1798年)

気というバイタルフォース(活力)により血液は、腸管内臓と骨髄腔のなかで生み出されるのだ。

すでに気力が低下して造血能に翳りが見えているところに輪をかけて、生命力の源である血液を抜いたらどうなるか?

モーツァルトの主治医には2000年前の鍼医には当たり前に備わっていた気血(きけつ)の基本知識すら欠落していたのだ。

「真気なる者、天より受ける所、合気と併さって身を充たすものなり」『霊枢』

モーツァルトに必要な処置とは天より受けた元気である真気を補充するための「合気(こくき)=穀気」の供給、つまり正しい食物の補給であったといえよう。

虫垂炎には民間食養法では「ごぼうのおろし汁」を飲ませて治します。過度な肉食や魚の小骨が刺さって虫垂内で繁殖増殖していた悪玉菌類が、ごぼうの強い香り成分であるフィトンチッドの殺菌作用により滅菌、殺菌されてしまうのでしょう。

たべたものが血となり気となり薬となる。

食薬一如

医療なんて本来は決してそんなに難(むずか)しいものじゃない、はずだ!

2014.11.17 | | コメント(1) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

活ッ 13

ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1791年没 享年35歳 失血死)



東洋医学と言えば定型的にツボ治療というイメージがあり、東洋医学と言えばマンネリに経絡ゴム人形のイメージがあり、東洋医学と言えばいつも通りに「この症状にはこのツボ」的なコピーがあり、東洋医学と言えば「誰でも簡単にできる即効ツボ療法」のタイトルが思い浮かぶ。

つまり東洋医学からイメージされるものは単にツボ療法的な世界に他ならないと、東洋医学界も出版界も世間一般も思っているだろうという予定調和をわたしはぶっ壊したくて、こんなブログをやってきたということがそろそろ賢明な読者の皆様には分かり始めていることと推察します。

確かにツボ的な世界は東洋医学の根幹をなす部分ではありますが、別にそれだけで東洋医学が成り立っているわけではないし、これだけツボコンテンツがこれまで大安売りされて、

どこのどいつも必ず鍼灸師が本でも出すとなればその本のページをめくってツボの絵図や写真が掲載されていないものなどなく、そのほとんどにはツボコンテンツが存在するのだが、

果たして読者や世間一般はこんなツボコンテンツを本当に欲しているのだろうか?そしてそんなツボコンテンツを知って少しは自分の悩める症状の改善につながり、あるいは東洋医学に対する認識が深まり、

また東洋医学を尊敬するようになり、さらにわが国ニッポンの自国の伝統医学の何たるか?が身に染みて分かってきたとでも言うのだろうか?

ちまたの風からはとてもそんな状況になっているとは思えないし、なんだか東洋医学は坂を転がり落ちるようにその社会的地位を失いつつあるように感じているのはワタシだけだろうか?

ワタシは固い決意をもって断じて今後も「この症状にはこのツボ」的な浅薄で御粗末で幼稚でヒトサマを馬鹿にしたようなくだらないツボコンテンツを提供することは、これまで通り絶対にしないとここに宣言いたします。

まったくこんな恥ずかしいツボコンテンツな情報提供しか出来ないから、どんどんと東洋医学は値踏みされ、インチキリラク産業に侵蝕され、西洋医たちに小馬鹿にされるという東洋医学の崩落現象を引き起こすに到っているのだ!

それだけでなく浅薄なツボコンテンツの大量散布の延長にはお馴染みの陰陽論の説明やら五行学説の解説やらがあり、あるいはちょっと気の効いたものになると

東洋医学のバイブルである『素門』『霊枢』という二大聖典から引用した言葉をそっくりただそのまま直訳して悦に入るというケースなど、

結局これらの行為も何ら東洋医学の普及には全然まったくなんにも役だってなんかいないわけです。東洋医学に興味がある読者はそんな難しい古典理論の説明なんか求めてはいないわけだし、

経絡説にしてもそういった古典理論の翻訳、直訳、ただ訳すだけの言っちゃあ悪いがどこかにテキストがあれば誰でも出来るような、ずるくてこすいコピペ作業なんざこれまで散々と既刊本の著者たちがやってるわけだし、

それにそういう古典の翻訳だの解釈だのは鍼灸師の仲間うちの鍼灸業界の鍼灸コミュニティー内だけでやってればいい事なのに、なんで一般の世間様にまで向かってそんな高尚などうでもいい講釈を垂れるんだよ?

それでそんな教科書一冊、テキスト一本あれば誰でも言えるような古典解説の二番煎じな内容があれば少しは箔が付いて読者が鍼灸師を見直してくれたり、お前をエライとでも言ってくれるとでも思っているのかい?

まあ詳しいことはよくは知らんが、時代は「チャングム」に「馬医」だよ。ああいったエンタメのヒットにこそ東洋医学を啓蒙するヒントがあるはず。まあ俺は常に独自路線だけどね(笑)

ハイッ、ええとここまでクドクドとどうでもいいマクラをぶってみましたが、いやほんとにさ、なんでいっつも「ツボ的なもの=東洋医学」なんだろうね?ほんと不思議です。

本ブログのファンならすでにお気づきでしょうが、私はこれまで「この症状にはこのツボ」的な記事はこれでほとんど書いたことがございません。

過去記事をプリントアウトしながら再読しているアナタ、ねっ、その通りでしょ?

そうそんで、それでいて、これだけの固定読者の皆さんが毎日このブログを読んでくれるということは、つまり世間一般の皆さんはもう「この症状にはこのツボ」的コンテンツにはほんと飽き飽きしているって証拠なんですよ!

それなのにチマタには相変わらずにこういった「この症状にはこのツボ」的なコンテンツがいまだに再生産されて、婦人誌の東洋医学特集なんかにはもう絶対にツボの位置をモデル写真入りで掲載して、

その脇には「頭痛!」とか「肩こり!」とかお約束で記載されてるし、少しは噛み応えがあるかもとタイトルに惹かれて手に取った鍼灸師の本にも、またまたツボコンテンツのオンパレード!

おい出版界も鍼灸業界もイイ加減にせんかい!読者を舐めとんのか?!

あのね、そんなツボコンテンツなんざどんだけ大量に流布したところで、決して東洋医学の神髄なんざ伝わりはしないんだって!そもそもどうしてツボなる概念が誕生したのか?

そんないちばん初歩でキモでコアな論説をこそ世間様は欲しているんだって。それだけじゃない。ようはね、今の科学に洗脳され支配され崇拝し信仰する

科学真理教の信者ばかりの科学馬鹿が99%になったこの時代において、いかにこの99%の連中をして「なるほど東洋医学もまた科学に照らして一理ある」と言わしめるか?

これこそが私たち今の鍼灸師に求められる真の東洋医学の啓蒙なはずなのに、何をとち狂っていまだにツボコンテンツなんだよ!って

これじゃあ延々とマクラデスマッチで本題にはちっとも移行できないじゃん!(笑)あ〜あ、まったく、私の言いたいことはもう充分に伝わりましたよね?

さて何やらミステリアスな冒頭の偉大なる音楽家の夭逝の原因とは他でもない2000年遅れた時代遅れの西洋医学式の瀉血(しゃけつ)療法によって、ようは間違った治療法によりかの音楽家はご他界召されたという話しなのですが、

プレ紀元前に人類を救ってきた主要なる医術であった「血の医学」は何も東洋医学の鍼術の専売特許だったわけではなく、中世から19世紀にかけては西洋欧州でも極めて一般的な治療法でありまして、

ただ鍼による瀉血法と西洋式の瀉血法の相違点を挙げるとすれば、東洋医学の鍼術の瀉血法は針先を使用して四肢末端などから小さい針先の直径程度の穴で少量の出血で済ますのだが、

西洋式の瀉血法はメスを使い、前腕内側の静脈部を切開して50〜400ミリリットルほどの大量に噴き出す血液をお盆のようなもので受け留めるという、トンデモナイ荒療治であったことが相違点と言えば相違点で、

かの日本の西洋医学の父と称えられるフィリッツ・フランツ・フォン・シーボルトも日本人の弟子達にさも得意げにこの西洋式の瀉血法を披露して伝授しようとしたが、

日本鍼灸における洗練された瀉血法に精通していた日本人の蘭方医の卵たちは決してこのシーボルト先生直伝の西洋式のトンデモに荒療治な瀉血法をおよそ真似して実践することはなかったそうだ。

東洋医学が「血の医学」から「気の医学」への奇跡のパラダイムシフトを達成したのはすでに紀元前であったのだが、その後2000年近くを経ても

西洋医学の世界においてはいっこうに「血の医学」から「気の医学」へのシフトチェンジは起こり得ずに、あえなく虫垂炎で生命力が消耗していた天才音楽家モーツァルトは

無駄で無益でまったく乱暴極まる御粗末な西洋式の「血の医学」によって命の源である血液をその弱った身体からゴッソリと抜かれ、いわゆる今で言う医療ミス、医療過誤により殺されてしまったということになりそうなのだ。

ねっ、ツボコンテンツよりもこういう話しの方が断然面白いでしょ?それで、かのモーツァルトの死因ってのは諸説あって、梅毒説から毒殺説まで色々と多説あるらしいんだけど、少し前からはこの瀉血による失血死説が有力視されているとのこと。

まっ、西洋医学は考えようによってはいまだに目に見える物体としての身体しか「見ない、見えていない」で永遠に「血の医学」の世界をさまよっているとも言えるわけで、

少なくとも紀元前の今から2300年前あたりにすでに活力、生命力の本源である気というバイタルフォースを発見して、

この命を命たらしめるエネルギーとしての「気」が物体としての「血」の作用によって全身をくまなく流動することを見いだし、

「目に見える血」と「目に見えない気」をワンセットにして気血(きけつ)と捉えて、気血こそが命の根本であるとの認識のうえで

東洋医学ガイドラインを紀元前においてまとめ上げた中国古代の鍼医たちの先見性とそのセンスにはもうどれだけの喝采を送っても足りないほどに超スーパーに素晴らしいと大絶賛したく思います。

東洋医学の凄さとは「目に見える物体としての身体」と「目に見えないエネルギー体としての経絡体」という命の二重構造の本質を徹底的に追究してきたことにあるのです。

モーツァルトがもしも当時の江戸後期、寛政年代の高度に洗練された日本鍼灸や日本漢方の治療を受けることができていれば、まだ幾ばくかの余命が残存し、何曲かの名曲が生まれたのかもしれません。




「気中に血在り、血中に気有り、須臾(しばらく)も相離れるべからず。すなわち陰陽互根なるが、自然の理なり」『難経本義』(滑寿・撰 元時代 1366年)

血液に気というバイタルフォース(活力)が宿っていることを、偉大なる作曲家は図らずもその失血死をもって証明してしまったのだろうか?

いずれにしろ早過ぎた天才の死にモーツァルト未完の名曲「レクイエム」を捧げたい。

2014.11.15 | | コメント(10) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

活ッ 12

本シリーズは今まで言えなかった事で是非に今言っておきたい事を言い切っておこうと始めたシリーズでして、そのへんでまだ出し切れていないものをこれから出していくつもりでして、

手始めにというか、その言い切っておきたい事というものの中核となる思惟は何かと言えば、つまりは単純に「本当のこと」となりましょうか。

例えば「東洋医学の本当のこと」なんてね。わたしに言わせればチマタに出回っている東洋医学コンテンツなんざ、ほんと嘘くさい薄っぺらなペラペラの

「この症状にこのツボ」的な「素人でもスグに出来る即効ツボ療法」なる実にくだらない馬鹿なツボ本のたぐいがほとんどで、

こういった東洋医学の大安売りによって、みずから自分たちの社会的地位を低くして世間の東洋医学に対する評価を目減りさせてきたのが、これまでのツボコンテンツに他ならなかったのだ、とここに断言しておきます。

あのね、本当のことを言うと、ツボなんて架空の概念だぜ!そうツボなんてフィクションなの!早い話しがツボなんてものは実際には存在しない!

えっ、そんな事言っちゃっていいの?だって。 いいんですよ。 そのための本シリーズであり、本ブログなんですから。

恐らくは東洋医学関係者であっても、お前は何をとち狂ってわけがわからん事を言い出すんだ?と今、感じている者が多数か少数かいるかもしれませんが、

な〜に、そんなのにはお構いなしで、ひとつここはワタシの本音をぶちまけさせて頂きます。

そもそも鍼治療という医術の始まりは何だったのか?と言えば1991年にアルプス峡谷の氷窟から発見された5300年前の男性ミイラであるアイスマン「エッツィ」の坐骨神経痛へのツボ治療への入れ墨痕から分かるように

ようは中医学の古典的な鍼術刺法である刺絡(しらく)という出血をもって治療とする瀉血法(しゃけつほう)こそが鍼治療の原点であったわけです。

アイスマンのドット状の入れ墨はこれはすなわち血止めのために煤(すす)を塗り込んだものが入れ墨となって皮膚に色素沈着した痕跡だったのですから

最初のツボは「血抜きポイント」だった?!

ということは経絡だの、気だのの「気の医学」である鍼術の前にはまぎれもない「血抜き医学」である「血の医学」としての鍼術の時代が厳然として長く存在したと仮定できるのです。

果たして「気の医学」になる前の「血の医学」であった鍼術の歴史とはいったいどのくらいの期間あったのだろうか?わたしが推察するにはおよそ4万年間ほどは瀉血をメインにした医術が行われていただろうと現地点では考えている。

現生ホモサピエンスが東アフリカを旅だったのは5万年前だが、その時にすでに「血の医学」としての鍼術はほぼ完成しており、

この「血抜き鍼術」という人類最初にして最高の医療があったからこそ、人類はそれから4万年の長き放浪の旅のあいだに様々な疾病や症状や怪我などに悩まされながらも、

なんとか「血抜き鍼治療」でしのいで生き抜いてきたのだ。そしてようやく最終氷期最盛期が過ぎて気候が温暖になり、狩猟採集生活から農耕型の定住分化が軌道に乗った頃になり、「血の医学」である鍼術は古代中国において「気の医学」へと進化したと推定できるのだ。

以前に業界の医学研修で北里大学東洋医学研究所の研究員がたいへんに興味深い講義をされて、余りに感動したので講義終了後にわざわざその研究員の帰路につくエレベーター前まで歩み寄り、

「自分も紀元前の医療を日々、実践しております」と声をかけてほんの束の間、歓談を楽しんだ思い出があるのだが、

この紀元前の医療こそが実は「血の医学」から「気の医学」への進化を促したのだろうと、今仮説を述べる次第です。

このいま問題にしている「紀元前の医学」とは何かと言えば、これこそが最初期の中医学の治療術なのだが、

まず鍼医が患者の身体を按摩マッサージ指圧をして慰撫しながら、どこに凝りが重積した硬結(こうけつ)部位があるかを探り、どこに冷えた部位があるかを探して、

そうして凝りが蓄積した部位が分かったらそこへと鍼を打ち深い部分の凝りをほぐし、冷えた部位には灸を据えて温めることでヒートショックプロテインを分泌して細胞修復を促進する。

この触れて按圧(あんあつ)してから鍼灸をする、という治療の流れがようは「紀元前の東洋医学」の全貌であったということなのです。

この紀元前治療にわたしは「血の医学」から「気の医学」へのコペルニクス的な転回、パラダイムシフトを見て取りました。

「血を抜く」しか能がなかった鍼術がその前段階として「身体を触(ふ)れ揉(も)みさする」という「触診術(しょくしんじゅつ)」の錬磨を経て、より高度に身体の状態を把握してピンポイントで鍼灸治療をして血ではなく気の滞りを緩解させる方法を編み出した。

ここにおいて東洋医学の一大革命が紀元前には達成されていたと想像します。

恐らくは鍼灸の前に身体を按摩マッサージ指圧する過程で鍼医たちは、血の流れとは違う別な命の流れ、気の流れるルート「経絡(けいらく)」をその指で触知発見(しょくちはっけん)したのでしょう。

その実際の指感覚がもたらした「指科学」な進化こそが「血の医学」から「気の医学」へのパラダイムシフトであったのです。

こうしてプレ紀元前における野蛮な機械論的な目に見える「血」という生理学的&解剖学的エビデンスのみを対象とする瀉血をメインとした原始鍼術は、

洗練された生気論的な目に見えない「気」という体験知的&経絡学的エビデンスを指標とする原始中医学へとエピジェネティクスにエヴォリューションを成し遂げたのであります。

とまあ、こういった世界初の非常にコアな東洋医学の神髄に関する論説など、いっさいどこ吹く風な馬鹿なツボ本なんざ、素人に使いこなせるわきゃあねぇだろうがよ!

おっと、いきなり高尚な解読から一転、がらっぱちに変身かよ。まっ、これがアッシのお家芸っすからね(笑)

ツボ、ツボ、と言ったってね、アンタ、ツボの何たるか?なんて素人には分かるわけがないの!そもそも何にも東洋医学の知識も経験も無いんだから。

そこへもってきてただ「この症状にはこのツボ」だもん。ツボなんか使いこなせるわけねえじゃん、ったく。ツボ馬鹿な庶民を量産してどうすんだってぇの!

「誰でも出来る即効ツボ療法」なんかこの世には存在しません。ツボの何たるか?はひたすらヒトサマの身体を指圧し、按摩し、マッサージして、紀元前の鍼医と同じ感覚を持ち得た者にだけわかるものなのです。

そしてツボなど存在しないのです。いやツボはオレみたいな者にしか使いこなせないのです。だから素人様にはツボなんか単なるフィクションに過ぎないってこと。

わたしに言わせればあのツボ人形の経絡図に書かれたツボの位置はあくまで参考程度に記録されたものに過ぎません。誰にもあのような361余のツボが整然と存在するわけじゃあないのです。

ツボはメッセージがある時にだけ出現するもの!

経絡だって定説では12本とか14本とか、それとは別に8本とか、有名な指圧師の説では手に12本、足に12本とか、諸説あるんだけど、これだってオレに言わせれば全部フィクションなのです。

いや、そう感じた者それぞれの実感なのです。「見ようと思えばそう見える」というのが定説みたいな経絡学。

ここまでトピックが多数でわけがわからんかもしれんが、わたしが何を言いたいかと言えば、こういった東洋医学のもつ広範で奥深いソフトをすべてわかったうえで、

実際の生身(なまみ)の身体に当たってはリアルな感触をもって自分なりの医療を構築していく。これが言わばもっとも実際に適応する医療となると言えるのです。

わたしは確かに長年の指圧を通して「気」と呼べるバイタルフォース(生命力)の流動を触知発見し操作するに到っております。

だからこそ言える「本当のこと」をこれから大いに語ろうじゃありませんか!

『「血の医学」から「気の医学」への進化』、なんて論説が読めるのは広い世間を見渡しても多分、ここだけだぜい。

眼福、眼福、みなさん、ラッキー(笑)

「人の一身、気血相離れる能わず、気中に血有り、血中に気有り、気血相依り、循環して息(や)まず」『不居集』(呉澄・撰 清時代 1366年)

目に見える「血・チ」と目に見えない「気・キ」の陰陽互根(いんようごこん)を二つながらに余すことなく見つめ触れて成立した医学こそが鍼灸指圧、東洋医学でありました。

エクスプリシットオーダー(明在系)とインプリシットオーダー(暗在系)を往来循環する冒険は実にエキサイティングです。

2014.11.13 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

活ッ 11

ここのところの「活ッ」シリーズでは中医学の言葉を小出しにしながら論考を進めて参りましたが、いやはや実に味わい深い言葉が多いことには改めて驚きますね。

なんでも中国という国は悲しいかな異国からの侵略に何度も逢いその度に焚書坑儒により貴重な医学文献などが燃やされてしまったとされておりまして、それでもこれまで見たものはほんの一部ですが、これだけ素晴らしい言葉が残っているのですから、

漢字という文字を発達させ、記録することに執念をもつ民族として過酷な歴史を生き抜いてきた中国の人々には多大なる感謝を申しあげる次第です。

中医学の包含する世界観は私が察するにこの腐れきった現代文明をもリモデリングできる非常に優れたソフトであると確信している。

環境破壊文明でしかない現代西洋型文明をデトックスしていくための解毒剤として、もしも中医学の世界観からひとつのキーワードをチョイスして摂取するとしたら、私は真っ先に「天人合一(てんじんごういつ)」という言葉を選択する。

しかるに鍼灸師であるのなら、そのほとんどは「天人合一教」と呼んでいい程に、みな一様にこの言葉が好きなわけだが、では天なる一字がいったい何を意味するのか?というこのコアな解釈においては、万人が異なるはずで、それは異なって「棲み分け」てしかるべきなのだが、

天をただ気候風土や自然環境などの外部環境のみと捉えるのはいささか今の時代にはふさわしくないと僭越ながら感じている。

「空間的には素粒子から宇宙サイズの62桁と、時間的には宇宙誕生138億年前から地球消滅50億年後までの約200億年間のスパンの、時空天地の交差地点で絶え間なく「揺らぎ」ながら「変わらなくあるために、変わり続ける」微小で巨大な存在である「ひとりする」SATORI なヒト」

これが3.11後を生きる鍼灸師である私が導き出した今様「天人合一」解釈である。ようは極微から極大までの宇宙全体の空間と永遠無限とも思えるほどの長い時の流れの中でヒトというものを見つめることで、

ヒトやヒトの生み出すモロモロを探り決定していけば、必ずや養生文明の羅針盤は正しい道筋を示すはずであるとここのところ強く思うに到っている。

このまま世界中の429基の原発を放置したまま薄汚れた死の灰を吸い続け、肺を汚しながら全身のDNAを傷つけて生きていくのか?

それとも世界中の原発をすべてここで即座に廃炉にすることで、これまで38億年間は自然のままだった本来の美しい地球ハビタブルゾーンを再生し取り戻していくのか?

かように今のわたしたちの大人の判断に我々の子ども達と地球生命種130万種の未来が托されているのだ。

世界中の巨大地震の22%が発生する超地震列島で再稼働? だと?

「再稼働」こんなふざけた言葉が出ること自体がクレージー極まる事だなんて今やサルでも粘菌でもわかる常識だぜ!

いささかビビッて萎縮しがちだった本シリーズも捲土重来、またアクセル全開で展開する予定ですので、これまで通りの皆様のご贔屓をよろしくお願い申し上げます。

「陰陽は各々を互いに根と為す、陽は陰に根ざし、陰は陽に根ざす」
『医貫砭』(徐大椿・著 清時代 1764年)

「 SATORI 文明 」は「 SATORAN 文明 」に根ざして発芽し、やがて花を咲かせ実を結ぶのです。

耕して、水を撒くのは他でもない天人合一な貴殿でありワタシの役目です。

2014.11.11 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

活ッ 10

わたしは3.11が起こると即座に内部被曝を防御する食のアドバイスをネット上で開始したと同時に、今の牧之原市長にパソコンからプリントアウトした故・平井憲夫氏の「原発とは何か」全文とアメリカの反核の物理学者アーネスト・スターングラス博士の対談コピーを添付して、

浜岡原発は世界一キケンな原発なのだから絶対にこれからは動かさない策を是非に講じて欲しいと直訴状を送ったが、その甲斐あってか西原茂樹市長はその後、早急に議案をまとめて浜岡原発の永久停止宣言へと到り、

私が住んでいる隣にある島田市がガレキ焼却を敢行した際には現静岡県知事にガレキの放つ放射線量が問題なのではなく、ガレキを燃やすことで噴煙中に排気されるセシウムが死の灰となって近隣に降り注ぐことが問題なのだと書いた手紙を2度にわたり送りつけ、

その甲斐あってかその後、ガレキ問題はそれほどの広がりも見せずに沈静化したように感じた。これら2件の出来事はもちろんその甲斐あったかどうかは本当のところ知るよしもないが、

なんにもしないよりは何かしたほうがましで、もしかすると絶望的な現状を変えることができるかもしれないと思わせる、そんな事を考えさせてくれた一件であった。

今、多くの人々の反対をよそに川内原発が再稼働へと進みつつある。つい先日に御嶽山がサプライズ噴火したようにここのところ活発化している日本の火山活動の中でも常に以前から活動し続けている桜島の火口までは川内原発からわずかに50キロである。

約300年前に桜島は大規模な噴火を起こして噴煙が大阪にまで到達しているそうだが、いったいこのような大規模な噴火時の対策が川内地元周辺や九州全域で取られていると言うのだろうか?

地元経済界が歓迎しているというのだが、日本やアメリカやフランスやイギリスなどの核利権大国を除く153カ国はこの原発再稼働テロとも呼べる暴挙を決して歓迎などしないだろう。

ドイツの二大電力会社がみずからの意志で時のコール首相に原発廃止を提言したのは、かのチェルノブイリ事故から6年後であったそうだが、かの国の電力会社の知性を3.11を経ていまだにこの国の電力会社は持ち得ないというのか?

ドイツは大規模な原発事故を経験していないのに原発を止めることができたのだ。全電源喪失・ステーションブラックアウトという最悪のシビアアクシデントが発生し、原子炉4基の核燃料がほぼ100%メルトダウンしたまま、いまだ溶融燃料のありかもわからず、

汚染水がひたすら漏れ続けて、まったく収束も覚束ないこの国がなぜ3年八ヶ月も経って原発全廃を国や電力会社がいち早く率先して宣言せずに、あろうことか既存の老朽化した原発を再稼働などするというのだろうか?

余りにも現実はまさに「事実は小説よりも奇なり」であり、そんな生やさしい言葉では追いつかないほどにこの国は発狂している。

わたしは3.11後は一時、むさぼるように内部被曝のからみで様々な本や資料を読んだが広瀬隆氏の「原子炉時限爆弾」などはまさに3.11を予言した警世の書であったし、

ほとんど話題にならないが今の原子力資料情報室の礎を築いた故・高木仁三郎の「プルトニウムの恐怖」などは小さい本だが圧巻の良書であった。

また金属工学の専門家の元原発系エンジニアの田中三彦氏の「原発はなぜ危険か」も優れて参考になったし、医療の視点からは肥田舜太郎医師の「内部被曝の脅威」や

アーネスト・スターングラス博士のネット上に公開されていたインタビュー記事などは大いに参考になった。

鼻血問題で一躍時の人になった松井英介医師の「見えない恐怖 放射線内部被曝」ももちろんその頃に読了済みであったし、いちばん新しいところでは

イギリス在住のクリス・バズビー博士の「封印された放射能の恐怖」などからはジノトキシック(DNA毒性)という新しい用語を教えて頂き、大いに使わせて頂いた。

これだけではないがこれら多くの情報は決して特定秘密保護法で管理されていた情報などではなく、普通の書店や図書館やネットから誰でも入手可能な情報だったのであり、

これら非特定フルオープン情報を参考にこれまで本ブログ記事を書いてきたので、ここには国家の安全保障に関わる重大案件に関する特定秘密に属するようなそんなスゴイ情報などまったくいっさいございません。

誰でも能動的に情報を得ようと思えば簡単に手に入る情報のみで構成されているのが本ブログ渾身の815記事ということです。丸腰情報オンパレード!

色んな意味で「活ッ」を入れたいシリーズは結果として自分に活を入れる様相を呈してきております。

中国古代にあって気という概念は「世界を構成する最も基本的な物質であり、宇宙の一切の事物はすべて気の運動変化により生まれる」と認識されていました。

もしも現代物理学の考えをここに応用するのなら素粒子も元素も分子も気と呼べる最も基本的な物質に分類できそうである。

「気聚(あつ)まって形成る、気散じて形亡ぶ」
『医門法律』(喩昌・著 清時代 1658年)

ブラフマンなる時空天地のエキスが濃縮した正気(せいき)に満ちた素粒子、元素、分子だけで地球生命種の形態形成が維持できていた昔日の生命史38億年が、いま光輪を放ちキラキラと懐かしげに輝いて見えるのは何故だろうか?

2014.11.09 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

活ッ 9

ええと、再稼働について、そりゃあないぜ!という論説はすでに濃厚に展開済みなので本当は様々な思いをぶちまけたい感じもしますが、ここはグッと我慢して軽くスルーしまして、やはり本業の鍼灸指圧や養生について新たな啓蒙と情報開示に励んで参りたく思います。

さて、もしものために只今、過去記事にさかのぼって全記事をプリントアウトしている最中なのですが、それで紙に印刷するとまたついでに初期の記事を読んでみたりしまして、そういえばこんな事を書いたもんだ、と感心することもあり、また、よくもこんなに気合いを入れて長々とパラグラフを分けることなく書いたもんだと呆れたりと、

これで今まで800余もの記事が本ブログには書かれているのですが、そうして過去記事などを読み返しながら、やっぱりどの記事もそれなりに心を込めて書いたのだから、削除するには忍びないという気持ちが芽生えたりもしまして、

また少なからぬ他所様にせっかくこのブログを紹介して頂いておいて、アッサリとアドレスを変更したりしても実に無礼で失礼に当たるし、などここのところこれで色々とそれなりに呻吟しまして、

とにかく何が起こるかはその時期が経過していかなければ分からないし、本来は公務員などが何らかの秘密を漏らすことを防ぐための法律なのだから、公務員でもないワタシが急いで何か対策を取ることもないだろうとの判断もあり、

そんなこんなで、このまま今のスタイルで本ブログは継続していきます。どうぞ今後ともよろしくお願い申し上げます。

それで過去記事などはこれまでほとんど読み返したことなどないのですが、この機会に読んでみますとまた新たな気づきなどがございまして、マーティン・ルーサーキング牧師の「沈黙は裏切りである」なんて言葉を再読してハッと我に返った次第です。

何も出来ないかもしれないけど、声だけは出していこうと決意を新たにしました。

ここから少し本題に入りますが、健康に生きたい、という願いは万人に共通する永遠のテーマとも言えまして、それゆえに本屋などにはずらっと健康に関する本がこれでもかと並んでいたりして、

それでそんな本の中で幾ばくか興味を惹かれるタイトルが書かれたものを手にとって、パラパラと中身を見てもワタシなどは憤然とすることがほとんどでまず購入することはありません。

だいたいがこういった本屋に並んでいる健康本には肝心な事つまりはネバネバヒートに関する事などが一切書かれておりませんで、それゆえに非常に浅い、

いやメチャクチャ薄い内容のものしかありません。曰く糖質制限に始まり、あそこを揉め、ここをほぐせ、いやここを温めろ、これを食べろ、アレを飲め、一日一食でいい、などなど、まあどれもこれもそれなりに実に浅い内容なのです。

人類はいったいここまでどんなものを食べてどんなライフスタイルを送りつつヒトにまで到ったのか?と言えばもとは原始的なバクテリアからスタートして多細胞生物になり魚類から両生類や爬虫類を経て、

哺乳類になり四つ足から二足歩行になって、サルからヒトへと進化して5万年前にホモサピエンスの初期集団が東アフリカを旅だって世界中に拡散した結果、今から1万5000年前あたりになって定住生活を始めて、

やがて小麦などを栽培しだして、徐々に高度な文明を築いていき、4大文明が栄える頃になってようやく人間らしい生き方ができるようになり今に至ったという具合で、

もしも食や養生に関するアドバイスをするのならここまでの生命史をすべて俯瞰した上でアドバイスをするのが適切だと思われるのだが、そういった長いスパンでの視点はちまたにはまず見あたりません。

よって、今後は不肖ワタクシがそんなこんなを俯瞰しつつ、また養生論を展開していく所存です。

ワタシという存在はミクロの10のマイナス35乗の素粒子とマクロの10のプラス27乗の宇宙サイズの極小と極大のただ中に位置し、

宇宙誕生の138億年前の過去と50億年後の天の川銀河系が消滅する未来のあいだの今ここにあって、空間軸と時間軸が壮大に「揺らぎ」ながら交差するクロスポイントにあるものがワタシというヒトなので、

これら時空のすべてと連関する養生法こそがこれから求められる真の養生法なのだろうと思う次第です。

「人は天地の気を以って生まれる」『素門』

天地の気を乱す原発には絶対に永久に反対です!

2014.11.09 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

活ッ 8

ちょいとここんとこモロモロと思考を巡らしまして、このブログを始めてもうじき3年になるんですが、ブログ本文中において個人攻撃とか個人中傷的なもの言いをした覚えはいっさいないし、体制批判と言ってもごく普通に批判してきたわけだし、原発を批判するのはこれ3.11後の人間なら当たり前。

つまり天に誓って恥ずかしいことはここにはいっさい書いておりませんっ!

よって、このまま本ブログをそのままのカタチで続行していこうと、また思い直しています。

この期に及んで黙ったら、それこそ「沈黙は裏切り」 by マーティン・ルーサーキング

つうことで、取りあえずもしもを考えてのコピペやプリントアウトは各自で行って頂くとして、取りあえずはこのままいきます。

「天地合気、これをなずけて曰く人なり」『素門』

オレという存在は天地の気が合わさったブラフマンなる62桁と共にあるヒトなんだからね。

レジェンドをみんなで創ろうぜ!

2014.11.08 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

活ッ 7

「気とは何か?」

この問いに明確に答える事は鍼灸師の鍼灸師たる必須条件であり絶対条件であるが、これほど難しい問いはこの世を見渡してもまた無いと思える程にまた難しいと言える問いであることはここに強調しておきたい。

それでワタシはいったいこの問いになんと答えるかと申せば「気はこの指をもってして実感できる確かに存在する生命力のようなもの」とまずは「指科学」な確信をもって断言しておきます。

「指科学」はわたしの創発した造語ですが、この指が実際に経験し、再現し、立証してきた我が臨床実績から言える真実の世界を「指科学」と表現したくここに世界初デビューとあいなりました。

インチキ気功などの「ヒトがヒトに触れる」ことのない「手当て」もどきしかやったことのない者には、絶対にワタシが感得しているような「気の蠢(うごめ)き」を捉えることは出来ないでしょう。

さて、バイタルフォース(生命力)である「気(き)」はいったい人体においてはどんな風に機能して蠢いているのでしょうか?

中医学では気の動きを「気機」と称し、人体の臓腑、経絡、五体、五感のすべてにおける働きや運動に気が介在することで正常な生理機能が営まれているとします。

そして気の動きは4つの方向性、ベクトルを持つとされその4つとは「昇・降・出・入」つまり「アップ、ダウン、アウト、イン」であります。

ようは気という何物かは身体をまといあらゆる身体領域を縦横無尽に徘徊し回旋し昇降し出入りしているというわけなのです。

まさにワタシが「指科学」で経験した気の動きとは古典に記された気の運動形式の解説とピタリと一致します。

「昇降出入、器無くば有らず。故に器なる者、生化の宇なり」『素門』

直訳すれば「気が昇降出入りできるのは器である身体があるからで、つまりこの身体こそが気の生成化育する居場所である」

ワタシ流に意訳すれば「この身体という殻構造は気というエレクトロ・ダイナミック・フィールド(動電場)から流れ込むフォース(宇宙の理力)がくまなく行き来してはじめて命あるモノとして機能する」となりましょうか。

わたしたちはまぎれもないフォースの申し子なのです。

フォースと共にある生命。

気を語らずして鍼灸師にあらず。

新ブログでは鍼灸や養生をメインにおおいに語る予定です。




※ まことに勝手ながら本年11月いっぱいをもって本ブログを大幅に刷新する予定です。つきましてはこれまでの記事は恐らくは新ブログの移行に伴いまして閲覧不能となりましょう。

もしもすべての記事に眼を通したい方や、また再読したい記事などがありましたら、早めにコピペやプリントアウトなどデータ保管に努めますようにお願い申し上げます。

「先に未だ邪を受けざるのブログを安んずる」策を実行する予定です。

このブログも細胞と同じくアポトーシス(プログラム細胞死)し、リモデリング(細胞新生)するのです。

そうエピジェネティクスに進化しつつ「変わらなくあるために、変わりつづける」未来へ向けて。

2014.11.06 | | コメント(3) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

活ッ 6

昨日はアメリカから一時帰国された方が我が治療院に訪れたり、電話にて日本鍼灸ランキングのトップに相当する鍼灸師がやっている奈良の鍼灸院を紹介して欲しいとの電話があったりと、ワタシがネットにて鍼灸指圧の啓蒙と「養生の何たるか?」の情報発信をはじめて早5年になりますが、ようやくこれまでの努力が実りつつあるようなそんな手応えを感じた2つの出来事がございました。

それですでにこのブログを日々読んで下さっている昨日の初診の患者さんとはホント旧知の間柄のように親しく話しが弾みましたし、電話で問い合わせてくれた方もブログを毎日読んでいると言って下さり、ほんの束の間なんだけど電話口でとても和やかな交流が叶いました。

ほんとこんなブログをやってきて良かったです。まあもしかするともうすぐここも閉鎖されるかもしれませんが、このブログをキッカケに知り合ったすべてのご縁に最大の感謝を改めてここに申しあげる次第です。

ありがとうございます。

医療の崩壊が叫ばれて久しいのですが、その内実はと言えばつまりは医療費の高騰や救命救急分野における人材の不足などかと思われます。確かに現代医学の保健システムがはらむモロモロの問題は多々あるのでしょう。

しかし今少しその問題は脇に置いておいて、「医療とは何ぞや?」という素朴な視点に立ち返ってみると、やはり「ヒトがヒトに触れる」という「手当て」という原点こそが医療の本質だろうと最近になって思い至ったのです。

手術と言えば「しゅじゅつ」と読み、これはいわゆる西洋医学の外科医がおこなう切った貼ったを意味することは言うまでもありませんが、もしも手術という熟語を「手の術」と「の」をかまして読みますと、これはすなわち私たち東洋医学の鍼灸指圧術そのものを意味するものになります。

「手のじゅつ」「手わざ」

「指圧のこころ 母ごころ 押せば命の泉湧く」

「少彦名の二が手にて 撫でれば落ちる毒の虫 押せば無くなる病の血潮 降りよ下がれよ出で早く」

日本独自の指圧こそが世界に誇る世界一の医療なのでは?とこれはここ数日で我が脳裏に浮上した「気づき」でありましたが、アメリカという国のリアルな医療事情を小耳に挟んで知るにつけ、ますますの感を強くした昨日の交流でありました。

「人の頼る所、ただこの気のみ。気(き)聚(あつま)って生まれ、気散じて死す」
『医門法律』(喩昌・著 清時代 1658年)

気の蠢(うごめ)きを「二が手」でダイレクトに感じることができるのが指圧の醍醐味(だいごみ)です。

「命の何たるか?」「気の何たるか?」の問いに答えてくれたのはまぎれもない指先の向こうに広がる身体宇宙でありました。

2014.11.05 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

活ッ 5

5年前のネット初デビュー以来、一貫して「真の意味での養生とは何か?」という観点からずっと命の本質に関するコンテンツを提供する事を心がけてここまでやってきましたが、その中でも今年の初めまでは一等しつこく追及してきたのがヒト細胞内に共生するもとは12億年前のバクテリアに由来するミトコンドリアに関する諸事項でありました。

それで何で今年の初め以降はあんまりミトコンドリアに触れなくなったかというと、だいたいミトコンドリアに関しては書き尽くしたという感慨もあり、またフォロワーがミトコンドリアを全面に押し出したブログを開設したので重複を避けたという面もあり、またこうした流れですでにミトコンドリアも少しはメジャーな存在になったという思いもあり、

それならば少しこちらは目先を変えて別なコンテンツを提供した方が自分も新鮮だし、読者も飽きないかもしれないというマーケティング的な視点からと、まあこういったモロモロの大人事情でここのところはミトコンドリアとも少し御無沙汰していたという具合です。

別にミトコンドリアの事を忘れているわけではありませんよ。なんといってもハリキュウ戦隊ミトレンジャーの永久隊長ですからね(笑)まあネット活動の初期の頃から本当によくミトコンドリアについてはしつこく営業をしてきまして、お陰様で今やそれなりの地位をミトコンドリアも獲得した感がありまして、

こちらとしても嬉しい限りですね。ミトコンドリアと言えば細胞がガン化する際にミトコンドリアが機能停止していて、そのバックアップとして細胞質の解糖系が亢進しているという生化学者オットー・ワールブルグ博士が発見したとされるワールブルグ効果にはガン解読を挑む者が皆一様に一度は魅せられるものですが、

このワールブルグ効果をきたしているガン細胞を、ではいったいどうやって正常細胞に戻せるか?に関しては諸説あってもそのほとんどはトンチンカンな妄想と言わざるを得ません。いわくビタミンやクエン酸でミトコンドリアを刺激してやればガン化細胞が正常細胞になる?

いや水素を供給すればミトコンドリアの水素伝達系が回転してミトコンドリアが復活する?だからさ、すでにガン化してしまった細胞内のミトコンドリアは異形化が進行していてすでにミトコンドリアが機能停止してしまっているわけじゃん。

だからビタミンを投入しようが、クエン酸をぶちこもうが、水素やらを補給しようが、そんなもんを詰め込まれても動かないミトコンドリアはやっぱり動きはしないだろ。そういう単純な機械論で行けばもしも部品が劣化してしまった機械を動かそうとしても、

そもそも動かなくなった機械なんだからそこに何か素材を注入して製品を作ろうとしても機械は相変わらず動きはしないなんてのはすぐに理解できると思うんだけど、アレだね。ほんと世の中に流布する健康法のたぐいはとにかく何かを追加してプラスしてドカドカと身体にイイものを取りこませればイイなるものがほとんどで、

まったくいつも呆(あき)れちゃうよね。おれも一時はこういった論調で食や栄養素に関するアドバイスを展開した時期もあったけど、そのうちそんな単純な論法ばかりの意見が自分のブログを埋め尽くすようになってきて、なんだかこういう語り口が嫌になっちゃって、それでまたこういう論理の未熟さも見えてきたという経緯がございました。

そもそも細胞がガン化していく際には必ずやそこにそうなるだけの必然があるわけで、そのガン化のための必然という命の真理にはいっこうに目もくれずに、ただガン化を抑制するには何が必須でございの、何を食べればイイだの、ほんと命に対して恐れ多いというか、恥知らずというか、命を尊敬していない証拠だよね。

ようはガン化抑制と言ってもそれはガン化的な環境を幾ばくか抑制できるかもしれないという程度のアドバイスであって、ビタミンやクエン酸の効能などは正常細胞内の健康なミトコンドリアにとってはいい刺激にはなっても、ガン細胞内のミトコンドリアにとっては「今はアタシは機能停止していて、とてもそんなモノは要りません」なモノということは少しはっきりと認識しておいた方がいいかと僭越ながら思う次第です。

それでこういった何かを外部から注入してガン細胞をどうにかするという方法ではない有効なガン対策はと言えば、もうこれは今までも耳に大ダコができる程に本ブログで主張し続けてきたヒートショックプロテイン以外にはないわけで、

ヒートショックプロテイン分泌を盛んにする処置を施せば、ガン細胞内のつぶれていたミトコンドリアが復活する事は識見ある医学者がとっくに報告しておりますし、なにせタンパク分子の変性を修正するのがヒートショックプロテインの本領なのですから、

もちろんタンパク分子がつぶれて異形化していたミトコンドリアはそのタンパク分子構造が修復されて復活しますし、これによりミトコンドリア主導のアポトーシス機序が発動して速やかにガン細胞が消滅して断片化したガン細胞は跡形もなくマクロファージに貪食されていきますし、

実際に余命半年の癌宣告を受けた者が半年間のあいだ温泉三昧な生活を続けて温泉ヒートショックプロテインの効能でそのすべての癌が消えた例や、丹毒に罹患して40℃の熱が2週間も続いてヒートショックプロテインが旺盛に分泌され続けた結果3センチ以内の固形ガンが綺麗に消失する例が世界中から報告されているし、

大阪のある医院ではハイパーサーミアと呼ばれる特殊な温熱療法によって直腸温を39℃まで上げて、血膿まで漏出していた10センチ大の乳がんがわずか10回の温熱治療で5センチ大にまで即座に縮小した実例や、末期の膵臓ガン患者の余命が大幅に延長された例など驚くべき治験例が続々と報告されており、

つまり内なる自然治癒のカナメであるヒートショックプロテイン力をもってすれば癌はそれほど恐ろしいものでない事はある領域ではすでに常識なのだが、このヒートショックプロテインの絶大なる効能の真価はまだ99%の世界中の民には一般化していないので、今まで本当に多くの記事をヒートショックプロテインに関する事項で埋め尽くしてきたというわけです。

いやほんと俺ってここまでけっこうヒートショックプロテインの広報担当だったね(笑)でもこれだけヒートショックプロテインに注目してこれだけヒートショックプロテインの何たるかを書いてきたからこそ、山﨑農業研究所の季刊誌「耕」編集長から原稿依頼が頂けたのかもしれないわけで、それでこの一件でネットのみならず紙媒体へもわたしの養生観を発信できる絶好の機会に恵まれたのだから、

いやヒートショックプロテインの効能はガン封じのみならず、わたしにとってはワタシという存在を世間様にアッピールする効能まであったと言えるかもしれませんね(笑)あんまり熱心にヒートショックプロテインの効能を説くので、ヒートショックプロテインが俺に味方してくれたのかもね。ありがとね、ヒート様(笑)

「扶正祛邪(ふせいきょじゃ)」

とは「正気(せいき)を扶(たす)けて補(おぎな)い、邪気(じゃき)を追い祛(はら)う」ことを意味する中医学の言葉であり、治病(ちびょう)と養生(ようじょう)の本質がこの短い言葉に集約された大変に味わい深い言葉でもあります。

では、正気とは何ぞや? 邪気とは何ぞや?

賢明な読者さま方にはもう即座にお分かりですよね?

そう正気こそがヒートショックプロテインであり、邪気とは変性タンパク質である、と見立てると、かなり今っぽく「小胞体ストレスと小胞体ストレス応答」な命のメカニズムがはっきりと見えてくるでしょう。

ヒートショックプロテインな時代を引き寄せる。

これもまた「先に未だ邪を受けざるの地を安んじて、人に因り地に因り時に因り、扶正祛邪を成し遂げて3.11後の健康被害を宜しく制する」ためのワタシの使命だったのかもしれません。

2014.11.04 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

活ッ 4

デング熱騒動で代々木公園で企画されていた脱原発デモが延期に追い込まれて、その後は女性大臣の相次ぐ不祥事ネタが席巻し、世界ではエボラ詐欺がやかましく喧伝されて、その挙げ句にシレッと川内原発再稼働の手続きが着々と進行しておりまして、まことに原子力帝国の威力をまざまざと見せつけられる今日この頃に、こちらポカンと口を開けて呆然としておるわけではありませんが、

まあアレだね、どうも雲行きが怪しいっつうか、このまま本当に川内原発が再稼働なんて事が実現すると、まあいずれは浜岡原発も早急に動かしたいとか何とか言い出すというか、もう言い出しているし、とはいえ、

この地球世界を見渡せばプレートテクトニクスに従い2億5000万年後にはまたひとつのアメイジア大陸になるであろうネバネバと蠢く地殻表面に429基もの原発が埋め込まれてしまっているわけで、

何と人類は愚かなのか?ということもまたポカンと口を開けて呆然と見ているだけというわけでもありませんが、しかし、やはりこの原発というモノだけは何としても現生人類の総力を挙げてすべて全廃に持ち込まなければならないと常々思うわけで、

こういった原発問題をほっといての養生法の探求などあり得ないのは、そりゃあ「原発=放射能毒排気装置」なんてのはこれもう常識であり、だからこその人類の急速な病人化、老化、劣化の進行なわけで、鍼灸師でありながらこの喫緊の原発問題、放射能問題に関心がないなんて手合いは俺に言わせればハッキリ言ってまったく存在意味などねっ!

ってのもこれまで何度も本ブログでは主張してきました。鍼灸師なら誰でも知っている病気の原因は内因、外因、不内外因、の3つなんてのはすでに本ブログフリークにも耳たこなんだけど、ここに「原発因」とか「放射性同位元素因」とか「放射能因」という言葉を追加してもいいくらいに

実は深く深くわたしたちの健康や病気と密接につながっているのが原発問題なわけで、そのへんに無頓着にして無関心でありながら「気や経絡」なる言葉をもてあそんでいるような手合いばかりじゃあ、ほんとこの先も日本の鍼灸指圧の社会的地位はいっこうに向上しないでしょうね。

現代医学の世界はすでにここまでの状況を見れば明らかなように完全に原子力帝国の配下であると見なせるのですが、では東洋医学の側はどうかと言えば全然まったく原子力ムラなんかとはいっさいカンケーねぇ!だろうがよー。

そんなら俺たち鍼灸師がもっとガンガンと情報発信してさ、いったい内部被曝するとどんな健康被害が予想できるのか?とか、では予想できる内部被曝による健康被害をいかにしてバックアップして自力で未病治できるのか?とか

こういったことをだね、ほんと親身になって困惑して救済の手を求めている国民にジャンジャンと啓蒙する事に努めるなんてのはこれ医療人として当たり前な事だったのにさ。なんでみんなそういう事を率先してやらねぇんだよ、まったく!

内部被曝への未病治アプローチを徹底的にアドバイスしたものがオレ以外にこの業界にいるかい?オレ以上にそれが出来た者がもしもいたら是非にコメント欄にでも申告してくれよ!いる?いないよなぁ〜。

まったくみんな冷たい人間たちだよね。口じゃあ聖人君子みたいに偉そうな事を言って、天人合一とお念仏を唱えているんだけどさ、でも実際には3.11後は内部被曝の防御に関しては何の役にも立たなかったってのがホントじゃね?

まあね、優秀な翻訳家であり鍼灸師である上野圭一氏あたりは、ちゃんと脱原発な発言をしていたからさすがと思ったけど、ほかの連中は原発問題や内部被曝に対して何か声明を発しているのかね?俺はいっさい業界紙とか今は読まないからそのへんの事情はほんとのところはよく知らないんだけど、

鍼灸師ブログで内部被曝に言及しているサイトがあるか検索しても、まずほとんどそういうブログにはヒットしないから、恐らくはほとんどの鍼灸師は放射能だの、内部被曝だの、3.11後の医療人には絶対に必須な「内部被曝防御コンテンツ」などには無関心なのかもしんないね。あな哀しや。

中医学では臨床において病症の本質を追究して治療することの第一に「治病求本」を掲げており、中医はこれを

「一抜其本、諸症尽除(ひとたびそのもとをぬけば、しょしょうことごとくのぞかる)」と言います。

「ひとたび原発が全廃すれば、諸症万病はことごとくこの世から消える」と思うからこそ、こんなブログをやってきたのです。

「因人因地因時制宜(ひとにより、ちにより、ときにより、よろしく、せいする)」

『3.11後という時において、放射能汚染された土地にあって、内部被曝の危機におびえる人達に向けて、いかにして内部被曝を宜しく制する防御策を提示できるか?』

日本民族の命を1500年来守り続けてきた鍼医たちの末裔であるオレが引き取った3.11後の使命とはまさにコレでありました!

2014.11.03 | | コメント(4) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

活ッ 3

「心身一如  体と心をひとつのものと考えますので体の異常を治す事がそのまま心の治療になると考えます。体を触らないで、薬だけで治るなんてありえないと思います。体がほぐれれば、心もほぐれる。治療していて凝りがとれてくると饒舌になり、表情が優しくなり顔の血色が良くなります。血の巡り。これこそ心身の健康の鍵かと思われます。大将が普段から仰るとうりです。そして血は腸で作られますので、腸が最重要ポイントかと。極論 便秘イコール鬱ではないかと思います。つまった腸管にどかどか薬を放り込まれたんじゃあ、何をか言わんです。必要な物を補うプラスの策でなく、まずは溜まった物を排出し流れを良くする事。体を柔らかくし、毛細血管を開く。つまり血の流れを良くし体温を上げる。休息をしっかりとる。 ( 体を横たえる = 重力Gから骨を解放してやる ) 冷たい物 ( 体温以下の物 ) を腸管に入れない。上記の事に気を配れば鬱の予防、改善につながるかと思います」

↑ 何を隠そうこれが2009年の4月に某団体の総帥宛にメールで送ってその後、彼のブログ記事に掲載され一躍ネット界で注目を集めたアタシの鮮烈なネットデビューを演出した記念すべき文章なのですが、これは読んでいただければわかるとおり、いわゆる鬱病(うつ病)に対するワタシなりの見解でありまして、

今や鬱病時代とも言える程にウツ症状に悩む者が蔓延しているのですが、まずはクスリを飲む事よりも身体全体を見直してみてはどうか?と西洋医学とは違った視点を提示して世の中のリアクションがどんな風か?

そのへんの当たりを探ったのですが、これがドンピシャでけっこうなホームランとなってその後はそれなりにこの団体での自分の立ち位置が出来たというまあネットデビュー時の良き思い出です。

ワタシが在籍していたこの団体は今でもそれなりに有名だろうとは思いますが、そちらを離れて久しいので今現在の活動状況の詳細は知りませんし、その後、わたしが常駐していた東洋医学掲示板がどんな感じで推移していったのか?もよく知りませんが、ただここを足抜けする時に、ある見知らぬ方がワタシが抜けたことを知ってワタシのそれまでのコメントに対して

「・・・、東洋医学に対する理解が深まり、日々の健康管理で大いに参考にさせていただきました。明治維新以降、東洋医学は日陰に追いやられてしまい歯がゆいことばかりです。知人、親戚、縁者を、俗に言う三大療法で何人も失いました。自暴自棄になりそうなとき、光様の文章を何度も読み直しては気を取り直しておりました。光様の存在が、心の支えです。光様が取り上げてくださった本は、どれも超貴重品です。欲しいと思って探しても絶版が多かったです。「自分だけの投稿が独占している」なんてことは決してありません。専門用語が多かったり、ついて行くのが大変なこともありましたが、食い入るように読んでいました。どうか、これからも私たちに灯火を照らしていただきますよう宜しくお願いします」

とこんなたいへんに感動するコメントを頂いたのが今でも心残りと言えば心残りなんですが、その後、友人のブログにてこちらのコメントを下さった方にはお礼を申したのですが、この方がそれを読んでくれたかどうかは今も知るよしはありません。

この方もこの投稿の中で申しているように、いわゆるガンの三大療法なるモノは今でこそ医療ジャーナリストの船瀬俊介氏や近藤誠医師らの啓蒙でそのイカサマぶりが一般にも知られるようになりましたが、今から5年前でもまだガンの三大療法を叩くのはなかなか勇気がいたものです。

実際にかの掲示板にはご家族にガンが発見されてしまったが、今後、どうしたらいいのか?という切実な質問が投稿されて、それに対してみんなでこんな方法はどうか?いやあんな方法もある、と侃々諤々、知恵を出し合ったのも懐かしい思い出です。そんな中で実際に出会った事もないネット上のハンドルネームのみなさんと親しくなり、それなりに鍼灸指圧に関心をもってもらう感触が持てたのが、今のワタシの情報発信の原点と言えましょう。

まあこれでもけっこうしぶとくコツコツとネット上に「鍼灸指圧の何たるか?」「真の意味での養生法とはいかなるものか?」に関する情報を少しずつ厚みを増してアップして積み上げてきましたね。

それでやっぱり何と言ってもこの自分のブログがそれまでの集大成というか、鍼灸人生25年間で培った「命とは何なのか?」を一番よく表現できた場となっていることはすでに皆さんにはよくお分かり頂いているかと存じます。

ここ5年間のネット上での情報発信の流れを自分なりに振り返ると、いやはや俺もよく頑張ったな、と自分で自分を褒めてあげたい気がしますね、フフフ。

「病の始めは浅く、治し易い。久すれば深く入り、治し難し」
『医学源流論』(徐大椿・著 清時代・1764年)

いかにして病邪(びょうじゃ)がまだ深い場所に入りこまない浅い場所にいるうちに「先(さき)に未(いま)だ邪(じゃ)を受(う)けざるの地(ち)を安(やす)んずる」を施して、邪気(じゃき)を追い払うことに成功するか?

が鍼灸指圧治療の要諦(ようてい)であり、養生の秘訣なのです。

ガンは決して「浅く、治し易い」疾患ではなく「深く入り、治し難し」の部類に属します。

それなのに今の世にはガンなどまるで怖くないとでもいうような論調が数多く見られます。

この指でガンの恐ろしさを、ウツの凄まじさを、不妊症の何たるかを知り、交通事故の際に「活の鍼」を施し、98歳の祖母を20年間も鍼灸指圧し続けて看取り、

日々の診療の中で、日々の日常の中で「命の何たるか?」を見つめてきたからこそ「言える、言いきれる」という俺の魂から絞り出したコンテンツこそが本ブログの全記録です。

だてに鍼灸業を25年間もやってはいないんだぜ!この際だから言っておくね。舐めんなよ(笑)

2014.11.02 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

活ッ 2

12月10日以降はもしかすると本ブログが閉鎖されるかもなんで、あとひと月ちょいであとがないと腹をくくり、さて気合いを入れて始めたシリーズなんですが、何からぶちまけていけばいいか?よりどりみどりで困っておりまして、

まあとりあえず、書きたいことは無限大に10のプラス27乗の宇宙大くらいは常に揃っているので特にネタに困っているわけではないんだけど、一番言いたいことだけを選んでいくというのがなかなか選択肢が多すぎて逆に難しいわけで、

それでもなんとか思いついた事からバンバンと書き込んでいきましょうかね。つうことで、シリーズ枕の前記事の前口上の続きネタから少し語っていきますが、世の中に流布している健康法だの、養生法だの、エクササイズだの、これをやれば健康になるだの、

これさえ食べてればガンにならないだの、このビタミンさえ取ってればイイだの、というこういった非常に単純な論理というかキャッチーなコピーで釣る健康論というものは私に言わせればすべて取るに足らないろくでもないウソ八百の千三つ万パチなインチキ理論であると断言して、世の皆様には警告を発したいと常々思うわけです。

つまり今この地球上には72億人ほどの異なるDNAを有した人間が住んでおりまして、それでそれぞれが指紋がすべて同じでない程に個々人72億人はすべてまた体質が異なるわけでありまして、ようはもしも健康法なり養生論を提示したければこの72億人のすべてに適合するモノを提示できなければならないのですが、

もちろんそんなモノは誰にも提言できるわけがないのですから、世の中の健康法などはすべてデタラメとはっきりと言いきれるのです。これを食べたら健康になったのはアンタ個人に限ってという事に過ぎないわけで、

そのへんの個人的な体験を一般論にして世間様に公表してはイカンぜよ!っつうことなんです。そいでね、これもよく言うんだけどヒトの身体生理が医学の発展で解明されたと言っても砂浜の砂を一握りすくった程度がやっとわかっただけで、残りの砂浜の膨大な部分はまだまったく何なのかが分からないという程に未知なる存在がヒト生理というものなのだから

だいたいがわかったようなクチをそう易々と聞けるわけがないんですね。私はですから分かったように上から目線で偉そうな大言壮語を平気でブチマケてまき散らすインテリ気取りな野郎どもがこれで大嫌いなんです。

曰く、病気の原因はこれだ!みたいなね。アレッ、俺もそんな事言ってるか(笑)いやアタシはね、これでかなりモデレートに抑制がきいてまして、けっこう慎重に論説を展開しておりまして、もしもこれこそが病気の真因だと宣言する場合には本当にそう言いきるだけの吟味咀嚼が終わったうえで言っておりますから、そこはとりあえず信用して頂ければありがたいです。

最近のヒット作というかホームランなコピーである

「百病は一気(変性タンパク質)の留滞(小胞体ストレス)による生じるが、百病は一気(鍼灸指圧ヒートショックプロテイン)の流注(小胞体ストレス応答)によって解消する」

なんて宣言もこれでここまで到達するのにかれこれ25年程の臨床実績と理論構築の血と汗流す積み重ねがあったうえでの提言ですので、こういう言葉には自分で言うのも何だけどかなり価値があるというか、これノーベル賞なんか要らないけどノーベル賞10のマイナス35乗個ほど頂いてもいいような発見だと自負しております、てへへ。

さて、どうもあんまり記事が爆発してきませんね(笑)まあ新生モデレート・ハリーっすからね。上品にいきましょう!

そうそうワタシがネット上で東洋医学の普及を始めたのはかれこれ2009年頃からなので、これですでに5年くらいはネット内を転々としながら鍼灸指圧の社会的地位の向上のためと、真の意味での養生法の普及のための情報発信を行ってきておりますから、けっこうここまではしぶとくそれなりに常にテンションを高く保って良質なコンテンツを提供してきたわけです。

最初はいかにして99%の日本国民に無視されている東洋医学を知ってもらうかという観点で、まずは適当な書籍と言ってもそのほとんどは超レアな絶版物件から文書を引用して、自分のコメントを付記するというスタイルで自分のキャラを売り出したのですが、

だいたい書籍の紹介や引用がひと通り済んでからは自分のメッセージを少しづつ出していきまして、そのうちにその掲示板ともお別れして、友人のサイトで継続して情報を発信していたのですが、それから少し経って3.11が勃発しまして、それからは内部被曝を防御するための情報発信に切り替えて今に至るというわけです。

実際にはあの福島第一原発の1号機が水蒸気爆発をする前から、いかにして内部被曝を防御するかの実践的なアドバイスを始めたのですから、今振り返っても東洋医学の医療人としてはあの瞬間からここまでの自分のネット活動は自分で自分を褒めてもいいレベルではあったと述懐する次第です。

中医学には「先に未だ邪を受けざるの地を安んずる」という素晴らしい言葉がございます。これ清代の名医であった葉天士の言葉だそうですが、邪気という病原が身体の中に侵入した際にその移行するルートを予測してあらかじめ次ぎに来訪する領域を強化して邪気を跳ね返す方策を講じることで、より早急に邪気を撃退せんとする心得を表現した言葉であります。

もしも事故原発に由来する放射性同位元素が雨風となって日本中に降り注いだらきっと人々の口や呼吸器を通して体内に放射性同位元素が侵入して、血行性に回ればやがて全身の細胞に到達してそこで放射能を放ち全身の健康は失われていくだろうと漠然と予想したからこそ、

先に天然のミネラルを摂取して細胞内をこの天然ミネラルで飽和して放射性ミネラルである放射性同位元素が取りこまれるのを防ぐ、という方策を提言できたのです。

まさに「先に未だ放射性ミネラルを受けざるの細胞地を天然ミネラルでガードして安んずる」という清代の名医の現代版がここにおいて完璧に復古しリボーンされたのです。

うちら鍼灸業界でこんなメッセージを3.11発生後8時間余で発した者が俺以外にいたかい?いまだに内部被曝なんかには関心がないものがほとんどだろ?

偉そうな事言っていても実際のリアルな現実に対処できなきゃあ存在意味は無いって、これも何度も言ってきたね。

そう中医学の古い言葉は決して色あせない素晴らしい言葉の宝庫なんだよね。そんなこれまでネタに出来なかった素晴らしい美麗な中医学の「真言」なんかを散りばめながら、特定秘密保護法施行前「フィナーレかも?」祭りシリーズを進めて参ります。

「気は人の根本なり」『難経・八難』

気合い充分、さてワープエンジン全開で飛ばしていきましょう!

2014.11.01 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

«  | ホーム |  »

プロフィール

kouhakudou

Author:kouhakudou
FC2ブログへようこそ!

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR