ソモモン 11

『 Q. そもそも医療というカテゴリーでは健康について語れないんじゃね?』



ええと、なんとなくネタがかぶってるように思うかもしれないけど、そのへん、あんまり気にしないでくださいね。このブログの路線というか、自分はネタがかぶっても別にいい派でありまして、

いやむしろ重大な案件は何度も何度も煮つめて、ロンダリングして、代謝して、消化して、細胞内にまでしみ込ませた方がいいので、そのつもりでよろしくお願い申しあげます。

ここんとこ少し厳しい口調で疑問を投げかけているのは、医者たちが書く健康本の内容についてなんだけど、曰く、体温を上げろ、一日一食、糖質制限、自律神経がすべて、脳より腸、免疫力を確保せよ、

まあよりどりみどり、ザラッと適当なことをよくもまあ並べたもんだね、と感心する次第ですが、

こういう健康本には、まず内部被曝から身を守るにはどうしたらいいのか?なんて記述はいっさい、まったく、断じて無くてね、反対に実は放射線を浴びせたマウスの免疫力が上がるデータがあるから、放射能はそんなに怖がらなくてイイ、

いやむしろ少しくらい放射能を浴びた方が健康にはもってこい、なる原発ムラの総本山であるアメリカ仕込みのあのインチキ学説、ホルミンシスなる珍説を持ち出して、

放射能をヨイショするトンデモ医者がけっこういてね、ホントにホント、超ビックリの世界だから、機会があったら本屋でそっと覗いてみてご覧よ。

まあ世も末だよね。本来は細胞生理学に精通しているはずの医者たちがさ、原発事故で放出された猛毒の核分裂性の人工放射性同位元素が呼吸や飲食を通じて体内に侵入した場合に、いったいどんな経路をたどり、

いったいどんな組織、臓器に濃縮し、細胞内のどんな生理機能を侵し、最終的にどんな疾患や症状が出現するのかを説明し、ではあらかじめ内部被曝の実相がそれだけわかっているのなら、

内部被曝による健康被害をいかにして未然に防ぐかの養生法を提言する立場にあるのが医者であり、すべての医療関係者であると自覚すべきなのに、

あろうことか、少しの放射能は身体にイイ、なんて有名な免疫学者のAとOは臆面もなく放言しちまってる。ったく、どうなってんだ?

医療ムラも原発ムラも同じ穴のムジナかい?

ということで、ほんと医者の書く健康本なんか、言っちゃあ悪いけどたいして役に立たないね。そりゃあ医療用語というか医学に関するテクニカルターム(専門用語)はよく知ってるから、随分と高尚でやんすね、と感心はしますけど、

でも、日常の手の内の未病治の養生という分野に関しては、まったく手薄であって、というか、ソモソモ日本の西洋医学、現代医学の祖はドイツ医学であり、

ドイツ医学ってのはいわゆる軍陣医学つまり戦争用の医学であったのであり、ようは鉄砲やミサイルでドンパチやってる中で手足が吹っ飛び、血しぶきの雨あられ、あるいは不衛生な戦地で感染症にならないために抗生剤を投与する、

そんな実に荒っぽい雑な環境で育まれたのがドイツ医学というか戦陣医学なんだから、基本的に西洋医学ってのは、救命救急、困ったときにお世話になる医学と思っておればよくて、

もっと丁寧でデリカシーに富んでいて、本質的にエコロジカルで人にも地球にも優しくて、日常生活に否応なく立ち上がってくる不定愁訴にいちいち応対できるようなきめ細かい養生医学となれば、これこそは鍼灸指圧の出番というわけなのです。

さて、本日の結論ですが、




『 A. ここでみっちりと医療とは、健康とは、を語り尽くしますので、ご期待ください! 』

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2014.04.30 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

ソモモン 10

『 A. そもそも身体(からだ)は日頃から「お手入れ」をしてナンボなんだけど・ 』




人間ドッグなんて珍語が存在するのは世界を見渡しても、ここ日本国だけであり、その珍なる語の後にさらに学会までついた人間ドッグ学会なる組織が、

何でも血圧の基準値を130から140いくつという、また微妙な数値だけど、とにかく高血圧のボーダーラインを今までよりも上げると発表して、今や医薬産業や医学界が騒然となっていると、

スーパーの本棚に並んだ雑誌で仕入れたネタで恐縮ですが、そんな風な事態が起こっているらしいっすね?

で、高血圧患者に認定されて降圧剤を処方されて3割負担でそのクスリを買って、今の今までずっと飲んでいたマジメな患者たちが、今回の基準値を緩める措置に対して猛烈に反発し、怒っていて、

別に飲まなくてもいいのに降圧剤を飲まされてたのかよ、バカヤロー!だって、

それで、また製薬業界は製薬業界で兆円単位の利益があがっていた降圧剤市場が縮小してしまうのが惜しくて、だからブツブツと文句を言ってるんだけど、

後は医者たちも意見が二分していて、まあ正論は年寄りで200超えが当たり前だった者も元気に過ごして90歳過ぎまで普通に暮らして大往生してるから、

本来は高血圧なんか別にそんなに気にしなくてもいい、欧米は今回の140余のボーダーよりもさらに緩いし派から、

いやいや腎不全や心疾患、脳梗塞、動脈硬化などの隠れた病気の指標になるから、やっぱり高血圧は危険であり、基準値を緩めるのはいかがなものか派まであり、

いよいよ物議を醸して騒動繁盛しているとのこと。

まっ、血圧は上がったり下がったりするのは当たり前で、立位(りつい)でいると重力で血液は自然に身体下部に集まってしまい、身体上部へと血液が供給されないと困るから必然的に血圧は上がってきて、立位130だか120はそれこそ本当の意味での基準値で、

座位(ざい)、つまり座っていると重力負荷は幾らか減殺されるから確か110に下がって、

水平位(すいへいい)というとようは寝ている状態で、寝ていると心臓血圧は90にまで下がってきて、これは常に一定の血圧で血液が回っている脳内血圧と同じ値であり、

実は身体を横たえて寝るという行為がもっとも心臓や血管に、血圧の負担が少ない体位ということになり、

むかしから「骨休め」なる言葉がある通り、重力負荷が常にかかり続ける関節をいたわり、血圧を下げて心臓や血管を休めるのにもっともイイ姿勢とは、ただ「寝る」というポジションだったりするのです。

血圧が上がってきたら、それは単に、動きすぎ、働き過ぎ、立ちっぱなしで、寝(ね)が足りないというか、休息が不足しているということのアカシなのかもしれません。

それで歳を取ると、どうしても身体はお手入れをしなければ堅くなってくるから、40歳の坂、アラフォーを越えたら、まめにお身体をお手入れして、血管壁の中壁の筋肉を柔軟にして、血管すべてを柔らかく保つなんていう叡智は、本来は必須というか常識なんであって、

これがつまりは養生(ようじょう、ようせい)、いのちをやしなう、いのちのお手入れ、なんであって、しかし、こうした常識すら医者たちが書く健康本にはまず記載されていないから、

だからこそ、私はそんな内容の健康本を真っ向から、フ・ン・パ・ン・モ・ノ、と声を大にして、ぶった斬るというわけなのです。

俺のバッチャンは80歳を過ぎてから週2回の鍼灸指圧治療を継続して、降圧剤と手を切って健やかに過ごし認知症にもならずに、先日98歳で大往生を遂げた。

いかに日頃からヒートショックプロテインを分泌する鍼灸指圧による身体のお手入れが大事かを、我がバッチャンは身をもって示してくれた。

お骨を拾ったけど、コラーゲン繊維がヒートショックプロテインHSP47によって修復され続けたお陰で、ほんとしっかりと形がそのままわかる骨がいくつも拾えて、焼き場のお骨係の人もビックリしてた。

人間ドッグなんかどうでもいいからさ、日本の伝統医療である鍼灸指圧で「お身体をお手入れ」すれば、高血圧も骨多孔症も癌も認知症も未然に防げるかもよ。

ほい、そいじゃあ、本日の結論は、





『 A. 脚下照顧(きゃっかしょうこ)、汝の足元にある伝統医療、鍼灸指圧にもっと目を向けよ! 』

2014.04.29 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

ソモモン 9

『 Q. そもそも医者や鍼灸師は健康学に関するプロフェッショナルではないのだから、・・・ 』




ほんとソモソモの根本的な誤解というのが、ここにあるわけっすよ。いいですかね?

医者や鍼灸師は医学をしっかりと学んで、病理学や解剖学や生理学には精通しているかもしれないけど、

ではいったいどうしたらヒトは健康でいられるのか?という養生の究極的な命題にちゃんと答えられるような素養が医学教育の過程で身についたわけでは毛頭ないのです。

そう、健康になる方法なんか医者も鍼灸師もこれっぽっちも知りっこないよ!

こんな実話があります。自分の治療院の常連さんの高齢の母親が免疫力が低下した際に風邪をひいて、どうも風邪を発症した菌が脊髄にまで入りこみ、入院するはめに陥ってしまった。

抗生剤を投与して菌の力が抑制されて、さて退院という時に母親の身を案じた娘は担当医に

「先生、うちの母がまた風邪をひいて脊髄に菌が入ったりしないためには、これからどんなものを食べて、どんな生活を心がけたらいいでしょうか?」と至極真っ当な質問をぶつけたら、返ってきた答えが、

「そんなことが私にわかるわけがない。もしもその答えがわかれば私も知りたい」

で、質問をしたウチの常連さんは、ほんとビックリして、口アングリで、

「素人のわたしだって免疫力を維持するためには、体温を低下させない生活を心がけて、ショウガとか薬味をよく食べたほうがいい、くらい知ってるのに、それをあろうことか医学の専門家であるはずの医者が『そんなことを知ってれば自分が知りたい』なんて平気で患者側に向かって言うんだから」

と鍼灸師である私に向かって憤慨しながら力説したのです。でね、俺もいよいよ世も末じゃ!と思った矢先に、

「いやいや、でもね、そんなもんかもしれないよ、だって医者は別に健康になるための知識も技術も医学教育の過程でまったく教わっていないし、それはうちら鍼灸師も一緒でね、ようは病気や症状の判別とそれへの処置法を学ぶのが医学というものであって、あれは健康学ではないから」

なんてやりとりをして、ここにソモソモの大いなる誤解「ソモモン9」が存在する事に気がついたというわけなのです。

つまり、はっきり言えばこの世にはヒトを健康に導くスペシャリストは存在しないのです。

だからこそ、ここにおいて、健康ハウツー本の百花繚乱、とってつけたにわか仕込みの付け焼き刃の養生法の知識でいっぱしの口をきくインチキ健康おたくの大量増殖、あれが身体にイイだの、これは身体に悪いだのという「あるある大辞典で試してガッテンおもいっきりテレビ」な種々雑多な健康情報の雨あられという、養生法の探求カオス状態が巻き起こっているというわけなのです。

医者が健康本を書いてるけど、言っちゃあ悪いけど、そのほとんどは噴飯物、

フ・ン・パ・ン・モ・ノでしょ?

曰く、自律神経を整えろ、血管年齢を若く保て、頑張らなくていい、糖質を制限せよ、一日一食でイイ、・・・。

こんなのホントに本気でマジで言ってるのかね?

で、また読んだ一般人がいちいちそれを真似たり、ヨイショしたり、コピペして吹聴してまるで自分が編み出した説のようにひとさまに講釈を垂れ、あるいは真(ま)に受けて実践しちゃったりして、

おいおい、糖質制限したり、一日一食なんてやった日には、それこそ腹が減りすぎてブドウ糖が全細胞に回らなくて、血糖値が低下し過ぎて、ATP産生が止まって、ぶっ倒れる者が続出しても不思議じゃあないよ。

でも、そんな話しもチラホラは聞くけど、それほど世間を騒がす大事件にまで発展していないところを見ると、やっぱ、みんな腹が減れば、メシをたらふく喰うし、一日三食しっかり食べてるんでしょうね。

それでイイんだよ!

自分の身体の声に素直にしたがう、これぞ、養生の王道!

アホな健康指南本がこれだけ発刊されても、健康な者が増えて、病人が減ったことが今までにあったかい?

だからね、ヒトは60億人いれば60億人の個性があって、ほんとにひとりひとり細胞の質は違うわけよ。

それだからさ、万人に適用できる健康術なんてものは絶対にないわけ。断じてないの!

正論めいた細胞生理学から説くガン予防法は、俺も何度も言ってるミトコンドリアの活性化ではあるけど、だからといって、それじゃあ、自分自身のミトコンドリアをどうやって活性化するのか?という現実の問題になると、

それはもう自分自身でトライアル&エラー、いろいろ試して失敗を繰り返しながら、自分の身体でつかんでいくしかないわけよ。

ようは自分の身体のプロフェッショナルは自分自身であり、自分が健康になるためには自分自身が自分自身健康法のスペシャリストになるしかない。

自分が健康になるために誰か他人の知識を借りることなどできないし、他人を頼るのはそれこそインチキ養生指南番の思うツボで、胡散臭いサプリメントを買わされるか、わけのわからん器具を売りつけられるのが関の山。

必死こいてさ、自分で自分に合う養生法を見つけて、実践していく。それっきゃないの!

医者も鍼灸師も困った時には少しは役に立つかもしれないけど、日常の手の内の養生はあくまで自分自身の問題。

少しはわかった?

この世には医学はあっても、真の意味での養生学は今までなかったというわけ。

あっ、江戸期にはかなりたくさんの養生書が発刊されていて、病院もなくて、医者も少なかったけど、人々は健やかに暮らしていたから、日本の江戸期は養生のユートピアだったようだね。

国保がパンクするだの、介護保険料がどうのこうの。

こういうくだらない医療経済学の問題を侃々諤々(かんかんがくがく)する前に国民がやるべき事は、

自分の身体の主(ぬし)は自分であると悟り、必死になって自分の身心にあった養生法を自分で編み出して、それを実践し、病気や症状を未然に防ぐ未病治の養生法を自分の手の内に体得するということに尽きますな。

で、今日の結論は、





『 A. 自分の身体は自分で守りましょう 』

2014.04.28 | | コメント(1) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

ソモモン 8

『 Q. そもそもなんでこんなブログをやってるのかっていうとね、・・・ 』




いやさ、ほんと時々無性に腹立たしくなるというか、情けなくなるというか、惨めな気分というか、虚無感というのか、だってここは日本って国でさ、

それで日本という国で今まで連綿と先人から受け継がれてきた伝統医学をね、こうして日々実践し、人々とその医術をもって交流していてもさ、

この国の民の目には、いまだに西洋医学がキラキラと輝いて見えるようなマインドコントロールが仕掛けられて、その替わりに東洋医学はどうにもこうにも古くさい胡散臭い医学と思わされていて、

それで何かにつけて「鍼は何で効くのか?」といささか小馬鹿にしたような質問をぶつける者が本当に多数いるんですね。

アンタ、ひとを舐めるのもいい加減にせい!

そんじゃあさ、医者に向かって同じ口調で「ガン患者に、DNAを木っ端微塵に破壊する猛毒の抗ガン剤を投与したり、DNAをぶった切る放射線を浴びせてるけど、そんなんで何でガン治療と言えるのか?」

って、聞く?聞かないでしょ?普通は。お医者様だもんね。二重敬語だよ、まったく!

あっ、俺ってひねくれてる?まあ、いいや。ひねくれるのも無理ないよ、ほんと。

白い巨塔の影に隠れて俺たち鍼灸師が味わっているミジメな気分ってのは、恐らくはほとんどの一般人は知らないと思う。

俺のはらわたの中に溜まったドロドロしたものを、ここにそのまま吐き出したら、ちょっとグロテスクでえげつない言葉を乱発しそうで、

幾ばくか品性を保ちたいと秘密保護法施行を機に修正した本ブログの文調が、またかなりおかしくなっちまうから、

ちっとそれは避けたいんだけど、本当はそういうモロモロを吐き出していってもいい時期なのかも、なんて思いだしている。

ブログってのはソモソモそういうものかもしれないしね。

医療がどうの、健康がどうの、西洋医学がどうの、東洋医学がどうの、って言ってもさ、まず日本の医療がいったいどういう経過をたどってここまで来たのかすら、ほとんどの者は知らない。

自分が常に思うのは、ようは学校教育の歴史科目でまったく医療について教えてないでしょ?

このへんが鍼灸指圧に対する偏見誤謬の原因じゃないのかね。

自分は少なくとも学校では、杉田玄白は教わったけど、山脇東洋は教わらなかったからね。

とにかく無知なくせに偉そうな事を抜かす御仁が多すぎるとちゃう?

これもまた学校教育の弊害かもしんないね。

学校さえ出れば、それでオッケーみたいな。

まあ別に俺はまったくそんなたいそうな知識人じゃない事は百も承知だけど、こと医療とくに東洋医学、鍼灸指圧に関しては普通のひとよりは、少しは知識も多いだろうから、

今後もあんまりそのへんのツボ本には書かれていないような、レアで立派なネタを取り上げていきます。

鍼灸師の資格もないようなヘンチクリンな野郎が書いたツボ本が、20万部のベストセラーとかってあり得ないでしょ!

つうことで、本日の結論は、





『 A. 伝えたい事が山ほどあるから、こんなブログやってます 』

2014.04.27 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

ソモモン 7

『 Q. そもそも医学が発達したっていうけど病人は減らないで、むしろ増え続けているのは、おかしくね? 』



前記事では灸術の伝家の宝刀「一発灸」についてほんの少し触れてみたんだけど、もちろん「ものもらい」だけでなく、腰痛、四十肩、口内炎、頭痛、高血圧、喘息、風邪の際のノドの痛み、虫垂炎(盲腸)などにも、それぞれ特別なツボを利用した「一発灸」治療が連綿として古代より継承されてきておりますが、

もはや西洋現代医学全盛の時代を迎えまして、このような素晴らしい叡智を活かした灸術の腕を見せる場がなくなって、恐らくは「一発灸」治療もまた東洋医学の衰退と共に絶滅していくと思われます。

とはいえ、アタシはしぶとくオウム貝の如くに灸術を続けていきますがね。例えば目がぼんやりして視界が曇っている時には、親指と人差し指の又にある合谷(ごうこく)、肘にある曲池(きょくち)、膝下のスネにある足三里(あしさんり)なんていうごくごく普通のメジャーなツボに、

灸点紙の上から軽くひねったモグサ三壮に火をつけてすえると、即座に視界がクリーンにプッチーニ作「ある晴れた日に」になって、あらま、世の中ずいぶんと明るくなったねぇ〜!みたいな世界を味わえるってのは、こりゃあ灸術冥利ってなもんでね。

まあ、こんな素晴らしい灸治療が、熱いだの、痕が残るだの、野蛮だの、非科学的だの、皮膚にヤケドを負わせて何の意味があるんだい?なる偏見と誤謬に満ちたイメージで捉えられてしまっているのは、

そりゃあアンタ、GHQ以来のプレスコードだか何だか知らないけど、ようは明治維新からこっちの西洋近代文明を崇拝させて、日本人が日本の伝統文化に誇りを持たせないようにするための策謀であり、洗脳であり、マインドコントロールなわけで、

はやいはなしが、キョウビの日本人は自国の伝統医学の記憶をスッポリと大脳の長期記憶を担う海馬から失った、いや奪われた「日本医道史記憶喪失者」ばかりだから、

こんなアウェーな状況じゃあ、何を言っても始まらないんだけど、それでも、たったひとりでも不肖ハリィ〜がこうして日本の伝統医学の素晴らしさを訴えていこうじゃあ〜りませんか!

あのね、本来は医学なんざすべて宮廷医学というか、基本的に時の権力者や金持ちしか利用できなかったのが医学というものだったんだけど、それは日本においても同じだったわけで、

聖徳太子の時代には今で言う官僚制度の中に医療も組み込まれていて、当時の最新医学はその制度の中で培われて、結局は貴族のための医療だったのでしょうが、

やがて戦国時代を迎え、戦場で刀傷を受け、矢尻でつらぬかれ、骨が砕け、スジや筋肉が裂かれ、腸が露出し、頭蓋骨がかち割られ、血しぶきの雨あられ、というとてつもない現場から、

日本独自の医術として金創医(金瘡医)という専門分化が生まれ、この金創医学がのちにわが国の産婦人科や外科の基礎となり、戦争のない江戸期を迎えると鍼灸術がようやく華開く時代を迎え、

「奥の細道」に出向く松尾芭蕉は足三里にまず灸治療をしてから旅に出立したし、吉原の花魁(おいらん)は二の腕に墨で刻んだ惚れた男の名前を、その男と別れたあとに灸の火でその文字を消すまでに灸治療が一般化したのです。

本来は宮廷人しか味わえなかった大陸の最先端医学であった鍼灸指圧術は、日本に伝来してわずか1400年ほどで、長屋の八公、熊公が普通に「あっちっち、あ〜気持ちい〜!」というまで、庶民レベルにあいなりましたとさ。

だから日本の灸治療ってのはモノスゴク世界的にみても貴重でね、お隣の中国では、日本みたいに庶民レベルにまで灸治療は一般化しなかったんだからね。

その貴い日本の灸火ももはや風前の灯火でさ、消える寸前だよ。

灸治療っていっても、別にヤケドなんかできないよ。なんかみんな誤解してるみたいだけど、今は灸点紙なる灸熱緩和シールも開発されていて、その上に米粒大にひねったモグサをのせて、線香で火をつけると、

スーッと火が円錐形のモグサの上から下に通じて「アチッ」と熱感が伝われば、はい1壮!で3壮の熱が通じれば、そのツボへの灸治療は終了で、ヤケドなんかできないし、で、次のツボへゴー!で、

直(ちょく)で皮膚ケラチノサイトに熱を伝えてヒートショックプロテイン分泌を促す直接灸(ちょくせつきゅう)はこんな感じで今風にモダンになってるし、

直接焼かない間接灸の温灸になると、もう温灸器からの棒灸の輻射熱だから、これは部分的な温泉状態でほんとに心地よくて、ほとんどの患者さんは治療中に寝てしまう。

現代医学は周辺医療機器の進歩のお陰で発展してるように見えるけど、灸治療だって、それなりに現代風に進化してるんだよ。

江戸期に庶民レベルの手の内におさまった灸治療は、よく江戸期の人々の疾病を予防し、養生の助けとなり、病院などない時代の未病治の医療として大いに役立ったことでしょう。

日本の江戸期の灸治療は、1980年代にイワン・イリイチが提唱した「脱病院化社会」のモデルであり、その具現化であったのです。

果たして医学は発達しているのだろうか?




『 A. 手の内の医療は明治維新後の日本において、明らかに衰退した 』

2014.04.26 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

ソモモン 6

『 Q. そもそも東洋医学の素晴らしさって、どのへんにあるの? 』



まあ東洋医学とひとくちに言ってしまうと少し大きなカテゴリーなので、話しを絞って手の内の鍼灸指圧領域に集約すると、例えばいわゆる「ものもらい」専門用語では「麦粒腫(ばくりゅうしゅ)」とも言いますが、

目に痒(かゆ)みと痛みが来て、なんか目の縁(ふち)が赤くなってきて、目ヤニがたくさん出て来て、そのうち目が腫れあがって別人のような顔貌になってくる、あの一連の目の症状は、

細菌感染が原因として今では眼科に伺うと即座に抗生剤入りの目薬を処方されて、それを点眼すればまあだいたい数日を経て目の症状は沈静化して解消されるんだけど、

こんな便利な抗生剤入りの目薬がまだ開発されていなかった、ここ2000年の東洋医学においては目の疾患であれ、歯の痛みであれ、口内炎であれ、頭痛であれ、こういう一見するとたいしたことのないような症状だけど、いったん発症するとけっこう治すのに苦労して、

また口内炎なんか何を食べても浸みて痛いの何の、そりゃあツライもんだし、頭痛が続くと生きているのもせつなくて「首から上を取ってしまいたい」とのたまった患者さんもいますし、歯の痛みもね、歯医者で診てもどうにもならない歯茎の根っこがうずくようなのはね、これまた難儀なものでね、

こういうメジャーな病名が付かないマイナーな不定愁訴のたぐいを治すという時に、実は鍼灸指圧術は絶大な威力を発揮するのです。

「一発灸」とは「いっぱつきゅう」と読みますが、読んで字の如く、ようはお灸をすると即座に一発で症状が解消されてしまう灸術が「一発灸」ということで、

ああ、目やにが出て来て目がおかしいわ、と相成りました私の連れ合いは、ソッコーで目医者に行って抗生剤入りの目薬をもらい、点眼したのですが、あろうことか悪くなった目に点眼したら、良かった方の目にまで「ものもらい」の症状が出て来て、目が腫れてしまい大層気の毒な状態になってしまいました。

さて、ここでおもむろにハリィ〜が参上し、「ものもらいに効く一発灸を試してみる?」で「やって」となり、手の人差し指にある二間(じかん)というツボに灸点紙のうえから三壮(さんそう・モグサひとひねりを一壮と数える習わし)、両手に施すと、「あら不思議!なんだか目がスッキリしたわ!」となり、

翌日も、その次の日も同じ箇所に点火して、とてもスムースな経過をその後はたどり、完治したのでございます。

まあ、これをね、そりゃあちょうど、目薬が効いてくる時期と重なったからだよ、とかイチャモンをつけたい御仁が多数おられる事は充分承知しておりますが、例えプラシーボ(偽薬効果)が多少は効を奏したとしても、現実に治ればいいわけでね。

もっと言うと、自分自身の体験として「ものもらい」になりかけの時に、二間の一発灸で今までに何度も未病の段階で治してきた実績があります。

ほれ西洋医学全盛の時代にはね、そうそうこちらが全面に出るわけにもいかないじゃん。だからコソッと後からね、伝家の宝刀をちらつかせてさ、だんだん脱洗脳をしていくってことで。

いや、しかし、「二間のモノモライ一発灸」ってのは歴史があってね、本当に即効で治っちまうんだよ!

ただね、眼科疾患が人差し指の第2関節の内側に灸して治る、なんてのは現代人には理解しかねるから、今じゃあこんな叡智もほとんどの者が知らないという時代を迎えてしまったんだけどね、

その昔は抗生物質なんかなかったから、こんな一発灸治療が本当に重宝されたんだよね。

ようはヒートショックプロテインが仲介役になって、免疫細胞が活性化してNK細胞やマクロファージやT細胞の貪食能力が上がって、目の縁にウヨウヨと増殖していた病原菌が食べられてしまって治っていくというメカニズムが一発灸治療では発動しているから、別に荒唐無稽なプラシーボ全開のイカサマ治療ってわけでは毛頭ないんだけど。

まあ、こういう分子レベルの分析はさておき、一発灸の気持ちよさは経験してみないことには、話しがはじまらない。

で、本日の結論は、




『 A. 鍼灸指圧の素晴らしさは実際に味わってなんぼです』

2014.04.25 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

ソモモン 5

『 Q. そもそもストレスって身体に悪いのだろうか? 』



今やストレス時代であり、心理的なストレスのみならず、化学的ストレスや物理的ストレスなど、あらゆるストレスに囲まれて生活しているのが現代人であり、

3.11後は特に物理的な重金属毒性と化学的な酸化毒性を兼ねた猛毒である放射性同位元素が大規模に拡散される様相を呈し、

この放射性同位元素による内部被曝ストレスに対抗して生きていかねばならない、まことに過酷なストレスフルライフが続いているわけです。

ではありますが、原生代と呼ばれるまだ生命体の痕跡が化石からあまり見つからない今から23億年前と7億年前と6億5000万年前には、地球全土が氷結して氷の惑星スノーボールアースになった事もあって、

そのような極限の環境ストレスの中でも原始バクテリアはなんとか生き延びて、次なる生命が躍動する顕生代へと地球生命種は分化発展していった生命史があるわけで、

さらにこの全球凍結の氷が溶け出すと酸素が大量に放出されて、酸素は嫌気性バクテリアにとっては猛毒であったので、そこで酸素により嫌気性バクテリアも大量絶滅したが、酸素を利用できる光合成細菌が誕生して、

さらに嫌気性バクテリアと好気性光合成バクテリアのハイブリッド種が生まれて、このハイブリッド種である真核生物ユーカリアの5億4100万年前に始まるカンブリア爆発をもって、地球生命種は飛躍的に動きのある生命体に進化し、

ついに新生代も後期になりおごれるホモサピエンスが登場し、アホな原発文明を生みだして原発事故を引き起こし、今や瀕死の惑星スローデスボールを招来するに及んでいるのである。

極寒、無酸素、有酸素、二酸化炭素濃度の上昇に伴う温室効果、隕石の衝突による酸性雨、氷河期、原発事故や核による放射能汚染。

地球生命種はこれまでの38億年間にわたり、ずっとあらゆる物理的、化学的なストレスに対抗して生き延びてきた。

ストレスによって傷ついたタンパク分子を修復するヒートショックプロテインなるタンパク質はすでにDNAセントラルドグマによって産生できるまでに進化している。

ストレスがそんなに身体に悪けりゃあ、とっくに地球生命種は絶滅してますな。

で、結論は、



『 A. ストレス込みの地球ライフ、もう少しのんきに楽しみましょう! 』

2014.04.24 | | コメント(3) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

ソモモン 4

『 Q. そもそも食べて身体にイイものとか悪いものとか色々言われてるんだけど、本当のところはどうなの? 』



STAP細胞がらみで、話しをつなげていくけど、このリンパ球に分化していた細胞が初期化して、またもとの幹細胞に脱分化するという現象は実際の生体内においては創傷治癒のプロセスでよく起こる現象なのです。

つまり外傷やらコレステロールの沈着やらが原因でうっかり皮膚や血管壁に穴が開いてしまった場合においては、即座に修復機序が発動され、血小板が集まってまず止血して、マクロファージなどの免疫細胞が集まって細菌感染をガードして、幹細胞が皮膚細胞や血管壁細胞に変化して穴を埋めて修復する。

ザックリ言うとこんな感じのプロセスで常に傷口は自然治癒できるんだけど、筋肉や皮膚や骨が傷ついた場合にはちゃんとその部位に控えていた幹細胞が次々にその部位の細胞に分化していくんだけど、

あらかじめ幹細胞が用意されていない部位では恐らくはSTAP細胞化のような現象が起こって、たまたまそこに居合わせた免疫細胞が幹細胞に脱分化して幹細胞に変化して利用されたりしていると予測できます。

まあこういったわけでインビトロ(試験管内)では弱酸性の溶液にリンパ球を浸すと起こるSTAP細胞化は、インビボ(生体内)においてはごく普通に傷ができた際に分泌されるβエンドルフィンや一酸化窒素や炎症性サイトカインや発熱性サイトカインのプロスタグランジンなどのシグナル分子(リガンド)が起点になり様々な部位で万能細胞が発生するのであろうと、

私の脳内実験室における思索的な親試実験、略してインブレラボにおいて想定しております。

さて冒頭のソモモンに立ち返りますと、つまり今回のSTAP細胞化の起動因子はつまり酸性の刺激なのですが、これってようは酸ってのはタンパク質を変性させる生体にとってのストレッサーということであるとは前回のソモモン3ですでに記述済みです。

生体にとっての危機的な状況であるストレス環境に曝された事で既にリンパ球に分化していた細胞がビックリしてストレス対応で脱分化して初期化された。

なぜ初期化して万能細胞に変化したのか?というと、これはつまりはそうやって万能細胞に変わることで酸性環境にさらされて機能が廃絶して死んでしまう細胞が出てくるので、それに備えての対応なのではなかろうか、というのがまたまた私のインブレラボが導き出した推論です。

だから例えば42℃越えの高温や、トウガラシの辛味成分カプサイシン、脳内モルヒネホルモンなどを受容するレセプターのバニロイドレセプターVR1が受容する特異刺激とは、つまりは細胞にとっての危機的シグナルというわけで、

脳内モルヒネのβエンドルフィンが分泌されている状況はだいたいにおいて傷などができて痛みが発生した際にその痛みを抑制する機序で鎮痛ホルモンであるβエンドルフィンが分泌されているというわけで、

かいつまんで申せばバニロイドレセプターを介した細胞のストレス対応においてSTAP細胞化が起こっている、なるチャートがインブレラボにおける黒板に描かれつつあります。

身体にイイものが実はそれほど良くもなく、身体に悪いものが逆に細胞をストレス刺激しSTAP細胞化を引き起こす、という事もなきにしもあらずであり、

つまり捻挫をして足首をくじいたウチの治療院の常連さんなどは、酸っぱいものをたくさん食べた方がいいかしら?とインビボの判断で血流を促進し、酸味を加えてSTAP細胞化を実現して即効自然治癒を実現しました。

もちろん鍼灸治療も加味してね。

で、結論は、



『 A. ひとことで言えば身体にイイものとか悪いものとか、そんな簡単に言えません 』

2014.04.23 | | コメント(5) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

ソモモン 3

『 Q. そもそもSTAP細胞仮説にはどんな意味があるのか? 』



このSTAP細胞発見のニュースはまったく突然に、先の小泉細川アンチヌーク旋風吹き荒れる東京都知事選の真っ最中に当ててスクープされたある意味、都民や日本中の人々の目を脱原発路線から逸らす目くらまし的な扱いで登場したわけで、

いまもってSTAP細胞の真贋論争で騒動繁盛していられるところをみると、原発推進勢力にとっては充分にそのショックドクトリンな目的を果たし得た非常においしいネタだったということになろう。

さて、そんな目的が本当にあったかどうかは別として、わたし的にはこのSTAP細胞発見のニュースで最初にどこの部分に惹かれたかというと、

ようは弱酸性という細胞膜タンパク質を変性させるストレス刺激に反応してリンパ球の初期化が惹起されるという部分にとても興味を抱いたというわけです。

酸という刺激はようはタンパク質を変性させるストレッサーの一種であり、それ以外にもタンパク質を変性させるストレッサーは多く、圧力や高温もそうだし、植物の香り成分であるフィトンチッドもまたタンパク質を変性させるだろうし、

例えばトウガラシの辛味成分であるカプサイシンはあの実の中にあるタネを守るためにタネの付近に辛味成分を用意して、それでもってウイルスや病原菌やトリやムシたちにタネが侵蝕されたり食べられたりしないようにしているのだが、

やはりカプサイシンにもタンパク質を変性させる作用があると推測できる。

これらタンパク質を変性させるストレッサーは結果として、細胞核DNAをエピジェネティックに刺激してセントラルドグマを起動して、変性したタンパク質を修復するためのヒートショックプロテイン分泌を加速させると思われる。

それゆえにある意味では酸味や辛味のある食材を摂取する事は内なる名医であるヒートショックプロテイン分泌を促し、自然治癒を促進すると言えるのである。

STAP細胞仮説とは、酸というタンパク質変性を起こすストレス刺激が細胞膜レセプターVR1に受容されることで起こる一連の自然治癒プロセスの一環を意味するのであり、

つまりはタンパク質変性を修復する立役者のヒートショックプロテインの仲介なくば細胞の初期化は起こらないのであり、STAP細胞化の影の主役は実はヒートショックプロテインなのでは?というのが私流のSTAP細胞仮説と言える。

で、結論は、



『 A. ひとことで言えばSTAP細胞仮説にはやはりとんでもない可能性がある 』

2014.04.21 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

ソモモン 2

そもそも人類の医療の原点とは何だったのだろうか?

野生のサルは病気になった仲間がいるとその病気のサルのために健胃整腸作用のある生薬オウレンの根を掘り採ってくるというし、

アフリカのチンパンジーも具合が悪くなると普段は目もくれない特別な葉をとってきて、それをまるで強心剤のニトロ錠の如くに噛まずに呑み込むと言うし、

グルーミングと呼ばれるノミ取り行為がマッサージの原点ではなかろうか、とも言われている。

お猿さんの時代にすでに医療らしい行為が行われていたとするのなら、人類と医療の関わりは我々が想像するよりもはるかに古いと言えるのかもしれない。

一般には東洋医学が文字をもって体系化されたのは中国は前漢時代と言われており、だいたい2200年前くらいに「素門、霊枢」なる鍼灸医学のバイブルができたとされている。

気(き)や経絡(けいらく)という概念を用いる医学の教科書が出来上がり、今現在に至るまでテキストはそれほど検定されず、ほぼそのままで使用されてきた。

それがいいか悪いかは別として、では、中国古代の医師であった鍼医や漢方医たちは、いったい気や経絡という用語で私たちに何を伝えようとしたのだろうか?

ひとことで言えば、彼らはヒトの「生命力」を気や経絡という言葉で表現したと、わたしは解釈している。

だからそれは実体というよりも感覚であり、物質というよりも機能であり、だからこそ死体解剖にはほとんど興味を示さず、それゆえに解剖学は東洋医学では発達を見なかったのだ。

そこにある生身の身心をそのまま扱うからこそ、低下した生命力をどうにか賦活させる事に全力を注いだからこそ発展した医学が東洋医学であった。

東洋医学とはひと言で言えば「バイブレーショナル・メディスン」なのだ。

DNAのセントラルドグマな機能により細胞生理が正常に営まれている事がわかる時代になっても、iPS細胞やES細胞やSTAP細胞が再生医療の切り札と盛んに喧伝されるご時世になろうと、

腰痛や肩こりをいかにして解消するかという問題は、今後もまったく変わりなく重要な問題であり続けるだろう。

何よりもまずは日常の養生に役立つかどうかで医療の質は問われるべきである、というのがわたしの持論である。

どこか遠いDNA操作の世界よりも、身近な四十肩の一発即効治療の方が世のため人のため自分のためになる、というのはわたしの常連の患者さんの感慨である。

養生とは毎日毎時毎瞬の生命力活性化にある。

2014.04.19 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

ソモモン

STAP細胞の真贋論争がかまびすしいのであるが、ようは西洋医学の行き着くところは、どこまでいっても人間機械論の域なのであり、その究極が人体を構成する細胞をいじくりまわすという事であり、

細胞生理を起動する細胞核DNAのセントラルドグマまで操作して万能細胞を生みだし、それは実は神をも恐れぬ行為なのであるが、そのセントラルドグマな「先天の気」を冒瀆する真摯な学究精神が、

果たして人類の医療に貢献するかどうかは、まだまったく誰にもわからないのである。

人体の臓器をパーツと見なし、古くなってつぶれてしまったり、壊れてしまった臓器を他人の新品の臓器と取り替える臓器移植が現実化しているアメリカにおいて、

ドナー(臓器提供者)の人格までがレシピエント(臓器受給者)に移植されてしまい、臓器移植後にレシピエントの性格が激変する事態が頻繁に起こっている。

中年のレシピエントは子供の臓器を移植されたので、急に野球キャップをかぶるようになり、食べ物も子供が好むようなものばかり食べるようになったという。

試験管内で培養された後に生み出される臓器や組織にはいったいどんな人格が宿っているのだろうか?

あるいは自分の細胞を使用して生み出した臓器や組織なら何も問題ないのだろうか?

万能細胞が癌化するリスクが懸念されているが、万能細胞中のミトコンドリアの機能不全が万能細胞の癌化の原因なのかもしれない。

試験管内で量産されるミトコンドリアに果たして本来の「先天の気(原気、元気、真気)」であるところのATP産生能力が期待できるのか?

もしも本来のATP産生能力が無ければ、万能細胞は解糖系を駆使してATPを生み出すだろう。これがまさに癌化なのだ。

人間が手を出していい領域は実は非常に限られているはずである。

科学は今や新興宗教の如く崇められ、まるでカルト宗教の如く他の思想をも排斥する力を示しつつある。

しかし、科学の暴走が結果として原発事故を引き起こし、膨大な放射性同位元素の大規模拡散を招いた事はつい最近の出来事なのだ。

STAP細胞論争に欠けているものは、そもそも本当にそんな事をしていいのかという倫理の問題である。

そもそも問答、略してソモモン。

クマモンに対抗するキャッチフレーズをタイトルに、ひとつ諸々を記事にしたためます。

2014.04.18 | | コメント(4) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

ファイティング スピリット 5

先日、3月末の休診日の日月を利用して岐阜へ一泊二日の家族旅行に出掛けた事は、このシリーズの冒頭の浜名湖畔の回想シーンで触れ、アンモナイト化石を持ち出して何度かここまで旅がらみの情報を持ち出した。

本当は旅日記を写真入りで書いたら普通のブログっぽくていいんだけど、いちおう養生法の探求ってことでやっとるブログなんで、それなりのコンテンツを心がけてはいます。

実はその旅の前日になんと岐阜は金華山のふもとから初めての患者さんが治療院に来て下さるという、なんともシンクロニシティーな事件がありました。

電話口で「ちょっと地方からそちらへ向かいますけど、いいですか?」と仰ったので「えっと、お住まいはどちらですか?」と聞き返したら「岐阜です」で「車で2時間少しだから、全然大丈夫です」との力強い宣言で、

岡崎の渋滞をなんとかやり過ごし、予約時間の午前11時にピッタリ間に合って遠路はるばる我が治療院に来院して下さいました。

代替医療はほとんど経験済みだけど、どこも、もうひとつしっくりこない。

それで、私のブログを読んで、こんな事を書いてるものが、ひとつどんな感じの人間か見たかったのと、こんな内容のブログを書いている者の治療とはどんな感じが体験したくて、わざわざ2時間40分も高速を車を飛ばしてみえてくれました。

少し問診して、まだ未経験の術が効果的と判断し、温灸と指圧をさせて頂きました。手応えはわたし的には良かったです。

治療もクライマックスを過ぎて、はや終盤にさしかかり、お互いの気が溶け合う瞬間に自然に会話が弾み、

「ブログ読んでますか?」「読んでますよ、でも、少し難しいです」

「長いし、難しいし、あんなブログだれも読まないって家族に言われますよ」「(笑)でも、今までああいうスケールで鍼灸を描くものをみたことがなかったから新鮮ですね」

「そうクセでね、つい38億年前とかカンブリア爆発に戻っちゃう(笑)」「自分もツボ本を読んで、ああでもない、こうでもないとやった事はあったけど、ああいうのはたいして役に立たなくて、先生のは、どういったわけで治るのかが明確に説明されていて、それがすごく斬新で・・」

「鍼灸の分子レベルの治効機序が今までまったく人口に膾炙してないからね」

ようは東洋医学が胡散臭く見られるのは、自分たちの責任だったのです。

何も発信しなければ何も変わらない。

自分たち鍼灸師が変わらなければ、世間様の東洋医学に抱くイメージも変わらない。

ここまでブツブツと本ブログでこうして発言し続けてきたからこそ、岐阜県や和歌山県や東京都からも患者さんが来院してくれるようになりました。

「実際に逢ってみたら、ブログ主はそれほどヘンでもなく普通でしょ?」「(苦笑)」

知的なOさんとの交流はとても楽しかったです。

治療とは、患者さんと治療師の双方が変容する場です。

わたしもまた患者さんの気を受けて、変化していくのです。

ヒトとヒトの出会いを演出するツボに感謝!

フロンティア&ファイティングシリーズ、これにて終了です。

2014.04.17 | | コメント(4) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

ファイティング スピリット 4

落語家の立川志らくさんのおじいちゃんは昭和の名灸師としてその名を知られた深谷伊三郎その人であるが、彼の口癖は「ツボが治すのではなく、ツボで治す」でありました。

その著書である「お灸で病気を治した話」の語り口はまことに流麗かつユーモアに溢れ、まるで落語を読んでいるようにリズミカルですが、その独特の話術はDNAの遺伝子群が子から孫へと伝播して志らく氏の語り口となって開花したようです。

ようは巷(ちまた)に溢れるツボ情報とは、つまりは深谷師匠の言うところの「ツボが治す」錯覚のたぐいがほとんどであり、「ツボで治す」という本質論はまず皆無であると断言できましょう。

例えば包丁をもって50年の板前がマグロの刺身をサッと見事な手さばきで造るからと言って、では、彼が「誰でもできる上手な刺身の造り方」という本を書いたとして、それを読んだ読者に読んだ先から包丁持って50年の料理人と同じ包丁さばきができるでしょうか?

あるいはプロの声楽家がいて、彼女は小さい頃から歌を歌うのが大好きで、近所の木工屋さんの工場にお邪魔しては穴の開いた床に細い棒を立ててマイクの替わりとし、自慢の歌声を披露しては喝采を浴び、やがて高校生になると本格的に声楽家を目指し、

芸大に入学した際に試験官となったその後の恩師に「35歳まで続ければいい声が出るようになる」と言われ、その言葉を信じて今やアラフィフとなり、その歌声はただ綺麗なだけでなく味がある領域に達したが、

その彼女をして「明日から簡単に誰でも歌えるプッチーニ作「蝶々夫人」より『ある晴れた日に』」なるテキストを頂いたとしても、もちろんソプラノのアリアなど素人の弟(俺)に歌えるわけもなく、

つまりは、プロと素人とはその持てる情報量、コンテンツに圧倒的な差があるからこそ受容と供給が生じ、プロは商品としての存在価値が発揮されるのです。

東洋医学は中国で体系化されましたが、もちろんそれ以前から世界中で行われた原始的な人類共通の医療だったのであり、その歴史は恐らくは2万年前までは遡れるでしょう。

それだけの経験がDNAには蓄積されているので、ツボ療法は本能的に親しみやすい医療で、まるで誰でも扱えるシロモノと思われがちです。

だけどさ、ちょっと待ってよ。

いいっすか?

その道50年の包丁人や、声楽ひと筋45年のプロと同じ事をいきなり素人ができないのと同じでね、ツボを使って身体を調整するなんてことはだね、その道20余年にしてようやく少しはできてきたかな、ってのが鍼灸師である俺の実感であってさ。

「誰でもできる簡単即効ツボ療法」みたいな馬鹿なツボ本のたぐいの如く、誰でもツボの位置さえわかればスグにプロと同じような治療みたいな事ができるなんて事は絶対にないんですよ!

ったく、何で東洋医学業界はこういうツボの大安売り、大バーゲンセールを平気でするんだい!

もっとてめえらの魂を大事に扱えよ!

いいですか?

冒頭の深谷師匠の言葉を思いだして下さい。

「ツボが治すのではなく、ツボで治す」

誰でもツボ治療ができるんなら、俺らプロの鍼灸指圧師の存在意味は無いってぇの!

あのね、ツボ、ツボって言うけどさ、ツボの何たるか?がね、素人にわかるわけがなかろうに。

ツボに触れ、その声に耳を澄ませ、その言葉を聞きとり、そのなすがままに身をゆだねてきたものにしかツボを語ることはできません。

ツボの声こそが命の声なのです。

であっても、まだまだ私ごときでは、命の何たるか?などわかりません。

こうしてついにようやく私がツボの何たるかを今語り出したので、これからは馬鹿なツボ本はそれほど発刊されなくなる?かどうかはまだ不明ですな。

例えツボの位置がわかっても、それじゃあ、そのツボとどう渡り合うのか?が素人ではまるっきりわからないわけでね。

ツボは一種の扉(とびら)なんです。

こちらにそれなりのコンテンツがある場合にのみアクセスが可能となります。

ベテランの治療師になればなるほど、その持てる情報量が多くなる。

だからこそ同じツボを使っても治療の結果が違うのです。

わたしは日々、ツボに鍛えられてようやく、やっと、ここまで来ました。

「誰でもできる万病を治す決定版ツボ療法」みたいなツボの大安売りは、結果として東洋医学の信憑性を貶めて、その医学的信用性を失墜させてきたと言える。

もう止めなさい、ツボ本の量産は!

ツボとは何なのか?

東洋医学のホントのホントを自分の体感から導き出した言葉で語りましょうよ。

ツボは、ヒトとヒトを、過去と未来を、DNAとHSPを、体表と内臓を、今日と明日を、命と命を、つなぐ道しるべ。

2014.04.13 | | コメント(7) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

ファイティング スピリット 3

「ウマの歯が何本あるかということを中世の学者はたびたび激論の的としたが、その一人でも実際にウマの口をのぞいてみることがなかった」              動物学者ヘルトヴィヒ(1850〜1937)

中世欧州の学問は、まあこんなもんだったようだね。教会が主権を握り学問は停滞した。だからこそその後になってルネッサンス(文芸復興)が興り、やがて科学が発展していったわけだね。ガリレオやコペルニクスも学問の暗黒時代だったから、火あぶりに遭ったのだろう。

さて、東洋医学の根幹理念である気(き)や経絡(けいらく)や壺(つぼ)なるものの実体があるのか、ないのか?という言わば経絡論争というものが戦後から今にいたるまで延々と繰り広げられてきており、

いまだ気の何たるか?は確定せず、経絡なる気の環流するルートを探してもそれは厳密には皮膚上に見つからず、ツボだの何だのと言っても、よくよく目を凝らしたところで、やっぱりそんなツボらしいものも見あたらない。

つまりウマの歯の本数どころか、歯すら無いのだから、それじゃあいったい、わたしたちはそんな夢幻(ゆめまぼろし)のような気・経絡概念を使用してここ2000年来、東洋医学を行ってきてしまったのだろうか?

いや、はっきり言わせて頂けば、まさにその通り。東洋医学は夢幻を追ってここまで来たのである。

ただね、言わせていただければ、つまり気や経絡やツボという概念はあくまで2000年前の中医たちがこしらえたものであり、それ自体は別に何も夢幻ではなく、それはそれで素晴らしい彼ら独自の身体観なわけで。

かれらが実際に感得したイノチ観を文字を使って表現するのなら、気や経絡やツボという言葉を使うのが最適だったからそうしたまで。

だから夢幻の如き概念を使用する医療だからといって、そのすべてが夢幻というわけではない。

ようは科学的な観測指標にひっかからない生命力を直接扱う医療こそが東洋医学ということなのであり、その生命力の実感を表現するのには気という用語が曖昧でファジーでとりつく島がなくて実に好都合ということであり、

経絡と言っておけばとりあえずはヒトを煙にまけるし、あるツボがある特定の症状を治す、なるマンネリモティーフを使用すれば、実は誰でもツボ本の一冊くらい書けちゃうほどにツボって便利なシロモノだよね。

まあ、こういったわけで、曖昧模糊とした東洋医学は曖昧模糊としているからこそ味があって良いとも言えるんだけど、アタシはね、もうこういう曖昧ミーな感じには飽き飽きしてて、相変わらずにツボ本がチマタの本屋さんの店頭に並んでいると、つい、「チッ」と口走ってしまうほどにひねくれてきております。

このツボを使ってどうのこうのっていうけどさ、本当にそんなこと心の底から思ってその著者は書いているのでしょうか?

どっかの古典のツボ本に書いてあったツボの主治症(しゅちしょう)をコピペしてるだけとちゃうの?

それでさ、そうやってツボの効能を教えてあげても、そんじゃあ、いったいどうやって、そのツボを使ったらいいのか?

それが普通は素人さんではわからないんだよね。だから例えばどうやって押せばいいのか?そこをちゃんと教えてるかい?

いやいや、だけどね、ツボを使って治療するとか何とかって、そんな単純な問題とちゃうで!

俺の体感だとね、治療というものはこちらの生命力のリズムと患者さんの生命力のリズムが同期する、つまり脳波同調現象がおこった時に、何らかの生理現象の変化が目に見えて起こるわけで、

それは皮膚上に現れるミミズが動いてでもいるかの如き動きであったり、眠っている患者さんの指が妙に跳ねたり、押している部分にビッグウェーブがおこり、その波濤が全身に波及していく様であったり、

ようはこういう一連の生理現象が起こるのが鍼灸指圧治療というセッションなのであり、それは毎回毎回まったく違ったジャズセッションなわけで、

まったくこうした崇高な治療儀式の最中の出来事など頓着無い素人さんにツボが扱えるわけがなかろうにね。

よくもまあイケシャアシャアとツボ本がこうして日々、量産されるもんだと、まあアタシみたいなヒネクレモンは思うわけです。

いいっすか?ツボ本なんか書いていたら、永遠に東洋医学は素人さんになめられ続けますよ。

だいたい誰でもツボ治療が出来れば資格なんか要らないでしょ?

プロにしかできない事だから価値があるわけ。

たとえツボの位置がイラストでわかってもね、活きたツボまでは素人さんには捉えられない。

ツボも生き物なんです。常に変化するのが生命というもの。また変化しないために変化し続けるということも生命の真理。

まっ、ツボだの何だのって言ってもね、はっきり言って、素人と玄人ではその認識には月とスッポンほどの差があるのです。

ねっ、こういう話しってはじめて聞いたでしょ?

つうことで、俺の体感をもとに語る東洋医学ファイティング講義といきまっせ!

2014.04.12 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

ファイティング スピリット 2

今から約2億5000万年前の古生代末期ペルム紀と、中生代初期の三畳紀が始まる地球の海中において後に「海洋無酸素イベント」と呼ばれる海水中から酸素が無くなる何らかの現象が起こり、海洋生物の90%以上の種が絶滅する悲劇が起こった。

それまで海中を優雅に泳いでいた綺麗な螺旋型のボディをもつアンモナイトの類はこの際にほとんどいなくなり、幾ばくか生き残ったものも白亜紀末から新生代初期に移る過程でほぼ絶滅したという。

古生代から中生代、新生代にいたるまで5度の地球生命種の大量絶滅劇が起こり、地球に棲む生物の様相は激変してきた。

新生代に入っても、無論、生物相は変貌し続けて今にいたる。

過日、旅行先の石の博物館ミュージアムショップで手に入れたモロッコ産のアンモナイト化石はデボン紀のものだが、デボン紀末にはオルドビス紀末に次ぐ2度目の絶滅劇が起こっている。

この手の平の中の小さなアンモナイトはもしかすると、その頃に海中を泳いでいたものかもしれない。

地球環境は決して生命に優しくない。というか惑星は惑星の生理で生きているのだから、その惑星の気まぐれであらゆる気象変化が起こるのは当然であり、それに翻弄されあえなくイノチを失う生物など惑星にとっては屁でもないのだ。

ある時期から「地球に優しく」なるキャッチコピーが流布されるようになったが、いったいぜんたい、ただ地球の皮膚にくっついているだけの常在菌に過ぎないヒト如きが何様のつもりで、こんな高飛車な上から目線の表現を好むようになったのか理解に苦しむ。

地球は決してヒトや生き物にとって優しい存在ではない。それは短期で見れば60年ほどは地震のあまりない静穏期だったのだが、今や地震の活動期に入ったのがここ日本である。別に60年間など地球の惑星生理時間にすれば一瞬である。

その一瞬の統計をもって地震がある時期と無い時期と言ってるのもまた事実である。いやいや、そもそも、この地球は常にグラインドし続けているのであり、ほんの少し6400キロも掘り進めばそこには地球の中心核である鉄やニッケルが高温で固まった内核があり、

その内核周囲の液体の外核から吹き上がったマントルと呼ばれる溶岩が湧き上がり最上層の地殻を動かすプレートテクトニクス(大陸移動説)により、常時、太平洋プレートは年10センチも動き続けており、

あと2億5000万年もすれば五大陸はくっついて、またひとつの島パンゲア・ウルティマが誕生するのである。

まったく、人間の存在など本当にチッポケなチリやゴミに等しいのだが、馬鹿な人間は自分達こそが現生地球生命種の頂点にでもいると錯覚し、地球にも優しく接しようなどと、おこがましくも言うまでに増長しているのだ。

ここまでアホになった人類を救うツボでもあれば、そこを押して頂きたいが、そうそう、アホなツボ本のたぐいね、あんなものを延々と発刊していた日には、ますます東洋医学は衰退しちゃうって。

それそれ、その話しをするつもりだったのに、なぜか地球の歴史みたいなトピックになってしまった。

日本の東洋医学って名古屋港水族館で見たオウムガイみたいだよ。

えっ、突然またどんなフリだよって?

そうオウムガイはアンモナイトの末裔っぽいんだけど、絶滅劇を生き長らえた種ということ。

実は日本鍼灸というか日本の正統な医療である和方医学は江戸末期から明治に変わる境界で絶滅したのです。

時の漢方医2万3000人はこの際に殲滅されました。

他でもない地球環境の激変に遭遇したのではなく、時の政府の暴政によって。

だから、その後、焚書坑儒が起こり、今もって、和方医学の真相が人口に膾炙しないのは当然なのです。

「何も知らない」から「少しは知っている」へ。

我が闘争は始まりき!

2014.04.10 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

ファイティング スピリット

3.11後に開設した本ブログには、福島第一原発事故を踏まえての内部被曝への対処法を提言するという大きな目的があったのですが、

ブログ記事では再三にわたり放射性同位元素が体内に及ぼす①遺伝子毒作用と②酸化毒作用への二大毒作用の防御法を取り上げ、

その内部被曝対策の集大成としては、今回、山﨑農業研究所の季刊紙「耕」春号、No.132への寄稿文「3.11福島原発事故後における『養生法』とはなにか」に余すところ無く表現できました。

ということで、このブログの第一目標はすでにほぼ達成されたのであり、あとはあの文中に提示された対策が実施されることを祈るのみであります。

さて、もうひとつというか、実は内部被曝への対処以上に重大な案件というか、わたし自身の課題としてずっと心にあるものは、

やはり東洋医学の啓蒙なのであり、その原点は近所のオッサンが何気なくクチにした

「鍼灸って何か胡散臭いもんね」

という言葉でありました。

この言葉の衝撃は今も脳裏で反芻され続け、わたしの心を鼓舞し続けています。

汝の敵を愛せよ。

なぜにこれほど愛のない非情な言葉がごくごく自然に人々の口腔内から吐き出されるまで、日本鍼灸は落ちぶれてしまったのか?

その原因背景はいったいどこにあるのか?

何事も原因がわかれば対策を講じることができるのですから、わたしはまず原因を探りました。

で、判明したことはつまりは、そういう暴言を吐く者は、日本の江戸期以前の医療史を

「なにも知らない」

ことに気づきました。

では、なぜなにも知らないか?と言うと、もちろん学校教育でも教わらないし、テレビや映画でも取り上げられることは無いしで、ようは医療に関するコンテンツは軒並み西洋現代医学の独壇場であり、

そのほとんどはビッグファーマと呼ばれる巨大製薬企業がスポンサーなのであり、当然のこと、白衣のイケメン俳優やカワイイ女優さんが主人公の医療ドラマばかりが四六時中、垂れ流されて、

ほんと刑事ものか医療ものしかドラマにならないのかよ?と言いたくなる程に、テレビのドラマって、警察官か医者しかいないよね。

まっ、そうやって毎日毎分毎秒、脳内をテレビコンテンツで充満させていれば、しまいには白衣を見ればパブロフの犬よろしく神様にでも会ったかと錯覚し、刑事さんに逢えば、つい頭を下げるようになっちまうんでしょうな。

まっ、アタシはテレビは見ませんので、実際はどんなかよくは知らなんだが、こと東洋医学情報に関して言えば、世の中にまともな真に人々の健康に寄与する東洋医学コンテンツはいまだに提供されてはいませんし、どこを探してもそんな貴重な情報はございません。

いいですか?

「このツボを押せば、この症状は取れる」

こういったくだらないハウツー本などまったく価値はないですからね。

それじゃあ「なぜ、このツボを押せば、この症状は取れるのか?」

聞いてみたいもんです。

だから治効原理をこそ教えるべきでしょうが!

ヒートショックプロテインや一酸化窒素、βエンドルフィン、NK細胞、マクロファージ、各種リガンドという分子レベルでの自然治癒に寄与する分子群をもとに、

治効メカニズムを説明してはじめて「このツボでこうなる」と言えるのであって、ただ「このツボで綺麗になる」では、魔法の呪文と同じなのです。

こういうお馬鹿なツボ本ばかりが量産されてるから、いつまでたっても「なんか鍼灸って胡散臭いよね」と言われちゃうんだよー、ったく!

「胡散臭くない東洋医学」のための闘いはまだまだ始まったばかりです。

タイトルをほんの少し変えて、海馬付近に滞積しているネタをドリップしていきます。

2014.04.08 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

フロンティア スピリット 10

杉田玄白は中医学の言葉である心臓に宿る臓気(ぞうき)「神気(しんき)」という言葉と、気(き)という生命エネルギーが全身を環流するルートを指す経絡(けいらく)の2つの熟語の頭文字をくっつけて新たな言葉である神経(しんけい)を造語して、今まで和方医学には存在しなかった神経生理学をスタートさせた。

ドイツ人ヨハン・アダムス・クルムスが著した解剖図書を翻訳して「解体新書」を発刊した事実だけが盛んに喧伝され、蘭学を修めた蘭方医が江戸期の日本の医学を革新的に牽引し、ようは西洋医学が移入され、そのお陰で日本の医学に夜明けが訪れて、医学領域もまた文明開化されたとでも思わせるようなマインドコントロールがこれまで延々と敷設されてきたような気がしないでもない。

果たして真実は如何なものだったのだろうか?杉田玄白が中医学用語をアレンジして創った「神経」という言葉は自律神経、随意神経、運動神経、反射神経、無神経と派生語も増え、こんにちでも立派に通じる普遍性を獲得しているが、これとて、杉田に中医学を尊重する気持ちがなければ、わざわざ中医学用語を使ったりはしなかったのではなかろうか?と思えてくる。

とかく蘭方医と漢方医は反目しあっていたように見受けられるが、実際は蘭学が入りこむまでは漢方一色であったのであり、その漢方医学の知識、医術の熟成発酵があって後に蘭学が移入され、オランダ語の翻訳ができるまで自力が着いた頃合いに、うまい具合に杉田玄白たちが「解体新書」を作成するに及んだのだ。

医学とは、やはりその時代時代の風俗、文化程度と深く相関しつつ変遷していくようである。

上階にはトイレを造れない時代の欧州では、オマルに溜めた糞便を夜間に窓から放り投げ、路上にぶちまけられた屎尿を掃除する専門の掃除人がいたというが、そんな衛生事情しか持ちえない時代の近世ヨーロッパにおいて、外科医学のレベルがまだ消毒殺菌の概念すら持ちえなかったとしても、それほど不思議ではないのだろう。

近世日本においては外科医には経験的に焼酎で患部を洗うと良いことが知悉されていたが、アルコール濃度がたとえ30%以下でもそれなりにウイルスや細菌の細胞壁タンパク分子は変性し、抗生剤的に作用させることは可能だったとみえる。

日本の歴史教育において、いかにもな西洋文化崇拝を助長するプログラムがいまだに実施されている背景とは、さかのぼれば明治維新にいたるようである。ようは古い時代をすべて悪とし、明治維新から日本は近代化し、そのお陰で日本は発展したのだと刷り込みたい明治初期インテリたちのご意向がいまだに連綿と学校で使用する教科書に反映されているということである。

江戸期の医療は私から見るととても魅力的である。豊穣で愛情深く、科学的で先進的だ。それはしかし医療家集団が優れていたという事だけを意味するのではなく、恐らくは江戸文化そのものがとても魅力的だった事の証左であり、江戸人すべてが素晴らしかったということの証(あかし)なのでしょう。

前近代と馬鹿にするでない!華岡青州は世界で初の全身麻酔外科手術を欧米に先がけて40年早く達成していたのだし、山脇東洋が開いた解剖学のベールは長屋のハチコウ、クマコウが口々に「腑分け」という新語を口にするまで、庶民レベルにまで正確な体内の科学的知識が急速に普及していったのだ。

インターネットも、テレビもラジオもまだない江戸時代、杉田玄白らが「解体新書」発刊の1年前に出した予告版とも言える「解体約図」の情報が江戸から即座に大阪に伝わり、正月に発刊された本の医療情報の正否を天文学者の麻田剛立(1734〜1799)が動物のキツネの解剖をもって検分した事が3月1日の麻田が書いた手紙にて確認できるのだ。

江戸人の情報を発信する熱意、と情報を受容するスピード感は今と比べても何も遜色ないのである。

現代は江戸期と比べられない程に情報が増えたように見えるが、原発推進派が盛り返している現状を見るにつけ、むしろ情報を発信する熱意は減退し、情報を受容するスピードも低下する一方な風に見受けられる。

わたしたち現代人は、情報遮断な愚鈍の海底に沈殿していく渦中にあるのかもしれない。

医療家に課せられた義務とは正確な医療情報を提供、サービスする事にある。

まだ知られていない情報を提供する事も立派なサービスでありましょう。

フロンティアな領域を探り、その真実をこうして公開して、一番喜び楽しんでいるのは実は自分自身だったりします。

まあ、自分が楽しくないと、読んでる人も楽しくないはず。

これからも楽しんで情報発信に勤めます。

200余名の本ブログフリークの皆様、毎日、こうして読んで下さり本当にありがとう。

今後ともよろしくお願い申しあげます。

2014.04.07 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

フロンティア スピリット 9

「いやしくも医の業をもって互いに主君主君に仕ふる身にして、その術の基本とすべき吾人の形態の真形をも知らず、今まで一日一日とこの業を勤め来りしは面目なき次第なり」

山脇東洋が日本初(宝暦4年、1754年)の死体解剖に立ち会った17年後(明和8年、1771年)、江戸北郊の小塚原刑場で行われた女性の死体解剖を、それぞれが持参した同じ西洋の解剖書を参照しながらつぶさに観察した杉田玄白や前野良沢は、

それまで得ていた漢方書の解剖図や経絡図の知識と実際に解剖された人体内部の様子の違いに愕然とし、また持参した西洋の解剖書の記載が正確であることを尊重し、

冒頭の独白をもって中川淳庵も含め8人の仲間たちとその後、ドイツ人クルムスが著した原題「Anatomische Tabellen」、いわゆる彼ら流の読み方では「ターヘル・アナトミア」と呼んだ、後の「解体新書」作成がここにスタートしたのである。

『解体新書』が発刊された後の当時の江戸日本で一般大衆にまでその「腑分け」の正しい知識が普及していくことで、恐らくは漢方医学のある部分は信用を失っていったのだろう。

実は山脇東洋に続く古方派にあっても解剖には賛否両論あり、かの吉益東洞ですら解剖を良しとはしなかったのだ。古方派と言ってもそれは、一枚板ではなく、またそれぞれが独自の哲学を持ち、矜持を保持していた。

解剖全盛の機運に反対する意見では漢方医・望月三英(1697〜1769)の次の言葉が出色である。

「形象も死にては気がなき故、・・、生きて居る人の臓腑にあらざれば医者の用には立たぬなり」

生体機能の賦活をこそ重視した漢方医学の面目躍如、これもまた東洋医のアッパレな見解である。

日本の学校における歴史教育で習う江戸期の医療トピックと言えば、まず誰もがパッと思い浮かぶのが以上の「スギタゲンパク、カイタイシンショ」というくだりであり、

それより以前に実際に起こった山脇東洋の日本医道史における歴史的快挙、実際の解剖見聞記『臓志』の発刊が、現在の教育現場で取り上げられることは恐らくは100%無いであろうし、

杉田玄白たちが西洋の解剖書を訳したよりも約一世紀も前に、本木良意(もときりょうい)なる通詞(つうし)がオランダ語で書かれたドイツ人レムリンの解剖書を独学で全訳していた事実も、また公教育の場で触れられることはないだろうし、

1658年頃に、鳩野宗巴(はとのそうは)という日本人が日本に停泊していた蘭船に乗り込んで、オランダ現地に潜入し、当地にて医術を修めること5年にして日本に帰国し、長崎で名を挙げ、熊本藩に招かれ、後に大阪に住まい、1697年に57歳でその探求心たくましい人生を終えた事もまた教室で子供達に教えられることもなく、

いやいや、そもそも日本の江戸期の医療の何たるか?明治維新前の日本医道史の全容の何たるか?が学校教育の現場で語られる機会がまったく無いという非常に御粗末な現実がまずあって、

だからこそ近所のおっさんがナニゲにわたしとの会話において「なんか鍼灸って胡散臭いもんね」とノタマウまで現代日本人の脳内医療コンテンツは荒廃しているというわけなのです。

「なにも知らない」からこそ偏見が生まれ差別が生じる。

医学と言えばシュバイツアーか野口英世か森鴎外?

言っちゃあ悪いけど、このへんの方々は、はっきりいって全然たいしたことないでしょ。

よっぽど、北里柴三郎、志賀潔、高峰譲吉あたりの方が素晴らしい業績を残してる。

尊敬する医学者は?って子供に聞くと今でも野口英世じゃあね、アンタ、あまりにひでえわな。

ネット時代なんだから、せめて北里柴三郎くらいにバージョンアップしてなけりゃあアキマヘン。

あなたの尊敬する日本の医家は?の質問に

「やまわきとーよー!」

と、大声で即答する子供、大人が全日本人口の99.9%になる時代を引き寄せるには、

はい、こういった情報発信を継続して実施していくしかありませんね。

DNAセントラルドグマは自律的に天人合一な営みを繰り返し、毎秒100京個ものタンパク分子を産生してくれている。

このヒト細胞60兆個の基本機能を知らずして、医業を勤め来りしは面目なき次第とちゃうんかい?

今や分子生物学を駆使すれば細胞内生理が詳細にわかり、直径6マイクロメートルの微小な細胞核内に仕舞われた2メートルのDNAの0.5%部分の遺伝子の機能すら判明しているのです。

その細胞内の真形を知って主君領民に仕えることこそが医業の勤めなのです。

しかし、鳩野宗巴(はとのそうは)の冒険活劇は映画にできそうです。

題名はまさに「フロンティア・スピリット」

2014.04.06 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

フロンティア スピリット 8

いわゆる西洋医学の本場である欧州において16世紀、ルネッサンス運動や科学精神の目覚めと共に、解剖学や外科学の発展が先行した事は世界の医療史を調べれば理解できてくるが、では少しくだって18世紀、日本の江戸期、近世における欧州の医学レベルが世界的に見て非常にすぐれていたかというと、どうもそうではないのだ。

日本における西洋医学の父と称されるフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796〜1866)は日本滞在中にその持てる医学知識や医術を日本の医家に教えた功績によって、今でもその偉業が讃えられているが、彼とて当時はまだ聴診器も注射器も持たず、まして消毒や殺菌の概念すらなかったのである。

彼が日本に滞在した頃と時をだいたい同じくする1847年のイギリスはエディンバラにおいて大病院で手術を受けた患者2089人のうち、なんと855人!全体の41%が術後の予後が不良で、細菌の体内感染により細菌の放つ毒素により発症する炎症性疾患である敗血症が原因で死亡していたのだ。

西洋医学の舞台で白衣が一般化したのは20世紀も近くになってようやく殺菌消毒の思想や技術が一般化してからであり、それまでは外科医の衣装と言えば返り血や膿が付着しても目立たないために黒い衣服の上に黒いエプロンを着る習わしであったようで、

ベテランの外科医になると自分のエプロンが滞積した血と膿で乾燥してカチカチに固まるのを誇りとし、外科病棟はこれらから立ちあがる腐敗臭がムンムンと充満していたというのだから、まさに「白衣の天使」ならぬ「黒衣の殺人鬼」が跳梁跋扈する時代と比喩することはいささか言い過ぎであろうか。

なにしろウイルスや病原菌が顕微鏡下に発見される以前では、いかんせん殺菌消毒の思想が生まれるべくもなく、手術をおこなうその手指や器具には空気中に常在するあらゆる化膿菌やウイルスが付着して、それらでもって体内をまさぐられるのだから、そりゃあ患者にしてみれば、たまったもんじゃあない。

また西洋においては以前として、鍼術における爪横のツボ井穴(せいけつ)からほんの少量の出血を試みる刺絡術(しらくじゅつ)とは違った大量の血液をビューッと大放出させるような瀉血療法がシーボルト時代にあってもなお主流であり、

静脈を切って大量の血を噴き出させることにどれだけの治病効果があったのかどうかはさておき、かのモーツァルトの身にもまた虫垂炎の治療と称してこの瀉血療法が施され、あえなく天才的な音楽家は1791年、35歳にして夭逝したとも聞く。

現代人が臆面もなく崇拝する西洋医学であっても近世においては、せいぜいこの程度のレベルだった事はもっと周知されてもいいだろう。

漢方薬と鍼灸指圧によりあらゆる病気に立ち向かった東洋医学は確かにどういうわけか外科学や解剖学を発展させた経緯は見あたらないが、だからといって、西洋医学よりも治病レベルが劣っていたわけでは毛頭なく、

むしろ死体解剖を忌避し、生体機能の回復へと心を注いだその医学センスをこそアッパレと称揚すべきであり、ここ日本の江戸期においては内科を本道(ほんどう)と呼んだその精神性は誇るべきスピリットであったと再認識する。

山脇東洋に始まった日本解剖史はその後、急速に進展し、杉田玄白や前野良沢らの自発的な死体解剖の親試実験、西洋解剖書の自力での翻訳をもって精華とし、日本全土に「腑分け」なる言葉が一般化していった。

この新しいもの好きな好奇心旺盛な国民性、進取の言葉を即座に受容できる「知的ふところ」の深さこそが、江戸期の寺子屋における識字教育の徹底による教育の豊かさの恩恵だったのであり、

日本近世、江戸期の国民の知的文化程度の高さがあったればこそ、やがて西洋列強の侵蝕に逢いながらも、どうにかこうにか近代化を成し遂げ、西洋列強に伍して現代日本が未曾有の放射能汚染に曝されながらもなんとか踏みとどまっている由縁である。

日本の医学が近代化して万歳とか、近世日本の医療が世界的にみて劣っていたとか、現代の日本鍼灸、日本指圧が胡散臭いだとか、そんな定型的で決まり切ったウソの洗脳的な医学史イメージはわたしの大脳皮質を探しても、海馬付近を捜索しても最早どこにも見あたらないが、

こと医療コンテンツにおいては、まだまだそんなマインドコントロール一色のイメージしか持ち得ない日本人が99.9%である以上は、どうにか真実の一端をこうして開示していかねばならないと今や決意を新たにしている。

華岡青州が麻沸散という漢方薬で扱う生薬を調合して麻酔薬を創始し、世界で初めて乳がんの全身麻酔手術に成功したのは1805年10月13日、西洋においてはアメリカのジョン・コリンズ・ワレンがエーテル麻酔により外科手術を行ったのが1846年のボストン、正確には41年は早くここ日本において世界初の全身麻酔手術が先行していたのだ。

漢方と蘭方の融合、東洋医学と西洋医学のコラボレーション、漢蘭折衷派(かんらんせっちゅうは)という世界に誇る奇跡的な医療家集団の発生をピークに、この江戸期の世界最高水準レベルの日本の医療は明治維新をもって終焉する。

わたしたちの祖先をすこやかに育んだわが国の東洋医学はその後、その実力に反し不遇な時代を迎え、いまだその名誉は回復されない。

無知は罪であり、無知こそが偏見の温床なのだが、

ここまで脳幹深くまで浸透した洗脳を解除するのはけっこうむずかしいかもね。

まっ、何事も楽しんでやりましょう。

2014.04.05 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

フロンティア スピリット 7

「理論は時に応じて逆転するが、事実を論拠にすれば逆転することはない。理論が先行し事実を後にすれば、どんな智者でも場合によりて失敗する。しかし、実験を重ね、それを土台に理論を組み立てれば、凡庸な者であっても間違うことはない」                              『臓志』山脇東洋

江戸中期の鍼医、漢方医であった山脇東洋(やまわきとうよう)はわが国で最初に腑分け(死体解剖)を行った先駆者であり、師匠の後藤艮山(ごとうこんざん)に解剖をしたい旨を申し立てたが師匠は「カワウソではどうか」と応え、カワウソを解剖してみたが、どうにもヒトとは違い、特に小腸と大腸の区別を確認したく、ついに、宝暦4年(1754年)の2月4日にその機会をつかむ。

しかし、それは首のない38歳の男の死体であり、刑場のそばで大急ぎで、内臓をさばくのを見て、骨の数を数えるという不備なものであった。それでも、東洋はその所見から得た実際のヒトの体内の様子をまとめ5年後に『臓志』という本にまとめ出版する。

その書中の言葉が冒頭の言である。永田徳本を祖とし名古屋玄医をもとに華開いた日本医道の一派は古方派(こほうは)と呼ばれる医家集団であり、それまでの田代三喜(たしろさんき)、曲直瀬道三(まなせどうざん)の系譜の理論重視の派閥である後世派(ごせいは)に対抗するアヴァンギャルドな動きが江戸中期の日本医道史に垣間見える。

後藤艮山の「一気留滞説」も吉益東洞の「万病一毒説」も古方派に属すが、艮山の弟子である山脇東洋が渾身のヒトの腑分けに踏み切ったことは、実証派、実践派、科学派である古方派の面目躍如と言えよう。

中医学の解剖図ははなはだ単純にして、ある意味、幼稚ですらある。それは解剖よりも機能を重視した生命観に由来するのであり、粗末な解剖図をもって中医学が程度の低い医学であるとは無論言えるものではない。

むしろ西洋に先行する11世紀には正確な解剖図も罪人の生体解剖をもって作成されていたが、その後、どういうわけか中医学においては解剖学は進展を見ず、後代になるとまた少しいい加減な解剖図が復活し、その小腸と大腸が逆転したような子供だましのような図譜でその後も事足りてしまったのだ。

山脇東洋の解剖への執念は解剖へ反発する日本医学界のプレッシャーにもめげずに、生涯2度目の解剖を成したことからも伺えよう。山脇家にはイタリアはパドア大学教授、ドイツ生まれのヴェスリング(1598〜1649)の手になる解剖書が所蔵されていたという。蛮書と漢方書の違いを確かめたいという切なる願いが、和方医学に新たな局面を生んだのだ。

時はくだりて2014年の4月3日。今日はこのへんの地区は月遅れで雛祭りを祝う今日この頃。

こんにちは曲がりなりにも東洋が生きた時代とは比べものにならないほどに医学の知識も蓄積され、正確な解剖図のみならず、平均直径0.01ミリのヒト細胞内の6マイクロメートルの直径の細胞核に仕舞われた2メートルのDNAのセントラルドグマな機能により、

生命現象の主役であり代謝の立役者であるタンパク質が毎秒数万個も「DNA→mRNA→リボソームでタンパク質合成」のプロセスで産生され、ヒト細胞全体では毎秒100京個のタンパク分子の産生にはヒートショックプロテインというシャペロン分子の介添えが必須であり、

このヒートショックプロテインもまたセントラルドグマにより生み出され、このようなオートイポイエーシス(自己参照型自己創出システム)によりヒト生命体は60兆個の細胞群の動的恒常性を維持していることまで判明している。

であるのなら、当然のこと、それらの事実を論拠にした東洋医学や気・経絡説を創出していくことこそが今の時代に生きる鍼灸師の使命と私は自覚しており、それゆえに今までもこれからも、分子レベルから捉えた東洋医学的な養生法の探求が成されていくのであります。

後世派と古方派を尊重しつつ、アヴァンギャルド派を興す。これこそが私の役割でありましょう。

山脇東洋のフロンティアスピリットを見習い、前を向いてハリィ〜今村はギュイーンと突き進みます!

2014.04.03 | | コメント(5) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

フロンティア スピリット 6

日本医道史において、有名な医者や医学者というと真っ先に名前が挙がるのが野口英世や森鴎外であるのは、無論、刷り込みというか洗脳であり、恐らくは有名な和方医(日本の鍼医、漢方医)を3名挙げよ、と問われて即座に返答できる日本人は日本の全人口の0.01%にも満たないであろうことは容易に想像できる。

丹波康頼、曲直瀬道三、田代三喜、杉山和一、御園意斎、石坂宗哲、本郷正豊、永田徳本、名古屋玄医、後藤艮山、山脇東洋、香川修庵、吉益東洞、葦原検校、太田晋斎、華岡青州、新宮涼庭、安藤昌益・・・

このくらいの人名をサラッと言える常識が全日本人に身についたときに、「養生革命」という現象がひかりのミストの如く氤氳(いんうん)として日本の天地に立ち上がってくるだろう。

そのための情報発信が本ブログの使命である。

さて、健康になりたいという願望は万人の心にある願いであり、だからこそヒトは必死に健康法を模索しあれやこれやのサプリメントを買い漁り、あるいはインチキ気功師の良からぬ霊気に被曝してプラシーボな気分を味わったり、無資格者オンパレードなリラク産業の門をくぐり、そうやって様々なニセモノを行脚したところで散財はしても一向に健康感が得られない者が多数という状況は今後も変わりなく続くのでありましょうか?

それではイカンと思うからこそ、私は真に必須な養生法とは何なのか?を訴えているのであり、健康になるためには、まず身体、細胞がいったいどうやって維持されているのか?のメカニズムを理解できなければイケナイとの思いから、やおら分子レベルの細胞環境の話しが多くなることはご承知願いたい。

分子レベルの話しでここのところずっと頻出するキーワードはヒートショックプロテインという言葉であるのは、本ブログフリークには先刻承知のことでありますが、なぜ、ここまでヒートショックプロテインに私がこだわるのかと申すと、20余年の鍼灸指圧臨床における手の内の実感とピッタリ一致する分子レベルの自然治癒メカニズムの主役がヒートショックプロテインであるからなのです。

わたしも普通に本屋さんに立ち寄る機会を得ると、健康本を立ち読みすることはありますが、ツーと斜め読みして、ウーンと唸って、まったくもって言っちゃあ悪いが、ここには真に必要とされる情報は無いね、と慨嘆するのは日常的に味わう実感です。

あるいは有名な生物学者さんが書くベストセラー本のたぐいも、そりゃあ有名だけあって高尚で、とても洗練されていて知識も半端なくて、いや読了後の満足度たるや100点ですね!と言いたいところなんですが、さにあらず、なんとなく薄いというか、何だろう、この希薄感?

ああ、ようは、わたしたちは今後、人間によって大量にぶちまけられた人工的な汚物だらけの汚染環境において、どうやって健康を維持していったらいいのか?

その答えがまったくもって、どこにもベストセラー本には見あたらないということに愕然とし、その薄っぺらなペラペラ感にオロオロするというわけなのです。

つまりこの世に流布されている膨大な医療情報の中にわたしたちが真に欲する養生情報は皆無と言えるのです。

かつての日本はまさに「養生の国」でした。

真摯にヒトを救おうとした日本医道の医療の精髄から多くの叡智が導き出され、貝原益軒の「養生訓」のベストセラーに見られるが如く、この国の隅々まで養生法は浸透していきました。

そんな養生文化も外来の舶来思想を最上とする思潮が勃興した明治以降から衰退の途をたどり、今時にいたり99歳の老婆の口をして「今まで一度もこういう按摩や指圧を受けたことがなかった」とまで言わしめる程にまで、養生文化の泉は涸れ果ててしまいました。

冒頭の日本医道のスターたちは今の御粗末な日本医道の惨状を見て草場の蔭で何とお思いでありましょうか?

いやいや、ちょい待ち草のやるせなさっと!

忘れちゃあイケマセンって!ここにたったひとりでドンキホーテよろしく暴れている者がおりまっせ!

希代の漢方医・吉益東洞(よしますとうどう)は「万病一毒」、鍼治療の名人・葦原検校(あしはらけんぎょう)は「万病一邪」、後藤艮山(ごとうこんざん)は「百病は一気の留滞による生じる」と、万病がひとつの原因によるとする「万病帰一」説をそれぞれ主張した。

3.11後のアヴァンギャルド鍼灸師であるハリィ〜今村は、ここ本ブログにおいてずっと主張してきたある持論を万病帰一説にならい、ひとつ提唱してみます。

「百病は体タンパク分子の変性によって生じる」

これじゃあ、艮山師匠のまるっきりパクリだね。

つまり百病である変性タンパク質を修復し予防治療できるのは、すなわち、ヒートショックプロテインなのですから、

ヒートショックプロテインを得ることが健康へのみちしるべ。

万健一源。

ヒートショックプロテインこそ内なるカリスマドクターなり!

2014.04.02 | | コメント(6) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

フロンティア スピリット 5

「生物体はその存在を支えている外的環境なしでは存在できない。それゆえ生物体という定義の中には、それに対して影響を与える環境も含まれるべきである」                 イ・エム・セチェノフ(ロシア生理学の父)


中医学における病気の原因には内因、外因、不内外因の3つが挙げられ、このうちの外因とは風熱湿燥寒熱という外部環境の気候変動がヒトの細胞に分子レベルで影響を及ぼすことを指している。

内因はすでにご承知のように内部の感情の変動を言い、怒喜憂思悲驚恐の7つの情感がバランスを失うことを指す。

不内外因はそれ以外の病因ということであり、過食や飢餓という飲食の不適や、労働と休息のあんばいの不具合とか、房事過多と称する自己複製に関わる一連の肉体作業のし過ぎなど、ヒトが生きていくうえで普遍的に行われるコモゴモが不内外因に含まれる。

ハンス・セリエが提唱したストレス学説とは中医学の3因のすべてを網羅した概念であり、むしろ中医学こそストレス学説の先駆的な発見であったと言えよう。

人間はこの三因という膨大なストレスを抱えた存在であり、つまりはストレス込みの存在がヒトなのであり、ヒトは心も身体も食も土も腐植前駆物質もバクテリアも温室効果も地球温暖化も消費税増税も原発再稼働推進も太陽黒点の低下も地球寿命46億歳のエイジングも、すべてを含む存在が人類なのである。

であるのだから、もしもわたしたちが健康でいたいのなら、これらすべてを考慮した養生法を開発しなければいけないだろう。

とはいえ、これらすべてのストレス要因が結果として分子レベルでどんな変化を及ぼすのかが理解できていれば対処の仕方もわかろうというものだ。

どんなストレッサーも細胞内の分子レベルでは細胞内の80億個のタンパク分子を変性させると言える。

つまり変性タンパク質こそが病因の本態なのだから、変性タンパク質が生じたなら速やかにヒートショックプロテインを分泌して傷ついたタンパク質を修復するライフスタイルを心がければ、一生涯、ストレスに負けない健康な身心でいられるはずである。

今日から消費税が8%になる。昨日はガソリンスタンドがめちゃ混みだった。自動車のセールスに携わる方は4月以降が恐ろしいとぼやいていたし、水道屋さんも3月は休み返上で働いたが先は見えないとこぼしていた。

さて猛烈なストレッサーが吹き荒れる3.11後4年目の春、それでも私は懲りずに養生法の探求に勤しみます。




「健康は平穏なパラダイスに得られるものではなく、絶え間ない自己及び環境に対する闘いの中で獲得される」ルネ・デュボス


5億4100万年前に始まったカンブリア爆発という生物界のビッグバン・イベントからの生物の謙虚な活動が記録される年代を顕生代(けんせいだい)といい、古生代、中生代、新生代がその時期であるが、これまでに顕生代において5度の生物の大量絶滅が生じている。

それでも地球生命は支配的な種を交代しながら生命を存続してきた。

その絶え間ない地球環境との闘いの記憶はすべてDNAにインプットされているのである。

消費税増税よりもはるかに恐ろしい氷河期を、何度もくぐり抜けてきたのがわたしたち地球生命種なのだ。

所詮、庶民が買うものは知れているし、そんなに高額なモノは買わないし。

腕を振り振り、段差でなんちゃって青竹踏みを励行し、0円健康法に励めば、こんなくだらん経済政策の渦中であってもヒートショックプロテインで満たされたヴィヴィッドでゴージャスな細胞環境を得ることは可能だ。

ヒートショックプロテインを味方に「8%不内外因」を吹き飛ばしましょう!

2014.04.01 | | コメント(3) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

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