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墨子と安藤昌益の力を借りて興国の心意気を示すなり

陰謀論がつまらないのは有効な対抗策を提示しないことであり、支配に替わるマトリックスが永遠に構築されないこと。それでは何にも変わらない。相手は手を変え品を変えてがんじがらめに攻めてくる。すでに手先が国家の支配中枢にいっぱいいるのだからいとも簡単に支配マトリックスは維持できてしまう。それでも最近は政治家の中にもしかしたら本当の意味で国民の生活が第一を理解し、脱原発なグリーン革命を実現するかもしれない一派が現れている。これを応援するのはひとつには対抗策となるだろう。

国民の側は脱原発デモの動きを見てもわかるようにすでに発火点まで沸騰している者も大勢いる。直接はデモに参加できないがデモシンパはその何倍も存在するだろう。原発の背後のカラクリがわかればTPPも増税も含めてこの世界の支配構造まで理解が進むかもしれない。世界の問題はすべて同根なのだ。その根っこは別に今語っている世界の支配層うんぬんという問題だけではない。再三申すとおり我々の意識も問題となる。

この世界には欺瞞や虚偽が横行している。たとえば既存の科学コミュニティーは決して新参者の革新的な理論や発見を認めない。自分たちの食い扶持である狭いサークルが侵蝕されることには極端に敏感なのがそういうアカデミズムの重鎮たちだ。いったん権威となりその理論で飯が食えればもうそれは既得権益なのだ。ここでも既得権益がつきまとうのだ。学問とは学を問うことなり。ならばどんな学が侵入しようとも問うて立ち向かえばいいのにそんな度量などさらさら持ち合わせていないのがアカデミーの連中である。原発の御用学者はまた少し趣向が違うだろう。あれは単なる奴隷である。利権という鎖に一生つながれたかわいそうな人達だ。いささか哀れを誘うね。もとい。

動電場理論のハロルド・サクストン・バー博士もバイオ・コミュニケーションの第一人者のクリーヴ・バクスター博士もアメリカの学会で無視され続けた。少数の理解者はいたがアカデミーはおおむね抵抗した。この二人の革新的な発見は人類にパラダイム・シフトを迫る実に厚みのある発見実験である。おいおい触れていきたい。このような科学のパラダイム・シフトも支配のマトリックスを崩すソフト戦略なのだ。認識の更新は個人においては小さな革命であるが大きくなれば人類全体の認識が更新されるのだから、小さなパーセプション・ジャンプの蓄積は「意識の未来型デロリアン化」をもたらすだろう。それを期待しつつ今後もそのような情報をこのブログに「イン」していきます。

私が敬愛する故・間中善雄博士も当時の西洋医コミュニティーからは変人扱いだったと聞いている。ガリレオ、コペルニクス、ニコラ・テスラ、異端や変人こそが次世紀のパラダイムを作ってきたのだから変人と呼ばれることは褒め言葉。そう解釈しての「奇人、変人、半狂人歓迎、ただし一芸に秀でた者」看板だったのだろうか。私は気を良くして門人気取りであるが、さて間中師匠の一般向けの著書である地湧社刊行の「体の中の原始信号」は出色の書である。この本の内容と上記二名の西洋の革新的な科学者の理論をつなげると生命科学のニッチ(隙間)とミッシング・リンク(失われた環)が埋まるだろう。そうミッシング・リンクという暗在系をニッチにまで引きずり出して一気に明在化するのはやりがいのあることなのだ。これがあらたな文明の指標となるだろう。そして支配のマトリックスからの解放とユートピアの構築へと人々を誘うだろう。

以上、大言壮語のオンパレードであるが「墨興安国論」の開店祝いなので大判振る舞いでお許しを(笑)「墨家思想を発展させあらたな思潮を興し、安藤昌益の理論をベースにユートピアを想像&創造する論」を略して「墨興安国論」としました。次世紀の鍵を握るのは女性です。もはや男性型の破裂文明は完全に賞味期限切れです。女性型の「命をはぐくみ生み出す」タイプの文明が花開くでしょう。映画「ターミネーター2」でサラ・コナーも言ってます。あの映画は実は文明批判になってるよね。まあ、野郎ども、覚悟しいやってことだろうね(笑)

テクノロジーも融合型、共生型に移行するでしょう。オオマサガスやベルシオンみたいなニュー・タイプのテクノロジーがバンバン出てきて実用化されるとそれも人々の意識の更新をもたらすでしょう。実はテクノロジーというものは人間のスピリチュアル(精神性)と深く関わっているのだろう。つまり人類の意識が高まらなければクリーンなテクノロジーは一般化しないし普及しないのだ。原発は資源のない国には必要なんて○○の一つ覚えをしてるレベルではとうてい未来型デロリアンは手に入らないだろう。

資源は無限に存在する。水はほぼ無尽蔵だ。いや人間の意識こそが資源なのだ。それは「直耕」されるのを待っている。

耕して♪ 耕して♪  

意識の畑が肥沃になればなるほど豊穣な実りが授かるのだ。その実りこそが真のユートピアだ。

さあ、今日もノンキに「直耕」に励もう!

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2012.07.31 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 墨興安国論

「墨興安国論」こと始め

陰謀論というジャンルがあるのかどうかは定かではないが、世界の支配構造とやらをうまく解析してようはある特定の人間たちによって支配されています、チャンチャンってなってしまう論理のカテゴリーがある。あっ、そうかやっぱ支配されてたのね、そうかじゃあそいつらを追い詰めればいいじゃん、ってことで次から次に立ち上がる世界情勢の「こもごも」がすべてこの特定の支配層の罪として集約されていく。そうやって暴いて糾弾してそれでそんじゃあちょっとでも世界が良くなっているかというとちっとも成果は上がらない。後出しジャンケンでいつも後からあれはヤツラの仕業だ、って糾弾するのみ。つまんね。なんにも変わらんじゃん。

で、そういう論理ってのはただのルサンチマンの解消だって気づいた。そりゃあ陰謀というか世界はたしかに金融資本に支配されているし、その連中が支配権を握っている。戦争はほとんど意図的に捏造されているし、国家などフェイクであり実質的にはすべての国家はその支配構造に組み込まれている。金融グローバルギャングのポチでありパシリであり奴隷である国家の統治機構に所属する机上のエリートが最下層の人民を支配しているという「奴隷二重構造」が厳然としてこの世界には横たわっている。その中であえいでいるのが我々である。そりゃそうだろう。で、俺らはどうすんべ?

そこで墨子の知恵をちょいと借りてみよう。兼愛とは一言で云えば対立構造の解消である。支配層の非を上げ連ねて糾弾しても何も変わらない。それじゃあ相手を憎むのみである。相手を憎まずに相手を組み伏せる。または相手の戦意殺意を祓ってしまう。武道の極意である「参りました」と刀を下げさせること。究極の王道は闘わずして勝つことである。兼愛と非攻はワンセットとみなせる。非攻は実践においては攻撃的な防御であるが第一非戦論に見るようにあくまで戦争を、闘いをしないことが眼目である。非攻とは非戦であり兼愛なのだ。爆弾を投下したその真下には罪のない家族が子供を川の字にはさんで健やかな寝息をたてている。クジラも川の字で子クジラをはさんで泳ぐという。亡父の教えである。日本のクジラ船はそんな親子クジラは撃たないという掟を守っていた。

さてそんな平和な普通の人民の頭上になぜ爆弾を投下できるのだ。戦争を、「いくさ」を正当化するいかなる理由もないのだ。戦争はすべて悪である。聖戦などありえない。闘いは罪のない人が巻き添えをくうだけの命の浪費であり、お腹を痛めて生んだ母なる母たちへの冒瀆それあるのみなのだ。連綿とアフリカのミトコンドリアイブから続く母系遺伝に対する冒瀆である。20億年前のミトコンドリアの恩義にツバする行為である。武器など何の理由があろうと無駄なのだ。原爆を投下して人体にどんな影響が出るのか実験した米国。それがいまだに日本の宗主国として君臨し日本は牛耳られている。それは実は明治維新という「壊国」からスタートした日本占領の系譜である。

我々が置かれている状況はあまりに不利でありアンフェアである。それでも解決策を見いだしていかなければならない。「兼愛と非攻」の心で。

安藤や墨子の描いたユートピア?のタイトルを改題して「墨興安国論」とします。墨家思想と安藤昌益の持論をソフトとし、チクオンキにならず自己の想像力と創造力であらたな思考の地平を切り開こうというジャンルの創設です。

大いなる命題である真のユートピアの建立へと議題を進化させます。

大ネタです。息の長いシリーズとなりそうです。

2012.07.30 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 墨興安国論

安藤や墨子の描いたユートピア? 続編

ジョルジェット・ジュッジャーロはカーデザインでは有名なイタリアンの御仁であり御年74歳にして意気軒昂、近作のアルファ・ブレラなんて円熟の極みでイケイケな艶っぽいデザインです。通勤途中にいつも野ざらしで置いてある赤のブレラを見るのであるが惚れ惚れするかっこよさ。色気のある車ってそうないけどあれはかなり色っぽい。ジュッジャーロは初代パンダや初代ゴルフのカクカクしたデザインもいいし、アルフェッタ、いすずのベレットクーペなんかの流麗なクーペもいいし、国産ではピアッツァなんか白眉である。いすずのジェミニも彼のデザインだった。街中で走行している車でオッって感じるのはたいがいジュッジャーロデザイン。なんでだろうね。デザインってやっぱかなりスゴイ力を秘めていると思う。あとはカーデザイナーではシトロエンXMのマルチェロ・ガンディーニ、フェラーリほかのデザインで有名なピニン・ファリーナは押さえておきたい(笑)

ちょっと前まで車なんかどうでもよくなっていたけど、ようはエネルギーシステムが変わればいいわけで核融合とか反重力装置までは贅沢言わないからせめて水素ガスかオオマサガスにして欲しいね。オオマサガスに乗ってます♪なんてさ。でくだんのデロリアンもやっぱジュッジャーロがデザインしてた、と随分前振りが長くなってしまった。

安藤昌益が描いたユートピアは支配層など存在しない真のユートピア。人は本来は自分の食べる分くらいは自分で直接に土を耕して作るのが基本である。それを「直耕」として人間の基本に据えた。それをしないで偉そうにふんぞり返っている為政者やもちろん賢人聖者と呼ばれた孔子、老子、孟子、荘子、釈迦などの宗教家も坊さんや神主もすべて「不耕貪食の徒」として「おとといでてきやがれ、べらぼうめ!」と喝破した。かっこいいとはこのことよ。安藤が車乗るならブレラでしょ(笑)いや、そういう世俗の価値観をを否定するのが安藤だから車なんか乗らないかな。

まあ、安藤の凄さってのはちょいと簡単には理解できないだろう。今のような無駄な支配構造にがんじがらめになってるともうその支配のマトリックスで生きてるのが当たり前になって他の選択肢は見えなくなるし、想像力も貧困になってしまう。これが言ってみれば「奴隷」ってわけで何も世界の支配層が世界中の民を国という機関を使って法律を使いそれを悪用して操作して手先の官僚や大臣や首相をパシリにして自分たちに都合の良い世界へとシフトさせているというのだけが原因で奴隷になってしまうのではない。むしろ嬉々として怠慢と無知と惰性によって人はみずから奴隷と堕していっているのだ。

現状に疑問を持たないからやりたいようにやられてしまうのだ。先輩が以前に教えてくれたアメリカのジョージ・カーリンという噺家は支配者たちは「一日の労働を終えてちゃぶ台の前で腰かけて座り我が手をじっと見つめてなにゆえに自分はこのような日々を送らねばならないのか、と沈思黙考する民を望んでいない」と叫び、もっともっと「思考せよ」と呼びかけていた。アメリカの教育予算は年々大幅な削減を強いられて意図的に愚民化を推進してきたと看破した。愚民がいてはじめて支配構造は成立するのだ。日本はどうだろう。教育予算はアメリカに習い削られているだろう。小学校の教科書がペラペラになったとは良く聞く。テレビがああ言っていた、こう言っていた、とテレビを価値判断の基準にする者がいかに多いか。そのテレビにおいて国営放送とやらは支配者の成長物語を毎度毎度放送し続けているのだ。知らない間に支配者を崇める思考が身につくように。歴代の歴史上の支配者の立身出世の何が面白いってんだい、べらぼうめ!知らない間に「おかみ」に従うように、知らない間に愚民化するように、徹底的なマインドコントロールを仕掛けてきているのだ。夏の野球とか年末の合戦も同じく大本営の面目躍如である。いい加減にしろい!みんなを右向け右するのは!

支配を維持するための仕掛けがそこら中に張り巡らされているのが現代なのだ。安藤だってビックリのユートピアの真逆の支配マトリックスの細胞質内でドロドロの支配のカラクリ構造にあえいでいるのが現代人である。そのあえぎは実は自分自身が生み出しているのだ。そうその内膜の中で蠢く我々は実はそこを飛び出す鍵も自身で握っているのだ。もしも外の世界を希求しその内膜に附属するチャネルという出入り口を開けることができればいつでも外部世界へと飛び立つことは可能なのだ。その機会はいつでも開かれている。

映画「マトリックス」においてモーフィアスはネオに向かって言う。「扉までは案内できるが開けるのはお前自身だ」と。

安藤は自由になる為には「直耕」のみであるとした。そう人は自らの力で自らの意識を「直耕」しなければならないのだ。自己の責任で自己の意識を高めるのだ。その先に支配のマトリックスから逃れる鍵が待っている。

ユートピア論議、当面、コンティニューです。

2012.07.30 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

安藤や墨子の描いたユートピア?

ここんとこ水がキテルわけであるが、水分子にまつわる諸々に関して自分が無知であることがわかってきた。水素・Hが2個と酸素・Oが1個で水分子が形成されているのであるが、水という物性にはまだ解明されてない部分があるそうだ。

オオマサガスの発明者の社長さんは自分の作った水を「第二の水」と呼んでいた。現場主義という言葉をあるエンジニアから聞いたことがあるがまさに現場で事件が起こってしまったんだろう。低周波の振動を与えながら水を電気分解すると気泡状の煙が立ち上がる。これが酸素と水素の混合ガスでプロパンガスに混ぜると燃焼効率が上がる。この酸素と水素の混合ガスを得るための電力よりも混合ガスを燃焼して得るエネルギーの方が多いゆえに言ってみれば永久機関的な発明であろうとの見解もある。

町工場の一角から新しい世界文明が起こっても何もおかしくないし、そのほうが面白い。まだ未解明な要素が多いという「第二の水」であるがアカデミズムなんてのは机上の空論なんだから理論で整合性を持たせるなんてのは後追いで結構。そう言えば飛行機が飛ぶのも本当のところなんで飛ぶのかわからないそうだし、やっぱり現場にこそ文明牽引のイニシャチブがあるのである。

この現場主義の好例ともいえる水陸両用の未来の乗り物ベルシオンもいまだに日の目を見ていない。これはベルシオン風車の応用で滑空する乗り物である。バードストライクで鳥が死んだり、超低周波の振動で周辺住民に健康被害を出す今の大型の風車と違って、現場でちょいと羽根の角度を変えただけで超効率のいい小型風車を作ってしまったようだ。この風車のナリが水戸黄門のカザグルマのヤヒチが飛ばす風車みたいでまたカッコイイのだ。場所も取らないから一家に一台ベルシオン風車なんてのも将来性がありそうだ。このベルシオンがらみは「風の谷のナウシカ」と「天空の城ラピュタ」を合わせた感じのテクノロジーだろうか。

ベルシオンからの連想であるが映画「バック・トゥー・ザ・フューチャー」では未来型デロリアンの内燃機関はどうも常温核融合って感じだった。車体後部に設置された核融合ポット?にドクが缶飲料の残りやバナナの皮を無造作にぶち込んでマーティーに向かって「道はいらないし、これが燃料になるんだ」みたいな事を言っていたと朧気に記憶している。いや核融合と言うよりも水を電気分解してガスにして燃やすオオマサガス・タイプかもしれない。それでなんで道がいらないのかと思っていると走った先から今度は空中を飛んで画面オーディエンス目がけて突っ込んできて「続く」がクレジットされたエンディング画面となる。反重力装置に常温核融合エンジン(または酸水素混合ガスエンジン)の二点セットがオプションで追加された未来型デロリアンが主役の続編では車はバンバン空を飛んでいた。

未来なんてのは想像して創造するものなのかもしれない。

そういう意味でもローテク文明を脱して真にハイテクなクリーンテクノロジーを享受する未来を夢想するのは気晴らしになるし、そう想像することがこの宇宙のAフィールドへ情報を書き込むことになるのだ。Aフィールドに書き込まれた情報は瞬時に宇宙全体へと伝播されてしかるべきアンテナを持った者に受信される。それが徐々に蓄積されてアクセス数が上がると現実となって具現化するかもしれない、などと荒唐無稽にも程がある夢想をしてみる。まあ、想像の世界で遊ぶのはカネがいらなくて結構なことだわね(笑)

カネと言えば結局は今の世の中はエネルギー源である石油やウランなどを独り占めしてる悪ガキに支配されてしまっているわけで一般的には国際金融資本なんて言われる投資集団であるグローバルギャングの暴挙に世界の善良な民は搾取され苦しめられ続けているという構図があるわけだ。原発稼働し続けたいのも、汚染放置して病人量産したいのもみんなそんな連中の思惑だろう。医療利権も膨大な資金源だろう。こういう利権集団の手先としての官僚が出世するし首相や大臣に選ばれるなどというのも周知の事であろう。

そういう支配構造もエネルギーがもしフリーで手に入るとなれば一掃される可能性もある。エネルギーの自給自足なんてのが実現できればこの悪ガキはもう手が出せないし資金源は枯渇する。だからずっとフリーエネルギーはタブーだったし潰されてきたのだ。1920年代にすでにフリーエネルギーは実現していたなんて聞いたこともある。じゃあ80年ちかくもフリーじゃないエネルギーを無理やり使わされてきたのかよ、ってなもんよ。どんだけ無駄で効率の悪いエネルギーシステムを無理やり使わされて、したくもない汚染をしまくったのだろうか。

原発が事故っても原発やめない国って何なんだろう?まったくつくづく不思議な国だぜ、この国は。

クリーンでかっこいいポスト311にふさわしいナウシカのメーヴェみたいなテクノロジーならもう手元にあるのにね。

まあ、オレはデロリアンの方が好きだけど。あれってちょっとジュッジャーロっぽいデザインだよね。

つうことでなんか養生法とは無縁のようでいていやいや無縁ではないですぞ、の記事でした。

だって空気が綺麗になって人々の意識が高まれば病気なんかどっか飛んでっちゃうよ。

ツー ビー コンティニュー(笑)

2012.07.29 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

シェイク 

いまだ脳内空間でのブラウン運動であるがいくつかの言葉というか因子がいまブレイン内で攪拌されつつある。

酸水素ガス、オオマサガス、ブラウンガス、ニコラ・テスラ、フリーエネルギー、周波数、音波、常温核融合、生体内原子転換、ルイ・ケルブラン、桜沢如一、クロロフィル→ヘモグロビン、緑→赤、植物の同化作用、動物の異化作用、安藤昌益、通横逆、天地のエキス、自(ひと)り然(す)る転定(てんち)、永遠の回転、無限循環、閉鎖された宇宙というユニット、増えもせず減りもしない、不増不減、色即是空、ホログラム、水から水へ、クリーンエネルギー、水素文明の夜明け、水素と酸素の混合ガス、燃やすとまた水になる、水素イオンの渦、ミトコンドリアの電子伝達系、プロトンモーター、1回転で3〜4個のATP発生、細胞内の永久機関、代謝産物は水と二酸化炭素、小さな発電所ミトコンドリア、人体の60%は水である、水分を摂取することで生き延びる、水は生命体にとってもエネルギー源なのか、人体というか生命体も原子転換装置か、水の惑星地球、・・・。

Aフィールドから何らかのシグナルが送られてきているようだ。まだ「動電場脳」で完全にキャッチできていないが周波数は同調しつつある。振動が同期し始めている。全60兆個の細胞と101兆個の常在菌と12京個のミトコンドリアが同じように振動し出すと無限界から膨大なメッセージが還流してくるだろう。もうじきひらめきが訪れそうだ。自己の動電場の電位をあげていこう。そうテンションを上げるのだ。Aフィールドへのアクセス数が上がれば何らかの啓示が見えてくるだろう。いやすでにキテル?のだろうか。

宇宙の理に沿った医学、工学、産業、文明がもうじき花開くのだろうか。それに伴う認識の著しい更新が起こるのだろうか。エネルギーが枯渇するとずっと脅されてきた。日本には資源がないとバカのひとつ覚えで原発を推進してきた。実は資源は無限でありエネルギーはフリーで取り出せるのだろう。長きに渡るマインドコントロールからもうじき解放されるのだろうか。無限宇宙という文字通り限りの無いスペース。その空間は量子真空というインフォメーションフィールドで満たされている。その充溢なるプラズマ状の粘性物質で満たされた世界をようやく皮膚感覚が認知する時期が来たのだろうか。アクセスすれば無限の叡智に接続できる。いや常に無償の慈愛に我々は浴しているのである。

安藤昌益という江戸期の漢方医はすべての権力権威に中指をおっ立てた!そうすべてのセオリー、イズム、ドグマにくってかかった。そして否定した。老子も孔子も釈迦もみんな「ダメだし」くらった。そして本当にヒトとしてあるべきは「直耕」のみであると喝破した。ヒトは畑を耕して作物を作るという農こそが原点であると認識していた。それをしないヒトはみな「不耕貪食の徒」として罵倒した。つまり為政者も役人も哲学者も思想家も賢人も坊さんも神主もすべて直耕しなければその直耕によって作られた食物を盗みむさぼり食う盗人の類であると見なした。支配という鋳型の存在しない真のユートピアを夢想しそれを実現するソフトを開発した希代の発明家であった安藤昌益。世界にもまれに見るラジカルな医家である。

安藤と双璧を成すのが中国の墨家思想の発案者である墨子であるとは我が私淑する先輩の言である。墨家思想を代表するのは「兼愛と非攻」。第一非戦論はいまだに色あせない不朽の理論である。墨子はその中で、人が一人の殺人を犯せばそれは死刑に相当するのに、戦時において何千人も殺した将軍や国王は勝利したことで英雄とされる。これ如何に?と語っている。某テレビ局はいっつも歴史上の権力者の出世物語をドラマに仕立てて大衆に見せている。墨子の非戦論の真逆のマインドコントロールを連綿と行ってきた。実に国民を愚弄した行為である。まあ、最近は視聴率がふるわないようでお気の毒さまです。

安藤は医家であるゆえに人体のAフィールドである皮膚に接続できた。さらに直耕を通して地球の皮膚にもアクセスしていたのだろう。墨子はエンジニア出身である。技能の人、手の人であった。手を使い身体を使い皮膚感覚を通してこの宇宙の理を悟ったのだろう。ご両人とも身体知の持ち主です。さて安藤や墨子を崇拝し頼ってはいけません。自らの身体で思考して自らの言葉で語らなければタダの真似っ子、チクオンキです。

ミトコンドリアの祖先であるαプロテオ細菌という光合成細菌が約20億年前に嫌気性細菌と共生します。それにより生命体は酸素濃度の上がった空間で飛躍的な発展を遂げます。ミトコンドリアという発電装置を手に入れた生命体。それを演出し導いたのは他でもないメタヴァースの記憶、Aフィールドのインフォメーションだったのだろう。この宇宙は「偶然」や「突然」が支配する世界ではないのだ。必然と連続の情報伝達により現象は顕現されるのだ。その情報こそがイン(与える)フォーメーション(形)のインフォメーションなのだ。今まさに人類はAフィールドから20億年前と同じような生命進化の啓示・インフォメーションを受けているのかもしれません。

時代はあらたな文明へ。安藤と墨子が理想としたユートピアはすぐそこにあります。

扉を開くのは個々人の意識でしょう。

オープン ユア マインド フィール ユア スキン!

2012.07.28 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

黎明というか希望

日本は宝島、なんて言うとかなりヒクかもしれない。今の日本なんてグローバルギャングの植民地だし人民は圧政に苦しんでいるわけで何が宝島や、って独りつっこみしたい気持ちもある。でもあえて宝島と断言しとこう。言葉の威力、言霊の作用を期待して。本当は原発なんていう超ローテクなアナクロテクノロジーなんて使わないで真にクリーンな水を電気分解して水素ガスを取りだしてそれを燃やしてタービン回して電気を生み出す、という水素ガス・タービンプラントがとっくに出来ていて良かったんだろう。なのにそういう情報は一切今まで出てこなかった。これもそういう有益な情報をメディアという原発ムラが隠蔽してきたからだろうか。水の惑星にふさわしい水から生み出すエネルギー。水素文明の黎明はすでに胎動している。

東洋医学に関してはもう非常に周到に情報は制御されている。決してブレイクしないように情報はコントロールされている。某新聞社がホメオパシーをバッシングした際に鍼灸へと波及すると思っていたがそれは無かった。海外のある本が代替医療のエビデンスに疑義を示す内容で話題になったがそれもたいして鍼灸業界へと波及しなかった。寝た子を起こさないように話題にもしないのだ。そして我が業界はみずからの手でその世界を狭くし続けている。鍼灸指圧や東洋医学というソフトは身心の理解、地球との付き合い方、宇宙の理とは何なのか、を考察するうえで優れたツールとなる。皮膚という暗在系と明在系の接合点にアクセスし続けていると宇宙の理を悟らせてもらえる。だからフィードバックする意味でもこういうブログを立ち上げて情報を発信したほうがいいのである。

さて、老子なんて人物は架空の人物であろうし、先に触れた800歳生きたという彭祖という仙人もまあ実在の人物じゃあないだろう。この老子と彭祖は同一人物という説もあり同じ「老彭ソフト」を縦横に使いこなして神仙思想や道教が体系化されているようだ。老子から房中術という「道徳的にいかがなものか」の部分を抜いて、彭祖にそういう怪しい部門を委託したようだ。房中術ってのはようは男女の道である。詳しく述べる必要はないでしょう。この老彭が実在の人物かどうかはどうでもよくてやはり老荘思想はそれなりに使えるツールである。道という言葉で宇宙の理を表すのであるが道と言った段階でもう道を理解できていない、みたいに言葉という文字シンボルをも否定していくところなんか非常に優れていると感じる。タオだの道だの一だの無為だの空だの、という言葉や概念に取り憑かれてその言葉の信者になってしまうことを抑制する原理をそのソフトに内包しているのが老荘思想でもある。

仏教っていうだけでなんかエコだと思ってないだろうか。この仏教が戦後はなにも機能してこなかったからこんな原発立国ができあがったのだ。どこにエコ思想なんかあるってんだい。神道はどうだろう。おんなじだよね。なんにも自然破壊を抑制できなかった。そこら中にパワースポットだか何だか知らないが人が大勢集まる神社はある。でも神社自体は経済による自然破壊には我関せずかね。わかんねぇなぁ。自然こそが神であり仏じゃないのかね。山川草木が放射能で汚されていくんだぜ。仏の顔に泥でなく放射能ぶちまけて平気の平左かよ。しめ縄を結ったその杉の巨木も放射能吸ってんだよ。神を侮辱して汚して平気なのかいな。全然わからんね。感性が鈍磨してるね。地球自体が仏であり神だろうに。その神仏のうえで我々は暮らしているんだよ。

無為にして混沌、それでいて「自(ひと)り然(す)る転定(てんち)」こそがこの宇宙である。小賢しい人智など及ばないメタヴァースの理が働いているのがこの宇宙である。厳かにして美しい音波がいつもこの宇宙には搏動している。その搏動は皮膚というヒトのセンサーフィールドを同調させる。指圧や鍼灸というツールを通してヒトの皮膚に触れているとこの宇宙の搏動が伝わってくるのである。それは「ひとりするてんち」のさざ波である。命の鼓動である。

身体の声を聞く。謙虚な医療者はいつも身体の声に耳を澄ませその声に従ってきた。西洋医でありながら操体法という身体の声に素直になる体術を編み出した故・橋本敬三氏の著書にも「日本は宝島」とある。ユーラシア大陸の東端であり情報の吹き溜まりである日本にはガラクタ情報と宝の情報が渾然となって堆積している。橋本氏はその一見するとガラクタの山から宝を見つけたとおっしゃった。そう秦の始皇帝が徐福を派遣させたのはまさに東海の蓬莱山である日本国だったのだ。操体法とは身体の声を聞いて痛い方から痛くない方へと方向転換する術である。

この島には行きづまった文明から方向転換するための情報、ツール、宝が備わっている。「福の島」の悲劇を原子転換して「希望の島」という新元素を生み出すのだ。原子転換産業の黎明は我らの心から始まる。

さあ、今日もセンサーフィールドにアクセスだ。

2012.07.27 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

食薬一如「道は近くにあるのに、人々はそれを遠くにもとめる」孟子

秦の始皇帝も漢の武帝も今で言うアンチエイジングに取り憑かれて必死になって仙薬を探し求めてそのあげくアッサリと50歳そこそこであの世へと旅立った。そりゃあ身体を使って働いたわけじゃあないし、植物性7、動物性1の食の黄金律を守ってもいないだろうし、鍼灸指圧術を恒常的に受けていた訳でもないだろうから、仙薬だけ飲んだって長生きするわけがないのだ。この仙薬だってまだそんなに体系化されていたわけでもない。

方士なんて言う極めて怪しい職業もあったようだ。仙術に通じている者らしいが、早い話しが皇帝のタイコモチというか幇間であってあそこに仙薬があるでございの、房中術をしてとっかえひっかえニョショウと交わればいいだの、夢占いをしてあげて「ヤバイですぞ」なんて脅して皇帝の血圧を上げる役回りである。長生きなんてできっこないわね。秦の始皇帝は仙薬があるという東海の三山のひとつ蓬莱山を探し当てる目的で徐市・ジョフツという方士を蓬莱山探しへと送り出した。それでその徐市または徐福とやらが日本へと漂着したという伝説が生まれているのである。日本という蓬莱山には仙薬があるそうだ。

秦の始皇帝に献上された仙薬で謎なのが「橘」というもの。香り高い果物ということでバナナ、パイナップル、オレンジが候補にあがっている。どれも素晴らしい抗酸化物質を含む今でも十分に仙薬と言っても過言ではないセレクションである。ある意味やはりこういう古代人の先見性は特筆すべき点である。私はたまに漢方の医書からひっぱってきて薬能や食能を解読するがこれはそういう古代人の体験知、身体知を尊重しての考察なのだ。

それで昨日は仕事の帰りにおつかいを頼まれてスーパーに寄った。果物売り場になんと50円引きのシールが貼られたカットフルーツがあった。オーッ、仙薬、仙薬!カットされたパイナップルがプラの入れ物の中で輝いておいでである。秦の始皇帝が垂涎の仙薬よ、ヨシヨシ、イイコイイコ(笑)148円の50円引きだからお得だよね。調子こいて2個購入。ウチ帰ってみんなでムシャムシャ頂いた。甘くて酸味があって極上の仙薬だよね、パイナップルって。キウイも一緒に頂いたから昨夜は軽くフルーツ祭りだった。今の日本は本当に蓬莱山だよ。スーパーに行けば世界中の仙薬が並んでいるだからさ。まあ、「奇人、変人、半狂人歓迎、但し一芸に秀でた者」である自称間中門下の真骨頂ですな。

ということで懸案の仙薬であるシナモンというかニッキというか桂・ケイを少し解読してみますか。

桂枝(ケイシ)、桂皮(ケイヒ)、肉桂(ニクケイ)
南中国産クスノキ科植物の枝の皮、あるいは本邦産ニクケイの根皮。

「味は辛みがあって身体を温める効能がある。関節の動きを良くし、筋肉や血管壁をあたためる、胸苦しい感じを治し、発汗を促し、女性の生理を正常化して、ミゾオチの辺りから突き上げてくる動悸を鎮めて、他の生薬がおのおのの行く先である経絡へと通じていけるように道案内をする役目を果たす」『古方薬議』

「身体を温める、発汗解熱の作用、鎮痛効果を有する、沈滞した気を高める興奮剤でもある」効能一覧

女性の生理不順を治す妙薬である桂枝茯苓丸(ケイシブクリョウガン)も名前の通り桂枝が主成分を成しています。他の漢方書には桂枝には白血球増強作用があるなどの記述も見られます。免疫不全が引き起こされる内部被曝に対しても予防効果が期待できそうです。

近所のスーパーで手に入れたアーモンドのシナモンコーティング。これもポスト311の仙薬にランクイン確定です。

有名な仙人に彭祖(ほうそ)がいる。齢800余歳まで生きたとされるからリアルヨーダなみの長生き。まあ、この800余歳ってのは随分というか誇張し過ぎだろうけどね。生物ってのは成体になった歳の5倍くらいが寿命だから人間の場合は24歳で成体とされるからその5倍って言うと120歳ね。ここがまあ長寿の到達点だね。もし長生きしたとかって仙人がいるのならいいとこ120歳前後ってことでしょう。しかし、こういう科学的分析は野暮で夢がないから、やっぱ800余歳生きたってことにしとこうか(笑)

日本の漢方医では永田徳本先生が118歳ね。ワンコイン治療の神医、十六文先生です。これもリアル仙人でしょう。こっちは桂ではなくてレーズンか、もしくはハトムギの常食かな。徳本先生は本草学に通じていたから仙薬を自家薬籠中にするなんてお手の物だったでしょう。で、くだんのリアルヨーダは桂と芝の二薬を常食していたそうだ。芝ってのはシであってキノコの類。芝についても最初からサルノコシカケとされていたわけではない。最初の頃に芝とされていたものはなんとキクラゲ。

私は仙薬ビンゴな食材をけっこうリストアップしていたから良かったよ。それに常食してきたからさ。秦の始皇帝も今頃は草葉の陰でヨダレを垂らしていることでしょう。

「ゴメンね、皇帝さん。日本が蓬莱山ってのは本当だったよ。近所のスーパーに仙薬が50円引きで売られるご時世だもん。徐福さんもビックリだわね。」

日本は宝島。

スーパー養生法、佳境なり!

2012.07.26 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 食薬一如

しゅうきょう

既存の伝統宗教に求心力がなくなって新興宗教やカルト宗教が大流行して今に至るのであるが、これが現代人の心に問題があるだの、伝来の土着のコミュニティーの喪失だの、そんな背景が原因になっての流行だと分析はいろいろされているのだろう。いつも思うのだが結局、その心の問題ってのは身体の問題であるわけで、身体を離れた心の問題などないのだ。身体を離れた心の問題として、心だけを分離して考えるからおかしくなるのだ。分けて考えるってのは分析思考で西欧的な科学思考なのかもしれないが、なんでも分ければいいってもんじゃあない。

即身成仏、悩める肉体をもってありのままの姿で現世において解脱して悟りを得る。空海は身心を二つに分けて考えなかった。身と心は一体であるから身の治療が心の治療であるとも悟っていたのだろう。日々、身心の出島であるセンサーフィールドという3兆個の細胞群である皮膚に触れていれば心と身体は一体なのだという認識に普通は到達するのだ。身体がほぐれれば気持ちもほぐれる。そんな当たり前のことすら見えないのが頭でっかちの近代人である。

この世の事象はホログラフィックにすべてがリンクしているのだから、分けていては何も見えなくなる。「差取り」というクロスオーバーな思考法から遠ざかれば遠ざかるほど真理は見えにくくなる。現代は差ばかりが強調される時代だ。勝ち組、負け組、という非常にいやらしい言葉もある。格差社会。まさに弱肉強食であり分離であり分断統治である。グローバルという言葉は決してまろやかなグローブや柔らかい統合を意味しない。すべてを自分たちの都合の良い方向へとシフトする利権集団が持ち込んだ思想がグローバル思想だ。TPPも原発再稼働も増税もたぶんそんな手合いが地下で胎動し遠隔操作しているのだろう。

さてもとい。仏教も神道も海外の十字架がらみも本来は宇宙の理を教えるソフトだったはず。それが次第に国家という権力装置に付随する権力補強ソフトになってしまう。民衆の苦しみや不満を吸収する良くできた緩衝材の役目をするようになる。一種のスポンジだね。自民党に対する不満を吸収する共産党みたいなもんか。神道が国家と結びついたのは忘れもしない太平洋戦争であるしその系譜は今も続いている。政教分離が謳われていながら神道はいまだに国家と結びついている。仏教は平安時代あたりから国家と直結していた。中国へ留学して帰国した僧侶たちが権力を持っていったのがその時代だろうか。空海を崇拝する思潮は今も若干あるようだ。仏教の流派を築いた開祖を崇めても別になにか特典があるわけじゃあない。ぜんぶ自分で悩み苦しみ到達することに意味があるのだ。

ドデカイ仏像を仰ぎ見ると何か御利益があるのだろうか。あるわけがない。デカイっつうことが理解できるだけだ。そのデカさとは権力を顕すことだったのだ。そのドデカイ仏像だって銀河系や宇宙全土に比すればチリほどの大きさだ。そんなに威張るない、べらぼうめ。

巨大な仏像を造るのは今で言う公共事業だったのだろう。スカイツリーか、はたまたオリンピックか?大衆の注意を統治側のよからぬ画策からそらす権力維持装置こそが巨大な仏像であったのだろうか。やってることは何も変わっちゃあいない。人はというか、国家とは常に人民をコントロールし支配しようとする。電気が足りないならテレビを止めればいいだろ。どうせろくでもないアホな番組ばかりなのだから。オリンピックなんかやってる場合かいな。北半球を放射能が飛び回ってるってのに。おっとっと、余談炸裂!

国家の暴力性をうまくカモフラージュし大衆のルサンチマンを吸収するソフトこそが宗教だったのだろう。和風の美しい色調の袈裟を着て高邁な有り難い言葉を並べる坊さんの話など聞ければたいそうありがたいという時代はあったはずだ。しかし近年は学校教育が普及して相対的に人民は小賢しくなってしまった。坊さんのご威光もかなり減弱した。仏教に帰依する気持ちなど最早あまり見受けられない。山川草木はすべからく仏である、という素晴らしいソフトがほとんど伝わっていないのだからもったいない。もしこの短い言葉がしっかり理解できていればこのような凄惨な自然破壊国家など成立しようがなかったのだ。いったい何をしてきたのだろう、既存の伝統宗教は。

神道だってもとは自然崇拝だろうに。巨岩や大木に「しめ縄」結ったりするんだからそれを日本の国土や地球全体へとフラクタルに拡大して考察できないのだろうか。地球の赤道上に「しめ縄」を結んだらどうだろう。太陽系や銀河系に「しめ縄」をかけようよ。神だのゴッドだのサムシング・グレイトだの、意味不明な呼び名はもう結構だから、具体的に自分たちを生かしている惑星である地球や太陽である恒星や恒星が集まった銀河系こそが神じゃあないのかね。いやそれらを生み出した宇宙の理こそが神であろう。60兆個の細胞やその中でATPというエネルギーを生み出すミトコンドリアだって神と呼んでもいい共生体だ。科学と宗教は矛盾しない。

素晴らしい演奏を聴いて鳥肌が立ち高揚感に浸る。宗教なんて目じゃないほどのエクスタシーが音楽からは得られる。美しいホルンの調べに森や銀河系を連想する。アリアの高らかな声量に宇宙創生の声を聞く。音のもつ力は計り知れない。縄文式土器の美しく激しいあの紋様から察するに縄文人の感性は抜きんでてピカイチだっただろう。弥生時代のモダンな土器にはもうそんな激しいパッションは感じられない。縄文土器に神を見たっていい。芸術と宗教は矛盾しない。

宗教って何だろう。宗教ってカテゴリーをわざわざ作ってわける必要ってあるのだろうか。科学を突き詰めればそこに神なる宇宙の理を発見する。至高の芸術には神の計らいを感じる。すべての事象はリンクしてホログラムしているのだ。

オレはさしずめミトコンドリア教かな。宗教も自給自足の時代です。

2012.07.25 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

机上の空論

心を空にする、は心をからっぽにすることではない。無念無想とは何も考えないことではない。雑念を追い払い心を空にする?そんな事ができるわけがない。心は身体なのだから。身体という物理的な物体を離れて心は存在できない。つまり心とは身体なのだ。無念無体?身体を空にする?できないでしょ、そんなこと。できない事のために必死に結跏趺坐して面壁八年して足が萎えて達磨さんになってどうすんのよ。禅の開祖は達磨さんだけどさ、意味不明の修行なんていらないね。なんだっけ密教の修行で千日回峰行とかってのをやりとげると「あじゃり」という称号を得て立派な坊さんになるそうだが坊さんに位があるのっておかしくないかい?そういう権力構造を否定するのが仏教じゃないのかね。山川草木はみな仏じゃん。雑草も小川も今吸った空気も仏でしょ。なんでわけがわからん人間の作りだした価値観でクラス分けするのかね。宗教なんてもろに権力構造の上意下達の支配の鋳型。これもまさに人間支配のマトリックス。禅も老荘思想も高邁な宗教観もあくまでアクセサリーソフトと思ってあとは自分で思考し創造しないと「悟り」や「無」や「空」や「道」の奴隷になっちまう。

さんざん瞑想らしき事もやってみたが結局は心を空にすることなどできなかった。次から次にいろんな考えがイマジネーションが湧いてきてとてもじゃないが心を空っぽになどできないことを悟った。心とは揺れ動き続けることで安定しているということがわかったのだ。物的な命である細胞は毎秒1000万個もリモデリングして古い細胞と新しい細胞が交替し続けている。身心一如。心も身体も常にダイナミックに動き続ける。ホメオダイナミクス・動的恒常性。「流水は腐らず」、それが宇宙の、心の、肉体の真理である。ミトコンドリアは細胞質内をダイナミックに動き回っている。地球は一時も休まず回転している。太陽系も銀河系も高速で回転している。原子核の陽子も回転し核の周囲を電子が周回している。全宇宙も膨張したり収縮したりやはり動き続けているのだろう。万物は回転することで安定している。

宗教にしろ、禅にしろ、さまざまな高邁な教えにしろ、それはあくまでカルチャーセンター的な「教育という支配洗脳構造」じゃないのだろうか。たしかに人はある時期はある程度は型にはめてそれなりに社会というものを経験すべきなのだろう。しかし飼い慣らされてしまうとその支配の鋳型から抜けられなくなる。支配の鋳型の中でしか幸せを感じられなくなってしまう。与えられた情報でしか思考できなくなる。それが国家による洗脳であり支配なのではなかろうか。鋳型にはまるとロクなことはない。

え〜、ようは何を言いたいかというと本稿のキモは「心をからっぽにする修行」はしなくていい、ということ。心は充実させてもっともっと充実させて目一杯はちきれんばかりに詰め込むといつか突き抜けてアカシックフィールドにアクセスできるだろう、と予測できそうだという私なりの「教え」をおせっかいにも言ってみたのが本稿の論考です。

常に思考し続けて情報で充溢させる。それこそが心を空にするということなのだ。空・クウとはからっぽを意味しない。心をクウにするとは心をエンプティーにすることではない。心をフルにすること、フルスロットルにすることが心を空・クウにすることなのだ。これが私が言いたいことである。

空海という坊さんがいた。密教という宗教を広めた坊さんらしい。詳しくは知らないが中国で修行して帰国した坊さんだ。彼は中国で本場の鍼灸を修めてきたそうだ。彼は肉体を離れた悟りなどないと喝破した。即身成仏。空海はその悩み苦しみ痛み病む身心という肉体を味わうことで「悟り」は起きると教えた。それが即身成仏だ。現世においてその肉体の殻の中で悟るのだ。それが真の悟りであると。あの世に行けば往生するとか極楽があの世にあるとかと空海は説いているのではない。この世でこの肉体を通して極楽に到達しよう、と言ったのだと私は解釈している。鍼灸指圧をものしていたのなら当然の結論だろう。いまも日本の各地には「弘法の灸」や「大師流」なる弘法大師空海にちなんだ呼び名の鍼灸術が伝わっている。空海が日本各地を行脚した際にそんな鍼灸術を広めたのだろう。あるいは空海の法力にあやかろうと術をネーミングする際に空海がらみの言葉をアタマにもってきたのだろう。生老病死を否定するのではなくそれを受け入れてはじめて悟りに至るのである。

空海とはまた面白い名前である。「この宇宙とは量子真空という膨大な情報群・インフォメーションフィールドによって成り立つひとつの海である」を略すると空海になる。

坊さんの名前にまでホログラムの暗示があるのだ。宇宙はたった一葉からすべてがわかるようになってるみたいだ。

親切なるかな我が宇宙。

合掌!

あっ、鋳型にはまってる〜(笑)

2012.07.24 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

万華鏡

ホログラム(一即全)、フラクタル(相似)、エンタングル(相関)、コヒーレント(一貫性)、クロスオーバー(横断交錯)、リンク(連環)、ユニヴァース(ひとつの全て)、メタヴァース(ユニヴァースの源である原初のユニット)、アカシックフィールド(略してAフィールド、量子真空という細胞質のようなプラズマに満たされた全宇宙はインフォメーションフィールドという情報の海でありいつでもどこでもその情報はこの世界を満たしている。もしアクセスするアンテナが起動していればどんな叡智もこの宇宙から瞬時に取り出せるのである。神の啓示も、ひらめきも、夢のお告げも、虫の知らせも、すべてはAフィールドにアクセスした瞬間を表現しているのである。そうAフィールドこそ古来より全宇宙を導き癒やし進化させてきたこの宇宙の意思なのだ。ビッグバンという宇宙創生もこのAフィールドに書き込まれていた宇宙創造のインフォメーションが起動した結果である。宇宙の始まりの始まりにはメタヴァースと呼べる原初の情報群が存在するのだ。何度も何度も宇宙は生まれ崩壊し再生してきた。すべてはAフィールドという情報群に書き込まれていたすでに存在し経験したかつての宇宙・メタヴァースの情報がイン(与え)されてフォーメーション(形)して可視化した世界がわれわれが今いる宇宙なのである。つまりこの世界はAフィールドにより導かれ進歩し続けているのである。古来より人が神とも天とも道とも呼んできたサムシングこそAフィールドであったのだ)・・・。

この宇宙を相似形の入れ子構造にしてすべてを相関させ一貫させてリンクさせるホログラフィックな「真理」である暗在系。この暗在系の一端である明在系を表現する上記の言葉群を並べていけば現代版・般若心経ができあがりそうである。色即是空とは、「色という目に見える現象界とは空という目に見えない暗在系の情報群であるインフォメーションフィールドによって浮き上がる宇宙万華鏡プリズムの一閃光である」、ということを簡潔に四文字の漢字シンボルで表現したものと解釈している。つまりはこの宇宙とはとっても良くできた精緻でダイナミックかつ神々しいまでにシステマティックな世界なのである。

さて、よく禅の世界とか瞑想などでは心を空・クウにすれば火もまた涼しなどと言うのであるが火が涼しいわけがないのである。心をクウにしたって熱いものは熱いに決まってる。「シントーメッキャク」とかって呪文を唱えれば肉体が焼けないなんてことは生物学上、生理学上はあり得ない。だいたい45度を超えれば皮膚はヤケド状の様相を呈する。灸治療をさんざんやっている私が言うのだから間違いはない。あくまで比喩だね、この火もまた涼しいなんてのは。

空中浮遊とかアセンションもあくまで比喩である。ここが禅問答の面白さじゃないのかね。そのまんまの解釈したらアセンション=次元上昇なんて何のことかわかりゃあしない。4次元や5次元に移行する?なんのこっちゃい!ようは比喩でしょ。意識が高まるとかってことならいくらでも意識は高めていけるわけでそれを次元上昇と呼ぶのなら別におかしくはない。物理的に肉体が5次元に移行するなんて解釈するからトンデモなのだ。アセンションってのはそういう意味で個々人の解釈の問題でしょう。次元上昇しなきゃあならないのは実際に事実だわね。すべての人類の意識が底上げされればそれなりに文明の質も転換するだろう。

だから、クウなんて思想に取り憑かれるとロクなことない。クウとは実は全溢なのだから。すべてを満たすもの、そうAフィールドへアクセスすることがクウなのだ。空=全。これが私の今現在至った境地。境地なんて大げさな言い方だけど、禅も道教もあくまでアクセサリーソフトという視点です。自分なりに使いこなせなければ意味がない。一や空などの観念をどう解釈するかは個々人で違って当然だし違っていたほうが面白い。

悟りも「差を取ること」とある女性は仰ったのだけど、これをクロスオーバーって言葉に変換した方が理解し安ければそうすればいいし、Aフィールドへアクセスすることが悟りって解釈してもいい。あくまで自分で到達すべき概念が悟りだろう。人の言葉を借りただけではチクオンキって桜沢如一が言った。安藤昌益はすべてのセオリーやドグマや権威を解体して独自の言葉で語ろうとした。宮本武蔵もしかり。借り物の言葉を極力排して自分の言葉で語ったのが「五輪の書」

ということで今後の記事のためもあって脳内思考空間のインフラ整備を兼ねた記事でした。

2012.07.23 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

Hシフト

再三にわたり触れている水素という元素。なぜにこんなにもしつこく水素にこだわるのか自分でも良くわからなかったのですがなんとなく見えてきたものがある。軽いインスピレーションであったのが今はかなり大きくイマジネーションが膨らんできた。水素爆発ではなくてゆっくりとした反応でコールドに熱が発生している感じ。ようはミトコンドリアっぽいというか体温が発生してきた。前置きがなんとなくめんどくせぇ野郎だぜ(笑)

本稿のキモへいきなり飛び込みましょう!そう水素文明の夜明けが来たのです。やったぁ!ってなもんです、はい。独りで行っちゃってますな、相変わらず。そう生命体もエナジー産業も水素によってエネルギーを生み出すという宇宙の理に沿ったクリーンな文明が花開くときが来たのです。と言ってしまおう(笑)水素は原子番号1番です。「スイヘリーベボクノフネナナマガリシップスクラークカ」という元素の周期表を呪文の如く唱えて暗唱したのは高校の化学でした。いやぁ、化学が嫌いで苦手でね。もっと勉強しとけば良かったと後悔しきりです。それでも今からなんとか挽回しようと最近、図書館で元素の本を借りたりしてます。けっこう面白いけどすぐに飽きる。本草学や細胞生理学のほうが相対的にしっくりくる。

それはともかく工学や産業の分野でも酸水素ガスだの水素ガスの効率的な抽出法だの新たな水素をエネルギー源とするシステムが開発されつつあるようだ。水素の同位体を使った核融合技術はなかなか日の目を見なかったが、水素ガスを使った産業は勃興間近かもしれない。思えば東京都知事に落選する常連のエキセントリックな発明家がもう20年以上前から水を電気分解して水素ガスを取り出せばエネルギーは無尽蔵だ、とのたまわっていたがアレはけっこう真実を突いていたのだなと感慨深いものがある。

まさに「スイヘリーベボ・・」のスイとは周期表の1番の元素である水素の音読である。スイという「一」である水素がヘリの音読である2番元素の「二」のヘリウムガスに融合するのがコールドフュージョン・常温核融合である。「一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生じる」の太極図を表現したこの道教の言葉は物理化学現象にまでフラクタルにホログラムしているようだ。重水素が融合してヘリウムガスに原子転換して熱エネルギーが発生する。1番元素が2番元素を生じ、2番元素を生じる際に熱エネルギーという三を生み出す。三である熱エネルギーが産業構造を下支えするエナジーを生み出して人類を養う。まさに原子転換産業の黎明と陰陽という易の真理を伝える呪文がシンクロした瞬間である。

また水素が酸素と化合すると水に変化する。水素と酸素と水。この3つの基本元素、基本分子があらゆる生命体を生かし、かつ殺しもする。「もののけ姫」におけるシシ神様のように生死を司る神に匹敵するのが水素と酸素と水であろうか。人体に存在する元素のうち最も多いのは酸素で65%、次が炭素で18%、そして水素で10%、窒素が3%、その他の微量元素は4%。人の化学成分で最も多いのは水で60%、タンパク質が18%、脂肪18%、ミネラル3.5%などである。水は酸素と水素の化合物であり、タンパク質、脂肪、炭水化物はすべてその分子中に酸素、水素、炭素を含む。したがって酸素が元素の中ではトップになるのである。酸素も重要な元素である。酸素と水素が化合した水。火の文明の終焉は水の文明の黎明であるようだ。

物理と生物学を融合した生物物理学を希求した異端の天才科学者こそ生命場の提唱者・イエール大学神経生理学教授ハロルド・サクストン・バー博士その人だったのだ。生命現象と物理現象は決して矛盾する事象ではなく相補的でフラクタルでホログラムにエンタングル(相関)していることをバー博士は宮本武蔵よろしく「観の目」で見抜いていたのだろう。宇宙の電気的変化が生命体を支配していること。生命体の栄枯盛衰が電気的にクッキリと連動し表示できること。電磁場の鋳型の導きで物的生命が出現すること。女性の排卵時における電位変化の特異性。電位変化と精神状態の相関。多くの実証から物理現象と生命現象のエンタングルに気づいた不世出の科学者。バー博士の卓見はいまだに人口に膾炙しておりません。あまりに惜しい。

つまりは、生命という宇宙によって作られたテクノロジーを見習った産業が勃興すればそれは宇宙の理に沿ったクリーンで平和な文明が築かれるであろうとの啓示がここんとこ舞い降りた次第です。水素文明の未来を描ききるには私の筆力では手には負えませんがまずは報告までということで。

未来は意外にも明るいのかもしれません。

オキシジェン&ハイドロジェン&ウォーター&ラブ&ピースです。

2012.07.22 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

アイドリング(ノン)ストップ

明治8年(1875年)に西洋医学の試験科目のみによる医術開業試験実施の件が布達される。これにより実質的に日本漢方と日本鍼灸の蜜月が終焉する。ちなみに時の漢方医は2万3千人、洋方医が5千2百人。いかに悪辣な暴政が敢行されたかがこの数の比較でもおわかり頂けるであろう。2万3千人の無念を背負うべきなのが維新後の、戦後の鍼灸師であるはずだ。その気概やいずこに!爪や牙はすでに抜け落ちたのか?オレには最近また生えてきたみたいだ。アーモンドのシナモンコーティング甘味を食べてるせいかな(笑)

鍼灸指圧という体表という人体最大にして最重要なセンサーフィールドに適切な情報を送り、表皮のセンサー細胞であるケラチノサイトのミトコンドリア内の水素イオンの流れを良くしてATP合成を促進する物理療法。漢方薬という草根木皮を煎じ天地のエキスが凝縮された温かい液体を口腔から浸透させ腸管上皮全体をくまなく慰撫しその薬理成分を小腸のセンサー細胞から吸収させて血行性に全身60兆個の細胞へと必須成分を送り全身の細胞内のミトコンドリアにおける水素イオンの流れを加速させてATP合成を促進する療法。煎じ詰めると「外部と内部の細胞膜からの情報伝達によってミトコンドリア内の水素イオンの流動性を高めATP合成を促進する鍼灸指圧術と漢方薬」。この二大療法がミラクルに和合していたのが日本鍼灸と日本漢方の結婚であったのだ。

日本鍼灸と日本漢方に蘭学経由の実践主義が加味されたのが華岡青州が率いた漢蘭折衷派というミックス派である。青州は柔軟でフュージョンな発想で西欧に先駆けること半世紀早い乳がんの全身麻酔による外科手術の偉業を成し遂げる。実はここにすでに日本医学のカウンター化の萌芽があったのだ。いや世界の医学が将来目指すべきブループリント(青写真・設計図)が暗示されていたのだ。医学の東西にこだわらず古今に拘泥せず、今その場にいる患者にもっとも適切な方法を選択する。カウンター・メディスンとは単に西洋と東洋の医学の枠組みを超越することを意味するのではなく、患者にとって一番当たり前の選択ができる医学ということであろう。この至極当たり前のカウンターな判断が華岡青州により成され実行されていたのである。日本医学の、世界の医学の潮流は華岡青州の脚下から再スタートすべきだろう。

さて、維新の医療制度改悪により鍼灸術と漢方薬の結婚は破綻するのである。これ以降は西洋医が漢方薬を扱うか、薬剤師の資格をもつ者が漢方薬を扱う、という変則的なカタチとなる。鍼灸師には診断権が付与されていない。また現今の法律では医業類似行為という意味不明の卑しい言葉で表現されるのが現在の鍼灸業の位置づけである。類似行為という表現から察するにこの国はいまだに鍼灸術を医療とは認めていないのだ。こうして鍼灸術をおとしめて鍼灸師から誇りと自尊心を奪い、牙も爪も角も漢方薬も奪ったのが明治維新なのである。1400年の長きに渡り我が国民を守り続けた誇りある日本鍼灸はこの時に死んだ?のかもしれない。

明治維新とは日本のグローバル化の端緒でありこのスタートがあればこその日本の医療費35兆円利権の栄華が築かれたのだ。物事には始まりがある。明治維新とは文明開化ではなく文明退化であり文明の破壊であり国家の略奪であったのだ。開国とは売国に過ぎない。近代化、グローバル化とはイナゴの襲来を意味するのである。イナゴならペンペン草がなくなれば飛びさるだろうが、ヒト科亜種のイナゴたちははたしてエサがなくなって飛びさるのだろうか。エサを維持しながら巧妙に吸い上げるというより狡猾な手段を持つ種族である。今も虎視眈々と次なる標的を創造中である。放射能汚染はビッグな医療マーケットの創造である。抗するには自衛しかない。自衛の方法はすでに公開している。「血液の総入れ替え」「体液の質の転換」「元素の出流入の加速」「ATP合成酵素・水素イオンモーターの回転力の保持」に尽きる。実践あるのみ。

鍼灸師である私は漢方薬を直接は扱えないが漢方理論の持つ深遠で単純なソフトは十二分に活用させてもらっている。象形薬理である。この万物をフラクタルに捉える易学由来の情報処理ソフトは自在に扱えばこれほど心強い「神器」はない。ヤタノカガミの如く森羅万象を写し、ヤサカニノマガタマの如くまろやかにすべてをくるみ、草薙の剣の如く切れ味鋭く万物を解析するのが易のフラクタルな分析法である。

本草学とは「草を本とする学」である。草という植物に依存して動物界は成り立っている。同化作用に優れた植物たちは大気という天と大地という地からエキスを吸収して栄養価に富む物質へと原子転換してくれる。その天地のエキスが転換して安定した姿が植物たちだ。春の訪れを告げる小さなツクシも、雲を突くように巨大なメタセコイアの巨木も天地のエキスが凝縮したカタチなのだ。植物は天地の生まれ変わりである。その植物を食べる動物は植物の生まれ変わりである。畢竟われわれ人間も植物の生まれ変わりであり天地が転換して安定したナリなのだ。

安藤昌益は天地を「転定」と言う文字で表現している。水素原子の雲が集まり凝縮して爆発して全元素の放出が起こり重い元素がコア部分に軽い元素が細胞膜や細胞外マトリクス部分に集まり回転して球状に形成されたのが天地である地球惑星と大宇宙の相関である。万物は回転している。回転しながら安定している。回転安定を略して「転定」と考察したのだろうか。水素の原子核の回転がすべての始まりなのだろうか。安藤昌益の「天地」という文字シンボルの解体から水素イオンがまた見えてきた。やっぱりホログラムなのだ。

たとえ開国という売国が一時的にカオスをもたらしたとしても一回転したに過ぎないのだ、と思おう。希望はいくらでもある。

回転し続けようと思う今日この頃である。逆歩術も回転なしでは狭いトコでは実践できない。回転してまっせ、ここんとこ。

さて、アクセルオンや(笑)

2012.07.22 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

風の脈

経絡人形というのをご存知だろうか。ツボがいっぱい・で刻印されてその・をつなぐ線が縦にひかれたあの人形である。その昔は銅で造られていたので経絡銅人形と呼ばれていたのがこの経絡フィギュアである。今はゴム製が多い。私の治療院にも経絡ゴム人形がある。鍼を刺されたナリでいつもデスク脇に鎮座している。中国の最高レベルに達した鍼師には場の治療というホログラフィックな治療が出来る達人が存在するという。これは経絡人形を使った治療なのだ。大勢の患者を車座に座らせて鍼医は自分が手にした経絡人形に鍼を打つのである。打たれるのは患者ではなくて経絡人形である。一即全。ひとつの場に起こった現象は全体へと波及する。ひとつの人形への刺鍼は車座に集まった患者全員へ鍼を打ったのと同じである。ということで場の治療とはまるで手品めいているが至高のレベルにおいては実現可能な治療術のようである。それにあやかろうってわけでもないのであるが自分もマイ経絡人形に鍼を打ってあるのです(笑)

さてこの経絡人形の最古のものは銅でもゴムでもなく木製でうやうやしく漆が塗られたものでした。足が一本取れてしまったようなサモトラケのニケ状態で発見されたこの漆人形にはやはり縦のラインが施されておりました。経絡とは経という縦のラインと絡という横のラインを組み合わせた用語です。この経絡という用語がイコール気の流れるネットを表現していることになっています。これ先入観であり固定概念。本当に経絡として認識していたのかね、古代人は?ということ。漆人形に施された縦の線を使い古代人は何を伝えようとしたのか?これに挑む鍼灸師ってあんまりいない。私は変人、奇人を自認する自称間中門下であるからしてやはりここは独りでいっとくしかないのである。

古代人は経絡として認識していたのではない。身体には何か情報系があるんだよ、という軽いノリのメッセージだったのだろう。縦のラインで表現しているがそれが皮膚表面にあると言っているのかはわからない。皮膚よりももっと上、つまり電磁場のように周囲にある何かを伝えたかったのかもしれない。ライフ・フィールドという生命場と呼べるエネルギー空間を我々は保持している。その繭のような電磁場のフィールドにくるまれて生きているのが生命体である。バー博士をはじめ旧ソ連の公式文書などからも人体のライフ・フィールドに関する知見は報告されている。ツボという点ではなく経絡という線でもなくライフ・フィールドという面でありかつ立体的な球状の場こそが気というエネルギー情報の暗在系の真相なのではなかろうか。人間の認知能力は文字に支配されるようになるととたんにその認知できる守備範囲が低下する。文字にとらわれて先入観が生まれ固定概念がこびりついてしまう。柔軟でそのままを認知する能力はすでに大幅に失われている。

ライフ・フィールドの存在を伝えようとした古代人の思いは文字が発達した時代になり大いに歪められ曲解されて固定化してしまった。ツボに名前を当てて覚え込む。必死になって。経絡とは気の流れる道であり何かわからないが気というものが流れている。その気の過不足を鍼で調整すれば症状は軽快するのである、という「思いこみ」。その「思い」だけでここ2000年の東洋医学はやってきてしまったのではなかろうか。変人である自称間中門下は少し慄然とするのである。もしももっと広いフィールドとして人体のエネルギー情報系としての気のネットを捉えていたのなら実はすでにニューサイエンスや量子力学の分野とも融合したカウンター・メディスンが花開いていたのではなかったのか、と独り変人は思うのです。そう東洋医学は自分自身で狭い枠にはまりこみ、自分自身で医学の潮流から逸脱して大衆から見放されてしまったのではなかろうか。猛省すべき段階に来ていると思うのである。

上記の発言は古典の流派からは嫌われるし、科学派からもソッポを向かれるかもしれないが私は今はどこの組織にも所属していない風来坊なので好き勝手に物が言えるのである。言わせて頂こう。いやもう言ってます(笑)スケール感がないんだよね、表面の経絡だけでは。場の理論というかフィールドなんだからさ、命ってのは。肉体のレベルだけではないんだよね。身心ってのはもっと重層的で立体的でホログラフィックなんだよね。それが生命なのさ。生命ってのは生命の場なんだよ。気持ちも痛みも空間を伝わっていく。心だって空気にのってくる。だから熟練の鍼医は鍼打たなくってもそこに来ただけでなんだか患者が気分が良くなって痛みがなくなっちゃう、なんてことが起こるんだよね。トンデモでもインチキ宗教でもなくて人はみんな人を癒す力を授かっているのだろう。

命の光体験を共有した鍼の師匠からはいつも春の陽光の如き風を感じた。峻厳で温かい気であった。

今の自分からはどんな風が吹いているのだろう?

あんまり考えたかないっすね(笑)


2012.07.21 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

ATP合成酵素は全体のシルエットはまんま壺の形ではあるが、その構造はもう少し解説を要するだろう。この構造体は軸になるペンシル部分が中心に存在する。傘の柄の部分である。この基底部分が内膜に埋め込まれていて水素イオンがその柄の基底部の脇を通過する際にこのペンシル軸を回転させる仕組みである。そして1回転ごとに3〜4個のATPが合成されるのである。この回転軸の周囲は傘となるサブユニットが覆っている。軸であるコアを柔らかく守るような筋肉部分に相当するのが傘部分の構造体である。一見すると単純な壺型であるがその構造はこのように二重構造である。動的な軸部分と静的な傘部分。男と女。陰と陽。太極図。そうまるで東洋の陰陽2フラクタルがここでも反芻されているのである。

下世話なシモがかりな比喩になるのを避けたいがあえて言わせて頂くと、ATP合成酵素のカタチとは、まるで男根と女陰が結合した構造形状なのだ。壺型の受けにペンシル状の軸がはまったスタイルなのだ。日本の各地にはいまだに男根を象った神輿を担ぐ祭りがあるし、女陰にしか見えない滝や巨岩は安産祈願の霊場だったりする。これは直接的な子孫繁栄祈願の発露であるが深読みすればというか新たな解釈を付加するのならば男根女陰崇拝の根底には陰陽という宇宙の理を敬う心があり、私流にひねりを加えればまさにATP合成酵素崇拝へと至ってしまうのである。

入り口があって奥が深い。これも宇宙の理がカタチとなったフラクタルパターンのひとつであろうし、神社における人の動線などもろに入り口があって奥へと続くフラクタルパターンである。お宮さんって言うもんね。神社崇拝は子宮崇拝であったりしてつまりは陰陽崇拝でありやはり宇宙の理を味わう場なのだろう。さしずめ「しめ縄」とは、陰陽二気のとぐろであり、太極図のホログラムであり、DNAの二重螺旋パターンなのだろう。神社の境内全域を子宮にかたどるならば鈴の音は命の音、つまりは胎児の心拍音だろうか。我々はお宮さんにお詣りすることで胎内回帰を経験するのだろうか。鳥居という会陰をくぐり参道(産道)を歩み鈴の音の胎児の鼓動いな母の心音に触れDNAを仰ぎ見て無窮の宇宙へ向かい手を合わせる。その瞬間に私たちは宇宙の理とひとつになっているのだろうか。拝礼を終えて産道を通過して鳥居をくぐった時には新たな命として生まれ変わっているのだろう。黄泉の国へ帰りまた黄泉の国から帰る。甦りの儀式こそが神社詣でだろう。

ミトコンドリア内膜にビッシリとフジツボの如く付着したATP合成酵素は水素イオンがお参りに訪れる神社である。初詣よろしく参道に水素さんがひしめくとカランカランと明るい鈴の音色がこだましてATPが降り注がれるのだろうか。命の糧ATPを生み出す「黄泉がえり永久機関」こそが水素イオンモーターであるATP合成酵素だ。原始の宇宙空間にも電磁場の鋳型でできたATP合成酵素が存在したのだろうか。銀河系などは恒星群が雲のようにとぐろを巻いた形状であるがこれもその構造を解析すれば軸となる中心が存在しその周囲を柔らかく包む繭が存在するのだろう。回転軸の推進力によって銀河系は命を得ているのだ。そう銀河系にとってのATPは磁気であり電気でありプラズマなのだろう。我々もこの銀河系の回転力で生かされているのだ。

バー博士のイモリを使った研究からわかったことはイモリの脊椎を含む体軸はプラス電気を、周辺部位はマイナス電気を帯電しているということだった。生命体も陰陽二気の電気の力によって生かされている。銀河系の電気をも我々は帯電しているのだろう。そう我々は宇宙の子なのだ。陰陽二気のバランスによって動き、息をしているのだ。呼吸ひとつにも陰という吐く動作と陽である吸う動作が連動する。自律神経は交感神経と副交感神経が交代して活動と休息という二気をもたらしてくれる。この世は陰陽のコズミックダンスなのだ。

ATP合成酵素の視覚データから見えてきたのは宇宙の理であった。

すべての事象はひとつの空という充溢の世界に埋没してしまう。その充溢空間とは陰陽二気がダンスし続けるユートピアだった。二気が織りなす宇宙織物の断片こそが私なのだ。宮本武蔵はそんなことを万理一空という語で表現したのだろうか。

真理を求める独行道は私淑する先輩と共にあらたな旅路へと向かいます(笑)

2012.07.20 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

宿題の答え(故・間中善雄博士に捧ぐ)




明治維新によって日本からは

伝統的な医療の系譜が断絶する。

漢方薬が鍼灸家の手からもぎ取られ、

鍼灸医術と漢方薬の蜜月は終焉する。

西洋医のみが医師を標榜できるような法整備が

行われ鍼灸師はのちに医業類似行為という賤語で

呼ばれる身分にまで堕落させられる。

こうして1400年の長きに渡りこの国の民の

心身を守り健康を育んできた医術は

解体された。

これが明治初期に行われた国家によるテロ行為、

東洋医へのジェノサイドだ。

この暴政によってこの国の鍼灸術は

すでに100年の遅れを招いている。

ビタミンCの発見者であり筋肉におけるアクチンと

ミオシンの動き並びにATPの働きの解明など

先駆的な発見や実験でノーベル賞を

得たアルベルト・セント・ジョルジュは

「細胞は電磁場を利用する複雑な生命体で、

細胞壁は半導体の作用をする」と主張して、

電磁場の状況によっては細胞の分割率が

左右されることがあると言及していた。

アメリカの整形外科医であり中国医学の

経絡説の科学的解明に大胆にも挑んだベッカー博士は

「あらゆる組織は

さまざまな種類の電荷を生むか帯電している」

ことを実験から立証し、骨折の治療や手足の再生に

電磁場環境の変化を利用する方法を模索していた。

イエール大学神経生理学教授を長年勤めた

故・ハロルド・サクストン・バー博士は

地球に棲む生命体はすべて宇宙の電気的変化と

連動し生命活動が行われていることを

様々なデータから検証し

「エレクトロ・ダイナミック・フィールド仮説

(動電場理論)」

を構築した。

東洋医学の科学化はこのように

むしろ西洋において先行している。

明治維新による日本鍼灸、日本漢方の壊滅政策、

GHQによる鍼灸禁止令とそれが阻止された後の

戦後の徹底的な鍼灸は野蛮であるとの

メディアや教育によるマインドコントロール。

この東洋医学イジメの構図によって日本の鍼灸術は

ここまで徹底的に弾圧に遭い火あぶりにされてきた。

この完全アウェーとも言える国状で

それでも戦後の鍼灸家たちは大衆の心を

つかみ続けた。

その努力は並々ならぬものがあったはずだ。

そんな現代の鍼灸医に四面楚歌の状況で

鍼灸の啓蒙普及に救いの手を差し伸べた中に

他ならぬ洋方医たちもいた。

鍼灸禁止令に抵抗して立ち上がった洋方医の

筆頭は石川日出鶴丸博士であった。

曾祖父に華岡青州の門人をもつ石川博士で

あったればこそ鍼灸を守ろうとする遺伝子が

起動したのだろうか。

もしGHQ支配のその時に鍼灸術が否定され

完全に禁止されていれば

日本鍼灸の系譜は完膚無きまでに殲滅した。

実践主義の漢蘭折衷派の白眉・華岡青州の遺志が

天界から働いたのかもしれない。

さて戦後鍼灸界に多大なる貢献を

された西洋医・間中善雄博士は

忘れてはならない人物だ。

外科医でありながら後半生は鍼灸の研究啓蒙に

尽力された希有の医家だ。

その門人は東洋医、西洋医とも多数存在した。

しかし当時の西洋医学界からは完全に

変人扱いであったそうだ。

自身の医院の研究室には

「奇人、変人歓迎、ただし一芸に秀でたる者」

なる文字が書かれた看板が掲げられていた。

奇人、変人と言われることはむしろ褒め言葉と

解釈しているわたしは間中門下生のつもりだ。

間中博士こそ日本鍼灸の科学化いなカウンター化を

ひとりで成し遂げたたフロンティアと

私は尊敬している。

原始生命体であったアメーバ時代の

皮膚の情報受容センサー機能が遺体制として

残存し、今なお人体で機能している。

その情報センサーこそ鍼灸術がよりどころとする経絡で

あろうという「X信号系仮説」を打ち出して

人体に潜在する暗在系の解読に挑んだ。

ロゼッタストーンを解読したシャンポリオンに

なぞらえ東洋医学のツボ理論や経絡説を

解明するよう後人を叱咤する文言がある。

そう間中博士は我々に宿題をだしたのだ。

門人を自称する私が挑まずにはいられないように。

ツボとは一体何なのか?

この宿題に今の段階で私なりの答えを見つけた。

本邦初公開、いな、世界初の発表だ。

学術の世界では真っ先にその論文が

世界的学術誌に掲載されることに価値がある。

私は一介の一臨床家に過ぎないので

特にそのことに拘泥はしない。

エッ、そんなもったいぶってないで早く言えよ?

はい、ではいってみましょう。



「ツボとは象形的な比喩であるが

実はツボにそっくりな形態の構造物が

人体には存在する。

つまりツボとは壺そのものだ。

その壺とはミトコンドリア内膜に

付着するATP合成酵素である。

1個のミトコンドリアに3万個も

存在するATP合成酵素こそが

ツボの実体であった。

なぜならその形状はまさに壺だから」





これが私が到達した現時点での

ツボの真相解釈である。

この『ATP合成酵素=ツボ理論』。

もしもまだ誰も言及していなければ

いちおう私が一番乗りってことだ。

ちょっと気持ちいい。

まあ興味のない人には別にどうでもいいことだ。

自分と間中博士との霊界問答みたいなもの(笑)

はい、ほんと興味のない方、すんません。




人体はミトコンドリアにあるATP合成酵素が

つくりだすATPに依存して生活している。

そのATP合成酵素は水素イオンの流動に

よって回転する。

プロトン・モーターの回転力が命を生み出す。

「流水は腐らず、戸枢は朽ちず」

原始の宇宙空間で渦をまいていた水素の雲が

やがて恒星や惑星を生み出した。

今も人体の最奥部で水素イオンが渦を巻き

命のエネルギーを生み出している。

フラクタルなこの宇宙の構造に

感嘆あるのみ。

間中師匠、まずはこんな感じで

いかがでしょうか?




2012.07.19 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 鍼灸指圧

おれんちで オレンジ

前の記事の冒頭で触れた荘子の一節にある真人ってのは仙人という意と同意なのであるが仙人が踵で呼吸するなんてことは勿論ない。器官の性質上から言っても肺呼吸が基本である。足首は全身の重力負荷を支えながらバランスをとって歩くのに適した構造物。なのでこの踵でうんぬんは比喩なのです。こういうのを直で捉えては、ああ胡散臭い、ってやっちゃうと真理は永遠に見つからない。比喩であるからして各自のセンスでいかに解釈していくかという謎解きの楽しみがある。人それぞれの暗在系データ群と照合して人生経験でシャッフルし直していかようにも深読みできるし、そこから新たな窓を開いてゴールデンデートの向こうへと入っていけるのだ。

踵で呼吸する、を知りたければ逆歩術がよい方法である。足首という器官がいかに重要な部位であるかは日常的でない動きによってよく理解できるだろう。もとは逆歩術とは自分の実力以上の剣術使いを長時間正座させておきその背後から斬り倒すという卑怯な戦法を仕掛けられた際に、その背後から来た剣客から少し身をひねり後ろへ後ずさりして刀を構えて切り返していけば難を逃れられるという奇策である。つまり長時間の正座はその足首付近を固まらせて血管壁を圧迫し血流障害を引き起こす。一時的に虚血状態になった細胞に今度は急に立ち上がると一気に血液が流れ込む。ここで酸欠状態だったミトコンドリアに大量の酸素が供給されると爆発的に酸素呼吸が行われてその副産物である活性酸素が大量に発生してしまう。このフリーラジカルを中和する抗酸化酵素の産生供給がミトコンドリア内において間に合わない。そうなるとミトコンドリアで発生した活性酸素はミトコンドリア内からミトコンドリア外の細胞質へと流れだしてサイトゾル内の小器官の膜を傷つけて炎症を起こす。このような機序が長時間正座した剣術家が立った瞬間に足首付近で発生する。すると「おっとっと、イッチッチ」となってよろけてしまう。この隙に斬り込まれて一貫の終わりでは芸がないので、その挽回策が逆歩術ってことである。

踵で呼吸しているように見える程に身体が柔軟である、のなら恐らくは先の剣術家も斬り倒されることはないだろう。イチローやブッシュマンやマイケルと共に踊ったアフリカンならとっさに身をひるがえして身を守ることができるだろう。融通無碍。剣術家もアスリートもネイティブな人たちもみんな宇宙と連動しているだろうから植芝盛平翁と同じ動きが可能だろう。原始宇宙には水素しか存在しなかった。水素原子が巨大な雲となって渦巻いていた。この水素の雲が恒星や惑星をつくる材料になったのだ。そしてホログラム的にフラクタルに人体の細胞内に棲まうミトコンドリア内部では毎瞬毎瞬に一瞬も休むことなく水素イオンが流動してATP合成酵素というモーターを回転させている。そう我らの体内では今も水素原子が渦を巻きエネルギーであるATPを生み出しているのだ。プロトンクラウドが連れだってダンスして分子モーターが回転すると命が発生するのだ。ミトコンドリア内は命が元素が躍動する場なのだ。元素たちは人体内でブループリント(電磁場で形成された生命の鋳型)をダンスしながらトレースしているのだろう。

さて、コスタリカ・ニコジャ半島のブルーゾーン(長寿地帯)に住むチョロテガ・インディアンである先住民たちの食習慣に特徴的なフルーツ祭り。そのオレンジの薬能を漢方的に解読してみます。

枳実(きじつ)・中国産みかん科植物の未熟果。

薬能解読「身体を動かすエネルギーはATPである。このATPを生み出すのはミトコンドリア内膜に存在する分子モーターであるATP合成酵素。この分子モーターを動かす水素イオンの流れが悪くなったり止まりそうになるとATPの供給力は低下する。この水素イオンを勢いよく流して分子モーターを滞りなく回転させる効能をオレンジは有すると予測できる。症状としては胸部付近の膨満感や胸の辺りの気持ち悪さ、いわば胸焼けのたぐいを治し、腹の張った感じや腹の痛みをも治す。」
※『薬徴』という医書の記述を私流に解読し私流の言葉に変換しました。

「身体の熱をクールダウンさせる。フィトンチッドを含有する心地良い芳香がある。少しの苦味がある。胃を健やかにする薬剤であり、逆流性食道炎などと現代医学がわざわざ難しく言う早い話しが胸焼け症状の予防には最適である。胃という器官は酸性の消化液で満たされた空間であり食物の一時貯蔵とタンパク質の消化分解と食餌由来のバクテリアの殺菌が主な作用であるが、酸味のある果物の筆頭であるオレンジの果汁は胃液の補助となるだろう。胃壁に住むピロリ菌の繁殖抑制にはビタミンCやβカロチンが有効とされるがこれらの成分はチョロテガ・インディアンの人達のよく食べるパパイヤ、ニンジン、カラバーサ(かぼちゃ)、オレンジ、パイナップルに豊富に含まれている。コスタリカの死因の上位である胃ガンがこのブルーゾーンで顕著に低いのはチョロテガ・インディアンの良く食べる果物や野菜の効能であろう。生薬としての中国産みかんの未熟果である枳実(きじつ)の薬能とこのようなニコジャのブルーゾーンにおける疫学的な考察が見事にシンクロしフラクタルしていることからみてオレンジは胃ガンの罹患率を引き下げるミラクルな果物と断定しても良さそうである」
※漢方解説書に私流に大幅加筆し独自の解釈を付加しました。

まあ日本には蜜柑があるしオレンジもスーパーに行けば簡単に手に入る。木陰を探してオレンジ食べればそこがブルーゾーンってこと。

汝のブルーゾーンを構築せよ、かな。

2012.07.18 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 身体操法

青い小鳥

「その息するや深深たり、真人の息は踵をもってし、衆人の息は喉をもってす」荘子

足首ってのはこの荘子の一節で触れているように非情に重要な部位なのだ。アーチ型をしたこの足関節の形状にこそ人類史700万年の生命史というか歩行史が刻まれている。アフリカ大陸に長く留まっていた原始人類はある時にヨーロッパと東アジアへと分岐して拡散を開始する。そのグレート・ジャーニーは地球中へと人類種を藩種することになる。ユーラシア大陸の東端に到達したのは3万年前頃だろうか。その後、アリューシャン列島を越えてアラスカやカナダ、アメリカへと移動して最終的には中米を通過して南米へと至ったのだろうか。いやもっと別のルートが存在して船(水上だけでなく空中も?)を使ってすでに人類は分散していたのだろうか。

南米の遺跡などからは宇宙船の内部にしか見えないレリーフが棺のフタに刻まれていたりする。インドには錆びない鉄柱なんてのもある。いささかトンデモだがいわゆるオーパーツなる場違い、歴史違いの人工物などはけっこう見つかっている。カムチャッカ半島で見つかった4億年前の大量の滑車みたいな構造物などは一体なんなのか、実に興味深い。地球の生命史ってのは一般の歴史家や古生物学者が真面目に唱えているものだけでなく、別の何者かの関与があるのかもしれない。つまりこの地球も宇宙連合のユニットの一部であり常に人類の進化も文明も干渉され制御されてきたという説である。異星人とのコンタクティーが発信する情報においてはそんな事が真実めいて語られている。その正否は各自の判断によるが私は総合的に考察して十分にあり得ると思っている。

先の縄文テクノロジーにみるまでもなく自然の素材のみで高度なテクノロジーが発達していたのが超古代文明である。縄文時代は2万年近く続いたのだ。今の我々の原発カルト文明などわずか2000年弱というかここ60年ほどのテクノロジーなのだからいかに脆弱で危険なものかわかろうというものだ。古代インド医学では造鼻術という形成医学がすでに発達していたと言うし、脳外科や開腹手術なども行われていた。アーユルベーダばかりがインド医学ではない。もちろんアーユルベーダ的な自然医学は尊重されるべきであるが5000年前のインドにおいてすでに外科学が発達していたのかもしれないのだ。古代マヤではお灸も鍼も行われていた。古代エジプトにおいても経絡と同様の身体観は存在した。5300年前のヨーロピアンであるアイスマンの皮膚にはツボ治療の痕跡が存在した。坐骨神経痛を患っていたようで腰から脚の背面の主要なツボや足首の解谿というツボに文身(入れ墨)が刻まれている。この解谿など荘子流の踵呼吸の練習時に意念をもっていくには適当なツボである。

古代中国の医師である華陀などは麻沸湯というもので酒に麻酔性のある生薬を加えて全身麻酔を施して開頭手術や開腹手術をしていた。この麻沸湯にヒントを得て通仙散という麻酔薬を開発して乳がんの外科手術を西欧に先駆けること1世紀早く実現したのが華岡青州である。常に西欧が医学の発展をリードしているとか、時代がくだれば医学が発展し進歩していくなどという思想がいかに妄想でトンデモであるかが少しはおわかり頂けるだろうか。

日本の医学事情が急変したのは明治維新であり今の日本の医療情勢などわずかここ130年の出来事なのだ。維新前1400年は中国経由の日本鍼灸と日本漢方に蘭学経由による西欧医学が加味されてイイ感じに洗練されてきていたのだ。明治天皇は「漢方医学と蘭方医学はお互い寄り合い研鑽して国民のための医学にして欲しい」意の旨を発言していたのに維新時に内務省衛生局は勝手に西欧医学のみを国の医学とするとしてしまったのだ。漢方と蘭方のどちらが脚気をより征圧できるのかという漢方医と蘭方医による脚気相撲の勝敗も闇に葬られた。事実は小豆というビタミンB1を含む薬方を使った漢方側が圧勝したようだが蘭方側が圧倒的な勝利をおさめたとマインドコントロール情報が流布された。そうやってここ130年間に渡り連綿と西欧医学こそが進んだ医学であると洗脳してきたがゆえに現代医学カルト信仰が生まれたのだ。

さて、中米に渡ったモンゴロイドはかの地ではチョロテガ・インディアンと呼ばれる種族になりコスタリカのニコジャ半島のブルーゾーン(長寿地帯)の構成員となった。いまだに祖先の食習慣を守り信仰心深い電気を拒否する美しい生活を守るこの愛すべき我らモンゴロイドの仲間たちの与える情報は清涼で生気に満ちている。その主食はトウモロコシを粉にしてひいて焼いたパンであるトルティージャである。ほぼ毎食時にこのトルティージャを食べる。トウモロコシというタネも偉大な宝である証左だ。ここの地区の水は硬水でありカルシウムやマグネシウムが豊富なのだ。この水を普通に使用するだけで成人の一日の必須所要量は補えてしまう。その地の利も長寿に貢献しているようだ。植物性食が7、動物性食は1の黄金律に該当する内容の食形態であるが他のブルーゾーンとの違いは熱帯であるがゆえに熱帯産の果物を豊富に食べることだ。オレンジには胃ガンを抑制する作用があるようだ。オレンジを良く食べるこの地区は他のコスタリカ地区に比して胃ガン発生率が極めて低い数値となっている。素朴で質素であるが決して多くを望まないそのライフスタイルから江戸期のネイティブ・ジャッポーネを連想したのは偶然だろうか。楽しみは何かあるのか?と聞かれたチョロテガ・インディアンの女性は即座に「日陰を探してオレンジを食べること」と応えたそうだ。素晴らしいじゃないか。文明の利器など凶器にしか過ぎないのを経験した我々の溜飲を下げるには十分な箴言である。

自分もニコジャのブルーゾーンを見習ってブルーバードを追う旅をつづけよう。

2012.07.17 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 身体操法

進歩 オア 逆歩 いやいやムーンウォークだぜ

「逆歩術」をハードに楽しむと翌日から必ず土踏まずの上方部分が痛む。前に歩く際に使用する前脛骨筋は決して痛まない。つまり逆歩術の場合は後ろの筋肉を使って後方へ「前進」するのである。実は日本猿の腓腹筋はまったく発達していない。単に二足歩行をしないから腓腹筋が発達していないのか、二足歩行ができないから逆歩もできなくてそれゆえに腓腹筋が発達していないのかは定かではない。猿が二足直立歩行が出来ないのには理由があるのだ。猿は膝の大腿骨と脛骨のジョイント部分が骨が水平に合わさっていなくて少し曲がって接合されているせいで二本足で垂直に立てない、という構造的な問題がある。恐らくはその結果として二本足で直立歩行できないのだ。たぶん。しかし猿はナックルウォーキングと言って手のナックル部分を地面へつけてバランスを取って前に歩くというかいざるように進む。

人間の祖先はいつからかこのナックルを地から離して歩きはじめたのだ。それは道具を持つことが発端だったのか。あるいはサーベルタイガーに面食らってよろけて後方に歩こうとしたからなのか。人間は野生動物を捕獲する時にはヤリをたずさえて後ずさりをしただろう。アフリカのブッシュマンなどは今でも逆歩で走ることができるという。ブッシュマンってのは身体が柔らかそうだ。なんかなめし革みたいな柔軟なイメージがある。イチローもそうだが動きに一切ひっかかりがない。そういう身体には魅了されてしまう。マイケルジャクソンの「ブラック オア ホワイト」のPVの初っ端部分でマコーレカルキン君のお父さんがカルキン君がギターの弦をはじいた瞬間の爆音の衝撃波で座ったソファごと天高く吹っ飛んでしまいやがてアフリカらしい地に降り立つとその眼前でマイケルがアフリカのネイティブと踊りだすというイントロシーンがある。このマイケルと踊るネイティブたちの動きがもう絶妙なのだ。しなやかでなめらかで。このアフリカ系のネイティブな動きとイチローの動的軌跡がピタリと重なるのである。

さて「後ろに歩ける」ってのは二足歩行と同様に人間だけが持つ特長の一つに加えてもいいだろう。二足を使って前向きにも後ろ向きにも歩けるのが人間である。人類文明というものは爛熟すると腐敗してついには崩壊する。それは母なる地球の自浄作用が働いて天災が生じる場合もあるし、人間自体が戦争や災害を起こし自爆して終焉する場合もある。この人類文明の宿命的なサイクルもひとえに人類が逆歩を習慣化していないせいなのではなかろうか、などといささか飛躍してみるのである。拡散膨張する遠心的な爆発エネルギーによってエントロピー増大し続けることしか知らないのが人類文明というものなのか。いやもう十分に経験は積んだのだからそろそろ文明というものも内向きのスパイラル運動を覚えなければならない時期に来ている。先史以来、人類は何度も文明を崩壊させてきたのではなかろうか。エジプト以前の巨石文明など超ハイテクノロジー文明はなぜ滅んだのか。

縄文文明なども調べると未知のテクノロジーが満載のようだ。素焼きの縄文土器は水が漏れないし浸みないのだ。釉薬を使用していない土器は普通は水漏れがするはずなのに縄文土器はしないのだ。ある素材開発者の実験によると、ある割合で火山灰を混ぜ、瞬間的に超高圧の人工プラズマをかけるとガラス結晶が出来上がり、土粒と土粒の間にできる穴が塞がるという。縄文土器も同じテクノロジー仕様なのだろうか。竪穴住居の掘り下げた床の土には土器の破砕片と木炭片が均等に混ぜられていた。微弱な電磁波を放つ床土はそこに生活する縄文人の健康を増進し、エアクリーンフィルターの役目をも床土は担っていた。縄文人が未開で野蛮などと思ったら大間違いである。たわけた原発にうつつをぬかす現今の人類種こそが野蛮種の極みなのだ。爆発性のテクノロジーである核分裂の行く先は崩壊でしかないのはもはや自明である。経済もしかり。膨張したバブルの先には破裂があるのみなのだ。

宇宙は進化し続ける存在だ。それは螺旋という軌跡を描く連環の動線なのだ。螺旋の軌跡は決して交わってはいけないのだ。過ちを繰り返すということは螺旋の終焉を意味するのだ。その瞬間に今回の人類文明は終焉するだろう。いやもうその時期に入っているのかもしれない。

宇宙の流れに反すれば流れは止む。「止む」とは「病む」ことなのだ。生々流転が宇宙の自然な流れである。流れを止めないで一歩下がるには「逆歩術」が最適である。現今の人類種が逆歩術を習慣化できれば人類文明の方向転換も可能かもしれない。

我々は本来はなかなか機動性のある肉体を授かっているのだ。もっと柔軟に身体を使ってみようじゃないか。さすれば思考も柔らかくなるだろう。クリエイティビティーこそが次世紀を切り開く鍵なのだ。

こんな素晴らしい肉体を授けてくれた神なる宇宙の計らいに感謝しよう。

あ〜、イテテ。

2012.07.16 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 身体操法

スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス

昨日は久しぶりに「逆歩術」をした。なので今すこし腓腹筋と腰が痛い。やり過ぎ。でも普段使ってない筋肉を使うのは気持ちいいことだし、これでまたミトコンドリアが賦活されて増えるからいいのである。逆向きに歩いているといいアイデアが浮かんだりする。すぐに忘れてしまうけど。

世界の新長寿村の方々に共通するのがけっこうな重力負荷のある生活。若い頃からハードに身体を使ってきてその習慣が晩年まで続いているという共通項が存在する。骨という器官は重力の入力が電気に変換されて伝わることで活性化する。つまりは重力負荷は骨の健康には必要なことなのだ。もっとも必要以上に負荷をかければそれはそれで骨細胞のリモデリング障害の原因になる。だから「骨休め」が必要なのだが、長寿村の壮健な長老たちはみな身体をよく使った人であることは確か。日本のかつての長寿村の山梨県旧棡原村の生活もやはり重力負荷のあるライフスタイルだった。ほとんど平地がない斜面ばかりの地区で傾斜のある坂道を通って畑を毎日往復するような生活が結果として骨を健康にして長寿へと導いた。骨はリン酸カルシウムなどの元素バンクであり必要に応じて元素は出し入れされる。さらに幹細胞は骨の内部で毎瞬に骨にバンクされた元素を使って作られる。だから骨が丈夫な棡原村の旧住民はみな健康であった。じゃあこの人たちが牛乳を飲んでいた?もちろん飲んじゃあいません。質素で素朴な植物性食品がほとんど。これも新長寿村、旧長寿村に共通する特長。もっともハレの日にはブタや牛を屠って食べたりする習慣がある地区もある。

このたまに肉を食べるという習慣も分析すると面白い。人類史をたどればきっとそういう食のサイクルだったのだろう。普段は植物性の葉やタネや実を食べて過ごす。男たちは植物性食品を携行して狩りに出かける。女たちはその間は木の実などを採取し植物性主体の食で生活し男たちの帰りを待つ。男たちは収穫した動物を携えて帰還する。肉料理が久しぶりに御膳に振る舞われる。たまの肉の味に舌鼓を打つ。摂取した肉の脂肪は体内でコレステロールとなりステロイドホルモンが生成される。子孫が繁栄する。だいたいそんなサイクルで何百万年も過ごしてきたのだろう。それが長寿村の「たまの肉」という習慣に遺伝しているのだ。つまり肉料理も歯の構成比に従って植物性7、動物性1の割合で食べる分にはむしろ健康を増進するとも言えるのだろう。

はなし戻って、そもそも牛乳を飲む習慣は明治初期に無理やり作られたものだし、聖徳太子は飲んだようだが酪農は結局は日本の国土には定着しなかった習慣である。北海道などの寒冷で広大な地帯で酪農が行われその場で絞りたての牛乳を飲み乳脂肪や乳タンパク質や生きた菌を体内に摂取して寒冷な気候から身を守るということは理にかなっているようだが、栄養があるとか、骨が強くなる、とかっていう理由で強制的に飲ませるのはほぼ拷問になる。学校給食ってのはいまだに旧習というか旧弊を踏襲し続けているわけであいかわらず欧米崇拝の倒錯コンプレックスの塊の明治初期インテリとなんら変わらない。食の欧米化・近代化とはフーズ・ウェポン(食の兵器)の襲来なのだ。長年に渡り培ってきた食習慣はその地に棲まう人々の全身60兆個の細胞、101兆個の常在菌、12京個のミトコンドリアと共生し多用な生態系を営んできた。その食と人体の生態系が食の欧米化という兵器によって破壊されてきた。それが戦後になって急増した疾患の要因であろう。

ジャンクフードとは食の兵器なり。ここにもまたなんらかの意図が働いているのだ。国家や民族の根本は食であると言っても過言ではない。なぜなら国家を構成する人の身体は日々作られる新たな細胞で生かされている。その新たな細胞はまさに骨と腸管で作られる幹細胞に依拠しているのだ。そしてこの幹細胞こそが毎食頂く食により出来上がるのだから食が国家の一大事であるという理由になるのである。まさに骨と腸管は国家の土台である。地球の皮膚表面に棲まう常在菌であるすべてのネイティブたちの食習慣はこのフーズ・ウェポンによってのきなみ潰されてきた。

ある国家を弱体化し乗っ取ろうとするなら食の規範を壊すことは戦略としては正しい。脆弱化した身体では正常な判断力は生まれない。明治維新とGHQの二度にわたり我が国は外来人の襲来にあっている。さらに戦後はずっと欧米舶来崇拝というマインドコントロールがなされてきた。お米を食べるとバカになる、なんてキャッチフレーズで官吏たちはパン食を推奨したのだから一般庶民はどんだけなめられてバカにされてきたのだろう。陰極まれば陽となる。昨今は和食も見直されつつある。

先の記事でお茶がらみで触れた「神農本草経」であるがこの書物は一癖あるらしい。というのは単なる薬物書の側面だけではなくて仙人になる方法が説かれているという解釈が可能だそうだ。その第一ランクの「上品・ジョウボン」という薬剤は久しく服すると延命長寿の効があり霊験あらたか仙に昇るとされる。芝(シ)というマイタケもこの上品カテゴリーに属します。さてアーモンドはすでに違うスーパーで入手しましたが、ちょいと格別のおいしい甘味を発見しました。アーモンドのシナモンコーティング。このシナモンってのは桂(ケイ)と称してやはり上品にランクインしている上薬なんです。アーモンドの延命効果とシナモンのジョウボンパワーがシンクロしたスーパー甘味。あっ、スーパーで手に入るからってのとかけてあります。そう私の養生法というか食養生ってのはそのへんのありきたりの普通のスーパーで手に入るもので行うってのが基本なの。だからスーパー養生法(笑)

タイトルはメリーポピンズがらみ。チムチムチェリーは哀愁ある名曲だわね。おあとはよろしい?

2012.07.15 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 身体操法

愛しのアーモンド

幹細胞を取りだしてあらゆる細胞に変化させる、なんてのもホログラム的な発想でありこれは遺伝子が暗在系としての情報バンクであるから理論的には当然出来そうなことではある。でも実際には幹細胞という1個の細胞からどうにかなるものでもないらしい。一部分は全体であるユニットとのインタラクティブ(対話的)な相関があってはじめて機能する、全体は一部分とのインタラクティブな相関があってはじめて機能する、もまた命の真理である。だから1個の細胞にホログラムな情報が暗在しているとしてもそれはフラクタルに全細胞と情報が通じてはじめて機能するのである。なかなか機械論的には単純に物事は運ばない。特に生命に関しては。この1個の細胞と全60兆個の細胞がどうやって連環しているのか。その情報の伝播方式はどんなやり方なのか。ここが肝心なところである。私は細胞膜が鍵を握っていて膜同士の巨大な情報ネットがあると睨んでいる。デザイナーのバックミンスター・フラーはこれをテンセグリティーというモデルで捉えた。テンション(張力)がインテグリティー(統合)しているということ。細胞膜もテンセグリティーネットで結ばれている。この膜ネットでやりとりされる情報というのが気というエネルギー情報であろう。つまり膜こそが経絡なのだ。クリーブ・バクスター博士の実験にみるまでもなく12キロも離れた白血球が持ち主の感情とシンクロするのである。これも白血球の細胞膜が持ち主の皮膚の振動を受け止めたと考えればそんなにおかしいことでもない。空気は振動を伝える媒体であるからして当然そんなことも可能であろう。水槽中の金魚は水の振動を感知すると危険を察知して向きを変えたりする。この水の振動はウロコが変化した側線という水管が感知する。この側線がやがては耳という器官に集約されたとする説もある。私はある日、散歩をして身体の側面から心地いい風を受けた瞬間に天啓が降りたことがある。『耳に通じる身体の側面の正中線は「気をつけ」の姿勢をすると手の三焦経と足の胆経が結ばれたラインである。この手と足の三焦・胆ラインはピッタリと耳に突き当たる。三焦経は耳の疾患を治すラインでもあるし、胆経は頭の症状を治すラインである。魚類時代の耳である側線が今の我々の耳の起源でありその名残は経絡として今も残存し機能している。では経絡とは振動を受容するセンサーだったのか。いや皮膚全体が魚の側線に相当し皮膚全体が巨大なセンサーフィールドなのだ。水中で情報を受容していたウロコや側線はやがて上陸という進化の一大イベントを経て皮膚全体で空気の振動を受容するように進化した。皮膚こそが経絡でありあらゆる情報を受け取るセンサーなのだ』と鳥肌状態で、一瞬にしてデボン紀から体毛が抜け落ちた裸のサルまでの歴史が頭をよぎりました。空気という媒体にはあらゆる情報がのってくる。心地いい風にはひらめきをインスパイアする粒子が含まれている。古来からヒトは風に吹かれ英気を養ってきたのだ。風からはスピリット(精神)もフォーメーション(かたち)も我々の身体にインしてくる。それがインスパイアでありインフォメーション。古代マヤの人々は経絡という皮膚上の情報ネットの流れを『風の脈』と称した。我々は風の子でもあるのだ。宇宙の風に吹かれればヒトはもっと賢くなるのだろう。宇宙飛行士たちは宇宙空間に漂い宇宙の意思を感じたという。トラブルが発生して解決策を志向した瞬間に宇宙空間から解答が得られたともいう。それは言葉ではなくテレパシーで直接脳裏に送られたメッセージだった。宇宙の息吹を小宇宙である人体60兆の細胞も受けている。その細胞内では12京個のミトコンドリアが酸素呼吸をして宇宙とフラクタルに連動している。クルクルと高速で回るプロトンモーターは宇宙の風を受ける小さくて巨大な水素イオン風車である。無尽蔵とも言えるフリーエネルギーを我々はその体内に宿している。太古に宇宙に発生した水素は今も我々の体内の深層で循環している。この小さく巨大なプロトンモーターを回し続ければ決しておいぼれたりはしないのだ。銀河系を回転させる巨大な推進力は太陽系をテンセグリティーに動かす。その動きは心地良い風になって地球の柔肌をなでる。その宇宙風は地球の皮膚に棲まう私の頬に到達してあの日の天啓をもたらしたのだ。そう我らは宇宙の御子である。誰一人、ちゃちな人間など本来はいないのだ。草木中魚が仏なら、あなたも私も仏なのだ。思考を磨け、風に当たれ、プロトンモーターを回転させるのだ。鬼畜が編み出した経済マトリクスを解き放ち自由を手にしよう。紙切れに支配されるのはこりごりだ。外へ出て歩けばそこは宇宙とつながるパラダイスだ。もっともF1由来のヘンテコ粒子は勘弁願いたいが。おっとっと、お後がよろしくない。

さてアーモンドはセブンスデー・アドベンティストのある93歳の心臓外科医の好物でして、齢93にして心臓手術に現役で執刀するそのバイタリティーの秘密が実は完全菜食と大好きなナッツ類にあるようです。週に5回はナッツを食べるアドベンティストは、心臓疾患にかかるリスクが半減し、それほど食べていない人たちと比べて2年は長生きする。4つの研究によってナッツを食べると健康と平均余命に好影響のあることが確認されている。アーモンドにはかのマックイーンが最後に頼りにしたビタミンB17も含まれています。カシューナッツはアラブ医学では肺や心臓疾患の生薬として使われます。「そのかたち肺や心臓に似たり」だもんね。そりゃ効くでしょ。アーモンドは何に似てるかな。色は褐色だから心臓っぽいか?二個並べるとハート型になるかな。タネのたぐいはすべて宝物だね。そういえばウチの常備薬のアーモンドが近所のスーパーが改装準備で在庫切れしてて、今はマカダミアナッツとカシューナッツでやりくりしてます。マカダミアナッツもミルキーな味がなかなかですな。丸くて白い形状はこれ「白血球に似たり」でマクロファージの活性化なんて解釈も可能かもしれません。ということで「おあと」もお直しできました。

2012.07.14 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

なんとなくフラクタル

一葉落ちて天下の秋を知る

こんな言葉があったと記憶しているが、カール・プリブラムという脳科学者が提唱したホログラフィー理論に通じる言葉である。ホログラム理論ってのは「部分が全体を表す」という概念で、二次元のデータにレーザー光を当てると三次元の映像が顕在化するみたいなものでスターウォーズなんかではよく使われていたもの。なんつうか物理的な細かい専門理論はよく解らないが立体映像のCD再生みたいな感じ。
それからデーヴィッド・ボームという物理学者が提唱したのが暗在系と明在系というモデル。この宇宙は暗在系(インプリシットオーダー、内臓秩序)という観測できない実体と明在系(エクスプリシットオーダー、顕前秩序)という客観的に観測できる表象により形成されているという考え。たとえば気というわけがわからん生命力を表す概念を観測した場合に磁気、音波、遠赤外線などが明在系として観測されるけれども、この観測されたものは気という実体のほんの一側面に過ぎないわけで、言ってみれば光の七色プリズムの一色が取り出されただけであり、気という生命力の本当の実体である暗在系という総体は何なのかは未知なままであるということ。目に見えている明在系の深層には目に見えない膨大な情報群である暗在系が存在する。これを映像化したのがかの名作「2001年 宇宙の旅」であろうと私は推測している。三部構成のラストの主役である宇宙飛行士の名前がデーヴィッド・ボーマン。暗在系モデルを提示した科学者デーヴィッド・ボームへのオマージュであると予測するには十分な名前のかぶり方です。
つまりはモノリスという真っ黒なUFOは・・・、という謎解きを自分なりに楽しんでいるわけです。ネタばれは野暮なので少しです。観てない方は是非ともご鑑賞の程を。宇宙の真理の一端をかいま見られることは必定です。さてもうひとつ数学の方面ではフラクタル幾何学という概念があってこれは同じ図形が幾重にも重なっていくモデルを指すと認識していますが、私はすでにフラクタルという表現を多用しています。漢方薬の考え方のひとつに象形薬理という概念がございまして、赤い色をもつ薬剤は赤い血を治す、醤油が腐ったような臭いがする疾患には同じような匂いをもつ薬剤を適用する、胃袋の形や膵臓の色に似ているショウガは胃を健やかにし消化を促進する作用をもつ、蝉の抜け殻は人間の皮膚疾患を治す薬であり生薬名を蝉退・ゼンタイと言う、ということで一言で言えば、「似たものが似たものを治す」という思想です。この象形薬理思想を私はフラクタル構造の認識と解していまして、この考えを使うと一般の野菜や果物がすべて宝物になります。干しブドウとアーモンド。この組み合わせなど世界の新長寿村のひとつカリフォルニア州のロマリンダのセブンスデー・アドベンティストの皆様の習慣とフラクタルしていました。この地区の心臓疾患の顕著な少なさはアーモンドなどナッツ類の常食にあるようです。アーモンドとは種でありフラクタルに捉えると人体にあっては種・コアな部位に効きます。コアな部位とは心臓などの中枢臓器や骨などを指します。心疾患が少ないのはフラクタルにみても納得がいきます。骨は幹細胞という血液の元が生み出される器官です。アーモンドの豊富な不飽和脂肪酸はコレステロールの沈着を防ぎ血管壁を掃除してくれますし、心筋のミトコンドリアの栄養源である脂肪酸をも供給します。さらに私はレーズンに含有される脂溶性の抗酸化物質レスベラトロールの吸収を促進するためにアーモンドと組み合わせているのです。311後の食の新習慣であるレーズン&ナッツ。1年三ヶ月以上継続しております。

ということで、「ホログラム、暗在系&明在系、フラクタル」、の3つの概念を駆使しつつ、さらにこれに陰陽という2のフラクタル解析、木火土金水という五行理論の5のフラクタル、生物のリモデリングのリズムである7フラクタル、さらに螺旋や放射のパターンフラクタルなどを加味するとさらに複雑に宇宙構造の解析が楽しめそうです。

今後も上記の概念モデル用語が頻出するかもしれませんので用語解説を兼ねた論考でありました。

2012.07.13 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

食薬一如(其の十二、葱白生姜湯加米粉麺)

鍋にドンブリで計った人数分の水を入れる。太ネギを適当な長さに切ってさらに縦に割って切る。ショウガは皮をむいて輪切りにする。3〜4枚。辛いのが好きなら多め。ネギとショウガを鍋に入れ火をかける。沸騰してきたら手羽元を入れる。手羽元の量は6本前後。スーパーの都合による。中火でグラグラさせ17分ほど。肉に火が通ったら太ネギ、ショウガも合わせて中身をすべて濾す。手羽元の肉は包丁で削ぎ落としてとっておく。濾したベースに岩塩と鶏ガラスープの素を入れて味を調整する。ガラスープの素は好みだがこれを入れないと味はけっこう薄い。そんでスープは完了。あとはでっかい鍋にお湯作ってフォーの麺を茹でてドンブリに分けて、熱いスープを注げば出来上がり。米粉の麺はくっつきやすいから、茹ですぎは禁物。茹でたらすぐにドンブリに移す。ゆで時間は各自の塩梅で調整。先に水に浸す方法とかあるようだけどウチではいきなり茹でる。茹で時間は7分間くらい。ドンブリに移した麺に手羽元の肉をトッピングしてさらにサラダホウレン草、水菜、三つ葉、小ネギなど緑野菜や薬味を好みで入れる。本式はパクチーを入れるようだが香菜に拘泥する必要はないと思う。スーパーで手に入る薬味や野菜で十分。サラダホウレン草は熱いスープには弱いからそのつもりで。シナシナになったのもまあ美味しいけど。熱々のスープを麺と具に注いで出来上がり。まず一口食べて、今度はレモン汁を注いで酸味を堪能し、さらにナンプラーを少しかけてコクを味わい、最後に七味唐辛子をふって辛みを満喫する、なんて段階的に味を複雑化するのもオツな頂き方です。夏向きの麺でして熱い最中に食べると結構な汗が出ます。これが発汗による体温調整になってたいへんよろしい。
太ネギは漢薬名を葱白・ソウハクと申します。
効能はというと、

「味は甘くマイルドで身体を温める作用をもつ、気というエネルギー情報の流通を促進し、止血作用があり、皮膚の生理機能を高め、内臓機能をも調整し、おしっこの出を良くし、吐いたり下したりするのを治し、腓腹筋痙攣・こむら返り、ムカムカとした感覚がミゾオチ辺りから突き上げてくる症状、脚気、心臓や腹部の痛み、めまい、心がモヤモヤして思い悩むウツっぽい精神症状、などをすべて解消する力を秘めている」
『古方薬議』

「味は辛くて甘い。身体を温める作用をもつ。全身の皮膚表面の流通発汗を促し、血の流れを適正化し、デトックス(解毒)作用をもたらす」『薬性提要』

【体温を上げる作用をもち、発汗利尿の効能が顕著である】


健胃発温剤としてのショウガの効能とソウハクの多彩な薬理作用により実に絶大な威力を発揮するイケメンである。「あっヤベェ、風邪かな」くらいの時に食べると風門・フウモンという背中のツボ周辺のゾクゾク感が発汗と共にいっぺんに吹っ飛ぶかもしれません。風邪の予防だけでなく健胃発汗利尿解毒を兼ねているのがソウハクショウキョウトウカベイフンメンです。ご活用の程を。

2012.07.12 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 食薬一如

しんしん

デカルトって人が言い出した心身二元論が発端で人間機械論というカテゴリーができてそれが伸展して現代医学は長足の進歩を遂げたという言説がある。デカルトは身心を二つに分けて考えた後にもう一度ひとつにまとめて考えようとしてたけどその前に寿命が尽きたとも言われている。まあどっちにしろ現代医学は機械論で間違いない。臓器移植、幹細胞応用などは臓器や細胞をパーツのように機会的に捉えるからこそ可能な領域だ。神をも恐れぬ行為が何をもたらすかは明白である。レシピエントへとドナーの人格が転移する。分裂しか知らない幹細胞がガン化する。すでに顕在化した問題は山積しているはずだが前に進むことしか知らないのが現代科学である。見切り発車。原発も見切りでこれだけの災厄をもたらしているのだ。自然と書いて「ひとりする」と読みをふったのは江中期に出現した不世出の漢方医・安藤昌益である。すべてのイズムやドグマを否定して論破した希代の革命家でもあった漢方医。東洋医学のバイブルをも独自に解体し解釈しなおしてしまう。あまりに大胆で面白い発明家でもあった漢方医。大きすぎていまだ研究対象になっていないが「男女」と書いてヒトと読ませるなど文字というシンボルをも独自に解体再生しています。細胞内の浄化機構であるオートファジーがフル稼働していた思想家です。「ユニヴァースでオートマティックで絶対不可侵な神なる領域が自然である」ということを安藤は「ひとりする」と表現したのだろう。「ひとりする」世界から遠ざかるばかりの現代文明に未来があるのだろうか。さて話し戻って西欧にも生気論という部門はあったけどオカルトと勘違いされて封印されてしまった。それでも果敢にこの生気論に挑んだ科学者もいる。ハロルド・サクストン・バー博士はその嚆矢であろう。さてそもそも身心をふたつに分ける発想自体が東洋には存在しないのだ。医学に限ればまったく身心一元論である。東洋医学では心は五臓六腑に配当されている。たとえば嬉しいという喜ぶエモーションは心臓と小腸にある。様々なストレッサーに憂い悩む情念は胃と膵臓にある。私憤公憤怒髪天を貫くエネルギーの源は肝臓と胆嚢である。びびって腰が抜けてションベンちびるような時は腎臓と膀胱へダメージが残る。悲しくて悲しくてため息ばかりだと肺と大腸がしぼんで風邪引いたり便秘する。という風に五臓六腑に無理やり七つの感情をはめ込んでいるのが東洋医学の身心論。これを滑稽で蒙昧な野蛮思想とみるか、経験則である身体知から導き出された身体感覚に基づく身心の真理とみるか。私は後者の立場です。感情は肉体に宿る。至極当たり前です。身体以外のどこに感情が存在するのだろうか。身体の周囲に浮游してる?そんなわきゃないわね。東洋医学では脳ってのは髄海なんて表現してたいして重要視していない。ここがまた面白いところ。感情や思考は五臓六腑にあるなんて言ったらトンデモ視されそうだが、どっこい、脳だけに感情や思考の中枢があると考える大脳原理主義の現代思潮こそがはっきりいってトンデモなのである。人体の細胞数は60兆個。人体常在菌の数は101兆個。ミトコンドリアの総数は12京個。膨大なユニットにより構成されているのがこの心身というユニット。12京個のミトコンドリアに内在する無限大ともいえるATP合成酵素が生み出すアデノシン三リン酸というエネルギー。このATPがあったればこそ我々はクリエイティブな思惟活動ができるし、アクチンフィラメントとミオシンフィラメントを潤滑に滑らせて筋肉を動かして好きな場所へ肉体を移動できるのである。つまりは心身一元のエネルギーはミトコンドリアに依存しているのである。ってことは「ミトコンドリア一元論」に心身論を集約することも可能なのだ。

「ミトコンドリアがひとりするゆえに我あり」

デカルトさん、安藤さん、こんなんでどうでしょうか?

2012.07.11 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

夏来たる

昨日我が家の庭の八重桜でニイニイゼミの初鳴きを観測した。嬉しい出来事である。だいたい毎年7月のあたまには鳴く。いろんな意味で危機的な生態系であるが普通にセミの鳴き声が聞ける夏が過ごせるのは嬉しいかぎりだ。そのうちうるさいほど鳴くアブラゼミやクマゼミが仲間入りすることだろう。地球の柔肌に共生するかけがえのない友である。今年はひときわ耳にしみることだろう。先般にはシオカラトンボも目撃できたし、田んぼの横でイトトンボも発見した。アゲハチョウは毎日見る。なぜあんなに軽やかに優雅に上品に飛ぶことができるのか。驚くばかりである。無粋な爆音を轟かすこともなく静かに華麗に舞う蝶たち。この飛翔の秘密もまたミトコンドリアにあるのだ。昆虫の飛翔筋に内在するミトコンドリアは巨大である。飛翔筋のアクチンフィラメントとミオシンフィラメントが滑らかに敏速に動くゆえに羽根を動かすことができるのだ。蝶の優雅な舞も筋肉運動のたまものである。そしてこの筋の運動のエネルギー源が飛翔筋の巨大なミトコンドリアが産生供給するATPなのだ。つまり蝶も「ミトイゾン型生命体」である。蝶の食は花の蜜。蝶は花の蜜の化身。蝶の前世は花なのだ。花が舞っている姿が蝶の舞なのだろうか。ヒラヒラと舞う蝶は花びらに見えなくもない。幼生時代のイモムシはなんともユーモラスで優雅とは程遠い。あれは花ではなく葉の化身なのだ。だから全身が緑色なのだろうか。むっくりとしたナリであるがよく見るとかなり早く歩く。人間の腸の蠕動運動のように。お尻の起動が連続的に頭まで伝わる動きは見ていて飽きない。この動きを生み出しているのも幼虫の体内の筋肉内のミトコンドリアなのだろう。カブトムシの幼虫もまた不思議な体型だ。これは枯れた葉や枝を食べて大きくなる。成虫になると樹液を吸う。なるほど蝶の食性に似ている。幼虫時代は葉を食べて成虫になると蜜や樹液を食べる。まさに植物に依存した植物界の生まれ変わりだ。4000年前の中国大陸の広大な森林は昆虫の楽園でもあっただろう。夏の到来を告げるセミのサウンドは中国大陸の地殻を震動させただろう。チャン族のシャーマンはセミの到来に何を思っただろうか。命の連鎖。小さな生命と大きな森のシンフォニーに宇宙の真理を観ただろう。命をはぐくむこの宇宙の慈愛によって我々は生かされているのだ。小さな命たちもF1由来の有毒物質で苦しんでいる。セミの羽根は無惨にも異形化し左右の羽根のサイズが異なっていた。あれではうまく飛べないだろう。蝶の羽根も歪んでいた。ハーモニー。調和ある宇宙。これが崩されつつあるのだ。奇形化した動植物たちの警告は極めて重い。宇宙の秩序を乱すモラルなきテクノロジー、原発。もしも銀河連邦が存在し宇宙法があるのなら重犯罪に相当する行為こそが原発の稼働であろう。そもそもウランという元素に中性子を当てて新たな元素を生み出すことこそが重犯罪なのだ。やってはいけないことがあるのだ。それに手を出した人類。宇宙一の鼻つまみ者である人類。その愚かさに気づくにはセミの鳴かなくなった夏が必要なのだろうか。蝶の舞わない空が必要なのだろうか。今日も我が家の庭にアゲハチョウは飛来するだろう。優雅な舞をしかと見届けようと思う。

2012.07.09 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

無限大

人体内のミトコンドリアの生息数12京個
ATP合成酵素の総数 3万×12京個
1秒間に合成されるATPの総数 90〜120×3万×12京個

これが人体のバイタル・フォース(生命力)の物理的正体であろう。顕然情報としての生命力こそがこの膨大なATPの発生能である。

我々は決してチッポケでチャチな存在ではない。恐らくは宇宙一の生命力を秘めているといってもいいだろう。いや宇宙という無限のエネルギーと同等のエネルギーを秘めているのが人間なのだ。無限の世界と等価であるがゆえにこの宇宙に存在できるのかもしれない。ならば万物はみな無限の子だ。

たった1秒間に膨大なATPを発生している。人体とはかくも精妙で精緻で無限なのだ。

12京個という数は常に増減し機能にも揺れがある。それが体調の変化でもあるのだろう。そしてミトコンドリアの生息数を増やし維持する術こそが呼吸法であり中国古来の体術である太極拳であろう。90歳を過ぎてなおシャンとした背筋で壮健な30台の若者を触れずに投げ飛ばすその「理力・フォース」の源泉こそミディクロリアムならぬミトコンドリアの力なのだ。

ホモ・ミトイゾン。人類はミトコンドリア依存型の種族である。地球外惑星人には葉緑体依存タイプが存在するかもしれない。エメラルドグリーンの美しいキウイのような肌色の種族がいるかもしれない。それはさておき葉緑体もミトコンドリアと同様に植物体内に共生する「自律生命体」である。自立と共生は宇宙の真理である。葉緑体もDNAを使い自己複製し分裂する。アクチンフィラメントという筋肉と同じ素材を使い分裂リングを形成して2つに分裂した葉緑体の真ん中をちぎって分裂する。分裂にはこのアクチン繊維というタンパク質が使われる。ここでもお馴染み人工放射性元素の怖さが際だつのだ。分裂に使われるアクチンフィラメントの伸展のエネルギー源はもちろんATPである。その供給源はミトコンドリアだ。ミトコンドリアは内部被曝において真っ先に影響を受ける部位である。ATPの供給能力の低下はアクチンフィラメントの伸展機能停止へとつながる。ゴムが伸び縮みできなければ葉緑体は分割できない。つまり分裂装置が使えないから葉緑体は分裂できないのだ。分裂の停止とは一般的には生命力の低下を意味する。内部被曝の脅威は分裂装置の機能停止とリンクしているのだ。ミトコンドリアも自己のDNAを使い分裂する。葉緑体と同じく分裂装置を使い分裂リングでちぎって分裂する。アクチンフィラメントの運動のエネルギー源はATPである。ATPはミトコンドリア内部のプロトンモーターで作られる。ミトコンドリアは内部被曝において真っ先にダメージを受ける。ATPが供給できなければ分裂装置は動かない。ミトコンドリアのリモデリングが滞る。ミトコンドリアのリモデリング低下とは生命力の低下を意味する。内部被曝とは「ミトコンドリアの内部の被曝」でありプロトンモーターの破壊なのだ。そら恐ろしい事態なのだ。ホモミトイゾンの存亡の危機なのだ。

赤い森という放射能による高濃度汚染地帯は植物体内の「ミトコンドリアと葉緑体のふたつの共生体の分裂停止」の顕在化である。葉緑体もミトコンドリアも死滅した森がレッドフォレストなのだ。原色素体に由来するすべての色素体が被曝の影響を受けるのだろう。色素を失った葉や花は数多くすでに発見されている。

自立と共生を小さな細胞内で顕在化して見せてくれる植物や動物たち。我々人類もこの宇宙の真理に従ってミトコンドリアと共存してきたのだ。

膨大なミトコンドリアというユニットが奏でるATPの調べに耳を傾けよう。それは宇宙の鼓動なのだ。

静かに高速で回り続けるプロトンモーター。ミトコンドリア内膜にある水素イオンの谷。水素元素の奏でる音に満たされた清澄な世界のオーナーはあなたなのだ。トスカーナの絶景も及ばない豊かな景観がそこには存在するだろう。紙切れでは決して買えない生命の泉だ。

無限とも言えるエネルギー発生装置を私たちは3万×12京個もすでに手に入れているのです。

他でもないあなたが。みんなが。みんな偉大なるジェダイの騎士なのです。

ルーク、フォースだ。フォースを使え。

2012.07.08 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 細胞宇宙

もっとエレメント

この地球という惑星を形成している元素も人間の体内を通過している元素も同じものである。同じ宇宙の素材からできている。植物も動物も万物はみな同じ元素で構成されている。ブラックホールを通じて外宇宙へと行けば違う種類の元素が存在するのだろうか。太陽系が所属する天の川銀河の惑星のどこかにはウランやプルトニウムを核融合して原子転換する元素が存在するのだろうか。恐らくは人智の及ばないテクノロジーや高貴な精神性を持った種族はいるだろう。数千年、数万年の進歩を果たした種族にとっては放射能禍などいとも簡単に処理できる事案かもしれない。しかし地球外惑星人に頼ることはできない。それは地球人の進化にはあってはならないことだ。地球人はみずからの力でこの困難を克服しなければいけないのだ。あらゆる意味で今は重要な過渡期だろう。政治経済はもはや人欲の肥大を象徴するだけのツールと化している。人民を統治するとかそんなレベルではない。資本家の手先。ただその一点で国策が進行する。紙切れの為に子供の命は玩ばれ迫害され続けている。放射能に抵抗力のある細胞など存在しない。まして分裂まっただ中の細胞だ。そこには安全値も基準値もないのだ。ひたすら危険。避けねばならないのが24歳以下の被曝なのだ。医療は何もできない。経過観察しかできないのだ。今もそうだろう。何もしていない。病を未然に防ぐことが最良の医療なのにそんな思想は現代医学には存在しないのだからなすスベもなく事態は進行していく。しかし人間の細胞も黙って待っているだけではない。その細胞の持てる力で必死に解毒し修復し再合成している。ホメオダイナミクス。動的恒常性。連環の宇宙においてはすべてがリンクして動き続けるのだ。それは立体的には螺旋運動となる。同じようでいて少しづつ進化していく。宇宙の真理とは進化なのだ。そのプロセスに従えば我々は今こそ進化のまっ最中なのだ。元素の出流入を加速させる。これが私が到達した内部被曝を防ぐ進化した方策・ツボである。

人体の構成分子はこの宇宙の構成分子である。人体は35億年の生命史で築かれた元素のジクソーパズルである。そのひとつひとつのピースである元素は今までは宇宙由来のピースだけで構成されていた。しかし昨今の放射能禍によって新たに人工の放射性元素が侵入する危険性が増してきた。もしそのインチキピースが入りこむと全体の秩序が崩される恐れが生じる。たったひとつの不穏なピースは隣接する普通の元素ピースを混乱させ励起させ電離させる。著しい混乱が全体へと波及していくのだ。防ぐ方法はあるのか?

もちろんある。それは新しい元素を供給することであり、そのインチキ元素を排泄することである。元素の出流入、インチキ元素のアウト、ホンモノ元素のイン。これを加速すればこの困難な事態を乗り切れるだろう。

そのためにはやはり食が重要なのだ。食とは畢竟エレメントの交換なのだ。元素というエレメントのたゆまざる動きこそが生命現象なのだ。ミトコンドリア1個につきその内部には3万個ものATP合成酵素が存在する。水素イオン(プロトン)の動きに伴いこのモーターが回転すると瞬時にATPが発生する仕組みだ。プロトンモーターによって我々は生かされている。水素という元素が人体の最奥部のモーターを駆動するのだ。クルクルと回転するモーターは1秒間に30回転の速さで回り、1回転ごとに3〜4個のATPを生産する。たった1秒間で90〜120個のATPが発生する計算となる。命の発電所ミトコンドリア。

物質レベルの肉体においては元素のアウトインの加速が最良の方策であるが、不可視レベルの肉体においては意識を高くもつことが何よりも重要だ。希望を持ちハツラツと生きる。そういう精神でいれば動電場というインヴィジブルな鋳型もスパークし続けてくれるだろう。電磁場で出来たマトリクスの手入れとは心の手入れなのであり、電磁場ボディは肉体ボディの状態とシンクロしているのだから肉体ボディの養生のカナメである元素のアウトインは結局は電磁場ボディの養生となるのだ。元素の配列も電磁場の鋳型の導きによるのかもしれない。

「たまゆら」とは「魂が触れあう音」。

水素が袖振り合うプロトンモーターが奏でるシンフォニーは低周波1ヘルツ以下の宇宙の鼓動なのかもしれません。

ホメオエレメント。元素恒常性。

養生法の探求、進化のただ中です!

2012.07.07 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

ブルースモッグ

今から3500年前の古代中国大陸は鬱蒼とした大森林に覆われていた。黄色い大地が丸裸になった今の姿からは想像もできないが国土の8割が森だったのだ。象やトラが跋扈するその森は炭酸同化作用の副産物である芳醇な酸素を放出し酸素呼吸を行う動物たちの肺胞とミトコンドリアを養ってくれた。外呼吸である肺呼吸と内呼吸である細胞内ミトコンドリアの酸素呼吸。このマクロとミクロのダブルサイクルがスムースかつ良好に行われていたのだ。どれほど清澄な気分だったろうか。精神性も高かっただろう。その森と共生した時代に生薬のデータは積み重なったいったのだろう。大森林は豊富な生薬を提供した。サルノコシカケなどのキノコ類はふんだんに手に入ったことだろうし、木の皮、木の実、草木のパーツのすべてがあり余るほど簡単に入手できた。森と共生する恩恵は計り知れなかったはずだ。そこへ製鉄技術をもつ一群がやってくる。これが災いの発端であった。その便利な製鉄技術は木を切り倒す斧をノコギリを生み出した。土を掘削するスコップも作った。人や動物を殺す道具である矢尻や刀剣も生み出した。こうして大森林は瞬く間にカイハツされていく。ハッテンの名のもとに。モラルなき科学技術の原罪。すでに紀元前にその原罪はスタートしているのだ。人間の業の深さを思うとなんともいえない。古代中国哲学は天人合一を至上の目標とした。神である自然と一体になって生きることが最上の生き方なのだ。なのに欲が先行して森を破壊した。象もトラももうそこにはいない。今のアフリカはどうだろう。カバも激減して絶滅が危惧されている。ゴリラもタンパク源として狩られてしまう。象たちはもはや見る影もない。パンドラの悲劇は今も続いているのだ。「のろまな希望」は果たしてまだ箱の底に待っているのだろうか。日本も戦後になりケイザイのハッテンと称し大々的にカイハツが進行する。こんな小さな島に道路がいっぱい造られてシンカンセンが走り飛行場があちこちに建設された。それでケイザイ大国だって自己満足に浸ってた。無論ゲンパツもたくさんおっ建てた。発生した熱量の三分の二は海へと温排水として捨てる非効率極まりない発電施設であるゲンパツ。その高温の汚水は周辺の海域の生態系を決定的に痛めつけてきた。魚の卵は海水温の温度変化に弱いのだ。卵の段階で殺す。ここでも一番弱い命が危機に直面していたのだ。人間は3000年も同じことを繰り返しまだ懲りないのだ。ケイザイとかハッテンとかカイハツとかってのが何をもたらすのか?もうわかるじゃん。単に自然を破壊するだけなんだって。地球を汚染するだけなんだって。地球に優しく?エコロジー?そんな浅薄なファッションじゃなくて根源的な問題なのさ。人がどうやってこの地球と共生するのか。そのモラルを構築しなければいけないのだ。それが何よりも先行するトップ・プライオリティじゃんかよー!それ以外の学科はさ、そんなにたいした問題じゃないはずだ。科学も技術も「地球生理学」「地球共生学」の傘下に属する部門なのだ。地球に生きるうえでのモラルがない技術など決して認めてはいけないのだ。すべてに先行する学問とは「地球との共生を学ぶこと」であってほしい。鉄器によって切り開かれた森は泣いていただろう。森こそが人間の安らぎの場であり癒しの場だったのだ。植物は傷が付くと自分を守るためにその木肌に抗生物質を分泌する。葉が虫に噛まれると虫除けの匂い物質を放出する。この香り物質はフィト(植物)とツィッド(殺す)を合わせてフィトンチッドと呼ばれる。レモンなどの柑橘類やネギや生姜、コショウ、山椒、ハーブ類など野菜や果物の香りはすべてフィトンチッドであり細菌やウイルスに抗する力を秘めている。そして森全体がこのフィトンチッドを放出しているのだ。ブルースモッグ。森を覆うフィトンチッドの青いカスミは森にとってのバリアであり繭なのだ。この繭が地球をも守っていたのだろう。地球に棲息する生命体はブルースモッグのお陰で生きてこれたのだ。その繭がどんどんと減っている。病原菌が活発に動き始めてしまった。地球全体の抗生物質の役割を果たしていた森を人間がカイハツしたからだ。愚かにも感染症におびえる人類たち。パイプモンスターである原発が吐き出す放射性物質がさらに輪を掛けて人間の免疫力を低下させる。医療だって本来は地球生理学の一部門なのだ。地球環境と私の生理はつながっているのだ。すべてが連環しリンクしているのだ。肩こりや腰痛の真因は2800年前の斧の一振りにあるのかもしれません。

鉄元素は人体内にあっては約65%がヘモグロビンとして赤血球に存在する。他には数%がミオグロビンとして筋肉中にある。残りの大部分は貯蔵鉄として骨髄、肝臓、膵臓中にある。

ウラン、プルトニウムなどは鉄元素と置換されて取りこまれる。つまりは上記の部位が侵襲されるということである。血液が侵され、筋肉が被曝し、骨髄と肝臓、膵臓がダメージを受けるということである。恐ろしく広範囲かつ深刻な健康被害が発現しかねないのがウラン、プルトニウムによる内部被曝であろう。

予防は毎度お馴染みのキクラゲのスープ。蜆やアサリの汁もいい。ノリもせっせと頂いてレーズンやプルーン、アーモンドに舌鼓を打って最後に深蒸しの緑茶でしめる。中国の薬物書のバイブル「神農本草経」のタイトルのはじめにある神農という文字。これは人の名前なんだけどこの神農さんが百草を嘗めて毒味して、「この草は使える、これはダメ、これはイイ」って自分で人体実験を繰り返して365種だか選定した生薬が記載されているってのがこの本。この神農さんが毒にあたっても死ななかったのは実はお茶の葉を噛んで毒消しをしたからだ、なんて逸話だか作り話がある。まあ白髪三千丈のお国柄、この神農さんって人も実在の人物かは定かではない。私流に解釈すればこの神農さん、ようは生薬と人間の関わりの歴史を集約した人物ということだろうね。それはさておき、神農さんを描いた絵ではいつも口に葉っぱをくわえているのは確か。この葉っぱが「お茶っぱ」だって言うんだからまんざらでもない。ここ牧之原市は有数のお茶処。深蒸しという技術で作ったお茶は独特の深い緑色になる。まるでクロロフィル溶液。香りもいいし味もいい。本当に旨いお茶なの。アミノ酸のグルタミン酸がその旨味らしい。緑茶カテキンの抗酸化作用、抗ウイルス作用などもチラホラ話題にのぼります。茶葉の香りとはフィトンチッドそのものです。生薬の歴史とは人間のデトックスの歴史だったのかもしれません。つまりは神農さんはデトックス神ってこと?

古代中国の大森林に思いを馳せ、生薬の歴史を想起して食後の一杯のお茶を今日も深く味わうことといたしましょう。

2012.07.06 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

赤青緑

鉄元素をポリフィリン環というジャングルジムのような構造式に抱えるヘモグロビンは赤き血潮を生み出すのですが、銅元素を抱えた場合は青い血を持ちます。イカやタコやエビやカニなどは青い血の仲間です。青い血のもとはヘモグロビンではなくヘモチアニン(血青素)と呼びます。マグネシウムをポリフィリン環の中に持つのは緑の血をもつ植物たち。赤青緑の血の素である元素の、鉄、銅、マグネシウムともに人体にとっての必須元素です。これが不足したり過剰になったりすると何らかの不調が生じます。よって常に一定の割合を摂取しなければいけないのですがクロロフィルからヘモグロビンへのマグネシウム→鉄・原子転換が生体内で行われているとすると少し事情が変わってきます。つまり鉄元素を直接に摂取せずともマグネシウムを含有するクロロフィルを摂取していれば大丈夫となります。15年間も一日に青汁1杯(わずか80キロカロリー)で健やかに生きていらっしゃる同業者である女性鍼灸師が大阪にはお住まいです。マグネシウム→鉄・原子転換説の生き証人であり、リアルポパイです。彼女は小脳変性失調症を甲田療法で克服しました。クロロフィルの摂取でヘモグロビン新生、上腕二頭筋ムッキムキ元気百倍!のアイデアの元祖は故・甲田光雄博士が実践しておりました。超少食で有名な甲田療法ですが実はクロロフィル・ヘモグロビン転換を促進する青汁の摂取にこそ治病の鍵があったのかもしれません。人間は緑の血を赤い血へと変えています。緑の革命とは自然破壊を食い止めることと緑の植物を摂取することで新鮮な赤い血ヘモグロビンを生み出して体細胞をリモデリングすることの二つの意味があったのでしょうか。とするとやはり地球環境を早急に回復し、農耕型の文明を再興することは急務です。政治経済を含めた文明のリモデリングを行わねばなりません。

さて冒頭で触れたイカやタコなどのブルーブラッド族ですが、青い血というか青い肌を持っていたのは映画「アバター」の惑星パンドラのネイティブ達です。彼らの肌は美しいブルーでした。もしかしたらこの宇宙の中にはあのような色の肌をもつ種族がいるのかもしれません。その肌が青いのはヘモグロビンではなく銅元素を内包するヘモチアニンによるのかもしれません。銅の精錬技術にたけたのは中国の殷王朝です。殷王朝はこの銅で作られたモニュメントを使った宗教祭祀を執り行い国を治めました。神のご託宣を受けるのは国王であるという一種の洗脳により人民を統治したのです。この殷王朝は少数民族のチャン族を徹底的に弾圧虐殺します。チャン族はシャーマンを抱える自然崇拝型の一族でした。シャーマンとは宇宙の真理のメディウム役であり自然界の真実に耳を傾け宇宙の振動にシンクロする能力をもつヒーラーです。神により近い存在です。国王を神と思いこませ人民を平定したい統治側にとってはシャーマンを擁するチャン族は邪魔な存在だったのでしょう。チャン族も勇敢に抵抗し闘ったようですが結局は大陸の辺境へと散ります。こうして殷王朝は成立したのです。国家とは暴力装置であるとはまさにその通りなのです。今もどこかの国はその暴力性を余すところなく発揮しています。自国の民を子供を救おうとしない為政者や官吏など存在意味はありませんがもはや奴隷であることに慣れてしまった人民は抵抗することすらなくしおらしく退廃のただ中に没しています。自分で気づかない限りはその見えざる鎖を切ることはできません。真実を知ることは畜舎から脱出する最良の手段です。すべてはイリュージョンなのです。その幻想のカスミを払うのは他でもない自分自身です。我々は近代以降ずっと支配されてきました。明治維新という外圧により江戸文明は解体されてしまいました。戦争をしない平和な260年間の奇跡は異邦人がコメカミにライフルを突きつけることで終焉しました。この意味を理解する日本人は意外に少ないのです。日本のネイティブたちは近代思想のマインドコントロールにかかってしまいました。今までの130年間で取り返しのつかないほどの自然破壊が進行し、この国土に住まう人々の心も破壊されてきました。そうやって築き上げたのがこの日本という原発王国なのです。心というソフトと自然というハードのふたつともが異邦人に弾圧虐殺されてきたのです。その異邦人とて自らの所業に気づいているのかは不明です。わずかここ100年ほどの価値観でこの地球上の生態系が破壊されていいわけがないのです。チャン族と同様に我々も辺境へと居を移すことになるのでしょうか。いったいどこへ?地球外惑星人とてオムツのとれていない地球人など相手にしないでしょう。そう私たちはいまだにオムツもとれていない赤子です。精神性の進化も悲しいかなほとんど見られません。モラルなき科学技術の暴走を目の当たりにしてもなお反省もなくまたこの自然界の元素秩序を乱す物質を生産するのですから始末におえません。地球に生きるモラルが欠落した一族こそが今の地球人です。アメリカ104、フランス59、日本54。テストの点数ではなく保有原子炉の数です。青く美しい惑星になぜこれほどの仕打ちをするのか。自虐的な倒錯文明です。かけがえのない母なる青い惑星。母星は母性に通じます。すべてを産みはぐくむ温かいその母なる地球の柔肌にくだらないプラントを林立させたのは他でもない私たちです。即刻取り除かなければいけません。その方法はまずは地球に生きるうえでのモラルを再興することからになりましょう。その雛形・鋳型・マトリクスはすでに我が国の先人がこしらえてくれました。江戸文明です。自然と柔らかい関係を築いた究極の持続可能型文明こそが江戸文明だったのです。江戸期の人々の顔にひとりたりとも不満の面影が見られなかったことに来日した異邦人はこぞって感動します。またいずれはそうなりたいものです。

銅の欠乏は貧血、毛髪異常、骨や動脈の異常、脳障害を引き起こし、銅の過剰は肝硬変、下痢、吐き気、運動障害、知覚障害を起こします。

生体内原子転換を視野にいれると銅も他の元素から転換して作り出せるのかもしれませんが、銅を含む食材はレバー、ココア、生牡蠣、生ホタルイカ、カシューナッツなどです。鉄を含む食材で注目はキクラゲです。100グラムに何ミリグラム含まれるかで計算すると牛レバーが4.0ミリグラムなのに対してキクラゲは10倍の44.0ミリグラムです。鉄を取るにはレバーってのも洗脳かしら。シジミは10.0、胡麻は9.9、切り干し大根9.5、大豆9.4、きな粉9.2、あさり7.0ですよ。
板海苔はなんと74.8です。鉄分欲しけりゃ海苔を食べてればいいじゃん。

海の草と桑の木に棲むクラゲを食べてレッドブラッドを作りましょう。

2012.07.05 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

デーヴィッド・ボーマン バイ スペース・オデッセイ

文字というものはシンボルであって漢字は文字通り漢の時代に統一された文字です。象形文字とも言われます由縁も自然界に存在するカタチを象ったということ。文字それ自体はシンボルであり信号である。しかしこれだけ文字に頼る生活をしていると文字に支配されてしまうようになる。あくまで通信手段・コミュニケーションの道具・ツールなわけです。しかし文字自体に図形的な魅力がないわけではないし文字自体がなにか不思議な力を秘めているように感じる時もあります。気に入った漢字なんてものは誰にでもありましょう。日本という国には漢字、平仮名、カタカナ、和製英語、ローマ字表記と多様です。これはこれでなかなか面白い習俗です。しかるに柔軟な表現が可能となります。漢の時代に統一言語、統一文字が制定された際に中国医学も取捨選択されて漢王朝公式医療ガイドブックが出来ました。これがいわゆる東洋医学の聖典とされる「素問」「霊枢」です。「素問」という書物は国王の黄帝と医師である岐伯との問答形式をとった医療や健康、養生の指南本です。「霊枢」は解剖学や病理学、生理学、診察概論、治療法を集めた感じですが西欧のマニュアルと異なるのは対象とするのが肉体だけでなくスピリチュアルマトリクス(霊枢は直訳すればこうなるかな)であるインヴィジブルボディまでも標的器官として視座に組み込んでいるところ。体表内臓インタラクティブ反射理論、腸管リトルブレイン論、動電場インヴィジブルマトリクス理論などがすでにミックスされ包含されていたと見ることができます。医学の歴史において常に西欧がリードし発展していたとのマインドコントロールは近代以降ずっと継続してきているのですから中国医学いな東洋医学に無知なのは無理もないですが中国において正確な解剖図が書かれたのは西欧に先駆けること1世紀以上も前ですし、日本の華岡青州も半世紀以上も早く世界ではじめて乳がんの麻酔手術に成功しています。青州の業績を称え欧州の医大の教科書には彼の顔写真が掲載され学内の庭には銅像まで建てられているそうです。むろん日本における評価は欧州の比ではありません。華岡青州の妻、こればっか。近代以前が蒙昧で野蛮な文明であるとは明治初期のインテリに共通する倒錯したコンプレックスでありこれが今現在まで踏襲されてきています。浮世絵版画は欧州の画人を熱狂させ新たな一派を形成するのですが印象派という迷誤訳がいかに意味不明かは知る人もありません。ヤパン・インプレッションを正確に訳すのなら日本版画派または日本浮世絵派が適当なのです。ここにも文字というシンボル情報を使ったマインドコントロールが見て取れます。人体においては食事由来のタンパク質情報は消化管内で消化酵素というタンパク質によって徹底的に分解されアミノ酸にまで情報はほぐされ解体された後に腸管上皮から体内へと吸収されます。タンパク質という大きな分子情報のままでは決して体内へは入り込めません。選択的な吸収機構が腸管上皮には備わっているからです。つまりは腸管内で情報処理・解体が行われているのです。必要な情報のみを取りこみ、いらない情報は大腸へと送られて糞便となり排泄されます。このような情報処理がきちんとできる場合はアレルギーにはならないのです。もし情報処理されないで大きな分子情報のままのタンパク質が腸管上皮を素通りして体内へ入りこむとアレルギーが起きます。これが離乳食の早期開始によるアレルギー発症の機序です。赤ん坊の腸は母親の乳に含有される大きな分子情報のタンパク質をそのまま吸収します。つまりはこの時期は母乳だけを飲むことを前提に腸の情報処理機構はゆるく設定されているのです。それが赤ん坊が母乳を飲んで生き延びるための不可欠な機能なのです。しかし生後5カ月で離乳食を始めるとその離乳食に含まれるタンパク質は分解されずに大きな分子のまま腸管上皮を通過して体内へと入りこみます。アミノ酸にまで分解されていない離乳食由来のタンパク質は体内に侵入すると抗原として認識されます。つまりは侵入してはいけない情報と赤ん坊の身体は判断するのです。当然です。まだ母乳しか飲んではいけないのですから母乳由来でないタンパク質はいらない情報なのです。つまり人間は2歳半頃まではほとんど母乳でいいようにセッティングされているのです。江戸時代までは二歳半まで、いな、無制限母乳栄養という子供が欲しがればたとえ5歳であっても乳を与える習慣が日本にはありました。それで何ら問題はなかったし、江戸期に訪日した異邦人たちは日本の子供たちの健康さ、利発さ、愛らしさにみな感動を覚えたのです。昭和55年の母子健康手帳に離乳食の早期開始が謳われた後の二年後よりアレルギー、小児喘息、アトピーが急激に発症し出します。本国アメリカでは破棄されたスポック流育児が日本において採用されてしまうのです。子供時代は細胞の基礎を作り上げる時です。その基礎細胞に間違った情報が侵入することは本来は許されません。約30兆個でスタートした赤ん坊の細胞数は24歳まで分裂増殖を繰り返しようやく60兆個になります。ここからは分裂中心ではないリモデリング中心のサイクルへと移行します。しかるに24歳以下のヒトはどんなことがあっても外部、内部とも被曝は避けるべきなのです。分裂時の細胞は染色体が伸びています。その時に被曝すると余計にリスクが高いのです。生命の情報がパックされたヒモが伸びた瞬間を狙い撃ち被曝されたらひとたまりもありません。遺伝子に傷がつき次の細胞へと間違った遺伝情報が伝播していきます。ゲノム不安定性の獲得です。人工放射性元素ほどいらない情報はありません。やっかいな情報はありません。遺伝、ホルモン分泌、神経伝達、タンパク質の合成修復分解運搬、リモデリングなど人体内の情報処理機構をことごとく狂わす攪乱物質こそがホットパーティクルの正体です。やっかいな元素世界の隣人は増え続ける一方です。せっかく吐き出されないでいた毒ガスがまた関西の一地区で放出され始めました。この文明の業と向き合い克服するスベをいち早く確立しなければいけません。近代文明が人間の欲望を肥大させ感性と理性を麻痺させるのはもはや自明です。ニューパラダイムにシフトする時期です。

さて文字を使い自己表現しているのですが、すべてを文字で表現しきれているわけではありません。文字は思考を表現するシンボルでありもっとも適当と思えるシンボルを探す道程がこの記事の文章ということになります。書けば書くほどもどかしい。そんな風にも思えまた書くという作業に取りかかります。そうしていつかは一番言いたいことを一番いいシンボルで表現できるのでしょうか。もっとも宇宙も地球も細胞も一時も止まりはしません。常にハイスピードで動き続けています。だから永遠に進歩していくのかもしれません。生成流転。

それでは本稿のキモへと陥入します。
闇というシンボル文字をゲートの内部にサウンドが満ちていると解釈しました。
天の岩戸、鳥居、ゴールデンゲート。
その境界の向こうには、こちらには音が充満しているという見立てです。
少し平面的な解析だったかなと思います。

門をフレームととらえ、球状にイメージすると膜ができます。サポニンと粘性物質と脂肪とタンパク質あたりの「顕前情報」を揃えてやると宇宙においてはもしかしたら生命が発生するかもというアレです。しかしこれだけでは生命は発生しません。そうサウンド、音が足りません。「内臓情報」をササッとひとふり。命を生み出す宇宙の鼓動1ヘルツ以下の不可聴域の低周波サウンド。これがあってはじめて命のしずくが宇宙に一滴「落と」されるのです。細胞膜のようなシャボン玉の表面にポチャンと一滴の音のしずくが波紋を広げた瞬間こそがビッグバン・宇宙創生のスタートだったのだろうか。闇というシンボルは宇宙の始まりを顕す象形だったのだろうか。

インヴィジブルなエネルギー情報が鋳型となりヴィジブルな顕前情報を導く。インタラクティブに暗在系と明在系はシンクロして宇宙は形成されている。東洋哲学ではこれを陰陽というたった二文字のシンボルで表記しました。

一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。これを二次元の図形で表示したのが太極図です。

闇と光。インヴィジブルとヴィジブル。暗在系と明在系。内臓秩序と顕前秩序。体壁筋肉系と腸管内臓系。東洋医学と西洋医学。男と女。細胞膜と核。

宇宙は意外にシンプルな真理で貫かれているのかもしれません。

丸にチョン。

始まりの始まりのその闇まで響くかそけき音かな。

2012.07.04 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 命曼荼羅

葉緑素ラブ

27億年前に爆発的に増殖したシアノバクテリア・藍色細菌が放出した酸素によって地球の酸素濃度は急激に上昇した。その酸素を生み出したのはシアノバクテリアの体内に存在した葉緑体にある葉緑素・クロロフィルという光捕獲装置であった。この光合成を司る分子装置によって酸素が海水中へと放たれて鉄イオンと反応して酸化鉄が生み出され長い間に海底に沈殿して赤鉄鉱床となり地殻変動によって隆起して地上へと姿を現したのが今のオーストラリア最大の鉄鉱石の鉱山なのだ。縞状赤鉄鉱石はさしずめカツオの「ちあい」部分、煮て黒くなる筋肉部分の速筋・赤筋だろうか。つまりは凝固した大地の血液だろうか。人の血が赤いのも赤血球にあるヘモグロビンに含まれる赤色素ヘムのせいである。シアノバクテリアの葉緑体に含まれるクロロフィルとは緑の野菜全般に存在する分子であるが人間に吸収されるとヘモグロビンに転換される。クロロフィルのマグネシウムが鉄に原子転換するとヘモグロビンになるのだ。ここで卒然として天啓が降りたのです。ポパイの秘密とは実はこのクロロフィルの補給によるヘモグロビンの新生増加ではなかったかと(笑)ホウレン草の缶詰は比喩であってその心はクロロフィルの摂取であったということ。またひとつ「独り禅問答」がブレイクされた感があります。動物にあっては細胞内のミトコンドリアが酸素を使い細胞内呼吸を行いATPというエネルギーを産みだして全身へと供給することは生きていくうえで不可欠な機能である。つまり赤血球にあるヘモグロビンが酸素をくっつけて全身の細胞内に棲まうミトコンドリアへ酸素を運ぶ力がなによりも大事なのだ。貧血の人は活動が鈍い。赤血球の数が少なければ全身の細胞に送られる酸素も比例して減る。酸素が供給されない細胞ではミトコンドリアがATPを作ることができない。貧血によるマクロ(巨視的)な活動低下はフラクタルにミクロ(微視的)な細胞内呼吸の低下を顕す。マクロなエネルギーを感じないオーラ・雰囲気はミクロなATPの不足の顕在化である。また赤血球が新生細胞に転換するという千島学説に準拠すれば細胞のリモデリングも貧血により後退する。新生赤血球が新生細胞に転換するのだから新生赤血球の不足はすなわち新生細胞増殖の障害となる。古い細胞とは代謝の行われない細胞なのだから癌や免疫疾患に罹患する確率はグンと上がる。代謝の悪い古い細胞内では酸素が供給されないので解糖系が亢進して凝りの原因物質である乳酸が蓄積しサイトゾル内は乳酸タンパク質が充満する。ATPを使って行う細胞質浄化機構のユビキチンプロテアソームがATPの不足で発動できないのでサイトゾル内は浄化機構が働かず乳酸タンパク質がアミノ酸に分解されることなく再利用されない大きな分子のままの乳酸タンパク質が蓄積した状態になる。言わばゴミ屋敷状態のサイトゾルである。ガン化した細胞や古くなった細胞はマクロファージがファゴサイトーシスして食作用でもって消化されるか、または細胞自身がアポトーシスして自然消滅して新たに供給された新生赤血球が新生細胞に置換される。マクロファージの数は限定されているし酷使されれば疲弊するのだから結果として古い細胞やガン細胞が消化できないで残ってしまう。へたをする異常増殖を開始してガン化が加速することになってしまう。もしここで鍼灸指圧などを施せば血管拡張作用とマクロファージ活性化に貢献するNO・一酸化窒素が分泌されるし、HSP・ヒートショックプロテインが細胞内へ供給されてシャペロン介在性ユビキチンプロテアソームが発動してサイトゾルも浄化される。鍼灸指圧はこのようなバックアップ機構を担う物理療法でもある。さて、貧血という酸素を運ぶ赤血球の不足もヘモグロビンの質の低下や供給不足も両者ともガンや鬱、免疫疾患や全身的な不調を引き起こす主要な因子なのである。

やや凝縮した前置きでありましたが本稿のキモへと話しを進めましょう!

ヘモグロビンの酸素結合力を動物間で比較してみました。
血球容量100立方センチで吸収する酸素量(容量パーセント)は
人間45.7 ウマ46.4  ネズミイルカ63.4 アザラシ61.0 
アカガエル33.0 イモリ25.0 
サバ43.0 ホウボウ32.0 

哺乳類においては陸棲の動物の酸素吸収量に大差はないが潜水性のアザラシやイルカは陸棲の約1倍半もの酸素を吸収する。イモリの緩慢なライフスタイルはカエルに比べてはるかに低い酸素吸収力に準じている。魚にあっては海底に棲んでいるホウボウは運動が緩慢であるのは上層で活発に泳ぐサバの酸素吸収力と比較してみれば一目瞭然である。

このような事実から言えることは動物の活動力は動物のヘモグロビンのもつ酸素吸収力とフラクタルであるということ。酸素を吸着するヘモグロビンの能力が動物の運動能力を決定しているのである。ヘモグロビンさまさまである。

ほい、ここらでまとめ。
クロロフィルを含む緑の野菜は食べ物として摂取されることで新生ヘモグロビンへと転換される。赤血球の新生ヘモグロビンに吸着した酸素は全身の細胞へ運ばれて細胞内ミトコンドリアで酸素呼吸がおこなわれる。細胞内酸素呼吸によってATPが作られて主に筋肉を動かすことが可能となる。つまりは活発でヴィヴィッドなライフスタイルは新生ヘモグロビンに依存するのである。

そんで、キモ中のキモは

『クロロフィルを食べることは「ぶらぶらシンドローム」の予防法として最適である』

2012.07.02 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 内部被曝

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