てのひらの宇宙

多事にまぎれてここ10日間、

こちらのブログの記事更新が出来ませんでした。

名古屋の御常連のKさんからは、小生の身を案ずるお電話まで

頂戴しまして、本当にありがとうございました。

皆々様にはたいへんにご心配やご迷惑をおかけしまして、

まことにすみませんでした。



5月12日に、

宮崎県からフジドリームエアラインズ静岡空港経由で

ご来院くださったKさんへ。

遠方よりのご来院、本当にありがとうございました。

Kさんとのおはなしのなかで出た鍼灸師&気功師の本は

『病気が治る「気功入門」』中健次郎、マキノ出版

です。

Kさんにはご専門の音響に関しての深いお話しをご教授頂きました。

中国では古来、音が最強の気であったといわれております。

美しい音色もまた医の根源です。



医のまえに食があり、食の前に農があり、

農のまえに土があり、土の前に天地自然があり、

天地自然の前に音がある?



闇という文字を素直に観ると

門の向こうに音が秘されている。

今から138億年前の天地開闢のビッグバン。

無明の闇の中から素粒子の音が弾けた。

音は光りと振動を伴い宇宙を生みだしたのか。



熟練の気功師の手の平の真ん中のツボ労宮(ろうきゅう)からは

ひとの耳では聞き取れない1ヘルツの重低音が

観測されている。

宇宙は手の平から生まれるのだ。

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2017.05.23 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

現場の哲学

「聖人と称し 仏陀と号するも もとより人なれば
 
 畢竟 我 講求討論の友にして 師とするものは 天地なり」




一昨日に常連さんの足の三里を指圧治療していて、

この江戸中期の思想家・三浦梅園の言葉がポッと

脳裡に浮かんだ。

この言葉の大意は机上の空論を廃し、

実学から学べ、ということになろうか。




机上の書物やネット上の知識をすべて自分のものに

しようと思えばきりがない。

また知識が増えるほどに賢くなるわけでもない。

知識を利用したバーチャルな思考が現実に現場で

役立つこともあれば、そうでないこともある。

知識で組み立てた論理がいかに完璧でも、

現場ではそれが通じない事が往々にして生じる。




そんな時、現場ではそこを打破するために、

定型とは異なるイレギュラーな手段が用いられて、

それが突破口、ブレークスルーとなって、

新しい発見や発明や独自の理論が打ち立てられる。

それが現場主義、現場イズムだ。




だから知識も大事だが、その知識は現場で揉まれて

はじめてホンモノになるのだ。

治療師を25年間もやってくると、

治療の現場の何たるか、はそれなりに経験したことになる。

そんな治療の現場から落とし込まれた養生法メソッドは、

一般化する価値はあるように思える。




「身体は硬いよりも柔らかい方がいい」

こんなひとことも現場25年の重みが加わると、

真実味を帯びてくるはずだ。






「中央より先に 地方があり、

科学・技術より先に 労働があり、

産業・経済より先に 暮らしがあり、

政治より先に 人間がある」(農文協のスローガン)




この農文協のたいへんに優れたスローガンを、

ちょっとオレ流にマネしてみる。




「机上より先に 現場があり、

理論より先に 凝りがある」




理論や理屈をとやかく言う前に、

とにかく凝りをほぐせ。

これが治療師生活25年で叩き上げたオレの現場の哲学だ。

2017.05.12 | | コメント(4) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

未病治養生革命論

わたしがこれまでこのブログに書き連ねてきた内容を

ひとことにまとめるとしたら、どんな言葉になるのか?

そんなことを考えていたらある言葉がポッと頭に浮かんだ。

その言葉とは「未病治養生革命論」だ。

未病治(みびょうち)とは治未病(ちみびょう)とも言うが、

「いまだやまいならざるをちす」と読む。

素直に訳せば

「まだヤマイにならないうちにヤマイにならない体質を作る」

という意味になる。

この文言の訳し方や解釈も様々にあるようだが、

いまここではあえてそのことには拘泥しない。

養生は「ようじょう、ようせい」と読む。

これも素直に訳せば「生を養う、命を育む」という意味だ。

革命は「かくめい」と読む。

意味は「命をあらためる」で、私流にエッジを効かせると

「運命を変革するマイレボリューション」となる。

つまり「未病治養生革命論」とは

「まだやまいにならないうちにやまいにならない体質を

自力の養生メソッドで作ることで、

自分の運命を健康でより良い方向へと

転換する独りマイレボリューションのための論議」

となる。

ちょっと長ったらしいから、圧縮してみる。

「未病治養生革命論とは自己の身心と対峙することで

自律的な生き方を選択することだ」

少し意味が拡大されたが、これなら短めでスッキリした。

病気にならない体質を作るといっても、

万病を未然に防ぐ、と言い切ることはいささか暴言に近い。

たとえ、どんなに用心深く養生法を実践していても、

ケガや症状に悩まされる事態に遭遇する。

しかし、そうではあっても、少なくとも、

普段から養生法を実践し自己の身心と真摯に対峙し、

自分の身体は自分で守る、という意識を持って生きることは、

人生をより良い方向へと向けるライフスタイルだ、

と声を大にして唱えよう。

そのための「未病治養生革命論」なのだ。

他力本願に医療に依存するだけの捨て鉢の人生でない、

自力で養生法を実践することで自己の健康な人生を

つかみ取るための論議。

そんな論議は大いに盛り上げるべきだろう。

サイレントレボリューションの中核理論こそ

「未病治養生革命論」だ。

具体的には、いくつかのキーワードやメソッドの提案と

いうことになろうか。

分子レベルの科学的な視点。

気レベルの手の内の視点。

食や農とのクロスオーバー。

ミクロとマクロの宇宙からの俯瞰。

そうした様々な視点から導いた自分に合った養生法の実践が

できたとき、たぶん、健康を確信する落ち着いた人生が

花開くことだろう。

ウチの畑の枝豆たちが一斉に芽を吹き出した。

まことに目出度い、いや

芽出たぁ〜い、ことだ。


2017.05.11 | | コメント(8) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

サイレント・レボリューション

中学2年生の時に、となりのクラスの女の子から真顔で

「なんでそんなに顔だけ老けているの?」

と言われた。それでそんな事を言われれば、

普通は怒るところだが、大人びているという

ポジティブな意味に解釈して、わたしはついその時に、

喜んで笑顔になってしまった。

先年で47歳になった。

老け顔もようやく年相応だ。

今年のはじめに洋服屋の冬物のバーゲンセールに出向いた。

よせばいいのに、若者がはくようなズボンのうえに

半ズボンをはく今風のボトムスを試着した。

オーバーパンツにはく半ズボンは、単品で着ることも可能で、

ズボンと半ズボンを2点セットで買うと、

オーバーパンツと、ズボンと、半ズボンと

三通りに楽しめるというコスパな趣向の一品だ。

で、まずオーバーパンツではいてみた。

やっぱりどう見てもセクシーゾーンのようには決まらない(笑)

ズボンだけだど単にフツー。

ならば半ズボンならどうかと試着してみた。

試着室を出て鏡の前に立ったら、ギャーッ!

みるみる顔面に血が上り顔が赤くなる。

猛烈に逃げ出したい気分になった。

そこに間髪入れずにお店のお姉さんが登場。

無様に立ちすくみ、

我がナリに恐れおののく痛すぎるオヤジを見ながら開口一番

「アハハハハ、少年みた〜い!

でもキレイな足をしてらっしゃるから、

ぜんぜん、いけますよ」ときた。

ここは絶対に確実に怒るところだが、

オヤジは少年のようだと言われてコロッといい気分になった。

まったくちょろい野郎だよ(笑)

でも、さすがに、お店のお姉さんのヨイショがあっても、

このボトムス2点セットを買うのは諦めた。

中学生で老け顔と言われ、

47歳のオヤジになって少年のようだと言われ、

そういうひとに私はなりたくて、生きてきたわけではない(笑)

人生は思い通りにはいかないものだ。

さて、思い通りにいかないといえば、

あらゆる問題が思い通りにいっていない。

例えば地球環境問題。あるいは国際政治。

そんな大きなイシューではなく身近な自分に関わる案件では、

東洋医学の啓蒙もまたまったく思い通りには進展していない。

つまり問題山積なのだ。

だがしかし、果たしてそれを問題として感じている者が、

どれだけいるだろうか?

はっきりいって世の中のほぼ100%の皆様は、

ほとんどが、こうした事象に関心がない。

とくに東洋医学の啓蒙なんて事に関心を寄せているのは、

わたしとこのブログを今読んでくださったいるコアリーダーの

皆様だけだろう。

そういう意味では私たちはサイレントマジョリティーならぬ、

サイレントマイノリティーだ。

そのサイレントマイノリティーの私たちはこれから静かに

革命を起こそうと画策している。

いや、そんな静かなる革命を提案したい。

そのサイレントマイノリティーが引き寄せる静かなる革命を

サイレント・レボリューションと名づける。

サイレントマイノリティーはサイレントとはいえ、

決していつも静かなわけではない。

むしろいつもその頭の中ではラウドネスに怒鳴り声を上げているのだ。

でも、はた目には決して騒々しくは見えない。

デモをやるわけでもない。

誰かをつかまえて議論をふっかけるわけでもない。

淡々と持論を精緻に練り、しかるべき方法で

それを公開していくという戦法を得意とする。

そうこのブログのようなそんな情報発信が、

わたしたちの最大の武器だ。

老け顔、もとい、47歳のオヤジは、

短めの半ズボンはもう似合わない。

でも、東洋医学を啓蒙するための

サイレント・レボリューションの

エヴァンジェリスト(先導者)ならば適格だ。

人生のほとんどは思い通りにはならないが、

たまには思い続けることで

大きな変革を引き起こしたい。

2017.05.08 | | コメント(7) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

拝啓 日本国民様

タンバヤスヨリを知っていますか?

タシロサンキを知っていますか?

マナセドウザンを知っていますか?

ナガタトクホンを知っていますか?

イリエヨリアキを知っていますか?

スギヤマワイチを知っていますか?

ナゴヤゲンイを知っていますか?

ゴトウコンザンを知っていますか?

ヤマワキトウヨウを知っていますか?

イシザカソウテツを知っていますか?

ミソノイサイを知っていますか?

ホンゴウマサトヨを知っていますか?

アシワラケンギョウを知っていますか?

サワダケンを知っていますか?

フカヤイザブロウを知っていますか?

ここにカタカナで列記した名前は、

平安、室町、安土桃山、江戸、昭和までの

約1000年ほどのあいだに我が国の

病に苦しむ多くの一般大衆を

その鍼灸術で救った鍼医たちのネームだ。

どうだろうか?

ひとりでも知っている名前があっただろうか?

恐らくは、ただのひとりも知るまい。

杉田玄白や華岡青州やシーボルトや

野口英世やシュバイツアーの名前は

サッと頭に浮かぶが、

ここに列記した名前を聞いて即座に

それが何者か連想できる者は、

今の平均的な日本人にはひとりもいないはずだ。

6、3、3で12年。

小学校、中学校、高校までの義務教育過程で

私は鍼灸指圧の歴史を教えてもらった記憶がない。

だから高校を卒業して鍼灸指圧師になるために

鍼灸の専門学校に入学するまでは、

上述したカタカナ列記の名前を、

私もまったく知らなかったのだ。

ということは、鍼灸指圧師になるために

鍼灸の専門学校に入学した者いがいのすべての

日本国民は、もちろんこのカタカナ列記の名を知らないのだ。

つまり幼稚園児から大人まで日本国民のほぼ100%が、

このカタカナ列記の名を知らないことになる。

いったいどうしてこんな事になっているのか?

それは私にもわからない。

しかし、間違いなくいま生きている日本人で、

日本が誇るメジャーな鍼医の名前を3人挙げよ、

と言われて即答できる者がいない事だけは確かだ。

今日は5月5日、子供の日だ。

この子供たちが大人になるまでに、

果たしてメジャーな鍼医の何人かの名前を教えて貰う機会が

与えられるだろうか?

あるいは子供の日を共に喜ぶパパやママや祖父母たちが、

これからメジャーな鍼医の名を覚える機会があるだろうか?

クールジャパン。

おもてなし。

モノを作らせれば世界一。

サービスをさせれば世界一。

日本は素晴らしい国だ。

でもね、日本国民は、

世界に誇る自国のメジャーな鍼医をひとりも知らないし、

自国の伝統医学が何だったのかもまったく知らない不思議な人々なんだぜ。

これって恥ずかしいことだよね。

いや、恥ずかしいって思わなければ

おかしいよね。

日本国民のほぼ100%がうえに挙げた鍼医の名前を

すべて暗記するまで。

日本国民のほぼ100%がうえに挙げた鍼医の名前を

すべて暗記して、その名前の鍼医が生きた我が国を

誇りに思えるまで。

日本国民のほぼ100%がうえに挙げた鍼医の名前を

すべて暗記して、その名前の鍼医が生きた我が国を

誇りに思い、そして我が国の伝統医学を心の底から

愛してくれるまで、わたしの壮絶なる闘いは続くのだ。

ふふふ、でもその闘いはもうひとりじゃない。

ここに集うみんなが味方だ。

2017.05.05 | | コメント(11) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

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