0から始める東洋医学 17




「藤原定家は

「ことばは古きをしたひ、心はあたらしきを求める」と

説きました。私の友人の、元日仏学院院長にして詩人の

ジャン・ペロルが言ったことですが、

「フランス語のTradition(伝統)という言葉の根には

2つの意味がある。ひとつはtransmettre(引き継ぐ)、

ひとつはtrahision(裏切る)ということ」と。

まさに伝統とは、形を継承すると同時に

裏切らなければいけないということなのです。

私がタピエに言われたごとく、「モラリストは最低」で、

「本当にクリエイティブなものは、上の貴族階級か、

下の下層階級から生まれる」のです。

この言葉は、非常に的を射ています。

日本は中流階級志向です。特に神武景気以来、

日本がエコノミック・アニマルになり、

隣がテレビを買えば自分のうちも買う。

人と一緒であることを皆が望むようになってしまいました。

こうした土壌からクリエイティブなものが

出てくるはずがありません。

いかに人と違うか、いかに今までないものをつくり出すか

ということがアートの場合、最も重要なことなのに、

日本の美術界の最大の欠点は、今何が外国で流行っているか

ということを評論家たちがいち早くキャッチして

「アメリカではこれが流行っているんだぞ」などと

外国の流行の代弁者となって威張っていること。

ほとんどの日本の美術誌はそうだし、

それを読んだ現代美術館の学芸員や作家らが

惑わされっぱなしなのです」今井俊満

『今井俊満の真実』藝術出版社







東洋医学は医学という呼び名があるから、

アートと呼ぶには少し語弊があるかもしれない。

しかし、アートとはもともとは手のワザ、

手仕事を現す言葉だったと記憶している。

であるからして鍼灸指圧は手仕事であり手のワザゆえに、

間違いなく東洋医学はアートである、と

わたしは認識している。

そのアートである東洋医学が、

では今の時代に即したアートとして

果たしてイケテルのか?

2000年前の言葉をそのまま使い、

2000年前の手技を駆使し、

それで良しと頑迷に主張する伝統鍼灸の世界。

それはまるでいまだにコテコテの油絵で

モネの焼き直しをし続けるそんな姿に

私には写る。

いや、それでも治るからいいんだ。

と古典派は主張するだろう。

でも、私は悪いがもうそちらには戻れない。

わたしは今の人に通じる言葉で東洋医学を語り、

今の人にイケテルと思える手技を使って、

今からの東洋医学アートシーンを切り開きたいのだ!

幸運にも私は下層階級に属する。

学歴も無い。肩書きも無い。まるで何もない。

あるのは、やったろうという気概だけ。

クリエイティブなものは、そうした土壌にこそ

花開くとアンフォルメルの旗手・ムッシュ今井が

冒頭で説いてくれている。

嬉しいぜ!

アートであるハリィーの鍼灸指圧は、

患者と触れる瞬間瞬間にいつもあたらしいものが

生まれている。

わたしの鍼灸指圧は毎日進化している。

アンフォルメルとは非定型という意味。

定型はマンネリを生み、マンネリは堕落を生む。

定型を嫌い、常に新たな表現に挑む。

わたしの指や体はいつも新鮮でアヴァンギャルドな

世界を志向する。




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2017.11.23 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

0から始める東洋医学 16





例えばこのインターネットという媒体。

このインターネットという媒体が普及して、

まださほど時間は経過していない。

でも、ものすごいスピードで世界中に

普及し、今や老若男女が難なく使いこなす

立派な情報ツールとなった。

俺が子供の頃は情報ツールと言えば、

あのダイヤル式のジージーと回す

懐かしい電話がいいとこだった。

それが今では子供でもパソコンを使いこなし、

スマホやモバイルもむしろ大人よりも

よほど早くその使い方を吸収している。

ツールというものは、

このように急速に一般化する場合があるという

好例だろう。

その反対に我が東洋医学はどうか?

恐らくは今よりもはるかに多くの者が

気というものを実感できた時代には、

その気を感得する能力に長けた者が、

鍼灸指圧師となって、また受け手の患者も

よくその気が分かったから、

それが普通に一般化し、

広く普及できたはずだ。

しかし、恐らくはアジア全域の大森林の80%以上が

消失し、赤裸の黄土がむきだしになり、

酸素濃度が低下したことなどが遠因となって、

DNAにもともと備わっていた気を感じる遺伝子が

エピゲノムにスイッチがオフになる者が増えるにつれ、

ついに気など無い、という共通概念の方が優勢を占め、

その結果、東洋医学そのものの信憑性が疑われるなど、

夢にも思わぬ災難が待ち受けていようとは、

気を鋭敏に感じ取っていた時代の人間には、

とうてい想定外の未来だっただろう。

99%の現代人が気を感じる遺伝子を喪失したとしても、

しかるべき訓練を経たり、特異的にその能力が

復活してXメン的に気を鋭敏に感じ取る能力を得た者が、

わずかながら現代にも残っているかもしれない。

その気遺伝子を持つのが他でもないこの私、

ハリィー今村だとしたら?

はい、たぶん、そういう事なんだと、

わたしは認識しておりますがね。

インターネットという媒体が普及する時代に、

すでに廃盤となった気ブームをもう一度リバイバルさせる、

なんてことはとてつもなく無謀なチャレンジ。

でも、インターネットが普及できたんだから、

そのくらい出来るかもしれない。

べつに俺にとっちゃあどっちでもかまわないが、

気と呼べるものはたしかにあるし、

決してそれはでっち上げでも捏造でもない、

ということは強調しておく。

今回も映画ネタのオチはなし。

そのかわりに、なかなか面白いコメントが

あるから、それを最後に掲載しておく。







「生命もまたきわめて電気的です。

生物の分子は、分子同士のあいだで共鳴シグナルを与える

しくみになっています。

つまりボディの一部が他のボディの部分やマインドと

瞬時にコミュニケーションしているのです。

記憶や意識についても同様に説明できます」



「これは宇宙から学ぶべき情報です。

これは希望がもてることだといえます。

人間は宇宙の一部であり、

孤立しているわけではないからです。

瞬時的なシグナルで、人間は宇宙と

つながっています。

人間はより大きいものの一部だという

人間の存在価値を考えてほしいと思っています」


電気的宇宙論の創始者 ウォレス・ソーンヒル博士

2017.11.20 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

0から始める東洋医学 15




しょせん文字で伝えきることはできない。

というのが、手の内の世界のこと。

だから、だいたいが、理論なんてものが、

いったいどのくらい役に立つのか?

そのへんからして怪しいわけだ。

陰と陽。

木と火と土と金と水。

こんな文字や言葉を並べ立てて、

それらの関係性を解読して、

その先に正しい治療が出来るのだ。

というのが古典的な東洋医学バイブルに

記載された鍼灸指圧実践マニュアルなのだが、

2000年後のひねくれ鍼灸師の俺には、

もうそんな古くさいマニュアルを

信じて実行できる素直さは無くなって

久しい。

体のどこを見ても、陰も陽も、

木も火も水も金も土も、

見あたらない。

そんな概念だか、文字だか、思想は

どこを探しても見つからないが、

俺が見つけた俺なりのよりどころが

凝りだ。

その凝りにいちいち陰か陽か、

五行か、の区別などない。

凝りは凝りなのだ。

そしてその凝りに指を当てていると、

凝りが治療の羅針盤を示してくれる。

おれはその凝りに導かれて

治療をしているだけだ。

ハッキリ言えば壮大なるデマ、

いや2000年来のマインドコントロールに、

うっかりひっかかってしまった、

というのが、ここ2000年の東洋医学の歴史だった

のではないか、とあらためて今思うのだ。

経絡は解剖学的にも生理学的にも、

まだ認められたものではない。

ボンハン学説やそのフォロワーがいるにはいるが、

それもまだアカデミズムのお墨付きを得ていない。

もちろん気の正体も、いまだ確定していない。

陰陽五行学説が単なる作り話だとして、

気も経絡も言う者に言わせれば、

無いに等しいとしたら、

東洋医学が立脚すべき拠点など無い、

ということになってしまう。

おい、鍼灸指圧師の俺が、

そんな事を言っていいのか?

ヘッ、べつに全然オッケーだぜ!

だから理論も言葉も文字も、

単なるツールなの!

ひとさまになにかを伝えるために、

人間がこしらえたオモチャ。

そのオモチャがもし使いものにならなければ、

べつのオモチャを作ればいい。

べつのオモチャは文字でも理論でもない、

手から手、ひとからひとへと

じかに伝える本来の伝達方法であってもいいのだ。

ただこれだと師匠と弟子という関係でだけしか、

伝える方法がなくなる。

それだと大勢のひとには伝えられない。

だから共通概念や共通認識を伝達するために、

文字を使って理論化がされた、だけなのだ。

でも理論化されたものは、

あくまでパッケージされた加工品。

よく出来ているがすでにかなりの修飾が

なされたシロモノなのだ。

いや、修飾がされ過ぎて、

原型すらとどめていない可能性すらある。

陰陽五行学説とは、

そんな原型をとどめていない加工度が過ぎた

賞味期限切れの理論パッケージではないのか?

俺にはそんな風に思えてならない。

文字というオモチャを使っては、

気のような何かを伝えることはたぶん

できはしないのだ。

だが、だからといって、気と呼べるなにかが、

ないとは言えないし、

もちろん、そんな気のようなものを私は

ずっと感じていることは確かだ。

だが、これを共有概念に引っ張り上げるには、

相当の注意とスキルが要求される。

崇高な宗教的モヤモヤとしてお茶を濁さず、

気をどうにか表舞台に引っ張り出す。

しかし、やはりそれは相当に難しい。

今回は映画ネタのオチは無し(笑)





2017.11.20 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

0から始める東洋医学 14




だいたい業界とか学会なんてものに長く属せば、

そこがひとつのメシのタネの拠点になる。

そうなれば、どんなに蛮勇をふるっても、

その業界や学会を窮地におとしめるような

タブーには触れられなくなる。

もしも、タブーに触れれば、

即座に村八分になって、

やがて追放の憂き目に遭う。

それが業界や学会という組織が抱える宿命なのだ。

だからこそ、わたしは一匹狼を好むのであり、

だからこそ、こうして好き勝手に

タブーに切り込めるのだ。

もしも私がすでに有名人でこの業界で

それなりのステータスを築いていたら、

先の記事にあるような内容など、

絶対に書けない。

あ〜、ほんとうに、無頼派は気が楽だ。

それで、この業界のタブーのなかでも

かなり根源的というか、

もうそんなところに誰もツッコミを

入れないというところに、

いま私はツッコミを入れているが、

鍼灸業界となんの関係もない皆様には、

そこのところが、おわかり頂けているだろうか?

ようは陰陽なんて概念はあって当たり前。

いやそれは言わば宗教的な崇拝レベルで

尊重すべき概念。

と、そのくらい陰陽なんてものは

神々しい言葉と、鍼灸師は思わされているのだ。

ハッキリ言わせてもらえば、

これ宗教そのもの、だよ。

あるいは五行だっておなじ。

この宇宙が5つに大別できるもので構成されている?

そんな馬鹿な!

いったい誰がその5つとやらを発見したんだ?

それで中央が黄色で皇帝の色だって?

なんだよ、単なる政治的陰謀じゃん!

つうか、べつにこんな理論なんかなくても、

鍼灸指圧は実践できるよね。

そもそも最初は理論なんか、

なかったはずだよ。

だって文字だって統一されてなかったんだし、

その文字が統一される前にも、

いやそのもっともっと前から、

鍼灸指圧のような医療はあったわけだ。

その文字も理論もない時代の鍼灸指圧が、

では今よりも劣っていたとでもいうのか?

いや、決してそんなことはなかったはずだ。

ただ言えるのは、いまほど衛生管理は

行き届いていないし、アイスマンを見れば

わかるけど、血止めに煤を塗り込むような

荒削りの鍼治療がおこなわれていたことは

認めなければならない。

でも、それはそれで当時としては、

それなりに洗練された最高のクオリティーで、

かなり実際に効いたはずだ。

こうした原始人間ギャートルズのような先史時代の

原始鍼灸は、理論よりも実践が尊ばれたはずだ。

というか、理論など無く、

とにかく効かなければ意味がない。

効く治療こそが最良の医療だった。

それは時代が変わった今もまったく変わらない

現場の哲学といえよう。

現場は常に理論よりも実践だ。

どんなに優れた理論、どんなに高尚な哲学が

あったとしても、効いた方が勝ちなのだ。

ではあるが、この効くという領域には、

たぶんにプラシーボが介在するゆえに、

タチの悪い詐欺医療が跳梁跋扈してしまう、

というリスクもある。

そうならないために、しかるべき教育機関があり、

しかるべき資格制度があり、

国家資格を有する者だけに医療をやらせている、

というのが近代国家の建前だ。

だが、この法治国家の網の目をくぐり、

いまだにインチキ治療師の暗躍が後を絶たないのだ。

さて、わたし的に一番いいたいことは、

私が患者に立ち向かう際には、

基本的に理論なんかまったく頭にはないということ。

理論が実践よりも先行するケースはない。

まず触ってみる。

そこからストーリーはつむがれるのだから。

ストーリーが先にある、なんてバカは事はない。

ストーリーはそのつど、毎回毎回、

その場で生まれるものだ。

だから、2000年前の陰陽五行理論なんか、

それを崇拝する者には申し訳ないが、

知ったこっちゃない。

そんなことより手の内のうごめき。

これこそが治療のよりどころにして、

わたしのマスターなのだ。

指先の向こうにいつも師匠がいるのだ。

ロードレーサーと言えばケビン・ベーコン、

デロリアンと来たらマイケル・J・フォックス?

いや、やっぱりクリストファー・ロイドでしょ!

たぶんアインシュタインがモデルの

マッド・ドクター。

あのファンキーな天才博士が、

俺のなりたい理想像(笑)






2017.11.20 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

0から始める東洋医学 13




だいたい何に腹が立つかというと、

世の中のすべてが陰と陽の二つに

区別できるわけがねぇじゃん!

バカじゃねっ、って思うわけ。

ものごとはすべて複雑きわまりない。

それを二つだけに分類するって、

いったいどんな頭してるんだってぇの!

それでさすがに陰と陽の二つじゃあ、

うまくいかないと思ったのか、

今度は五行という5つに区別しようとした。

で、この二つの理論をくっつけて、

陰陽五行学説がでっち上げられたのだ。

な〜んて、こんな事を真顔で

鍼灸学会で言おうものなら、

たぶん、猛烈な攻撃を受けるのは必至だ。

でも、もう言っちゃったもんね(笑)

ただ、アタシは学会なんてものには、

まったく縁がないし、

そもそもどこの派閥にも研究会にも

所属していないプーもとい、

フーテンもとい一匹狼だから、

ヘッ、なんと思われようが、

平気の平左。

理論なんか後付けに決まってるじゃん。

もったいぶった理論がないと、

なぜ効くのかが説明できない。

だから、その時代にある理論的ツールを

はりぼてに組み合わせて、

むりやり東洋医学の古典的理論が出来たに

決まってるだろ。

それは、その時代の制約、限界のなかで

がんばってやったことだから、

べつにそれが悪かったとは言わない。

ただ、もしも当時の2000年前の鍼医たちが、

いまの現代にデロリアンでタイムスリップして来て、

いまの東洋医学界の有り様を見たら、

なんと思うだろうか?

アタシの予想だと、

「エーーーッ、マジかっ!

おまえら、なんで、おれらがでっち上げたそんな妄説を

いまだに信じてるんだ?

おまえらバカじゃね?」

と言う気がする。

そして二の句をついで、

「おい、なんで、今の科学や医学でわかった言葉や

理論を使って、新しい東洋医学理論を

打ち立てないんだ」

と説教するはずだ。

ほんと、つくづく、鍼灸業界は頭が固い業界だよ。

だから、おれの居場所はどこにもない。

もっとも、学会だの業界だの、

そんなものにははなっから興味がないからいいけど。

デロリアンは自転車のロードレーサーと同じく、

いつか乗ってみたいクルマだ。




2017.11.20 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

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