ランチアデルタ

「ガゼットクロッチ温灸」とは、

内股部分に温灸を当てることを言うハリィー今村の造語。

効能は、足全体の血行改善による足腰の疲労感の軽減。

一昨日に思いつきで、これまであまり温めた事がなかった

太股の内股部分に温灸を当ててみた。

そして内股だけでなく外股も含めて股の周囲360度ぐるり

を温灸した。つまりお尻も、仙骨も、股関節も

すべてを温灸で温めてみたのだ。

鍼灸指圧はやってその場で即座に結果が出る事が多いが、

それだけでなく翌日や翌々日に顕著に効果が出るという

のも鍼灸指圧の特徴だ。

ガゼットクロッチ温灸の効能を昨日はとくに実感した。

わたしの左足は中学高校のバスケット部の激しい運動の

弊害で脛骨骨頭が異形化するオズクット・シュラッテル氏病の

既往がある。そのせいか坐骨神経痛も左足に出たし、

どうかすると左足の股関節に、なんともいえない痛みが

出ることがあった。それから歩くときはいつも

左足が外側に開くクセがあった。

この歩くときに左足が開くクセが、

昨日はほとんど消失しており、

左足の親指に自然に力が入る理想的な足取りが実現できたのだ。

恐らくはガゼットクロッチ温灸のお蔭で、

股関節周囲のユガミが改善されたのだろう。

先の記事で先日の休日に馴染みの服屋に出かけた話をした。

その帰り道にある光景を目撃した。

それはイタリア車専門のお店のガレージで、

タイヤを外されて、下回りの整備のために

高い位置に上げられたアルファロメオの姿だ。

このイタリア車専門のお店は静岡市では老舗で、

このお店の前を通るときは、いつもショールームに

どんなクルマが置いてあるのか見るのが楽しみなのだ。

今回は中古の白のランチアデルタが置いてあった。

カーデザイナー・ジョルジュット・ジュッジャーロが

デザインした90年代の名車だ。

カクカクした特有のエッジなデザインはいつ見てもカッコイイ。

それはともかく、吊り上げられて整備されているクルマを見て、

わたしの脳裡に様々な連想が湧いた。

クルマは言ってみれば四つ足動物いや四つ足マシンだ。

このようにクルマは生き物ではなくマシンだから、

生き物のような自然治癒力という自己再生能力は有しない。

よってあのようにタイヤを外して、

自重を支える部分の一番大事なサスペンション付近を

念入りに掃除し新たな潤滑油を注ぐことで、

クルマとしての寿命を伸ばすのだ。

こういう作業を定期点検とか車検と呼ぶ。

人間は四つ足動物でも四つ足マシンでもなく二つ足動物だ。

さて、ヒトの躰の重さのプロポーションは

どうなっているのだろうか。

ヒトの足1本の重さは体重50キロの場合は、

17.5%、なんと片足だけで8.8キログラムの重さだ!

ちなみに、頭の重さが3.5キロ(7%)、

胴体が23キロ(46%)、

片方の手が3キロ(6%)となっている。

そしてこれらの重さの配分を仙骨付近に重心をとって

バランスを保っている。

相当にアンバランスな自重配分をどうにかいなす曲芸が

ヒトの二本足直立歩行というわけだ。

ということは、ガゼットクロッチ温灸を当てる股関節周囲には、

つねに体重の上屋部分の、頭+両手+胴の重さの65%が

加算されている計算になる。

全体重50キロの場合は32.5キロもの重さが、

つねに股関節周囲の筋群にのしかかるのだ。

30キロを越えるオモリをつねに支えているのが、

両足の股関節とその周囲の筋群というわけだ。

だからこの部位にはあらゆるユガミ、

疲労が蓄積するのは当たり前と言えるのだ。

もしもヒトが四つ足マシンならぬ二つ足クルマならば、

あの吊り上げられたアルファロメオみたいに

両足のタイヤを外してサスペンション付近に相当する

股関節を掃除してその周囲の筋群を新品のパーツと

入れ替えたいところだ。

しかし、いかんせん、ヒトはクルマではないから、

それはかなわない。

ではあるが、ガゼットクロッチ温灸を実行すれば、

ほとんどそれと同じ効果が発揮できることを、

昨日の自分のシットリとした歩行の感触で実感した。

ショールームに飾られたランチアデルタも、

充分にガゼットクロッチ温灸もとい

整備を終えて、またいつか、どこかのオーナーに

引き取られて、ともに生を全うしていくのだろう。

現代人は愛車の車検には熱心だが、

わが身の肉体の整備には随分と無頓着だ。

ガゼットクロッチ温灸を実行していけば、

股関節が長持ちしそうだ。

ガゼットクロッチ+サルエルジーパンが

私に新たな気づきをプレゼントしてくれた。

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2017.06.24 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

ガゼットクロッチ

このあいだの休日に馴染みの服屋さんに出かけた。

このお店はその時々に売っている商品を

ネットに随時アップしている。

それで良さそうなジーパンが30%オフになったので、

これは取りあえずお店に行って、

はいてみるしかないと思い

急ぎ出かけた次第だ。

お目当てのジーパンは、

ガゼットクロッチ+サルエル

という部分がウリだ。

ガゼットクロッチなる言葉は聞き慣れないが。

クライミングパンツなどに用いられる

可動性を高めるための内股部分のマチを

こう呼ぶそうだ。

サルエルというのはイスラム系の民族衣装にみられる

股下がダボダボしたペンギンみたいに見えるズボンのことで、

ジャニーズの嵐のニノがよくはいているアレだ。

はいてみたら、このジーパンはストレッチが効いて

柔らかい素材で、履き心地が軽くてとても気持ちがいい。

ただ、ガゼットクロッチ+サルエルだから、

短足がさらに短足に見えるのが難点。

で、服屋のオーナーにそう告げたら、

「そう、だから、短足に見えるのはジーパンのせい、

ってひとには言えて、短足をジーパンのせいに

できちゃうところもミソ」

と、ナイスな返答で、結果、お買い上げ(笑)

あと、このジーパンに合わせるTシャツと、

キャップも買った。

ふだんは穴開きのぼろいナリだけど、

それなりに決めたい時もある。

その決めたい時用にキャップ、Tシャツ、ジーパンの

3点セットを購入した次第だ。

それで、このTシャツは、90年代のスケーター風という

やつで、ようはちょっとビッグサイズな感じ。

じつはファッションの世界では、ちょっと前から

スケボー乗りのファッションがトレンドなのだ。

それでオーナーに、自分の治療院に昨年、

アメリカのレジェンド・スケーターが来院して、

治療した事を自慢しつつ、話に花を咲かせた。

さて、ガゼットクロッチからの連想ではないが、

昨日はこの内股に温灸を当ててみた。

こういうデリケートな部分は患者相手の治療では、

なかなか試す機会がない部分なのだ。

いわゆるセクハラ的に思われそうな部位ということだ。

でも、考えてみると、そういう部位には、

免疫系のメッカであるリンパ管が密集している場合も多く、

こういう部分にも、しっかりアクセスする必要があるな、

と思いながら内股に温灸を当てた。

内股だけでなく、股の周囲をぐるりと360度当ててみた。

どこも気持ちいい!

とくに大臀部、お尻を温めるのは、かなり気持ちいい。

あとは、腰骨の張った部分の前の方もイイ。

ひとは立っているとき、どうもここら辺りで

自重を支えているようだ。

だからかどうかは知らないが、

この股や尻を温めると、足全体が軽くなり、

身体全体も温まった。

ガゼットクロッチな温灸を今後も追試してみたい。

2017.06.23 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

折り合い

「雪夜(せつや)の月天(げつてん)に当(あた)りては、心境も便(すなわち)尓(しか)く澄徹(ちょうてつ)し、春風の和気に遭わば、意界(いかい)も亦(また)自(おの)ずから冲融(ちゅうゆう)す。造化人心(ぞうかじんしん)は、混合して間(へだて)無し」

訳文「雪の積もった夜の月が明るい時には、心境もその景色のように、清らかに澄みとおっており、また、春の風が吹くのどかな気候の時には、気持ちも自然に和らぎなごんでくる。このように天の心と人間の心とは、少しの隙間もなく、まったく一つに溶け合っているものである」『菜根譚』中村璋八・石川力山 講談社学術文庫




昨日は私が住んでいる地区に豪雨があった。

いちじ避難勧告が出されるほどだった。

仕事場の鍼灸院はテナントの二階なので

浸水の心配はないが、我が家にいたるまでの道のりに、

何箇所か低い場所があり、小川がすでに溢れ、

田んぼと脇の道路の境界が消えていた。

クルマの運転にビビリながら

お昼の休憩に帰宅し昼食を頂いたが、

気がそぞろで、どういうわけか妙な時間に

雪隠に行ったが、空砲一発。

なんとも小心者で情けない体質とひとり嘆き、

雨もおさまった頃に冒頭の書物を紐解いたら、

天地自然と人心生理は一体だと、

説かれていて、なるほどと、すこし安心した。

大雨洪水警報が発令されれば、こちらの心身が乱れるのは

当たり前なのだ。

そしてピーカンのお天気で太陽がまぶしく

青空が澄んでいれば、こちらの心身も晴れやかになる。

ラージスケールで捉えればヒトの心は天の心と一体なのだ。

しかるに、天地自然の動向は自分の力ではいかんともしがたい。

しかし、人心生理はある程度は自分の力でなんとかなる。

人心生理を自分の力でなんとかしようとする営為を

養生法という。

大雨にビビッた私は、我が人心生理を整えるために

昨日もストレッチをし、温灸をした。

お蔭で昨夜はグッスリと熟睡できた。

だから今朝はそとの気候は曇り空だが

体内の気候はそれなりに晴れている。

びびっても、とりかえす(笑)

天地自然と冲融(ちゅうゆう)するとは、

天地自然に翻弄されることではなく、

いかに天地自然とうまく折り合いをつけるか、

だと、私は思う。

2017.06.22 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

リアル

「・・学ぶものの多くはこれを秘事あるいは秘術などというが秘するほどの術とは実はとるに足らないものである。物事は秘するとかえって目立つものである。いわんや観相は仁の術であり、どうして秘しておくことができようか。相術の奥義とは、あるのでもなくないのでもない。偉大なものでもなく卑小なものでもない。天でもなく地でもない。自分でもなく他人でもない。およそあまねく天地四方の内に存在するものではない。空漠たる一つの霊気の中に貴き一人の翁がいる。その翁は鼻もなく眼もなく影もなく形もない。その名を無意相という。この翁をつかまえて相法の師とし、相法の妙を知るべきである。この師を得なければ相を明らかにすることはできないのであって未だにこの師を得ていない相者は相法を冒瀆する者である。この無意相先生に近寄りたいと思うならば、尊き出家または博学の人に先生の所在を問うがよい。また出家や学者に先生への道筋を教わったとしても行く時は自分一人である。その先生の城郭のほとりには八万四千の魔王がいる。それぞれに名があるが、その魔王たちが先生の城郭に入られるのを恐れていろいろと妨げ敵対する。その時こそ自分の持っている刃もなく形もない鋭利な剣でもってその八万四千の魔王をことごとく切り払い、先生の城郭に勇んで入りこみ、相法の妙義奥義を開き問うがよい。そのような時にこそ人を相しても妙法明白となり、麻の中に矢を放つごとくにすっきりとするであろう」水野南北著 現代訳・岩崎春雄 校閲者・小林三剛『南北相法』自然社




わたしは鍼灸指圧師をすでに25年以上やってきた。

師と呼べる先生は初期の頃にはいた。

しかし、その研鑽会をやめてからは師にはついていない。

今から25年前の平成4年の3月、鍼灸指圧師の国家資格を取得し、

鍼灸の専門学校を卒業した。

その卒業式の会場から一次会の会場へと向かう道中で

厳しかった鍼灸の専門学校の恩師から

「自分たちの仕事は今日まで。明日からは患者さんが先生だよ」

という言葉を頂戴した。

いまになってこの言葉の重みを感じずにはいられない。

そうなのだ。

わたしにとっての師とはわたしを頼ってわたしの治療院に

足を運んでくれたすべての患者さんだ。

いや、より正確に言えばその患者さんたちを生かしている

生命力と呼んだほうがいいだろう。

指圧をし、鍼をし、灸をするとき、

わたしは指先をツボにアクセスしたまま

わたしのからだぜんたいをつかって

患者の生命力の声を聞き取ろうとする。

患者の体表や四肢体幹のすみずみの動きを注視する。

患者の腸管の蠕動運動や呼吸の音に耳を澄ます。

そうして指先の意識の場を虚空と同化する。

そうしていると、指先からひとつの動きが立ち上がるのだ。

その指先から立ち上がる動きは、

いつも滑らかでエネルギッシュでダイナミックで、

それはまるで架空の伝説の神獣である竜が動くさまに

そっくりなのだ。

だから、わたしはこの動きを竜もしくは気竜と呼んでいる。

患者のからだに立ち上がる気竜の動きはどんな患者でも

ほぼ一定している。

ということは、この気竜こそが生命力の本体なのではなかろうか、

とそんな風に感じている。

その気竜はわたしの指先から放たれた主竜に導かれて、

患者の体壁筋肉系を駆け巡ると、

やがて四肢末端のツボの井穴(せいけつ)から体外へ飛び出して、

大宇宙の玄竜と同化する。

こうして私の指先の主竜に導かれた患者の気竜が

大宇宙の玄竜と交歓する三竜の同化融合が達成すると、

患者のコリは溶けてほぐれて患者の体壁筋肉系の湖面の

さざ波が止まり静寂が訪れるのだ。

わたしの気竜、患者の気竜、宇宙の気竜、

この三つの気竜が描き出す神秘の共演が見られた時、

治療の成果は一段と上がる。

冒頭の観相術の大家である水野南北がいうところの

無意相先生という師。

私にとってその無意相先生に相当するのが

指先に生じる気竜たちだ。

私の師は指先の竜。

これはファンタジーでもフィクションでもない

まぎれもない25年の実証を経たリアルだ。

2017.06.19 | | コメント(4) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

本日は営業日

「・・これは何年か前、神経痛にかかって以来の新しい習慣だけど、日曜ごとに鍼と指圧の治療を受けに、荏原の自宅から杉並の方南町まで出かける。なぜ日曜の治療にしてもらったかというと、空いているからですよ、道路が。平日なら交通ラッシュで一時間以上もかかる距離を、日曜日に行けば三十分で鍼医の家へ着ける。鍼を打った日は、どうしても躰がだるい。帰って来て風呂へ入ると、夕飯までベッドへころがって一眠りということになる。その分だけ書く時間が食われてしまうわけだけれども、次の月曜日には疲れがきれいに抜けて元気になる。だから、いまのぼくは、世の中のたいていの人と同じに日曜日を休日にしているといえなくもない。日曜日が休日といっても、鍼の治療を受けている一時間に、ぼくは小説の構想をととのえるんだよ。それが習慣になるように自分を仕向けていると、そのうちに本当の習慣になってしまうものです。鍼医の治療室で、ベッドへうつぶせになった途端、連載中のいくつかの小説のイメージが次つぎと脳裡へ浮かんでくる。もう、ぼくの肉体そのものが、そういうふうに反応するようになっているわけですよ仕事の行き詰まりを頭脳からではなく、躰のほうから解いていく・・これも言わば、ぼくの流儀の一つだな」池波正太郎『男の作法』新潮文庫



今日は日曜日だが、我が鍼灸院の営業日だ。

わたしは奇数日の第一日曜日と第三日曜日と第五日曜日は、

基本的に営業する。

日曜日なら来られるというお客さんに対応するためだ。

いまのところ日曜日の常連さんで冒頭の池波正太郎のような

有名な作家はいない。

わたしの治療院の常連さんは、ほとんどが普通の一般の人だ。

そんな普通の人たちも、なかには目利きがいて、

わたしの鍼灸指圧治療を受けることを習慣にすることで、

日々の養生的ライフスタイルを実践する者がある。

たいへんにありがたいことだ。

ココロとカラダは一体なのだ。

だからココロがなんとなくふさいだ時に、

カラダをほぐすとココロも晴れやかになる。

ココロの語源はコロコロだという。

ココロはコロコロと転がり流れ動いているのが正常だ。

ココロをコロコロと動かし続けるためには、

カラダもコロコロと動かし続けなければいけない。

カラダがコロコロ動かなくなり、

カラダにコリコリが発生したら要注意!

カラダにコリコリが発生したらココロもコリコリになり、

やがてココロはコロコロと動かなくなり、

行き詰まり憂鬱にふさぎこみ、完全にココロが動きを止めると、

ウツ病になってしまう。

ココロもカラダも同時に

コリコリをコロコロにする。

それが鍼灸指圧の真髄だ。

さあ、営業サンデーのスタートだ。

2017.06.18 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

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