森の医学

「目に見えない経絡や経穴が、かくも精緻にとらえられてきたのは何故だろうか?長年の試行錯誤と経験の積み重ねによって身体をめぐる経絡が一つ一つ探り当てられていったというのが常識的な理解ではあるだろう。しかし、紀元前にすでに経絡の大半が記載されていたことを考えると、経験の積み重ね説にはどこか無理がある。むしろ、身体を流れる気の通路を実感できる『経絡敏感人』や気の流れが目に見える特異能力を備えた人びとによって、経絡はその存在をとらえられてきたと考えた方が自然なのではないだろうか。事実、それを裏付けるような話を白寿会診療所の森万寿夫博士から聞いたことがある。白寿会診療所にある日来診した少女は、自分自身だけではなく、いろいろな患者の経絡を指でたどり、ツボを指摘したそうだ。それが経絡図とぴったり一致するので驚いた森先生がどうして分かるのかときくと、少女は目に見えるのだと答えたという。この少女は中卒で、経絡や医学に来する知識はまったく持っていなかった。森先生はこの少女の特異な能力について、いろいろな角度から検討して詳細な記録を残しているし、東洋医学研究の第一人者である間中善雄博士もこの少女を診察している。ただし、この少女の透視能力は、病気が治るとともに消失してしまったらしい」勝田産婦人科医院院長 勝田正泰『気から経絡を考える』別冊宝島103「気は挑戦する」より



紀元前をさかのぼる古代中国大陸の表面は

今のはげた黄砂の大地と異なり、

国土の80%以上が樹木に覆われた大森林だった。

鬱蒼としたその森にはゾウやトラが跋扈していた。

そうまるで「もののけ姫」の世界だ。

森の空気は澄み、そこに住む人々の感性は

豊かで鋭敏だったはずだ。

そんな時代に東洋医学の基本コンセプトができた。

そんな時代に暮らした森の住民は、

その鋭敏な感性で、経絡や経穴を直接に

見ることができたのか?

きっとできたのではないだろうか。

そんな仮説をこの冒頭文を読んだのちに、

ずっと私はこの胸に温めてきた。

今の時代に生きる鈍感な者でも、

訓練を積めば、どうにか気を感じるくらいはできる。

と、自分の経験を踏まえて感じる。

こんな汚れきった世界でも気は感じることができるのだ。

だとしたら、汚れていないまっさらな古代の森の中なら、

きっと経絡や経穴は見えた、

いや今よりもはるかに気を捉える能力は

高かっただろう。

現代人の常識など古代世界には通用しない。

想像力をたくましくしなければ、

東洋医学の真実は読み解けないのだ。

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2017.03.30 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

羅針盤

「人体にくまなく浸透し、それを包みこんでいる生命場は電磁気エネルギーでできている。そして、そのエネルギーが体内にあるとき、わたしはそれを『生命力』と呼ぶ。生命力という概念はこむずかしい形而上学や哲学的な教義から生まれたものではない。それは単純な観察と、だれにでもよくわかる日常的な理解から生まれている。長いあいだ多くの患者を診てきて、わたしもそれが実在すると確信している。著明な精神分析学者、ウィルヘルム・ライヒは、その生命力の感じを『ジンジンするような感覚』と表現したことがある。多くの研究を重ねたライヒは、その生命エネルギーが体内にばかりではなく、『宇宙の力』というかたちで体外にも存在すると確信するようになっていた。バー博士やライヒ博士のほかにも生命力について書いている人はたくさんいるが、わたしがその存在を信じている理由のひとつは、自分がそれを頼りに仕事をしてきたというところにある。生命力についての知識がなければ、わたしはけっして多くの人を助けることができなかったはずだ。オステオパシーの手技の訓練のおかげで、わたしの手はいつの間にか、患者のからだにさわるだけで、エネルギーの動きやブロックのようすが感じとれるようになったのだった。指に感じる生命力とはどんな感覚なのかと、多くの人に聞かれる。ことばではうまく表現できないが、なんとか説明しようとすれば、ピリピリするような感じということになるかもしれない。ライヒもそうだったが、それがいちばん近い実感なのだ。健康で生命力にあふれている人にさわるとき、わたしの手も『ジンジン』するように感じる。しかし、指がすべっていかずに立ち往生するようなときは、その人のからだも鈍り、生命力がブロックされていることがわかる。・・・もし生命場が目に見えれば、それは人間の影のかたちのように見えるはずだ。あたまのまわりを丸くとりかこみ、肩の部分でひろがって、腰でせまくなり、足に向かってだんだん細くなっている。ある意味で、生命場はからだの片割れ、残りの半分だと考えることもできる。からだの半分は、われわれがふだん人間として認識している肉体であり、あとの半分は目に見えない『場』なのだ。一時期、科学者たちはその生命場をしらべ、皮膚から1センチ弱ほどのものを検出したことがあったが、最近の研究では皮膚から80センチ以上もあるということがわかっている。」ロバート・C・フルフォード&ジーン・ストーン著 上野圭一訳「いのちの輝き」翔泳社






先日の3月27日にこのブログにアップした記事「フォースと共に」で

触れたハロルド・サクストン・バー博士の動電場について、

アメリカの伝説的な手技療法家でヒーラーであったロバート・C・フルフォード博士が

その唯一の著書で言及している箇所を冒頭にピックアップした。

少し長い引用で読みでがあるが、読む価値のある情報だ。

この本の初版が1997年。

ちょうど今から20年前だ。

わたしがいまの治療院を開業して5年経たかどうかの

治療師として駆け出しの頃に出版された本だ。

当時は夜間の主張治療をしていた。

その出張先の隣町の吉田町からの帰宅の折に、

さらに大井川の橋を越えて今では焼津市に

合併された旧大井川町の書店にブラリと足を延ばし、

この本を探しにいき、まさかあるとは思えないような

その書店の棚にこの本を見つけた時は、

なんともラッキーな気分になったのを、今でも鮮明に思い出す。

ラッキーな気分になったのは、決してまんざらではなかった。

この本には、自分が知りたいことの、ほとんどすべてが

書かれていたといっても過言ではない。

あれから20年。まさにこの本は私の羅針盤、座右の書となった。

この本のなにがいいかって?

例えば訳者が上野圭一さんだよ!

鍼灸界で彼の名を知らぬ者はいないといえる程の

鍼灸師&翻訳家が翻訳しているのだ。

この本が優れて読みやすく、また濃いコンテンツであるのは、

翻訳を担当した上野圭一さんの力によるところが大きいと

わたしはみている。

そして、書き手のフルフォード博士はといえば、

伝説の手技療法家なのだ。

医の原点である「手当て」を仕事にし、

そのなかで生命の実相を把握したいち治療家。

かれが得た体験知と哲学のすべてが余すところなく

この本に描かれている。

恐らくはフルフォード博士もすでに鬼籍に入られて久しいだろう。

本つまり活字はあくまで二次元の情報だ。

活字で三次元のリアルな世界のすべてを伝えることは不可能だ。

しかし、そんな平面に閉じこめられた二次元情報の文字が、

何千キロも離れた島国に住む孤独な鍼灸指圧師の心を癒し、

その心を20年以上にもわたって、

ゆさぶり、鼓舞し、励まし続けることもあるのだ。

自分が感じている生命力を、おなじように感じている者がいた。

そして追及している世界も同じ。

そんな同士を見つけた時、わたしがどれほど嬉しかったか。

江戸末期の葦原検校と共に、フルフォード博士は、

わたしにとってマスター(師匠)と呼べるひとりだ。

マスターと呼べる者はその他にも何人かいる。

「 Light 」の記事に登場したわたしの鍼の師匠もそのひとりであるし、

ここのところ頻繁に登場するハロルド・サクストン・バー博士も、

クリーブ・バクスター博士も、間中善雄博士も、みな師匠だ。

いや師匠と呼ぶならこれまで触れた患者さんは

みな師匠であるし、その身体に立ち上がった竜こそ、

わたしに生命の不思議を教えてくれたグランドマスターだ。

気の動きを龍に例えるのは江戸期の鍼術の一派「杉山真伝流」では、

なんと! 普通の事だったようだ。

その杉山真伝流の祖流となるのが近世江戸をさらに遡る

中世日本の鍼術一派の入江流とされる。

その入江流の『皆伝・入江流鍼術』なる書物が近年に発掘され、

ふたりの鍼灸家の手で解読が試みられた。

その本のなかで、鍼の『手の内』が解説されている。

入江流には15の鍼の操作術が書かれていた。

その表現は日本的な文学的なもので、

読解は難儀を極めた。

我が業界のスターであろう長野仁氏と、

大浦慈観氏のご努力により、

その難儀な読解が進み、その全容が明らかにされた。

お二人の尽力に多大なる敬意を表す。

15の鍼の操作とはいかなるものか?

そのひとつになんと龍が出現しているのだ!

東洋医学は本当に奥が深い。

日本に伝わった鍼灸術は日本人の手でアレンジされて、

日本独自の文化に練られて、

日本特有の日本鍼灸へと変容した。

日本鍼灸の凄味は2000年つづいた気の医学を、

生き物に例えることで手の内に落とし込み、

そのおもてなし精神は現代の鍼灸指圧師の手で

さらにアレンジが加えられて、

生命場の領域へとつながった。

2000年前から中世日本へ、

そして現代から未来へ。

気の流れは時空を越えて

竜に導かれる。

2017.03.30 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

ホンモノ

ひとくちに東洋医学といっても、

そのカテゴリーは多様で多層だ。

一般に按摩マッサージ指圧と一括して呼ばれる手技部門に

おいても、様々な流派や派閥、伝統がある。

また鍼灸にいたっては、そのニッチをインデックス化する

ことなど不可能ではないかと思えるほどに、

大小の多くの研究会があり、伝統派から革新派まで千差万別だ。

世界を見渡せば中国はお国柄ゆえに覇権主義、膨張主義を

前面に押し出した鍼灸は中国のものだ的な中医学の

主張が激しい。またいまではアメリカや欧州においても、

また南米やアジア諸国においても、それぞれの地域に

固有の鍼灸医学が芽生えてきている。

すでに鍼灸は東洋医学というよりも世界医学の様相を

呈しているのだ。

さて、我が国に中国、韓国を経由して鍼灸医学が

伝わったのが西暦400年代とされる。

韓流スターならぬ韓国の僧侶が来日し、

鍼灸術を伝授したのが日本鍼灸の始まりのようだ。

爾来、明治維新まで我が国の主流医学は日本鍼灸、日本漢方だった。

明治維新という突発的な事故、アクシデントにより

ある程度は日本鍼灸の伝統の系譜が断絶した。

一子相伝、師から弟子へと技を伝えるのが鍼灸医学だ。

そうした伝承方式は万事が合理主義の

近代社会と折り合いが悪い。

効率重視でゼニ儲けを至上とする近代社会は、

ひとつの技、熟練の腕を生みだすのに

多くの時間をかけて手間暇をかけねばならない鍼灸医学を

育むのには適した社会ではないのだ。

また本来は漢方薬は鍼灸医学とセットで扱うものだが、

これもどういうわけか今では西洋式のやり方で

処方される始末だ。現状に文句を言えばきりがない。

そうした日本鍼灸を取り巻くモロモロの

ここ130年余ではあったが、

近年になり日本鍼灸の古典医書の発見や復刻、

解読がややトレンドと呼べる程に活性化している。

戦後にGHQが我が国に鍼灸禁止令を発布しようと

たくらんだ事は我が業界ではつとに有名だ。

しかし、それをなんとしても阻もうと、

立ち上がったのは鍼灸師のみならず時の西洋医であった

ことも私たち鍼灸家には周知だ。

その先頭に立ったのが曾祖父に華岡青州の門下生を

もつ医師の石川日出鶴丸博士であったことは、

鍼灸家なら必須の知識だ。

石川博士たちの功績がなければ、

恐らくは私たち鍼灸指圧師は今の日本には存在しない。

日本鍼灸がかろうじて継承されたのは、

石川博士と志しを同じくしてGHQと闘った

時の医師や鍼灸家たちのお蔭であることを

私たち鍼灸家は忘れてはならないのだ。

ということでザックリと日本鍼灸、

日本の東洋医学の歴史を振り返ってみたのだが、

ええと、何を言いたかったか?といえば、

そうそう、そうだ。

奇跡という言葉をあまり使いたくはないのだが、

私のこのブログのコメント欄にコメントを

くださった「爪食めば」さん、は

すでにコメント欄を読んでいる皆様もご承知のように、

わたしと同業の鍼灸師であります。

鍼灸師が開設しているブログに同業の鍼灸師が

コメントをくれる、というのは、

実はけっこう難易度が高いというのが、

これまでの私の認識でした。

というのは、やはり鍼灸師は、ひとりひとりが

お山の大将で一国一城ならぬ鍼灸院の主(あるじ)

ですから、それぞれに個性ある主張や信念、

哲学、ライフスタイルがあり、

それゆえに、ヨソサマ鍼灸師の入り込めない

ある種のバリアーというか、砦(とりで)を

築いている。当然だよね。

そうでもしなければ、自分の立ち位置が侵されて

グラグラしてしまうからね。

あるいはウッカリと自分のワザのコツでも盗まれたら、

それを売りにされて、自分の売りネタが奪われる

危険性もある。

デフレの厳しい今の時代では、

私たちもニッチを確立して生きていくのがたいへんなのだ。

そうした諸事情もあり、ブログでコメントを交換し、

鍼灸師同士が共に侃々諤々と楽しく語り合う、

などというケースは絶対にないだろうと、

諦めていた。いや、ほんの少しの希望を残しつつ、

このブログをこれまで続けてきた。

そして、ご存知のように、奇跡(笑)が起きた。

わたしは自分のワザやコツを秘匿する気は

さらさらない。そもそもワザやコツは

文字で伝授することなど不可能だからね。

そしてもしもワザやコツが文字で伝授できるのなら、

なるべくホットな旬のうちに、そのワザやコツを文字化して

公開する方がイイ、というのが私の美学だ。

文字にしてそこからインスピレーションを得て、

それがヨソサマの糧になるのなら、

それは技が伝承されたと云えるのだ。

掲示板などではお互いの了見がバッティングすると、

醜い諍い、読むに耐えぬ罵詈雑言祭りに至る。

ヘタをするとこうしたブログのコメント欄も、

そうした傾向に陥る場合もある。

私はなるべくなら私のブログのコメント欄を

建設的に活用したいと常々考えている。

同業の鍼灸師である「爪食めば」さんのコメントに

触発されて、この私が日本鍼灸の古典医書を

まじめに読んでみようか、などと思うに至ったのだ。

これがこのブログの建設的効果でなくて、

なんであろう。もっともその古典医書も

一度ならず何度もページを開いてはいるのだ。

古典を読解するのは、かなりハードルが高い。

むしろどなたかインテリジェンスが豊かな方が

解読して咀嚼してそのひとの言葉で書かれたものを

読むほうが、はるかに楽だろう。

だから、自分も古典をそのまま読むというよりも、

解説文からヒントを得るクチだ。

たった一節の言葉、たった一字から、

大きな閃きやインスピレーションが湧くことがある。

そうした出会いが古典医書を解読する楽しみだ。

江戸のはじまる前の中世にも、もちろん日本鍼灸はあった。

ネットなどない時代には、絵入りでツボの位置が書かれて、

そのツボの主治症が列記された本は、

とてつもなく貴重なコンテンツだったはずだ。

そんな日本鍼灸の古典医書が近年に発掘され、

その解読に挑む鍼灸師が増えてきているということは、

なにやらとても嬉しく感じる。

ホンモノたちを神は決して見捨てないだろう。

ホンモノになるために、今日も精進だ!

2017.03.29 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

治る力

うちの治療院の常連さんで、

私の治療で花粉症がほとんど完治した方がいる。

今年は昨年の3倍量の花粉が飛んでいるけど、

その常連さんには今年も花粉症の症状がほぼ出ない。

この一例を誇大宣伝にして、

オレの鍼灸指圧で花粉症は完治する!

と大書きしたポスターでも作って貼れば、

アタシもついにカリスマ鍼灸師の

仲間入りができるかもしれない(笑)

もちろん、そんな事は当たり前ですが、

しません。

治った例の隙間には、

治せなかった例が夥しく積まれている。

それがリアルでシビアな現実なんです。

アッ、こんな事を正直に告白しているから、

いつまでたってもカリスマになれないわけだ(笑)

ヒトの身心は72億人のすべてで異なる。

ひとりひとりがみなまったく異なる身心を持つ。

だから、あるヒトに効いたある療法が、

ほかのだれかに効くことはまずない。

いや、効くかもしれないし、効かないかもしれない。

それはやってみなければわからないのだ。

こんな症状があるが、鍼灸指圧で治るか?

とよくわたしたち鍼灸家は聞かれる。

治るか、治らないか、など一度、身体を触って、

治療をやってみなければわからないに決まっているだろうが。

もちろん、最初から治せないものもある。

西洋医学で難病とされるようなものは、

東洋医学でも難病だ。

そんな非可逆的に進行した変性疾患は、

たぶん、どんな奇跡の手でも、

魔法でも、治せない。

もちろん、カリスマではない

ただの手の私の普通の治療でも治せない。

だけど、通常の活きた凝りの範囲、

つまり可塑性があり、非可逆的な変性にまで

至っていない可逆的な状態の症状ならば、

私の治療でも、治る可能性は大だ。

「治す」というのは「治る力」を引き出すということ。

もともと治る力は本来的に患者側の身心に

備わっているのだ。

その患者側の治る力を引き出し治すのが、

鍼灸指圧師、すなわち治療師の役目だ。

2017.03.28 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

さらに上を

「・・・アメーバ(NHKブックス)の著者、太田次郎氏によると、生体にみられるいろいろな運動型には共通点が多く、そのしくみの根源にATPと収縮性タンパク質よりなるエネルギー転換系が存在するらしいことが明らかになり、生物の多様性にもかかわらず、その起源には一元性が存在し、長い生物進化の間に進化していったにすぎないという。・・・原形質のゾル・ゲル転換がどのようにして運動につながるかは、まだ不明の点が多いようだが、アメーバの外側と偽足の前端部ではゲル化しており、内面と反対側はゾル状であるということから、ゲルが陽の働き、ゾルが陰の働きを担っていると云えよう。ゲルがなければアメーバ運動がおこらないことは確かで、アメーバに高圧を与えて完全な液体状のゾルになると偽足は出ないでアメーバ運動はみられず、内部でブラウン運動が観察されたという実験がある。ここで興味のあることは、圧力を加えるとゲルがゾルにかわる性質は、アメーバのみならず多くの細胞の原形質に備わった性質で、揺変性(シクソトロピー)と呼ばれる。揺変性は、高い圧力を与えないでも、原形質の中でガラス針を振動させてもおこる(前掲書)ということである。・・・そこで『圧を加えるとゲルがゾルにかわる揺変性』を思い出してもらえば、コリや硬直などの実に対し本能的に圧を加える手技療法が、まず医療に現れたこともうなずける。その揺変性が、高い圧力を加えないでも、原形質の中でガラス針を振動させてもおこる、というのが、鍼灸の着想にピタリと当てはまる。その他いろいろの刺激を、経絡のツボに与えて実をとろうとすることは、このようにしてゲル化したままで揺変性を失っている原形質にゾル化を促進する方法として考えられた、ということをコロイド化学の面から裏付けることができよう。」増永静人著「経絡と指圧」医道の日本社より引用





【 ヒトの皮膚は鍼灸指圧の刺激で圧力を受けると、

皮膚内が「ATP⇔ADPのゆらぎ」が高まることで、

活きた凝りの内部のコリの本体である変性タンパク質が

ATPやヒートショックプロテインや一酸化窒素などの

分子カクテルで攪拌されて、変性タンパク質を分解する

ユビキチン・プロテアソーム系やオートファジー系が

起動することで、変性タンパク質はアミノ酸に変換される。

アミノ酸に変換されたコリの原因分子であった変性タンパク質は、

また細胞核セントラルドグマの働きで新たなタンパク質に生まれ変わる(c)】





冒頭文の増永コンテンツに、私独自の解読の【(c)】コンテンツを

融合し、さらに発酵させれば、

コリをほぐす事の科学的メカニズムを十分に説明できる、

と私はいま確信する次第だ。



鍼灸指圧はなぜ効くのか?

その問いになんとか答えを見いだし、

なんとか大衆の目をこちら側に向けさせるために、

わたしたち鍼灸指圧師は、これまで決して

ボンヤリとなにもせずに過ごしてきたわけではない。



そう必死に鍼灸指圧がなぜ効くのか?

を科学的に明解に解説しようと努めてきた者が、

たしかにいたのだ。



先人を師とし、先人のコンテンツをさらに洗練させる。

増永コンテンツが不朽の逸品である如く、

今村コンテンツもさらに上を目指す。

2017.03.27 | | コメント(2) | トラックバック(0) | 養生クリエイター

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